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[11965] 美少女を連れた虐殺トリッパーの生活(習作 究極能力オリ主)
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2010/09/22 17:15
 本作は、作者の過去作である「トリッパーメンバーズ」と一部同じ設定・キャラを使用しています。
 別に上記作品を知らなくても読むことに特に障害はないので、未読の方も既読の方も、どちらとも安心して本作を是非一読してくれますようお願いいたします。
 また、どうせだし過去作にも目を通してやるかと思ってくれました方には、平に感謝を申し上げます。
 以下、「トリッパーメンバーズ」h抜きURL。
ttp://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=etc&all=5944&n=0&count=1








 ある時から、インターネット上にとある一つのサイトが存在するようになっていた。
 魔術、妖怪、吸血鬼、退魔など、そういったオカルト関係の言葉をキーワードに検索することで、そのサイトは表示の片隅に埋もれる様にしてヒットされる。
 そして最初のページにて、黒い背景をバックに、装飾のない白い大きなサイズのフォントを使い、日本語で大きく画面中央に次の様なサイト名が表示されるのだ。

 『系譜殺し』と。

 そしてそのページを下にスクロールしていくと、以下の様な文章が表示される。

 『本サイトでは吸血鬼、幻想種、混血などといった、神秘に連なる存在を対象とした退治及び駆除などの依頼を承っております。この説明に該当する内容の依頼をお持ちの方は、ページ最下部に設けてあるリンクをクリックし、依頼が最低限の範囲で欺瞞ではないかを確かめるためのパスワード入力をクリアしてもらってから、当サイト内へとアクセスしてください』

 サイトに訪問した者たちの多くはその文章に惹かれ、特にその“依頼”などというものを持っていなくとも、好奇心に任せてリンクをクリックする。
 だがしかし、そうしてクリックした者たちの前には次の様な問題が出題され、どうしても回答することが出来ずリンク先のページへとアクセスすることは叶わなかった。

 『死徒二十七祖の第二位の名を答えよ。ただし解答は英単語三つ、半角アルファベットで入力すること』

 『魔道元帥が製作した愉快型自立魔術礼装の名称を答えよ。ただし解答はカタカナで入力すること』

 『魔術理論、○○○による心象世界の具現。この固有結界について述べる一文の空欄部分に当て嵌まるものを答えよ。ただし解答は漢字で入力すること』

 『死徒二十七祖第十位のネロ・カオス。彼が死徒となる前の人間であった頃のフルネームを答えよ。ただし解答はカタカナで入力すること』

 このように、パスワードの内容はクリックする毎に様々な内容がランダムに現れ、そのいずれも意味の分からない問題内容ばかりであったのだ。
 訪問者はその出題に対して適当に答えを入力してみるも、当然そんなものでクリアできる筈もない。
 まさか本当に化け物退治などしている訳じゃないだろうに。多くの来訪者たちはそう思い、会員制か何かのサイトだと思って引き返していく。
 サイト自体の趣旨もよく分からず、さらにネットでの検索からも引っかかり難いというその存在。そもそもにまともなサイト運営を行う気がないとしか思えなかった。
 よってそのサイトの存在は、ネット上の一部において謎として語られているのであった。








 日本という国の、一地方一都市一ビルの中の、その一室にて。
 片付けられもせずに物が散乱している、その部屋。その中に置かれている場違いに立派なソファーに、男が一人ごろりと仰向けに寝転がっていた。
 手が届く範囲に置かれているテーブルの上には、飲みかけのコップや開封されて中身が残ったままのスナック菓子などが置かれており、寝転がったまま時折、男はその手を伸ばしてお菓子を摘まんでいる。
 男の姿はだらしなく、乱雑に放っておかれている髪の毛はぼさぼさとなり、服装もよれよれとしたシャツとズボンを着るだけ着ているといった様子だった。
 その何もかも退廃的としか言いようのない空間の中で、なお際立っていたのはその男の目である。
 男の目はまさしく、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。

 「また貴方は、だらけた生活をして」

 退廃的なその空間に、場違いに清楚な声が響いた。
 ちらりと、男が視線を部屋の隅にある扉へと移すと、そこには今まさに扉を開けて部屋の中へと入ってきた少女の姿があった。
 少女は可憐だった。
 濡れ羽色のように見事で目を惹き付けて止まない、芸術品とすら言えそうな、その腰まで届くサラサラとした長髪。男を見つめるその瞳は少女の強い意志を現して煌めき、覗く肌は白絹のように穢れを知らぬ様子で周囲に晒されている。ほっそりと伸びた腕や足といったパーツは身体全体の黄金比を取って彩り、その身がただの大量生産された服を纏っていながらも、少女の美しを一片たりとも欠けさせることがなかった。
 まさしく、下劣な妄想すら抱かせることを拒む、素晴らしき“美”の概念が少女を覆っていた。

 「可憐ちゃん、君はよく毎日毎日真面目に出てくるねぇ。言わなかったっけ? そんなに馬鹿真面目に通わなくていいって。一週間に一度でも、なんなら一ヶ月に一度でも、それぐらい間を置いてくれても全然構わないんだけど、自分?」

 「冗談を言わないでください。仮にその通りにでもしたら、次に私がこの事務所に来た時は一面ゴミの山になっているじゃないですか。私はそんな不衛生な環境に通う気は一切ありません。そういう台詞はもう少し、自己管理が出来るようになってから言ってください」

 「うわ、酷い。誤解だよ、それ。別に自分は整理整頓が出来ない人間って訳じゃないし。必要性を感じたら片付けるって」

 「ゴミ屋敷を作る人間は、いつもそんな言い訳をするんです。早く起きてくれませんか? 片付けますから」

 「横暴だね、鬼だね。さすがリアル退魔士。鬼を狩るにはまず自分も鬼になるという訳ですか」

 「我が家の家伝には修羅にまつわる業など伝わっていません。いいから退きなさい、怒りますよ」

 のっそりと男は動き出し、片手にコップを掴んでソファーから移動する。少女は男が退くなり、すぐさま慣れた手つきで部屋の隅にある棚から袋を取り出し、散らかった部屋の中を片付け始めた。
 男は少女のことは放置し、窓際に置いてある机に向き直って椅子に座る。
 机の上にはパソコンが一台置かれていた。それなりに新しい、性能の高い代物である。
 男がマウスを動かすと、動いていたスクリーンセーバーが解かれて画面が表示された。そのままパチパチと操作を繰り返し、目当てのページを表示させる。
 その内容を確認して、へぇへぇと男は頷く。
 そして男は掃除を着々と進めている少女へと向けて、コップに口を付けたまま喋りかけた。

 「可憐ちゃん。依頼が来てるよ、珍しいことにさ」

 「本当ですか? 珍しいですね」

 「や、自分で言っといてなんだけど、無条件で同意されるのは悲しい」

 少女は持っていた袋をいったん置くと、男の元へと近付き横からパソコンの画面を覗きこむ。
 ふわりと、男の鼻に少女から良い匂いが漂ってくる。香水を付けてきているなと、前と異なったその変化に気が付く。
 殺したい人間でも出来たのかねぇ。男はそう思い、ありゃと思い出す。
 それって自分じゃん。あれ、殺されちゃう? 自分?

 「それで、どんな内容の依頼なんですか?」

 「んー、吸血鬼退治。まぁ死徒だね、死徒。真祖ではないよ? 残念だけど」

 「何が残念なんですか。真祖って、そんなもの相手だと殺されますよ、貴方。戯言はいいですから、細かい内容について早く教えてください」

 「はいよ。依頼主は不明、まあどうせ歴史の浅い三流魔術師かなんかでしょ。大穴で教会関係。で、場所は外国。ヨーロッパの方にある、よく分からん小さな国の小さな町。どうも死徒が町に裏で蔓延ってる状態、要するに死都になってるらしい。それを全部退治して解決してくれってさ。あー、こりゃやっぱ教会関係はないかな。絶対これ証拠隠滅か何かだ。たぶん教会に見つかる前に始末付けて、そんでとんずらでもする気なんだろ」

 「そうなんですか? 渡来の化生や諸国の事情に関してはそれほど詳しくないので、私には分からないのですが」

 「まあ、ぶっちゃけ勘? 外れても知らね。そんなことよりも報酬だよ報酬。これ見てみ?」

 男が画面を操作し、指で直接ある一点を指し示す。
 少女がそれを見てみると、その綺麗な顔の上で眉を顰めた。

 「少なくないですか? これだけ遠出して、しかも死都となっているのでしょう。とてもじゃないですが、割に合わないと思いますけど?」

 「やっぱり? 自分もそう思う訳よ、この報酬額には。さて、ではそこで可憐ちゃんにはこっちの方も見てもらいますか」

 机の引き出しを引っ張り、男は棚の中からごそごそとある物を取り出した。
 それは何の細工もない、ただの普通の預金通帳であった。
 ぱらりと男は通帳の中身を広げて、最新の残高が書かれたページを少女の目の前に突き付ける。
 少女は突き付けられた通帳を手に取ると、じっくりとその数値を眺めた。

 「…………なんですか、この金額は」

 「今現在における自分の全財産。転じて、この事務所の活動資金」

 「違います、そんなことを聞いているんじゃありません。なんで、残っている額が、こんなに、少ないんですか!」

 少々興奮したのか、少女は言葉を区切りながら荒々しく喋り、男の顔に通帳をペチンと叩きつけた。
 顔に叩き付けられた通帳を、きちんと引き出しの中に仕舞い直しながら男は言う。

 「いやさぁ、前の仕事の報酬使って便利屋に戸籍とか身分証とか、その他諸々をいい加減買い揃えたんだけどさ。それが予想以上な出費になってね。ありゃボッたくられたかな? いまさらだけど。という訳で状況が厳しいから、この依頼は受けとかないと不味い。何が不味いかというと、可憐ちゃんの給料とかが今月から払えなくなる」

 「給料については別にどうでもいいですけど、どちらにせよ選択肢はないみたいですね。それにしても戸籍すらないなんて、本当に貴方は今までどういう生き方をしてきたのですか? 裏に徹して生きてきたにしては、全然こちらの方に慣れた様子がありませんし。その癖、誰も知らないような知識を持っていたり………」

 「秘密、ヒントはエロゲー。もしくはキノコ」

 「戯言は止めてください。怒りますよ」

 「潔癖だねぇ。さすが可憐ちゃん、やっぱり可憐ちゃん。まぁ、エロゲーには手を出さない方がいいよ。君はまだ未成年だし」

 「怒りますね」

 「あ、ごめんなさい。ふざけ過ぎましたすみまギャプッ!?」




 しばし後。
 男はキーボードを操作して、その依頼に対して返事を送信した。

 『ご依頼承りました。詳しい待ち合わせ場所と日時について、次の連絡先に送ってください。***************』

 そして数日も経たぬ内に、男の元へと詳細な日時と場所について記された一枚の手紙は届いた。
 かくして、男は新しく買ったばかりのパスポートを使い、少女を伴って飛行機に乗り込んだのであった。
 その飛行機の目指す地は、遠くヨーロッパ。その中にある小さな国の、その中にある小さな町の、その外れ。

 いざ、吸血鬼退治へ。








 「ハロー、センキュー、ナイストゥミートゥーユーイッツァクレイジー・ダイヤモンド?」

 「すみません。言葉が分からないのなら黙ってくれませんか? 恥ずかしいです。通訳なら私がしますから、お願いですから黙っていてください」

 「や、酷いね可憐ちゃん。そりゃ通訳を頼んだのは元々自分だから、その言葉は願ったり叶ったりだけど。ちょっと傷付いたよ自分」

 「知りません。そんなこと」

 ヨーロッパに到着し適当に異国の地を見てから、少女と男は目的地である小さな国の、そのまた小さな町へと向かい移動を始めた。
 空港の職員に話を聞き、目的地への行き方を確かめ、タクシーを確保して出発する。

 これら作業は、全て少女―――丹羽清江が行った。
 男は日本語以外一切話せず、とてもではないがその作業を任せられなかったからだ。
 清江だって英語をなんとか操れる程度で万全ではなかったが、それでも男に任せるよりは断然に良かった。

 日が空の上から柔らかな日差しを送る。
 時刻は昼。辿り着いた遠い異国の地は、温かみのある包容を清江に与えてくれていた。

 「センキュー、センキュー、グッバーイ、アディオース」

 清江の隣で男が怪しい言葉を使いながら、ここまで自分たちを運んでくれたタクシーの運転手へ別れを告げていた。
 数枚の500ユーロ紙幣をその運転手の胸ポケットに入れてやっており、両者ともに笑顔のままサムズアップし明るい雰囲気のまま離れていく。
 男はタクシーが視界から消えると、こきこきと身体を鳴らしながら辺りをぐるりと見渡す。
 その目はいつも通り、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。

 「んじゃ、行こうか。待ち合わせの場所は多分すぐ近くだ」

 「分かりました。って待ちなさい。待ち合わせ場所の詳細については地図が渡されていたでしょう。当てずっぽうで動こうとする前に確認してください」

 「いいじゃん? めんどいし。観光ついでに見て回りながら探せばいいさ」

 「怒りますよ?」

 「地図はこれだね。場所は、えーと? このまま直進して二つ三つの角を曲がった先にある喫茶店らしい」

 二人は動き始めた。
 異国情緒溢れる町並みが、目の前に広がっていく。
 地方の都市というだけあって、それほど近代的な発展がされているという訳ではなかった。しかしその分歴史を感じさせる、清江にとっては好ましい町であった。
 コンクリートではなく、石畳に覆われた道路の上を歩きながら、二人は角をくるりくるりと曲がって行く。
 そうして、男の言葉通り図らずとも観光を果たしながらも、清江の目の前に目的地の姿が見えてきた。
 それはオープンテラスの、小さな喫茶店であった。人も少なく、静かでのどかな雰囲気が漂うシックな店である。

 男は特に迷う素振りもなく扉を開いて中に入り、清江もそれに追従した。
 からんと扉の鈴が音を鳴らし、来客を店主へと知らせる。
 いらっしゃいと、店主のおじさんが言う。もちろんそれも英語である。清江の隣で男が手を振りながら言葉を返した。

 「ハッピーバースデごふッ」

 「黙ってください」

 素早い肘打ちが人知れず、男の脇腹を抉った。
 清江は怪訝な様子で二人の外国人を眺める店主に対し、可憐な愛想笑いを浮かべて誤魔化しつつ、男を引っ張り席へと着く。
 適当にメニューの中から紅茶を選んでオーダーしておき、注意が離れたのを見計らって清江は男に話しかける。

 「それで、依頼主とはどうやって会うのですか? そもそも、待ち合わせは何時から?」

 「あれスルー? 可憐ちゃんスルー? それって酷くない? 可憐ちゃんじゃなくなってるよそれ? ああ、まあいいや。なんだっけ? 会う方法? 大丈夫だよ、周り見てみ。日本人どころか黄色人種なんて、自分ら以外誰もいないじゃん。依頼主には男女のペアの日本人が行くって伝えてあるから、来たら向こうから声かけてくるって。時間は昼辺りって言われてるから、まあ待ってたら来るんじゃない?」

 「そうですか、ならいいです」

 疑問が解消されれば、清江が特に言いたいこともない。
 注文した紅茶が届き、店の雰囲気に合わせて紅茶を含みながら、ゆったりとくつろぐ。
 男も特に暴れる訳でも文句を言う訳でもなく、大人しくだらりと全身を弛緩させたまま、だらしのない姿で椅子の背に体重を傾けていた。
 相変わらずドブ川に浮かぶ魚の様な目をしながら、その店の雰囲気にそぐわぬ視線を開放されてるテラスから通りに注ぐ。

 そうして時間を過ごすこと、しばしの間。
 からんと、また店の扉の開く音がした。
 清江が視線を向けると、入口には恰幅の良い、しかしどこかただの人々とは異なる匂いを感じさせる、白色人種の男性がいた。
 一目見て、清江は気が付いた。男性は自身と同じ側の人間だと。世界の裏、神秘という科学とは相反するものに手を染める輩だと。
 男性は店内に視線を彷徨わせると、すぐに清江と男のいるテーブルに目を止める。
 ツカツカと、近くにまで歩み寄ってくる。
 男がそれに気が付き、男性に視線をやった。その目を変えぬまま、片手を上げて口を開く。

 「ハロー」

 「貴様らが『系譜殺し』か?」

 男性は男の挨拶を無視し、率直に尋ねてきた。
 男はそれに、へえと声を漏らす。男性の発した言葉は日本語であった。

 「意外だね、日本語が使えるんだ?」

 「サイトの説明からパスワードの入力まで、全てを日本語で対応しておいて良く言う。日本語が使えない者以外ではそもそも依頼が出来ない作りになっているだろう」

 「翻訳家雇えばいいじゃん。仕方ないでしょ? 自分、日本語しか使えないし。まぁ何にせよ、日本語が通じるなら面倒がなくていいわ。んじゃ、本題入っとく?」

 「っち………いいだろう。こちらとしても時間を無駄に費やしている暇などない」

 男性は椅子を引いて、同じテーブルへと座り男と向き直った。
 真っ向から向かい合って、堂々と裏に関する話をしようとする二人を前に、清江は眉を顰めて間に入る。

 「ちょっと待ってください。こんな開けた場所で何の対策もなくそちら側の話などして、問題があるのではないのですか?」

 「大丈夫でしょ。今時の世の中、表通りで大声で魔術だとか吸血鬼だとか話していようが、真面目に信じる輩なんていやしないって。そもそも自分らが今話してるの日本語だし、ここヨーロッパよ? 問題ないない」

 ひらひらと手を振って清江の疑問を、あっけらかんと男は払拭する。
 男性側も同じ見識らしく、清江が納得したのを見てつまらなそうに鼻息を鳴らしながら口を開き始めた。

 「単刀直入に言わせてもらうぞ。死徒の正体は我が師である魔術師だ」

 「師? 師弟関係なんぞ結んでたの? 魔術師が?」

 いきなり明かされた衝撃の事実だが、しかし清江が思わず驚き固まったそれに動じもせず、男は普通に聞き返した。
 その反応に不満気に顔を歪めながら、男性は会話を続ける。

 「そうだ。だが師はある実験の結果、吸血衝動に駆られる薄汚い吸血種へと成り果ててしまったのだ。衝動に突き動かされる今の奴は、もはやただの獣だ。早急なる討伐の必要がある。すでにかなりの数の死者も出ている。このまま放置していれば、そう時間もかからず数日後にはこの町は滅びるぞ」

 「あっそう。それで、報酬は? 言っとくけど前払いでよろしく。後払いはなし」

 地獄が出来るという男性の発言に、男は特に関心もなく報酬について要求する。
 ことごとく予想とは違う対応をされたのか、その眉を顰めながら、男性は告げる。

 「半分だけだ。残りは依頼が達成された時に払う」

 「ボツ、論外、話になりません。認められるのは全額前払いだけ。そうじゃないならこの話はなしだ、自分たちは帰らせてもらうよ?」

 男は男性の発言にあっさりと駄目押しすると、無造作に言ってのける。
 その言葉には何の重みもなく、ゆえにこそ次の瞬間、本当に呆気なく席を立って帰りそうな様子でもあった。
 っちと派手な舌打ちをし、男性は苛立ちを隠そうともせずに話しかける。

 「調子に乗るなジャップが。先に全額報酬を払うだと? 危険を伴う依頼で、どこにそんな契約を結ぶ奴がいると思っている。交渉の基本も知らないのか? 半分だ、それで我慢しろ。この薄汚い小島の猿がッ」

 「好き勝手いてくれるなぁ。ぶっちゃけ調子乗ってるのはそっちでしょ、依頼主さん。まぁ、そっちの言ってる台詞はもっともだけど。そりゃ普通ならそんな契約結ばないわな、持ち逃げされるのがオチだし」

 凄んで見せる男性の姿はその体格の良さと合わさって、それなりの威圧感を出していた。
 清江は密かに身体を緊張させ何時でも動かせるようにするも、やはり男は変わらない様子のまま会話を続ける。
 その胆力はどこから来るのか。清江は思わずそう思うも、すぐに無意味だと考え直した。
 そう。この人に対して常識の測りなんてものは、意味をなさない。
 狂っている人間を、まともな杓子で測れる筈がないのだ。

 「ふん、分かっているのなら話は早い。ならさっさと仕事に取り掛かってもらおうかジャップ」

 「だが断る、って言わせてもらうよ。こっちも一応商売だし。仕事終えた時に依頼主がいないって分かってて、そんな無駄働きする訳にはいかないのよ」

 「ッ!?」

 「そっち、自分たちに仕事を依頼した後は、さっさと準備してこの町からか国からか、とにかくどっか遠くへ逃げる気でしょ? じゃなきゃわざわざドマイナーなうちに依頼なんぞ寄こさないだろうし。真剣に始末を付けたいって言うなら、教会の方に連絡入れてやればすぐ済む話だしな。教会を避けるにしたって、もっと別の有名どころはあるだろうし。なんかその師匠の残した遺産だか資料だか、まあ何でもいいけどそういった他人に知られたら不味い類のものを持ち出すための時間を、自分たちが死者を退治して回って稼いでほしいんじゃないの? つまりぶっちゃけた話、そっちにとってこの町がどうなろうと知ったこっちゃない。それが本音。だ・か・ら、自分たちが依頼に成功しようが失敗しようがどうでもいい。だって結果が出ている頃には、自分はもうこの町にはいないから。当然、報酬も払われない。だって払う本人がいないし」

 立て板に水、というべきか。一気呵成に男は男性に向かい、言葉を放った。
 清江はその内容を横で聞きながら、男性の表情が硬直していくのを見た。
 図星を突かれた。そう分かり易くも、男性は語っていた。
 清江は男性から目を離し、次は男の方へと目を向ける。
 男は変わらず、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。そんな目を男性へと向けたまま、だらしのない姿を晒し続けていた。
 いつもと変わらないというその姿に、清江は怖気が背筋を走るのを感じ取る。

 「納得した? んじゃ、全額前払いよろしく。それとも断る?」

 男は固まったままとなった男性へと、やはり何時もと変わらぬ声色、調子のまま尋ねた。




 男性は、喫茶店から去った。
 テーブルの上には、小さな小包が置かれていた。その中身は宝石である。事前に確認していた通りの報酬の全額分、確かに中には収められていた。
 男性は男の要求通り、全額を前払いすることに同意して報酬を置くや否や、すぐに店を出て行ってしまっていた。
 男は小包を掴むと、ぽいと無造作にカバンの中へと放り込んでチャックを閉じ、そのままカップを掴んで紅茶を飲み始める。
 清江はそれを傍で観察しながら、胸にある疑問をそのまま男へと吐き出した。

 「あの、すみません。貴方に尋ねたいのですが」

 「んー? なに可憐ちゃん。便利屋への分け前の件? 仕方ないじゃん。そりゃ報酬の三割取られるのは自分でも暴利だと思うけどさ、こっちには換金ルートとか、そんな非合法な手に関するコネもやり方も全然ないし知らないんだから。仕方ないって、仕方ない」

 「いえ、その件ではありません。私が尋ねたいのはさっきの件についてです。なぜ、あの依頼主のことをあそこまで見抜けたのですか? 情けない話ですが、私には彼が考えていたあの謀りについて、全く分かりませんでした。後学のためにも聞いておきたいのですが………」

 「いや、あれただの勘。当てずっぽう。場のノリ」

 「…………………………………は?」

 ぽかりと清江の口が開き、呆然とした顔が男へと向けられる。
 男はそれを綺麗綺麗と見ながら、片手を振って言葉を続ける。

 「だって、基本魔術師ってのは外道だし? まともに報酬払うかどうか不安だったから、最初から半額と後払いじゃなくて纏めて一気に全額前払いの方がいいなぁって思ってた訳。だから適当にそれっぽいこと言って煽って見たら、まあ予想外に的中してたみたいだったと。いや正直な話さ、半額前払いって言い張られたらこっちに断るなんて手段はなかったんだよ? だって貯金がないし。なけなしの残りも今回の旅費で飛んでるから、例え半額だろうが逃げられようが、少しでも報酬は手に入れる必要があったと、まぁそんなオチ」

 「そうですか………」

 「いいじゃん、上手いこと運んだんだからさ? 結果オーライ、万事順調」

 「もういいです。静かにしてください」

 頭が痛そうに押さえながら、清江は自分のカップを手に取り口を付けた。
 紅茶は、もう冷めていた。








 ―――やがて、夜が来る。
 死者が蔓延り、魔が踊る夜が来る。

 生者が眠り死者が蠢く、そのヨーロッパの小さな国の小さな町にて、『系譜殺し』は活動を開始し始めた。








 ―――あとがき。

 これは文章量を少なくして如何に話を面白く、スピーディに展開できるかを試し上達することを目的としているSSです。
 自身の悪癖を直し文章力を上達させるため、頑張らせてもらいます。
 前編後編の二話構成の短編です。

 感想と批評待ってマース。




[11965] 後編
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2009/09/20 18:55

 深夜。とっくに日は落ち、天には妖しく光る月が存在を示す時。
 元々人気の少なかった小さな町の通りは、大通りであるにもかかわらず人っ子一人見当たらなかった。
 その中を、二人の人間が歩いている。
 片方は男。その目はドブ川に浮かぶ魚の目をしており、だらけた雰囲気を常に纏っている。
 もう片方は少女。可憐としか言いようのない“美”の概念に包まれた美しき少女が、男のすぐ隣に連れ添って歩いている。

 「人の姿が見えませんね。やはりみんな、吸血鬼の存在を感じているのでしょうか」

 「そりゃそーじゃない? ネズミだって沈む船から逃げるし。いくら人間様が野生動物より本能劣ってるからって、さすがに何の異常にも気が付かない訳じゃないでしょ。というか、本能とか感じるとか関係なくさ、ぶっちゃけもう何人も具体的に死者が出てるんならそりゃ怯えるわな。吸血鬼じゃなくても大量殺人犯がいるってことなんだから、それ」

 「それは………確かに、そうですね」

 「まあ、ちゃちゃとやっちゃいますか。死者が出てるなら好都合、仕事も楽に終わる」

 その男の言動に、少女―――清江の表情が固まる。
 清江はその発言に、言動に、確かな怒りを抱いていた。
 可憐なその表情に怒りの色を映して、清江が音へ言う。

 「貴方は、その発言は不謹慎です。それは死んだ人たちの縁者に対する侮辱でしかありません。怒りますよ?」

 「怖いなぁ、可憐ちゃん。でも、それこそが可憐ちゃんだ。好きだよそういうところ? 特に生きている人たちへの侮辱だ、ってところが。死人に対しては侮辱だと言っていない、そのあたりのクールでドライな可憐ちゃんの考え方には惚れ惚れする。いや違った、ゾクゾクかな?」

 「戯言は止めなさい。本当に怒りますよ」

 「あー、それ無理っぽい」

 男は臨界近付く清江に、そうぽつりと漏らした。
 怜悧に鋭い清江の視線を浴びながら、男は無造作に指を伸ばし指し示した。
 男の指の指し示すところへ、清江が目を移す。
 そこには、人の姿があった。
 酒気でも帯びているのか、ふらりふらりと定まらぬ足の動きでその人間が路地裏から出て来ていた。

 「吸血鬼の巣食った町なんていう舞台設定で、しかも美少女といっしょに人気のない夜の町を歩く。そりゃここまで舞台設定ととのってると、あとはもうエンカウントするしかないな。不可避な選択で。というわけで可憐ちゃんあとヨロシク。もし敗れたりしたらお約束に従ってエロスな展開だから、気を付けてね。可憐ちゃんは清く正しく生きましょうと」

 「どこのお約束ですかそれは、もう黙っていてください」

 「や、そりゃ世界のお約束じゃない? 実はそう間違ってないと思うんだけど」

 ふらりふらりと歩み出てくる人間の数は、一人ではなかった。
 大人がいた。子供がいた。老人もいた。
 年格好も性別も問わない、様々な種類の人間たちがわらわらと、群れとなって目の前の路地裏から出て来ていた。
 否、それだけではない。
 何時の間にやら背後からも、横の小さな裏道からも、四方八方から足取りの怪しい人間たちが現れ、二人を囲い込んでいた。

 その数は、軽く二桁を越えるか。
 人気のいなかった大通りは、先とは逆の様相を晒していた。
 清江は緊張し、姿勢を僅かに沈ませて構えを取る。よもや、当日の夜の内にここまで切迫した場面に遭遇するとは思っていなかったのだ。
 まさか、男の言った通りじゃあるまいし。事態がそこまでひっ迫しているという状況に、清江の心中に警戒が起こる。
 やはり何時もと変わらぬ様子のままで、ドブ川に浮かぶ魚の目をしながら、男はあっけらかんと言う。

 「ああ、そっか。“かなりの死者が出てる”ってのは、ダブルミーニングだったわけね。納得納得、こりゃ滅ぶわ。というかあの依頼主さん、本気でこの町のことはどうでもよさげだね。普通こんな手遅れ感バリバリな状況なら、教会に一報するしか出来る手なんてないでしょ。つーか、これってあれじゃね? どうせまたあの魔術師の陰謀か何かで師匠が死徒化して暴走したってオチじゃない? そうそう、切嗣だ切嗣。あんな感じだな多分。状況全然違うけど。勘だけど」

 「何を納得しているのかは知りませんが、いい加減少しは構えてくれませんか? これだけの数が相手となりますと、私の力量では貴方までフォローし切れません」

 「何を今さら言っちゃってるのさ可憐ちゃん。自分トーシロよ? 構えたところでどーしようもないって」

 「緊張感を持ってくださいと、そう言っているんです」

 「いいじゃん。どうせすぐ終わるし。それとも可憐ちゃん、何? ちょっと一人で頑張って見ますって心境?」

 「その物言いには不満ですが………はい、その通りです。貴方は少しの間手出ししないでください。私一人でどこまで渡来の化生に対して力が通じるのか、試させてもらいます」

 「うわお、さすが可憐ちゃん。この状況でまさかのその発言とは。さすがは実践派の退魔士。実戦は何よりの練習をも勝る理論? けど可憐ちゃん。一応言っとくけど、それって眉唾だよ? バトルジャンキーの言い訳。実際問題、十回実戦を経験した人と百回訓練した人とじゃ、絶対後者の人の方が強いし」

 清江は、包囲されている状況にもかかわらずなおもぺらぺらと声色も調子も変えず喋る男を、無視した。
 一歩踏み出て、その可憐なる黄金比を持つ手を振るう。
 しゅるりとその手の中に、袖から棒が滑り落ちた。
 続けて演舞の様な動作を清江が取ると、その棒は手の中でするりと伸びて長くなっていく。
 そうして、清江がぴたりと動きを止めた時。その棒の先端には何時の間にやら、煌めく白刃が存在していた。
 薙刀である。清江の手にまるで手品のように現れたその薙刀を見て、男はパチパチと拍手を送った。

 「何時見ても驚きの業だねえ、それ? 何気に空間ネジ曲げるとか、そんな上等な技術が使われてるでしょ? お陰で空港の持ち物検査にも引っ掛からないで済むから、楽でいいわ。実践派はそのあたりがいいね。普通の魔術師とは違って、色々と使える小技を持ってるから」

 「戯言はいいです。いきます」

 「はいよ、まぁがんばれ。噛まれないでね? その時は一緒に殺すから」

 「言われなくてもッ」

 清江が一歩、踏み込んだ。群がる死者たちの中へと突っ込んでいく。
 そして白刃が振るわれた。
 死徒の傀儡たる死者たちの群れが、その鋭い一切りに吹き飛ばされる。
 清江は薙刀を両手で、あるいは片手で、器用にくるりくるりと持ち替えながら白刃を振るっていく。

 上段から振り下ろされたその刃が、死者の一人を肩から脇腹までを両断した。
 濡れ羽色の美しき長髪が、夜の闇に美しい幻を残しながら揺れ動く。それはまるで新体操のリボンの様であった。
 くるりと薙刀を回転させて、清江が辺りを囲んだ死者たちを薙ぎ払う。そして持ち直すやいなや、持ち手の方の先端を背後へと、見もせずに突き出し死者を射抜く。
 心臓という霊格を打ち抜かれた死者が、理外の理から解き放たれ砂となって散る。それに頓着する暇もなく清江は薙刀を握り直すと、可憐に地を蹴り次なる死者へと刃を降らした。

 それはまさしく舞であった。
 奏上の舞。儀式であり、天地の神々に祈りと感謝を捧げる古き伝統。
 それが武と一体となった姿を取って、死者たちを容赦なく屠り続けながらも、可憐な様子を作りながら舞となって魅了させていた。
 死者を屠るその清江の姿は、さながら巫女か。超然とした雰囲気が、凄惨である筈の戦いの場を美しく加工していたのだった。

 屠る屠る、次々と死者を灰へと清江は還していく。
 薙刀を振るえば、その白刃は豆腐を切るよりも容易く死者を裂く。
 薙刀を払えば、その柄は鉄鋼で打ち付けたかのように容易く死者を潰す。
 清江は可憐で、そして美しく、かくして強かった。白絹のような肌が夜の闇に映え、対照的な濡れ羽色の長髪がより一層、清江の美しさを引き立たせていた。
 魔が踊る闇すらも、清江の美しさに対して祝福しているようであった。

 しかし、数は力である。
 群がる雑兵の圧力は、一騎当千の猛者すら時に攻め落とす。
 死者は次々と清江に切って捨てられながら、その数を減らす様子も見せず群がり続けていた。
 っふ、と清江の口から息が漏れる。その滑らかな肌に、一筋の汗がたらりと流れた。
 軽やかなその動きに一切の淀みは見えども、その身体には確かに疲労が溜まり始めていた。

 「おーい、可憐ちゃん。こっちこっち、そろそろこっちの方のフォローしてくんないと。死者がこっちにも来てるって。可憐ちゃんが死ぬ前に、こっちが死ぬよ?」

 「貴方はッ。少しは自分を鍛えようとは思わないのですか、情けないッ」

 「やだよ、めんどい。人間鍛えてすぐに強くなれるもんじゃないんだよ? ゲームじゃないんだから」

 「当たり前ですッ。日々の鍛錬を、貴方は何と思っているのですッ」

 「とりあえず、自分には一生縁がないことだってのは確定事項。それ以外は知らね」

 清江が見てみれば、迫る死者の一人を前に、特に慌てるまでもなく何時も通りのだらけた雰囲気のまま、男は走ることすらなく歩いて距離を取っていた。
 その言動。そして、命に執着がないと言わんばかりな、ふざけた行動。いったい何を考えているのか。清江はそれを考える意味などないと知りながらも、ついついそう思ってしまう。
 ともあれ、男が命の危機にあることは間違いなかった。
 清江は薙刀を一閃させて道を作り、するり死者の間を抜けて男の元へと駆け付ける。
 そして今まさに掴まれようとしていた男の、その肩へと伸ばされていた死者の腕を切断し、死者たちの前へと立った。
 荒く息するその姿にすら美を纏わせながら、清江は薙刀を構え続ける。そこに疲れによる崩れはない。

 「さすが可憐ちゃん、やっぱり可憐ちゃん。フォローし切れないって言っておきながら、いざという時は頑張って助けてくれる。その几帳面さは多分美徳だと思うよ?」

 「力を借りず戦いたいと望んだのは、私です。私のわがままに付き合わせているのですから、貴方の身の安全を確保することは当然のことでしょう。私は、そこまで恥知らずな女ではありません」

