大井浩明ピアノリサイタル:新ウィーン楽派ピアノ曲集成 |
野々村 禎彦 |
大井浩明は、近年はクラヴィコード・チェンバロ・フォルテピアノを作品に応じて使い分けた(楽器のモデルも極力作曲当時のものに合わせた)古楽演奏で知られる鍵盤楽器奏者であるが、元々は現代音楽に特化した怪物的レパートリーを持つアマチュアピアニストとして頭角を現した。当時の弱点だったタッチの粗さを克服するためにベルン音楽大学でブルーノ・カニーノに師事し、さらに独自のピアノ奏法を確立するためにピアノの祖先にあたる諸楽器(オルガンを含む)を専門家たちから学ぶうちに、どちらも本業になってしまったという経歴を持つ。
大井の名が内外で最初に広く知られた契機は、タマヨ/ルクセンブルクフィルがTimpaniレーベルで進めているクセナキスの管弦楽作品全曲録音プロジェクトで、多くの「現代音楽専門ピアニスト」を差し置いて彼をソリストに起用したことだった。演奏不可能な難曲としてのみ喧伝されてきた《シナファイ》や《エリフソン》を、スケール感を損ねることなく音楽的に飼い慣らした手腕は高く評価されたが、クセナキスは彼が一貫して取り組んできた前衛世代の作曲家であり、全鍵盤独奏曲(ピアノ・モダンチェンバロ・オルガンのための)を一晩で弾く前人未到の試みも成し遂げている彼に対する評価としては、遅すぎるくらいだった。
これに限らず、大井の作曲家へのアプローチは全曲演奏が基本になっている。彼が渡欧する以前、筆者がプログラムノートで関わった演奏会でも、ブーレーズ全ピアノ作品(《構造I/II》の第2ピアノは鈴木貴彦)、クセナキス全ピアノ作品+リゲティ全練習曲(演奏会時点)+α、という驚異的なものがあり、また同ピアノコンクールで上位入賞したメシアンや、シュトックハウゼンの鍵盤曲シリーズ(晩年のサンプリングキーボードのための作品群を含む)全曲も彼のレパートリーである。 2010年9月から5回にわたり、日本の前衛世代の作曲家と彼と同世代の中堅作曲家を組み合わせたプログラムのPOC (Portrait of Composers) シリーズでも、取り上げる作曲家10名中5名で全ピアノ作品を演奏することになっている。
前置きが長くなったが、今回取り上げるのは、大井の新ウィーン楽派ピアノ作品全曲演奏会の東京公演である。近年は録音においても、作品番号を持たない小品や断片まで含めた「全曲演奏」が行われるケースが増えてきたが、今回の彼はあえて作品番号を持つ曲のみを作曲年代順に並べた。 すると演奏会は、ロマン派最末期のベルクのソナタから始まり、シェーンベルク全曲で無調音楽の書法の変化を追体験し、完成した小宇宙としてヴェーベルンの変奏曲が弾かれることになる。このあまりに出来過ぎた歴史主義の図式から逃れることが、作品番号無しの作品を積極的に取り上げる近年の風潮のひとつの動機なのだろうが、大井はこのような歴史主義は積極的に引き受け、別な角度から風穴を開けようとする。今回のセットリストは以下の通り:
前半はベルクのソナタに続けてシェーンベルク全曲を一気に弾き通した。解釈の方向性は極めて明確で、演奏効果よりも作品構造の音響化を重視する。「スコアが透けて見えるような」という言い回しが分析的な演奏に対してよく用いられるが、この日の大井はさらに先を行き、「アナリーゼを音楽化したような」演奏だった。例えばベルクのソナタでは、主旋律には十分にロマンティックな表情を付けるが、伴奏部は単なる和音列ではなく、調性が崩壊する寸前で半音階的に絡み合った多声音楽として書かれていることを描き出す。そこから半歩踏み出し、無調側に落ちたのがシェーンベルク作品11の最初の2曲というわけだ。しかし第3曲には伝統的な対位法構造はもはや存在せず、感覚的な無調の断片が即興的に投げ込まれてゆく。この断絶を身体的アクションのレベルでまざまざと見せつけるのがこの日の解釈。ヴェーベルンは師の新機軸を、一息の感興を一曲に凝縮する行為へと昇華したが、この弟子の着想を逆に取り入れたのが作品19の小品集である。
