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偽札、風船爆弾、生物兵器……旧日本陸軍の謀略技術がこの国を襲う

日本で暗躍する北朝鮮スパイは「陸軍中野学校」を手本にしている

SAPIO 2010年8月25日号掲載) 2010年9月6日(月)配信

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謀略用兵器は
旧日本軍の模倣!?

 この陸軍中野学校と不可分の関係にあるのが、スパイ道具や特殊兵器を開発する陸軍登戸研究所である。

 登戸研究所は、防諜・諜報・謀略・宣伝という「秘密戦」に必要な資材や機材、特殊兵器を研究・開発していた秘密施設で、近年になって全貌がようやく明らかになった。現在、登戸研究所の一部が神奈川県川崎市にある明治大学生田キャンパスに「平和教育登戸研究所資料館」として保存・再生され、一般公開されている。

 登戸研究所は、第1次世界大戦後に陸軍科学研究所として設立された。昭和2(1927)年、日本で初めてスパイ器材や秘密兵器の研究・開発のため、陸軍科学研究所に「秘密戦資材研究室」が付設された。

 登戸研究所は4つの研究部門(科)に分かれ、第1科は風船爆弾、特殊無線機、電波兵器、人工雷(気象兵器)など特殊兵器の開発、第2科はスパイ道具や憲兵用器材、蛇やキノコなどの毒物、化学合成の毒薬、生物(細菌)兵器などを担当し、第3科は経済謀略のための偽札製造、第4科は開発された秘密器材の量産や使用指導にあたっていた。

 旧日本陸軍の細菌兵器といえば、731部隊(関東軍防疫給水部)の活動が有名だが、登戸研究所では731部隊のような人間の病原菌ではなく、植物や動物に対する細菌を兵器化していたのである。

 一般的に登戸研究所は「風船爆弾」で知られている。研究所第1科第1班で開発されたコンニャク糊と和紙による「ふ号(風船)」兵器は、当初は爆弾ではなく細菌兵器を積載し、アメリカ本土を攻撃する計画だった。研究所第2科第7班では、牛、豚、羊など家畜の病原菌を研究し、昭和19(1944)年5月までに、牛の伝染病である「牛疫」のウイルスの生産、培養、粉末化に成功、感染実験も完了していた。

続きを読む : 9月、気球に牛疫ウイルスを…

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