そして中間報告書によると「県が」畜産農家の所在地や飼育状況などの情報を事前に集めていなかったことが、初動対応が遅れた要因と分析し、県から国への連絡が「非常に遅かった」と批判しています。
さらに国と県の連携が不十分だったために、早期に家畜を殺処分できなかったと指摘し、「この結果、感染が拡大した」と結論づけています。
これに対し、宮崎県の東国原知事は、同日記者団に「本県が他の都道府県と比べて、著しく初動や普段からの予防が劣っていたとは認められない」と話したそうです。
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http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100916-OYS1T00170.htmなんということでしょうか。
国がまとめる検証委の答申が「人のせい」ですか?!
そんなものは、もはや答申の名にすら値しない。
ボクはそう思うのですが、みなさんはいかがお思いでしょうか。
このブログをご覧の方は、口蹄疫問題が発生したとき、農林水産大臣が国外にいて、国がなんの対応もとらず、その間、県が中心となって必死で被害拡大の阻止を図っていたことを、ご存知です。
以下は、地元で防疫のお手伝いをされた方のお話です。
メールでいただいたものを、そのままご紹介します。
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某道の駅で休息していた宮崎県ナンバの車の窓ガラスが割られました。
宮崎県民お断りの札が店に張り出されました。
釣りに行っていた同僚が”警官”から「あんた、宮崎県人だろうが!とっとと出て行け」と恫喝されました。
毎年参加していた四半的大会に今年も参加しようと行ったご年配の方が、参加を断られて帰ってきました。
とある図書館に寄贈された絵本。宮崎県からのものだったのですが受け入れ側が「ちゃんと消毒済みです」とわざわざみなさんに断ったとか。
前農相、「種牛を殺さなければ、家畜移動の許可はださない。(競りができないことになります)」と知事を恫喝しました。
家畜埋める穴掘る場所を探して自分たちで処分しろ。「隠してないでさっさと土地をだせよ。」と前々農相は 笑いながら言いました。
宮崎県の公立小学校中学校は緊急事態宣言が終わるまで、すべての行事がストップさせられました。修学旅行、宿泊学習、参観日、運動会、レクレーションの数々です。集団で、他の場所に移動するな! は誇張ではなく事実でした。
川南町は緊急事態解除のあとも、終息宣言(8月27日)が出るまで、子どもたちも含めて移動は自粛するという処置で町民がんばったのです。
夏休みは公共の建物は全て封鎖されており、たのしみが少なくて申し訳なかったですね、と川南町長さんが謝罪されていました。
自力の防疫でした。
銀行、学校、JA、運輸会社等の入り口には毎日多量の消石灰が撒かれ、それぞれの店、家の入り口は消毒ポイントを設置。
勿論道路もです。
すべて予算なし。自腹です。
消毒液を含ませて道路や入り口に敷くバスタオルや毛布もみんなで声かけあって集めました。
「徐行してください」の看板も手書き・手作りでした。
消毒ポイントで働くのもほとんどがボランティアでした。
うそのような、本当の話です。
それなのに、宮崎県は、危機意識が薄い、防疫への対応がなされなかった と批判します。消毒薬が足りなかったのはだれのせいでしょうか?
危機管理意識が全くなかったのは どなたでしょうか?
