2009年03月
各国の雇用政策は、失業率にしばしば悪い影響を与えてきた。1970年代の石油危機以降、欧州諸国は解雇規制を強めて労働市場を硬直化した結果、「構造的」失業が増え、慢性的な失業問題に悩まされるようになった。これに対して、アメリカは労働市場を柔軟にすることによって労働者を救済する政策をとった。その結果、最悪のときは10%を超えた失業率は1982年には5%に減少した。解雇しやすい国は雇用コストが低いため、再雇用もしやすいのだ。日本の労働行政の奇怪な点は、派遣や請負などの問題ばかり騒がれ、もっとも悲惨な失業者の問題が論じられないことだ。「2009年問題」で15万人以上の派遣労働者が失業者に転落することが予想されているのに、厚労省は「直接雇用しろ」という建て前を繰り返すだけだ。90年代には、大蔵省が不良債権の醜い現実を認めるまでに5年かかった。今回もこうして時間を空費しているうちに「大失業時代」がやってくるだろう。
社内失業者を飼い殺しにする「労働保持」を奨励する政策は、短期的には労働者の救済に役立つが、長期的には労働生産性を低下させて構造的失業率(自然失業率)を高める。各国政府は70年代の失敗を繰り返すまいと政策を修正している。スペインやスウェーデンでは、社会保険の負担を減らすことによって雇用を維持しようとしている。一部の欧州の国では「ワークシェアリング」を導入している。イギリスは労働者保護よりも、職業訓練などの積極的労働政策に力を入れている。
最悪なのは、日本の政策だ。厚労省は正社員の過剰保護によって大量の非正規労働者が出ている「醜い現実」を直視せず、場当たり的な政策を続けてきた。労働保持する企業に補助金を与える「雇用調整助成金」は、労働市場の硬直性を高める愚かな政策だ。労働市場を柔軟にする改革は政治的には容易ではないが、遅かれ早かれ避けられない。残念ながら今回の失業問題は、短期に収まる見通しはないからだ。
しかし残念ながら、本店に絞ると、丸山の学問的な業績はかなり怪しげなものといわざるをえない。代表作である『日本政治思想史研究』も、彼の解釈は近代化論的な思い込みを荻生徂徠に読み込むもので、文献学的には疑問が多いとされている。むしろ丸山の本領はジャーナリスティックな「夜店」にあり、「本店」のほうはそれにアカデミックな飾りをつけたものと思ったほうがよい。
丸山が生涯を通じて闘ったのは、彼が晩年の論文「歴史意識の『古層』」で語った日本人の精神的原型だった。それは「つぎつぎに・なりゆく・いきほひ」と要約される、超越的な価値観をもたず、その場のなりゆきに流されやすいニヒリズムである。若いころの丸山は、こうした近代的主体の欠如が戦争になだれこむ原因だったと考え、受動的な「である」ことの倫理に主体的な「する」ことの倫理を対置した。
こうした信念の実践が安保闘争だったが、それは政治的には敗北に終わった。そのあと丸山は研究室にひきこもり、東大闘争で「戦後民主主義」の教祖として攻撃され、体調を崩して退官する。その後ほとんど著作を発表しなくなったが、1972年に出た「古層」論文では、一転して日本的ニヒリズムを評価するかのような表現で注目された。
「神は死んだ」とニーチェがくちばしってから一世紀たって、そこでの様相はどうやら右のような日本の情景にますます似て来ているように見える。もしかすると、われわれの歴史意識を特徴づける「変化の持続」は、その側面においても、現代日本を世界の最先進国に位置づける要因になっているのかもしれない。これは文化的決定論だという批判もあるが、丸山の指摘はウェブ上の言論によく当てはまる。匿名掲示板に見られるのは、主体性が欠如し、空気を読んで多数に同調する古い日本人である。彼らは表の世界では、民主主義とか市場経済などの主体性を原則にした制度を受け入れているが、本当はそういうシステムはきらいなのだ。何かあると「市場原理主義」を攻撃して政府の温情主義を求める人々にも、主体性への嫌悪がみられる。
もちろん西欧的な主体性というのもフィクションなので、どっちがすぐれているかはわからない。「古層」論文のあと、日本的ニヒリズムがポストモダンの先駆だという議論が、「日本的経営」礼賛とあいまって流行したこともある。しかし今となっては、それも思想的バブルにすぎなかった。近代的な主体性を理想化して日本を「遅れた」ものとする初期の丸山も一面的だが、日本が西欧近代に代わる思想を生み出したわけでもない。
明治以来100年以上たっても日本人の「古層」は変わらない、という晩年の丸山のあきらめにも似た宿命論は、おそらく正しい。進歩的知識人が、晩年にこうした「日本的なるもの」に回帰するのも近代日本の特徴だ。それが何の解決にもならなかったこともわかっているのだが・・・
Economist誌のアンケートによれば、61%がNO。おもしろいのは、賛成派のDeLongが「経済学者はみんな反ケインジアンだ」と嘆いているのに対して、反対派のZingalesが「政治家はみんなケインジアンだ」と批判していることだ:
The main difference between Keynes and modern economics is the focus on incentives. Keynes studied the relation between macroeconomic aggregates, without any consideration for the underlying incentives that lead to the formation of these aggregates. By contrast, modern economics base all their analysis on incentives.長期的なインセンティブへの影響を考えないで目先の「需要不足」さえ埋めればいいという意見は、政治家には多いが経済学者にはほとんどない。もちろん私も、NOに1票。
When Mr Bernanke engineered the bail-out of Bear Stearns, he did not care about the impact this decision would have on the other investment banks' incentives to raise equity capital at rock-bottom prices. When he changed his position twice in the space of two days, letting Lehman fail, but bailing out AIG, he did not care about the impact it would have on investors' confidence and incentives to invest. It is this erratic behaviour that has spooked the market and created the current economic crisis.
