2009年02月
オバマ政権による史上最大の景気対策が成立したが、マーケットも経済学者も、その効果には懐疑的だ。Becker-Murphyは次のように論じている:
- 財政支出の乗数効果は1より小さい
- 支出の増加は一時的なものと想定されているが、利益団体にいつまでも食い物にされる
- 刺激策の消費者や企業への効果は、短期的なGDP創出だけではなく支出の価値で決まる
- 財政支出の増加は最終的には増税にはねかえり、消費や投資を抑制する
- 支出の増加は一時的なものと想定されているが、利益団体にいつまでも食い物にされる
Mankiw's blogより:
「経済学者が3人いたら意見は4つある」などといわれたのは昔の話で、現在はかなり広範な合意が成立している。
「経済学者が3人いたら意見は4つある」などといわれたのは昔の話で、現在はかなり広範な合意が成立している。
- 家賃の規制は借家の質と量を悪化させる (93%)
- 関税や輸入割当は経済的福祉を悪化させる (93%)
- 変動為替相場制は、国際金融調整に効果的だ(90%)
- 財政政策は不完全雇用においては景気刺激効果をもつ(90%)
- アメリカは海外へのアウトソーシングを規制すべきではない(90%)
- アメリカは農業補助金をやめるべきだ(85%)
- 地方政府は、プロスポーツの地方拠点への補助金をやめるべきだ(85%)
- 連邦政府の財政収支は、単年度ではなく景気循環のサイクルを通じて均衡させるべきだ (85%)
- 社会保障の負担と給付のギャップは、今後50年間に維持不可能な規模に拡大する(85%)
- 所得の間接的な再分配より現金支給のほうが福祉を高める(84%)
- 財政赤字の拡大は経済にとって好ましくない(83%)
- 最低賃金を引き上げると、未熟練労働者の失業が増える(79%)
- 政府は社会福祉を「負の所得税」によって改革すべきだ(79%)
- 環境汚染の上限を決めて規制するより、廃棄物への課税や排出権取引のほうが望ましい(78%)

「世界が不安定になっている」というのも嘘である。2000年代に起きた国際紛争の数は80年代より60%減少しており、特に冷戦の終結によって大規模な戦争はほとんどなくなった。「テロとの闘い」などというのは軍需産業を延命するためのスローガンで、アルカイダのテロによる死者は、200万人の命を奪ったポル・ポトや100万人が死亡したイラン・イラク戦争とは比較にならない。イスラム原理主義の影響力は中東でも低下しており、むしろ「欧米文化による汚染」が問題になっている。
GDPベースでは、経済的に成熟したアメリカが世界の中心でないことはもはや明らかで、新興国が中心になろう。しかし先進国が恐れているほどには、彼らが世界をリードする時代が来るのは早くない。中国には共産党というアキレス腱があり、都市と農村の対立は激化している。インドも、半世紀にわたる社会主義政権の負の遺産を清算するには長い時間がかかる。自由主義的な改革によって成長率を高めたインド人民党が、「格差を拡大した」という批判を浴びて選挙に負けるようでは、その未来は明るくない。
だから経済的な中心は新興国に移っても、政治的・文化的な中心は当分アメリカだろう。その最大の強みは、高等教育である。著者(インド人)も含めて、新興国のエリートはみんなアメリカの大学に留学して、その圧倒的な影響を受けて帰国し、祖国を指導する。アメリカの強さを支えているのは、実はこの「ソフトパワー」であり、それが新興国に移るにはまだ数十年かかるのではないか。
エルピーダメモリの坂本幸雄社長が、産業再生法による公的資金の導入を検討すると語っている。半導体産業は昔から国策産業という性格が強いので、このように政府の支援を求めることは珍しくない。しかし坂本氏も知っているように、そうやって政府が補助した企業のほとんどは業界から消えたのだ。
20年前、日本の半導体メーカーが世界を制覇すると思われ、「日米半導体協定」などの保護主義が公然と横行した。存亡の危機に立ったアメリカの半導体メーカーは、日本メーカーに「おとり発注」して「ダンピング」を告発するなど、あらゆる手段を使って政府に支援を求めた。1987年に富士通によるフェアチャイルド買収に米議会が反対したとき、ミルトン・フリードマンは「政府の保護は死の接吻だ」という名言を残したが、彼の予告どおり政府の補助金を受けたアメリカの半導体メーカーは、インテルを除いて80年代にほぼ全滅した。同じように政府の保護で生き延びた自動車メーカーは、今度こそ本当に断末魔だ。