蔓延を防ぎたいから「選挙は延期してくれ」と県民署名活動をしたのに、無視して選挙カー走らせたのはどの政党でしょうか。
新聞もテレビもとりあげないまま終わろうとしています。
でも、私たち県民は忘れません。
これから何が起きようとしているのかも見極めて、理不尽なことになるのであれば、必死で食い止めなければならないのです。
このままでは(検証委員会)本来なら、究明・支援するはずの「国」が、国を支える基盤となる「地方」をつぶしかねませんから。
実は、本当の終息宣言は10月くらいになるだろう・・・というのが、県の見解だったのです。
ここまで、だれが考えてもおおざっぱな判断で緊急解除を”出させた”かというと、
「選挙」をどうしても7月にやるためでした。
まだ、口蹄疫がおさまらず県内必死の防疫に努めている真っ最中。
とにかくこれ以上広がったら・・・県外に出してしまったら・・・という恐怖と不安の毎日だったのです。
民主党の立候補者は、テレビでは、
「消毒に気を遣います。宣伝カーには乗りません」
と公言していたのもかかわらず、”あの党だけ”車を走らせまくっていたのは周知の事実。
被災地も走り抜けたという人の気持ちを察することのできない身勝手さ。
ひいきするわけではありませんが、自民党3人組はくっついて歩きでしたよ。
先に述べましたが、県民で署名運動しました。
県民の声は一体どこへ消えていっているのでしょうか。
蒸し返すようですが、GW中に、消毒ポイントを振り切って走る車は、県外車も多かったのです。
身内は怒りまくっていました。
(今でも、私は県外ナンバを見ると、怒りがぶり返します。狭い気持ちですみません。)
そして、県民も協力体制は薄かった。
何故か?
情報操作により、口蹄疫の恐ろしさやどれだけ被害が拡大しているかをマスコミが一切流さなかったということは大きいでしょう。
今でもまわりは
「おまえが話していることはありえない。ネット内の妄想。」
という人の方が多いのです。
何となく「現政権はおかしいような?」と感じてはいても
「あのNHKが取り上げないのだから、他は誤情報。」
で終わっています。
勉強不足?
県内どれだけ、ネット環境が整っているというのでしょう。
現に、一番情報が欲しかったであろう畜産農家さんは、ネットをされない方も多かった。
声を発信できる方は、まだよいです。
訳のわからない不安の中、防疫に取り組み、殺処分を命じられ、そして、今、補償もなくさらに罰則とは!
前を向いて復興支援に精力を注ぐ波に乗り始めた矢先の、国からの卑劣な対策。
宮崎県が反撃しないとなめているのであれば、大間違いです。
この事件を風化させてしまったら次の伝染病蔓延の際に同じ悲劇が引き起こされます。
今度はもっと酷いことになるかもしれません。
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これが現実の現場の声です。
民主党の身勝手な選挙対策のためだけの「終息宣言」。
「自粛」といいながら、平気で選挙カーを走らせる無神経さ。
民主党政府が情報を隠蔽し、被害対策を遅らせたおかげで、殺処分された牛豚は28万頭です。
そしてすべてを県の「せい」にして頬かむりする。
現政権は、間違いなくかつて日本史上にまったく存在しなかった最悪の無責任政権です。
もうひとつ、現場で、実際に埋却処分と消毒作業に携わっていた方の文もご紹介します。
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埋却現場は非常に蒸し暑く不快指数も急上昇で、埋却した牛や豚の腐敗が始まり、ガスとともにピンクの体液がいたるところで噴出し、畑は血の海と化しました。
私たちは、その死臭+糞尿の臭いで嘔吐しそうになりながら、さらには大量に発生したハエがまとわりつく中を作業が終わるまで出られず、その場で体力を維持するために無理矢理弁当を胃に詰めこんだんですよ。
消毒石灰(少し臭い)まみれになりながら。
ただ、私らは作業が終われば臭いのない自宅に帰ることができましたが、近所に住居がある方々は、臭いが落ち着く1週間前後耐えなければならなかったのです。