グリーンスパンが、FRBの超緩和政策がバブルをもたらしたというテイラーの批判に反論している:
U.S. mortgage rates' linkage to short-term U.S. rates had been close for decades. Between 1971 and 2002, the fed-funds rate and the mortgage rate moved in lockstep. The correlation between them was a tight 0.85. Between 2002 and 2005, however, the correlation diminished to insignificance.FRBがFF金利を引き上げても長期金利が下がる現象を、グリーンスパンが「謎」(conundrum)と呼んだのは有名だが、その謎の原因は新興国の貯蓄過剰だったという。今後の対策として必要なのは、当局による裁量的なmicromanagementではなく、自己資本規制を投資銀行にも適用することだ――という主張はあいかわらずリバタリアンの面目躍如だが、ちょっと自分に甘くないですか。
[...] the presumptive cause of the world-wide decline in long-term rates was the tectonic shift in the early 1990s by much of the developing world from heavy emphasis on central planning to increasingly dynamic, export-led market competition. That ex ante excess of savings propelled global long-term interest rates progressively lower between early 2000 and 2005.
先月の「サイバーリバタリアン」に書き、今週のSAPIOでも話したことだが、「2009年問題」の危機が迫っている。労働者派遣法の改正で3年と定められた雇用期限が今月末に集中し、失職する製造業の派遣労働者は、厚労省の推定で15万7000人。日本製造業アウトソーシング協会などの調べでは、臨時工や請負をふくめて40万人にのぼる。
このうち派遣労働者は、労働者派遣法によって期限がきて直接雇用しない場合は、3ヶ月の「冷却期間」を置かなければ再雇用できない。この時期に直接雇用を増やす企業は少ないため、今月末に派遣切りが激増するだろう。臨時措置として、派遣契約の継続を望む企業は継続できるように、政令あるいは通達でこの規定を凍結すべきだ。
このうち派遣労働者は、労働者派遣法によって期限がきて直接雇用しない場合は、3ヶ月の「冷却期間」を置かなければ再雇用できない。この時期に直接雇用を増やす企業は少ないため、今月末に派遣切りが激増するだろう。臨時措置として、派遣契約の継続を望む企業は継続できるように、政令あるいは通達でこの規定を凍結すべきだ。
民主党の財政政策に一貫して懐疑的なMankiwが、オバマ政権の財政政策の効果を評価したTaylor et al.の論文を紹介している:

先月、発表された政策の評価がディスカッション・ペーパーとしてもう発表され、それが専門家のブログで議論され、政権にも影響を与える――ウェブは、アメリカでは確実に政策決定プロセスを変えつつある。ひるがえって日本は・・・と考えるのもむなしいが、民主党がそういう政策ウェブサイトをつくってはどうだろうか。
We find that models currently being used in practice to evaluate fiscal policy stimulus proposals are not robust. Government spending multipliers in an alternative empirically-estimated and widely-cited new Keynesian model are much smaller than in these old Keynesian models; the estimated stimulus is extremely small with GDP and employment effects only one-sixth as large and with private sector employment impacts likely to be even smaller.
先月、発表された政策の評価がディスカッション・ペーパーとしてもう発表され、それが専門家のブログで議論され、政権にも影響を与える――ウェブは、アメリカでは確実に政策決定プロセスを変えつつある。ひるがえって日本は・・・と考えるのもむなしいが、民主党がそういう政策ウェブサイトをつくってはどうだろうか。
きのうの日経新聞の社説に、レセプトの電子化の話が出ていた。この話は昔、取材したことがあるが、いまだに電子請求の割合が「病院は57%だが診療所は4%にすぎない。歯科の請求にいたっては、いまだにすべて紙のレセプトに頼っている」という状況には驚いた。私の通っている歯医者さんの伝票はすべて電子化されているが、それを保険組合などに送るときは、全部わざわざ紙に打ち出しているわけだ。
おまけに政府の決めたレセプトの「完全電子化」を「原則電子化」に変え、3月中に閣議決定し直すよう求める声が自民党内に広がっているという。医師会などは「専用のコンピューターシステムを導入するための投資負担が重い」などという理由をあげているが、これは見えすいた嘘である。日経の社説も指摘するとおり、レセプトが電子化されると診療報酬の不正請求がチェックしやすくなるからだ。
レセプトのチェック体制は、信じられない前時代的なものだ。数百万枚の紙を、数人の審査委員(医師免許をもつ)が手でめくってチェックする。紙幣を数えるような目にも止まらないスピードなので、「こんなスピードでわかるんですか?」と審査委員にきいたら、「勘ですよ。悪質な医者は、においでわかるんです」と笑った。もちろん、こんな手作業で不正請求がまともにチェックできるはずがない。