坂本氏は、日本のDRAMメーカーとして最後に残ったエルピーダに日本テキサス・インストルメンツからまねかれ、親会社(日立とNEC)が半分ずつ株式をもって何も決まらない経営陣を一掃し、業績回復を果たした。「日本的経営」の足枷から自由な、新しい経営者として注目された。しかし彼も、「もうかったときは資本主義、都合が悪くなったら社会主義」という邦銀の経営者と同じだったわけだ。
銀行に公的資金を投入するのは、決済機能の外部性という合理的な理由があるが、政府がメーカーを補助することは正当化できない。エルピーダが倒産しようと台湾メーカーに買収されようと、納税者には関係のないことだ。アメリカではビッグスリーの救済にきびしい批判が集まっているのに、日本では当たり前のように公的支援が語られるのは、このようなソフトな予算制約が日本経済をだめにしたという教訓を、政府も企業も学んでいないのだろう。この調子では、日本はあと10年ぐらい失いそうだ。
20年前、日本の半導体メーカーが世界を制覇すると思われ、「日米半導体協定」などの保護主義が公然と横行した。存亡の危機に立ったアメリカの半導体メーカーは、日本メーカーに「おとり発注」して「ダンピング」を告発するなど、あらゆる手段を使って政府に支援を求めた。1987年に富士通によるフェアチャイルド買収に米議会が反対したとき、ミルトン・フリードマンは「政府の保護は死の接吻だ」という名言を残したが、彼の予告どおり政府の補助金を受けたアメリカの半導体メーカーは、インテルを除いて80年代にほぼ全滅した。同じように政府の保護で生き延びた自動車メーカーは、今度こそ本当に断末魔だ。
坂本氏は、日本のDRAMメーカーとして最後に残ったエルピーダに日本テキサス・インストルメンツからまねかれ、親会社(日立とNEC)が半分ずつ株式をもって何も決まらない経営陣を一掃し、業績回復を果たした。「日本的経営」の足枷から自由な、新しい経営者として注目された。しかし彼も、「もうかったときは資本主義、都合が悪くなったら社会主義」という邦銀の経営者と同じだったわけだ。
銀行に公的資金を投入するのは、決済機能の外部性という合理的な理由があるが、政府がメーカーを補助することは正当化できない。エルピーダが倒産しようと台湾メーカーに買収されようと、納税者には関係のないことだ。アメリカではビッグスリーの救済にきびしい批判が集まっているのに、日本では当たり前のように公的支援が語られるのは、このようなソフトな予算制約が日本経済をだめにしたという教訓を、政府も企業も学んでいないのだろう。この調子では、日本はあと10年ぐらい失いそうだ。
先日、ある外資系投資銀行の幹部(インド人)が、背任事件にからんでニューヨーク本社から解雇された。それを聞いた元同僚(日本人)は「因果応報だ」といっていた。彼のやっていたビジネスは、かなりきわどいものだったからだ。
元幹部がやっていたのは、日本の機関投資家から資金を借りて世界の不動産に投資するファンドだった。資産を管理しているのは、名目的には日本法人(特別目的会社)だが、実はその株主(日本のペーパーカンパニー)に融資しているのはケイマン諸島にあるSPV(「ビークル」と平板アクセントでよぶ)で、その資金はすべてニューヨーク本社が世界から集めてきた金だった。このペーパーカンパニーが上げた利益は、ケイマンのビークルへの支払利息と相殺されて税金はほとんど払わない。その利息はケイマンで法人所得として計上されるが、税率はゼロに近い。
したがって日本で上がった利益は、いったん金利に姿を変え、ケイマンで配当にまた姿を変えて、ほとんど課税されないでニューヨーク本社に送金され、本源的な投資家に渡る。つまりこの複雑な影の銀行システムは、配当を金利に変えるメカニズムなのである。なぜこんな手の込んだことをするのだろうか? その理由は3つある:
このような規制のゆがみがあるかぎり、その抜け穴をさがす非生産的なビジネスが必ず発生する。派生証券による利益のほとんどは、実はこうしたregulatory arbitrageによるものだ。その結果、資金の流れが見えにくくなり、今回のように債務の整理がきわめて困難になる。それに比べて2000年のITバブルのときは、ほとんどが株式だったので破綻処理は短期間ですんだ。だから今回の金融危機を契機に、株式と負債の扱いにバイアスのある税制を変えてはどうだろうか。もっとも合理的で景気対策としても最強なのは、オバマ政権のブレーンでもあるライシュのいうように、法人税を廃止することなのだが・・・