近くに畜舎が何棟もあり、時間差で埋却しなければならない場所ではもっと長引きました。
ハエの被害は、その駆除が後回しになっていたことからもっと長く続いたでしょう。
心からお見舞い申し上げます。
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埋却現場方たちの声は、まだまだあります。
以下、主なものをご紹介します。
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■故障
携帯電話の故障が相次ぎました。
雨や大量に出る汗が原因です。
そのため、現場と指示を出す対策本部とのやりとりに支障を来すこともしばしばでした。
防水袋に入れていても湿気でやられます。
■染まった紙幣
汗と言えば、作業車両の運転をする関係で免許証を持参するのですが、免許証を財布に入れている人が大半で、財布の中の紙幣が財布の革の汁で茶色に染まってしまいました。
仕方なくその濡れて染まってしまった紙幣を使用するのですが、お店の人は必ず怪訝な顔をされます。
なんとか事情を説明した上で受け取ってもらいましたが、嫌な顔をされました。
その後は財布をビニールに入れることを学習しました。
また、作業終了後は着ていた服を全てその農場のゴミ箱に入れて処分しなければならないのですが、服に貴重品等を入れたたままにした結果、それを紛失する人もいたということです。
■労災
獣医さんが殺処分用の注射針を牛でなく自分の手に刺す(牛も暴れますし獣医さんの疲労もピークだったのだろう)も、注射の中の薬は体内に入らなくて無事でした。
その他、ギックリ腰、消毒薬による目・皮膚の炎症は多数で、骨折する人もいました。
血圧も軒並み上昇です。
■行方不明?1
糞尿(生)がたっぷんたっぷん詰まった埋却穴(深さ4m)に作業員が落ちました。
穴は底なし沼状態でつかまるものもなく、もがけばもがくほど沈んでいきます。
幸い目撃者がいてすぐに救出しました。
白い防護服(タイベック)及びゴーグルで視界が非常に悪く、他の作業員も作業に集中するため、誰も気づ
かなかった場合、もしかすると行方不明者がでていたかもしれません。
別の穴にはトラックも落ちたみたいです。
■行方不明?2
行方不明といえば、作業用車両(リースの軽トラック)の捜索願が川南町役場の壁に張り出されていました。
口蹄疫発生がピークで資材等の調達が錯綜していた時期だったため、どこかで乗り捨てられたままになっている可能性が大きいです。
1月ほど探していたらしいですが、その後の情報を私は知りません。
無事発見されたのでしょうか?
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現場の声はまだまだ続きます。
「初期に防疫が不徹底だった」と委員会はつついているけれど、「だれ」が防疫を遅らせたかを詰めていくと、赤松と小沢に行きつく。
だから民主党政府は、必死で宮崎を悪者に仕立てようとしている。
ここで、あえて古い話を持ち出させていただきます。
10年前の口蹄疫です。
この文をお読みのみなさんは、このとき自民党が即座に100億の資金を準備し、現場にはいって農家のみなさんに「すべての責任を持つから、殺処分を」と呼びかけ、わずか7頭の殺処分で、事態を鎮静化させた、ということをご存知と思います。
「自民党が」といいますが、ではいったい自民党の「誰が」これをやったのでしょうか。
当時の様子を振り返ります。
まず、口蹄疫発生の報が、地元宮崎二区選出の江藤隆美衆議院議員議員のもとに寄せられました。
江藤隆美氏は、自民党の幹事長代理、総務庁長官、運輸大臣、建設大臣を勤め、を勤め、正三位、勲一等旭日大綬章をいただいた自民党の大物議員です。
その江藤氏は、口蹄疫の報に接し、即座に(即座にです)「これは、ほっておけばたいへんなことになる」と直感します。
そして小渕総理に連絡をとり、即座に口蹄疫対策本部の構築を要請するとともに、その場で宮崎一区選出の衆議院議員中山成彬氏(自民)に連絡をとります。
中山成彬氏は、大蔵省の出身です。
