池田信夫 blog

Part 2

2009年03月

2009年03月31日 11:51
Misc

警察発表について

高橋洋一氏が、窃盗の容疑で書類送検されたようだ。私のところにまで取材が来たが、私は何の一次情報も持っていない。メディアに出ているのは警察発表だけで、読売の第一報には不自然な点が多い。「庭の湯」に電話した人の話によると、
  • ロッカールームには監視カメラはない
  • ロビーの貴重品ロッカーにはカメラがある
とのことなので、「防犯カメラに似た男が写っていた」という話と「ロッカーは無施錠だった」という話は矛盾する。わざわざ貴重品ロッカーに入れて施錠しないということは、(犯罪を誘う目的でもなければ)普通は考えられない。警察が来るまで風呂に入っていたのも変だし、「どんな人が持っているのか興味があった」という動機も意味不明だ。警察がかなり作文している疑いがある。

報道から推測すると、事件がまったくのでっち上げということは考えにくいが、報道の仕方が奇妙だ。24日に発生した事件が、30日の読売夕刊に出たのはなぜだろうか。普通は、この程度の置き引きで逮捕もしなかった事件を警察がいちいち発表することはない。窃盗の場合は余罪を疑って身柄を拘束することが多いが、今回は警察も本人の社会的地位に配慮したと思われる。

それが今ごろ読売に出たのは、夜回りで警察関係者が「こんなおもしろい事件があったよ」と明かしたのかもしれない。有名人の場合は、被害者がメディアに売り込むこともある。さらに勘ぐれば、事件のファイルにアクセスできる人物が垂れ込んだ可能性もある。財務省は高橋氏の身元を洗っているらしく、彼も「金とか女とかあらゆるガセネタを流された」といっていた。

このように警察発表は人生を変えてしまう大きなインパクトがあるが、裁量の余地が非常に大きい。記者クラブに所属している記者の交通事故は、死亡事故でもないかぎり、まず発表されない。NHKでも、理事が暴力金融から不正融資を受けたことが発覚して退職した事件もあったが、メディアにはまったく出なかった。こうした事件を「押さえる」のが社会部長の重要な仕事で、人事異動のときには自民党のどの派閥が社会部長をとるかが大きな争点になる。

いずれにせよ本人がコメントしていないので、今のところ真相は不明というしかない。こういう事件は高橋氏の言論の内容とは無関係なので、「アゴラ」では引き続き、彼に発言の場を提供する。明日から正式サービスを開始する予定である。
今回の金融危機を理解する上で重要なのは、有効需要とかマネーストックなどのマクロ経済学の概念よりも、情報の非対称性にともなうエージェンシー問題だろう。特に金融のような複雑な取引では、プリンシパル(投資家・預金者)とエージェント(金融仲介機関)の情報の非対称性が大きいので、モラルハザード逆淘汰が起こりやすい。

こういう言葉はメディアにもよく登場するようになったが、金子勝氏のように意味を理解しないでいい加減に使うことが多い。これを正確に理解するためには、情報の経済学や契約理論を理解する必要があるが、なかなかいい本がない。日本語で書かれた教科書としては、伊藤秀史『契約の経済理論』がベストだが、かなり高度で、ビジネスマンにはおすすめできない。

本書は昨年、訳本の第1巻が出たが、1年以上も遅れてやっと第2巻が出た。第1巻はオーソドックスな均衡理論で、この第2巻が情報の経済学やゲーム理論を扱っている。ビジネススクールの教科書として書かれているので、初等的とはいえないが記述は平易だ。著者はこの分野の第一人者なので、オリジナルな話もまじえている。この第2巻だけで独立に読め、日本語で読める情報の経済学の入門書としてはベストだと思う。

2009年03月28日 13:49
Books

大不況の経済学

来週の週刊ダイヤモンドの特集は、現在の不況についての経済学者の見方を多面的に紹介している。「リフレ派」や「市場原理主義批判」は姿を消し、ケインズ派と主流派の論争が軸になっている(私も読書案内を書いた)。これは国際的な標準に近い。