このように公金をごまかす権利を主張するロビー活動は、先進国では珍しい。かつてグリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)は国会で法律が成立したあと、金丸信などが「プライバシー」を理由に反対してつぶした。消費税のインボイスも、自民党税調がつぶした。そのときも「中小企業の負担が重い」という今回と同じような理由があげられたが、もちろん本当の理由は「クロヨン」と呼ばれる法人税や所得税の脱税がばれるからだ。
小泉内閣以来の医療制度改革を「市場原理主義」と批判してきた医師会が、不正請求の権利を公然と要求するのをみると、「武士道」をとなえる人々は卑怯なことはしないという藤原正彦氏のテーゼは疑わしい。ITも市場も、すべてをガラス張りにする。それをきらうのは、隠れて公金をごまかす卑怯者だけである。
おまけに政府の決めたレセプトの「完全電子化」を「原則電子化」に変え、3月中に閣議決定し直すよう求める声が自民党内に広がっているという。医師会などは「専用のコンピューターシステムを導入するための投資負担が重い」などという理由をあげているが、これは見えすいた嘘である。日経の社説も指摘するとおり、レセプトが電子化されると診療報酬の不正請求がチェックしやすくなるからだ。
レセプトのチェック体制は、信じられない前時代的なものだ。数百万枚の紙を、数人の審査委員(医師免許をもつ)が手でめくってチェックする。紙幣を数えるような目にも止まらないスピードなので、「こんなスピードでわかるんですか?」と審査委員にきいたら、「勘ですよ。悪質な医者は、においでわかるんです」と笑った。もちろん、こんな手作業で不正請求がまともにチェックできるはずがない。
このように公金をごまかす権利を主張するロビー活動は、先進国では珍しい。かつてグリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)は国会で法律が成立したあと、金丸信などが「プライバシー」を理由に反対してつぶした。消費税のインボイスも、自民党税調がつぶした。そのときも「中小企業の負担が重い」という今回と同じような理由があげられたが、もちろん本当の理由は「クロヨン」と呼ばれる法人税や所得税の脱税がばれるからだ。
小泉内閣以来の医療制度改革を「市場原理主義」と批判してきた医師会が、不正請求の権利を公然と要求するのをみると、「武士道」をとなえる人々は卑怯なことはしないという藤原正彦氏のテーゼは疑わしい。ITも市場も、すべてをガラス張りにする。それをきらうのは、隠れて公金をごまかす卑怯者だけである。
Next Global Jungleで、YouTubeにアップロードされた私のSBI大学院大学の講義を、ほぼ逐語的に書き起こしてくれた(YouTubeの画像つき)。全部で7時間だから、原稿用紙で約400枚。本1冊分だ。これを私の学生でも何でもない人が、ボランティアで(1ヶ月以上かけて)やってくれるのだから、ウェブってすごい。ありがとう。
第1章 イノベーションとは何か
第2章 イノベーションの思想史
第3章 経済成長と生産性
第4章 起業家精神
第5章 技術革新
第6章 ファイナンス
第7章 知識のマネジメント
いま本の執筆を2冊かかえているが、それが終わったら、この講義録をもとにして(もっと学問的に厳密に)『イノベーションの経済学』という本を書くつもりだ。まだ版元は決めていないので、出していただける出版社があれば連絡をください。
第1章 イノベーションとは何か
第2章 イノベーションの思想史
第3章 経済成長と生産性
第4章 起業家精神
第5章 技術革新
第6章 ファイナンス
第7章 知識のマネジメント
いま本の執筆を2冊かかえているが、それが終わったら、この講義録をもとにして(もっと学問的に厳密に)『イノベーションの経済学』という本を書くつもりだ。まだ版元は決めていないので、出していただける出版社があれば連絡をください。
小沢一郎氏の秘書が逮捕された事件は、小沢氏の態度が軟化し、民主党も徹底抗戦という感じではなくなってきた。しかし私の印象では、依然として彼らは問題を逆にとらえているように思う。問題の核心は、今回のような迂回献金は日常茶飯事だということなのだ。それが当たり前だから、大久保秘書も堂々と打ち合わせをしたり、請求書を出したりしたのだろう。
同じような事件が捜査されたことがある。日歯連事件では、一審で橋本派の村岡兼造・元会長代理が無罪となった(最高裁で有罪確定)。このときの判決は、事件の背景には自民党の迂回献金メカニズムがあると推定している。それによれば、本筋は元宿・元自民党事務局長が党への献金という形で集めた「ひもつき」の金を各国会議員に振り分けるルートだった。政党への企業献金は合法だが、企業は特定の政治家の便宜供与を求めて献金するので、政党に献金しても意味がない。だから献金するとき、自民党の事務局に「これは**先生にお願いします」といって渡し、それを事務局が宛て先ごとに振り分けたという。ひどい場合には、政党に納められた紙幣の束に「宛て先」が書かれていたそうだ。
この事件では、日歯連や橋本派事務所などの家宅捜索で押収された文書から、閣僚級を含む多数の政治家に迂回献金が行なわれていた証拠があがったのだが、その数があまりにも多かったため、「やり始めたら自民党の国会議員の半分ぐらい摘発しなければならず、検察がパンクしてしまう」という判断から、最高検が見送ったのだという(取材した記者に聞いた)。この元宿ルートが立件されなかったことで、「迂回献金は摘発されない」という解釈が政治家に定着したとすれば、今回の捜査は検察の法解釈を変えるものであり、説明が必要ではないか。
今回は政治団体という別の隠れ蓑によって迂回献金が行なわれたが、本質は同じだ。小沢氏は記者会見で「政党支部への企業献金なら問題ないので、政治団体を偽装する必要がない」とのべたが、これは政党支部への献金が彼に対する迂回献金だと告白しているようなものだ。名義を分散させる点では政党支部を通すのも政治団体を通すのも同じだから、秘書にも罪の意識はなかったと思われるが、これを虚偽記載(違法)とするか単なる脱法行為とするかが今後の争点だろう。