知らせを聞いた中山成彬氏は、即座に大蔵省に出向きます。
そしてその場で緊急資金として100億の緊急出動を要請し、この許可を得ます。
口蹄疫といっても、当時、その恐ろしさを知る人は少なかったのです。
その中で、いきなり「100億用意してくれ」です。
「ハイハイそうですか」と緊急予算を振り向けてくれるほど、大蔵省は甘くない。
よく、声の大きい代議士、演説の上手な代議士、マスコミ受けの良い代議士という人たちがいます。
しかし、実際に政治を動かし、行政を動かし、世の中を動かすのは、声の大きさや演説のうまさ、マスコミ受けではありません。
すこし考えたら誰でもわかることですが、あなたがもし大蔵省の担当官だったとして、大声での演説のうまい代議士が眼の前にやってきて、いつもの調子で目の前で大声でいつもの毒舌を繰り広げられたら、おそらくあなたはひいてしまう。
誰だって同じです。
しかし、日ごろから信頼にたる仕事をしている人が、条理を尽くし、筋道をたてて冷静に話にきたら、やはり誰でもそれなりにちゃんとした対応を心掛ける。
あたりまえのことです。
毒舌が世の中を動かすのではありません。
日ごろからの真摯な誠実さが人を動かすのです。
最後は、長年にわたる日ごろからの信用と信頼と実績がものを言う。
中山代議士は、誠心誠意、担当官を説得し、これを実現します。
日ごろの信用と信頼がなければ、そうそう簡単に資金など出るものではありません。
大蔵省の担当官は、中山氏を信頼し、江藤氏を信頼し、そして自民党内閣の行動力を信頼し、その場で、100億の出金を承諾した。
江藤議員と中山議員は、そうして軍資金と自民党内の体制を、事件発生後間髪を入れずに実施し、その足で宮崎の現場に入ります。
そりゃあ、畜産農家にしてみれば、大事に育てた我が子のようにかわいい牛です。殺処分などされたくない。
しかし、日ごろから尊敬する議員さんが直接やってきて、やらねばならぬ、と説得されれば、そりゃあ、わかりましたと返事するしかない。
こうして、10年前の口蹄疫は、わずか7頭の処分だけで、迅速に事態が収束しています。
中山成彬元文部科学大臣
要するに、「人」なのです。
10年前の口蹄疫問題の発生のとき、地元選挙区出身の二人の代議士の強力な連携プレイが、結果として口蹄疫被害を最小限に食い止め、宮崎の畜産農家を救い、宮崎の産業を守った。
このことは、忘れてはならないことだと思います。
2010年、宮崎でふたたび今回の口蹄疫が発生しました。
前回と異なるのは、政権政党が、自民党ではなく民主党であったことです。
そして、宮崎2区は、江藤隆美議員の長男である江藤拓氏が議員でいたものの、宮崎一区では、民主党川村秀三郎氏が議員となっていた。中山氏は浪人中です。
民主党の川村秀三郎氏は、農林水産省の出身者です。
まさに口蹄疫問題に関しては、専門分野の議員のはずです。
ところが、なにもしない。何も動かない。
自らの手で、政党を動かし、行政を動かして地元を救おうという気概もなければ勇気もない。行動もない。
自民党内では、江藤拓議員の必死の説得で、口蹄疫対策本部ができます。
しかし、対策本部の会合には、谷垣総裁や加藤紘一などが集うものの、やはり動きは緩慢です。
一方、実際に内閣の運営に携わっているのは民主党は、むしろ口蹄疫発生の事実そのものの隠ぺいを画策ます。
マスコミには緘口令(かんこうれい)がひかれ、一般の国民は、口蹄疫の「コ」の字も知らされなかった。
さらに当時の農林大臣の赤松氏は、外遊中です。
農林大臣の留守を預かるのは福島瑞穂議員だけれど、江藤議員が面談を申し入れても、会おうともしない。
一方、前回の口蹄疫問題で、最前線に立って活躍した中山成彬氏は、浪人中の身です。
手を尽くしてあちこちかけあうけれど、政府の承諾がなければ、担当官ベースでは、予算も対策もうごきようがない。
中山成彬氏は、「これほどまでに非現職の身であることが歯がゆかったことはなかった」と当時を振り返ります。
誠実な中山成彬氏です。そのときの悔しさ、歯がゆさは、われわれの想像を絶する断腸の思いであったろうと思います。
それでも中山成彬氏は、東京から現地入りします。