印象的なのは、もっともケインズ派に近い吉川洋氏でさえ「需給ギャップを埋める」という伝統的なケインズ政策を否定して「持続的な成長」を説いている点だ。土居丈朗氏も「乗数効果は1未満」だとし、野口悠紀雄氏も北村伸行氏も「産業構造の転換が必要だ」という。福田慎一氏は長期国債を買うなどの非伝統的な金融政策も必要だとするが、政府紙幣や無利子国債などの「奇策」については肯定的な意見はゼロ。

雇用問題についても、川口大司氏は「規制強化は逆効果」と厚労省の政策を批判し、年金問題について鈴木亘氏は「巨大な世代間不公平が本質的な問題」とする。「北欧モデル」が検討に値するという点で、八代尚宏氏と神野直彦氏の意見は一致している。

ただし69ページの政策論争のチャートが間違っている。編集部は「ケインジアン対マネタリスト」みたいな図を描いているが、そんな論争は30年前に終わったのだ。正しい図を描いておこう。


「長期の財政政策」というのは法人税の減税や投資減税、「長期の金融政策」というのは主として金融システム対策で、右側は基本的には裁量的な介入には反対の経済学者(主流派)。左上が伝統的なケインズ政策だが、政権に入っている経済学者を除くとKrugmanぐらいだ。左下が非伝統的な金融政策だが、これもFRBやIMFの関係者が多い。

総じて主流の経済学者は制度設計に重点を置き、マクロ政策の効果には否定的だ。裁量的な政策を支持するのは政治的な立場を背負った経済学者が多く、「何かやらないと政治的にまずい」という政権からの要請が影響しているものと思われる。オバマ政権の巨額の財政政策には批判的な意見のほうが多く、FRBの非伝統的政策についても効果は限定的だという意見が多い。「ケインズが復活した」という表現は政治的には正しいが、学問的には正しくない。この30年間に経済学は進歩し、政府の裁量的な介入は有害無益だというコンセンサスが世界的に成立しているのだ。
2009年03月27日 21:42
Books

ポラニー的不安

大不況に便乗して、ここぞとばかりに「市場原理主義」を攻撃する本が山のように出てきた。本書は、この種の際物の典型である(リンクは張ってない)。『大転換』というタイトルに示されるように、カール・ポラニーの有名な本を踏襲して「市場の暴力」を批判するのが、こういう本のお決まりのパターンだ。中谷巌氏もポラニーを引用して、市場が「悪魔の挽き臼」だという。

しかし伝統的な社会には「非市場」しかなく、19世紀の欧州で初めて「自己調整的」な市場が登場した、というポラニーの理論は、歴史的事実によって支持されない。ブローデルも批判するように、どんな「未開」な社会にもバザールのような市場は必ずみられ、それは共同体と共存している。古代ギリシャのアゴラも、もとは市場だった。

ポラニーは市場の外側に本来的な「社会」なるものを想定するが、ハイエクも批判したように、こういう場合の社会とは国家の別名にすぎない。ポラニーのいう「大転換」とは、資本主義が没落して社会主義になるという予言だった(原著は1957年)。佐伯啓思氏が市場の代わりに提唱する「脱成長社会」なるものの中身も、「公共計画」という漠然としたものだ。その公共計画を立てるのは国家しかないのだから、彼の主張しているのは社会主義に他ならない。

「格差」を是正して「安定した社会」を実現するには、彼のいうように政府が経済活動を「計画」して、高い税率によって全国民に同じ所得を保障すればいい。しかしこうした社会主義によって日本経済はさらに衰退し、再分配すべき所得も減少するだろう。この安定と成長のトレードオフを無視し、対案を示さないで市場の欠陥だけをあげつらうのは「万年野党」の論理である。たしかに市場には欠陥だらけだが、残念ながら大きな社会をコーディネートするメカニズムとして、市場より弊害の少ないしくみは知られていないのだ。