その後のシェーンベルクは、テキストの力を借りて長い時間構造を支えようとする。それが《月に憑かれたピエロ》や《幸福の手》(1910-13) だが、やがてそれに限界を感じて創作から遠ざかり、12音技法というシステムを着想してようやく復帰する。その試行錯誤(それゆえに豊穣で美しい)の記録が作品23であり、システムが安定して「一息一曲」時代には不可能な極端なダイナミクスの対比を試みたくなった時、伝統的形式を借用して実現したのが作品25ということになる。晩年のエルフェは来日公演でこの曲を取り上げ、打鍵の精度は晩年のシュナーベルの録音並みだが激越なアゴーギクだけは耳に残る怪演を残したが、そのような表現は音符をきちんと拾っても十分可能だと示したのがこの日の演奏だった。これ以降も新古典主義的な作品がしばらく続くが、それがシェーンベルクの本質というわけではなく、管弦楽では《映画の一場面への伴奏音楽》(1930)、ピアノ曲では作品33の2曲で、形式においても柔軟な様式的総合に米国亡命前に至ることができた。
シェーンベルクのピアノ曲を振り返りながらこのような文章を書くことは難しくないが、演奏会で間近で聴いていてもこのような音楽様式の変遷が真っ先に聴こえてくるのは極めて珍しい。たとえ全曲録音を聴いていても、そのように感じられることは滅多にない。このような演奏は、シェーンベルクの音楽を「無調の特殊な音楽」として扱うことも、全曲演奏の機会に「自分ならではの特別な表現」を行おうという野心も捨て、伝道師のように虚心に向き合わない限り難しい。現代音楽奏者ならば必修課題のはずのこれらの作品に、このような姿勢で対峙できる奏者が実はいかに稀少なのかを、大井のスタンスは浮き彫りにする。
この特質を端的に表していたのが、ヴェーベルンの変奏曲の解釈だった。前衛の時代には、総音列技法のプロトタイプの難渋な作品として敬して遠ざけられてきた感があるが、70年代末のポリーニの録音を境に、急速にポピュラーになった。この録音でポリーニは譜面のテンポ指定を無視し、音響の連なりがひとつの旋律として聴こえるところまでテンポを速めて弾いた。このような解釈を許容すれば、12音期ヴェーベルンも感覚的無調期と同じく、シューベルトを思わせる清冽な旋律が特徴的な作品番号以前の習作からひと続きの音楽として理解できる。だが、この解釈は12音期のもうひとつの特徴を覆い隠してしまう。ケージが入門を希望する作曲家に最初に与える課題は、ヴェーベルン《交響曲》(1928) の写譜だったことはよく知られているが、このように12音期ヴェーベルン作品の長大な休符による希薄な持続は、米国実験主義と西欧戦後前衛を繋ぐ裏道として機能していた。ブーレーズの第2ソナタやシュトックハウゼンの鍵盤曲第10番をレパートリーにし、ノーノと親交を結んでいたポリーニは現代曲弾きとみなされがちだが、音楽的志向はあくまでロマン主義であり、米国実験主義とは疎遠である。
古典派であれ現代曲であれライヴでは顔を真っ赤にして陶酔的に弾く「イタリア的」感性がロマン主義側に引き込んだ作品を本来の位置に引き戻すために、大井は譜面通りのテンポ指定を貫いた。テンポを落としてもダンパー・ペダルに頼らず、孤立した音響を縫い合わせて分厚い織物を編み上げる。クラヴィコードの極めて乾いた響きで平均律クラヴィーア曲集のフーガを作り上げた経験は、このような形で生かされる。ベルクのソナタの対位法構造の抽出から始まった演奏会は、ヴェーべルンの変奏曲の本来のテンポを、対位法構造を際立たせて納得させる――J.S.バッハの無伴奏ソナタを一本の旋律として弾くのではなく、極めて遅い線が絡み合った多声音楽として響かせるように――ことで締めくくられた。