畜産農家の現状を自分の目で視察し、その様子を東京の自民党本部へも連絡します。
しかし、野党である自民党に政府を動かす力はなく、民主党は自体の隠ぺいを図るだけです。
そして日に日に被害は拡大する。
江藤拓議員は、ようやく帰国した赤松大臣に対し、衆議院の本会議で、質問に立ちます。
「与野党協力して、断固対策を図りたい」
江藤議員の血を吐くような必死の呼びかけに対し、そのとき衆議院本会議の議場で起こったことは、300議席を持つ民主党議員たちの怒号と野次の嵐です。
しかもなぜかこの日、いつもならマスコミの並ぶ衆議院の二階席はカメラの砲列が並び、二階席を埋め尽くすほどの取材陣が詰めかけているはずなのに、この日の江藤議員の質問のときだけは、なぜかマスコミは、新聞、テレビとも、誰もいない。2階席は、まるでがらんどう状態です。
そして江藤議員の質問の質問に対し、民主党席からは、「カネもらってやってんじゃねーのかぁ!」等、信じられないような罵声が浴びせられます。
それだけじゃない。野次と怒号に加えて、民主党の議員たちは、床をドンドンと踏み鳴らし、マイクで大声で話す江藤議員の声すらかき消される。
とにかく300人の民主党議員が、狭い、密閉された衆議院の議場で、あらん限りの大声を出し、床を踏み鳴らし、質問をぶつける江藤議員ひとりに集団で罵声を浴びせ続けた。
それでも江藤議員は頑張ります。
そして、野次を飛ばす民主党議員たちに、口蹄疫がたいへんな問題であること、国をあげて対策を講じなければ、被害の拡大は、地域の産業そのものを破壊することになる、なんとか与野党一致協力して対策にあたりたい、と、涙ながらに訴えた。
その悲痛な叫びを、普通の日本人なら誰もが涙せずにはいられないような質問を、民主党の議員たちは、誰も聞こうとすらせず、ただわめき散らし、罵声を浴びせ続けた。
宮崎の口蹄疫問題は、まだ終わっていません。
口蹄疫そのものは、鎮静化したものの、28万頭の牛豚が処分されたのです。
壊滅的打撃を被ったのは、畜産農家だけではありません。
畜産関係の加工工場、牛肉豚肉類の集荷配送を行う運輸業者、倉庫業者、関連工場、自動車、流通等、現状では、川南町を中心に、地域経済のすべてが破壊されているのです。
口蹄疫被害を一次災害とするなら、関連産業の壊滅は、二次災害。
そして、経済復興のための諸活動がこのまま機能不全を起こし続ければ、被害はさらに大きな三次災害となって尾を引くことになります。
ここですこし自民党宮崎県連のことも書かせていただきます。
前回の衆院選で、宮崎一区では、自民党宮崎県連が、中山成彬氏ではなく、上杉光弘氏を擁立しました。
結果は、自民党票が、中山氏と上杉氏の二つに割れ、漁夫の利で民主党の川村氏が当選しています。
自民党県連が中山氏を擁立しなかったのは、当初中山氏が出馬を断ったことによります。
前後の事情からすれば、その時点で中山氏本人から出馬表明はしにくい。
県連の説明によれば、「だからやむなく選挙前直前になって候補者を探し、やっとのことで上杉氏を擁立したのだ」ということです。
だから「自民党宮崎県連は被害者」なのだそうです。
しかし、これは勘違いも甚だしいと思います。
恩を知るをもって人とは言うのです。
前回の口蹄疫事件のみならず、宮崎にとって大恩ある中山氏が、そのいきさつから出馬をしないと述べたとしても、自民党の県連なら、三顧の礼をもって中山氏に立候補をお願いするのが、筋というものです。
それを、恩を忘れ、別な候補者を立て、結果は日本にとって必要な政治家を共倒れで倒し、民主党の候補者に議席を譲った。
それでいながら、自らを「被害者」と言う。
この場合、被害者というのは、実際に口蹄疫でたいへんな苦労をすることになった宮崎県民です。
そうした被害から県民を守るための自民党県連が、自らを「被害者」と名乗るとは、それでも県政に責任をもった政治家なのか!と怒鳴りつけたくなります。
というか、自民党の宮崎県連の方が、もしこの文章を読まれているなら、是非、県連会長を是非とも怒鳴りつけてもらいたい。
自民党の宮崎県連は、簡単に「被害者」になるようなヤワな組織なのですか?