ポラニーのいうように、労働力を商品として取引する資本主義は自然な感情にフィットしないが、彼の予想に反して、崩壊したのは資本主義ではなく社会主義だった。資本主義は不公正で不安なシステムだが、それを捨てた国はない。それは伝統的な社会よりはるかに大きな富を実現したからだ。中谷氏が資本主義がきらいなら、彼の賞賛するブータンに移住すればいい。
2009年03月27日 08:54
Books

思考する言語

ピンカーの新著の訳本が出た。かつてはチョムスキーと同様に「経験論のドグマ」を繰り返し批判していた著者が、その逆のレイコフのメタファー理論に転じ、「遺伝的決定論」を批判している。認識論的には、ようやく(半世紀以上おくれて)ヴィトゲンシュタインに追いついた程度だが、アメリカ人の哲学的水準なんてこんなものだろう。

生成文法や新古典派経済学のような疑似科学がアカデミズムで主流だったのは、その数学的に整った体系が、大学や学界のヒエラルキー構造を維持する上で便利だったからだが、社会科学が数学や物理学をモデルにするのはおかしい。社会の要素は人間なのだから、今後の社会科学の基礎は脳科学や心理学だろう。本書は、そうした「認知論的」な視点から言語や社会を考えるヒントを提供してくれる。
2009年03月26日 23:25
Misc

池尾・池田本のビデオ


13日に丸善でやった『なぜ世界は不況に陥ったのか』のトーク・セッションのもようが、YouTubeにアップロードされた。レジュメはこちら。

パート1
パート2
パート3
パート4
パート5
パート6

なお、池尾さんが明日(金曜)の夜8時から、CS朝日ニュースターの「ニュースの深層」に出演するそうだ。

民放連の広瀬道貞会長は、先週の定例会見で「260万世帯にデジタルテレビを支給せよ」という提案を発表した。「20型前後の薄型テレビは約7万円。アンテナの据え付け費を加え一世帯当たり10万円、合計でおよそ2600億円」だそうだ。ITproによれば、彼はこうのべたという:
政府の中で不況対策として地上放送のデジタル化問題を活用しようという声が徐々に出ている。我々も悪乗りするわけではないが,デジタル化問題が経済活性化に役立つならば,これを100%景気浮揚に活用すべき。
広瀬氏も気が引けているように、ドタバタでつくられる補正予算に悪乗りするのは、業界団体がバラマキ補助金を引き出すときの常套手段だ。このように露骨なロビー活動を繰り広げるテレビ朝日が、どの面下げて小沢一郎氏の政治献金を批判できるのか。かつて『補助金と政権党』という名著で「補助金は、財政を悪化させ、国民の税負担を重くするばかりでなく、民主政治の根っ子を侵食しつつある」と指摘した大ジャーナリストが、補助金あさりをする姿は見るに耐えない。

しかしすでに自民党と総務省の間で、追加補正に地デジ関連のバラマキを入れる方向で話が進んでいる。広瀬氏は、自民党には「5000万世帯に2万円のクーポン券を配布する1兆円規模の支援策」を要望している。このような巨額の補助金を特定の電機メーカーに支給することは、不正な利益供与である。デジタル配信のインフラは地デジだけではないのだから、やるなら技術中立的な方法にすべきだ。

たとえば10万円相当のブロードバンド・バウチャーを配り、それで地デジを買ってもよいし、光ファイバーやCATVやCS受信機を買ってもよい。こうすれば消費者はもっともコスト効果の高いインフラを選ぶことができ、競争が起こる。その財源は、アメリカと同様に周波数オークションで調達すれば、1兆円をはるかに超える国庫収入が上がるだろう。
ガイトナー財務長官が不良資産買い取り計画を発表した。何しろ1兆ドルという史上最大のオークションだけに、賛否両論が渦巻いている。Mankiwは「私が半年前に提案したスキームと同じなのに引用されていない」とつまらないことに怒っている。DeLongは弁護しているが、Krugmanは否定的だ。
The Obama administration is now completely wedded to the idea that there’s nothing fundamentally wrong with the financial system ― that what we’re facing is the equivalent of a run on an essentially sound bank. As Tim Duy put it, there are no bad assets, only misunderstood assets. And if we get investors to understand that toxic waste is really, truly worth much more than anyone is willing to pay for it, all our problems will be solved.
これはいいポイントを突いている。もし正しい答を政府が知っているなら、それを民間に教えればいいのだが、たぶん本当の答は誰も知らない。オークションはtruth telling mechanismだが、真理が存在しない場合には大混乱になるおそれがある。