この大枠以外は、この日のプログラムでは余興とみなしてよいだろう。大井が今回の演奏会でフィルアップに選んだのは、《モーゼとアロン》より〈黄金の仔牛の踊り〉のピアノソロ版と《月に憑かれたピエロ》のピアノ伴奏版だった。シェーンベルクの最も複雑な音楽として、しばしば単独でも演奏されてきたこの場をあえてピアノ独奏用に編曲したのは、創造的編曲に執念を燃やす川島らしい仕事だ。半音階的密集音型の運動と堆積は、最終的にはグリッサンドとクラスターで処理することになるが、大井を想定してぎりぎりまで書き込まれている。するとフレーズからグリッサンドやクラスターに移行する際、指の背を使う安全な奏法を選んでいる暇はなく、奏者は指先を切った革手袋を着用して掌と指の腹でこなすことになる。このような苦労の結果は、ドビュッシーがベートーヴェン作品を揶揄した「絶妙な灰色の諧調」という喩えにふさわしい音楽になっており、シェーンベルクが管弦楽で探求した音色旋律までピアノに転写されたわけではない。
演奏会後半の3分の2近い時間を占める《月に憑かれたピエロ》ピアノ伴奏版は、驚くほど寛いだ雰囲気の中で奏された。本来のピアノパートも決して易しくはないのに他楽器のパートまでひとりで弾くのだから、技術的にはこれまた難曲だが、それ以前にこれはキャバレー音楽だという事実がピアノ伴奏版では前面に出てくる。ストラヴィンスキー《兵士の物語》同様、軽音楽アンサンブルをイメージしたとはいえ、結局20世紀のオブセッションのひとつになった室内楽編成の豊かな音色では、場末のキャバレーにはならない。詰め込みすぎの音符をピアノ1台でやっつける手管と非クラシック的な歌唱が合わさった時、この曲のもうひとつの側面が見えてくる。この意味でも柴田暦の起用は的を射ていた。ポピュラー音楽と現代音楽の境界領域で活動する音楽家たちに「ポップミュージック」を委嘱したプロジェクトでも大井は柴田と組んだが、この路線の出発点が《ピエロ》なのだから納得できる。譜面に拘らずに音高を選んで伸び伸びと語る、彼女の慣れ親しんだスタンスが作品の要求にもかなっている。オリジナル編成では、音色に付随するイメージが言葉の響きに細かく対応しており、表現主義を極めるには原語歌唱は必須だが、ピアノ伴奏版ならば原語に拘る必要もない。むしろ、この日の組み合わせて今後も演奏し続ける予定があるのならば、日本語上演も有力な選択肢ではないだろうか。
本演奏会は、久々の現代音楽自主企画となるPOCシリーズを前にした大井の決意表明とみなせよう。現代音楽演奏に自主的に取り組む若手は、多井智紀らアンサンブル・ボワ周辺の音楽家くらいしか見当たらない状況で大井が再び重い腰を上げたのは、もう若い世代に道を譲ってはいられないという義務感と、アマチュア時代の試行に決着をつけておきたいということだろう。その際の解釈が、無難な再現を旨とする「現代音楽演奏」に収まるはずはない。敬して遠ざけられてきた作品群には分析的アプローチを徹底し、人口に膾炙した《ピエロ》のキャバレー音楽性を強調したアプローチと対比させる。来年度のPOCの予告では、彼が青年時代に取り組んでいた現代の古典が並べられており、この日のような踏み込んだ解釈が期待できそうだ。それに先立つ今年度のシリーズが日本人作曲家の特集になったのは、留学後も長らくヨーロッパに居を構えていた彼は、彼地の「現代音楽専門ピアニスト」たちの自国偏重ぶりを目の当たりにしてきたからだろう。日本人だけがコスモポリタンを気取っても意味はない。ただし、かつては東アジアの作曲家を広く取り上げていた彼が今回は日本人に絞ったのは、近年の国際コンクールでは韓国・人民中国のピアニストが台頭しており、もはやお節介は無用という判断なのだろう。
(2010年7月31日 渋谷・公園通りクラシックス)
(c) 2010 Yoshihiko NONOMURA