日本の国宝第1号は新羅の仏像そっくり(上)

神社、古墳、城、寺のあちこちにわが先祖の息吹

法隆寺は三国時代の文化の総合版

 「今回の旅行では、特に四つの点に留意しながら見学して下さい。神社、古墳、城、寺のいずれも日本の歴史が刻まれています。しかし、そこに隠されたわたしたちの先祖の息吹を感じて下さい」

 第27回「日本の中の韓民族史探訪」に参加した523人(教師355人、一般人168人)は12日、最初の訪問先である福岡の太宰府に到着し、江原大学史学科の孫承喆(ソン・スンチョル)教授の話に耳を傾けた。

 660年に百済が新羅と唐の連合軍に敗れて滅亡すると、列島(当時は日本という国名はなかった)の中大兄皇子(天智天皇)は2万7000人の兵力を引き連れ、百済を助けるため出征した。太宰府は、羅唐連合軍に敗れて戻った中大兄皇子が新羅からの攻撃に備え、百済出身者の先進的な技術を駆使して積み上げた百済式の土城と山城だ。釜山から200キロ、東京から300キロ離れたこの地で訪問団は、あちこちに散在する石の遺跡を見て回った。南楊州で高校の校長を務めるチェ・ジョンソプさん(61)は、「教師になったばかりのころ、中学生の指導をしながら、韓国の古代史に魅了された。もっと早くにここへ来ていたら、授業のとき、生徒たちにもっと多くのことを話してあげられたのに」と話した。

 「日本の中の韓民族史探訪」は1987年から、韓日関係の誤った認識を見直すという趣旨で始まり、これまで1万3300人以上の教師や一般人が参加した。今回の第27回訪問団は、今月11日から16日までの日程で、2万3000トン級のクルーズ船やバスを利用しながら、釜山から九州(福岡、熊本、大分)、本州(大阪、奈良、京都)へと続く往復2000キロ以上を旅した。朝鮮日報社が主催した今回の訪問は、新韓銀行とポスコが協賛し、サムスン・ソウル病院が医療陣を派遣した。

 日本の文化財に刻まれた韓国文化の息吹を感じる見学ツアーは、昼も夜も行われた。昼は寺や古墳などで講義が行われ、帰国する船内では、夕食後に真剣な雰囲気の中で講義が行われた。講師として参加した檀国大学のチョン・ヨンホ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)、孫承喆教授、ソ・ジョンソク教授らは交代で、「韓国文化の日本伝播」「朝鮮通信史と21世紀の韓日関係」「百済と倭」などをテーマに、興味深いエピソードを交えながら講義を行った。

第27回「日本の中の韓民族史探訪」に参加したメンバーが、京都の広隆寺にある弥勒菩薩半跏像を見学する前に、公州大学のソ・ジョンソク教授から説明を聞いている。/写真=李泰景(イ・テギョン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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