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サンマが縁 友好都市 目黒・気仙沼

2010年09月19日

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友好都市協定締結式では、青木英二・目黒区長(左)から、菅原茂・気仙沼市長に大漁旗が渡された

◆落語好きが発案「祭」15周年

 サンマが取り持つ縁で、東京都目黒区と、宮城県気仙沼市が18日、友好都市協定を結んだ。きっかけは、1人の落語好きの男性のアイデアで始まった「さんま祭」。地道に交流を重ねた結果、今や全国に知られる催しとなった。15回目の今回は19日午前10時から、目黒区の田道(でんどう)広場公園で開かれる。
(伊藤弘毅)

 締結式があった目黒区のめぐろパーシモンホールには、両自治体の関係者や住民が数多く出席した。青木英二・目黒区長は「この日を迎えられたのは、さんま祭を継続してくださったみなさんのおかげです」と、気仙沼市側に感謝。菅原茂・気仙沼市長は「私も1回目の祭りのメンバー。感無量だ」と応じた。

 会場で、式の様子を感慨深げに見つめる男性がいた。目黒のさんま祭気仙沼実行委員長の松井敏郎さん(63)だ。「私の仲人で、気仙沼と目黒が結婚したみたいだ」
 秋の風物詩となった「目黒のさんま祭」が始まったのは1996年秋。

 松井さんは気仙沼で、看板などのデザインの仕事をしていた。仕事の一方で、開催の数年前から、ずっと「若者を、街を盛り上げられるイベントができないか」と考えていた。それも、できるだけ多くの人が集まる場所で。

 行き着いたのは、落語「目黒のさんま」にちなみ、サンマを振る舞う催し。松井さんは大の落語ファン。ある日、「目黒のさんま」のレコードで、おいしそうにサンマを食べる落語家の話を聞いてひらめいたという。サンマと言えば、気仙沼の名産品。美術学生時代などで7年間を東京で過ごし、目黒の都立大学駅近くでアルバイトをしたこともあった。ただ、「壮大な計画」は、誰にも話せぬまま、2年が過ぎた。

 「東京で気仙沼のサンマを無料で味わってもらうイベントがやりたい」。思い切って地元の友人たちに話した。「おもしろい」。友人を通して、多くの若者が集まった。

 目黒区の中でも、落語の舞台、茶屋坂のある田道住区の住民会議に働きかけた。会議の幹部だった長井輝子さん(67)に協力を要望。松井さんらの熱意にほだされ、長井さんも「何とかしましょう」と、腹を決めた。8月、田道での開催が決まった。

 開催資金を寄付で集めるなど、手探りで準備が進んだ。そして96年10月13日、目黒の空にサンマを焼く煙が上がった。両自治体は、2003年から中学生の自然体験を気仙沼で実施するなど交流を重ねた。災害時相互協定も結んでいる。

 さんま祭には今回も、気仙沼からサンマ5千匹以上とともに、バス3台で100人以上の市民が駆けつけ、サンマを焼く予定だ。

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