 「ああ、それもそうか。確かにそうだわな」

 褒めた思ったら、次には一転した態度を見せる。捉えどころのないその物言い。
 清江にとって、不可解極まる人間だった。何を考えているのかが分からないことは元より、どこに意識の重みを置いているのか。
 男はドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、ついさっき清江に腕を切り飛ばされた死者を見た。

 「んじゃ、もう一人無双も十分かね。早いとこそいつの手足切って縫い付けてくんない? 殺すから」

 「いえ、まだ私は戦えます。もう少し一人でやらせてもらえませんか?」

 「却下。自分で言ってたでしょ? 自分の安全を確保することは当然だ、って。さっきこいつに襲われかけたから、もう可憐ちゃんのわがままはお終いだよ。自分で言ったことは守りなよ」

 「ッ………分かり、ました。確かに、その通りです」

 「どんまいどんまい。まぁ仕方ないって。それにこいつ自分を殺そうとしたし、ちゃんと殺し返しておかないといけないじゃん? 実戦修行はまた次回のチャンスを待つということで」

 男はそう言って、ひらひらと手を振る。清江は下唇を噛みながら、その薙刀を握り直し行動へ移った。
 可憐に動くやいなや、宙に二つ三つと綺麗な軌跡が描かれる。すると目の前にいた片腕を断たれていた死者の、残されていた四肢が全てばっさりと切り離された。
 達磨の状態にされた死者が、ごろりと動くことも出来ず通りの上に転がる。
 清江は薙刀を片手に持つと、空いた片手を宙に振る。
 その袖からまた、数本の小さく細いチョーク程度の大きさの黒い寸鉄が現れ、清江の指の間に握られた。

 「払ッ!」

 清江が気合いの声を上げながら、寸鉄を投げ放る。
 それは果たして、如何なる業か。
 寸鉄は宙をまるで操られているかのように自由自在に動くと、達磨となりながらも動き続けていた死者の身体へと食い込み、その身体を通りの上へと文字通り縫い付けた。
 昆虫採集の釘付けられた虫のように、死者という存在が大通りの上に固定される。

 「出来ました」

 「オッケー。んじゃ、周りの奴らが寄ってこないよう牽制よろしく。さて、ちゃっちゃっと殺しときますか」

 男は縫い止められた死者へと向けて、相変わらずのだらけた雰囲気のまま近付いていく。
 清江はそれを見ながら、男の言った通りに近付いてくる有象無象の死者たちの足止めに専念する。
 数が多いために、清江にそれらを止めることは、とてもではないが出来るものではない。しかし時間を稼ぐだけならば、特に難しくもない。
 清江はその程度に弱く、その程度に強かった。

 清江が死者相手に薙刀を振るっている間、男はカバンの中からきらりと刀身の光る、小さなナイフを取り出した。
 それはただの果物ナイフであった。極々ありふれた、そのあたりで市販されていたものである。昼の内に買っていたのだ。
 男はナイフを片手で持ちながら子供が扱う様にプラプラ振り、その手つきは何とも危なっかしいもの。
 そのすぐ足元には、達磨状態のまま地に縫い付けられて、身動きのできない死者がプルプル震えている。

 「それじゃ、グッバーイ? とりあえず死ね」

 そして男はくるりとナイフを逆手に持ち直すと、無造作に死者の胸の中央にそれを振り下ろした。
 ざくりと果物ナイフが突き刺さる。
 死者は悲鳴を上げることもせず、ただ縫い付けられたままブルブルと震え続ける。

 「あれ? 外した? めんどいなぁ。人体の構造なんてどいつも一緒なんだから、胸刺せば適当にヒットしろよ」

 男は首をかしげて変わらぬ調子のまま愚痴ると、そのまま腕を持ち上げてナイフを抜き、即座にまた振り下ろす。
 ざくりとナイフが刺さる。男はまた抜き、刺す。
 抜き、刺す。
 抜き、刺す。
 抜き、刺す。
 何度も何度もナイフを抜いては、微妙に位置を変えて死者の胸を滅多刺しにする。

 そしてまたさくりと、もう何度目かも知れぬナイフが死者の胸を貫いた。
 するとその時、死者の動きが止まった。
 今まで何度滅多刺しにされ様が変わらず胎動していた死者の動きが、まるでコンセントの取れた掃除機みたいに急停止したのだ。

 果物ナイフは、死者の胸を貫き、そしてその心臓を射抜いていた。
 かくして、次の瞬間。
 死者は即座に塵となって霧散した。

 それはナイフで刺されていた死者だけ、ではない。

 “その大通りに集結していた全ての死者が”、塵となって消え果てていた。

 清江が相手にしていた死者の一群も、手足が断たれて蠢いていた奴から、今まさに襲いかかろうとしていた輩まで、一切合財の例外なく。
 死者という存在はその全てが、塵となって消え果てていた。
 大通りには成れの果てである塵と死者たちが纏っていた服だけが大量に舞い、その塵はやがて夜が明けぬ内に風に吹かれて消えるだろう。
 残されるのは、大量の行方不明者たちの衣服だけ。また一つ謎が残され、この町は恐怖に震えるのか。清江はふとそう思う。

 清江は一応念のために視線をくるりと彷徨わせて確認した後に、また演舞のような動きを披露する。
 ビデオの巻き戻しのように、くるりくるりと薙刀が元の手の中に収まる程度の棒へと戻ってゆき、袖の中へと戻された。

 「終わった終わった。これにて終了、ごっそさんと。可憐ちゃんもお疲れ様ー。良かったね、負けなくて。エロスな展開は今回はなし、それもまた次回ということで」

 「そんなものは一生ありません。なんですか、エロスな展開って。負けたらそんな辱めを受けるなんて、私は金輪際聞いたことがありません。戯言は止めてください」

 「クールだね可憐ちゃん。そんなことを言いつつも微妙に頬が赤らんでる辺りがキュートだよ? それに負けたらエロスって、以外とエロゲーだけじゃないよ? リアルの凄絶さは時にフィクションすら凌駕するからねぇ。歴史紐解いてみると出るわ出るわ。可憐ちゃん綺麗だから、そのあたり気を付けなよ?」

 「知りません。黙りなさい。怒りますよ」

 「ごめんなさい。………じゃ、帰ろうか? 別に依頼主と会う必要もないでしょ。もう報酬も全額貰ってるし、依頼もちゃんと終えたし」

 そう言って、男はくるりと踵を返して歩き始めた。その行き先はチェックインしているホテルなのだろう。
 清江は男の背後へと追いすがりながら、待ったとばかりに話しかける。
 目の前の男のズボラさは今に始まったことではない。それを正すのは清江がこなさなければならない役割だった。

 「待ってください。本当に依頼は全部終えたのですか? 貴方の能力については私だって知っていますが、しかしきちんと確認は取る必要があるでしょう。それに依頼だって、そんな勝手な行動は許される筈がないに決まっています。終わったのなら終わったで、一応報告する姿勢を見せなくては。仕事なのでしょう? けじめを付けるべきところは、ちゃんと付けるべきです」

 「真面目だねぇ、可憐ちゃん。でもやだよ、めんどい。それに確認を取るって、どうやってよ? 悪魔の証明って知ってる? 吸血鬼なんて、いるって確認するのは楽でも、逆にいないって確認するのは不可能だって、不可能。住民全員を日光に当てる訳にもいかないしさ。大丈夫大丈夫、全部死んでるって。能力ってそんなもんっしょ。条件満たせば効果発動、ってね。例外なんてないない。つか、例外がいたらぶっちゃけ勝てないよ自分?」

 「それは………」

 臆面もなく、やはり何時もと変わらぬだらけた雰囲気のまま自分を指でさしながら、男が視線を清江に向けた。
 その目は変わらず、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。
 清江は僅かな反感を抱きながらも、反論することもなく口を噤む。
 男の物言いは軽く反発を持たせるものであったが、内容は尤もな代物であった。
 男が出来ないというのならば、自分にだって出来る筈がない。所詮自身は渡来の化生については何も知らぬ上、判別の呪なども修めていない、まだまだ半人前の身でしかないのだ。

 「ああ、それと可憐ちゃん。ちゃんと依頼主に会って報告しろって言うけどさ、それって無駄だと思うよ。きっと本人もういないし」

 「逃げた、ということですか? それならまだ大丈夫では? 普通こういったケースを、どれほどの時間で片付けることが出来るか私は知りませんが、それでもこれほど速やかに依頼を達成できるとは向こうも思っていなかったでしょう。まだ逃げる準備を終えず、この町にいるのでは?」

 「ちゃうちゃう、そうじゃないそうじゃない。この町にいないって、そういう意味じゃないって。ま、これも勘だけどさ?」

 男は疑問を露わにする清江を置いたまま、ナイフをぴらぴらと目の前に翳す。
 何度も死者の胸を突き刺したその果物ナイフの刃先は、完全に潰れてしまっていた。
 ぽいっと、それを無造作に投げ捨てる。からんとナイフが通りの上を転がっていった。
 そしてあっけらかんと、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま男は言った。

 「多分死んでるよ、依頼主。能力に巻き込まれてさ。だから捜しても意味ないって。つーか関わりなると厄介なことなりそうだし、明日は朝一で町を出ようか」








 ヨーロッパにある小さな国の小さな町の、その町並みの中にひっそりとたたずむ様に、その家はあった。
 周囲の家に比べて立派な装丁をしているにもかかわらず、その家の存在感は奇妙なほどなく、まるでその様は日常の中に埋もれ隠れているかのようであった。
 それも当然であった。その家はただの家ではない。
 科学と相反し神秘に身を委ねる者たちの住処、魔術師の家であったのだから。

 「くそ、あのジャップが! 薄汚いイエローモンキー風情が、この俺を舐めやがって!!」

 口汚く罵りながら、その屋敷の地下にて白色人種の男性が一人、慌ただしく動き回っていた。
 それは昼間に男と清江へと依頼を持ってきた、その依頼主。魔術師と名乗った男性だった。
 彼はまるで理科の実験に使うようなビーカーや試験管、そして物語の魔女が使っているような釜などを並べて、ある特殊な薬品を調合しようとしていた。
 その調合が進められている隣の机の上には、ぼとりとある者が転がされている。

 それは人間の腕であった。
 根元から切断されたであろう人間の腕が、机の上にぼたりと転がされていた。
 その人間の腕には、奇妙なイレズミのようなものが刻まれている。
 イレズミはまるで生きているかのように発光し、切り離された人間の腕の上で胎動していた。

 そのイレズミの名は、魔術刻印という。
 彼がその師から強奪を企み、そしてその腕を切断して手に入れた、魔術師としての遺産、後継者の証でもある歴史の結晶であった。

 彼とその師である魔術師との関係は、端的に言って祖父と孫の関係であった。
 本来ならば後継者となる筈であった彼の父が魔術回路の閉じた欠陥品であったために、その孫である彼が後継者として選出され直々に教えを受けていたのである。
 しかし、本来ならば何一つ問題なく行われる筈だった魔術刻印の継承、それはなされなかった。
 師である祖父が、彼の出来の悪さを見て見限ったからだ。
 祖父は彼を後継者に据えることは不適格だと断じ、新たに生まれてきた彼の妹を密かに後継者へと見定め、鞍替えしていたのだ。
 そのことに彼が気が付いたのは、もう魔術刻印の継承がされるべきだとされる時期。第二次性徴などとうの昔に経過した今年のことであった。
 とっくの昔にまともな魔術教授など行われず放置された状態であった彼が、書斎で魔術刻印に関する記述に触れた時、ようやくそれに気付いたのである。

 彼は怒った。
 魔術師であるというところに依る増大した自我が、大して中身のないプライドを纏い尊大な人格を形成していたのだ。
 その魔術師という自負が、地位が、自身のはるか後に生まれた幼い妹にその全てを、奪われるというのだ。
 認めることなんて、断じて出来なかった。
 そして計画を立てたのだ。祖父を陥れ、己が力を誇示して見せるであろう計画を。

 時と場所を窺い、最善な時期を見計らう。彼は慎重に動いた。
 そして時期は来たり、彼は計画を実行に移した。
 魔術儀式に挑もうとしていた祖父の背後から切り付け、その魔術刻印が刻まれた片腕を奪い取ったのである。
 すでにこれを実行する段階の前に、忌まわしき妹は親共々始末していた。もはやこれで彼の行く手を阻む要素はなかった筈であった。

 しかし、予想外の事態が発生した。
 魔術儀式に挑んでいた祖父の身体が、果たしてどういったことなのか。元々そういった意図の儀式であったのかは知らないが、死なず死徒へと変じてしまったのである。
 想定外の事態が重なった結果なのか、その有様はとてもではないが理性のある姿ではなく、きちんと過程を踏み死徒へと至った者とは言えぬ有様ではあった。
 祖父はそんな、半ば獣といった姿を晒しながら逃亡し、町の闇へと逃げ遂せてしまったのだ。
 そして町には死者が蔓延る様になり、さして間を置くこともなく死都としか呼べぬ状態へと変わっていってしまったのである。

 これに彼は動揺し、焦燥を抱いてしまった。
 死都となってしまった町は、教会の手によって一切合財殲滅される。それこそが確実な吸血鬼の対処法だからだ。
 しかし魔術刻印を自らに移植するには、相応しい環境と準備が必要であった。移植すべき時期をすでに大きく逸脱しているということもある。それはなおさらなことであった。
 彼にはどうしても時間が必要であった。最低でも魔術刻印を自らに移植する、そのための時間が。
 教会には頼れない。知らせれば即座に人員が動き、自分ら諸共殲滅される。協会もダメだ。知らせれば魔術刻印をなんだかんだと注文を付けられ、奪われてしまう。それでは意味がない。
 望ましいのは教会にも協会にも、どちらとも関わりのないフリーランス。それも無名な存在。実力は問わず、ただ町の死者の数を減らして教会に気取られるまでの時間を稼いでもらえば良かった。その間に自分は魔術刻印を移植し、この町から逃亡するのだ。
 そして彼は、藁にも縋る思いで探していたそんな条件に該当する存在を、発見した。

 それはインターネット上の、とある一サイトであった。
 そもそも一流の歴史を誇る魔術師ならばプライドゆえに使わぬその現代機器を扱いながら、彼は条件に該当する者を探し出そうとしていたのだ。その時点で祖父が彼を後継者として見限るのも、当然の選択ではあった。
 そのサイトは名称から説明まで、全てを全て日本語で行っていた。彼がたまたま過去の経緯で日本語を習得していなければ、決して注目しなかったサイトだろうだった。
 彼はその説明に胡散臭さを感じながらリンクをクリックした。それだけ彼も切羽詰まっていたのだ。
 そして表示されたパスワード入力画面。その出題された内容に、彼は心底驚いた。

 『魔眼の位階にて虹を持つ者、それの名を答えよ。ただし解答は日本語三文字で入力すること』

 『真祖の王族が冠する名を答えよ。ただし解答はカタカナで入力すること』

 『埋葬機関の局長を代々排出する家の名を答えよ。ただし解答はカタカナで入力すること』

 『魔術教会における厄ネタの第二位はなにか答えよ。ただし解答は漢字で入力すること』

 ランダムに表示されるその内容の数々は、明らかにこちら側に踏み込む内容のモノばかりだった。
 しかもそのほとんどが魔術師である彼にとっても答えることが出来ないような、そんな際立った問題ばかりであったのだ。
 これは本物か。その時彼は、闇の中に光明を見た心境であった。
 そして何度となくクリックを行い、出題され直すその難解極まる問題群を必死に解読しながら悪戦苦闘すること数時間。ようやく彼は依頼することに成功する。

 報酬には、祖父の工房から回収した宝石類を充てることとした。
 そして、今日この日。すでに多くの犠牲者も発生し教会側にばれてしまうのも時間の問題となっていた状況。彼は件の退治屋―――『系譜殺し』と出会った。
 接触した日本人どもは、彼の予想を越えて知恵が回った。それは予測して然るべき事柄であったのだが、彼には考えることすら出来なかった事態であった。
 そして結局報酬は全額前払いという契約を結ぶこととなり、さらに彼は思惑がばれてしまっているという事実がある分、なおさら作業を急がざるをえない状況となっていたのだった。

 「調合はこれでいいか? くそッ、忌々しいジャップどもめ。何もかも奴らのせいだ。仕事狂いの拝金主義者どもがッ」

 試験管に取り出した各種調合薬を並べて、覚悟を決めて服用を始めた。
 形容し難い色と匂い、そして味をした液体を飲み干す。止まる暇もなく次には注射器を取って別の希釈した薬を空気の混じらないように取り入れ、それを注射する。
 頭痛と発汗が彼の身を襲い、さらに内臓全てをブチまきたいと思うような吐き気をもが襲いかかる。
 元々適切な時期に適切な手法で行ったとしても、多くの痛苦を伴う魔術刻印の移植である。それを無理矢理行おうとするのだから、その代償は当然であった。加えて彼は半人前。
 無事で済む筈がない。彼の身体は強行した肉体改造の反動で、ボロボロになっていた。

 彼は最悪の体調のまま、魔術刻印の移植へと取りかかる。
 机の上に置かれた祖父の腕に触れ、自身の魔術回路を起動させて、詠唱を始める。
 極限の環境に置かれていたことが、この時皮肉にも彼に、かつてない集中力を引き出させ与えていた。
 魔術刻印が胎動する。彼の詠唱に反応し自律反応を起こし、発光する。蠢くようにそのイレズミの一画が動きはじめ、彼の腕に這い伝わっていく。
 やがて、数分の後。
 彼の腕には見事、思惑通りに祖父の魔術刻印の一画が移植されていた。
 同時に凄絶なまでの拒絶反応という地獄が彼の身に襲いかかるも、それ以上の充足感が彼の身を満たしていた。

 彼はふらつきながら、机を離れて用意していたベッドに倒れ込む。
 とりあえず、今夜の作業は終了であった。あとはまたしばしの時を置いて、徐々に残りの魔術刻印を全て移植する手筈であった。
 全てを完了させるのに、どれほどの日数がかかるか。彼はそう熱のある頭で思考する。
 あの退治屋がどれほどの実力があるのかは知らないが、それにしたってここまで事態の進行した状態。焼け石に水でしかないであろう。
 遅くとも数日中に作業を完了させ、それだけで欲張らず満足し逃げなければならない。彼はそう考えた。

 しかしその思考は、全くもって無意味なものではあった。
 なぜなら彼はそう考えた次の瞬間、彼はもう死んでいたからだ。

 「―――ひがッ、か!?」

 びくんと、ベッドの上で彼の身体が跳ねた。
 ばたりと全身の力が抜け落ち、一切微動だにさせることが出来ぬようになる。
 驚き慄いた表情で目を剥いたまま、彼はもはや動くことが叶わなかった。
 当然であった。何故ならこの時、もう彼の心臓は鼓動を停止していたのだ。

 (――――な、に――――――――――――――――――)

 僅かな疑問だけが意識の裏を走って、その意識すらも死に絶える。
 こうして悲願の魔術刻印の一部を手に入れた彼は、その数分と経たぬ内に命が絶えたのであった。
 彼は知る由もなかったであろう。
 丁度、彼がその心臓の鼓動を停止させた時と、全くの同時刻。

 その瞬間、この町に蔓延っていた全ての死者も、死徒となった彼の祖父も、その全てが一切の例外なく滅び去っていたという事実に。

 彼は決してそれに気付くことなく、静かにこの世から消え去ったのであった。








 日本。その国の一地方一都市一ビルの中の、ある一室。
 薄暗く退廃的な雰囲気を醸し出すその部屋の中で、机の上に開封されたスナック菓子を置いてその中身を時折口に運びながら、男はいた。
 男の手には一万円紙幣の束が握られており、相変わらずドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま男はそれをペラペラと無造作に扱っている。
 部屋に置かれたソファーには、清江が掃除を終えて一息をついていた。

 「いやぁ、可憐ちゃん。予想外の収入が手に入ったよ。あの依頼主さんの報酬で貰った宝石? あれの中に魔力が籠ってるやつがあったらしくてね、便利屋の人がとあるルートを通じて高く売れたってさ。なんだろね、案外遠坂の人あたりが買ってたりして? 確か魔力を溜めるってそれなりにレアな業だった筈なんだけど、以外とあの依頼主さんって歴史のある魔術師だったのかね。まぁ、どうでもいいけど。という訳でどうぞ、今月の給料ね」

 ばさりと、男は清江の目の前の机に持っていた札束を放る。
 清江はそれを呆れた視線で見ながら、しかしその手先はおっかなびっくりといった感じで札束をまとめていく。

 「い、何時も何時も、毎月同じことを繰り返して………。貴方は何故そう、お金を軽々しく扱うのですか。これだけの大金を何時も、現金のまま放って。それに私は別に、これ程の額の給金は必要としていないのですが…………」

 「自分が過去の経験から学んだ、数少ないこの世の真理の一つ。お金は現金で渡されるのが一番うれしい。それにその額は妥当なところでしょ? 危険手当やその他諸々含み、ただし判断は全て自分の主観。本当、この世界ってめんどいわね。神秘の隠匿なんつー面倒な決まりがあるから業界が狭いし、報酬もみみっちいし。もっとオープンにして大々的に活動可能にすりゃ、社会的信用だかなんだか盾に使ってもっと億レベルで稼げるのに。ゴーストスイーパーを見習えって話?」

 「何を馬鹿な事を言っているんですか。皆が知るようになっては、それはもう神秘ではないでしょうに。それに億レベルって、ゴーストスイーパーって何の話ですか?」

 「漫画。日本が世界に誇る娯楽ですよ? 可憐ちゃんも読めば。けどBLだけは駄目だ。そっちに手を出すようじゃ、可憐ちゃんが可憐ちゃんじゃなくなっちゃうから」

 「知りません、もう黙ってください」

 溜息をついて、清江は丁寧に集めた札束を布巾で包みバックの中へ片付けていく。その何気ない一動作、それすら清江は可憐であった。
 結局、あの後清江は男の言った通り、夜が明けた朝一番に町を出て、そのまま帰路へと付いていた。
 依頼主がどうなったかは、分からなかった。確かめる術などないからだ。
 男の言った通り死んだのか、それとも生き延びて潜伏しているのか。男は別にどちらでもいいようであった。

 「あの、貴方に尋ねたいのですが?」

 「ん? 何? 仕事ならないよ? 悲しいことに。やっぱりサイトを英語対応にもすべきかね? めんどいからやらないけど」

 「いえ、それは別にいいんです。そうではなく、何故貴方は依頼主がもう死んでいると、そう判断したんですか?」

 「そっちかー。言わなかったっけ? 勘だって。別に死なずに生きてるかもしれないよ。ぶっちゃけ依頼主が死のうが生きようが、自分どっちでもいいし」

 「後学のためです。貴方がそう判断に至った理由や知識について、教えてほしいんです。」

 「あっそう。んじゃ、真面目な可憐ちゃんのために答えるとしますか」

 ぱりぱりとスナック菓子を頬張り食べ散らかしながら、男がドブ川に浮かぶ魚の目を清江へと向ける。
 真面目に聞こうとする清江に、やはり変わらぬだらけた雰囲気のまま、男は言った。

 「そもそもさぁ、可憐ちゃんはこっちの能力について知ってるよね? いまさらだけど」

 「はい。相手の心臓を刺すことで発動する、連鎖呪殺………ですね」

 「まぁ、だいたいな感じそんなんだね。大仰な言い方だけど。要するに芋引きだよ、芋引き。一人殺せば皆死んでくれるって言う、ゴキブリ退治みたいな能力。んじゃ、ここで可憐ちゃんに問題。この能力の連鎖、要するにコンボ発生条件はなーんだ?」

 「条件ですか?」

 言われて、清江は考え込んだ。
 今まで幾度か見てきた男の能力であったが、しかしそう言われて改めて考えると、いったい何であろうか?
 清江は過去に垣間見てきたケースを回想し、相応しいであろう回答について考える。
 しばしの沈黙の後、清江は口を開いた。

 「“縁”………ですか? 刺したモノを取り巻く、それそのもの“縁”を目印に呪殺を繰り返す……?」

 「おー、そうきたか。“縁”ね、なるほど。案外言い得て妙って奴? なかなかに合ってる名称じゃないの、それ。自分でも良い言い方ってのが思い付かなかったんだけど、まさにそれがぴったりな名前じゃない? んじゃ正解だ可憐ちゃん。答えは“縁”、よくできました。正直な話、これって結構曖昧なのよね、条件の判定ってさ。神秘に連なる力の繋がりって奴? 吸血鬼の“親”と“子”の繋がりとか、魔術師とその使い魔の繋がりとか、そういうのがあると確実にコンボ出来るんだけどね。それ以外のパターンだと、いまいち条件にぶらつきがあるのよ。ま、吸血鬼退治にはもってこいだけど。あいつらって、そこらでたむろしてるグールだろうと遡れば死徒に辿り着くから。プスっと刺せば、場合によればそれだけで一気に二十七祖まで纏めて死んでくれる訳。今回は魔術師上がりの死徒だったから、無理っぽいけど」

 「死徒二十七祖………確かそれは、渡来の化生の首魁だったでしょう。それほどの大物にまで通用するのですか、貴方の能力は?」

 「イエス、アイ、アム。まぁ、実際滅んだかどうかなんて確認なんてしようがないけどねー。効いていないかもしれないし、効いているかもしれない。ま、効いてりゃ案外、今までの仕事の内のどれかでコンボ決まって滅んでるじゃないの? どうでもいいけど。あー、それで何の話だっけ? ああ、そうそう。依頼主だ依頼主、何で依頼主が死んだかって? その今回の依頼の原因になった死徒って、依頼主の師匠って言ってたじゃん。魔術の師匠なんて、基本身内でしょう。両親だか祖父母だか知らないけど。正直ただの血縁だけならコンボは発生しないと思うが、そのあたりも確証ないし? それに魔術師なら持ってるでしょ、あれ」

 「あれ………とは?」

 「魔術刻印。後継者に受け継がせるって言う、あれ。多分あれ持ってるとコンボの条件満たすと思うのよ。でも確証はないと。だから勘。以上証明終了、可憐ちゃんオッケイ? 納得した?」

 男が、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま清江に問いかけてくる。
 その声色も調子も、ずっと変わらず一定のままであった。相変わらずだらけた雰囲気のまま、清江の疑問に答えている。
 清江は問いに無言で頷く。男はそれを見て視線を外すと、また適当にスナック菓子を摘まみながらだらけ始める。

 今まで分かっていなかった男の能力の詳細を知り、とりあえず清江が理解したことが一つあった。
 それはこの目の前の男にとって、他者の命の有無など、本当にどうでもいいのだ、と。
 ただそのことを実感し、理解した。

 そうして、清江はその後しばらく部屋の中で時を過ごすと、やがて日が落ちてきた頃合いを見計らい去っていった。
 礼儀正しく失礼しますと男に述べて出てゆき、部屋には男だけが残される。
 可憐なる少女の存在が欠け、部屋は退廃的な雰囲気だけが降り積もっていた。

 「ああ………つまんね」

 パチパチと操作していたパソコンから手を離し、男はのっそりと動くと清江が座っていたソファーに倒れ込む。
 だらけた雰囲気のまま、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、男はすることもなく寝て、部屋にはただパソコンの動作音だけが響く。
 そのまま、ただただ時は過ぎていくのであった。








 ある時からインターネット上に、『系譜殺し』という名のサイトが存在していた。
 そのサイトの存在について、訪問した一般の者たちからは謎として、ただ片付けられているそれ。
 しかし、類稀なる偶然の末に辿り着いた一部の者たちの間においては、その存在は極めて重要で、不可解な存在として扱われていた。

 出題される問題の数々。ただ単に魔なる側に通じているというだけでは絶対に解くことのできない、その深淵にまで切り込まれた内容。
 そしてそれを解くことが出来た、さらに一部の者たちだけが入れるサイトの内部。
 そこでは、依頼の内容とその依頼に対する報酬を、書き込む様に要求される。
 この提示した条件を向こう側が受け付けた時、実行者が接触を取りに来て、そして依頼は現実に遂行されるという。
 あまりに奇怪な形態を取った、この退治屋の存在。
 この退治屋に関して、とある根拠のない噂がまことしやかに語られていた。

 曰く、かの存在は祖を滅ぼした。

 それは単純に、トップである祖自身を滅ぼした、ということを意味している訳ではなかった。
 その領地に存在する眷属、子、死者と、おおよそ二十七祖という重鎮を形成する、その派閥そのもの。それ自体を丸ごと一つ滅ぼし尽くしたというのだ。
 それもただの一瞬、一夜限りの内にである。
 それは、かの忌まわしい吸血鬼の裏切り者である復讐騎《エンハウンス》が行うことと同じ、二十七祖という仕組みを構築している一派を破壊するという所業であった。

 二十七祖にとって、殺し殺されるは問題ではない。長い時を生きる彼らにとって、そんなものにはさして意味がないのだ。
 例えトップの祖自身が殺され様が、その血族や派閥は残り、また新たな祖がいずれ選出される。ゆえに祖自身が滅ぼされようとも、彼らにとって問題視はされないのである。
 しかし、起きた事態はその前提を崩すものであった。
 しかもそれは悪名高き、あの埋葬機関の仕業でもなければ、魔術教会の誇るクロンの大隊の手でもない。
 正体不明の存在の正体不明の手段によって、一切の微塵も痕跡も残らず討ち滅ぼされたのだ。

 封じられた訳ですらもない。完全な消滅である。残滓すら残さない消滅であった。

 有り得ないその事態の発生は死徒たちを、魔術教会を、聖堂教会を、おおよそ裏に連なる全ての存在に揺さぶりを与えていた。
 その中で、ひっそりと語られていた噂がその『系譜殺し』についてのものだった。
 この正体不明の、ネットという環境に存在しているこの不可解な退治屋が、その事態を起こした元凶であると。
 無論、信じる者はだれ一人としていなかった。
 そもそもが、インターネットという現代文明の最先端に身を置いているものである。その時点で神秘に身を置く裏の重鎮たちは見向きもしなかったし、完全な日本語対応というサイトの限定された在り方が、それに拍車をかけていた。

 ゆえに噂はただの噂としてただ流れ、その真意が確認されることは一切なかったのだった。




 かくして、今日も『系譜殺し』はインターネットの上の片隅に、存在し続けるのであった。

 その門扉は変わることなく開けられ、難解な問題を解けた者が、それをくぐり抜けるのを待ちながら。








 ―――あとがき。

 後編終了。読了ありがとうございました。
 これは展開などの文章力を上達するために書いているSSです。またネタが浮かんだ時に短編として、練習も兼ねて書かせてもらうかもしれません。


 以下にネタばれのキャラ紹介を記述。ネタばれが嫌いな人は見ないでNE!
 ああ、あと作者はハッピーエンド主義者ですよ? 多少道理を曲げても、やっぱり最後はみんないっしょの大団円が一番です。








 キャラ紹介。

 『系譜殺し』
 キチガイの境界線を彷徨うトリッパー。二次創作だからこそ許される主人公。
 その行動・言動は理性的で思慮深いと思わせることもあるが、実際には何も考えていない。
 強力な能力を持つまさに吸血鬼キラー。仮に月姫本編に介入したとしたら、そこら辺を徘徊していた死者を一匹心臓刺すだけで、ロアどころかアルクェイドも巻き込んで纏めて抹殺出来てしまう超・超能力の持ち主。ただしそれ以外は貧弱極まるダメ人間であり、また本人が特に執着も何もないので、仮に強力なクリーチャーに狙われたら即死確定な人間である。


 丹羽清江。
 『系譜殺し』に可憐ちゃんと呼ばれ続ける、可憐な美少女。
 神道の流れを汲む実践派の退魔士の一家の生まれ。その基本は“舞い”の動作を身振り手振りの一振りごとに組み込み、それを詠唱の代わりとし自己暗示に用いて、魔術回路を起動し魔術を使用するというもの。
 基本的に未熟。元々それほど大手でもなく家伝を細々と伝えている小さな家であり、そして彼女はその正当の後継者ではないため。弱いというには強く、強いというには弱い実力の持ち主。同程度の力量の魔術師相手なら、実践派としての技術の分優位だという程度。







[11965] 《魔術使いの国》アメリカ 前編
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2009/10/19 00:58

 南米、アマゾンの奥地。
 覆い茂る樹木と、肌を舐める様な湿気た空気が漂う、その熱帯雨林の奥深く。
 この地上に残された数少ない秘境の内の一つ。世界最大面積を誇る樹林帯ゆえに“地球の肺”とも呼称される、未だ人の手が入っていない稀有な土地。
 そこはまさに天然の異界とも呼べる、アラヤではなくガイアに寄った土地であった。
 その南米大陸の、アマゾンのジャングル奥深く。
 天然の異界が形成されている樹林のその深層に、そのなお一線を隔する異常な場は、存在していた。

 それはまさしく、真実の意味での“異界”であった。
 人の手の入らぬ天然の異界の中にあって、その根本から自然という系統樹から完全に逸脱した環境。
 ジャングルの奥深くに蠢く生命たちの姿も、その周囲一帯からは完全に失せ果てている。
 人間のように原始本能を衰えさせていない彼らは、皆例外なく感じ取っていたのだ。
 生命としての格が異なる、埒外の領域の存在がそこにいることに。ゆえに懸命にも近寄らず、その付近から自ずと立ち退いていたのだ。

 ジャングルの奥地に存在する、巨大な正真正銘のその“異界”。
 それはまるで水晶のように透き通った、触れれば切れそうなほど綺麗な結晶で構築された場であった。
 すり鉢状に窪んだ土地の底を中心とし、その結晶がまるで仕切りの様な壁を幾つも曲がりくねった末に作り上げており、多くの縦穴が生じている。
 その様を直上から見たとしたら、それはさながら無数の罅の入ったガラス、あるいは蜘蛛の巣のような形と言えた。
 生命の存在しないが故の静謐に満ちた世界。
 真実、それは未だ人類の到達できぬ遠き“異界”の光景であった。

 ふと、その“異界”の淵に、一人の人間がふわりと空から降り立った。
 唐突に、そして普通では考えられない現れ方をしたその人間の姿は、奇妙なものであった。
 まるで性質の悪い、子供向けのヒーロー番組にでも出てくる鎧の様な形状をした服を身に纏っており、装飾なのか妙な機械をその片耳に身に付け、眼鏡のように片目を覆っていた。
 歳はさほど取っていないのだろう。見た目だけで言えば、彼はまだまだ少年と呼べる人間であった。
 その小柄な体形は、しかし見える腕から首筋まで、全てが逞しい筋肉で覆われていた。

 「水晶のようなもので出来た、蜘蛛の巣に似た見た目の住処………ここだな、あいつが言っていた例の場所は」

 トンと軽い身のこなしで少年は淵から踏み出し、“異界”の中へと踏み入っていた。
 幾つもの縦穴を仕切る水晶の壁をの上へと、足を踏み下ろし、どんどん窪地の奥へと進んでいく。一足で数mもの距離を、楽に少年は稼ぎ踏破していった。
 足場にした水晶を蹴り飛ぶたびに、水晶の間から金属的な音が、まるで音叉のように共鳴させながら“異界”全体に響き渡る。

 ピシリと、異なる音が鳴った。
 少年が何かに感付いたかのように表情を動かし、動きを止めて水晶の上に立ち止まる。
 ピシリピシリと、静謐に満ちていた世界になかった音がドンドン響き始めていた。
 その発生源は奥。窪地の底の、そのさらに下。
 “異界”を埋め尽くす水晶の全てが胎動し、ピシリピシリと悲鳴のような音を走らせて始めていたのだ。

