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イスラーム過激派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/08/05 23:58 UTC 版)
イスラーム過激派(イスラームかげきは)とは、日本語においては、自分たちの理想をイスラームを使い理論化し、そのような社会の実現を図るために犯罪を行う戦闘的な組織を総称するために用いられている用語である。日本を含め、国際的にはこうした組織は「イスラームの名を使用して主張を実現するために犯罪を実行する過激派(extremist)」とみなされている。
アメリカは、イスラーム過激派を「イスラームの名のもとに、大量殺人など犯罪を計画・実行する過激派団体」と規定される複数の団体を指す表現として用いている。
目次 |
主要な組織
西側の多くの国家からテロ組織に指定されている主要なもの
- アルカーイダ: 多国的
- トルコ・ヒズボラ(クルド・ヒズボラ):(Turkish Hezbollah) トルコ
- 大東方イスラム砲撃戦線:(Great Eastern Islamic Raiders' Front) トルコ
- アンサール・アル・イスラム:(Ansar al-Islam) イラク
- アンサール・アル・スンナ: イラク
- イラク・イスラム軍: イラク
- イラクの聖戦アルカーイダ組織: イラク
- マフディー軍: イラク
- ファタハ・イスラム: レバノン
- アル・アクサ殉教者旅団:(Al-Aqsa Martyrs' Brigades) パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)
- ハマース: パレスチナ(ガザ)
- イスラーム聖戦: シリア・パレスチナ
- エジプト・イスラム・ジハード団: エジプト
- イスラム集団: エジプト
- イスラーム・マグリブ地域のアル=カーイダ機構: アルジェリア
- 武装イスラム集団: アルジェリア
- モロッコ・イスラミック・コンバタント・グループ:(Moroccan Islamic Combatant Group) モロッコ
- ラシュカレトイバ: パキスタン(カシミール)
- ジャイシュ=エ=モハメッド:(Jaish-e-Mohammed) パキスタン(カシミール)
- ハラカト=ウル=ムジャヒディーン:(Harkat-ul-Mujahideen) パキスタン
- ジャマアト=ウル=ムジャヒディーン:(Jamaat-ul-Mujahideen) バングラデシュ
- ターリバーン: アフガニスタン
- ヘズブ・エ・イスラミ・グルブッディーン:アフガニスタン
- ウズベキスタン・イスラム運動: ウズベキスタン
- 東トルキスタンイスラム運動: 中国(新疆ウイグル自治区)
- ジェマ・イスラミア: インドネシア
- モロ・イスラム解放戦線: フィリピン
- アブ・サヤフ: フィリピン
- チェチェン独立派: ロシア
特色
「イスラーム過激派」は、伝統的にはイスラームの理想とする国家・社会のあり方を政治的・社会的に実現しようとする運動であるイスラーム主義の中から生まれ、現代社会の中でイスラーム的な理想の実現にとって障害となっているものを暴力によって排除しようとする人々の運動であると考えられる。
しかし、何を持って「過激」と判断するかという基準は曖昧であり、必ずしも暴力や戦闘を行うものが「過激」、行わないものが「穏健」と区別されているとは言い難い。 例えば、日本の一部の有力紙はハマース運動を「過激派」、一方パレスチナ当局を主導するファタハ運動を「穏健派」と表現しているが、これは暴力を用いるか否かというよりも、むしろ「イスラエルを和平交渉相手として認めるか否か」において過激(強硬)か穏健かを区別していると言える。 事実、ファタハ運動はハマース運動に対してや内部での抗争で暴力を用いている。
冷戦終結によりソビエト連邦が消滅した結果、現在「イスラーム過激派」の主たる排除対象となったのはイスラエルであったり、アメリカ合衆国であったり、これらと結んだり妥協したりしたためにイスラーム過激派の価値観に照らして「背教者」と認定されたムスリム(イスラーム教徒)であったりする。
彼らは、個々人が結合した団体を組織するが、最近の傾向として「草の根テロリズム」という言葉が使われるように、プロデューサー、ディレクター、テクニカルアシスタント、リクルーター、ソルジャーなどの役割ごとのゆるやかなネットワークで結ばれた人々からなっていると分析されており、こうした人々は中東のイスラーム社会のみならず、欧米まで含めた世界中に存在するムスリムの中に溶け込んで活動していると考えられている。現在、ムスリムの社会の間では、個々人や地域によって程度の多少はあるものの、反アメリカ、反シオニズム(反ユダヤ主義とは必ずしもイコールではない)などの漠然とした感情があるとされ、分析者たちは、過激派はこうした感情を背景に浸透していると見ている。
イスラム過激派は、詳しく見ていくと、近代化した国を中心としたものと、近代化していない国を中心としたものとに分けることができる。前者はインターネットなどの通信手段を自らの思想を広めるため積極的に用いるのに対し、後者はターリバーンのように近代文明すべてを『西洋』由来のものとして憎悪・拒否するという相違点がある(ただし、ターリバーンは政権掌握時にラジオを唯一のメディアとして活用しており、処刑に拳銃を用いていた)。
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- 1 イスラーム過激派の概要
- 2 イスラーム過激派とイスラム原理主義
- 3 関連項目
関連した本
- 暗殺教団―イスラームの過激派 (1973年) バーナード ルイス 新泉社