つまり小沢氏や民主党の主張とは反対に、迂回献金は日常茶飯事であり、これまでそれを摘発しなかったことが、自民党に配慮した逆国策捜査なのだ。今回はたまたま西松建設の家宅捜索で数人の政治家だけが特定できたために、小型の事件として強制捜査に踏み切ったが、もっと大手のゼネコンだったら日歯連のように収拾がつかず、見送られていたかもしれない。逆にいうと、西松建設のように別件逮捕して家宅捜索するという手法で大手ゼネコンを検察が摘発すれば、迂回献金は山ほど出てくるだろう。
だから民主党が闘うなら「小沢代表が迂回献金をやったことは事実だが、同じことは自民党の**もやっている」という事実を発掘し、迂回献金問題を徹底的に追及する「自爆テロ」を決行することだ。自民党議員を100人ぐらい道連れにして小沢氏が議員辞職すれば、彼の功績は歴史に残るだろう。政界の裏も表も知り尽くしている小沢氏なら、できるはずだ。
同じような事件が捜査されたことがある。日歯連事件では、一審で橋本派の村岡兼造・元会長代理が無罪となった(最高裁で有罪確定)。このときの判決は、事件の背景には自民党の迂回献金メカニズムがあると推定している。それによれば、本筋は元宿・元自民党事務局長が党への献金という形で集めた「ひもつき」の金を各国会議員に振り分けるルートだった。政党への企業献金は合法だが、企業は特定の政治家の便宜供与を求めて献金するので、政党に献金しても意味がない。だから献金するとき、自民党の事務局に「これは**先生にお願いします」といって渡し、それを事務局が宛て先ごとに振り分けたという。ひどい場合には、政党に納められた紙幣の束に「宛て先」が書かれていたそうだ。
この事件では、日歯連や橋本派事務所などの家宅捜索で押収された文書から、閣僚級を含む多数の政治家に迂回献金が行なわれていた証拠があがったのだが、その数があまりにも多かったため、「やり始めたら自民党の国会議員の半分ぐらい摘発しなければならず、検察がパンクしてしまう」という判断から、最高検が見送ったのだという(取材した記者に聞いた)。この元宿ルートが立件されなかったことで、「迂回献金は摘発されない」という解釈が政治家に定着したとすれば、今回の捜査は検察の法解釈を変えるものであり、説明が必要ではないか。
今回は政治団体という別の隠れ蓑によって迂回献金が行なわれたが、本質は同じだ。小沢氏は記者会見で「政党支部への企業献金なら問題ないので、政治団体を偽装する必要がない」とのべたが、これは政党支部への献金が彼に対する迂回献金だと告白しているようなものだ。名義を分散させる点では政党支部を通すのも政治団体を通すのも同じだから、秘書にも罪の意識はなかったと思われるが、これを虚偽記載(違法)とするか単なる脱法行為とするかが今後の争点だろう。
つまり小沢氏や民主党の主張とは反対に、迂回献金は日常茶飯事であり、これまでそれを摘発しなかったことが、自民党に配慮した逆国策捜査なのだ。今回はたまたま西松建設の家宅捜索で数人の政治家だけが特定できたために、小型の事件として強制捜査に踏み切ったが、もっと大手のゼネコンだったら日歯連のように収拾がつかず、見送られていたかもしれない。逆にいうと、西松建設のように別件逮捕して家宅捜索するという手法で大手ゼネコンを検察が摘発すれば、迂回献金は山ほど出てくるだろう。
だから民主党が闘うなら「小沢代表が迂回献金をやったことは事実だが、同じことは自民党の**もやっている」という事実を発掘し、迂回献金問題を徹底的に追及する「自爆テロ」を決行することだ。自民党議員を100人ぐらい道連れにして小沢氏が議員辞職すれば、彼の功績は歴史に残るだろう。政界の裏も表も知り尽くしている小沢氏なら、できるはずだ。
西松建設の事件が自民党まで波及しない、とのべた「政府筋」の発言が問題になっている。普通は「政府筋」は官房長官で「自民党筋」は幹事長のことなのだが、河村官房長官は「私は承知していない」という。警察から出向している漆間副長官かなと思ったら、やはりそうらしい。朝日新聞の記事は奇妙な日本語だ。
こうしたbackground informationをめぐる事件は、海外でもよく起こる。最近ではNYタイムズのミラー記者が、2002年に"Bush administration officials"の話として「イラクが大量破壊兵器を製造している」と報じ、開戦の意思決定に大きな影響を与えた。これはのちにリビー副大統領首席補佐官による情報操作だったことが判明し、NYタイムズは社内監査を行なって匿名の情報源の扱いをチェックする体制を強化した。
日本でも、ホリエモンも批判するように「検察関係者」の話として一方的な情報が流され、メディアが犯罪を作り上げる傾向が強い。ただ匿名の情報源をすべてやめると、逮捕されるまで何も報道できなくなるので、むずかしいところだ。
しかし今回のような「記者懇」の話は、複数の記者の前で話したことだから、もともとbackgroundではありえない。どこの社も同じ話を引用して公然の秘密になっているのに、本人が誰か報じることができないという滑稽な状況は、世界のどこにも見られない。記者クラブと政府が癒着して無責任な情報操作を助長する「2ちゃんねる」的な報道はやめ、オフレコは記者の個別取材に限るべきだ。
政府高官は記者団に「記者の皆さんのとらえ方で、私の本意ではない」と釈明。「捜査は検察が決めることで、私は情報が入る立場ではない」と捜査情報を踏まえた発言でないことも強調した。朝日新聞はこの高官に身分を公表するよう求めたが拒まれた。朝日新聞の記者はこの「政府高官」を知っているのだが、「身分を公表」する主体は記者ではなく高官である。これはオフレコを条件とする記者クラブとの「懇談会」で出た話だから、彼の了解を得ないと公表できないのだ。普通はそこで出た話を記事にすることはないが、今回は共同が配信したため、各社が記事にしたようだ。
こうしたbackground informationをめぐる事件は、海外でもよく起こる。最近ではNYタイムズのミラー記者が、2002年に"Bush administration officials"の話として「イラクが大量破壊兵器を製造している」と報じ、開戦の意思決定に大きな影響を与えた。これはのちにリビー副大統領首席補佐官による情報操作だったことが判明し、NYタイムズは社内監査を行なって匿名の情報源の扱いをチェックする体制を強化した。
日本でも、ホリエモンも批判するように「検察関係者」の話として一方的な情報が流され、メディアが犯罪を作り上げる傾向が強い。ただ匿名の情報源をすべてやめると、逮捕されるまで何も報道できなくなるので、むずかしいところだ。