 そうして、震えと音が最高潮に達した瞬間。
 “それ”は現れた。

 ガラスの砕け散る様な音が響いた。
 窪地の最奥、大地の底にあった縦穴の一つから、砕けて微細な欠片となった水晶を伴いながら、“それ”が全容を少年の前に晒した。
 全長が50mにも及ぼうかというほどの、埒外の巨体。地球上に存在するあらゆる生命体を完全に凌駕する、その巨躯。
 “異界”を形成する水晶と同じような光沢の材質で肉体を形成しながら、“それ”は何本と存在する脚を動かし仕切りとなっている壁の上を移動していた。

 死徒二十七祖、第五位。タイプ・マァキュリー、ORT。
 浸食固有結界『水晶渓谷』の主にして、支配者。現時点における現惑星の最強の一つ。
 アルティミット・ワン。
 そのあまりにも場違い過ぎる存在が、少年の目の前に無機質なロジックに基づき出現していた。

 『―――稀有な存在だ』

 巨大なる威容を晒すORTから、声が響く。
 それはまるで山彦の様な、自身の意思が欠片も籠っていない言葉であった。
 上半身を倒し、まさしく蜘蛛の如き姿を見せながら、ORTが少年へと目掛けて接近する。
 その速度は、速い。軽く音速を突破していた。

 『捕獲しよう。我が研究の新たなる肥やしとなるやもしれん』

 あっという間に少年のすぐ傍にまで近付き、そしてORTはその脚の一つを動かすと、それをそのまま一切のタメもなく少年へと叩きつけた。
 全長50mを越える巨躯である。その脚一本の大きさも、相応のもの。
 少年の姿は容易く脚に覆い隠され、足場としていた水晶ごと粉微塵に粉砕された。
 象が人を圧し潰す、なんてレベルではない。まさにそれは、巨人がアリを存在に気付きもせずに踏み潰す。そんな形容の代物であった。
 それは出現から、僅か数秒の出来事であった。

 『精霊でも悪魔でもなし―――幻想種ですらもない。完全にこの世とは異する秩序に属する存在。これはもしや、異星より来たりし存在か――――――』

 反響のような意思なき声を響かせながら、ORTがその顔の向きを変える。
 脚を振り下ろし粉砕した水晶の場から、少し離れた場所。そこに少年が、一切変わらぬ様子のままで仁王立っていた。
 あの一瞬の攻防の刹那、少年はORTの音速を凌駕し迫る一撃を完全に回避し、回り込んでいたのだ。

 『申し分なし、捕獲しよう。我が研究の新たなる肥やしとなるやもしれん』

 「いきなりやってくれやがったな、貴様。随分と威勢がいい化け物だ」

 『―――稀有な存在だ』

 ORTが、再度動き始める。
 その巨躯でありながら、その機動は初速から音速を突破する規格外なもの。
 少年を抹殺せんと、異星よりの来訪者《インヴェイダー》が少年へと切迫する。それを真っ向から迎え撃とうと、少年は不敵な表情を浮かべて構えを取った。
 その少年の腰からは、茶色い毛に覆われた一本の尾が生えていた。

 かくして人知れず南米にて、二体の規格外の衝突が始まったのであった。








 日本という国の、ある一地方一都市の中の一ビル。そのとある一室。
 乱雑に物が散らかった薄汚れたその部屋の中には、二人の人間がいた。部屋の主である男と、今まさに扉を開けて入室してきた少女の二人。
 男はくたびれた服を適当に上下に身に纏い、だらけ切った様子でパソコンの前の椅子に座り、パチパチとキーボードを操作していた。その目はまさしくドブ川に浮かぶ魚の目をしており、見る者全てに対して無条件の嫌悪感を植え付けるものであった。
 対して、少女は部屋に場違い極まるほど美しい容姿をしていた。姿形の全体的なバランスそのものが奇跡的な黄金比を形成し見る者を魅了し、その腰まで伸びた濡れ羽色の長髪がその美麗さをより一層強調し引き立てる。覗くその肌などは白絹の様な色艶を放ち、それだけで神々しかった。まさしく“美”の概念に包まれたとでも評すべきかの様な、美しき少女であった。
 その少女―――学校帰りなのか、制服姿なまま事務所へと几帳面に顔を出して来た丹羽清江に対して、男はあっけらかんと声をかけた。

 「可憐ちゃん。それじゃ、アメリカに行こうか。今度の休日あたりにでも」

 「は………え?」

 その人形のように綺麗な顔を驚きと戸惑いに固めながら、清江はその小さな瞳をパチパチと瞬かせる。
 男はいつもと変わらぬ様子の、そのだらけた雰囲気のままに衝撃的な言葉を放ち、平然としていた。
 気を取り直し、清江は正気に立ち返る。目の前の男の言動に振り回される経験は多く重ねてきたが、未だにそれに慣れる気配はなかった。
 おそらくは、それが清江自身の人柄というものなのだろう。本人にしてみれば、歯痒いことではあったが。

 「いきなりなんなんですか、いったい。新しい依頼でも入ったのですか?」

 「イエス、オブコース。その通りだよ可憐ちゃん。といっても、今回のはサイトの方からのもんじゃなくて、便利屋の方から回されたもんだけどね。正直な話、言い様に使われてる感がバリバリだけど。明らかに報酬とかピンハネされてるだろうし。けどまぁ、サイト運営だけじゃそうそう依頼も入って来んし、残念ながらお金を得るためには唯々諾々に従うしかない、と。いやはや、世知辛い世の中だねぇ」

 そう言いながら、しかし男に不満そうな様子など、その態度はおろか、声色にすら現れていなかった。
 相も変わらずマイペースなだらけた雰囲気のまま、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま男は言葉を喋り続けていた。

 「それで、今回の依頼内容とは何なんですか? もしかして、先日の依頼内容と同じ吸血鬼退治でしょうか?」

 「鋭いね可憐ちゃん、それ正解。今回の依頼も前と同じ吸血鬼、つまり死徒退治だよ。アメリカの州の一つにある小さな町が、死徒のねぐらになってるんだとさ。つまり死都一歩手前の状態。前に比べたら状態的にはなんぼかマシらしいけど、ぶっちゃけ関係ない話だな、そっちわ。正直な話死都になってた方が、自分的にはやり易いし?」

 「犠牲とならず、生き延びている人が多くいるのです。それを喜びはすれど、残念と言うことはおかしいでしょう。貴方はその不謹慎な発言を、もっと慎みなさい」

 「おお、怖。可憐ちゃんは真面目なんだから。ホント、基本善人だよね可憐ちゃんって。ちょっとだけ感性外れてるところあるみたいだけど。ま、そのあたりのギャップもまたいいんだけどね?」

 「戯言は止めなさいと、そう言いました。怒りますよ?」

 「ごめんなさい」

 ぺこりと男が頭を伏せて謝る。その雰囲気は相変わらずだらけたままで、そしてドブ川に浮かぶ魚の目をしている。
 清江は一つ溜息を吐きながら、荷物を隅に置いて棚を開き、ゴミ袋を取り出して部屋の掃除を始めた。
 元々清江に、仕事を断るつもりなどもない。男に付いていこうと思ったのは純然たる清江の意思だった。仮に男が同行を拒んだところで、清江は無理矢理後を追いかけていただろう。
 せっせと掃除を進める清江を視界の隅に置き、パソコンを操作しながら、男は独り言のように呟いた。

 「にしても、アメリカで死徒ってのも珍しい話だね? どんな経緯で出て来たんだか。ま、どうでもいいけど」

 「? 吸血鬼がアメリカに現れるというのは、珍しいことなのですか?」

 「そうだよ? 自分がこれについて知ったのは便利屋に教えてもらったからなんだけど………へえ。意外だったわ。可憐ちゃん知らなかったのね。てっきり知っているものとばかり」

 男はドブ川に浮かぶ魚の目を清江に向けたまま、台詞だけで驚きを示す。その声色も調子も、全く変わった様子は見れなかった。
 清江は元々、この国に根差す神道の流れを汲んだ、とある古き伝来の一派から枝分かれした退魔の家の出であった。だが家伝として生まれてからより秘儀の一部を伝授されていたとはいえ、その正当な後継者ではなかった。ゆえに化生の類や諸外国の裏事情についても、その知識は欠けが多い。
 そもそも、出生の家自体が派閥というほど大きな勢力を持った家でもなかった。元より正当な後継者であろうとも、得られる知識は無きに等しかったのが実情であったのだ。そしてその微少なる怪異に関する知識すら、もう今では手に入れることが出来ない状態であった。
 ゆえに、清江に知識を手に入れる手段は一つしかない。掃除する手を止めて、男に向かい合う。

 「すみませんが、教えてもらえないでしょうか? その、吸血鬼が現れ難いという理由について。恥ずかしい話ですが、吸血鬼に関して私が知る知識は、映画程度のものしかないので………」

 「あいあい、後学のためって奴でしょ? 了解了解、別にいいよ。というか、そんな複雑な理由はないし。タネは単純な話、アメリカって言う国の地理的条件が原因だよ、地・理。基本吸血鬼は、ユーラシア大陸を中心に活動しているのよ。というより、そこ以外にはほぼいない。単純に生息地域じゃないということ。だからアメリカは元より、日本とかでも吸血鬼なんてそうそうお目にかからない訳。地図見てみなよ? 仮にあいつらが大陸を埋め尽くそうが、そっから別の大陸なり島なりに移動するにはさ、“水の上を渡る”必要があるじゃん? 知ってる? 吸血鬼の流水の呪い。吸血鬼ってのは、流れる水の上を渡ることは出来ないの。んでかなり上等な力を持った死徒でもない限り、この呪いは克服できない。これがまず第一の理由」

 ペラペラと、一切声色を変える様子のないまま喋る男。
 その姿は壊れた人形のような、そんな不吉で歪な印象を抱かせるものであったが、発言内容それ自体は真っ当なものであり、清江は真面目に聞き入れる。

 「んで、次が第二の理由。アメリカって国は魔術使いの国なんだとさ。便利屋曰くね」

 「魔術使いの、国? それはいったい、どういうことなんですか?」

 「要するにアメリカってのは、神秘が薄くて弱い土地なんだってさ。魔術師だとか吸血鬼だとか、そういった輩たちから見て大して価値の見出せない、積み重ねてきた歴史のない国なんだと。なんでも昔の新大陸発見時の入植の際? 地元に土着の基盤を持っている魔術師たちは元より、“根源”を目指して研究している普通の魔術師たちも、未知の新大陸に移住することはなかったんだって。そりゃそうだわな。よく分からんけど、確か魔術師ってのは移り住んだ土地に合わせて上手く馴染まないと、力が衰退するらしいし? マキリがそうだったな、確か。合ってるかどうか覚えとらんけど。んでそんな無用のリスクを何の保証もなしに犯すようなチャレンジ精神は、当時の魔術師たちにはなかったと。ま、とっくにその時には魔術の文明の後追いが始まっていたらしいし? だから、未知の新大陸へ出ていこうと移住した者たちってのは、目先の利益を得ようと考える者たち。つまり魔術を手段として使う、“魔術使い”たちだけしかいなかったらしいと。で、彼ら新大陸へ入植していった白色人種たちは、先住民族のネイティブアメリカンたちから土地をせしめて、新たな自分たちの国を作った。つまりアメリカね、これが。この時のごたごたで、魔術使いたちは首尾よく新大陸の霊脈とかを掌握したらしいよ。ちなみにホントかどうかは知らないけど、この時から彼ら魔術使いたちは当時のアメリカ政府と密約を結んでて、その現代科学による軍隊の力を借りて、厄介な先住民族たちの土着基盤を破壊して駆逐したらしいとかなんとか。本当だとしたら、魔術使いらしい合理的な戦術だね。まさに切嗣」

 「その切嗣というのが何なのか知りませんが、まさかそんなことが………?」

 「実際確認のしようなんて、魔法使いでもなきゃ無理だけどね。まぁ過去の経緯が何にせよ、今現在の話しで魔術使いとアメリカ政府は繋がってるらしいよ? 魔術使いが政府の力を利用して、アメリカという国家に点在する霊脈を効率よく掌握し調節することで、色々な幸運を国家全体にもたらしているらしいし。これはあれだな、冬木での遠坂の家がやっていたことの拡大版。まさか、あの国のチート加減の正体がこんなもんだったとは、驚いたねホント。という訳で、あの国は魔術使いの国と呼ばれている訳、オーケー?」

 「それは分かりましたが………その、結局神秘が薄いというのは、いったいどういう意味なのです? それに魔術師ならばともかく、吸血鬼という、いわば存在そのものが化生という彼らに異国の土地であるということは、さして意味があるとは思えないのですが」

 「ところがどっこい、実は大いに関係あったりしたりする。や、又聞きなんだけどね。間違ってても知らね」

 パソコンを操作する手を止めて、男は清江へと視線を向けた。
 相変わらずその目はドブ川に浮かぶ魚の目をしており、片手を伸ばしてスナック菓子の袋を取り寄せて、ポリポリと中身を頬張る。
 行儀悪く口に物を含みながら、男は説明を続けた。

 「さっき言ったように、アメリカって国を作った時にさ、当時の政府は先住の文化って奴をまとめてぶち壊した訳よ。で、自分たちの新しい国家を打ち立てた訳だ。この時に何でも、文化的な上書きみたいなのが発生したんだとさ。歴史のない魔術使いたちが、率先して土着の魔術基盤とかも破壊していったらしいし。その土地に前まであった歴史を積み重ねてきた文化や伝統とかを拾い集めず、全然土地と関わりのない自分たちの文化で新しい国家を築き上げた、と。だから、その土地に根差した神秘の重みってのがないらしい。まあ概念って奴は年月の経過で養われるらしいし? そういうことでしょ、これは。加えてそのアメリカって国家を形作っている文化てのは、要するに現代文明の最先端である科学な訳で。だからなおさら神秘ってのとは相性が悪いんだと。あれだ、妙な言い回しだけどこういうことじゃね? アメリカって国には、科学文明の象徴みたいな概念でもあるんでしょ。だから、相反する関係の神秘だとかにめちゃくちゃマイナス補正が発生すると。なんだろうな、これって世界の修正力が強いってことかね? それとも修正力以前に、単純に魔術だとかが弱体化でもするのか? どうでもいいけど」

 「そんな、なんて罰当たりなことを………伝統を軽々しく足蹴にするような行為を行うなんて。そんな過去をただ切り捨てるだけの行いなど、行く末に幸などないと決まっているでしょうに」

 「いや、可憐ちゃん? 別にアメリカ作った人たちがみんな、そんな過去をブッ壊したいと思ってるような人たちばっかじゃないでしょ。彼らだって過去は大事にしているさ。ただし蛮族は対象外で。博愛精神を唱えるにゃ、例の奴隷解放した大統領が出てくるまで待たないとね。今の秤で当時の人たちを決めつけちゃいかんよ。歴史学の基本よ、これ? 可憐ちゃんは学生なんだし、そこんとこ気を付けないと」

 「余計なお世話です。貴方が私の学業についてなんて、気にしないでください」

 清江はぴしゃりと、男の戯言を封じる様に言い切る。
 そんな彼女の成績は、極めて良好であり高いものであった。陰に隠れた本人の弛まぬ努力の成果により、不足しがちの出席分を補うだけの結果を出していたのである。
 ちなみに、その彼女の不足しがちな出席の原因は、目の前の男の不規則な依頼とそれに伴う行動にあったのであった。

 「ご尤も、んじゃ続きいっとこう。どこまで言ったけ? ………ああ、そだそだ。その神秘が薄いと吸血鬼が寄り付かない理由だっけ? ぶっちゃけ一言で言うと、あいつらって存在そのものが神秘みたいなもんだからだよ。神秘=吸血鬼みたいな? だから神秘の薄い土地、要するにアメリカっつう現代文明の象徴の国なんてのに行くと、そのまんま自分の存在そのものに問題が直結するんだとか。神秘が薄いってのはつまり、神秘を否定する土地柄ってことらしいし。可憐ちゃん想像してみなよ? 宇宙船だとか光線銃だとかワープだとか、そんなSF世界観バリバリな環境に吸血鬼がいるシーンをさ。もうそんな状況だと、吸血鬼なんてファンタジーの欠片もない、ただの突然変異のクリーチャーじゃん? イメージ的に。つまりそういうこと。せっかく“訳の分からん奇妙奇天烈な力”を持ってるていう利点がさ、アメリカに行くとめちゃくちゃ弱まる訳。だから吸血鬼なんて奴らは、わざわざ特に突出した理由もない限り、アメリカなんて国には行かないんだと。無双出来なくなるんだから、そりゃ寄り付かないわな。という訳で、これが結論。理解した可憐ちゃん?」

 「つまり、力の弱い吸血鬼はそもそも大陸に渡ることが出来ず、そして力のある吸血鬼は力が弱まるために近付かない………ということですか」

 「イグザクトリー、そういうこと。神秘がないっていうことが、まさかのバリアみたいな働きになっていた訳ね。思えば、これが橙子さんが荒耶に言ってた言葉の指してる内容なんだろうさ。ホント、もうあと一世紀ぐらい後の未来になると、もう魔術だとか神秘だとか、そんなものは全部消えてるかもね。この星から。ま、変わりに亜麗百種とか流行るんだろうけど」

 「すみません。本当に、貴方が何を言っているのか理解できない時があるのですが。何なんですか、その、亜麗百種とか、荒耶とは? 知り合いの名前ですか?」

 「固有名詞。戯言だよ、戯言。どーでもいい豆知識。あとは秘密。別にばらしてもいいんだけど、面倒臭いし」

 だらけた雰囲気を纏わせたまま、どうでもいいと言わんばかりに男は言い捨てる。
 清江はもはや溜息を吐くこともなく、ただ心中でほんの少しばかりの疲れを覚えながら、中断していた掃除作業を再開した。
 知識はある。それを回すだけの知性もあるのだろう。しかし決定的にそれらを活かそうとする意思が、男には欠けていた。
 行動の芯というものがないのだ。ゆえにまともに付き合おうとすれば、異常なほどの気疲れを被ることになる。清江は散々それを今まで痛感してきていた。

 狂人に対して常人が普通に触れ合うことなど、叶うものではないのだ。

 「それじゃ、可憐ちゃん。色々と準備よろしくー。いつも通りの通訳やらなにやらね。自分英語喋れないし? 可憐ちゃんだけがそこんところ頼りだから。」

 「何時も言ってますが、貴方はもっと自分を磨こうとは思わないのですか。男のくせに情けない。少しは努力する姿勢を見せるぐらいしてみたらどうですか」

 「自分の嫌いな言葉は、努力と根性です。いいじゃん。どうせ才能重視の世界なんだから、ここって。強い奴は最初っから強くなるって約束されてるし、弱い奴は結局強い奴には勝てないようになってるんだから。可憐ちゃん。君の言ってることってさ、遠野志貴に根性振り絞ってORTの死の点を直死の魔眼で発見しろってぐらいの無茶振りだよ? もしくは衛宮士郎にエアを投影しろってのでも可。無理無理、自分に向上だとか勉強だとかなんてことは出来ませんからー。そんなの魔改造にもほどがあるって」

 「良く分からないこと言って、話を逸らさないでください。努力に才能の有無なんて関係ないでしょう。自分の怠惰さを煙に巻いて誤魔化さないでください」

 「可憐ちゃん、巷ではこういう言葉がある。努力するのも才能の一種だ、と」

 「怠け者の使う言い訳ですね。そんな言葉に説得力があるとでも、本当に思っているのですか?」

 「酷ッ。可憐ちゃん、その発言はもれなく全国数百万の人たちを一切合財貫いたよ。多分、おそらく、絶対に」

 「知りません、そんなこと」

 かくして、ドブ川に浮かぶ魚の目をした男と、目麗しい美少女の二人は役にも立たない戯言を時折交わしながら、時間を過ごしていくのであった。








 数日後、世間一般で休日とされている日にて。
 男と少女の二人は、朝早くから空港へと赴き、便利屋に手配されていたチケットを使い機上の人となった。
 目指す先は魔術使いの国、アメリカ。現代文明の象徴を担う、神秘の薄き国。その目的は吸血鬼退治。




 そこで『系譜殺し』は、後に幾度かニアミスすることになる、遅過ぎた存在と最初の出会いを経験することとなる。








 ―――あとがき。

 ネタが思い付いたので、書きました。
 次の長編の構想にちと詰まった際に思い付いたもので、思わず速筆。
 こんなんだから一向に次回作が始まらないのよね。
 あとアメリカだとかの設定は完全な捏造設定ですよ。やっぱりオリ設定が出てきてしまうのね、自分のSSは。すみません。




 以下、オリ設定

 『アメリカ』
 魔術使いの国として今作内に設定された国。神秘の色が薄いために国有のオカルト対策組織は弱小なのだが、それが逆にオカルト関係の事件を抑える天然の抑制効果を発生させてるため、つり合いが十分以上に取れてる国。
 国家戦略として領土内の霊脈の大半を掌握しており、その管理運営を魔術使いと契約し行っている。それゆえのチート国家成立という設定。なんて羨ましい。
 魔術協会もその土地の性質的に、ほぼノータッチの状態を貫いていたり。魔術師の一族というものも、先住のネイティブアメリカン以外ではほとんど存在しない。いるのは魔術使いばかり。これは何故かと言うと、例外なくこの土地で生まれた次代の魔術師は衰退するため。普通の代を重ねる魔術師は住みつこうとは考えない。
 百年後には文明の加速により、土地の性質が神秘の存在を“完全否定”するレベルにまで達し、訪れれば死徒二十七祖だろうが存在自体危うくなり、アルクェイドや魔術師などもただの人となる、オカルトに対して作用する逆異界な文明先端国家となる。(無事なのは世界法則を侵食するORTだけ。というかこいつは神秘じゃなく宇宙から来た怪獣だ)

 型月設定を作者が独自解釈した上でのオリ設定。魔術は文明の後追い状態となった上に、その末には完全否定されて消滅する様になってしましたと。魔術師涙目の時代である。




[11965] 中編
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2010/02/05 00:51

 「さてはて、やってきました自由の国と。挨拶はなんだっけ? こんなんかな? えーと、アロハーオエー?」

 「お願いですから、もう黙っていてください。頼みますから」

 到着した現地の空港にて。
 清江は有難味の全くないチャレンジ精神を出す男に対し、とりあえず肘打ちと共に自重を最初に求めたのであった。

 その後の段取りは、おおよそ何時も通りのものであった。
 清江が目的地までの詳細な道のりを聞き調べ、足となるタクシーを確保する。
 こういった行動の甲斐もあってか、清江の英語のヒアリング能力は最近特に上達していた。人間、必要に応じて適応するものなのである。
 男はその甲斐甲斐しく動く清江の後ろを、だらしのない雰囲気を纏わせたままただ付いて行っていた。
 ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま美少女の後ろに付いて動くその姿は、聖人すら正気を疑うものであったのであろう。
 付近の善良な人々からの視線が二人に集まっているのを、清江は強く感じていた。

 余計なちょっかいを出さないでいても、面倒事を招くというその性質。なんて厄介な男なのか。
 清江はトラブルに巻き込まれないようにと、早々にタクシーに男を押し込むと、自身も乗り込み目的地へと出発することを選択。
 そしてようやくタクシーの中で一段落を付けられて、ため息を漏らしたのだった。
 男は清江の苦労を知っているの知らないのか、それともただ単に気にしていないだけなのか。タクシーの運転手とめちゃくちゃな言葉を使って会話していた。

 「ユー、バッドガイ? クレイジー? ハッハッハ、オーグレートグレート、ユーアースモールディック」

 「Get off you, suck my dick. The Stupid face is crushed, This crazy jap!」

 「オウハッピー? イエスイエス、サンキューサンキューベリーワンダフルー。ディズ、イズア、プレゼントマネー。ユー、テイクアウトイット」

 「OK. Please ask me anything, Brother!」

 「オービューティフルビューティフル、マネーパワー、イズ、ナンバーワン。グラッツェ」

 胡乱な目付きで両者のやり取りを、清江は見ていた。細かい会話の内容は分からないが、どうやら険悪にもならず済んでいるようである。
 まあ、問題さえ起こさないのならば。清江はそう片付けて、視線を窓の外へと向け、流れる異国の風景を眺めるのであった。

 そうして、時が過ぎること数時間。
 狭く小さな島国である日本では体験することのできない地平線まで見えそうな広大な大地を駆け抜けて、タクシーは今回の依頼の目的地である町へと辿り着いた。
 その腕を伸ばし、可憐な様子のまま身体を解す清江の隣で、去っていくタクシーに向かってアニュハセオーと男が手を振り別れを告げる。
 ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま浮かべていた薄ら笑いを引っ込めて、だらけた雰囲気を纏わせた男は目の前の町並みの様子をぐるりと見回した。

 町並みの様子は天から差す日照りのこともあっただろうが、それを含めて見てみても明るいものであった。
 何よりも目に付くのは、一つ一つの建物の間が詰められておらず空間が広く存在することだ。しかしそれは町が開発されていない田舎ということではなく、視界の中には立派なモールやロータリーなども存在している。
 単純な、日本とアメリカという土地事情の違いなのだろう。一軒ごとの敷地面積の違いが認識のギャップを生み、それが開放感や明るさとして感じさせていたのだ。
 清江は男が見ているものと同じ物を見て、そう感じていた。

 「そこそこに発展してるみたいだね。町の雰囲気も明るいし土地も開けてるし、日光が大敵な吸血鬼の潜伏場所にゃ変な気がするけど。んー、いやでも地図から見ると、他の町からは結構離れてるみたいだし。そう考えると、案外吸血鬼の潜伏場所としてはもってこいの場所なのかね、この町? ほら、陸の孤島っていう奴? よくサスペンスとかであるじゃん。閉じ込められた、逃げられません連絡できませんってね。仮に公にバレちゃっても電線とか通信網をカットしちゃえば、この町の住人たちは一転してハリウッド映画ばりのゾンビパラダイスに突入。他の町からの応援が来るまでにかかる数時間の間に、張本人である死徒は散々獲物をゲットした上に行方を眩ます、とか? ま、一番隠さなきゃいけない相手に対してもろバレみたいなんだけどね。意味ないねぇ。まさに片手落ち」

 「人の姿が少ないのは、やはり吸血鬼の仕業なんでしょうか」

 「じゃないの? 別に知らんけど。まあ前の町に比べたらまだ人の数も多いし、あんなうぞうぞ出てくることもないんじゃない? よかったね可憐ちゃん、今回は前回よりも長く粘れるかもよ? 一人無双状態を今回はどれだけ保てるか、楽しみだね」

 「人を、まるでサウナの耐久勝負に挑むかのように言うのは止めてくれませんか。それに、別に私は自分の力に酔いしれるために戦っているのではありません」

 「さよで? でも結果が同じなら、表現なんてどんな形でもいいっしょ? やることいっしょなんだから。いちいち自分の行動の一つ一つの動機やら内心の葛藤やら、そんなものを見てる側に理解してもらおうなんて不毛だよ、不毛。可憐ちゃんもどこかの正義の味方みたく、他人の評価なんかかなぐり捨ててただ行動しなくちゃ。でなきゃ才能だとか能力だとか花咲けないよ? 多分。まぁその当の正義の味方は、他人の評価をかなぐり捨て過ぎたおかげで、自分が助けた人間にぶっ殺されたみたいだけどね」

 「知りません。もう黙っていてください」

 「連れないなぁ。まあぶっちゃけ戯言だしね、本当に。可憐ちゃんのその行動は正しいと思うよ。寂しいけど。もうちっとネタ振りには付き合ってほしいな、自分は。いや、本当はどうでもいいんだけどね」

 てくてくと歩き始める。片手に持った地図を適当に見て、男は初めて訪れる町を惑うこともなく進んでいく。
 清江はその男の後ろへと付き添い、付かず離れず距離を保って歩き追う。
 アメリカの町は、広い。十分ほど歩き通してみても、それほど進んでいないような錯覚を抱く。

 「それにしても、今回はいったいどこに向かっているのですか、貴方は? またどこか、喫茶店か何かで待ち合わせで?」

 「ん? 目的地? 市役所だよ、市役所。だって依頼人がこの町の市長だし、普通でしょ?」

 「………え?」

 「ああ、あれじゃね? 英語よく分らんから当てずっぽうだけど、なんか雰囲気的にそれっぽい気がするし。ま、多分合ってると思う」

 男が、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたままその手を伸ばし、ある遠く一点を指し示した。
 清江は思わず、釣られるようにその指先の向こうに目を向ける。そこには回りの建物類とは雰囲気の異なる、大きな建物があった。
 それは男の言った通りの代物。
 警察署などもすぐ隣に併設されている、この町に存在する大きな中央市役所であった。




 「君たちが、例の掃除屋《スイーパー》かね?」

 「オーイエース。て、日本語が喋れるのか市長さん。なんかバイリンガルって、それだけでやり手って気がするね。日本の公務員も見習ってほしいもんだ」

 「世辞はいらんよ。私はこの町をより良く導くものとして、最大限の努力を行っているに過ぎない」

 「そう? じゃ、仕事の話に移るとしますか」

 清江が受付にて話を行い、男が持っていた書式をアポイントメントの確認として差し出す。
 そしてロビーにて待たされること五分ほど。職員の一人が二人の元へとやってきて市役所の中を案内し、エレベータに乗って五階へと移動。市長室の前まで連れて来たところで、職員は去っていた。
 かくして、男が扉を開いて入った広い部屋の中。そこに件の依頼者であり、この町の市長でもある恰幅の良い白人男性がいたのであった。
 市長は年を刻んだその顔の中から、なお精力的な輝きを宿す青い瞳を二人のアウトローへと向けて先の言葉を投げかけたのだった。

 男は市長というVIPな存在を前にしてもその様子を改める姿を見せず、変わらぬだらけた雰囲気を漂わせたままソファーへと座った。
 清江はその態度に対して苦言を呈そうと口を開きかけたが、言葉を出す前に市長がその手を遮るように掲げたので、不発のまま口を閉じことになる。
 他者の機微を感じ取ることに慣れているのだろう。市長は清江のしようとする行動を先読みし、タイミング良く抑止の動作を割り込ませたのだ。
 反感を抱かせずに、他者の行動を押し留める手腕。それは為政者にとって、持つべき理想のスキルの一つであった。

 「かまわんよ、レディ。単刀直入なその態度は、むしろ私には心地よいものだ。このような仕事に就いていると、自然会話の多くが回りくどく、そして迂遠なものばかりとなるのでな。だがしかし、一応形式として確認をさせてもらおう。改めて問う。君たちは私が仲介屋に依頼して派遣されてきた掃除屋《スイーパー》。あの噂の存在であるフリークス・ハンターであり、そして幻の存在でもあるもの。件の『系譜殺し』で合っているかね?」

 「イグザクトリー、別にウソは付いてないよ。紹介状でも見る? というか、なんか妙な形容詞が付いてなかった? 何その噂の、とか幻の、とかなんていう、雪男みたいな表現。CM出演した覚えもないんだけど、自分?」

 「そのままの意味だ。ある一部のコミュニティで、最近囁かれている情報にあるのだよ。極東の島国には『系譜殺し』という、比類なきフリークス・ハンターが存在しているという内容の話が。噂ではそのハンターは、かのヴァンパイアどものビッグネームである27 of the Founderの一つを狩ったとすら聞く。他にもグールばかりとなった都市一つを、一切巻き添えを出さず化け物だけに限定して殲滅し、一晩の内に仕事を終えたなども聞いた。どれも普通では信じられん成果だ。特に後者の出来事など、かの教会が持つという対化け物機関でも成し得ることは不可能だろう。もしこの話の内容が真実であるならば、その名は轟いてしかるべきものなビッグネームだ。だがしかし、どういった訳かこの話は広まることもなく、限定されたコミュニティで語られているだけに留められている。ただの噂話としてはおかしな、奇妙な現実感を持ってだ。分かったかな、ミスター。『系譜殺し』が幻の存在と言われる訳を。ファンタジーの中で語られるミステリアスな存在、それが『系譜殺し』なのだよ」

 「なるほど、納得。なんだ、意外と知られていたんだ。その割にはサイトの方は全然人気がないんだけどねぇ。可憐ちゃん、なんでか分かる?」

 「な、そこでなんで私に話を振るんですかッ」

 にわかに緊張したままであった清江は、その男からの唐突なトークパスに鳩が豆鉄砲を食らった表情をして声を上げる。
 当然そんなこと、IT知識もマーケティング知識も持たない清江に分かるはずもない。
 しかしそんなことよりも何より、市長を前にして普段と同じ態度のまま、しかも自分までそれに巻き込もうとする男の行動に、清江は反発を持った。

 「やけにトゲトゲしいね、可憐ちゃん。市長さんの前なんだから、もっと落ち着いた方がいいよ? 女の子はおしとやかな方が男の受けはいいんだから。や、自分の独断だけど」

 「誰のせいですか、誰のッ。貴方が言う台詞ではありませんッ。それに男の方たちからの反応なんて、私はどうでもいいんです。放っておいてください」

 くっくっくと、押し殺した笑い声が響いた。
 見れば市長が愉快そうに、その威厳のある顔を歪めて笑っていた。口に手を当てながら上品に笑うその姿を見て、清江の頬が羞恥に染まる。

 「いや、失礼。噂の『系譜殺し』本人と会えると聞いて、内心どんな人物か楽しみにしていたのだが。どうやら、思っていた人物像とは大きく異なるようだ。くくく、ああ勘違いしないでくれたまえ、決して悪い意味ではない」

 「そうなの、よかったね可憐ちゃん。受けたみたいだよ?」

 「嬉しくありませんッ。もう私に構わないで、話を進めてください」

 「ふむ、レディの言葉も尤もだ。話を元に戻そう」

 半ば捨て鉢な感じで言い放った清江の言葉に、市長は応えて同意した。清江が陰で安堵の吐息を洩らす。
 市長は男の対面のソファーに深く腰を沈め、間に存在する卓の上に取り出した書類をぱさりと置いた。
 卓上にばらまかれた書類を男は適当に手にとって流し読みし、清江も横からそれを覗く。

 書類に記されていた内容は、おもに今月に入ってからの行方不明者の数や、普通では考えられない不審な怪死事件についての報告など。
 並べたてられることで、とてつもなく不吉な内容を醸し出す。そういった内容の記述ばかりが、書面には書き記されていた。

 「ここ最近に、この町にて発生した案件の数々だ。明らかに普通の人間が起こす内容の事件ではない。市民たちの間ではサタニストの犯行や脱獄犯の仕業だとかいう、出所の知れぬいくつものデマが飛び交っている状況だ。無論、無用な混乱は避けるべく情報統制は行ってはいるのだが、そう何時までも隠し通せるものでもない。こちらとしてはこのまま、サイコキラーによって起こされた事件だったものとして処理し、ヴァンパイアについては秘密裏に駆逐したいと考えている」

 「なんか、かなり詳細なとこまで調査してんね。へえ、可憐ちゃんこれ見てみ。死徒の予想潜伏地まで書いてら」

 「ステイツには元々、対策組織のフリークス・ハンターが存在しているのだ。私はその組織に少しばかりコネが利くのでな、いち早くこの町での異変に気が付くことが出来た。しかし遺憾なことだが、我がステイツの対策組織は諸外国のそれと比べて脆弱である。情報網こそ誇るものを持つが、実際の実行力において欠如しているのが実情なのだよ。これがただのクレイジーなマジシャンどもの仕業ならば、まだ話は簡単だった。人間ならば、鉛玉を狙撃でぶち込んでやれば片付いたからな。しかし、ヴァンパイアどもが相手ではそうもいかん。奴らを倒すには、少なくとも武装した軍の特殊部隊が三つは必要だ。しかし残念だが一介の市長である私に、そこまで要望を回せるほどの権限はない。だが軍が動くのを待っていたら、ヴァンパイアによってこの町は荒らされ尽くしてしまう。私はそのようなことを、断じて認めるわけにはいかん」