その程度の弱虫なのですか?
それで県民を守れるのですか?
結果として、自らを「被害者」と語る自民党宮崎県連は、実力と実績を兼ね備えた中山氏を国政に送り込むことができず、今年、口蹄疫事件が発生してもなんの貢献もできず、結果として被害の拡大を招いただけでなく、今度は民主党の検証委に、宮崎県こそ被害を拡大した犯人呼ばわりされている。
もう一度、上にある現場の声を読み返してみてください。
ハエにたかられ、糞尿にまみれ、必死の努力をしてくださった県民の皆様に、自民党宮崎県連は、いったいなんと言ってお詫びするのか。
今回の口蹄疫事件と、10年前の口蹄疫を比べてみたとき、はっきりといえるのは、宮崎に「肝心なときに人を得なかった」ということです。
その原因を作ったのは、自民党宮崎県連です。
自民党宮崎県連には、猛反省を求めたいと思います。
今回の口蹄疫問題は、明らかな人災です。
最大の問題は、宮崎が、民主党の議員を出していながら、その民主党がまるで口蹄疫対策を放置し、被害を拡大させたことにあります。
そして宮崎県にとっての最大の不幸は、この重大事に、恩知らずの自民党宮崎県連の不義によって、中山成彬氏を国政の場に送れていなかったことです。
宮崎は神話の国です。
天照大御神が、天の岩戸にお隠れになったとき、天だけではなく、地上にもありとあらゆる災害が起こったと、記紀に書かれています。
それは、逆説的にいうと、天照大御神の存在が、それだけ大きかったということの証左でもあります。
神話の神々の偉かったのは、その事実を素直に認め、天照大御神を天の岩戸からもとの世界に戻したことです。
いまの日本は、まさに天照大御神が隠れ、いろいろな問題が噴出しているところなのかもしれません。
そして、いま日本に起こっている諸問題の根っこをずっと探っていくと、そこに見えてくるのは、世の中の重大事に、本当に動く人というのは、ごくわずかである、ということです。
政治は、人が行うものです。
そして人を得るということは、政治にとって最も大切なことです。
そのことを、私たちは、もういちどよく考えてみる必要があるのではないかと思います。
また、宮崎の口蹄疫は、まだ終わっているわけではありません。
向こう3年間、宮崎の経済は破壊される。
畜産に至っては、今後どれだけの期間、打撃が尾をひくか見当もつかない状況です。
いまこそ、宮崎を建てなおすため、また口蹄疫被害に遭われているみなさんを救うため、国は責任逃れをするのではなく、真剣に事態に立ち向かってもらいたいと思います。
そしてそのためにも、宮崎のみなさんへは、なんとしても、もう一度中山成彬先生を国政に送り込んでいただきたいと思います。
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2010.5.20【口蹄疫問題】江藤拓議員(衆議院本会議)
畜産業をやっている人には酷なことかもしれませんが、肉食をしない人が増えてきて、日本古来の野菜や自然栽培などに目を向けてる人が増えてきています。
又は、こういった循環型の環境が注目されてきています。
http://yanagida-farm.com/farm/index.html
宮崎の復興にはこういったやり方が望ましいと思います。
政治の人 は後にして・・・。
今は畜産をする人の意識が大切なのではないでしょうか。
畜産業の方の意識が変わらなければ、どんなに良い政治家がいようと同じことの繰り返しではないでしょうか。
ピンチはチャンスです。
宮崎の方にはこれをチャンスにして、日本の畜産と農業を引っ張っていく モノ作りをしていただきたく思います。