しかし今回のような「記者懇」の話は、複数の記者の前で話したことだから、もともとbackgroundではありえない。どこの社も同じ話を引用して公然の秘密になっているのに、本人が誰か報じることができないという滑稽な状況は、世界のどこにも見られない。記者クラブと政府が癒着して無責任な情報操作を助長する「2ちゃんねる」的な報道はやめ、オフレコは記者の個別取材に限るべきだ。
しょっちゅう意見を変えるクルーグマンだが、今度は自分の1998年の論文を全面的に否定している:
But those of us who started worrying about liquidity traps in the face of Japan’s experience were well aware of that pitfall. In fact, I wrote down my original liquidity trap model starting from a firm belief that the liquidity trap was nonsense: even if the interest rate is zero, I thought, increasing the money supply must raise demand. So I set out to write a model with all the i’s dotted and t’s crossed, so as to demonstrate that point ― and found, to my shock, that the model actually said the reverse.ゼロ金利では、貨幣と国債は完全代替的になるので、いくら日銀が通貨を供給しても何も起こらない。したがって(インフレを起こせない)日銀がインフレ目標を宣言しても、credible commitmentにはならないのだ。これは10年前から、植田和男氏などが指摘していたことだ。今回のデフレでは、岩田規久男氏も原田泰氏もインフレ目標をいわなくなった。不毛で愚劣な「インタゲ論争」も、これでやっと終わりかな。
What comes down to is this: once you’ve pushed the short-term interest rate down to zero, money becomes a perfect substitute for short-term debt. And any further increase in the money supply therefore displaces an equal amount of debt, with no effect on anything. Period, end of story.
おかげさまで、『なぜ世界は不況に陥ったのか』は、発売1週間で3刷になった。その録音のうち、お蔵入りになった「エピローグ」の部分をMP3ファイルにした:いろいろ書評も出てきたが、いちばん手強いのが磯崎さんの批判だ。テクニカルな話は省いて、大事な点だけ簡単にお答えしておく。

ITバブルのときに、多くの人が頭がバブっていたのはそのとおりだと思うのですが、「問題が利益じゃなくて時価総額だ」というのは、特に間違っていたわけじゃなくて、現在でも通用する話かと思います。これは「効率的市場仮説」を信じる経済学者の意見で、よく批判を浴びるものだ。市場が未来の出来事を完全に織り込んでいれば、時価総額=企業価値と考えていいが、バブルのときは明らかにそうならなかった。もちろんPERやROEだけが正しい指標だというわけでもないが、時価総額というのは株式市場で決まる集計的な結果であって、企業価値を客観的に評価したものではない――というふうにビジネススクールでは教えることが多い。
日本の証券会社だと、「自己資本規制比率」等の規制があって、ポジションのリスクや業務リスクに応じて、それなりに自己資本を積む必要がありますが(外資系証券も同様)、米国ではその程度のこともやられていなかったのでしょうか?(だとしたら、びっくり。)本書では言及するのを忘れたが、投資銀行にも自己資本規制はある。SECのNet Capital Ruleという規制で、当初はリスク資産が自己資本の12倍までというBIS規制に近いルールだったが、投資銀行のロビー活動によって30倍まで拡大され、表のように各投資銀行はその限度いっぱいまで資産を保有していた。この「規制の失敗」が今回の危機の重要な原因だと指摘する専門家は多い。
正規分布でも、裾野の確率はゼロじゃないと思います。[・・・]「100億年に1回」は言い過ぎじゃないかという気がします。「裾野の確率はゼロ」という表現は荒っぽかった。学問的な本なら「0と1の近傍では確率は限りなくゼロに近い」ぐらいにすべきだった。しかし「100億年に1度」はむしろ控えめな表現だ。
シティグループが2002年に調べたところによると、ドル、ユーロ、円、ポンド、ペソ、ポーランド・ズオチ、ブラジル・レアルなど、どの通貨の交換レートを見ても異常に大幅な価格変動があることがわかりました。[・・・]1日に7.92%も下がったこともあり、こちらは10.7σに相当します。正規分布にしたがっていた場合にこのような大変動を観測するためには、シティグループが150億年前のビッグバンとともに創業していたとしても、ほぼ確実に現在までに一度も起こっていないほどの異常さなのです。(マンデルブロ『禁断の市場』)

何度も書いたように、日本経済の最大の懸案は、貯蓄が慢性的に投資を上回るISバランスの不均衡だ。これを解決する方法は、二つしかない。貯蓄に見合う水準まで投資を上げる拡大均衡か、投資に見合う水準まで貯蓄を下げる縮小均衡かである。しかし前者を実現する政策はとられず、公共投資や金融緩和でGDPギャップを埋める場当たり的な政策が続けられた。その不均衡がグローバル・インバランスの崩壊によって是正され、めでたく日本の宿題は解決するわけだ。