 「なるほど、そんで自分が呼ばれたと。アグレッシブな市長さんだねぇ、わざわざ自分が動いてアウトロー雇うなんてさ。それって大丈夫なん? 法律的にさ」

 「為政者には、時にはルールを逸脱する行為も必要なのだよ。私は私の町を守るために、手段は選ばないつもりだ」

 「あっそう。まぁいいや、どうでもいいし」

 男は自分から聞いてきながら、さらりと流す。
 確実に反感を買うだろうふざけた態度であったが、市長もまた特に気にした風もなく済ませる。
 この程度の行動で心を乱される人間ではない、ということなのだろう。随分と心胆の据わった人物だと清江は改めて思う。

 「手段は全て君たちに一任する。ハンティングに関しては君たちの方が専門だろう、要望があるならばできる限り応じる。私から提示する条件は一つ。ただこの町から、早急にあの時代かぶれな古臭いくそったれの化け物どもを駆除すること。ただそれだけだ。他には何もない。事前申告も経過報告も一切いらん。君たちが滞りなく仕事を終えれるよう、万全のサポートを約束しよう」

 「大判振る舞いだなぁ。この仕事始めてから初めての待遇じゃない、これ? さすがは自由の国、枠に囚われないフリーダムな態勢。こりゃオカルト関係からは敬遠されるか。ま、自分としては楽チンでいいけどね。もしかして銃とかも欲しいって言えばくれたりする?」

 「あいにくと、私は一介の市長にしか過ぎないのでな。さすがにロケットランチャーや機関銃を手配することまでは無理だ。司法の目をすり抜けるにも限度があるのでね。ただし代わりと言ってはなんだが、アサルトライフルやダイナマイトの幾つかならば今すぐにでも提供すことはできる。それでいいかね?」

 「うわぁ、マジ? 冗談で言ったんだけど? まさか本気でそこまで対応可能とは。まあぶっちゃけ、自分がもらったところで使えやしないんだけど。可憐ちゃんどうする? せっかくだし一丁ぐらいもらっておく? 日本じゃ手に入らないよ、こんなの」

 「いりません。もうふざけるのも大概にしてください」

 もはやこれ以上、語ることもない。男の戯言を清江は一刀両断に叩き切る。
 そもそも、銃火器の扱いなど清江だって知るはずもない。男は清江のことをなんだと思っているのだろうか?
 もしかすれば、なんでもこなせる万能助手とでも思っているのかもしれなかった。その仮定はやけに現実味を帯びて感じられ、清江はあるはずのない頭痛を錯覚する。

 「んー、残念。アサルトライフルをぶっ放す大和撫子ってのも、絵的にいいところ行ってると思うんだけど。まあいいや。んじゃ市長さん、とりあえず今日の泊る場所の手配してくんない? どうせだし一番良いところで」

 「すでに手配済みだ、安心したまえ。君の要望通り、この町で一番いいホテルのVIPルームを用意してある。案内を呼ぼう」

 市長が内線を使い、いずこかへとコールする。英語で手早くやり取りが行われ、待つこと数分。
 がちゃりと扉が開かれ、部屋に新たな人間が入ってきた。その人間は黒い肌をした黒色人種の女性であり、スーツを姿勢よくきっちりと着こなしていた。
 眼鏡をかけたその姿は、さしずめ仕事のできるエリートレディっといったイメージか。一目してそんな印象を、清江は見て取った。
 女性は軽く頭を下げて名乗った。

 「カミラ・オルホフです。皆さんのエスコートを、行わせていただきます」

 「私の腹心の部下の一人だ。そちら側の事情についても通じている。私へのアクセスにも彼女を通してくれればいい」

 「いたれりつくせり、と。じゃこの資料もらってってオーケー?」

 「ああ、有効利用してくれ。必要がなくなればそのまま破棄してくれて構わん。情報に関する対処はすでに行っている。仮に流出したところでスキャンダルにもならん」

 「ラジャー、んじゃバイバイ。部下さん、案内ヨロシクねー」

 「分かりました。では、こちらへどうぞ」

 卓の上の紙を数枚チョイスして、男はソファーから立ち市長に背を向ける。清江も市長に一礼してから、それに追随した。
 男は振り返りもせずに市長室を出て行く。扉が閉められた後、部屋の中には市長だけが残された。
 一人残った市長は、卓の上に残された資料をまとめて拾うと、それを自身のデスクの上に置いてあるダストボックスの中に放り込む。
 そしてその背広の内ポケットから葉巻を一本取り出し、マッチで火を着けた。着火したマッチはそのまま、火を消すこともなくダストボックスの中に捨てる。

 スゥと、一息吸い込む。そして吸い込んだのと同じ量の空気をゆっくりと吐き出しながら、葉巻の味を感じる。
 ダストボックスの中では、資料がゆっくりと、ただの灰へと変わっていっていた。
 市長は葉巻の煙を漂わせながら、一人独白する。

 「Let's have showing, Genealogy Destroyer. That your power...」

 そうして、しばらくの一服の後。
 市長は自身の義務を果たすために、その精力的な活動を再開し始めたのであった。




 カミラの運転するベンツに揺られながら異国の町並みを通り抜け、そして清江と男は目的地であるホテルへと到着していた。
 案内され通された部屋は、市長の言った通りのVIPルーム。一つの階層が丸々使われた、これまで清江が見たこともないような豪華絢爛な部屋であった。
 部屋には浴室どころか、プールさえも備え付けられてある。パーティーが開けそうな広さの、天井から煌びやかなシャンデリラが吊るされた居間がエレベータを降りてすぐ目に入る構造だった。
 十二分にその高級感を味わえる、リッチな部屋であった。その雰囲気は清江には馴染めそうなものではなかった。

 「こりゃスゴいなぁ、映画でしか見たことのないような部屋だわ。ソファーの感触とか、ウチにある奴なんかとは段違いだし。このいかにも成金、って気がする感じがいいねぇ」

 ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、言葉だけは感嘆した風にして男がソファーに身を沈める。
 声色も態度も変えぬその姿は、ただ馬鹿にしているような雰囲気だけを感じさせる下劣なものだった。
 部屋の入口であるエレベータの近くに佇んだまま、カミラは尋ねた。

 「それで、これからの予定はどうするのでしょうか?」

 「んー? なに? 気になんの? 報告義務かなんか?」

 「はい。市長への報告のためです。今後の貴方がたの動向について、どうするものか教えてください」

 「さよか。ま、いいや」

 男はだらけた態度でソファーに腰掛けたまま、適当に折り込んでポケットに突っ込んでいた資料を取り出し、それを卓の上にバラバラと放る。
 ぐしゃぐしゃな状態となった資料が広げられて、その書かれている内容が露わにされる。
 清江はそれを横から覗きこむ。その資料は、予測される死徒の潜伏地域、建物についてなどが記述されたものであった。
 資料を指しながら男は言う。

 「せっかくご丁寧に下調べしてくれていたみたいだし、適当にそこらへん行ってみるよ。夜に。それまでは待機。ま、好きに時間を潰すってことだね。観光するのもメンドいし。可憐ちゃんも何かしたいんなら、好きに出歩けば? ああ、その時は吸血鬼に気を付けてチョーダイ。たぶん確実に襲われるからさ、シチュエーション的に」

 「意味がわかりません。なんなんですか、その理由は。そう言われて、どこかに出かけようと思う訳ないでしょう。それに元々出歩く用事もないんです、私も大人しく夜が来るまで待たせてもらいます」

 「あっそう。んじゃま、そういうことで。秘書さんオーケー? 理解した?」

 「はい、わかりました。それでは、失礼いたします。連絡には、先程渡した番号にまで、お願いします」

 「はいはい了解。んじゃ、ばいばーい」

 カミラは一礼し、エレベータに乗って去っていた。
 男はソファーに体を横たえて、行儀悪くそのまま寝る態勢へと移る。夜まで眠るつもりなのだろう。
 清江は男のそれに、倣うつもりはなかった。男の行動は、すべからく怠惰と戯れのそれである。真剣な、あるいは確固とした行動の芯がないのだ。倣おうとする気が起こるはずもない。

 窓際の方の、陽光の差す位置へと清江は移動し、スッと手足を動かす。軽やかな動き。風にそよぐ木の葉のような、そんな舞のように魅せられる動作。
 手を振るい、その袖から四本の寸鉄が飛び出し、指の合間に挟まれる。両手合わせ、その数八。同じ所作を繰り返しさらに倍の倍の数を取り出し、袖から現れた寸鉄の合計は四十。
 清江は持ち運んでいた鞄から和紙と瓶を取り出し、和紙を床に敷いてその上に寸鉄を並べていく。そしてさらに瓶の蓋を開け、中身を一つまみ分取り出す。
 瓶の中身野の正体は、塩である。
 清江はつまみ取った塩を、パラパラと軽く寸鉄の振り撒き、陽光に当てた状態へと置く。

 それは一種の禊であった。清江の家伝に伝わる退魔の業。その源流にある神道の術式が汲み取られ、利用されたものである。すでに幾つもの人の手が加えられ、真正の神道という魔術体系とは逸した形に変じてはいたが。その代わりに彼女の家は、彼女自身の位階には本来不相応な内容である、実用性に長けた高度な魔術を使うことが叶っていた。
 魔に対抗するための力を求め変じた、いわば、魔術使いとして歴史を重ねた家。それが清江の生家の実態だったのだ。
 もっとも、すでにその家は正当な継承者諸共、潰えていたのであったが。

 簡易的な儀式を執り行い、清江はするべきこともなくす。後はしばしの時が流れるのを待つだけであった。
 さてはて、この空いてしまった時間。いったいどうするべきか。清江はその美麗の頬に片手を当てて、考える。
 夜には吸血鬼退治である。万全を期すというのならば、水垢離でも行い自身の穢れを払っておくことも、魔術的・精神的な両観点から見ても望ましかった。
 清江は巫女ではない。が、脈々と伝えられてきた儀式様式というものは、形を真似るだけでも幾らかの加護を得られるものなのだ。八百万信仰という土壌も、それを促す効果を持っている。
 しかし、いくら望ましいとは言えど、する訳にはいかない状況というものもある。

 ちらりと清江が、あらぬ方向へと視線を動かす。
 視線をやった方向には、相変わらず高級そうなソファーの上でだらしなのない様子のまま、ドブ川に浮かぶ魚の目をした男が寝転がっていた。
 することもなく眠気もなく、ただ怠惰だから動かず寝ているという、その姿。この男が劣情に流されるという様子を清江は想像出来なかったが、しかしだからと言って安心できるはずもない。

 すぐ傍に男がいる中で肌を清められるほど、彼女は無防備でもはしたなくもなかった。
 というよりも、乙女としてそれは断じて認めるわけにはいかない。
 肌を異性に晒していいのは、例え愛し合っていたとしても、祝言を挙げた殿方だけ。婚前交渉などもってのほか。それが彼女の正義《ジャスティス》。

 清江はそのあたりの意識については、やけに古風なものであった。

 「そういえばさ、可憐ちゃん。どうなのよ調子は?」

 「調子、ですか? いったい何のことです?」

 男はソファーに寝転んだまま、ふとそう口に出して尋ねてきた。
 清江は意図を読めずオウム返しに聞き返す。男は陽光の下に置かれている寸鉄を指し示して、言った。

 「魔術だよ、魔術。出かける前に日本で言ったじゃん。アメリカじゃ神秘が弱まるー、って。だから可憐ちゃんの魔術にもなんか影響が出てるんじゃないかっつう推測。どうなのそこんとこ? 自分の能力使って確認するのはメンドーだし、可憐ちゃんにそこんとこ聞きたいのよ。ま、どうでもいいけどね」

 「面倒も何も、そもそも貴方のような物騒な能力を確認することは無理でしょうに」

 「そう? ま、言われてみればそうかも。別に検証する気もないからいいけど。可憐ちゃん? 特殊能力なんてものは、適度にミステリアスな方がいいんだよ。そっちの方が想像の余地があって楽しいし? まあ、ぶっちゃけ自分が面倒だから調べないだけなんだけどね」

 男の能力は、相手の心臓を刺し貫くことで発動する。
 能力が発動すれば相手は死ぬし、そもそも能力が不発で終わったところで、普通心臓を刺し貫かれれば大抵の人外だって滅ぶ。
 これゆえに確認のしようなぞないし、確認するにもその結果は平穏ならざるものにしかならないことは目に見えていた。
 清江はくるりと軽く舞って、その手応えの内容について反芻しながら言及する。

 「言われてみれば、普段よりも何か鈍いような………しかし、そんな気にするものでもありませんね。特に業が成せないということもないですし………」

 「なるほど。ま、考えてみればそれもそうか。んな入国して即影響出るようなものなら、空港の改札通り抜けるときに武器がセンサーに反応していただろうし。んー、もしそうなっていたとしたら、今頃強面のお兄さんと一緒に冷たい豚箱の中だったかも。よかったね可憐ちゃん? そうならなくて。可憐ちゃんみたいな可愛い子ちゃんがそんな目にあった日にゃ、エロゲー一直線なエロエロで悲惨な目に会ってたに違いないから」

 「知りません。戯言もいい加減にしてくれませんか、怒りますよ?」

 「それは勘弁。ま、政府と契約してる魔術使いがいるって話だし、そうそう即物的な効果が出るようなもんでもないんでしょうな。それに依頼主があの市長さんだし、案外捕まっても即日釈放になってたかもね。楽々とグレーゾーンをのしのし歩き通してそうな人だったし」

 「確かに………あの人の姿には、不思議と確固とした信念のようなものがあると、そう見てて感じられました。単純に武力に優れているという訳ではない、心と力を兼ね備えた優れた人だと、そう思います」

 「スキルにカリスマでも持っているんじゃね? ランクDかEぐらいの。まさしくイイ男ってやつだな。リアルにあんな存在を見るとスゴイもんだね、ホント。あれなら実はうっかり属性持ちでもない限り、まあ死ぬこともないでしょ。見た目とかからして主人公キャラだし、明らかに。それもハリウッド系の。最強のワン・マン・アーミーとか?」

 「映画は映画です。いくら立派な人であるとはいえ、そんな現実に大立ち回りが出来る訳がないじゃないですか。そもそもあの人は戦うことが生業ではないでしょうに」

 清江は男との会話を適当に流しながら、簡易儀式を施した寸鉄に処置を施していく。
 自然と会話も途切れて、場が沈黙し始める。
 両者にそれを気まずく思う心はない。賑やかな場を求めるような人種でも、関係でもないのだ。
 清江は静かに得物の調子を確かめながら夜を待ち、男はだらしなく寝転んだまま時間を潰すだけであった。

 そんな静かな流れるときの中、ごろりとソファーの上で身動ぎし、ふと男はボソリと呟いた。
 その言葉は小さく呟かれ、清江に届くことはなかった。

 「にしても大丈夫かねぇ、あの市長さん。罠に嵌まってるぽかったけど。ま、どうでもいいか。関係ないし」

 そして、男はそのドブ川に浮かぶ魚の目を閉じた。
 所詮傑物であろうとなんだろうと、男にとって価値などそんな程度のものでしかなかった。








 ―――夜が、来る。








 ―――あとがき。

 筆が進まないなぁと思う、今日この頃。
 容量が思った以上に増えたから、一話分増加。
 これを機に後編、解明編、真実編、完結編と、どんどん一エピソードの話が増えていく訳ですよ旦那。HAHAHAHA!
 嘘です御免なさい。次の話で終わります。





[11965] 後編
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2010/09/22 23:32

 日は沈んでいた。
 時計の針はとっくに頂点を回り、真夜中と言うべき時間帯へと突入している。
 それはつまり、時が来たということであった。

 吸血鬼狩りの時間である。

 「さてと。んじゃ可憐ちゃん、準備万端? 実はうっかり武器の仕込みを忘れているとか、そんなことはない?」

 「ありません。こちらの準備はきちんと整っています。貴方の方こそどうなんですか?」

 「自分は持つ必要があるのはナイフだけだし。準備もくそもないよ、そもそも。んー、やっぱ拳銃の一つでも貰っとけばよかったかな、使えやしないけど。やっぱカッコいいじゃん銃って? ビジュアル的にさ」

 「武器は装飾じゃありません。振るわれない剣にいったい何の価値があるんですか、意味のない」

 「すっごいクールな意見、どうもありがとう可憐ちゃん。ロマンに理解がないってのは寂しいね。例えてみて、親に漫画読んでる姿を見られて、いい年していつまでそんなものを読んでいるんだって言われるみたいな悲しさ? 可憐ちゃん。物事を意味のあるなしだけで片付けるのは、かなり人生を損していると思うよ、自分」

 「少なくとも、今は意味のあるなしとかに関係なく、利点があるかないかで語るべき状況でしょう。ロマンなんてものは、一人で戦えるぐらいの実力を付けてから求めてください」

 「ご尤もな正論。そりゃそうだ」

 ホテルの部屋の中で、男と清江は意味のない雑談を交わしながら動き始めていた。
 清江は寸鉄をはじめとした装備一式を身に携え、心を静かに落ち着ける。男は普段通りのだらけた雰囲気のまま、ポリポリと部屋に用意されていたお菓子をつまみながらナイフを持つ。

 資料に書かれていた死徒の予想潜伏地は、おおよそ二つ。単純に一晩に一つ回ると考えても、要する日数は二日。頑張って一晩で回ろうと思えば、文字通り一日でケリが付く話であった。
 これは男の持つ能力の特性ゆえのことだった。
 基本的に他のハンターや退治屋に比べて、男の仕事は速く手軽に済むのである。その上、下手な専門家などよりもよっぽど完璧に、化け物に関わる有象無象たちの始末を付けられるのである。
 吸血鬼退治など、まさに男の能力にとって最高の相性を持った相手であったのだ。
 もっとも当の本人は、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、特に何の感慨も浮かべてはいなかったが。

 エレベータに乗ってVIPルームを退出し、二人は一階へと向かう。
 すでに深夜の時間帯へと入っているため、ロビーの明かりは一段階、明度が落とされたものとなっていた。
 カウンターに立つ従業員に適当な英語を話してルームキーを預け、男は従業員の反応を一切顧みることなくスタスタと歩く。とっくに消灯時間を過ぎているにもかかわらず、外へ出ようとするその日本人の姿を見て、従業員は戸惑うような声を上げた。
 しかし、いまさら非常識な行動の一つや二つを気にするほど、男は柔な性格ではない。背後に付き添う清江がぺこりと申し訳なさそうにお辞儀をして、少しばかりの詫びの姿勢を見せるだけであった。

 外へと出て、男は真夜中のアメリカの町並みを視界に収める。
 夜の街はところどころに文明の光があれども、やはりその大半は暗い闇に呑まれた姿を晒していた。
 少し通りを外れれば、それだけで物騒な闇の世界が覗ける。そうだろうと、そう見る者に予想させた。
 果たしてはそれは、町が発展途上であるゆえからなのか、それとも吸血鬼という闇の住人が巣食っているからなのか。
 なんにせよ、それは男には関係のないこと。

 男は町から発せられる印象など気にもかけず、眉をひそめて顎に手を当てて考え込む。
 そしてしばしの黙考の後、清江とくるりと振り返り言った。

 「んで、どうしようか可憐ちゃん? 現場に向かう方法。タクシーもないみたいだし、足がないことに今気が付いたんだけど。徒歩で行く? まぁぶっちゃけ、何を言おうがそれ以外の選択肢はないんだけど」

 「貴方は………それならもう、初めから聞かないで下さい。聞かないでいるよりも余計に疲れます」

 「コミュニケーションは大事だよ? 意味があるかどうかは知らんけどね」

 戯言を口走りながら、男は大仰に肩をすくめる。
 それに清江は可憐な様子のまま、呆れと諦観の混じった息を一つだけつく。
 夜闇に閉ざされた道へと、男が踏み出し始める。どちらの方向であったか、悩んでいる様子を口から垂れ流しながら。
 それも演技か、あるいはそのまま本当のことで、何も考えてはいないのか。背後から付き添う清江には分からなかったが。

 そも狂人とは、すべからく“常識”という住処から飛び出た者である。
 清江が男を理解できないのは当然のことであったし、それは今後一生も変わらない事柄であった。

 「お待ちください、ミスター」

 ふと、唐突に声が清江たちの背後から投げかけられた。
 清江はそれに即座に反応し、可憐な動作で声元に構える。そしてワンテンポ遅れて、無警戒な仕草のまま男も振り返り、声の主を目に捉えた。
 視線の先、夜の街の道。
 そこにはきっちりとしたスーツに身を包んだ、見覚えのある褐色な肌の女性が立っていた。

 その女性は数時間前に別れた、市長から紹介された部下。
 カミラ・オルオフ。彼女であった。
 正体を認めて警戒を解いた清江が、怪訝そうな表情のまま言葉を漏らす。

 「貴女は、なぜこんな場所に、それに時間も………?」

 「夜に動くと聞きましたので、お待ちしておりました」

 そのカミラの後ろには、二台の黒塗りの車が停められている。
 彼女が事前に手配していたものなのだろう。カミラは一歩横に動いてそれらの存在を指し示し、どうぞと誘った。
 清江は思わず二の足を踏む。
 何が、というわけではなかった。ただ好意を一方的に甘受するという行いに対する羞恥と、そして脳裏をよぎった一片の疑念。それがあったのだ。

 「手回しがいいことで。それじゃ丁度いいことだったし、お言葉に甘えようか可憐ちゃん」

 「ちょっと、待っ………」

 しかし、そんな清江の横を何時も通りの様子のまま、男はあっさりと通り過ぎた。
 相変わらずのマイペース。そして他者への無遠慮な行動。
 清江の心労が軽くなる様子はない。
 そんな、諦観の情を浮かべながら何か言いたげな表情を作る清江に、男はすでに身体を半分車内に入れながら問いかけた。

 「どしたん? 早く乗ろうや可憐ちゃん。」

 「………分かりました」

 「ではこちらへ、どうぞ」

 もう一台の車の扉を開いて促すカミラに従い、ため息をつきながら清江も身を車内に滑り込ませる。
 そして男と同じ車に移動してカミラも乗り込むと、二台の黒い車は動き始めた。





 夜闇に閉じられた街を、黒い車が走り抜けていく。
 清江は流れる風景を窓から眺めながら、車内を観察する。
 元々送迎用のものなのだろう。車内の空間は思ったよりも広く、震動も少ない快適なものであった。
 その豪華さに、わざわざ二台も車を用意する必要もないだろうにと、そう清江は思う。
 一人一台に使うには、随分と太っ腹が過ぎた。それとも価値観、発想のスケールが違うとでも言うべきか。
 理解できそうにない。
 良くて質実剛健、悪くて貧乏性とも言える性格な清江は、そんな率直な感想を連想する。

 揺れる車内の中、清江がふと考えを巡らせるのはやはり、自らの雇用主であるあの男について。
 素性不明、常人を逸脱した行動、そして完全に現実から踏み外したその姿の在り方。
 何が彼をそうさせたのか。どういった来歴があるのか。
 清江はそれを知らない。
 付け加えて言えば、知る気もない。
 好奇心が引かれることはあるが、しかし、それは決して清江にとって重要なことではないからだ。
 清江は男のプライベートを知る気など、欠片もなかった。

 だが、それならば自分はいったい“何”をしたいのであろうか?

 突拍子もなく、ふわりとその疑問が清江の脳裏に浮かぶ。
 自らの意思でわざわざ、正気の境目を迷う男の傍で働く。それはなぜなのか?
 復讐であろうか?
 父の、母の、兄の、仇。そう。


 “自らの家族を全てその手で葬った、あの男に対しての?”


 「ふう………」

 吐息と共に、清江はその反芻を流し消した。
 たわいもない、ただの時間潰しに過ぎない自問自答であった。
 その答えは、とっくに清江の胸の内にあるものだ。
 男の傍に近寄ることも、その下で働いていることも。
 清江はある目的の下に男に仕えており、そして男もそれを理解した上で雇っているのである。

 ふと、不意に清江はあることに気が付いた。
 正面のフロントガラスから見えるその光景に、先行していた男とカミラの乗る車の姿がないことに。
 怪訝そうな表情を浮かべながら周囲を見回すも、車の姿は一向に見当たらなかった。

 はぐれた? 脳裏をよぎる一抹の疑問。
 得体の知れぬ不安が走り、清江の身体に警戒が走る。
 変わる様子なく走り続ける車の中、清江はドライバーへと声をかけた。

 「すいません、Excuse me? Where did The car go?」

 英語でかけられたその問いかけに、しかしドライバーは反応しない。
 無言でハンドルを握ったまま、車を運転し続ける。
 高まる不信と警戒心の中、清江はさらに語調を強くし詰問する。

 「Please! Teach to me! hurry up!」

 すると突然、ぐるりとそのドライバーが顔だけ清江へと振り向いた。
 気圧され顔を退けさせる清江の顔を見て、ドライバーは己が顔を初めて晒す。
 その表情はまるで力の入らぬ様子で弛緩しており、そして双眸からは不吉なほど赤い輝きを発していた。

 「…ッ死者!?」

 がくんと衝撃が走り、身を起しかけた清江の身体が再度座席へと引き戻される。
 急加速した車は、もはや遠慮など無しと言うように荒い運転で道を駆け抜けていく。
 窓から見える風景は人気も活気もない、何処かの倉庫街らしき様子を見せていた。

 清江は舌打ちしながら腕を可憐に振り抜き、袖口から一本の寸鉄を取り出す。
 そしてその寸鉄を素早い動作のまま逆手に持ち、一息の気合いと共にドライバーである死者の首筋へと叩き込んだ。

 「ッふ!」

 ズンと鈍い音が響き、寸鉄が死者の首筋深くまで埋没する。
 死者の身体から力が抜け落ち、速度がそのままでハンドルが捻られたことで、車体が大きく傾く。
 清江は流れるように蹴りを放ち座席の窓を粉砕し、跳ねるように車内から脱出を果たす。

 くるりと可憐に一回転しながら、着地する清江。その背後で派手に横転し、ガソリンに引火したのか爆発炎上する車。
 動悸する身体を落ち着かせながら、清江は辺りの様子を窺う。
 いったい、ここは“どこ”なのであろうか?
 住宅街ではなく、ビジネス街にも見えない。人気の見えない寂れた建物ばかりが覗く中の、その一つの大きな廃倉庫の中。そこに清江は炎上する車と一緒にいた。
 当然、位置など分かる筈などもなし。もとより知らぬ土地であるがゆえに、清江にはさっぱり見当が付かなかった。
 少なくとも言えるのは、当初の予定で向かう筈であった場所とは大きく異なる、ということだけであった。

 ふと、倉庫の入り口に、ゆらりと一人の人影が現れる。
 その姿に改めて四肢を緊張させながら、清江は人影へと向けて強い視線を向ける。
 身体を舞わせ、手に取り出すは自らの得物である薙刀。
 構えながら警戒する清江の前に、次々とゆらりゆらり人影は数を増やしていく。

 倉庫の入口から姿を現した人影の数は、合わせて六人。
 その双眸からはいずれも禍々しき赤い輝きを放ち、そして顔には生気が宿っていなかった。
 間違いなく死者。清江は違うことなくそれを見抜く。

 「これは、いったい……ッ」

 明らかに、“待ち構えられていた”。

 否。

 「これは、罠? まさか、事前に張られていた?」

 そのような状況を見て、清江は疑念と焦燥に駆られていた。
 なぜか? 思索を深め、原因を露わにしようと必死に記憶を掘り返す。

 そして、清江はようやく思い至った。

 そもそも、自分をこの場所まで運んできた車。そのドライバーが死者であったこと。
 これはまあいい。吸血鬼の張った罠。その吸血鬼の手駒である死者が、多数の死者を伏せている罠の場所まで敵を誘導してくる。これは理に叶っている。
 問題は二つ。
 一つは、“その車を手配した者は誰であったか”。
 そして、致命的なもう一つの問題。


 “今、その手配した人間は誰と一緒であるか?”


 「不味いッ……」

 事態を把握し、清江は唇の端を噛む。
 そして何か行動を起こす前に、死者たちは彼女へと襲いかかった。




 走行している黒い車の中、その後部座席に二人の人間がいた。
 一人は、ドブ川に浮かぶ魚の目をした男。もう一人は、きっちりとした様子でスーツを着た黒人の女性。
 “系譜殺し”と呼ばれた男と、市長の部下であるカミラ、その二人であった。
 互いに互いが沈黙したまま、車内は重い静寂に満ちたまま時間を過ごしている。

 「もうそろそろ、到着します」

 「ん? ああ、そっか。ようやくか」

 呆けたように外の光景を眺めていた男が、カミラの声にのそのそと動き始める。
 男の様子はやはり何時もと変わらず、その行動一つ一つに怠惰が滲む在り様。
 普通ならば眉の一つでも顰めそうなものだが、カミラは無表情のままであった。

 「あれ? 後ろの車が見えないね」

 背後を見やり、今気が付いたかのように男は言った。
 何時から消えていたのかは知らないが、追走していた清江の乗る車が姿を消していた。
 カミラがご心配なく、と言葉を綴る。

 「別の道を辿る予定です。彼女とは、現地で落ち合えます」

 「いや、嘘でしょそれ?」

 さらりと、男は言った。

 空気が凍る。沈黙が生まれ、男を見つめるカミラの視線が僅かに細まる。
 雰囲気が、まるで粘性を帯びたかのように変質した。

 「嘘、とは?」

 一拍の間を置いて発せられる、カミラの言葉。
 変質した雰囲気を意に介することもなく、男はその言葉にあっけらかんと答えた。


 「だって、そっちの正体って吸血鬼側の人間でしょ? ならせっかく分断させた敵を、わざわざまた合流させる筈ないじゃん」


 カミラの瞳が、驚きに開かれる。
 今まで変わらなかったその表情が初めて塗り替えられる様子を見て、へえと男が物珍しげな声を上げた。
 動揺が浮かんだのも、ほんの僅かの間。
 カミラはその表情を大きく一変させ、口を開く。
 さらけ出されたその顔には、妖しい笑みが浮かんでいた。

 「フフ……驚きました。何時から気付いていたのですか?」

 「疑ってたのはホテルの時から。んで、確信したのはさっき会った時。というか普通に怪し過ぎるでしょ? あんな時間に待ち構えられていたらさ。誰だって疑うと思うけどねぇ、シチュエーション的に」

 「ホテルの時から、ですか? なぜ? 私が何か、間違いをしていましたか?」

 心当たりがない風に、カミラが首を傾げながら尋ねる。
 隠す気もないのか、男はドブ川に浮かぶ魚の目を向けたままペラペラと語った。

 「依頼受けた時に、市長さんがこう言ってたのよ。事前報告も経過報告も一切いらん………ってね。けど部下さん、そっちホテルでわざわざ自分たちの今後の予定聞いてきた時にさ、理由を市長に報告するためって言ってたじゃん。矛盾でしょ、これ? 仮に黙って監視を付けるにしても、ああいう台詞を言ったすぐ後に、こんな馬鹿正直な手を使う訳もないだろうし。だとしたら、この部下さんの行動は独断ってことになる。んでそうだと考えると、部下さんがわざわざ独断で行動する理由について思い付いたのは二つ。一つが上司想いゆえの独断専行で、もう一つが実は敵側のスパイで情報収集。だけど、市長さんが直々に腹心の部下の一人って言ってるぐらいなんだから、そんな人が独断専行なんていう教育の行き届いてない行動をするのは不自然だし。という訳で、消去法に残った答えは一つだけになると。これでオーケー?」

 「乱暴な理屈ではないのですか? 情報の出所が少なく、論理の飛躍が多い気がしますが?」

 「合ってるなら問題ないでしょ。それに、ぶっちゃけ別に合ってようがなかろうが、どうでもいいし」

 カミラが、理解しがたいといった風に首を振る。
 それは男の非論理的な行動に対するものであった。

 「分かりません。なぜ貴方はそこまで分かっていながら、車に乗ったのですか? それとも、あらかじめ何か対処法を持っていると?」

 「いんや、別に。特に何も」

 男は一切の気負いも緊張もなく、そう告げる。
 その言葉は、はたして嘘か真か。
 ため息をひとつ洩らし、カミラはその手を伸ばしふわりと男の左手を取った。
 女性特有の柔らかさを持った手が男の手と触れ合い、その細い指が絡められる。

 そしてそのまま指に力を込められ、ボキリと男の指の骨がへし折られた。

 「痛ッ! あ、つ、つ、つッ」

 「隠し事は、お互いの利益とはなりませんよ? 一流のハンターのようですが、少し理解が足りないようですね、ミスター?」

 そっと男の手を両手で包み込みながら、口元まで持ち上げるカミラ。
 そしてへし折った指に舌を伸ばして舐め上げると、パクリと咥え込んだ。口中で激しく指に舌を絡めて、ぐりゅぐりゅと翻弄する。
 折られた指に触れられる度に、男の苦痛の声が打楽器のように響いた。

 数分の間続く、粘膜に包まれた激しき濃密な時間。

 やがて、車が目的地へと到着し停止した。
 カミラは車が停止すると同時に、ちゅぷりと、咥え込んでいた指を解放する。
 ぷっくりとした涎に濡れた唇を指でなぞりながら、妖しい笑みを浮かべて男を見つめる。
 それをドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、男は見つめ返す。痛みに脂汗を滲ませながらも、その表情は先と変わらぬままで。
 カミラの表情が冷める。
 ベキリと、また一本の指が折られた。

 「ッ……!」

 「到着しました。降りてくださいミスター。乱暴な先導が好みでしたら、そのままで構いませんが」

 先に扉を開いて外へと出ながら、カミラが無慈悲に告げる。
 折れた二本の指の痛みを堪えながら、それは勘弁と男が言う。

 「つつつ………エスコートなら何にしても、相手は美女にしてもらいたいね。それなら乱暴でもなんでも、とりあえず嬉しいし」

 「残念ですが、貴方の相手は男性です」

 っぬと、太い腕が車内へと入り込み男の襟元を掴んだ。
 ぐるんと一転する視界。
 強引に引きずり出され、そのまま勢いのままにアスファルトへ放り捨てられる男。
 億劫そうに身を起こし男が周囲を見渡すと、そこは浮浪者でも居着いてそうな寂れた路地裏であった。ゴミが散乱し排水らしき濁った水溜りがある、映画などで有り触れた光景な場所である
 そして見当たるは、怪しい複数の人間の姿。
 妖しく微笑んだまま男を見下ろすカミラと、先程男を車内から引きずり出した、体格の良い刺青を彫った巨漢。それ以外にも複数、案山子のように並び立つ計七人の人影たち。
 その表情、雰囲気。それは間違いなく死者。
 薄汚い路地の中、男は完全に包囲されていたのだった。

 どろりと、男の顔を血が伝う。
 それは、投げ出された時に出来た傷からの出血であった。

 「んー………死んだかな、こりゃ」

 何時もと変わらぬマイペースな声色のまま、男は言う。
 そのドブ川に浮かんだ魚の目も変わらず、目前に確実な死が迫っているにもかかわらず、取り乱すような仕草が一切見えない。
 傍目からは、それは余裕にしか見えなかった。
 不可解そうにカミラが眉を寄せ、不機嫌さを増した声色で詰問する。