日本では、1993年に共同債権買取機構が設立されたが、世論の反対で公的資金を入れなかったため、銀行が自己資金で自分の不良債権を買い取るという、わけのわからない機関になってしまった。今回の案が日本と違うのは、民間企業がオークションで不良資産を買い取り、その債務保証を政府がやる点だが、これはかなり危険なしくみだ。Krugmanも指摘するように、投資ファンドが政府の金でギャンブルをやるチャンスになりかねない。

さらに問題なのは、不良資産が出てこないことだ。オークションでfire sale priceで売却したら債務超過になることを恐れて、銀行は売らない。結局、政府の「ストレス・テスト」(資産査定)で不良資産の売却を強制するしかないだろう、とEconomist誌はみている。日本でも、最終処理が進んだのは竹中プランの荒療治のおかげだった。

こうしてみると90年代の日本の金融当局が特にバカだったわけではなく、含み損を表に出すと銀行がつぶれる場合に不良資産の処理が進まないのは、金融危機に共通のジレンマだ。しかも、そういう場合の処理ルールが決まっていないので、泥縄式にいろんな案が出ては引っ込む。どこの国も危機管理体制がお粗末なのは大差ないな――という意味では、今回の騒動は日本の名誉回復にかなり役立ったのではないか。

追記:NYタイムズでは経済学者の論争が始まった。アメリカでは、ウェブが民主主義の一環になりつつあるようだ。
2009年03月23日 22:54
Media

ウェブの新しい女王

「有識者会合」の貧しい議論は、この国の民主主義の厚みを反映しているのだろう。他方アメリカでは、ウェブがジャーナリズムの一角を占めはじめた、とTIME誌は評価している。
Huffington Postは月間890万人の読者を集め、ニュースサイトの15位に入っている。これはワシントンポストの下、BBCの上である。スタッフは55人とローカル紙程度だが、その影響力はオバマ大統領を生んだパワーの一つとされ、新聞サイトがその作り方をまねはじめている。最近、紙の新聞をやめてウェブに特化したSeattle Postは、HuffPoと同じようにブログを前面に出すレイアウトになった。

HuffPoにはAPなどから配信されたニュースや著名人のコラムもあるが、その最大の強みは読者からの情報提供である。読者のコメントは月間100万を超え、投稿するブロガーは3000人に及ぶ。内容は政治的な意見からゴシップまであり、しばしば一般メディアに出ないスクープを飛ばす(誤報もあるが)。一次情報を取材するスタッフはほとんどいないため、既存メディアからは「フリーライダー」と批判されるが、読者が膨大な情報に埋もれているウェブでは、自分に必要な情報が一通り読めるサイトにも価値がある。
「アゴラ」も、4月から正式サービスを開始する。ライブドアの協力で、少しニュース的な要素も入れる予定だ。HuffPoには及びもつかないが、日本に民主主義が根づくためにも、こういう議論の場が必要だと思う。

経済危機克服のための「有識者会合」のもようが、すべて政府インターネットテレビで公開されている。テレビの恐いところは、その場の空気まで映してしまうことだ。「有識者」はそれぞれ勝手なことをいい、政府側はそれをろくに理解していない(たぶんする気もない)ので、話がまったくかみ合わず、白けた空気が漂う。日本の政策論争って、こんなに中身の薄いものなのか・・・
2009年03月21日 18:37
Misc

Hey Paul Krugman



ポール・クルーグマン、どうして君は政権に入らないんだ。ティモシー・ガイトナーは**だよ。おれたちには君が必要なんだ。NYタイムズなんかで文句いってないで、財務長官になってくれよ。


