偽札、風船爆弾、生物兵器……旧日本陸軍の謀略技術がこの国を襲う
日本で暗躍する北朝鮮スパイは「陸軍中野学校」を手本にしている
(SAPIO 2010年8月25日号掲載) 2010年9月6日(月)配信
当初は諜報要員を養成していた中野学校も、戦局の変化とともに遊撃戦要員の養成に重点が移った。昭和19(1944)年9月、静岡県二俣町(現在の静岡県浜松市天竜区)に遊撃隊幹部要員養成のための二俣分校が開設された。昭和49(1974)年までフィリピンのルバング島で、遊撃戦を展開していた小野田寛郎少尉は、陸軍中野学校二俣分校の1期生だった。
小野田少尉が日本に帰還したのは、金正日が謀略組織の実権を握る前年だった。映画好きの金正日は『陸軍中野学校』シリーズを見て、中野学校の教育方針に感銘し、小野田少尉のような命令に忠実な卒業生(軍人)が現実にいることを知って、中野学校を工作員(諜報員)養成機関である金正日政治軍事大学の模範にしたと考えられるのだ。
戦前「帝国臣民」として中野学校で学び、戦後に北朝鮮に帰国した3人の朝鮮人卒業生が、金正日政治軍事大学の教官をしていたという情報もある。
金正日政治軍事大学の教育カリキュラムを見ると、中野学校の学課(講義)と術課(実技)を採用しているように思われるが、唯一の違いは映画学習である。
「大学では毎週、外国の格闘技の映画など、さまざまな珍しい映画を見ることができた。〈略〉日本のアクション映画のほかに、学校では第二次世界大戦中、日本の陸軍中野学校で実施していた教育の精神を見習って、学生を教育していた」
金正日政治軍事大学を卒業した元工作員の安明進氏は、手記『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店刊)のなかで、在学中に映画『陸軍中野学校』を観たと書いている。金正日は工作員教育のため『陸軍中野学校』シリーズや『ナバロンの要塞』などのスパイ映画を学生たちに鑑賞させ洗脳教育≠行なっていた。
金正日が中野学校出身者を高く評価していることは、専属料理人だった藤本健二氏の証言からも明らかである。金正日とピストル射撃に興じていた藤本氏が高得点をマークすると、「藤本はやっぱり中野だ」と叫んで喜んだという。
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