 「随分余裕がありますね。何か打つ手が残されているのですか? 武器でもお持ちで? 強いマジックを持っているのですか?」

 「マジック? ああ、魔術ね。いや、自分はあいにく魔術師じゃないし。魔術なんて使えないよ。武器ならあるけど」

 男は折れてない方の手である右手を使い、懐からあるものを取り出す。
 構えられたものは、何の装飾もないシンプルなナイフであった。その刃渡りは10cmもない。
 この状況においては、それはあまりにも頼りない武器であった。

 「それが、貴方の最後の手段だと? そのナイフが? 正気ですかミスター?」

 「正気かと言われてもねー………どう答えたらいいと思う?」

 「訂正します。貴方は一流のハンターではなく、ただのクレイジーのようだ」

 「あらら? 呆気ない」

 無言のまま、首の動きだけでカミラが指示を出す。棒立ちであった死者たちが男へと向けて動き始めた。
 男は右手に構えたナイフを握り直し、適当に迫る死者たちの中から、自分に最も近い位置にいる一人に目を付ける。
 気負いもなく、覚悟もなく。
 とんと男は踏み込むと、まっすぐにナイフを突き出し、身体ごとその死者へとぶつかりに行った。

 ずぶりと、ナイフの刀身が全て死者の身体の中へと沈む。
 人一人分の重量がそのまま後押しとなり、完全に死者の中心を刺し貫いていた。

 ………が、それだけ。

 「げふッ」

 顔面に拳が入り、男の身体が大きく後ろへ殴り飛ばされた。
 倒れたその身体を別の死者が掴んで持ち上げ、壁際に叩きつけて抑え込む。
 半ば宙に浮いた状態で拘束されたまま男が観察してみると、ナイフを突き刺した死者はその胸に刺されたナイフを生やしたまま、さして変わりない様子であった。

 「また心臓外しちまったかー………面倒だなぁ、ホントに」

 男の持つ能力は、強力である。
 一度発動しようものならば、相手の強弱なぞ問わずことごとく葬るだけの致死性を誇る。
 しかし、その発動条件はあくまでも、相手の心臓を刺し貫くこと。
 心臓を刺し貫かなければ、その効力の片鱗すら全く発揮することはない。
 呆れと疑いを混ぜて、カミラが言う。

 「こんなナイフでアンデッドたちを止めることなど出来ないと、知っているのでは? 本当に貴方は Genealogy Destroyer と呼ばれていたハンターなのですか?」

 「ジェネ? なにそれ? 固有名詞だったりする?」

 男を抑えつけている腕の力が、どんどん強まり圧迫していく。
 やがてぱきゅと音が鳴って、押し潰されるように男の腕の骨が一つ破砕された。
 そして息つく暇もなく、さらに別の死者が無造作な蹴りを脇腹へ放ち、食い込ませる。
 肋骨が砕け、口から血を吐いた。

 「不可解ですが、いいでしょう。すでに私たちの勝ちは決まっています。ミスター、貴方はそのまま死んでください」

 「ごほ、………その前に一つ質問するんだけど、部下さんって何? 昼日光に当たってたってことは吸血鬼じゃないし、見たところ死者でもないみたいじゃん。まぁ、別に答えなくてもどっちでもいいんだけどね」

 「私は人間ですよ。ヴァンパイアと取り引きをしたのです。情報を流出させ助勢する代わりに、私も同じヴァンパイアの仲間へと招き入れてもらうという契約を結びました。不老不死は、全ての人類の持つ夢でしょう?」

 「なるほど、納得」

 フフフとカミラが声を洩らしながら言う台詞に、男は相槌を打つ。
 明かされてみれば、単純な真相であった。
 不老不死。古今東西にて追い求める者に限りのない、有り触れたお宝のシンボルの一つである。

 そっと、カミラの片手が持ち上がった。見下し冷めきった視線を男へ向けたまま、その手が振られる。
 同時、全ての死者が男の下へと殺到。

 男はその自分へと迫る死に至る暴力の波を、ただドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま見ていた。




 中央市役所の中の一室、市長室。
 そこに恰幅の良い、スーツ姿の中年白人男性が机に腰掛けて書類を捌いていた。
 “系譜殺し”へと依頼をよこした、この町の市長である。

 「………Wom?」

 ふと、市長はチェックしていた書類の内容から面を上げた。
 訝しげな声を上げて、静かに意識を耳に集中させる。その顔は鋭く、厳めしいものとなっていた。
 不審な音は、何も聞こえてはこなかった。夜の冷えた静寂だけがそこにはあり、怪しげなヒトコマなど混じっていない。
 しかし、市長はそこに何かを見出したようであった。

 「Who? Hurry come out here!」

 確信に満ちた態度のまま、虚空に向けて市長が命じる。
 すると、まるで虚空から滲み出るように、市長の目の前に闇から一人の人間が現れた。
 その人間は奇妙な笑い声を上げながら、身体の前でパチパチと拍手している。

 「Hhw-Hhw-Hhw! It is terrible! wonderful! Why did you discover? Hhw-Hhw-Hhw!」

 「The monster smells. Especially, it that rots in the soil is special. Are you understand? Vampire」

 「Hhw-Hhw-Hhw, OK. Mayor isn't human but like the dog! Hhw-Hhw-Hhw!!」

 そう言って、甲高い嘲笑を市長室の中に響かせる人間―――吸血鬼。
 今この町を脅かし、そして巣食っている災厄の元凶が、市長の前に存在していた。
 しかし、その化け物を前にしながら市長は何ら怯む様子を見せず、屹然とした眼差しを向けていた。
 吸血鬼が口笛を吹き、市長へと告げる。

 「Was the hunter employed? Do you kill me? Why No!! Hhw-Hhw-Hhw!! You have a good secretary. Un...Camera? non, Carly? non non non...oh, Camilla! Yeah! Yeah! Camilla! She is very good secretary! Why? Therefore, She's wise! She taught everything to me in exchange for She is changed into the vampire. About you, and about hunter! By now, they were caught in for I set a trap. They were already dead! Hhw-Hhw-Hhw!」

 「Oh, I see. Camilla, she was a traitor...I'm disappointed. She gave way merely a temptation of vampire」

 「Hhw-Hhw-Hhw! A foolish mayor must die here! and, it cries in the hell!!」

 吸血鬼が大仰にパフォーマンスしながら、ゆっくりと市長へと近付いていく。
 死徒に抗う手など、ただの一般人にあろう筈がなかった。ましてや今市長は仕事中であり、武装などしている筈もない。
 だが、そうであるのにもかかわらず、市長は泰然とした構えを依然として崩す様子がなかった。

 市長が机の引き出しに手をかけて、中へ手を突っ込む。
 それを見て吸血鬼は、さらに市長を見下し嗤った。大方護身用の拳銃の一つでも入っているのだろうと、見当を付けたのだ。
 当然、たかがそんなもので吸血鬼をどうこうすることなど出来やしない。拳銃は使えば頭に穴をあけられるだろうが、頭を吹き飛ばすことはできないのだ。
 明け透けな余裕を顕示したまま、吸血鬼は市長のその動きを見逃す。
 銃は殺傷力は高くても、破壊力はそれほど優れたものでない。ゆえに吸血鬼には効力が薄いのだ。

 しかし、その吸血鬼の予想は非常に予想外な方向に覆された。
 市長が机の引き出しから取り出したものは、確かに吸血鬼の予想した通り“護身用の銃”であった。
 が、精々三十二口径以下の拳銃程度を予想していた吸血鬼のそれとは、現れた銃は大きく姿が異なっていた。
 吸血鬼の眼前に晒される、市長の持つ巨大な銃火器の正体。

 その名を、ベネリM4。
 ベネリ社が開発した、軍用向け次世代散弾銃であった。

 「What's!?」

 「Go back hell, vampire」

 驚愕する吸血鬼の眼前で、容赦なく市長は引き金を引いた。
 銃声が響く。油断していた吸血鬼の身体に、至近距離から大量の鉛玉が食い込んだ。
 例え、銃弾を見てから回避することが出来る吸血鬼といえど、至近距離から放たれた散弾までも避けることはできない。狭い室内にいたことが災いしたのだ。

 「Eeeeeeeeek!!!!!」

 悲鳴を上げて後退した吸血鬼に対し、なおも続けて市長が仕様は引き金を引く。
 二発、三発、四発と、一般人ならばミンチになるだけの銃撃が降り注がれる。
 やがて、六発目の銃撃が終わるとカチンとした音が響いた。

 「Gwooooooo!! Son of a bitch! Kill you!!」

 血走しり紅に染まった眼を全開にさせて、吸血鬼が咆哮を上げる。
 その身体はあれだけの銃撃を受けたにもかかわらず、未だ原型を保ち動いていた。
 死徒の持つ再生能力、復元呪詛。それによって随時、傷を受けると同時に回復していたのである。
 今もなお現在進行形で、その身体に穿たれた銃撃の痕跡は修復されていた。

 しかし、吸血鬼はそこでさらなる斜め上の現実を目撃する。
 何時の間にやら部屋の壁際にまで下がっていた市長が、残弾を撃ち尽くしたベネリM4を捨て去り、壁のある一点に平手を叩きつける。
 瞬間、その壁一面がスライドし、多くの銃火器が貯蔵されている隠し部屋が露わとなった。
 何重にも存在するラックに、まるで武器庫のように大量の銃火器が吊り下げられている。

 「No!? what's!? What are you doing!?」

 「My subordinate is excellent, but thanks to it, I can't dabble directly in dangerous matter...」

 隠し部屋から片手にショットガン、もう片手にアサルトライフルを取り出し、銃口を吸血鬼へと向ける。
 心底楽しげな表情をしながら、市長は言った。

 「Are you ready? Let's party time!」

 弾けるマズルフラッシュ。
 容赦加減のなき鉄の雨が、哀れな吸血鬼へと降り注いだ。

 「Gyeeeeeeeeeeeevwiiiiiiiiii!!!!!!」

 吸血鬼の絶叫が、それよりも強く響く銃声に掻き消される。
 文字通りの意味で血肉が削られてゆき、死に物狂いで吸血鬼は地を這った。

 いくらダメージは復元呪詛によって回復するといっても、それは絶対の命を保証するものではない。
 吸血鬼に対して、通常の銃火器による攻撃は非効率的である。これは周知の定説だった。どれだけダメージを与えても、復元呪詛によって容易く回復するからだ。
 だがしかし、これはあくまでも非効率的だけだということであり、吸血鬼に対して全くダメージがないわけではない。
 復元呪詛という明確な“働き”がある以上、そこにはエネルギーの消費というものが多かれ少なかれ発生しているのだ。そして吸血鬼が不完全な永久機関しか持たぬ以上、この復元呪詛による過度のエネルギーの消費は吸血鬼の死を意味するのである。

 つまり、逐次採算を度外視した攻勢をかけることさえ出来れば、現代兵装によっても吸血鬼は滅ぼせるのだ。
 問題は、とてもではないがそこまでの火力を、個人どころから複数人がかりでもそう発生、集中出来るものではない、ということである。

 が、ここにその問題を解決し、ただ一人で吸血鬼を圧倒する非常識な人間がいた。

 驚異的な筋力によって片手で保持されたアサルトライフルが火を噴き、的確に吸血鬼を穴だらけにする。
 そして弾が切れると同時にアサルトライフルを投げ捨てて、間断尽かせずに後ろのラックから新たに取り出したアサルトライフルを構え、銃撃する。
 銃を取り替える隙を狙って吸血鬼が駆けようとするが、その瞬間にはもう片方の手に保持しているショットガンを撃ち放ち、動きを封じる。

 市長室という狭い空間の中。豊富に取り揃えられた弾薬。そして吸血鬼の機先を捉える市長の観察眼。
 これら全ての要素が合わさり、此処に人間による化け物の屠殺場という例外が完成していた。

 「Ahhhhhhhhhh!!! Eeeeeeeeeeeee!!!!!!!!!!」

 数分の間に渡り、絶えず衰えぬ攻勢にさらされながら、しかし吸血鬼はしぶとく生き残っていた。再生が追い付かず血肉が飛び散っていても、なお絶叫するだけの元気が残っている。
 それに市長は思わず、感嘆の声を洩らす。
 それが一分の隙であったのだろうか。

 ドンッと急に吸血鬼が踏み込んだ。
 機先を制そうとした市長だが、引き金を引いたショットガンが中途半端な音を立てて止まる。
 ここに来ての弾詰まり。
 舌打ちする市長の前、吸血鬼は窓ガラスを突き破り宙へと逃走。夜の闇の中へと飛び出していく。
 市長はショットガンとアサルトライフルを捨て、スナイパーライフルを持ち出し窓際へ駆け寄る。
 構えてスコープを覗きこめば、一目散にビルの上を飛び跳ねながら逃げる吸血鬼の姿が写った。狙撃されることまで頭に入っていないのであろう。直線的な逃亡であった。
 頭を砕こうと狙いを付け、引き金を絞る。

 だが、市長が引き金を引くことはなかった。
 スコープの中に捉えた吸血鬼。それが市長の目の前で、急に灰に変じたからだ。

 「What?」

 スナイパーライフルを下し、市長は疑問符を浮かべる。
 その時間はほんの数秒ほどで、すぐに彼は答えに思い当った。

 「Genealogy Destroyer...the work of his」

 納得し、市長はならばと後ろに振り返る。
 散々銃痕が穿たれたこの室内、そして割られた窓や壊れた備品類一式。
 さしあたって自分がやらなければならないこと、つまりこの目の前の惨状を片付けることに意識を向けて、市長はため息をつきながら頭に手を当てた。

 「...goddam!」




 夜の街中を、清江は一人疾走していた。
 可憐ながら無駄のない、それだけで見る者を魅させる走り。
 魔術による強化を用いたその走行は、清江に軽自動車の低速に匹敵する移動速度を与えていた。

 清江は決して弱くはない。が、一流の術者でもなかった。
 複数の死者に取り囲まれて、その囲いを即座に打ち破るほど優れた実力はない。
 ゆえに、彼女は罠と分かり、急がねばならない事態だと悟ってはいても、すぐにその場を切り抜けることが出来なかった。
 薙刀を振るい、寸鉄を打ち、死者たちの手足を断ち。
 そうして奮闘の末に追撃を防ぐ準備が出来てから、ようやくその場を後にすることが出来たのだ。

 間に合うのか? 清江はその胸中に絶望的な予感を持ちながら、反芻する。
 大雑把な見当を付けてから走り、何とか一旦見覚えのある場所まで戻り、そこでシティマップを確認し向かう筈であった目的地へと急ぐ。
 大幅なタイムロスであった。加えて、それでも男のいる位置に確証がないという始末。
 あまりにも無様。自らの未熟をこれ程痛感した日もなかっただろう。

 汗がその白絹のような肌の上を流れ、荒れた呼気が空気を震わす。
 強化の魔術を使い始めて、もう三十分を楽に越えていた。これだけの時間強化を維持するのは、清江にとって初めてであった。
 しかし、それももう限界だった。
 清江の魔術は、身振り手振りなどの動作を一定の型に嵌めて行う、“舞”によってコントロールされる。
 ゆえに常日頃からその所作は繰り返されており、幼少から繰り返されてきたそれによって、今では無意識でも型通りの動きを身体は行うようになっている。
 だが今は、蓄積された疲労がその型を崩そうとしていた。
 コンディションの崩れは魔術の発動だけでなく、制御の失敗すら招く。そして制御の失敗は、死に直結する問題。

 清江はその足を止める必要があったのだ。けれども、足を止める訳にもいかない。
 ジレンマであった。
 しかし幸運なことに、清江は程なくしてそのジレンマから解放されることとなる。

 静まり返った通りを駆け抜けること、数分。
 疲労で限界が迫っていた清江の、その目の前の角から、見覚えのある人影が姿を現した。
 えっちらおっちらな様子で歩いているその人間の、さながらドブ川に浮かぶ魚の目としか形容の出来ないその双眸。
 間違いなく、清江が急ぎ馳せ参じようとしていた男であった。
 男も気付いたのか、その目を近付いてくる清江へと向ける。

 「無事、だったのですか?」

 「骨が何個もぼきぼきに折れてるのが無事なら、まあ無事なんじゃない? あー、痛たた………可憐ちゃん、なんか回復魔法プリーズ」

 「そんな便利な業などありません。それに、命があるのです。男でしょう? 我慢してください」

 「男女差別はんたーい。もっと平等に生きようや可憐ちゃん? 時代はインターナショナル、男も女もない関係ないって」

 「差別などではありません、各々に与えられた役割というものです。屁理屈を言って誤魔化さないでください」

 「痛いほどクールだねぇ、ホント可憐ちゃんは。もうちょっとサービスしてくんない? ほら、部下さんみたいに。動物的にペロペロと傷口舐めて治療するとか」

 「怒りますよ?」

 何時も通りの応酬をしながら、安堵と呆れの混ざったため息を清江は漏らす。
 本人の申告通り、男の身体には多くの負傷があったが、しかし火急に命が危ないというものはないようであった。
 しかし、清江はどうにも納得がいかなかった。
 自身と同じく、男もまた罠にかかっていた筈である。風評を聞き知っていて張っていたのならば、自分よりもより規模の大きい罠にである。
 にもかかわらず、なぜ男がこうも無事、否。命があって済んでいるのだろうか?

 正直に言って、罠にかかったと判明したと同時に、清江はほぼ八割方、男の死を覚悟していた。
 これは男の能力だとか力だとか、そういったレベルの話ではない。
 清江の目の前にいる彼は、何よりも根本的に、自他の“命への執着”が欠けているのだ。
 確かに殴られれば、反撃するだろう。溺れかけたら、泳ごうとするだろう。
 しかし、それだけなのである。

 男からは、命がどうなろうとも、別にどうでもいい。そういった考えが明け透けているのだ。

 だから確実に死ぬだろうと予測できる状況に陥っても、積極的に予防しようとする行動を起こさない。常にマイペースな生き方を貫く。
 死者の集団に追われながら走ることもせず、罠と分かっている状況であろうとも、むざむざそれにかかる。
 どこまで行っても“本気”ではないのだ。

 そんな男であるがゆえに、清江は彼が“窮地を脱して生き延びる”なんていう状況を想起することが出来なかったのである。
 それだけの生へのハングリーなど、男にはないのだ。
 では、なぜ男は生きているのだろうか?
 考えても答えは出そうになく、清江は疑問をそのまま男へと問い質した。

 「聞きたいのですが、いったいどうやって生き延びたのですか、貴方は?」

 「簡潔な質問だね可憐ちゃん。わびさびがないよ、わびさびが。まぁ、どうでもいいけど。手を貸してくんない?」

 プラプラ片手を揺らしながら求める男に、清江は仕方がないといった表情で頷いて肩を貸した。
 華奢な外見によらず、思いのほか力強い清江の身体へと半身を預けながら、男は言った。

 「にしても、この世界って何なんだろうねぇ………てっきり自分、シンプルにTYPE-MOONだと思っていたんだけど」

 「タイプ、ムーン?」

 独白なのか、問いかけなのか。はっきりとしない男の言葉に、清江が不可解そうに呟く。
 意味は分からない。男はやはり何時も通り解説などせず、そのまま言葉を続ける。

 「もしかして、実は色々混ざってたり? ちょっと聞くけどさ、可憐ちゃん。七つ集めると願いの叶うボールとか、そんな話って聞いたことある? アイテムとか伝説とかでさ」

 「願い、ボール? ………いえ、すみませんが聞いたことがありません。何処かの伝承か何かですか、それは?」

 「いんや、ただのエンターテイメント。そっか、聞いたことないかー。んじゃ、どういうことなんだろう。地球だけ混ざってなくて、宇宙の方が様変わりしてるのかね。だとしたらいるのかな。この宇宙の何処かに、あの星の地上げ屋とか」

 「すみません。貴方が何を言っているのか、全く分かりません」

 「んー、要するに助けられたってことだよ。こう、ご都合主義的に」

 男はイマイチ要領を得ぬまま、清江に答えを教える。
 ドブ川に浮かぶ魚の目を空へと向けて、何時も通りのマイペースのまま。

 「変な服を着て尻尾を生やした、どっかの戦闘民族にさ」








 その後、清江は入院している男に付き添い病院のベッドの上で、終わった依頼についての事後報告を受けた。
 元凶である吸血鬼と、その傀儡であった死者たちは全て掃討を確認。この確認は市長子飼いの“ある部下たち”によって行われたらしく、絶対の保証が約束された。
 また吸血鬼と密通していたカミラだが、夜の内に町を出て逃走していたものの、これもまた“部下たち”によって捕縛したと聞かされた。市長からは適当な処置を行うというメッセージが伝えられ、危険に陥った賠償として追加報酬がプラスされた。
 以後カミラがどうなったか、清江は一切知らない。
 そして男は市長による紹介で最高級の設備待遇を用いた治療を受け、約二週間ほどの入院の末に帰国することとなったのであった。

 「素晴らしい仕事だったよ、ミスター。『系譜殺し』という名に、偽りはなかったということか。またいずれフリークスに関した依頼があるかもしれん。その時に備え、君とは良きビジネスパートナーとなりたいものだ」

 帰国直前。最後に面談した時、市長はそう言って握手をした。
 余談だが、なぜかこの時の面談には市長室ではなく、市役所の中の面会室が使われた。
 聞いた話では市長室は現在改装中らしいのだが、いったい何が起こったのだろうか。
 清江には知る由もない出来事であった。




 日本という国の、一地方一都市一ビルの中の、その一室の中で。
 退廃的な雰囲気を室内に蔓延させながら、主である男はドブ川に浮かぶ魚の目を彷徨わせていた。
 ソファーに寝転び、手の届く位置にある机には冷茶の入れられたコップが置かれている。
 部屋の隅では日課の掃除を行っている清江がおり、時折怠惰な姿勢を崩さない男へと向けて発破を飛ばしていた。
 全くもって変わらない、何時も通りの事務所の一日であった。

 しかし、今日はそこに一つだけ、変化が生じることとなる。

 『只今速報が入りました、緊急のニュースです』

 「あれ?」

 「なんでしょうか?」

 つけっぱなしだったテレビのニュースが、慌ただしくなる。
 二人揃って画面へと目を向ける中、横から紙を貰ったニュースキャスターがその内容を述べた。

 『今日午後未明、突如として南米アマゾン付近の熱帯雨林帯から、巨大な閃光の発生が確認されたとのことです。現地では一部の人々から閃光が発生する前後の時間で、爆弾が炸裂すかのような轟音を聞いた、地震のような揺れなどを感じたなどという報告なども未確認ながら寄せられており、軍の部隊が秘密裏の行動をしているのではないかというデマなどが飛び交っている模様です。またアマチュアの天文観測家の方たちから、閃光の発生が確認されたのとほぼ同時刻に、アメリカの人工衛星が原因不明の故障を起こしているという意見なども出されており、事態究明には並々ならざる困難が予想されそうです。なお、現地ブラジル政府ではこれらデマや………』

 「きな臭い内容のニュースですね………大丈夫でしょうか」

 眉を寄せて呟く清江の隣で、男があーと、口から間延びした音を出していた。
 ニュースでは戦争発生の危機だとか、某国の秘密兵器の実験か? などといった物騒なテロップが出され、司会者たちや専門家たちが激しく弁を交わしている。
 おそらく、この目の前の光景とそう変わらない内容のものが、今世界各地で繰り広げられているのだろう。

 男はドブ川に浮かぶ魚の目を宙へ向けたまま、独り言のように小さな声量でボソボソと言葉を出した。

 「そういえば、強い奴を知っているかって聞かれたから、テキトーに教えてたっけ? 確か南米にいる、とか。まさか、ホントにその足で探しに行くとはなぁ。これは予想外だった。でもいいのかね、こんなことして?」

 そう言って口だけは悩んだ風にしていたが、男の表情はさして変わった様子もなかった。
 程なく、その口から結論が出る。

 「まぁ、別にどうでもいいか」

 リモコンを手に取り、未だ騒がしいニュース画面を無視して、男はテレビのスイッチを切るのであった。








 ―――あとがき。

 遅れてごめんなさい。長くなって御免なさい。英語が変で御免なさい。
 覚えてる人いるかな? いませんか、そうですか。

 次回更新出来たとしら、多分月姫編かな?
 一読ありがとうございました。

 感想と批評待ってマース。








 『市長』
 生家の関係でオカルトに関する知識を持つ、生けるパーフェクト超人。
 確かな政治的な手腕と様々な方面への豊富なコネを持ち、加えてシュ○ルツ○ッガーばりな肉体を持つ。
 一部の人たちからは将来の大統領も夢ではないと目される傑物。しかし本人としてはそれは、自身のオカルトに関する知識も含めた勘定だとして、妥当な評価とは思っていない。
 現代に残る魔術・神秘などのオカルト全般を、時代の流れに消え損ねたガラクタだと判断しており、これからの人類文明に不要なもの断定。放っておいても今後百年の間に自然消滅するものとみている。
 重度のトリガーハッピー。
 大量の銃火器を己の政治力を駆使して貯蔵しており、合法的にこれを使用して暴れまわる機会を虎視眈々と狙っている。がしかし、自身の部下たちが優秀なためにその機会はほとんどなく、結果せっかく収集した大量の銃火器は死蔵された状態がデフォルトとなっている。
 噂の『系譜殺し』の能力を確認するために、わざわざ解決できる案件を外部委託というで処理し、今回の事件を仕組んだ。ある意味影の立役者。
 目論見通りの結果と予想外の幸運に恵まれ、本人はこの上なく満足している。


 吸血鬼。
 名もなきモブ。実はずっと遥か遠くに遡ると二十七祖に連なるために、今回の仕事でまた一つの派閥が滅んだ。
 これで型月世界の吸血鬼人口は、軽く二十%近く減少している。
 実は使われなかった設定に、超抜能力として普通よりも強力な催眠術を持っている設定で金の瞳を持っていたのだが、使うことはなかった。
 色々と残念なヤツである。


 カミラ。
 クールビューティーな黒人女性で、実はサドエロい人。
 ありきたりな永遠の美を求めるという動機で、吸血鬼に協力する。
 洗脳された訳ではなく、完全な自分の意思での犯行である。
 捕まった後にどうなったかは、神のみぞ知る。
 まあエロい目にあったんじゃね?




 ????
 オリジン・ブレイカー。
 突如として世界に現れた、謎の存在。
 正体不明、素性不明、経歴不明な何もかも分からない、吸血鬼や魔術師などという半端なオカルトなんぞよりも、ミステリアスに包まれた存在。
 これまで世界各国の頭痛の種であったORTをいきなり消し飛ばすという、華々しいデビューによって世界に認知される。
 この魔法使いよりも即物的で、なお且つ強大な上に迷惑でしかない野郎の存在に、世界各国は喧々囂々の騒ぎの中対策を急いでいる。
 実は世界的に見て、相性が致命的に悪い人。そのため何度か死にかけることになったりする。




 サテライト・マァキュリー。
 突然参上しスピニングTMに乱入した、期待の超新人。
 クール電波系長髪巨乳ビューティー。常識外れの身体能力で全てを力尽くで行く、衛星軌道からの使者。
 実はその正体は本体が急ごしらえで作った端末。本体は現在、衛星軌道上で再生中で、再生完了までの見込み時間はおおよそ百年ほど。
 当てなく全国を流浪し意味なく場を混乱させている。本人の目的は行方不明の父親を探し出し、自分の存在を認知してもらうこと。
 血液から取り込んだ父親の情報によってか、父親と似た尾が生えていたりする。
 後に全宇宙三味線化計画のため、グレート・キャッツ・ガーデンにアイキャンフライ。ネコアルクたちとの何時果てることもない、仁義なきバトルを繰り広げる。




[11965] 月姫編開幕
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2010/04/09 23:37

 大きな部屋の中に、巨躯の男が存在していた。
 身の丈が優に2mを超えているだろう。彼のその手足はまるで丸太のように太く、鋼鉄のような重厚感を放つ筋肉で全身を覆われている。
 覗く視線は鋭く尖り、まるで射殺さんと言わんばかりな殺気を発散するに至る。
 巨大なテーブルと椅子に着いているのにもかかわらず、なおそれらを小さいと印象付けさせられる、強烈な印象がそこにはあった。

 対して、その男の向かい側に立つ男が一人いた。
 170cmを超えるだろう、全体的に整った中年の男であった。細いフレームの眼鏡をかけており、僅かに皺が入ったその顔と白髪の混じった頭髪が、積み重ねてきた年季を思わせる。
 彼もまた、巨躯の男とはまた別種の鋭さを宿した瞳を持っていた。
 怜悧な視線を眼鏡のレンズで覆った彼は、その手に何枚かの書類を持ちながら巨漢の彼へと向けて、報告を行っている。

 「以上が、今月の収支に関するおおよその見積もりです。次に各組織に対する交渉の進捗ですが、日本国内の本州に点在する主な退魔の家系に対してはおおよそ渡りが付きました。今後とも顧客として、良好な関係を継続していけるでしょう。しかし本州以外の成果は芳しくありません。特に北海道と沖縄の退魔組織は本州のそれらとは組織体制が大きく異なるため、今後の交渉も難航することが予測されます」

 「構わん。そんな僻地の組織なんぞに大した価値もない。いざという時にツテが付けられる程度に顔見せが済んだ後は放っておけ」

 「了解しました。では対外交渉の進捗について続けますが、やはり公安をはじめとする国家中枢にまつわる組織はガードが堅く、交渉の糸口も設けられなかったとのこと。リスクも考慮に入れますと、この件に対する深入りは止めた方が得策かと思われます。よって独断ですが、この件の交渉は中止させました。そして国外の活動の方ですが、今回ようやく時計塔とのコネクションを開くことが出来たと報告が入りました。ですが同封された報告の内容に、すでに魔術協会の中では人事と権限に関して完全に態勢が硬質化している模様であり、組織に利益をもたらすほど食い込める見込みはありそうにない、とのこと」

 「他、二つの協会は? 特に、巨人の穴倉の奴らだ」

 巨躯の男が、じろりと殺気に満ちた視線を報告する男へと向ける。
 それに物怖じすることもなく、怜悧なポーカーフェイスを保ったまま男は報告を続けた。

 「申し訳ありません。それら二つに関しては未だ進展はありません。特に移動石柩の方は未だ本拠地の確たる特定にも至っておらず、今後とも解決にはこれまで以上の時間が必要と予想されています。なお、聖堂教会の方も進捗具合は前回とさして変わらぬまま。進展はありません」

 そこまで言い、彼は片手で眼鏡のフレームを押し上げながら、書類をテーブルの上へと滑らせた。

 「以上で主だった対外交渉に関する報告を終えます。詳細はこれらの報告書に。ご確認ください。では、これで自分は失礼します」

 「………待て、“副長”」

 軽く一礼し、そのまま振り返って後ろの扉から去ろうとするが、その背へと向けて、巨躯の男が言葉を投げかけた。
 扉のノブに手をかけた状態で、彼―――“副長”の動きが止まる。
 半身だけ振り返り、怜悧なポーカーフェイスを保ったまま、彼は問い返した。

 「………なんでしょうか、“会長”?」

 「貴様………俺にまだ、何か言うべきことがあるんじゃないのか」

 巨漢の男―――“会長”が、重々しく告げる。
 その雰囲気はもはや、詰問ではなく尋問に相応しいものであった。
 “副長”はそのプレッシャーを前にしながらも、柳に風。とぼけた様子で答える。

 「いえ、残念ながら心当たりはありません」

 「ふん………………数時間前、一つの報告が届いた。この情報は報告するにあたって、二つのルートを使用された。一つは“何故か”ルートの途中で途絶えたようだが、もう一つの俺直属のルートは正しく機能した。そういうことだ」

 「そうでしたか、申し訳ありません。至急、問題の調査と改善の手当てをしておきます。その報告の内容について、私も聞いてよろしいですか?」

 「白々しい奴め………」

 表情の筋を一切微動だにさせぬまま言ってのける“副長”に、“会長”がひとりごちる。
 “副長”もまた、“会長”とは異なる種類の剛なる者である。その図太さは周知のものであった。
 半ば茶番だと理解しながら、“会長”は言葉を続ける。

 「昨夜のことだ。日の沈んだ深夜、旅客機のファーストクラスから降り立った者を一人、関東国際空港に常駐していた各組織の監視員たちが確認した。空港を出たそいつは、全ての監視員どもの追跡を振り切り町に消えた。そしてこいつのことを確認した係員だが、確かに“確認した”という記憶はあるにもかかわらず、実際に当人と接した具体的な記憶はなかったそうだ」

 典型的な“魅了”の手口だな。
 心底憎らしく、吐き捨てるように“会長”はそう言った。
 その様子に構うことせず、淡々と“副長”が問いかける。

 「その乗客の正体は特定出来ているので?」

 「リストにある名前はチャールズ・ダーウィンとなっていた。っは、下らん。センスのかけらもない偽名だ。監視員からの外的特徴の報告とその手口から見て、奴は間違いない。死徒二十七祖が第十位、“混沌”だろう」

 「ビッグネームですね」

 「そうだ、だが要点は“そこ”じゃない」

 “会長”の目付きが変わる。
 乱雑に机の引き出しが開かれ、中から一枚の書類が取り出された。
 “会長”がその書類を放ると、それはまるで刃の如き鋭さをもって“副長”の下へと飛来する。しかし“副長”は揺らぐことなく、迫る刃と化した紙を前に片手を動かし、人差し指と中指で挟んで受け止める。

 「“真祖の姫君が動いている”」

 「………」

 “会長”が、その一言を告げた。
 ただの一言であったが、その内容には言い知れぬ何かが込められていた。
 “副長”は書類に目を通しながら、無表情にその言葉を聞く。

 「ただのそこらの純度の低い奴らとは違う。ブリュンスタッドの名を持つ、あの姫君だ。その姫君がこの極東の島国に来ている。吸血鬼の大物が二人、この時期に偶然同じ国で活動する。そんなことある訳がない。姫君が動き、それを“混沌”が追ってきた。そう考えるのが自然だ。ク、ククク………いまいち信用度の低い情報だったが、この二つの情報が並ぶことで一気に確度は高まった。奴ら吸血鬼どもの内輪争いなんぞに興味はさらさらないが、今回ばかりは感謝するよ」

 「………ッち」

 不気味な笑い声を洩らし続ける“会長”を前に、“副長”が静かに舌打ちする。
 その表情は変わらぬままであり、それ以上の彼の内面の発露を留めていた。
 “会長”が、言う。

 「“副長”、貴様は優秀だ」

 ドンと、いきなり空気が破裂した。“副長”の背後にある扉のすぐ近くの壁が粉砕し、亀裂が作る。
 時間差で“副長”の頬に一筋の線が走り、血が漏れた。
 笑い声を一旦抑えて、彼は“副長”にその苛烈な視線を浴びせかける。
 こきりと、何時の間にやら掲げていた指の骨を、“会長”は鳴らした。

 「現在の組織の運営に、貴様の存在は欠かせん。残念なことにな。だから今回の件のことも、それ以外のことも見逃してやる。今のところ………な。自分が有能であったことに感謝するんだな」

 「ありがとうございます」

 頭を下げる“副長”の姿を見て、あからさまに不愉快といった様相で鼻を鳴らす“会長”。
 “会長”自身が言ったように、“副長”は馬鹿ではない。自身の価値を十二分に理解した上で、処分されることはないというマージンを計って行動しているのである。
 その事実が、例え分かっていてもつくづく度し難いと思わせる。