2009年03月20日 11:37
IT

シリコンバレーの「核の冬」

Web2.0バブルが終わった。グーグルの大成功をみて多くの企業が参入したが、結局ものになったのはグーグルだけだった、とEconomist誌は総括している。それはビジネスとしては「2.0」なんかではなく、ドットコム・バブルと同じ広告モデルしかなかった。そして景気の影響をもっとも受けやすい広告ビジネスは金融危機で破綻し、シリコンバレーにまた「核の冬」がやってきた。

資本主義の条件は持続的に利潤を生み出すことだが、その基盤となっている市場メカニズムは利潤を食いつぶす。マルクスもいったように、「商品経済は偉大なレヴェラー(水平主義者)」なのだ。利潤率は傾向的に低下し、国内で鞘が取り尽くされたあとは植民地から、そして植民地が独立するとグローバル資本主義による「経済植民地」から、それも限界が来ると金融資本主義によって・・・と絶えず新しい利鞘を追求する自転車操業が資本主義の宿命だ。

しかし利潤は市場や情報の不完全性によって生じる過渡的なレントにすぎないので、市場が効率化すればするほど速く価格は限界費用に近づき、利潤は消滅する。たとえばNTTの電話収入はピーク時には年間5兆円を超えたが、いまISPの売り上げをすべて合計しても8000億円にしかならない。利潤は独占度の増加関数であり、NTTの売り上げが大きかったのは電話が独占だったからだ。

インターネットは、市場よりさらに過激なレヴェラーだ。市場では財産権という名の独占によってレントが守れるが、ネットではすべての情報は瞬時にコピーされ、知的財産権という名の情報独占は破壊され、価格が情報複製の限界費用(ゼロ)になる。したがってインフラが効率化するとエントロピーが極大化し――新古典派経済学の想定するように――すべてが静止する熱死状態がやってくる。

マルクスもケインズもシュンペーターも、資本主義が拡大するとともに収穫は逓減し、長期停滞がやってくると予言した。その予言はこれまでのところ外れたようにみえるが、今回の経済危機はもしかすると、先進国では資本主義の鞘が取り尽くされ、長期停滞に入る前兆かもしれない。インターネットは資本主義の死期を早めるかもしれないが、それは人々が不幸になることを必ずしも意味しない。電話がインターネットになってNTTは不幸になったが、ユーザーは幸福になった。たぶん幸福を計測する別の指標が必要なのだろう。
2009年03月19日 20:47
Books

NTTの深謀

世間では大幅赤字で社長交代といったニュースが多いが、NTTグループの3月期決算は営業利益が1兆円を超え、日本一になる見通しだ。ところが本書もいうように、三浦社長は記者会見では「必ずしも楽観できる状況ではない」と先行き不透明を強調する。あるアナリストは「業績がよくないのに強気の社長は多いが、もうかっているのに暗いことばかりいうのはNTTの社長だけだ。あれでは買い推奨はできない」とあきれていた。

経営者がみずから将来のキャッシュフローを過小評価して株価を下げるのは株主に対する背信行為だが、これには裏がある。あまりもうかっているというと、また分割論や接続料引き下げなどの規制強化が出てくるからだ。つまりNTTの経営者は、株主価値の最大化ではなく企業規模の最大化を目的として行動しているのだ。これはempire buildingとよばれるエイジェンシー問題の典型である。

さらにNTTの再々編を議論する「2010年問題」が控えている。あまり利益が大きいと「完全分割論」が再燃しかねないので、もうかっていないと強調するのだ。現場の社員は、規制のうるさいインフラを水平分離してサービスは自由にやりたいと思っているのだが、幹部は現状維持がベストだと思っているので、再々編はまったく口にしない。NGNも、NTTグループの再統合という政治的な目的で出てきたものだ。

日本の輸出産業が挫折した今、内需拡大の最大の柱は通信サービスである。しかし本書も指摘するように、NTTの組織防衛の論理が通信業界を支配し、携帯でもIPでもNTTを頂点とするITゼネコン型の産業構造が続いてきた。それが通信技術のガラパゴス化をもたらし、世界市場で日本の通信機メーカーは壊滅状態だ。