Economistも指摘するように、この傾向は一時的なものではない。経常黒字(純輸出)の減少は純貯蓄の減少に対応しており、その原因は家計貯蓄率の低下だからである。今後、人口が高齢化するに従って貯蓄率はさらに下がるので、日本は慢性的な経常赤字になると予想される。円も弱くなり、1ドル=100円台に戻すかもしれない。
成熟した経済が経常赤字になるのはよくあることで、必ずしも嘆くにはあたらない。これまで輸出によって嵩上げされてきたGDPが、長期的に維持可能な水準に落ちることによって、経済は安定するだろう。実質成長率は潜在水準である0~1%に落ち着き、ゼロ成長に近い状態が今後ずっと続く可能性が高い。「市場原理主義」を憎む人々の求めている「品格」ある長期衰退が、これから始まるのである。
エンロン事件でも、主犯はCFOのファストウだったのに、検察はCEOだったレイを起訴するために、ファストウの罪を軽くして供述を引き出した。このように経済犯罪を刑事事件で裁くことは、さまざまなバイアスが入るばかりでなく、再発防止にも役立たない。著者もいうように、ほとんどの場合、社長は不正経理の実態なんか知らないからだ。
私の印象では、ライブドアや村上ファンドが活躍した2000年代前半は、アメリカの1980年代に似ていると思う。当時のアメリカでも、投資銀行の若いトレーダーが企業買収で巨万の富を築き、「略奪者」とか「野蛮人」などと批判を浴びた。彼らの最大のディールがMCI、TCI、マッコーセルラーなどのIT産業だったことも、最後はマイケル・ミルケンがインサイダー取引の容疑で摘発されたことも似ている。
しかしアメリカでは資本市場によって新しい企業が生まれ、産業構造が大きく変わったが、日本では挑戦者がほとんど壊滅した。ライブドアや村上ファンドの事業の中身がいかがわしいものだったことも事実だが、資本市場の厚みがなく、既得権の力が圧倒的に強かった。どこの国でもベンチャーはいかがわしく、経営者はみんな山師だ。彼らのほとんどは失敗するので数が必要なのだが、成長する前に検察によって根絶やしにされてしまった。日本経済に与えたダメージという点では、ライブドアより東京地検の罪のほうがはるかに大きいと思う。
本書は事件の経緯を当事者が明かした点では貴重だが、内容にはあまり新味がない。
「100年に1度」の大不況には、それにふさわしい大胆な政策が必要だが、人為的インフレや政府紙幣などは(たとえ可能だとしても)短期的な対症療法にすぎない。それより経済の効率を高める抜本的な政策をあげてみよう:
- 法人税の廃止:高い法人税は資本逃避による「空洞化」をまねき、所得税の負担増になる。Mankiwも指摘するように、法人税によるゆがみの大部分は労働者が負担しているのだ。
- 負の所得税:最近はやっている「ベーシック・インカム」は、実質的には負の所得税と同じ。民主党も「給付つき税額控除」を提案している。
- 公的年金の廃止:日本の年金会計は破綻しているので、これもいずれ検討せざるをえなくなるだろう。
- 職業免許の廃止:医師不足を解消する早道は、手術などコアの業務以外の医療行為の規制を緩和することだ。弁護士や教師などは、資格試験で十分。
- 教育バウチャー:最近、問題になっている保育所の不足も、バウチャーで解決してはどうだろうか。
現在の危機について最新のマクロ経済理論は無力だ、とBuiterは嘆いている:
Most mainstream macroeconomic theoretical innovations since the 1970s (the New Classical rational expectations revolution associated with such names as Robert E. Lucas Jr., Edward Prescott, Thomas Sargent, Robert Barro etc, and the New Keynesian theorizing of Michael Woodford and many others) have turned out to be self-referential, inward-looking distractions at best.RBCやDSGEなどの均衡理論では、現在の大きく均衡からはずれた状況については何もいえない。その前提している完備市場や効率的市場などの仮定が崩壊したからだ。不確実性の問題が経済学のコアだと考えたケインズの思想は、そういうノイズは長期的には無視できると考えたフリードマンや新しい古典派に取って代わられたが、この点では経済学はケインズに帰る必要があろう。厳密に間違っているより、大ざっぱに正しいほうがましである。
Those of us who have marvelled at the non-linear feedback loops between asset prices in illiquid markets and the funding illiquidity of financial institutions exposed to these asset prices through mark-to-market accounting, margin requirements, calls for additional collateral etc. will appreciate what is lost by this castration of the macroeconomic models. Threshold effects, critical mass, tipping points, non-linear accelerators - they are all out of the window.
[An economist at the Bank of England] once said of the Dynamic Stochastic General Equilibrium approach which for a while was the staple of central banks’ internal modelling: “It excludes everything I am interested in”. He was right. It excludes everything relevant to the pursuit of financial stability.