 「姫君が動くということは、その目的は死徒に関するものと見て間違いなかろう。貴様のことだ、すでにその場所の特定は出来ている筈だ。さっさと手配させろ」

 「残念ですが、それは無理です」

 「………聞こえなかったのか? 手配しろと俺は言ったんだ。あまり俺を怒らすなよ“副長”。見逃すと言ったがな、仏ほど俺は慈悲深くはない」

 「その場所が問題なのですよ、“会長”」

 「場所だと?」

 頬から血を一筋垂らしながら、“副長”が冷静なまま言った。
 彼は中指を使って眼鏡を押し上げながら、言葉を続ける。

 「ここ数日の間に発生した、日本各地の不可解な事件。それらを取り上げてみて分析した結果、予測される真祖の姫君の目的地は三咲町でした。あの町では今、手口から見て死徒によるものとしか思えない事件が発生していますから。そしてまことに残念なことですが、現状我々はあの土地に対して手出しすることはできません」

 「三咲町………そうか、思い出したぞ。確かそこは混血の大家、遠野の管理する土地かッ」

 「単純に力を残しているというだけでなく、かつての豪族の流れを汲んだその財政を維持、拡大した旧家の一つ。さらに国内の退魔組織とも懇意にしており、その影響力は数ある混血の中でも随一なもの………元々接点がなかった相手ですが、加えて最近当主の代替によって方針が大きく変わったと聞きます。戦力を動かすことはできませんよ。そんなことしようものなら、今までこの国の中で重ねてきた全ての成果《信頼》が台無しとなってしまいます。戦力を投入したいのならば、まず交渉を持って接点を作り、時間を重ねて信用を得てから協約の提携とその受諾を受けるという、最低限の手順を踏む必要があるでしょう」

 「狸が。そんなことをしている時間なぞないと、分かりながら言いやがって」

 憤怒が堪え切れぬといった表情を出しながら“会長”は睨むも、“副長”は意に介さず受け流す。
 幾ら“会長”が不満を抱え込もうとも、実際問題、行動に移すことはできない。現状、まだ今の組織を投げ捨ててまで行動するだけのメリットがこの件にはないことを、“会長”自身把握しているからだ。
 よって本来ならば、“会長”はこのまま荒れ狂う感情の猛りを抑え込んだまま沈黙する筈であった。それが本来の流れであった。

 しかし、ここに小さな変化が生ずる。

 「ならば、奴を動かすとしよう」

 舌打ちして、“会長”は吐き捨てるように宣言する。
 ぴくりとその言葉に反応し、“副長”が言った。

 「奴………『系譜殺し』ですか?」

 「そうだ。あの破滅願望野郎だ。何のために奴を抱え込んで、今までご丁寧に存在を隠蔽してきてやったと思っている? 今、こんな事態の時に動かすためだろうが」

 「捨て駒ですか………扱いとしては鉄砲玉以下ですね。哀れなものだ」

 「ッハ、本人は喜ぶだろうよ。分かったならさっさと手配しろ。運が良ければ第五位、アンノウンに続き、また世界のパワーバランスが崩れるかもしれんぞ」

 「了解しました」

 そう上手くいくとは思いませんが。聞こえない程度の声量でそう呟きながら、今度こそ“副長”は部屋を退出していった。
 そして残された部屋の中、“会長”は激情を収めて一人、残った書類の決裁を進めるのであった。

 かくして、“流れ”は変化した。








 日本という国の、一地方一都市一ビルの中の、その一室の中で。
 怠惰と退廃の極まる薄暗い室内の中に、一人の男がソファーに座っていた。
 よれよれのシャツとズボンを着て、整える訳もなく無造作に放っておかれた頭髪はぼさぼさで無精極まるもの。
 そして何よりも目立つのは、その目。

 男の目はまさしく、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていたのであった。

 その手には封の開けられた便箋があり、中から取り出した数枚の書類に男は目を通していた。
 茫洋とした表情のまま眺めて、最後まで読み通し終えると男は面を書類から上げ、宙に視線を彷徨わせる。
 そしてふと思い至ったかのように動き出すと、その手にリモコンを握ってテレビのスイッチを入れた。

 特に目的もなくチャンネルを回す男の背後で、扉が開かれる。
 姿を現したのは、丁度学校を終えて事務所へと出てきた清江であった。
 彼女は珍しくアクティブな動きを見せている男の様子を見て、目をぱちぱちとさせていた。
 予想外の出来事であったのだろう。扉の傍に立ったまま、男へと問いかける。

 「何をしているのですか?」

 「んー、ちと時間軸の確認」

 「時間軸………?」

 「時系列とも言う。どっちでもいいけど。けど駄目だな、やっぱ全国ネットじゃ流してないみたいだわ。原作での報道はローカルだけで取り扱ってるニュースネタっぽいね」

 テレビに表示されるニュース番組をチェックしながら、男はそう言う。
 毎度お得意の、男独特の理解不能な言葉であった。
 清江はため息を一つだけ吐き、心機一転して男の言葉を無視し、話を進める。

 「意味が分かりません。結局何がしたいのですか?」

 「依頼だよ、依頼。便利屋から回されてきた化け物退治の」

 テレビを消してリモコンを放り、はいと清江に持っていた書類を手渡す。
 渡されるがままに受け取った清江は、静かにその内容に目を通した。

 「場所は………○県にある三咲町という地域。内容は、発生している不審な連続猟奇殺人事件の解決………ですか。被害者の痕跡や犯行の時刻など各種から、事件は吸血鬼、死徒によるものと予測。遂行者は注意し事に当たるべしと………また渡来の化生に関する依頼ですか。しかし国外ならばともかく、国内の事件でこの内容のものは珍しいことではないでしょうか?」

 「まあ、普通あり得ないことだわな。吸血鬼は基本的に流水の上を渡れないし。呪いで。んでご存知の通り、日本は周りが海で囲まれた島国。吸血鬼なんていう不便な化け物が来れる地形じゃない。仮に来るとした、そいつは呪いを無視できるぐらいに上等な吸血鬼だってことになるけど、そういうビッグネームほどますますこんな島国に来る用事なんてないのが相場だし。ようするに、どう転んでもよほどの例外じゃなきゃ、日本じゃ吸血鬼事件なんて発生しない、てことだね。あるいは天然国産物でもないと」

 「………ちょっと待って下さい。なんですか、これは」

 「ん? 何か気になることでも書いてた?」

 「最後に書いてあるこの注意事項です。なおこの案件を拒否することは認めない、と。ところどころ内容に違和感を覚えてたんですが、これではもう依頼ではなく命令ではないですかッ」

 ぺしりと不満を込めて、テーブルに書類を叩きつける。
 あまりにも一方的な通達であった。曲がり並みにも命にかかわる内容の仕事なのである。
 実際の選択肢の有無はどうあれ、依頼を受けるか受けないかの決定権をこちら側が持つのは当然であった筈だ。
 男は清江の発言に対し、茫洋とした表情を変えぬまま両手を上げるポーズをとる。

 「仕方ないさ。ぶっちゃけコバンザメみたいなものだったから、ウチと便利屋との関係って。まさしく看板だけ対等って扱いだったというか。現実問題あっちとの繋がりがなくちゃ、そうそう依頼も来ないし。個人だとあっさり干上がるよ、ウチの家計って。この一年で便利屋通さずに来たウチへの依頼がいくつあるか、可憐ちゃん知ってる?」

 「それは………三件ぐらい、でしょうか?」

 「ブッブー、残念。正解はゼロ。皆無でした。去年にあったヨーロッパの吸血鬼退治が最後で、それ以来サイトの方には誰も書き込んでいないよ」

 カウンターは地味に回ってるみたいだけど、と付け加えるように嘯く男。
 知られざる真相という名の実態を知り、また一つ清江はいらぬ心労を心に抱えることとなった。

 清江は考える。なぜこれほど、目の前の男が評価もされずに陰に埋もれているのか。
 男の能力は強力である。適切な運用方法を取りさえすれば、それこそ最終兵器と言っても過言ではない代物であろう。
 能力の持ち主である男自身に幾らか問題はあれど、そんなデメリット以上にメリットは大きい筈であった。
 だが、現実では男はそんな大層な評価を受けてなく、こうして使い走りの下っ端同然の扱いを受けていた。噂は広がる様子もなく、待遇が変わる気配も全くない。
 それはいっそ不自然と言っていいほどであった。

 が、しかし。まあ、これが天運というものなのかもしれない。

 清江は自分の思考を翻すように、そう片付けた。
 世の中にはどうにもならない“流れ”というものもある。
 作為を感じるような偶然や、必然を思わせる事態の積み重ね。これら全てを纏めて、世間一般では天の采配と言うのである。あるいは予定調和、運命と。
 人には器があり、それに分相応な生き方が望ましいのだ。清江は男を見ながら、つらつらとそんなことを考える。
 どう見ても、そんな大物には見えない。それが男を見ての清江の感想だった。

 「ん? 可憐ちゃん何か言いたいことでもある? なんか妙な視線を感じるんだけど」

 「いえ、なにも。貴方の気のせいです」

 「そう? なにか引っかかるけど………まあいいか」

 素知らぬ顔でするりと男が流される。
 赤に混じれば朱に染まる。清江も最初の頃に比べて、随分としたたかな性分へと変わってしまっていた。
 もちろん、それは言うまでもなく目の前の男が元凶である。

 「んじゃ可憐ちゃん、さっさと学校の方に休学届を出しといて。書類にきっちり指定されていたし、早いとこ三咲町に出発せんと。あ、そうそう。今度はたっぷり三週間ぐらい期間は取っておいた方がいいと思うよ」

 「? やけに日数が具体的ですね………まぁ、いいです。また苦労をかけることになりますが、先生方に話を通しましょう」

 「いい加減向こうも慣れてるでしょ。むしろ問題は可憐ちゃんの学力の方だと思うと愚考。ちゃんと学校の授業についていけてる?」

 「大きなお世話です。貴方がいちいちそんなことに気を回さないでください」

 「手厳しい反応ありがとう。可憐ちゃんも変わっちゃったね、寂しいよ自分」

 「お陰さまで。分かったのなら、もっと自分の行いを顧みてください。言葉だけでなく行動に反映させて」

 「ノーコメントで」

 ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、手をひらひらと振って男は言った。予想しきっていた反応なのだろう、清江はため息もつかず作業へと取り掛かる。
 男は書類を全て束ねて元の封筒へと戻し、取り出したハンドバックへと突っ込む。他にも必要だろう物らも、いっしょにである。
 途中、ボソリと小さく呟かれたその言葉を、清江は聞き取ることはなかった。

 「原作介入かぁ………神の見えざる手ってやつかね。ま、どうでもいいか」




 そして二日後。準備を終えた二人は、何時も通りの要領で目的地へと出発した。
 目的地の名は三咲町。現在近辺にて、女性のみを対象とした連続猟奇殺人事件が発生している土地である。
 これよりそこは、古くからその土地にある魔と、国外より渡ってきた魔が混在しようとする混沌の場でもあった。
 その場にまた加えられる、『系譜殺し』という名の一滴。
 迎えられる結末は、果たしていかなるものとなるのか。


 舞台、開幕。








 ―――あとがき。

 読者にアンケート。あとがきいりますか、いりませんか。
 もしかしていらなかったりするのなら、削除します。見苦しくてすみません。

 感想と批評待ってマース。








 『会長』。
 語られぬモブその一。オリ主が便利屋と呼ぶ組織の創設者にしてトップ。
 過去のとある出来事が原因で吸血種を激しく憎悪しており、ひいては真祖殲滅を画策し行動している。復讐の男。その執念で一代で現在の組織を結成・急成長させる。
 オリ主の能力に目を付け、有用な切り札の一つとして囲みこんだ張本人。保護と束縛の両方の工作を行っている。
 元々は子ギルを思わせる癒し系ショタだったのだが、執念の鍛錬によって身の丈2mを超えるマッチョな劇的ビフォーアフターを遂げる。
 実力はぶっちゃけ化け物で、体術は対城レベルに至る。
 後に『副長』に下剋上されて地位を簒奪、謀殺される。


 『副長』。
 語られぬモブその二。ナイスミドル。
 『会長』が剛ならこっちは柔な人。武力より知略な人。戦略サド。
 『会長』と利害が一致し、組織結成に協力した。後に互いの利害が相反するようになり、躊躇なく『会長』の抹殺を図り実行する。
 なお言うまでもなくこの二人のエピソードは本編に関わってはこない、壮大な無駄設定である。




[11965] 十月二十一日、深夜
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:ee8cce48
Date: 2010/09/22 17:16

 10月21日、午後六時過ぎ。『系譜殺し』一行は三咲町へと到着していた。
 地方都市ながらも開発されたその街は田舎と呼ぶレベルではなく、十分に現代文明の恩恵を受けた都会であった。
 だがしかし、にもかかわらず清江の眼前には寂れた繁華街が転がっていた。
 ネオンが光り、これからが本番であろう時間帯なのにも、通りを行く人影は極端に少ない。
 町の開発具合や人口密集と比べて、あまりにもアンバランスな光景。その原因は最近流され始めた件のニュースにあるのだろう。

 一ヶ月ほど前から始まった、女性をターゲットとした連続猟奇殺人事件。それは隣町を発端としながら点々と連続し、最近に至り三咲町にまで被害者は及んだという。
 被害者たちは皆その遺体から大量の血液がなくなっており、それがゆえにマスコミはこの事件を現代の吸血鬼と呼びたて、騒いでいる。
 すでに十人近い被害者を出しながら未だ抑えられぬこの凶行を恐れ、賢明な人々は足を急がせ家へと帰り、夜の出歩きを控えているのだ。
 その判断は正しい。清江は心の底からそう思う。
 見知らぬ怪異を恐れ家の中に留まることは、何も知らぬ無知なる人々に出来る、初歩にして最善な身を護る方法だ。
 魔は闇から現れ、心に抱く負の念を嗅ぎつけ人を食らってゆく。夜の道はそれだけで有象無象なる魔を寄せる寄り代となり得るのだ。
 まして、今のこの町には確固たる事実として、肉を持った化け物が棲み着いているのである。

 吸血鬼という、海の向こうより渡ってきた化け物が。

 「じゃ、まずはホテルにチェックインしようか。荷物持って歩くのも面倒だし」

 「ええ、分かりました」

 ドブ川に浮かぶ魚の目をした男が声をかけ、清江は眺めていた町の様子から視線を外し歩き始めた。
 すでに宿泊先であるホテルは、事前に便利屋側で手配済みであった。ホテルに向かうのには駅からタクシーを使用し、日の暮れた町中を走行していった。
 何時もとは違い国内での行動であるため、手間がかからず清江は楽であった。慣れぬ英語に苦心することもなく、ただ男の奇行に注意を払うだけで済んでいたからだ。
 そして、やがてタクシーは何事もなくホテルへと到着した。
 車から降りて、そびえる外観を見上げて彼女はホテルを軽く観察する。
 可もなく不可もないホテルといったところか。目に見えて見劣るところも目新しいところもない。人気はそれなりにあるらしく、客の入りは多いようだった。

 視線を戻すと、不可解な行動を取っている男の姿を目撃する。
 入り口に掲げられているホテルの名称を見上げながら、男は何か考えるかのようなポーズを取って静止していたのだ。路上の中央でそうしているために、目立つ上に迷惑極まりない。
 男に奇行に、いくら耐性が出来たと言えど、それは決して慣れるものではない。
 清江はその美麗な表情の上の眉を一部歪めながら、男の奇行を正すべく動いた。

 「何をしているんですか、貴方は」

 「ああ、可憐ちゃん。いや、ちと確認をしてた」

 「確認、ですか?」

 「イエス。このホテルが原作でのあの例のホテルなのかどうかって、確認をね。でも駄目だわ。そもそもそんな細かいところなんて、いちいち自分覚えてないし。確認しようにも出来ません、というのが結論だったり。まあ多分パターンからいって、同じホテルなんだとは思うけど」

 「何が言いたいのか良く分りませんが、用事が終わったのなら早く動いてください。怒りますよ」

 「あれ? 可憐ちゃん何気にストレス溜まってる? 何時もより沸点が低くない? カルシウム不足か………もしかしてアレ? 女の子の日ってやつ?」

 「………怒りますよ?」

 「ごめんなさい」

 両手を上げて降参のポーズをしたまま、男はドブ川に浮かぶ魚の目をしたままホテルの中へと入っていった。しばしのラグを置き、その後ろ姿に怜悧な視線を浴びせていた清江もまた、ため息を一つ吐いて軽く頭を振った後、追従する。
 入って正面に構えられている受付でチケットを差し出し、入れ替わりにキーを受け取り部屋へ向かう。
 部屋は四階のエレベーターから降りて一番手前にあった。部屋番号は410。室内には二つのベッドが並んでおり、有料のテレビと小さなユニットバスが備え付けられている。
 それを見て、清江はまるで信じられぬものを見たかのように目を大きくした。

 「な………ちょ、ちょっと待って下さい。まさかとは思いますが、同じ部屋で寝泊まりすると?」

 「んー? そりゃわざわざ二部屋も予約してなかったみたいだし、そうでしょ。不満ある? ベッドなら二つあるけど」

 「論点が違います。幾ら寝床が二つあるからと言っても、そもそもこんな狭い部屋一つの中で、間に仕切りもなく男女が二人寝食を共にする、というのがおかしいのです」

 「お堅いね。さすが可憐ちゃん、やっぱり可憐ちゃん。クールそうに見えて力説してるあたりが初々しく見えるよ」

 全く、なんてはしたないことか。そうぶつぶつと物静かに、しかし力強い言葉を洩らし続ける清江。
 実際問題、貞操の危機というものを、言ってる本人自体それほど感じている訳ではなかった。
 良くも悪くも、夜這いの一つをするほどの欲望や活気というものを、男からは感じ取れないのだ。枯れているとでも言うべきか、そも世の事柄すべてに無関心を貫くような性格をした人間なのである。まともな人間らしい性欲があるのかどうか自体、疑問であった。そのことは清江自身が何よりも一番に理解している。
 が、それはそれ、これはこれ。
 だからといって一歩間違えば同衾を容易く許せる状況を甘受する、などというものは、乙女として断じて許せる筈がなかった。

 「別に気にしなくてもいいのに。女の子って面倒だねホント。言ってなかったっけ? 自分って不能よ? お陰さまで未だに童貞だったり。ただし非処女ではある」

 「知りません、って初耳ですよ!? ああいや、そもそもそんなこと申告しないでくださいッ。それに、その、出来ないとか………そんなことは関係ないんです。祝言も挙げていな男女が部屋を共にするなど、道理としておかしいと私は言っているのですッ」

 「真っ当な反応ではあるんだろうけど、珍しい反応だなぁ。いや、矛盾してる表現だけどね」

 結局、部屋はもう一つ取ることとなった。
 都合良く開いていた隣の409号室の鍵を受け取り、そちらの部屋に一旦荷物を置いてきてから、また410号室へと戻る清江。
 時刻はすでに七時を回り、もうすぐ八時になろうかといった案配であった。
 それは寝るのも見回るのも、そのどちらも早すぎる微妙な時間帯である。
 清江はさしあたっての行動について、ベッドに腰掛けながらぺらぺらと本のページをめくっている男へと向けて尋ねる。

 「それで、これからどうするのでしょうか。まだ逢魔ヶ時には早すぎますが。夜に備えて休みを取りますか?」

 「あー、まあそれで別に良いんだけど。とりあえず、その前に一つやっとこうか」

 「? ……いったい何をですか?」

 「せっかく根本の原因が分かってんだし、なら利用しようかなぁと。運が良けりゃあっちが勝手にケリを付けてくれるかもしれないし………あ、あったあった」

 ページをめくっていた手を止め、指先で紙面をなぞり数秒注視した後、男はパタンと本―――部屋に備え付けられていた電話帳を閉じて放った。
 電話に手を伸ばし、ポチポチと番号を入力する。
 いったいどこにコールしているのか。清江は疑問を抱えながらも、邪魔せずに男の行動を黙って見守る。基本的に一般常識的な意味での暴走以外では、清江は男のを行動を見守ることをスタンスとしているのだ。

 「ああ、通じた? もしもし、そちら遠野さんのお宅で間違いない?」

 「遠野………?」

 漏れ出た男の言葉に、清江はふとひっかかりに頭をもたげた。その言葉、単語に、どこか聞き覚えがあったのだ。
 一対一の電話越しで話されている会話の内容は、清江のもとまでは届かない。男の話す断片的な会話だけが耳に入っていった。

 「当主さまは今家にいんの? いる? ああそれじゃ変わってくんない、当主さまに。用件? んー、町で起きてる通り魔事件についてだよ。お宅の長男が起こしてる事件のこと。この事件解決について話したいのがこっちの用件。………オッケー? それじゃヨロシク」

 「なッ………」

 耳に拾った言葉の内容に、清江は思わず絶句した。そして弾けるように記憶が蘇る。
 遠野。それはこの国に古より多く存在する、人と魔との混ざり子たち。その混血ら末裔の集団の中でも、有数の力を持った存在の名であった。
 多くの血を分けた分家と、それらが持つ巨大な資産を背景とした財閥化した巨大グループをも己が手の内に持つ、間違いなく国内の異端の一強に位置するモノたち。
 当然、これらのことを清江は知っていた。遠野という言葉と混血、それらが指す意味を。退魔を家の生業としていたのだ。知らぬ筈がない。
 しかし、しかしだ。
 よもや予想だにしていなかったのだ。渡来の化生である吸血鬼退治、その依頼のために訪れた土地。
 そこがかの混血の大家が根ざす地で、あまつさえその一族の者が、事件そのものの下手人などとは。

 予想など出来やしない。そんなもの、明日自分の街に隕石が降ってくる、と同じレベルの妄想だ。
 遠野が管理する土地であったことを知らなかったのは清江の単純な勉強不足だとしても、事件の犯人が遠野家の人間などという事実、果たしてどうやって調べてきたのか?
 そんな驚きと混乱に惑う清江を無視し、男はマイペースに電話の向こう側の主と話を続けている。

 「当主さま? こんにちわ、はじめまして。自己紹介いる? ………うわ、きっついなぁ。もうちっと言葉に温かみがあった方が受けが良いと思うよ、男から。あ、そう。んじゃさっさと本題に移るわ。今そっちの長男が起こしてる町の事件。これさ、当主さんが止めてくれない? ぶっちゃけて言えばさ、お兄さんぶっ殺してよ。なるだけ早めに、出来れば数日中で。一応言っておくけど、お兄さんってのは義理の方じゃないから。幽閉されてた方だよ。………へ? んー、面倒だな………簡単に説明すると、自分は退治屋。で、今回の事件を解決するよう依頼されたわけ。以上、説明終わり。まぁまぁ、落ち着きなって。別に電話したのに深い意味はないって。楽ができそうだったからそうしただけでさ………」

 全くもって清江には会話の内容を察することが出来なかったが、しかし漏れ出てくる断片からとんでもないことを言っているだろうということは、理解できた。
 いったい、今度は何をしようとしているのか。かつてない慄然とした感情が清江の背筋を貫いていた。
 やがていくらかの言葉を交わした後、男が電話を終えて受話器を戻した。
 何時も通りの、変わらぬそのドブ川に浮かぶ魚の目を清江へと向けてあっさりと告げる。

 「あー、可憐ちゃん。明日の予定が決まったよ。遠野のお家へのご招待。時間は午前八時頃。いや、別にわざわざ顔なんて合わせなくても自分は良かったんだけど、当主さんが是非って誘ってさ。まぁ、面倒だけどせっかく招待されたんだし、いっしょに行こうか?」

 「な、は? って………いえ、ちょっと待っ、待ちなさいッ。それよりも大事なことが他にあるでしょう!」

 「? なにが?」

 「遠野についてですッ。この事件の犯人をもう突き止めていることもですが、その犯人があの遠野の身内なんていう情報を、いったいどうやって知ったんですかッ」

 さすがにそれに関しては見逃せなかった。
 なまじ知識がある分、今回の行動はより深い衝撃を清江に与えていたのだ。

 この国独特のものかは知らないが、基本的に土着のコミュニティとは閉鎖的であり、特に異端に属する者らではそれはさらに顕著なモノとなる。
 己らの血筋に連なる者たちだけで集団を作り、血の絆によって“外”からの圧力へと対抗する。集団には集団を維持するための掟が存在し、それはいわば王に代わる絶対的なものであり、遵守することが求められる。
 これが今もって現代の社会の裏に存在する異端の定めであり、不文律であった。
 そしてこの掟に暗黙の了解として含まれているのが、己ら集団の内から出た“違反者”に対する処断である。
 集団は自分たちの掟に反する“違反者”が出た場合、ソレが自分たちの集団より外へと出て影響を与える前に、ソレを自分たち自身の手によって処断するのである。

 つまり率直に言って、外からの干渉を許さず、代わりに内からの影響も出さない。
 それがこの国における異端の基本的な在り方であったのだ。極端かつ神経質な秘密主義であり閉鎖された社会、と言い換えてもいい。
 ゆえに、仮に今回の事件の真相が男の言う通りのものだとするのならば、だからこそそんな事実は知り得る筈がないのである。
 伝統と因習によって隠蔽されて然るべき情報なのだ。ただの一、部外者であり、なんのツテも持たない個人である男が、どうやって知り得ようか。

 「前言わなかったっけ? エロゲーだよ、エロゲー。もしくはキノコ」

 「戯言は止めてくれませんか。どうやってこの事件について知ることが出来たのか、真面目に答えなさい。そんな事実、ただの一個人が知れるものではありません」

 「あらら、今回は本気みたいだね可憐ちゃん。口調が真面目で冷たいわ。目も細くなってるし」

 「先程の貴方の言動は、戯れだと済ませられる範疇から逸脱してます」

 これまで、疎い分野であるがゆえに見過ごしてきた男の言動であった。
 清江が知れる分野と重なったがゆえに、初めて彼女はこの時、男の極めて特殊で逸脱したその知識を認識したのだ。そして認識した以上、それを見過ごすことは出来なかった。
 納得のいく答えを求めて視線を向ける清江に対し、男は茫洋とした表情のまま言葉を出す。

 「例えばさ、ミステリー小説があるじゃん?」

 「……? 何をいきなり言っているのです? 話を逸らさないでください」

 「まぁまぁ、とりあえずは聞いてチョーダイな」

 なんの脈絡のない話を出され困惑した顔を見せる清江をなだめて、男は話を続けた。

 「とにかくまぁ、ミステリーだよミステリー。推理物なお話。設定は何でもいい。魔法だとかあるファンタジーでも、科学が馬鹿みたいに発達したSFな世界でもなんでもいい。アリバイだとかトリックだとか視点固定だとか、そういった手法やらなんやらで、物語の途中までは全然真相が分からない類のお話があるとする。ここで可憐ちゃんに聞くけどさ、こういったお話で真相を知るにはどうしたらいいと思う?」

 「真相を知るには、ですか?」

 「そ、真相を。可憐ちゃんの答えを言ってくんない」

 「それはやはり、推理するのでは? 作品の中でヒントが出ているのでしょう。それらを並び立ててみて、答えを予想するのが普通では?」

 「ぶっぶー、残念。答えは“真相を解明しているシーンを見る”でした。ドラマなら最後から二十分くらい前から、小説なら40ページくらい前からかな」

 「な、それは反則でしょう! ミステリーの意味がないじゃないですかッ」

 「確かにその通りだな。けど確実だよ。何せ真相を知ってるんだから。全然お話の内容を読んでないのに、最初っから犯人やその動機に犯行の手口まで知れるし。まぁ、つまりはそういうことだよ」

 結論は出た、と言わんばかりに話を締めくくる男。
 訳が分からない。清江は相変わらずマイペースなその男の態度に頭を痛めながら、突っ込みを入れる。

 「勝手に話を………“そういうこと”とは、どういう意味ですか? 妙な言い回しで誤魔化さないでください」

 「いや、別に誤魔化してないけど。思いっきりそのまんま一直線に答えを言ってるよ、自分。 後はもう勝手にそっちで考えてチョーダイ。別にわざわざ秘密にする意味もないけど、いちいち事細かに口で説明すんのってメンドいし」

 清江は口の端を噛み締めた。遠回しに馬鹿にされたと、そう思ってしまったからだ。
 単刀直入に答えを述べていると言われながら、未だ理解に至っていない己。そんなもの、自身に理解力がないという意味に等しい。
 男の言葉を疑ってはいなかった。怠惰であり言葉を省くことはあるが、嘘をつくことはない。そんな男だということを清江は知っていたからだ。
 つまり、それは答えがもう目の前に示されていると意味する。

 先程の例え話、あれがそのまま答えだと?

 清江は戯言だと片付けていた男の言葉を、真面目に取り上げて考えてみる。
 ミステリー小説の真相を知るには、どうしたら良いか?
 男はこの問いに対して、真相を解明している部分を見てしまえばいいと言った
 先に答えさえ知ってしまえば、全てのトリックは無意味なものとなり、そして推理や推測などよりも確かな真実を知ることが可能となる………と。
 なるほど、その通りである。全てが明かされた後の答えを知るのだ。不確かな予測や伝聞とは比べ物にならない“真実”を知ることが出来よう。

 だが、しかし………だ。あくまでもこれは“お話”を題材とした仮定である。これをそのまま現実に当て嵌めることなど、出来る筈がない。
 本ならばページをめくればいい。ビデオならばテープを早送りすればいい。だが、現実ではどうすればよいと言うのか?
 そんなものは過去視と未来視の領分である。それも都合良く、知りたいところ見たいところを特定し覗くことが出来るほど、具体的で利便性の高い卓越した能力だ。
 過去視や未来視などといったものは、そこまで便利なものではない。そんなことが許されるのは、それこそ限られた一握りの者だけのこと。
 全ての未来視はそれが重大ではるか未来のことほど曖昧で抽象的なものとなり、全ての過去視はそれがより大きな時代の節目でこれからの運命に関わりがあるほど、断片的で触れ得ざるものとなってゆくのである。

 完璧な未来視が出来る者とは、ある意味魔法使い以上に希少な存在なのだ。

 男の言っていることをそのままの意味で受け取ったとしたら、それは時空を超越していると言っても過言ではない、大言壮語な発言に値するものなのである。
 誰が信じるだろうか、そんなことを。
 信じられないに決まっている。

 男のことを嘘はつかない者と信用してはいても、それとこれは話が別であった。
 人格的な面を理解し信じることと、能力的な実力を疑い否定することは、決して矛盾する働きではない。そもそも混同することが間違っている。
 とにかく思考を繰り、信じるべきところは信じ、疑うべきところは疑うこと。それが少なくとも清江の信じる、人との間で在るべき構えであった。

 だがしかし、それゆえか結局のところ、清江は男の言う“答え”に辿り着くことは出来なかった。
 疑うべきところを疑った結果、彼女は真実から逸れてしまった。
 かくしてまた、清江が目の前に転がされている真実を知る機会は逸し、見送られることとなったのであった。

 「それで、どうすんの可憐ちゃん?」

 「え………? いえ、すみません。何のことでしょうか?」

 そうやって投げかけられた男の言葉をきっかけとして、清江は陥っていた思考の袋小路から抜け出すこととなった。
 不意にかけられた問いかけに思わず無防備な声を返してしまった清江に、改めて男は喋り直す。

 「だから、これからの行動だよ。こ・う・ど・う。どうするん? 明日のアポも取ったし、もう寝とく? それとも真面目に見回りにでも行く? 自分はどっちかというともう寝ときたいんだけど、面倒だし。だってさ、わざわざ楽しようと思って明日に当主さんに始末頼みに行くのよ? 今ここで真面目に働いたら、頼みに行く意味ないじゃん。つーわけで、今夜はもうおしまいってことでオーケー?」

 「これからの行動、ですか………」

 どうにも、また真実をはぐらかされた印象を否めなかったが、しかし清江はその言葉を受けて思考を移すことにした。
 どっちみち答えの出ない袋小路に陥っていたのだ。それに実を言えば、清江自身それほど男の持つ真相に執着している訳でもない。
 その持つ能力然り、経歴然り。男に関する事柄では、疑わないで済むところなどの方が少ないのだ。そしてそれらを理解した上で、清江は男の傍にいる。
 秘密に興味はあっても、執着はない。それが清江の偽らざる本音。
 所詮先の追及も、自身に身近であった事柄に関しての言動だったために反応したにすぎない。

 一つ小さなため息を吐き、清江は男へと答えを返した。

 「却下します。まだ零時すら過ぎていないではないですか。見回りに行きます、早く準備してください」

 「え、マジで? 本気可憐ちゃん? 話聞いてた?」

 「聞いてます。この事件の犯人が混血である遠野の者であり、彼らにその責任を取らせる。その貴方の意図は分かりました。ですが、だからと言ってそれが今怠けて良い理由にはなりません。現実に今この時の間、町には混血による被害者が出ているのでしょ? 怠惰によってその手を休めれる状況ではないじゃないですか」

 それに、と一拍の間を置いてから、言葉をつなげる。
 ドブ川に浮かぶ魚の目をした男へと向けて、清江ははっきりと言った。

 「仕事なのでしょう? 自分に与えられた役目は、きちんとこなすべきです。けじめはちゃんと付けてください」

 「相変わらずの真面目な発言だねぇ。それって疲れない可憐ちゃん? まあだからこそ、可憐ちゃんは可憐ちゃんなんだけどね」

 「そういう貴方も、相変わらずなままですね。戯言はいいです。さぁ、準備してください」

 結局、清江に急かされるように追い立てられ、男は夜の街の中へと出て行くこととなるのであった
 時刻は未だ零時を過ぎぬまま。夜はまだ始まったばかりの刻限。
 『系譜殺し』はこの長い夜の中で、一つの出会いを経験する。








 その日、わたしは嬉しかった。
 何時も通りの帰り道。夕焼けの色に染まった、通い慣れた帰路を辿りながら、ただ嬉しさに心が弾んでいた。
 今の時を嬉しく思い、そしてこれからのことも思うだけで、まるで誕生日を祝うかのように心が晴れ晴れとし、胸が高鳴った。

 好きな人と、同じ通学路を通う。

 そんな他愛もないもないこと。それだけで現金にもわたしは舞い上がり、喜んでいた。
 自分でも単純だなぁと思うけど、けど仕方がない。だって、好きなんだもん。中学校の時からずっと見てきたのだ。
 ずっと遠くから見続けてきて、同じクラスで居て続けて、ようやく言葉を交わせたのだ。
 うん、これだけ出来た時点で凄い快挙だ。すごいぞ、わたし。
 まぁ、交わした会話の内容は、少し残念なものだったけど。わたしを助けてくれて、そして投げかけてくれたあの言葉のことを、忘れていたみたいだったし。

 ううん。でも、それはもういいの。だって、もっと嬉しいことがあったから。
 ピンチになったら助けてくれるって、約束。そんなわたしの頼みを彼が聞いてくれたのだ。
 嬉しかった。とっても嬉しかった。好きな人と約束をするということだけで、嬉しさで胸がいっぱいになった。

 中学校の、閉じ込められた体育倉庫。そこから助け出された時から、ずっとわたしにとって彼は特別だった。
 他の人たちとは違う。学校の先生やお父さんとも違う。
 いざという時。本当に困りに困って、助けてほしい時。そんな時に助けてくれるだろう人。
 それはきっと彼みたいな人なんだろうと、ずっと思って見てきた。
 彼ならきっと、どんなにわたしが苦しい時でも助けてくれる。そうだろうと信じていた。
 もちろんこれは勝手な思い込みなんだろうけど、だけど彼はそんなわたしの想いを苦笑しながら受け入れてくれた。
 それは、とてもとても嬉しいひととき。時間がこのまま止まったらいいなと、そう思ってしまいそうな一瞬。

 でも、それもおしまい。

 わたしは特別にはなれない。
 彼と同じように、彼に相応しいような特別にわたしはなりたかった。でもそれはわたしには無理だった。彼の親友とは、わたしは違う。
 どんなに思っても、どんなに近寄っても、きっと彼はわたしとは違うずっと遠くへ行ってしまう。
 わたしでは、きっと彼の特別にはなれないのだ。
 だから、おしまい。わたしはこの瞬間の思い出を大事に仕舞い込んで、またなんてことのない明日を過ごすのである。

 ………でも、それでもやっぱり嬉しいものは嬉しい。

 これは仕方がない。恋する乙女は、例え駄目だと分かっていても好きな人と一緒にいると幸せになっちゃうのです。
 考えてみれば、彼も結構酷い人だ。駄目だって分かってるのに。まるでなんてことはない、すぐ目の前に手を伸ばせば届くみたいな雰囲気を出して惑わすのだから。うん、あれはきっと悪い人の手口だ。彼はきっと女たらしとかスケコマシとか、そういうものに違いない。

 うーん、でもやっぱり違うか。わたしが勝手にそう思ってるだけだもん。反省。

 あーあ、それにしても寒いなぁ。
 まだ冬には早い筈なのに、じくじくと痛みに似た冷たさがわたしの身体を包み込む。
 ううん、違った。包み込むんじゃなくて、身体の奥からだった。
 ぶるぶると震えるような冷たさが、胸の奥を焦がして、全身を巡るように広がっていた。

 ああ、寒い。
 寒くて、冷たくて。あまりにも寒くて、そして痛くて。
 まるで世界が、とても薄くて絶対に破れない一枚のガラスで遮られたかのような、感覚。
 すぐ目の前にあるのに、どれだけ手を伸ばしても向こう側には触れることが出来ないかのような実感。
 がりがりと指が地面をこするのに、それすらまるでテレビの中の出来事みたいに曖昧で。

 痛い。

 痛くて、苦しくて。

 とっても、渇いて。

 欲しい。無性に欲しい。
 身体の中の寒さを取り除くものが、痛みを和らげてくれるものが、渇きを癒してくれるものが欲しい。
 はぁーはぁーと、風邪をひいた時みたいな荒い息が出る。喉を手で抑えても、ちっとも納まってくれない。
 水が欲しい。とにかく何か、喉を潤すものが欲しい。■が欲しい―――!