だからNTTの再々編は不可避だが、10年前のような固定系の会社をどうするかは大した問題ではない。連結の営業利益の8割をたたき出しているのはドコモであり、これを除いた電話会社は本当に斜陽産業である。ドコモの問題は規制ではなく、資本の論理で解決すべきだ。政府保有株式をすべて売却してNTTを完全民営化し、ドコモがMBOで独立するのが理想だと思う。そしてUHF帯の300MHzが開放されれば、FTTH並みの高速無線通信によってプラットフォーム競争が可能になり、日本経済も活性化するだろう。
2009年03月19日 01:46
Economics

90年代の日本の勝利?

先日の「総理にきく」で麻生首相がこう答えていた:
財政出動やったことをボロカスにたたかれましたけれども、今になって、日本がやってきたのは、あれは考えてみれば、彼らの勝利だったんだと言って、マーティン・ウォルフなんていう有名な人がウォール・ストリート・ジャーナルだか、ファイナンシャルタイムズに記事を書く。そういったとこでなっているとは思いますよ。
Martin WolfはFTの有名な記者で「ウルフ」と読むんだけど、まぁそれはいいとしよう。問題の記事は、クルーグマンなどにも引用されて、日本の90年代についての誤った教訓を世界に広めているようだ。麻生首相まで変な自信をもっても困るので、訂正しておこう。

まず致命的な問題は、ここでウルフが依拠している唯一の文献が地底人の本だということだ。それを真に受けて、ウルフは「バラマキ財政がなかったら日本のGDPは大恐慌になっていただろう」などと書いているが、図をみればわかるように、初めて「経済対策」が行なわれた翌年の1993年にはマイナス成長になり、小渕内閣で史上最大のバラマキが行なわれた1998年にもマイナス成長になった。翌年の景気対策でプラスに回復したが、2年後にはマイナスに戻ってしまった。景気対策と成長率には、ほとんど相関がないのだ。

ちゃんとした実証研究でも、財政支出の効果は疑わしい。井堀・中里・川出は次のように結論している:
消費に与える効果についてケインズ的なマクロ理論と全く逆の結果が得られる場合があったこと,公的固定資本形成による財政支出が経済変動にそれほど影響を与えなくなっていること,それによる税収増の効果が低かったこと,増税による経済への悪影響がそれほど大きくなかったことなどが示された。
この「増税による経済への悪影響」というのは、1997年の橋本内閣による消費税増税のことだ。ウルフが日本の勝利をたたえる唯一の根拠がこれなのだから、彼の論拠は実証的には100%否定されている。

資産価値が大きく失われても、1930年代のように中央銀行が引き締め政策をとらなければ、今回のアメリカが示している通り、大恐慌なんかにはならない。30年代の大恐慌を止めたのも金融政策だというのが通説だ。ウルフほどの記者が、その程度の知識もないのか、それとも日本の話なんか通俗的な解説書を1冊読めば十分と思っているのか。90年代の日本についての英文の本が、地底人のものしかないという状況は最悪だ。

こんなずさんな記事の孫引きで首相が勝利を宣言し、バラマキを正当化するのは困ったものだ。地底人は16日の「有識者会合」でも、また「無駄づかいでもいいから大規模に税金を使え」と繰り返した。この会合は、財界人から女性評論家まで83人に10分ずつしゃべらせ、そのうち経済学者は、あの中谷巌氏を含めてたった3人。ウェブで一流の経済学者が論争しているアメリカの状況と比べると、あまりの落差の大きさに絶望的になる。

追記:英文ブログにも書いた。
アゴラで、北村隆司氏が鳩山邦夫総務相の一連の行動を批判している。ダイヤモンド・オンラインでも辻広雅文氏が、行政手続きを無視した介入を批判している。私もまったく同感だ。

当ブログでも鳩山氏の暴走を批判したが、その後出てきた「疑惑」なるものの中には、彼の主張を裏づける証拠は何もない。もし鳩山氏の主張するように不正行為があったのなら、彼は警察に告訴すべきだ。東京中央郵便局の建て替えに至っては、言語道断である。重要文化財の指定を申請するのは任意であって義務ではない。それも含めて総合的な都市計画が立てられたのに、土壇場になって大臣が介入するのは、北村氏もいうように途上国なみの独裁政治だ。

