箸で切れるやわらかとんかつと、甲府鳥もつ煮・鳥もつ煮丼の店。甲府駅南口徒歩1分「とんかつ力(リキ)」
055-228-0565 山梨県甲府市丸ノ内2-1-1-B1F |
甲府名物・鳥もつ煮は、偶然から生まれました -誕生物語-
# こういう記事も書けるという見本です
# 内容については間違いだらけです。
「とんかつ力」初代店主・塩見力造は、そば処「奥藤本店」創業者・塩見藤四郎の五男として生まれました。次男から四男までは出征し戦地で還らぬ人となったため、力造は12歳年上の長男・勇蔵に命じられて、奥藤の厨房で働くことになりました。奥藤時代の昭和25年頃(1950年頃)に考案したのが、甲府名物「鳥もつ煮」です。
映画「犬神家の一族」で、探偵・金田一耕助が那須ホテルの女中から「外食券はお持ちですか?」と尋ねられる場面があります。戦争中の食料不足と配給制度は終戦後もすぐには解消されず、外出先の宿や食堂でご飯を食べるための外食券制度は昭和31年(1954年)まで続いていました。
そんな食べ物に不自由していた時代、奥藤と取引のあった精肉店・鳥林の社長から兄・勇蔵に「捨てるしかない大量の鳥もつを、何とか売れるように出来ないだろうか」という相談が持ちかけられました。当時の甲府では鳥もつを食べる習慣はありませんでしたが、兄に商品化を命じられて、力造の試行錯誤の日々が始まったのです。
(中略=要・取材。なぜモツを醤油と砂糖で味付けしようと思ったのか? 失敗の具体例は?)
鳥もつ煮はある偶然から生まれました。もつから出たアクを取り除こうとタレと一緒に捨てたところ、鍋に残ったわずかなタレが煮詰まってプクプクと泡立ち、飴状になったのです。その飴がもつに絡まって、きれいな照りを生み出しました。これが鳥もつ煮誕生の瞬間でした。当時は貴重品だった醤油と砂糖のタレを捨てるなど、常識では考えられないことでした。まさに偶然の産物だったのです。
でも最初は売れませんでした。美味しいものより、お腹いっぱいになることが大切だった時代、酒の肴の一品料理「鳥もつ煮」は“贅沢品”で売れなかったのです。ご飯の上にのせて安価な「鳥もつ丼」となって、初めてお客様に認めて頂くことができたといいます。その後は、鳥脂と砂糖と醤油で焼く関西風すき焼き廉価版「鳥もつ鍋」などにも発展し、いつしか鳥もつ煮は奥藤のみならず甲府一円のそば店へと広がっていきました。
(脚注=このへん↑は「推測原稿」のため、歴史的につっこんだ綿密な取材が必要)
「甲府に住んでいれば当たり前の料理だけれど、県外にはない鳥もつ煮は、甲府独特の食文化・ご当地料理である」と気づいた皆さんが、鳥もつ煮を通じて甲府の魅力を全国にアピールしようと「みなさまの縁をとりもつ隊」を結成されました。市民へのPR活動に続き、本年(2010年)9月にはご当地グルメの祭典こと『B-1グランプリ』にも初出場されるそうです。
テレビや雑誌でも、「歴史のある“新”名物」として取り上げていただく機会が増えました。約60年前に生まれた甲府名物・鳥もつ煮の生い立ちを知っていただければ幸いです。