 冷たく暗い路地裏をのろのろと歩く。何処へ向かうかなんて、自分でも分からない。
 とにかく痛くて、寒くて、辛くて。こんな状態をなんとかしたくて。

 辛い、辛いよ。
 喉が渇いた。身体中が痛い。心が寒い。
 すごくきつくて悲しいのに、真夜中の路地裏には誰もいなくて。
 助けてよ。誰か助けてよ。約束したじゃない。

 お願いだから、助けてよ。遠野くん―――








 男と清江が深夜の街中の巡回を初めて、もう三時間以上が経過していた。
 もとより人気の少なかった町並みは牛の刻を過ぎたことでさらに廃れ、今に至ってはもう人っ子一人見当たる様子がない。
 そんな間隔を置いた街灯だけが光る夜道を、二人は歩いていた。
 ドブ川に浮かぶ魚の目をした男が、気の抜けた物言いの体裁で清江へと言う。

 「当てが外れたね、可憐ちゃん」

 その言葉を、内心忸怩たる思いで神妙に清江は聞き受ける。
 二人がホテルを出て徘徊を始めてから、数時間。残念ながら成果は上がっていなかった。
 事件の主犯者である吸血鬼本人はおろか、それの下僕である死者の一匹も見つかっていなかったのだ。
 怪しげな廃墟や人気の少ない路地裏などを探ってみたものの、タイミングが悪かったのか場所がずれていたのか、痕跡一つ見当たらない。
 もう二時間か三時間もすれば、明日の日が昇る。結果だけを見れば、今夜の巡回は無駄だったとしか言えない有様であった。

 特に責任がある訳ではないのだが、しかし清江は悔しそうに唇の端を引き締めて男へと詫びる。

 「すみません。無駄足を踏ませました」

 「律儀だねぇ。いいよ別に、気にしてないし。にしても意外だったな、てっきり誰かとエンカウントするもんだと思ってたのに。フラグ的に考えて」

 「エンカウント? フラグ………旗? 何のことですか、それは?」

 「イベント分岐点の目安。ちなみにどんな人を予想していたかを具体的に言うと、カレーの人とか蛇の人とか。大穴でお姫様とかも考えていたり。まさか何のイベントもないとか、逆に予想できなかったな。ま、こういうこともあるってことか」

 一人呟いて完結したのか、納得したように頷く男を見てため息をつく。結局、何時もの理解できない戯言のようであった。
 理解できないことは理解できない以上、いつまでもずっと考えても仕方がない。それが男と共にいて清江が学んだ、建設的な教訓であった。
 男を無視し、予約を取ったホテルへと向けて歩く。今夜の巡回はもう終わりであった。
 物言わぬ沈黙に沈んだまま、二人は夜の繁華街を進む。

 そのまま時間が過ぎて、どれだけ経ったであろうか。
 ふと奇妙な違和感を覚えて、清江はその足を止めた。
 視線を道の先にあるビルとビルの間、その隙間にある小さな路地の入口へと向ける。
 特に音が聞こえた訳でも、目に見えた訳も出ない。しかし確かに感じた、一欠けらの悪寒。
 無意識の命に従って、いつの間にか清江は警戒の姿勢を取っていた。その背後でドブ川に浮かぶ魚の目を変えず、声色だけ怪訝そうに男が問いかける。

 「どうしたん、可憐ちゃん。何かピキーンとテレパシーでも受け取った?」

 「いえ……よく、分らないのですが………何か、妙な気配が―――ッ」

 ふらりと、清江の目の前に“ソレ”は現れた。
 警戒を維持したまま、しかし拍子抜けしたように清江は呟いた。

 「………女性? 学生、ですか?」

 路地から波に揺れるような不確かな足取りで現れたのは、一人の少女だった。
 セミロングの髪の毛は二つに結ばれたツインテールとなっており、その身を包んでいるのはブレザーにスカートと、学生服らしき代物である。
 伏せられた顔から覗く容姿も、決して卑下するものではない。綺麗というには少しベクトルが異なるが、愛嬌のある造作は可愛らしく、性別問わず人を惹くだろうものだった。
 何処をどう見ても、ごくごく普通の一般人である。装いも人相も怪しいところはない。

 しかし、一向に清江の警戒は消え失せなかった。否、むしろその胸裏の警鐘はさらなる勧告を投げかけていた。
 どこにも怪しいところのないただの一女学生に過ぎない筈なのに、いったいなにが原因だと言うのか。
 ほんの少し思索に時間を費やすことで、呆気なく清江はその答えを見出した。
 現在の時刻は、もう牛の刻を過ぎた頃。深夜というのも憚れる時間帯である。先に言ったように通りの人気は皆無に等しい。

 そんな時間に、なぜ“ただの女学生が”出歩いている?

 「あれ? ………おー、あれはもしかして―――」

 清江のすぐ後ろで何か男が言いかけたが、その全てを聞き届ける余裕はなかった。
 少女がその面をゆらりと上げ、ギチリとその紅い瞳をこちらへと向けていた。

 「―――ッ、死」

 者、という言葉は出なかった。
 尋常ならざる踏み込みで舗装された路面が砕け、信じられぬ速度で少女が清江の懐に飛び込んで来た。
 咄嗟に寸鉄を袖から引き出せたのは、事前に警戒していた賜物だろう。だがしかし、それは間違いなく清江にとって奇襲であった。
 剛速で横殴りに振るわれた少女の腕が、引き出した寸鉄の上から清江をしたたかに打ち飛ばした。

 「ぐぅッ!」

 吹き飛ばされ、地の上を二転三転と転がる。幸いにも咄嗟に一歩後ろへ蹴ることが出来た。
 盾代わりになった寸鉄が清江の遥か後方でカランと音を鳴らす。
 少女の殴打を受けた腕が痺れていた。常識外の膂力。骨が折れなかったことが不思議であった。

 「はぁ―――はぁ―――」

 少女は清江を弾き飛ばした姿勢のまま停止していた。荒い呼吸を繰り返し、肩が激しく上下している。
 その片足は内側から弾けたように血肉を散らしている。人外の力で踏み込んだ時、自分で出した力に耐え切れず自壊したのだ。
 そして清江はしかと目撃する。その少女の血肉にまみれた片足、それがまるで“テープを巻き戻すかのように”治っていく光景を。
 復元呪詛による肉体再生。それを見て閃くように答えが走り抜け、清江は驚愕した。

 「まさか、死者ではない? 下僕ではなく、親である吸血鬼そのもの―――!?」

 「うぁあああああーーーー!!」

 「うわ、やばいね。丁度成り立ての頃ってことか?」

 とぼけた風に男が呟く。
 その立ち位置は変わっておらず、立ち塞がるように位置していた清江が吹き飛ばされたことで、吸血鬼の少女と何の遮りもなくすぐ近くで相対していた。
 少女が叫び声を上げて、無防備な獲物めがけてその凶腕を振りかざす。
 清江は瞬時の判断でそれに反応した。痺れていない方の腕を可憐に振って、袖から寸鉄を滑るように取り出す。

 「っ払―――!」

 気勢の声を放つ、投げ打つ。手から放たれた一本の寸鉄は、今まさに振るわれようとしていた吸血鬼の腕に命中し、狙いをずらす。
 男の鼻先を、狙いのずれた腕が通り過ぎた。すぐ間近を己の命を奪いかねない一撃が通り過ぎたにもかかわらず、男の表情に動揺した様子は一切見られない。
 清江は焦燥の念を隠すことが出来ぬまま、急ぎ次の行動を起こそうとする。
 初手こそ防いだものの、状況は一切改善されていない。未だ男は吸血鬼の魔手の圏内に捉われており、そして自分は致命的に離れてしまっている。逃げろと声をかけるワンテンポすら時間が惜しい。意識だけが急いて、身体の動きが全然付いてきていなかった。
 間に合わない、どうしても。清江の脳裏にその無情な答えが浮かび上がる。

 そして悪い予想は的中する。
 吸血鬼の次なるアクションに対応できぬまま、清江はそれただ黙して見ることだけしかできなかった。

 「あぁぁああああーーーーッッ!!」

 「ぐべッ」

 身体ごとぶつかっていくように少女が突進し、突き出された片手が男の首を掴んで、その勢いのままに身体を押し倒した。
 気道を押し潰され、奇妙な音が男の喉から漏れる。
 少女は男の押しの上に騎乗しながら、火傷しそうな熱い呼吸を繰り返す。
 抑えつけられたままの首から、きりきりとした軋みが上がっていた。

 「はッ―――はッ―――はッ―――」

 口を大きく開けて、少女が顔を近づける。口付けではないのは、その生えた大きな牙のごとき犬歯から明らかであった。
 吸血行為。真祖にとっては娯楽。死徒にとっては生存行動、ないし悦楽に浸るためのもの。
 しかしそれはどちらにせよ、被捕食者にとっては単なる死に至る災厄でしかない。

 牙が、男の肌に触れた。
 ほんの瞬きの間もなく次の瞬間には食い破られるだろう、その一瞬。
 事ここに至っても表情を変えていなかった男が、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、ぽつりと述べた。

 「こうなるってことは、ロアは出ずに遠野ルートになる。てことかね………まぁ、どうでもいいか」

 「………え?」

 少女の動きが止まった。呆けたような声を上げて、今まさに肌を食い破ろうとしていた牙の先端がぴたりと静止する。
 刹那、少女の首に踏み込んだ清江の振るう、薙刀の柄による渾身の払いが叩き込まれた。

 「きゃッ!」

 「っはぁ!」

 やけに可愛らしい悲鳴を上げて、少女の身体が吹っ飛ばされる。
 濡れ羽色の長髪を可憐に舞わせながら、清江は怜悧な視線を一層研ぎ澄まさせて構えを取った。
 片手の痺れは未だ抜けきっていない。果たして万全ではない今のコンディションで、眼前の吸血鬼の相手が出来るだろうか。
 清江は成りきった吸血鬼そのものと対峙した経験はない。これまで常に親である吸血鬼と対決する前に、男の能力でカタを付けていたからだ。
 文字通りの意味で“格”の異なる相手。先の攻防はそれを清江に否応なく理解させていた。
 力も速度も、なによりそのしぶとさが死者などよりも段違いだった。

 「無事ですか?」

 「あいあい、お陰さまで御覧の通り。ありがとね可憐ちゃん」

 「いえ、無事で何よりです。では急いでこの場から離れてください、私が時間を稼ぎます」

 「あれ、勝てないの? 時間を稼ぐなんて殊勝なこと言うなんて、珍しい」

 「戯言に付き合っている暇はありませんッ、早くこの場から立ち去ってくださいッ!」

 勝てないとは思っていなかった。しかし、同時に勝ち目を思い描くこともできていなかった。
 思わず語尾の勢いを強くしてしまったのは、そんな自分に活を入れるためでもあったのだろう。清江は早く男に逃げるよう望んでいた。
 先程から視線も逸らさず意識を注いでいる吸血鬼の少女は、なにやらまた少し雰囲気を変えてぶつぶつと呟いたまま顔を伏せていた。清江の一撃でダメージがあった訳ではない。そんなこと打ち込んだ清江自身が把握している。
 清江は耳を澄ませて、少女の呟いている内容を盗み聞いてみた。

 「痛い………痛いよ………寒いよ、辛いよ。遠野くん………助けてよ。助けてよ、遠野くんッ………」

 「なにを………?」

 「ナルホド、キーワードはやっぱ“遠野くん”ってことか。理解、理解と………」

 「!? 待ッ」

 一人納得したように頷くと、あろうことか男は清江の守る背後から抜け出し、無防備にも吸血鬼へと向けて歩き出した。
 隙を突くと言うよりも、それは云わば不意を突く動きか。清江は反応出来ず、ただ男の身勝手を許してしまう。
 男が少女のすぐ傍に立つ。気配を感じたのか、少女が顔を上げた。男を見る目は一抹の理性こそあれど、激しい飢えに支配されている。
 何時飛びかかるか分からぬ状態。男は常と同じ声色で聞いた。

 「こんにちわ。んで一応聞いとくけど、そっち弓塚さつきで合ってるよね、名前?」

 「だ………誰? なんなの? やだよ、近付かないで………苦しいの、すごく喉が渇いて………助けてよ、誰か」

 「会話になってるようでなってないな。心の葛藤ってやつ? 心が弱いのか強いのか………まぁ原作キャラだし、多分強いか」

 「何をしているんですか貴方は、早く離れてくださいッ!」

 「あー、待った待った可憐ちゃん。ちょっと“やりたいこと”と“やらなきゃいけないこと”があるんだって、少し待ってくんない?」

 肩を掴み押しのけようとする清江の手に自分の手を重ねながら、まるで重要視していない態度でそう言う男。
 当然そんな言葉で清江が納得できる筈もないが、関係ないと言わんばかりに無視して男は少女―――弓塚さつきへと続きの言葉を投げかけた。

 「はい質問、貴方は遠野志貴が好きですか? つーかぶっちゃけセックスしたい?」

 「―――え?」

 「だからセックスだよ、セックス。性別って意味じゃなくて、性交の方の意味の。男と女の共同作業。ぬちょぬちょのぎっこんばっこん」

 強引に男を引きずり下げようとしていた清江は動きを止めた。遠野志貴、というフレーズを聞いて、さつきもぴたりと動きを止める。
 そして続いて発せられた言葉の意味を理解するに至り、少女二人の頬が赤く染まった。

 「な、なななッ! そんな、遠野くんとなんてッ! わ、わたしは別にそんなことッ!」

 「あ、貴方は、何をふしだらなことをこんな時にッ」

 「やっぱキーワード入れた言葉は、効果が抜群と。なんか予想外に効果対象が広かったみたいだけど、まぁいいや」

 いきなりの場違いな発言に混乱してしまった清江であったが、ふと我に返ってみれば、場の雰囲気が変わっていた。
 見れば敵として相対していた筈の吸血鬼の少女は、まるで普通の年頃の少女と同じように慌てていて顔を赤らめている。
 いかんともしがたい、違和感。清江はさつきに対し、それを覚える。
 その行動が、人格が、どうしても化生である存在とは思えなかった。人外としての芯とでもいうものが、備わってないと思えたのだ。
 無論、吸血鬼であることに疑う余地はない。彼女はすでにそれを証明する事実を十二分に示した。しかし清江の違和感が消える様子はない。人外はすべからく、人外としての身体と共に、人外としての精神も持ち合わせているものなのだ。
 何かがおかしい。清江はそう思った。しかしその原因が分かる術はない。
 男は清江を置き去りにしたまま、自分の話を進めようとしていた。頬の赤らみが取れていないさつきに対し、ドブ川に浮かぶ魚の目を向けたまま問いかける。

 「んじゃ人間らしい方向に落ち着いたところで、こっちの用事を済ませたいんだけど。ああ、その前に何か聞きたいことでもある? 今だけならテキトーに答えるけど」

 「え? あ、その。あ、あの………貴方達って、いったい誰なんですか? 遠野くんとはどんな関係で………」

 「誰、ねぇ。それって身元を聞いてる? そうだとしたら、自分らは退治屋。遠野志貴とは別になんの交友関係もなし、こっちが一方的に知ってるだけだよ」

 「退治屋って、それは………?」

 「化け物を相手に駆除したり暗殺したりする仕事。ほらあれだ、陰陽師とか知ってるでしょ? あんな感じの不思議パワー使って、そっちみたいな吸血鬼とか魔法使いとかそういった輩をぶっ殺すわけ。ちなみに収入はサラリーマンと比べたら高いよ? ま、命かけてる分には割に合わないけど。多分グローバルなトップ企業とかに勤めてるやつには負けるし」

 びくりと、さつきの表情が変わった。
 男の口から無造作に吸血鬼のくだりが流れた瞬間、まるで忘れていた傷口を見てしまったかのような反応を見せてしまう。
 あからさまに動揺している様子を晒したまま、彼女は恐る恐ると言葉を紡ぐ。

 「き、吸血鬼って………」

 「あれ、まだ気づいてなかった? そっちとっくに吸血鬼になってるじゃん。血が吸いたくてたまらないんじゃないの? 死徒は血を吸わないと身体が崩壊していくらしいし、今も身体が痛いんでしょ? さっきから小刻みに震えてるし。つーか、そもそもさっき自分に襲いかかったじゃん。もしかして意識トんでた?」

 「違ッ、そんな………血、血を吸うつもりなんて、そんな。わたし、わたしが吸血鬼だなんて、そんなこと―――」

 「いや、嘘じゃないって。めちゃくちゃなパワー出してたでしょ、さっきさ。それに傷も再生したし。間違いなく吸血鬼だよ。ついでに言えば素質が最上のね。頑張れば確かすぐに二十七祖になれるレベルだとか。よかったね、吸血鬼の素質あって。じゃなきゃ灰かもしくは死者、百歩譲ってもただの吸血死体になっていたかのどれかだったろうしね、末路」

 「いや………そんなのイヤッ! 吸血鬼なんて、そんな素質なんてわたし欲しくない―――ッ!」

 きぃんと、悲鳴のような叫びをさつきが上げた。
 自分で自分を抱き込むように腕を身体に回しながら、さつきは吐き出すように言葉を出し続ける。
 それはまるで、溜まりに溜まったダムの水が一気に弾けたかのようであった。

 「痛いの、身体全体が。まるでじくじく針で刺されるみたいに、心臓がどくんてなって血が血管を巡る度に痛くて、苦しくてッ! 痛くて、寒くて。手も足も氷みたいに冷たくなって温かくないの。それなのに喉だけずっと日差しに当たったみたいに暑くて乾いてッ! おかしいよこんなの! なんで、どうして? 喉が渇いて欲しくなるのが水とかジュースかじゃなくて、血なんだよ? 普通じゃないよこんなのッ!」

 「ついさっきまで、普通の学生だったのですか? まさか、血を吸われてから即座に下僕の階梯を抜け出してしまうほどの霊的素質を持っていたとッ―――」

 ついに理解に至った事実を把握し、呆然としたふうに清江は呟いた。
 違和感の原因。人外の化生としては奇妙な振る舞い。その真相の呆気ない内容。
 なんてことはない。単純についさっきまで彼女は見た目通りのまま、“普通の学生”だったのだ。
 この町で犯行を繰り返している本当の元凶である吸血鬼に襲われた結果、同じ化生へと成ってしまった哀れな犠牲者。それが彼女だったのだ。
 人外としての芯がなくて当然だった。人外として過ごした時期がないのだ、そんなものがある訳ないだろう。

 「ねえ、お願い。助けて………わたしを人間に戻して。吸血鬼なんてやだよ、人の血なんて吸いたくないッ」

 「無理、残念。確か吸血鬼って魂とかが汚染されてるから、どうにも出来ない筈だったし。魂を扱えた魔術師って、蛇の人以外いないんだっけ? ま、そういう訳だから、そっちはもう人間には戻れないよ。第三魔法でも使えば吸血鬼止めれるかもしんないけど、もっと別の何かになりそうだしなぁ。諦めなよ素直に。そもそも自分ら退治屋よ? 退治屋に吸血鬼治療頼むのはおかしくない? ミニスカ錬金術師にでも頼みなよ、そーゆーのは」

 「うう、うううぅ―――ッ」

 もはや声ですらない呻きだけを上げて、さつきは顔を伏せる。
 ぎりぎりと噛み締められた歯の間には牙のように発達した犬歯が覗き、彼女が吸血鬼だということを如実に知らしめる。
 清江は無言のまま、ただ静かに薙刀を持ち直した。すでに痺れは取れている。体調は万全であった。
 一度化生へと堕ちたものは、いかなる手を用いようとも人に戻ることはない。少なくとも清江の知る限りではそうであった。
 哀れだと思えども、決してその手を緩めることはできない。己が家より生を得てから、すでに清江はその心得を理解し覚悟していた。
 魔と人との関係とは、そういうものなのだ。人を脅かす化生がいるのならば、例え情を抱いた相手であろうとも討たなくてはならない。同情の余地のある、哀れな被害者であろうともだ。

 「いやだよ………人の血を、人を殺したくなんてないよ……………死にたくなんて、ない――――――」

 それはか細い吐露だった。嘘偽りないさつきの本心だったのだろう。
 せめて、安らかに逝けるよう。清江に出来ることはそう祈ることだけ。目の前の少女が魅惑に負けて、身も心も魔へと堕ちるのは時間の問題であった。
 ならばその前に、決着を付けよう。静かな決意を行い、清江は行動に移ろうとした。
 だがその前に、男が言った。

 「別に人は殺さなくて、血は飲めるじゃん」

 「―――え?」

 動こうとした清江は行動を取り止めて、顔を伏せていたさつきは予想外の一言に口をあけて男を見た。
 淡々としたまま、男は何時も通りの調子で話す。

 「病院に行けばいくらでも輸血パックとか置いてるでしょ。それこそA型から貴重なRH-の血液まで、選り取り見取りにたくさん。それ適当に盗んで飲めば? それにそっち、親の蛇の人の知識も使えるんでしょ? なら吸血鬼の魔眼と合わせて暗示とか魅了とかも使えるんじゃないの? そうしたらそこらの通行人にそれ使って、本人らに自発的に注射器に血を抜き取らせることだって出来るでしょ。いや、操ってんのに自発的って言葉も、妙な話だけど。どうだったか………200ccだっけ? 多分一週間でそんぐらいの量の血を飲めば十分だった筈、身体の維持って。間違ってるかもしれないけど」

 「………そ、そっか、そうだよッ! 病院に行けば、別に人を襲わなくても血が飲めるじゃない! なんでわたしこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう!!」

 コロンブスの卵のような発想だったのだろう。さつきは降って湧いたそのアイディアに歓喜し、満面の笑みを浮かべている。
 清江も内心で頷いた。なるほど、その手があったか。
 吸血されれば、人は死んでしまう。それは吸血鬼に“噛まれる”という行為自体がある種の呪いとして作用するからでもあるし、何よりも単純に、一度吸血を行えば吸う側に歯止めが利かなくなるからでもある。
 ゆえに吸血鬼として生きることは、同時に人の敵である魔となることを意味していた。それが当然の結論だったのだ。
 しかし、現在ではこの考えは決して当て嵌まるものではない。過去とは違い、現代では輸血パックというものがある。いくら吸血鬼が異なる摂理に生きる化生とはいえ、身体から離れた血を取り込んで眷族や被害者を増やすことなぞ出来はしない。それは呪術の領域の問題だ。
 人を殺さずとも、血は吸える。人を害さぬ吸血鬼として生きることは可能なのだ。

 だがしかし、それでも人外なるモノ。魔であることは変わりない。
 清江は思考する。果たして見逃して良いのか? と。
 今は人としての理性を保てても、すでにその身体が化生に変じているのは紛れもない事実。身体に追随し心も変わる可能性は決して少なくはない。
 いや、少なくないではない。絶対に変わるだろう。人は変わる生き物なのだ。
 そうして変わってしまった心が、人に牙剥くよう働かないと、誰が言えようか。

 余計な被害が出る前に、今ここで討つ。
 退魔として下すべき判断は、それがベストであった。
 凄まじいまでの霊的素質を持つ少女なのだ。今ここで討たねば、絶対に取り返しがつかなくなることが目に見えていた。
 ゆえに、清江は考える。男に尋ねるつもりはなかった。これは退魔としての問題である。能力があって稼業としている男と異なり、代々の生業として退魔を行ってきた家の出自である自分が、断固として判ずるべきものだった。

 「――――――、」

 喜んでいるさつきを見つめながら、薙刀を握り手に力を込める。
 身体の節々に気を通し、何時でも最高の力が出せるよう整え、静かに細く深い息を繰り返す。
 心は静寂に、身体は熱を宿し。常に最高の舞を演じれる体調を維持する。
 そして清江は柄を握りしめた手を緊張させたまま――――――――――――不意に、力を抜いた。

 全身に行き渡らせていた気の張り詰めをほぐし、常に続けていた警戒を解く。
 それが熟考し、思索に思索を重ねた上での結論。退魔の家の出としての、清江の判断だった。
 まだ彼女は、人をその手にかけてはいない。ならば、遮二無二討つ必要はない。
 これが清江の出した答え。
 それは甘いというよりも、青い判断であった。結局のところ、退魔の家の者として不完全な薫陶しか受けていないと取れるものである。
 どうしようもなく根本的なところで、清江は優しいのだ。どれだけ徹しようとしようとも、消せないほどに。
 それゆえに、彼女は男から可憐ちゃんと呼ばれ続けるのだが。

 「ええと、病院ってどっちだっけ? あ、あっちだったかな!」

 「ちょい待ちなって。まだこっちの用事が終わってないよ。質問終わったんなら、こっちの用事を済まさせてほしいんだけど?」

 今まさに駆け出そうとしたさつきに、片手を出してストップをかける男。
 さつきは出鼻をくじかれて体操を崩すも、すぐに立て直し男へと向き直った。
 照れたような表情を作ったまま、ぺこりと頭を下げる。

 「あの………どうも、ありがとうございました! それで、用事ってなんですか?」

 「用事ってのは、まあ大したことじゃないよ。ケジメだよ、ケジメ。一応それはちゃんとしておかないとね。そっちさ、最初に会った時自分を殺そうとしたでしょ? こうガブッって感じで」

 「あ、それは………あの、す、すいません! その、殺す気なんて全然なくて、その。頭も、その時はふらふらしててッ」

 「ああ、いいよ。べつにそんな謝らなくても。別に気にしてないから。正気じゃなかったってのも、嘘じゃないだろうし。単純にさ、殺そうとしたって事実にちょっとケジメを付けるだけだって。ケジメをさ」

 「ケジメ………? それって、いったい―――?」

 「いや、すんごく単純なことだよ。ハンムラビ法典でも書いてあること」

 一歩だけ、さつきに男は近付いた。
 どっこいっしょと懐から折り畳み式のナイフを取り出し、刃を出す。
 男はそのままするりと、極々普通の流れでナイフをさつきの胸へと突き立てた。

 さくりと、ナイフが肉の中へ刺し込まれる。
 清江の、さつきの、男の視線が集まる中、ナイフの刀身は全て人体の中に埋まった。
 呆けたような声が、さつきの喉から漏れた。

 「―――――――――え?」

 「殺されそうになったんだから、一応ちゃんと殺し返しとかなきゃ。ケジメだしね」

 茫洋とした何時も通りの表情で、ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、男はそう言った。











[11965] 十月二十二日、早朝
Name: ボスケテ◆03b9c9ed ID:1128f845
Date: 2010/09/22 17:16

 晴れた日の早朝。10月22日、午前七時半過ぎ。
 次の季節の到来を示すような冷たさが頬をなでる中、一人の学生が道を歩いている。
 眼鏡をかけた凡庸な見かけの男子。彼のその名は遠野志貴といった。

 志貴がこんな早朝に外を歩いているのは、それはもちろん登校するためであった。
 しかし通っている道は、彼がこれまで使っていた通い慣れたものではない。
 これは何故かと言えば単純な話で、彼はつい昨日その住居を引っ越したからである。
 幼少期に追い出されほぼ勘当同然の状態にあった本家。その遠野の屋敷に帰ってくるよう連絡がつい先日、志貴の下へと届けられたのだ。

 遠野志貴は幼少の時、交通事故に遭遇した。それは非常に大層な大事であったらしく、当事者である志貴は命が危ぶまれるほどの重体へと陥ったらしい。
 不確かな言葉であるのは、当の本人である志貴にその時の記憶がないからだ。事故のショックで記憶が飛んでしまったのだろうと言われている。
 ともあれ、何とか峠こそ超えたものの、以来この時の傷が原因として志貴は慢性的な貧血を抱えており、現在に至っても改善されない不安定な身体を障害として患っていた。

 そして父であり遠野家当主でもある遠野槇久から、そんな状態である幼い息子である志貴へと伝えられた内容が、実質的な勘当宣言であった。
 次代の当主が何時死ぬかもしれぬ身体だということが問題視されたのか、どうか。そういった点の詳しい事情について、志貴は特に知ることはなかった。
 なんにせよ、そうして志貴は遠野家から半ば追放され、そして分家筋である有間の家へと厄介払いされることになった。
 かくして流れること八年の月日。本家からの連絡が届いたのは、そういった時期のことであった。

 さて、屋敷からの通達。届けられた当人である志貴本人としては、正直それはどうでもいいものであった。
 すでに有間の家に預けられてから数年以上の月日がたっているのだ。感覚的にも人格的にも、その両方ともが庶民相応なものとして培われている。いまさら坂の上の屋敷に帰れと言われても、覚えるのは戸惑いと遠回しな遠慮だけだ。
 そもそも、自分が屋敷を追い出され勘当されたことに対し、とっくに志貴は折り合いを付けていたのだ。遠野の家に対し、ことさら際立った悪意や恨みなども志貴は持っていなかった。
 しかし、そうと思いながらも志貴はこの誘いをあえて断ることもせず、これまで世話になってきた有間の家に別れを告げて遠野の屋敷へと転居した。
 これは何故かと言えば、それは屋敷に残してきた自身の妹と、そして交わした古い約束など。そういった諸々の心残りがあったからである。

 兄としての義務感や、心残り。それらが志貴を動かし、遠野の屋敷へと足を跨がせた。
 こうして彼は実に八年ぶりに己の実家へと帰ることとなったのである。

 閑話休題。

 早朝の中、高校へと向けて登校している志貴。その表情は芳しくないものであった。
 何かしこりが残っているかのように、その眉をわずかに寄せている。
 爽やかな早朝の空気にそぐわぬ表情を浮かべたまま、さながら自動的に足を動かしているとでも表現するかのような状態。

 思っているのは朝の一コマについて。
 すでに先に起床し居間にいた、彼の妹である秋葉についてであった。

 (秋葉の奴………何か様子がおかしかったみたいだけど、気のせいか?)

 八年ぶりに再会した妹である秋葉は、随分と見違えていた。色々な意味で。
 それが具体的にどういったものかというと、まず美人となっていた。それもとびっきりの、兄である志貴自身が見惚れてしまうほどにである。
 そして同時に、性格が非常に“キツく”なっていた。思わず兄である志貴自身が怯んでしまうほどにである。
 まあ、これは仕方のない話である。
 なにせ秋葉は勘当された不甲斐ない兄に代わり、家を継ぐ当主の役割を任されたのだ。
 志貴が自由気ままに過ごしている間も、遠野という巨大なグループを動かすために必要な経済学や社交術といった知識をみっちりと学ばされていたのである。
 性格が昔と変わってしまっても致し方のない話だった。

 その件の秋葉なのだが、どうも何か虫の居所が悪いとでも言うか。
 さしずめ、精神的に不安定になっている。そんな印象を志貴は感じ取っていたのだ。








 志貴の新しい屋敷での目覚めは思わぬ不覚により、快適とは言い難いものであった。
 まあ、これは自業自得だから仕方がない。制服のまま寝入ってしまった志貴が完璧に悪い。
 そのおかげでよもや昨日合ったばかりの侍従―――琥珀に寝ている間に寝巻へ服を着せかえられる羽目となったのだ。
 ちらほらする己の不埒な頭の中身をぴしゃりと払って、居間へと入る。

 居間にはすでに、妹の秋葉とその使用人である琥珀がいた。
 志貴の基準ではまだ起きるのに早い時間だったのだが、どうやら遅れていたようである。

 「二人とも、おはよう」

 「あ、志貴さん………」

 「――――ええ、おはようございます兄さん」

 (? ………なんだ?)