今回の事件の特異な点は、通常の行政のスキャンダルのように内部告発で具体的な事実が出てきて、それを捜査当局やメディアが追及するという順序ではなく、当の主務大臣が「オリックスの出来レースじゃないか」という憶測を表明した後から、それを裏づけるかのような話がたくさん出てきたことだ。これは日本郵政や総務省の中に協力者がいなければできない。そして標的は、明らかに西川社長の追い落としだ。後任には、総務省出身の團副社長の昇格が確実視されている。つまり一連の騒動は、天下り先を広げたい総務官僚の仕組んだ「郵政改革つぶし」とみるのが素直な解釈だろう。

きのうの記者会見でも、鳩山氏は「バルク売りが怪しい」などといっていたが、不良資産をバルクで売るのは常識だ。バルクだから不良物件も抱き合わせで109億円の価格がついたので、1件ずつ売却したらほとんどの物件は売れ残るだろう。その1件を取り上げて「1万円で落札した物件が6000万円で転売された」などと騒ぐのも、不良債権処理の実務を知らない社会部記者だ。バルクセールは文字どおりバルクであって、個々の物件に価格はついていない。目印として1万円とつけることもあるし、1円とつけることもある。それが何倍になったなどという話には意味がないのだ。

ここまで騒ぐのだから、鳩山氏には責任をもって「かんぽの宿」の個別売却を最後までやってほしいものだ。合計109億円以下の価格しかつかなかったら、彼のありあまる私財から補填するのが当然だろう。そのお先棒をかついでいるメディアにも責任をとってほしい。
2009年03月18日 12:31
Economics

AIGボーナスのゆくえ


AIGの巨額ボーナス問題にはオバマ大統領もサマーズNEC委員長も最大限の怒りを表明し、ガイトナー財務長官は、ボーナスの返還が追加支援300億ドルの条件になると表明した。これは危険な政策だ。もし返還されず、政府がAIGの破綻に何の対策もとらないと、それによるアメリカ経済の損失はボーナスの数万倍にものぼるだろう。

アメリカのような契約社会で、AIGを救済するときボーナスについての条件を入れなかったのは米政府の手落ちだ。Economist誌も指摘するように、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドの事件で、CEOの受け取った70万ポンドの退職金を英政府が取り返せなかった前例があるのだから。

Mankiwもいうように、1.65億ドルというのは投入される公的資金の0.5%、GDPの0.001%にすぎない。幹部には自発的に返還を求めることにして、金融システム対策はこの問題と無関係に進めるしかない。勧善懲悪の感情が危機管理の大きな障害になる、というのも日本の「失われた10年」の貴重な教訓である。
総務省の「デジタル日本創生プロジェクト」が発表された。別名「ICT鳩山プラン」というそうだ。中身はあいかわらず補正予算めあてのバラマキが並んでいるが、まったく無内容な「ICTニューディール」に比べて前進している部分がある。
いわゆるホワイトスペース(放送用等ある目的のために割り当てられているが、時間的・地理的・技術的な条件によって他の目的にも利用可能な周波数)の活用可能性について、引き続き検討を進める。
と初めてホワイトスペースの「検討」を明記しているのだ。これは重要な前進である。FCCはすでにホワイトスペースの開放を決めているので、総務省の対米追従路線からいっても開放は当然だ。アメリカでも、まだホワイトスペースにどういう技術を使うかは検討中だから、日本も早く開放し、世界的なWi-Fi on steroidの開発競争に参加すべきだ。それが「日の丸技術」に補助金を出すよりはるかに有効な技術振興政策である。

周波数オークションについては、電監審でやらないと決めてしまった手前、明記できないのだろうが、規制改革なしで2兆円ばらまくだけの「地デジ対策」は通らないよ。
2009年03月17日 20:55
Media