私のほうは相手にする気はないのだが、小倉氏がいつまでも粘着してくるので、簡単にお答えしておく(ほとんどの人には興味がないと思うので、無視してください)。彼の議論は、その内容以前に論理が破綻していることが多い。小倉ヲチでくわしくフォローしているように、私が
彼は他人に「新自由主義」などというレッテルを勝手に貼って、ピノチェトと同じだとか「人命に特段の価値を見出さない」だとか名誉毀損に等しい攻撃を繰り返す。きょうの記事ではこうだ:
これを初めて使ったのはゾンバルトである(Wikipediaにも書いてある)。と書いたら、小倉氏が
ゾンバルト(Werner Sombart)なんてどこにも出てきません。と書いたので、私は同じコメント欄でWikipediaの次の文章を引用した。
However, the first use of capitalism to describe the production system was the German economist Werner Sombart, in his 1902 book The Jews and Modern Capitalism (Die Juden und das Wirtschaftsleben).そうすると彼は、
マルクスより先に「Capitalism」ないし「Capitalist」という言葉を使った人として英語版wikiで紹介された人の中には「ゾンバルト(Werner Sombart)」なんてどこにも出ないのですが。と後から条件文を挿入するのだ。これは法廷で「証拠の文書には被告の名前はどこにも出てきません」と主張した弁護士が、検察側に「出ているじゃないか」と指摘されると「被告は犯人としてはどこにも出ないのですが」と言い逃れをするようなものだ。裁判官は「被告の名前は文書に出ている。代理人の最初の弁論は撤回してください」というだろう。
彼は他人に「新自由主義」などというレッテルを勝手に貼って、ピノチェトと同じだとか「人命に特段の価値を見出さない」だとか名誉毀損に等しい攻撃を繰り返す。きょうの記事ではこうだ:
「構造改革」が労働者への労働の成果の配分の現象を生じさせるものであれば,それは家計収入自体の減少をもたらしますから,国内需要が減少するのは当然のことです。(原文ママ)この文章は(誤字を訂正すれば)つねに正しい。トートロジーだからである。したがって、ここから何も意味のある命題を導くことはできない。私が「構造改革で需要は増える」と書いているのに、それとは逆の仮定を置いて何事かを証明したつもりになっている彼が、素人なら何もいう気はない。彼はこれでも弁護士免許をもち、法廷で弁論を行なう弁護士なのだ。自動車の免許だけではなく、司法試験も定期的に再試験をしたほうがいいのではないか。
- 不良債権によって金融システムが機能不全に陥った
- バブル期の過剰投資と過剰債務が、90年代の投資需要を抑制した
- TFP上昇率の低下によって潜在成長率が下がった
しかし金融システムが機能しないと、なぜ実体経済に大きな影響が出るのだろうか。実は、この問題は理論的にははっきりしない。「貸し渋り」が起きていたとすれば、資金の超過需要で金利が上がるはずだが、実際には低金利が続いた。この説明としては、クルーグマンが指摘したように、自然利子率がマイナスになっていたという説明が説得的だが、なぜマイナスになったのかは彼も説明していない。
この点は、2のdebt deflationで説明するのが妥当だろう。90年代を通じて、企業部門が貯蓄超過になるという異常な状態が続いた。企業が過剰債務を削減した(マイナスの投資をした)からである。調整が終了したのは、2002年以降、不良債権の最終処理で企業の過剰債務が解消してからだった。ゼロ金利や量的緩和などの金融政策はマクロ政策としては役に立たなかったが、最終処理を側面から支援する政策としては意味があった。
・・・といった結論は『「失われた十五年」と金融政策』ともほぼ同じで、いまや通説といえよう。しかしこうした議論が「どマクロ」的な計量分析だけで進められているのは物足りない。90年代の理論モデルとして唯一あげられているのは(3を主な要因とする)Hayashi-Prescottだが、RBCのような均衡理論で不良債権問題を分析するのは無理だ。Acemogluもいうように経済学は危機のたびに進歩してきたのだから、90年代の危機を理論的に分析することは、現在の危機を理解する役にも立つはずである。
今回の世界的な金融危機の展開については、驚くほどの既視感に囚われます。日本の金融危機は比較的最近まで日本に固有の出来事として片付けられる傾向がありましたが、今回の苦い経験という対価を払いながら、大規模な信用バブルやその崩壊の意味について、認識が次第に深まってきているように思います。この問題にジャーナリストして初期からつきあった私の印象でも、1995年ごろまでは問題の全貌もよくわからなかった。その「わからない」という状態が疑心暗鬼を生み、すべての企業の投資行動が慎重になり、銀行の貸出が保守的になる。この点は、白川氏も指摘するように今回のほうが深刻かもしれない。かつては邦銀が隠していただけだが、今回は無法地帯になっていたオフショアにどれだけ「毒入り資産」があるか、誰にもわからないからだ。
会計、ディスクロージャーの面では、1990年代の日本に比べ、現在はその枠組みが格段に整備されていることは事実です。しかし、市場流動性が極端に細った複雑な金融商品の評価のあり方、オフバランス・ビークルの扱いなど、新たな課題が生じています。
「金融システムと実体経済の間の負の相乗作用がいかに強力であるか」は日本の最大の教訓だが、現代のマクロ経済学では不良債権の強力なインパクトが説明できない。市場がつねにクリアされていると想定するDSGEには、不良債権という問題は存在しないからだ。現金制約やdebt overhangなどの不均衡状態における行動を分析しないと、金融危機の怖さはわからない。
問題は流動性不足という形で表面化しますが、その背後には資本不足(ソルベンシー)の問題が存在しています。危機発生の初期の局面では、どの程度が流動性の問題でありどの程度がソルベンシーの問題であるかを認識することは困難です。貨幣が長期的にはヴェールであり、問題は実体経済の「過剰」が解消されるまで終わらない、というのも日本の教訓だ。銀行に低金利という補助金を出して金融システムの破綻を小さくすることはできたが、債務者の問題は地価のさらなる低下で深刻になった。