 その帰ってきた思いがけない反応に、志貴は疑問を抱いた。
 琥珀は何か戸惑っているかのような曖昧な表情を浮かべて言葉を濁し、秋葉は秋葉で妙な一拍の間を置いてから返事を返している。
 心なしか居間に漂う雰囲気も重い気がした。
 当然、昨日会ったばかりの志貴には原因になりそうなものへの心当たりなど、欠片もなかった。

 「どうかしたのか? やけに物々しい様子なんだが………」

 「別に、なんでもありません。兄さんの気のせいでは?」

 「そうか? まあ、それならいいんだけど」

 釈然としないまま、納得する様子を見せる志貴。
 そんな彼へと、秋葉はじろりとした視線を浴びせる。

 「それはそうとして、兄さん。今朝は随分と余裕があるようですね」

 「いや、まだ時間は七時を過ぎたばかりじゃないか。そんなに言うほど余裕ってわけじゃないだろ? むしろ早い方だ。ここからなら高校まで歩いて三十分って程度なんだからな」

 「………まあいいでしょう。色々と言いたいことはありますが、今は置いておきます。それよりも早く食事を済ませてください。準備はもうとっくに出来ていますから」

 「ではすぐに温め直しますね、志貴さん」

 秋葉の言葉が終ると同時に、琥珀が手際よく動き出す。
 そのまま流されるように志貴は食卓へと足を運ぶこととなり、椅子を引く。
 そこでふと、志貴は気が付いた。

 「あれ? ………なあ、秋葉?」

 「? どうかしましたか、兄さん?」

 志貴の問いかけに首を傾けて応じる秋葉。
 手に持っていた紅茶のカップをテーブルに置き、志貴へ身体を向ける。
 志貴は秋葉に対して、そのまま浮かび上がった疑問を投げかけた。

 「制服を着ていないようだけど、お前学校はどうしたんだ? 今日は休日だったのか?」

 「―――――いえ、違います。人と会う予定があるので、学院の方は休ませてもらいました」

 「人と会う? 誰なんだそいつって?」

 「遠野の運営する会社の関係者です。お父さまが遺した負債の決裁や引き継ぎなどについて、色々と直接話し合わなければならなくなったので」

 「そうなのか」

 会社関係と言われては、志貴に出来ることはない。
 なにせ八年間、率先して遠野の屋敷から身を引いてきた節のある男。教養なんて全然ない一般ピープルなのだ。
 こと経営などに口を出せるだけの知識はおろか、度胸すらある訳がなかった。
 若干の後ろめたさを覚える内容に対し、志貴は視線を宙に漂わせながら何気ない話題のすり替えを行おうと企てる。

 「あー………それで、その会社の関係者って人とは何時に会う予定なんだ?」

 「そうですね、先方が予定を違えなければ、だいたい八時頃となっています」

 そう言うと、秋葉は流し目で時刻を確認した。
 時計の針はすでに七時半を過ぎ去っており、刻々と時を刻んでいた。
 腕を組んで志貴に向き直り、言い放つ。

 「ですから兄さん? 私としては八時になる前には家を出ていてもらいたいのですが」

 「わ、分かったよ。急いで飯を食べるって」

 「ええ、お願いします。ああ、それと言っておきますが、別に毎日そんな急いで食事を済ませる必要はありませんよ。その分これから早く起きてもらえれば問題ありませんから」

 その言葉に返事をすることはなく、とにかく志貴は目の前の朝食を口へと運ぶことに集中するのであった。
 決して、藪をつついて蛇を出したくなかった、という訳ではない。








 そのまま十分ほどで食事を済まし、ごたごたとした調子のまま準備を済ませて屋敷を出たのが、つい先ほどのことだった。
 改めて思い返してみるが、やはり何か腑に落ちない点があるように志貴は思う。

 (どうも、秋葉が“らしく”ないというか………)

 とはいえ、それだけで何か根拠がある訳ではない。
 そもそも昨日八年ぶりに再会したばかりの妹相手に、“らしく”ないなんていう評価もおかしな話である。
 そうして考えてみると、抱いていた違和感もまるで錯覚だったかのようにあやふやなものへと変わっていった。

 (やっぱり気のせいか)

 そう結論付けて、志貴は少し下げていた面を上げて前を向いた。
 引っ越したばかりでちょっと神経質にでもなっていたんだろうと、そう片付ける。

 そのまま学校へと向かい、志貴は歩き続ける。
 坂道を抜けたあたりから、通りには志貴以外の人影もちらほらと見え始めてきた。
 今までの通り道とは道順も時間も変わっているためか、志貴には目に映るそれらの光景がやけに新鮮に見える。
 そのため周りの風景を観察するように見回しながら、志貴はのんびりと歩いていた。

 だからだろうか、志貴は曲がり角が出てくる人影の存在に気が付かなかった。

 一歩踏み出すのと、隣から人の姿が飛び出してくるのはほぼ同時だった。
 気が付いた時にはすでに時遅く、両者の身体はぶつかっていた。

 「きゃ」

 「うわっ!?」

 不意打ちの衝撃にたたらを踏んで下がるも、倒れることもなく態勢を元に戻し目を向ける志貴。
 そして視界に入った人物を認めて、彼は息を呑んだ。

 そこには、見目麗しい美少女がいた。
 そのあまりの美貌は、思わず志貴を見入らせてしまったほどであった。

 少女の意思を感じさせる煌めきを宿した瞳は、まるで宝石のような印象を与えた。
 腰まで届くほど伸ばされた長髪はまさしく濡れ羽色と形容すべき艶と光沢をもった見事なもので、さながら黒曜石のごとき魅力と価値を見るものすべてに訴えかける。
 覗かれるその肌はまるで極上の白絹のようであり少女の純潔の象徴を想像させて、思わず手にとって触れたくなる蠱惑的な怪しい雰囲気すら醸し出していた。
 そして少女のほっそりとした腕や足といった四肢全てが絶妙な黄金比を形造っており、芸術品のごとき完成された美を全体に与え生み出している。

 完成された美少女。思わずそんな言葉が思い浮かんでしまうような美しい少女が、志貴の前に立っていた。
 見惚れて硬直してしまった志貴へ、少女が声をかける。

 「すみません、大丈夫でしょうか?」

 「―――え? あ、ああ。大丈夫、問題ないけど」

 「そうでしたか。すみません、こちらが注意を怠っていたようで」

 「ああいや、こっちこそぼんやりしてて気が付かなかったし。そんな謝らなくていいよ」

 殊勝な態度で謝罪され、慌てて手を振りながらそう答える。
 頭を下げる。そんなただの一挙動ですら、まるで舞っているかのような印象があった。
 少女の身を包んでいるのは袖の広い、普通のそこらの販売店で扱っている十把一絡な服であるにもかかわらず、魅力を損なわせる様子は一切ない。
 その魅力に当てられたのか、志貴は柄にもなくどぎまぎと動揺していた。

 「あらら、珍しいね可憐ちゃん。前方不注意なんてさ。昨日、ってほどでもないか。今朝の疲れでも残ってるん?」

 少女へそんな妙に軽薄そうな声がかけられた。
 志貴が声の下へと目を移すと、ひょいと少女の後ろからその声を投げかけた当人である男が姿を現した。

 それは怠惰な雰囲気を纏った男だった。
 ロクに手入れもしていないだろう、ぼさぼさとした頭髪がそのまま放置されており、服装も全体的にだらしのない乱れた着付けをしている。
 表情も筋肉が弛緩しているかのように力が入っておらず、無表情に近いのっぺりとした顔つきをしていた。
 そして何よりも目を引く特徴が、男の志貴を見る双眸だった。

 男の目は、まさしくドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。

 その少女とは打って変わった人物の登場に、否応なく志貴の警戒感が掻き立てられた。
 男は怪訝そうに顔を傾けて、志貴の顔を注視し始める。

 「ん~? ………んー…………もしかしてそっち、遠野志貴?」

 「なッ―――なんだよあんた、なんだって俺のことをッ?」

 「おお、やっぱりか。二次元と三次元の差があっても結構分かるもんだな。そういえば、薄幸な人も良く見れば特徴残ってたし。案外この調子なら他のキャラも見分けられるかね?」

 志貴の反応には頓着せず、一人合点が言ったように喋る男。
 完全に周りの人間を置いてけぼりにして納得したように頷く姿を見て、こいつは元々他人の理解を得ようとは考えてないことに志貴は気付く。
 余計に沸き立つ不信感に、表情が露骨に変化するのを抑えられなかった。
 少女には失礼だったが、さっさと切り上げるべく志貴は言葉を発する。

 「悪いけど、失礼させてもらいます。じゃ………」

 「ああ、バイバイ。どうせ今のところ特に言うこともないし。そんじゃまた後でよろしく、殺人貴」

 「―――!?」

 最後に吹っ掛けられたとんでもない言葉に、驚きながら反射的に振り替えった。
 男は気にした風もなくすでに志貴に背を向けており、大雑把な素振りでひらひらと上げた手を振っていた。
 その男の後ろにはあの可憐な少女が申し訳なさそうに控えていて、振り返った志貴へぺこりと一礼した後、男へと追随する。

 「なんなんだ、あいつ。人のことを、いきなり殺人鬼だとか………」

 苦々しい心境のまま言葉を吐き出す。
 それだけ後味の悪いものを、ほんの束の間の邂逅であの男は遠野志貴に与えていた。
 殺人鬼、というフレーズが嫌に志貴の耳へ残る。

 ふと、志貴は何時の間にやら自分が片手に何かを握りしめていることに気が付く。
 制服のポケットの中へ突っ込んでいた手を引き出してみる。手に握られていたものは、七つ夜と刻まれた10cmほどの細い鉄の棒だった。
 それは今朝、つい先ほど屋敷を出る間際になって琥珀から父である槙久の遺産として渡された、仕込みナイフであった。

 志貴は思わず息を呑む。
 慌ててナイフをポケットにしまいこみながら、何故こんなものを握っていたのかという真っ当な疑問を持つ。
 その時、志貴の脳裏に一つのフレーズが再度蘇る。

 ―――殺人鬼。

 「―――は、何をそんな馬鹿な。考え過ぎだ」

 馬鹿げた考えがひらめき、それを一笑に付して志貴は学校へと向かい歩き始めた。
 その心に奇妙なしこりを残しながら。








 ちらりと振り返り、清江は去っていく少年の姿を盗み見た。
 こちらに気を払う様子もなく離れていく姿を見届けてから、男へと顔を向ける。
 可憐な表情を硬くしながら、清江は言った。

 「―――先ほどの言葉、本当ですか?」

 「ん? 何が?」

 「とぼけないでください。貴方がさっき自ら口にしてたんじゃないですか。遠野志貴、と。あの学生が件の遠野家の長男なのですか?」

 「まあ、そうだろうね。正直いくら同じ町内とはいえ、そう都合良くばったり会えるなんてどんな確率かと思ったりするけど。実際会ってるし、お約束って奴だな。ぶっちゃけ二次元のキャラがリアルになって見分けられるかどうかイマイチ不安もあったけど、要は全く違和感のないコスプレみたいだし。まず間違いないっしょ」

 「こすぷれ………?」

 またも聞き覚えのない男の言葉に、清江は沈黙する。少なくとも、英単語ではなかった。どういう意味だ?
 考え込むが、ほんの数秒ほどで我に返り首を振る。重要なのはそこではない。
 理解不能な男の言動など捨て置き、問い質さなければならない点がある。

 「ならば、何故みすみす見逃しているのですか?」

 「は? 何のこと?」

 男がさっぱり分からないと言いたげな様子で清江を見返す。その目は何時も通り、ドブ川に浮かぶ魚の目をしていた。
 要領を得ない会話に、わざとおちょくっているのだと判断した清江はさらに語彙を強めて言葉を放つ。

 「ですから、先ほどの学生が例の遠野家の嫡男なのでしょう? なら一刻も早く対処すべきです。いくら遠野の一族、それも宗家に連なる者であるとしても、現実問題としてこれほどまでに市井へ被害が出てしまっているのです。事後承諾で十分事足りる筈、わざわざ遠野の家へ話を通す必要もないのでは?」

 務めて簡潔に清江は言い述べる。
 つまり、清江は不満をもっていたのだ。男がこの土地で起きている吸血鬼事件の犯人だと指した学生―――遠野志貴を、そのまま何もせずに見逃したことに。

 そもそもの話として、今回の事件の犯人が遠野の家の者だと言ったのは男である。
 コネクションもなく、足を使って調査した訳でもない。ただその口一つで断定した事柄だ。
 本人の人格の問題もあって、その情報はとても胡散臭く信用は低い。
 加えて直接面会した、犯人と目された遠野志貴本人への清江の印象もそれに拍車をかける。
 判別の呪を修めていないとはいえ、清江とて退魔の端くれ。魔の気配の残り香程度なら察することが出来る自負があった。
 しかし遠野志貴からは、そのような気配は微塵も感じ取れなかった。混血の家の者として考えれば、いっそ不自然だと思えるほどにだ。

 本当に、この男が言っていることは正しいのか?

 そんな至極もっとな懸念が、とくとくと清江の胸の内に湧き出てくる。
 男にあるのは、これまで嘘をついたことはないという実績。
 が、しかしそれは言い換えれば、それだけしか言葉を信じれる要素はないということでもある。
 たまたま初めて吐いた嘘が今日この時だった。それだけであっさりと覆される脆い前提なのだ。

 「ああなるほど、そういうことか。道理でなんか話が噛み合わない訳だ。自分としては今更な大前提だったけど、考えてみれば元々はミスリード狙った設定だったっけ、これ」

 「………またですか。一人合点してないで、何か言うべきことがあるのなら言って下さい」

 「単純な話だよ。事件の犯人である吸血鬼は、あのさっき会った遠野志貴じゃないってこと」

 「―――はい?」

 いきなりあっさりと前提を覆す台詞を言ってのける男に、清江は不本意にも唖然とした表情をこぼしてしまう。
 ぐるぐると混乱したまま沈黙するも、なんとか持ち直して男を睨む。切り替えの早さ。これまで何度も男のもたらす非常識な行動に付き合わされたことで得た、数少ない成果であった。
 全然嬉しくなかったが。

 「どういうことですか? この事件の犯人は遠野の長男だと、貴方自身が昨晩言ってたではないじゃないですか。今更違うなんて言って、どういうつもりなんですか」

 「だから、そこが勘違いなのよ。確かに吸血鬼は遠野の長男だし、殺人貴は遠野の長男ではある。けど殺人貴はあくまでも殺人貴であって吸血鬼ではないし、犯人である吸血鬼も殺人貴では決してない。てか勿体ぶるのも面倒だし答え言っちゃうけど、要するに養子だよ、養子。さっき会った方の志貴は養子の方の志貴で、本当の混血の血を引いた方のシキが吸血鬼な訳。分かった?」

 「養子!? 遠野の長男がですか!?」

 清江は目を大きく見開き、はしたなくも大声を上げてしまった。
 無理もなかった。それだけのとてつもなく大きい、驚愕すべき事実だったのだ。

 基本的に家格の大きい、歴史のある家ほど血の繋がり、つまり血統を重視する。それは東西問わぬ共通の文化でもある。
 加えて遠野は混血の大家でもある。血の繋がりの重要性は普通の家のそれを遥かに上回る。
 先に述べたように、異端同士のコミュニティは自己防衛の意味合いもあって、極めて閉鎖的な代物となっている。このコミュニティの前提となる繋がりが血縁である。
 つまり、普通は養子などあり得る訳がないということだ。そもそも遠野という家自体、遠野グループという巨大な一つの混血集団を束ねる宗家の立ち位置にある。
 いわば指導者だ。そんなグループを率いるべきその家の長男が、何処とも知れない身元の子供など誰が認められるだろうか。
 仮にそれが現当主の判断だったとしても、周りの分家の者たちが反対することは目に見えている。

 例えてみて、アメリカ合衆国の大統領がいきなり独断でその地位を火星人あたりに譲ったようなものか。
 もしそんなことになろうものなら各州で暴動が多発し、場合によっては内乱まで発展するだろう。

 「信じられません。あの遠野が養子を取ったなんて、しかもそれを長男に? 仮に当主がそれを行おうと思っても、そんなこと他の者が許さない筈です。異端の因習とは、そんなたかだか個人の意思で左右できる軽いものではない、不可侵な動かざるものなのですから」

 「と言われてもねぇ、実際そうなんだし」

 清江が己の知識に基づいて男の発言を否定するも、当の男は何ら堪えた様子もなく反応する。
 相変わらずマイペースを通したまま、ふざけた調子の声調で言葉を積み重ねる。

 「まあ素人考えで言わせてもらえば、家督も地位も全部妹の方が継ぐみたいだし。なんの実権も資産も与えないなら長男が誰だろうと良かったんじゃない? そもそもわざわざ子供とはいえ、退魔の家の子供を酔狂で養子に取ってるのよ? そんぐらいは自由に出来る程度には当主に権限があるか、もしくは周りが滅茶苦茶おおらかだったんじゃね? 普通なら断固反対するだろ。何時自分らに牙向けるか分からない爆弾持ちの子供を、次期当主の近くに置いとくなんて」

 「退魔の家の子供? 混血の遠野の養子がですか? そんなことがまさか、ある訳が………」

 立て続けの衝撃に、さすがの清江も驚きの許容量がパンク気味だった。
 次から次へと現実味のない情報をべらべらとまくし立てられて、内容を噛み砕くのに必死だった。
 どう考えてもやっつけを通り越したトンデモな内容なのに、男はそれがさも当然かのように話を進めるのである。
 そして男は清江へ、駄目押しのトドメをあっさりと告げた。

 「ちなみに言っておくと、養子の長男の本名は七夜志貴ね。退魔の有名処の奴で、そこんところの当主の息子。もっとも七夜時代の記憶に関しては、当人の頭の中から完全にデリートされてるみたいけど」

 「七夜って、まさか………十年ほど前に滅びた、あの七夜ですか!?」

 かつてこの国の退魔組織に、一つのある一族が存在していた。
 その一族は主に混血を対象とした討伐を生業とし、その戦歴・能力の高さから各地の混血から畏怖し警戒されていた。
 それが七夜である。

 しかし今現在、件の七夜はこの国に存在していなかった。

 おおよそ十年ほど前、当時の七夜の当主がいきなり退魔組織から脱退を宣言し、一族全てが隠居したのだ。
 組織から脱退するということは同時に、組織からの庇護も放棄するのだということを意味する。
 結果として自ら身を護る盾を放棄してしまった七夜は、これを機と見た何処かの混血たちに襲撃されてしまい、そして人知れず滅んでしまったのだ。
 これまでの行動と実績により、七夜は特に混血たちから多くの怖れを持たれていた。庇護を失った力持つ異端の末路など、目に見えた結果だった。

 「まさか、七夜を滅ぼした混血の一族が遠野と? しかもその一族の子供が今、遠野の長男として生きているなんて」

 くらくらする頭に片手を当てながら、その奇妙奇天烈な運命の流れを考える清江。
 伝聞でしかない情報だが清江が聞いた話では、なんでも七夜は極めて強い衝動を持った一族であったという。
 元々この国の退魔の業というのは混血には非常に効き目が薄い。元来純粋な魔を相手にした業であり、混血は人の要素を持っているがため純粋な魔とは言えないからだ。
 退魔の業の効力が、混血の持つ人の要素によって大きく減衰されるのである。
 そのために人に害なす混血を討つ新たな手段が求められ、そして生まれた一族が七夜なのだ。

 ちなみに清江の家もまた、同じ目的を持った家系であった。
 退魔の業が効かぬ混血に対抗するために、より直接的な行使力を求め追求した一族。
 その結果が清江の使う魔術であり、理ではなく技を求めた家系の歴史であった。

 そして七夜は、その清江の家よりも混血に対する技と血をより極みへと高めていたらしい。
 研鑽され積み重ねられた暗殺技法は単純な技術に留まらず血に宿り、混血の存在を近寄るだけ感じ取り抹殺へと行動を駆り立てたという。
 今は亡き清江の父は寝物語に、そんな話を清江に聞かせていた。

 もし男の話が事実だとするならば、それはもう酔狂だとしか言いようがなかった。
 自分たちの手で脅威足り得る七夜を滅ぼしておきながら、その七夜の子供を己の養子として手元に置く。そして今では本当の己の子は夜な夜な町を惑わす化生となって闇に潜み、引き取った天敵の一族の子が実子として生活している。
 いったいどんな運命の冗談なのだろうか。本来あるべき者があるべき場所におらず、あらぬべき者があらぬ場所に存在している。

 それゆえに改めて、清江は述懐する。
 やはりどうしようもなく信じ難い、荒唐無稽な話であると。
 そんなデタラメな話が現実にあるのだろうか。仮にあるとして、なぜ目前の男が知り得るのか?

 驚愕も収まり冷静になって考え直せば、そんな疑問が出てくる。
 今更情報の出所について考えても意味はない。そのあたりは悟った。しかし信憑性は別である。
 一から全部男の言うことを信じて行動するのは危険だと、清江は今までの結果により嫌というほど思い知らされているのだ。

 しかし残念ながら、この場でこれ以上清江に男と問答する時間は存在しなかった。

 「おー、見てみなよ可憐ちゃん。あれじゃね目的地?」

 男がドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、指先を前方へと指し示す。
 清江もそれに従い前を見れば、そこには他の付近の住宅を遥かに凌駕する、広い土地と大きな屋敷、そしてまるで牢のような印象の巨大な門があった。

 「あれが遠野の家の屋敷でしょ、多分」

 件の話の渦中。事件の犯人である吸血鬼の生家。国内有数の混血の大家の一つ、その宗家。
 その本拠地に乗り込むべく、男は何時も通り変わらぬ様子のまま、とりあえず話し合うために門にあるインターホンを押した。








 緊迫とした雰囲気が場に張り詰めていた。
 男と清江の二人は出迎えたメイドに案内されて、屋敷の中の応接間らしき部屋へと通された。
 案内された応接間には、すでに二人の人物が待機していた。
 一人は割烹着を着た使用人らしき女性で、その表情には場の雰囲気にはそぐわない仄かな笑みが浮いている。席に座ることなく、後ろの方へ立って控えていた。
 もう一人は席に着いており、氷のように整った表情を微動だにさせぬまま、怜悧な視線を男へと浴びせていた。黒い長髪を持った、美しい少女だった。

 「随分と余裕を持って来ましたね。確か私の記憶が正しければ、約束の時間は八時だった筈ですが」

 表情と同じ温かみを感じさせない声色で、少女―――遠野秋葉が言った。
 部屋の雰囲気を緊迫したものへとしている原因であり、男への敵意を無言のまま漏らし示している目の前の少女こそが、遠野の現当主であった。
 肌で感じ取れる魔の痕跡を認めながら観察している清江の横で、男はさして気にした様子もなく言う。

 「たかだか十分程度の誤差でしょ? そんなケチケチ気にしなくていいじゃん。もっとゆとりを持ったらどうよ?」

 「結構です。それよりも用件を言ってくれませんか? 無駄に時間を費やしている余裕はないので、手早く些事は片付けたいと思っていますので」

 「うわ、すげぇ露骨。もうちょっと腹芸というか、隠す素振りはした方がいいと思うよ。自分個人の意見だけど」

 「お構いなく。特にあなた方に対して配慮する必要性は感じていないので」

 「嫌われてるねぇ。まあいいか、話も早く済むし」

 軽い舌戦が繰り広げられる。秋葉はその表情を変えず、男ものっぺりとした表情のまま変化はない。
 男は誰に断るまでもなく、勝手に椅子を引くと席に着いた。
 ぽんぽんと隣の椅子を叩きながら、清江に向けて喋る。

 「可憐ちゃんも座ったら? ずっと立ってても疲れるし」

 「いえ、私は………」

 「どうぞ、席におかけください」

 遠慮しようとした清江に対して、秋葉の後ろに控えていた割烹着姿の少女が柔らかく声を滑り込ませる。
 少女はいつの間にか手にカップとポットを持っており、カップに紅茶を注いで男と清江の二人の前へ置いた。

 「おー、どうもありがとさん」

 「いえいえ、どういたしまして」

 軽薄な礼を言って紅茶を啜る男へ、微笑を浮かべて応じる少女。
 しばらく迷った様子を見せていた清江だが、最終的には勧められた通り椅子へと腰掛ける。
 清江の本音を言うと咄嗟の対応に備えて立っていたかったのだが、別に戦いに来た訳ではない。最初から警戒心を強く持ったまま控えるなど失礼に当たるだろうと判断したのだ。
 カップの中身を半分ほど飲み干し、かちゃりと皿の上に置く。

 「で、用件だっけ? あーそうそう、こっちの用件は一つ。遠野シキを殺してほしい」

 「――――ッ」

 空気が凍った。
 秋葉の表情が一瞬だけ動いたのも束の間、一転して絶対零度の如き殺意が変わらぬ表情の上に漏れ出す。
 部屋の隅に控えていた男たちを案内居てくれたメイドの少女と、微笑を浮かべていた割烹着の少女も顔が崩れ、別の感情を噴出させていた。
 一瞬にして一触即発な火薬庫へと変貌した室内に、男の隣に座る清江は可憐な顔に緊張を走らせて冷や汗を流す。
 やはり、席に着いたのは間違いだったか?

 「勘違いしないでくれよ? 自分が言ってる遠野シキは養子の志貴じゃなくて、実の兄の方のシキだから。オーケー?」

 「―――それで、あなた方は何者なのかしら。いったいどちらの飼い主から出てきたのか、私に教えて下さらない?」

 「自分らが何者かねぇ………昨日電話で言わなかったっけ?」

 ごそごそと小さなポーチの口を開けて中身を探り、掴んだものを卓の上へ滑らせた。
 引っ張り出したものの正体は、男が便利屋から受け取った依頼書の封筒だった。
 すでに封の切られているそれを手に取り、秋葉は中の書類へ目を通す。

 「自分らはしがないただの退治屋だよ、フリーの。んで色々と面倒見てもらっている組合から依頼が回ってきたから、それを達成するためにこの町まで来た訳。依頼の内容は吸血鬼退治」

 「フリー? 従順な手足の間違いではなくて? この内容を見る限り、独立しているようにはとても見えませんが」

 「建前上は独立してるさ。んで、世の中それで十分しょ。それ以上は必要な人間が勝手に追及すりゃいい」

 小言の応酬を繰り返しながらも、漏れ出る殺気が収まる気配はない。
 一通り改め終えた書類を封筒に戻し、秋葉は手元に置かれたカップを手に取り口を付ける。

 「事情は分かりました。色々と問い質したい点はありますが、まあいいでしょう」

 「話が早くて助かるね。やっぱ楽がしたいからね、自分としては。妹さんの能力なら蛇の人もイチコロで済ませられるでしょ? だから吸血鬼退治を頼みたい訳よ。で、頼まれてくれないかな吸血鬼退治?」

 時計の規則正しく響く音が聞こえる。
 ほんの数秒足らずの沈黙だが、やけに重く長い時間だと清江は感じる。
 確実に今、目の前の混血の大家の逆鱗の近くを触れている。直感で清江はそれを悟っていた。
 緊張で喉が渇くも、紅茶へと手を伸ばす意思すら持てず固まる。

 「―――身内から出た錆ならば、この土地の管理者である一族の当主として処断するのもやぶさかではありません。いいでしょう。随分と人を軽んじた不躾な依頼ですが、引き受けてもかまいません」

 「おおサンキュー、意外と融通が利くね妹さんって」

 「では、即刻にこの土地から立ち退いてください。それから今後、二度と屋敷には近寄らないように」

 「なッ!?」

 突然の宣告に、驚きをそのまま口へ出してしまった清江。
 ちらりとそちらへ視線をやり、当然だと言わんばかりに秋葉が説明する。

 「当然でしょう。これは当家の問題です。何の関わりもない部外者の方々がこれ以上干渉する道理などなく、そもそもこの土地の問題に対して横から口を出してくる謂れもない筈です。今このまま私の言葉に従いこの土地を去るならば、その素直さに免じて一切の手出しをしないことを約束しましょう」

 「へー。ちなみに、断った場合は?」

 「別に、ただ単純に“今まで通りの”当家のもてなしで対応させてもらうだけです」

 異端のコミュニティとは、部外者に対して極めて排他的なものである。
 内から外へ異端者を出さぬ代わりに、外から内への干渉を徹底的に拒む暗黙の了解を持つ。
 無遠慮な踏み込みはそれこそ、血の洗礼を持って排除し闇へと葬ることさえ厭わないのだ。
 ましてやそれが、当人たちが秘そうと思っている深層に触れようものならば言わずもながである。

 清江は理解せざるをえなかった。
 男が言っていた妄想としか思えなかった話は、事実だったのだと。でなければここまで過剰な反応が出てくる筈もない。
 すでに場の状況は、男の返事の内容一つで即座に血に染まりかねないものへと行き着いていた。

 「残念ながら、自分としても嬉しい提案だけど無理なんだよね、それ。依頼書見た? そこに書いてあったと思うけど、注意事項として依頼の完遂を自分の目で確認しろってあるでしょ? だから最低でも吸血鬼が死ぬまでは自分この町にいないといけないのよ。面倒だけどさ」

 「それはつまり、返事は“ノー”ということですか」

 「まあ、そういうことになるかね?」

 「そうですか」

 ざわりと、何かが蠢いた予感がした。
 清江は素早く目だけ動かし、周囲の配置を確認する。メイドと割烹着の二人の少女はいつの間にか壁際へと控えており、室内に卓と椅子以外に障害となりそうなものは存在していない。
 逃走経路として使えそうなポイントは、自分たちが入ってきた入り口と、反対側にあるもう一つの入り口。そして壁に付けられた等身大の窓ガラス。この三点。
 いや、窓ガラスはよく見れば使えない。中に網の入れられた強化ガラスらしく、その上開放不可能な格子が取り付けられている。
 それはまるで、中にいるものを逃がさない牢獄のような構造だった。

 舌打ちする。すでに相手の領域に封殺されていることを、遅まきながら理解したからだ。
 清江は見た目平素な様子を維持したまま、混血の当主へと視線を移す。
 一瞬、その黒い長髪が紅に染まったかのように見えた。

 「―――では面倒ですが、足元を走り回る鼠を掃除することにしましょうか。だって仕方がないのでしょう? 飼い主がちゃんと面倒を見ずに人様の家へ忍び込んだのですから」

 「あらら、実力行使? なんかやけに喧嘩っ早くない?」

 ドブ川に浮かぶ魚の目をしたまま、男はこの期に及んでもとぼけた調子を変えず発言する。
 すでに弦は引かれてしまった。悠長に席に着いている余裕なぞない。
 秋葉が席を立とうとし、清江が男を引っ掴んで退避しようとするその間際。
 しかし男がまた一つの言葉を放り込むことで、また場の状況は一変することになった。

 「もしかして、自分がそっちの愛しのお兄様に何かするんじゃないかとかって疑ってたり? なら心配しなくていいよ。別に何かするつもりないし、自分」

 「なぁッ―――!?」

 その人形のように整った風貌を初めて壊し、秋葉は硬直した。
 その想像外の反応に、飛び退こうとしていた清江も動きを止める。

 「ああ、やっぱりか。妙に拙速つうか急いでると思ってけど、原因はそれか。安心しなよ妹さん。別にわざわざ殺人貴にちょっかいかける必要もないし。そんな面倒なこと自分からやりゃしないって」

 「ふざけたことを………別に私は兄に恋慕などしていません。勝手に下劣な想像をしないでいただけませんか」

 「んな隠さなくていいじゃん。本当は好きでしょ? 兄妹的な意味じゃなくて男女の関係的な意味でさ。じゃなきゃわざわざ本当の兄を差し置いて家に連れ戻したりしないでしょ。えーと、恋人じゃなくて妹のポジションにいるのは、確か家関係での色々なしがらみで本人に暴露するのが怖いから、あえて近くに居られる妹で満足しているんだっけ? 回りくどい話だと思うけどねぇ、自分としては」

 「黙りなさいッ!!」

 べらべらと捲し立てる男の言葉を、秋葉は大声で一喝した。
 目にも露わな敵意と激情に駆られながら、秋葉は男へと叩きつける勢いで言った。

 「あなたは、いったいどこまで知っているの? 何が目的でこの屋敷へ近付いたんです!?」

 「深読みしすぎだよ。最初っから言ってるじゃん? 吸血鬼退治の依頼だよ、依頼。それ以外に含みも裏も何にもないって」

 ひらひらと手を振りながら言い、男は残ったカップの中身を一気に飲み干した。
 秋葉は黙ってその姿を見つめている。その口はきつく閉じられ、本人が抱えている懊悩を悠然と物語っていた。

 「そうそう、それからさっき言ってた干渉する道理がないって奴だけど、それは多分違うから。事件発生からもう大分経ってるし、ローカルニュースで散々報道されてるんでしょ。確か神秘の基本は隠匿だった筈。こんなに巷で騒がれてる時点で、もう遠野だけに任せてられないって判断でもされたんじゃ? じゃなきゃ自分らに依頼なんて回ってこないでしょ。まあ、使い捨てって可能性あるけどさ」

 「…………もういいです。用件が済んだのなら帰ってくれませんか」

 吐き捨てるといった様子で、秋葉は言った。もうこれ以上付き合うのも嫌だという態度であった。
 あららと口で言いながら、表情を一切変えずに男は了解する。
 結果的に矛を交えずに済み、清江はようやく口から安堵のため息を漏らした。身体が緊張に固まり、疲労している。
 気付かぬうちに臨戦態勢を維持したままだったらしい。

 「琥珀、厄介な客人がお帰りよ。一応案内してあげなさい」

 「はい、秋葉さま。ではお客様、どうぞこちらへ付いてきて下さいませ」

 割烹着の少女が笑顔を浮かべたまま、二人を先導するように歩き始める。
 後に続いて応接間を退出しようとした時、ふと男が立ち止まると、秋葉の方へ向いて言った。

 「妹さんに言っとくけど、好きならとっとと好きって言って捕まえといた方がいいよ。首に鎖掛けて手綱握るとかさ。じゃなきゃ思ってもいなかった人に兄さん取られて、泥棒猫って叫ぶ羽目になるから」

 「ッ―――うるさい! 余計なお世話です!!」

 ぎらりと秋葉が睨みつけ、次なる罵詈雑言が飛び出る前に、男はそそくさと部屋を出ていった。
 なにを余計な一言を言っているのかと清江は男を見るが、所詮は暖簾に腕押しである。

 割烹着の少女―――琥珀に連れられて、二人は屋敷を出て、門の前まで無事に出る。
 琥珀は几帳面にも、部外者であり不審者である退治屋の二人をわざわざ門の前まで見送ってきた。
 色々な意味を込めて、清江は琥珀に頭を下げて礼を言った。

 「どうも、ありがとうございました」

 「いいえ、どういたしまして。大変そうですが、頑張ってくださいね」

 「おー、ご苦労さん。それじゃバイバイ、先輩さん」

 きょとんとした様子で、琥珀が男の顔を見る。
 清江もまた同じく何を言っているのか分からず、男を見上げる。

 「あの、先輩ってなんのことでしょうか?」

 「先輩は先輩だよ。尊敬すべき先駆者のこと。自分じゃとてもじゃないが真似出来なくてね、本気で尊敬してるのよ。一応見習おうと思って、自分も頑張って努力したんだけどねぇ」

 「はぁ、そうなんですか。それはどうも、わざわざありがとうございます………?」

 全くもって何のことか分からないのか、琥珀は疑問符を浮かべたまま返事をする。

 じゃ、と男は片手を上げる。
 碌に疑問を解決することもなく、身勝手に言いたいことを好きなだけ言ってから、男は遠野邸を後にした。
 清江もそれに追随し、無礼を謝るように可憐な仕草で礼を述べながら去る。
 その二人の後ろ姿を、琥珀が黙って見送っていた。








 「なんなんだったんでしょう、いったい?」

 不可解な言動を主だけでなく、自らにまで振る舞った謎の男に対して、琥珀は二人の後ろ姿を見送りながら考えていた。
 先輩なんて言われたが、自分がそう呼ばれるようなことをした覚えはない。資格こそ持っているが、そもそもまともに教育機関を出てすらいないのだ。
 何かしら人の目につく賞罰を取ったこともなく、少なくと見知らぬ他人が尊敬できるようなものを持ってる訳ではない。

 しかし、少なくとあの男は自分を特定して知っていたし、なにか確固とした事実を知っている様子を見せていた。
 考えても考えても分からない。
 しいて言えば薬草学について少しばかり見識があるが、それについて尊敬しているとでも言っていたのか?

 「まあ考えても分からないものは分かりませんし、仕方がありませんか」

 うーんと考えた末、そう切り替えると屋敷の中へと琥珀は引き返していった。
 予想外なことではあったが、さして重要ではないし、そんな深く考えることでもない。
 なによりこれから“色々と”忙しくなりそうだったので、そちらの準備を急がなければいけないだろう。

 「とりあえず食事の在庫については、先日買い足したばかりで大丈夫として、後は―――」

 ぱたぱたと表情に微笑を浮かべたまま、琥珀は日々の仕事へと戻っていった。










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