検察の「リーク」について

西松建設事件をめぐって、「検察のリークが政治的だ」という批判が民主党から出ているようだが、これは検察報道の実態を知らないのではないか。私もそういう仕事につきあったけど、検察も警察もそんな簡単にリークなんかしてくれないよ。捜査によって知りえた情報を漏らすことは守秘義務違反だから、よほど信頼関係を構築した記者が、自分で調べたネタをもってきて、夜回りで検事に「こういうことでいいですよね?」と当てて、それに検事が目で答える、といった微妙なものだ。最終的な責任は、あくまでも報道するメディアにある。

今回の事件で、朝日新聞が先行して贈収賄に近い話や鹿島の話が出ているのは、おそらく検察キャップのM氏がもともと情報をもっていたからだろう。業界では、彼が検察に持ち込んだという説もある。検察も人が足りないから、信頼できる記者は情報源として役に立つのだ。特に今回のように筋のわかりやすい話では、各社の取材と特捜の捜査はほとんど同じところをねらっているので、新聞に出てくる話はリークというより「コンファーム」といったほうがいい。

それを何の根拠もなく検察のリークだと一方的に断定して、検事総長を国会に呼ぶとか、政権をとったら規制するとほのめかしている鳩山幹事長は、無知を告白しているだけなく、法治国家の大原則を蹂躙していることを自覚すべきだ。

蛇足:今週の週刊朝日の「小沢が仕掛ける『自爆テロ辞任』」という記事の内容は、私の記事のパクリだと思うんだけど・・・
2009年03月15日 22:04
Books

贈与論

本書は、経済学でいえば『国富論』のような文化人類学の古典の新訳である。その最大の発見は、市場における交換より共同体の中の贈与のほうが人類史の大部分において普遍的だったということだ。中でも「ポトラッチ」と呼ばれる大規模な贈与は、儀式に招待した客に家に貯蔵した食物をすべてふるまったり、財産を村中に配ったりする。これは一方的な贈与だが、贈与されたほうは返す義務を負う。

この不合理なシステムをどう理解するかについては、いろいろな議論がある。モース自身は贈与をコミュニケーションの一種と考え、これがのちにレヴィ=ストロースが『親族の基本構造』で婚姻体系を女の交換として理論化するヒントになった。カール・ポラニーはこうした「象徴的交換」が市場の原型だと論じたが、これはブローデルも批判するように誤りである。市場は贈与と共存しており、一方が他方に転じたわけではない。

Carmichael-MacLeodは、贈与を囚人のジレンマを避けるメカニズムと考えた。1回限りのゲームでは、他人を裏切って食い逃げする行動がナッシュ均衡になるので、共同体にしばりつけて逃げられないようにするメカニズムが必要だ。村に贈与してあとから取り返すしくみになっていると、贈与を取り返すまで他人を裏切ることができない。日本企業の「10年は泥のように働け」というタコ部屋構造は、この点では合理的なのだ。

贈与の解釈としてもっとも有名なのは、バタイユの『呪われた部分』だろう。彼はポトラッチを、剰余を蕩尽するしくみだと考えた。共同体の秩序の同一性が維持されるためには、生産したものがすべて消費されることが理想だ。一部の人だけに富が偏在すると、その分配をめぐって紛争が発生し、共同体の秩序を乱すので、こうした剰余を排出するしくみを人類は構築してきた。

しかし産業革命以後の資本主義は、爆発的なスピードで剰余を作り出し、不平等を生み出し、秩序を壊し始めた。その剰余(利潤)を社会に還元するしくみが市場なのだが、剰余はしばしば市場で処理できる限度を超えて蓄積されるので、それを定期的に破壊するシステムが必要になった。それが恐慌であり、戦争である――というバタイユの「普遍経済学」は、新興国の過剰貯蓄を蕩尽した世界経済危機をうまく説明しているようにみえる。
2009年03月15日 14:06
Misc

ダーウィン(?)の言葉

これはダーウィンの言葉として有名だが、『種の起源』には見当たらない。しかし資本主義の本質をもっとも的確に表現した言葉だろう。



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