米金融業界は過去20年、国内のほぼどのセクターよりも速いペースで拡大した。報酬は高く、優秀な人材が証券売買、融資、ポートフォリオ管理、M&A、住宅ローンを原資とした複雑なデリバティブなどの業務に従事した。しかし、金融バブルがはじけた今、数十万人がほかの業界で職を探し、新卒者は違う業界に就職先を求めている。
超大手行は、クレジットデリバティブなど一部エキゾチック商品やリスクテイキングに対する意欲を再び示しているが、なくなった仕事の多くはすぐには戻りそうにない。大統領経済諮問委員会(CEA)は、保険を含む金融業界が労働力に占める割合について、2016年には4.1%に減少するとの見方を示した。08年末には4.8%だったが、この時点で既に多くが業界を去っていた。一方、医療や教育サービスは16%から18%弱への拡大が見込まれている。
ハーバード大学の新聞「クリムゾン」によると、同大の09年卒業生の就職先も従来と異なる。金融やコンサルティング業界に進む学生は20%と、08年の40%弱、07年の47%から急減。教育業界に進む予定の学生が昨年の5割増しの15%、ヘルスケア業界に進む計画の学生は2倍の12%という。
人材のシフトは、たとえ緩やかであっても、社会に影響を及ぼすことがある。エコノミストのケビン・マーフィー、ロバート・ビシュニー、アンドレイ・シュレイファーは1990年に発表した研究で、優れた人材が起業家になると、「従事する事業分野で技術を改善し、その結果、生産性と所得を押し上げる」との見解を示した。これとは対照的に、金融や法律などの分野に人材が割り当てられた場合、生産性の伸びは鈍化し、技術を改善する機会は減り、経済成長が鈍化する。こうした分野では、収益は富の創造ではなく、他分野からの富の分配から得られる。
同3氏によると、「報酬が高くなくても社会的にほかより有用な職業もある」という。
ウォール街からの避難民は、新しい仕事では前職のような社会的地位や高い報酬が得られないと感じることが多い。ジル・ショア氏(44)はフランス系投資銀行ナティクシスでポートフォリオマネジャーを務めていたが、08年7月に所属部門が閉鎖された。現在はニューヨーク州ニューロシェルで「グリーン・ワールド・タクシー」を経営している。貯金で日産のハイブリッド車アルティマを3台購入し、自社のタクシーやリムジンサービスが環境に優しいと宣伝した。メトロポリタンエリア中に業務を拡大することを夢見ている。
今では仕事中休む間がないこともある。雇っているドライバーは1人しかおらず、自ら空港に客を送るため、朝4時半に起きなくてはならないことも多い。有給休暇、各種手当、アシスタントはなく、販促資料の印刷からガソリンの補充まですべてを自分でこなす。収入は銀行時代の20万ドルの4分の1ほどに減った。今年は休暇を取らない予定だ。本を買う代わりによく図書館に足を運ぶ。
金融業界で14年の経験を持つ同氏はときどき、新たなアイデンティティを受け入れるのに苦労する。「娘に、『前は銀行員だったのに、今はタクシー運転手なのね』と言われて、「『違う。輸送サービス会社のオーナーだ』と答えた」こともあるという。
ただ、困難が多いとはいえ、新たな道で得るものもある。同氏は「重要な決定をする権限がある。働く時間は自分で決める。不安定だが、慣れるものだ」と述べた。
金融業界は常に、教育を受けた労働者を適正な割合でひきつけてきた。しかし、業界が本当に成長しだしたのは、一部金利の上限が撤廃され、銀行の支店の業務に対する規制が緩和され、市場のグローバリゼーションが進み、ジャンク債やレバレッジド・バイアウトが盛り上がりをみせた80年代初頭だ。
生み出される収入が経済に占める比率も拡大した。ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネスのトーマス・フィリッポン教授によると、金融業界の労働力や資本が経済全般に与える「付加価値」は、第2次世界大戦後は2.3%にすぎなかった。それが、97年には4.4%、06年には8.1%に達したという。
同教授によると、同じレベルの大学院を卒業したエンジニアと金融業界の労働者の収入を比べた場合、80年にはほぼ同じだったが、05年には金融の方が平均30~40%多く稼ぐようになっていた。07年には、カリフォルニア工科大学の卒業生の25%、ペンシルベニア大学の工学系の卒業生の30%が金融に進んだ。
教育は経済的混乱の恩恵にあずかっているが、今回が初めてではない。ハーバード大学の経済歴史学者、クラウディア・ゴールディン氏によると、大恐慌中に製造業の雇用が干上がった30年代には、雇用情勢が違えば中退して工場で働いていたであろう高校生の一部が、卒業まで通った。高校卒業後に事務職に就いたはずの学生が、大学の教職課程に進んだことから、教員になる学生の数が増えた。
ニュージャージー州のモントクレア州立大学で教育部門を統括するアダ・ベス・カトラー氏は、解雇された金融出身者を訓練し、長らく不足している高校の数学教師を養成するプログラムを監督している。同氏によると、同州の新人教員の給与は4万5000~5万5000ドル(約400万~500万円)。金融業界では、これよりずっと高い報酬を得ている労働者が多い。それでも、トレーダーから教師に養成するこのプログラムの初回クラスには、25人の募集に対し200人の応募があった。カトラー氏は「教えること以上に報われることはない」と述べた。「ただ、収入は多くない」としている。
ゴードン・ジョーンズ氏(54)は、早期にこうした転身を果たした1人だ。26年間、株や転換証券のセールスをしており、直近ではコネティカット州スタンフォードのJ・ジョルダーノ・セキュリティーズでバイス・プレジデントを務めていた。しかし、金融商品が一段とわかりづらくなっていった07年、業界そのものに嫌気が差し始める。「転換証券市場では、価格と価値が乖離(かいり)していると思った」のだという。同氏は「業界にはいす取りゲームの雰囲気があった。音楽が止まったときにそこにいたくなかった」と述べた。
同氏は退職を決め、改めて教育課程に学び、教師に転身した。今ではコネティカット州のグリニッチ高校で教師をしているが、収入は金融業界にいた当時の平均25万ドルの4分の1だ。
金融業界の低迷につれ、政府や公的機関の仕事に対する関心も高まっているようだ。ギャラップ社が非営利団体パートナーシップ・フォー・パブリック・サービス向けに4月に実施した調査によると、連邦政府の仕事を受け入れる国内労働者は40%と、06年の24%から拡大している。