危機対応策は、危機に先立つ時期において蓄積された過剰自体を解消するものではありません。過剰が大規模なものであった場合、経済が持続的成長軌道に復帰するためには、長い時間を要することになります。
90年代の大蔵省や日銀の対応が拙劣だったことは明らかだが、米財務省やFRBがそれよりうまくやれるかどうかはわからない。好況はいつも同じように幸福だが、不況はそれぞれに不幸だから、危機はつねに初体験なのである。
このごろ政府紙幣についての取材が、なぜか私のところに来るが、たぶん本職の金融経済学者は相手にしないからだろう(来週のSPA!にも出る)。私は「中間小説」も必要だと思っているので、ジャーナリストの素朴な疑問を大事にしたい。
彼らがよく質問するのは、「お札をどんどん刷れば、いずれはインフレが起こるのでは?」という話だ。これは素人だけの話ではなく、かつて「バーナンキ=野口の背理法」なるものをまじめに主張した自称エコノミストがいた。日銀が紙幣を無限に印刷すれば、いずれはインフレが起こるはずだ(そうでなければ通貨発行益で財政支出をすべてまかなえる)という話だが、これは通常のインフレとハイパーインフレの違いを知らない議論だ。そもそも通貨発行益は、回収まで考えればフリーランチではない。
普通は、資金需要と通貨供給の一致するレベルで金利が決まると物価も決まり、今のように事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらない。しかし中央銀行がインフレ予想を連続に変化させることができると仮定すれば、望ましいインフレ率になったところで通貨供給の増加を止めればよい。しかし実際にはそうは行かない。図のように、最初はせいぜい数倍ぐらいのインフレが、数年で天文学的に上昇する。

他方アメリカでは、FRBのバランスシートが2倍以上にふくらんでも、デフレが止まらない。両者の違いは、金融政策ではなく財政政策にある。ジンバブエでは、ムガベ政権が紙幣を無限に印刷して財政をまかなうことを人々が予想するので、急いで貨幣を実物資産に換えようとし、それによるインフレを予想して売り手は価格を引き上げる・・・という正のフィードバックが生じているが、米政府がそういう財政政策をとる可能性はゼロなので、人々はインフレを予想しない。
つまり資金需給で決まる普通のインフレと、インフレ予想で決まるハイパーインフレは別の現象で、財政政策によって決まる複数均衡になっているのだ。したがってデフレ状況で、その中間のマイルドなインフレを人為的に起こすことはできない。たとえば日銀が「4%のインフレを15年間続ける」と宣言しても、実際にインフレが起こったらマネタリーベースを絞ってインフレを止めるだろう。企業はそれを(合理的に)予想するので、いくら通貨が供給されても市中に流通するマネーストックは増えない。人為的インフレ政策は、subgame perfectな戦略ではないのだ。
だからインフレを起こすには、credible commitmentが必要だ。たとえば共産党が政権をとって「格差是正のために、資本家の資産の価値がゼロになるまで通貨を増やす」と法律で決め、日銀を脅迫して紙幣を無限に増発させれば、ハイパーインフレが起こるだろう。しかしそういう政権が長期的に継続できるとは思えないので、民主主義国ではハイパーインフレは起こらない(無限に通貨を発行することはできない)。
要するに、インフレを止めているのは金融政策ではなく、中央銀行と政府に対する信頼なのだ。それを意図的に毀損して「レジーム転換」せよなどと論じている人々は――彼らが論理的であれば――日本をジンバブエのような独裁政権にせよと主張しているのである。
彼らがよく質問するのは、「お札をどんどん刷れば、いずれはインフレが起こるのでは?」という話だ。これは素人だけの話ではなく、かつて「バーナンキ=野口の背理法」なるものをまじめに主張した自称エコノミストがいた。日銀が紙幣を無限に印刷すれば、いずれはインフレが起こるはずだ(そうでなければ通貨発行益で財政支出をすべてまかなえる)という話だが、これは通常のインフレとハイパーインフレの違いを知らない議論だ。そもそも通貨発行益は、回収まで考えればフリーランチではない。
普通は、資金需要と通貨供給の一致するレベルで金利が決まると物価も決まり、今のように事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらない。しかし中央銀行がインフレ予想を連続に変化させることができると仮定すれば、望ましいインフレ率になったところで通貨供給の増加を止めればよい。しかし実際にはそうは行かない。図のように、最初はせいぜい数倍ぐらいのインフレが、数年で天文学的に上昇する。
他方アメリカでは、FRBのバランスシートが2倍以上にふくらんでも、デフレが止まらない。両者の違いは、金融政策ではなく財政政策にある。ジンバブエでは、ムガベ政権が紙幣を無限に印刷して財政をまかなうことを人々が予想するので、急いで貨幣を実物資産に換えようとし、それによるインフレを予想して売り手は価格を引き上げる・・・という正のフィードバックが生じているが、米政府がそういう財政政策をとる可能性はゼロなので、人々はインフレを予想しない。
つまり資金需給で決まる普通のインフレと、インフレ予想で決まるハイパーインフレは別の現象で、財政政策によって決まる複数均衡になっているのだ。したがってデフレ状況で、その中間のマイルドなインフレを人為的に起こすことはできない。たとえば日銀が「4%のインフレを15年間続ける」と宣言しても、実際にインフレが起こったらマネタリーベースを絞ってインフレを止めるだろう。企業はそれを(合理的に)予想するので、いくら通貨が供給されても市中に流通するマネーストックは増えない。人為的インフレ政策は、subgame perfectな戦略ではないのだ。
だからインフレを起こすには、credible commitmentが必要だ。たとえば共産党が政権をとって「格差是正のために、資本家の資産の価値がゼロになるまで通貨を増やす」と法律で決め、日銀を脅迫して紙幣を無限に増発させれば、ハイパーインフレが起こるだろう。しかしそういう政権が長期的に継続できるとは思えないので、民主主義国ではハイパーインフレは起こらない(無限に通貨を発行することはできない)。
要するに、インフレを止めているのは金融政策ではなく、中央銀行と政府に対する信頼なのだ。それを意図的に毀損して「レジーム転換」せよなどと論じている人々は――彼らが論理的であれば――日本をジンバブエのような独裁政権にせよと主張しているのである。