元幹部がやっていたのは、日本の機関投資家から資金を借りて世界の不動産に投資するファンドだった。資産を管理しているのは、名目的には日本法人(特別目的会社)だが、実はその株主(日本のペーパーカンパニー)に融資しているのはケイマン諸島にあるSPV(「ビークル」と平板アクセントでよぶ)で、その資金はすべてニューヨーク本社が世界から集めてきた金だった。このペーパーカンパニーが上げた利益は、ケイマンのビークルへの支払利息と相殺されて税金はほとんど払わない。その利息はケイマンで法人所得として計上されるが、税率はゼロに近い。
したがって日本で上がった利益は、いったん金利に姿を変え、ケイマンで配当にまた姿を変えて、ほとんど課税されないでニューヨーク本社に送金され、本源的な投資家に渡る。つまりこの複雑な影の銀行システムは、配当を金利に変えるメカニズムなのである。なぜこんな手の込んだことをするのだろうか? その理由は3つある:
- 租税回避:モディリアーニ=ミラー理論で知られるように、配当前の利益には法人税がかかるが、支払利息は費用として控除されるので、法人税があるかぎり負債で資金を調達することが合理的だ。
- 残余請求権の移転:ファンドの出資(equity)の残余請求権は出資者にあるが、これだと仲介者(投資銀行)が高い利益を上げても出資者に高い配当を払うので、うまみがない。債務なら説明責任がなく、約定金利を払った残余はまるまる投資銀行のものになる。これを顧客(海外の投資家)には「ROIを上げる」と説明し、レンダー(日本の機関投資家)には「リスクヘッジ」と説明する。
- 円キャリー取引:日本の金利は「タダみたいなもの」で、レンダーはおとなしいので、上のような奇妙なスキームを組んでも不審を抱かない。それどころか農林中金は、サブプライム危機が発覚してから3兆円以上のABSを買うなど、「世界最大のカモ」だった。
このような規制のゆがみがあるかぎり、その抜け穴をさがす非生産的なビジネスが必ず発生する。派生証券による利益のほとんどは、実はこうしたregulatory arbitrageによるものだ。その結果、資金の流れが見えにくくなり、今回のように債務の整理がきわめて困難になる。それに比べて2000年のITバブルのときは、ほとんどが株式だったので破綻処理は短期間ですんだ。だから今回の金融危機を契機に、株式と負債の扱いにバイアスのある税制を変えてはどうだろうか。もっとも合理的で景気対策としても最強なのは、オバマ政権のブレーンでもあるライシュのいうように、法人税を廃止することなのだが・・・
経済学の基本的な概念を理解していない人が世の中に多いことは何度も書いてきたが、それが東大経済学部(経営学科)の教授となると深刻だ。『文藝春秋』3月号で、藤本隆宏氏はこう書く:
しかし高級車の市場は縮小し、新興国向けの大衆車の市場が拡大している。中国ではエンジンまで外注する「組み合わせ」型の大衆車が、トヨタの半値以下で売られている。このような「市場の変相」が、トヨタの経営危機の原因である。つまり問題は比較優位が失われたことではなく、高級車の比較優位が役に立たなくなったことなのだ。
したがって藤本氏の推奨する「すり合わせを強めて品質を高めよ」という戦略は、もともと比較優位のある(しかし市場では売れない)高級車の品質向上に経営資源を集中する、典型的な持続的イノベーションの罠である。世界の市場で何が求められているかを虚心に分析し、すり合わせにこだわらないで「低価格・低品質」の大衆車をつくらないと、かつてビッグスリーがトヨタに駆逐されたように、トヨタは世界市場から駆逐されるだろう。
日本の自動車産業や経済産業省の顧問ともいうべき藤本氏が、このように現状認識を取り違えていることは、今後の自動車産業に悪影響を及ぼすおそれがあるので、あえて書いておく。
自由貿易の下、貿易財の輸出可能性(表の競争力)は、他国との生産性(裏の競争力)の差の大きさで決まる――200年前に古典経済学の巨人、D.リカードが喝破した「比較優位」は、経済学で最も頑健な論理の一つである。(p.191 強調は引用者)これは間違いである。次のウィキペディアの記述が正しい:
比較優位とは、たとえ、外国に対して低い生産性しか実現できなかったとしても、貿易においては優位に立っていると言う考え方である。たとえば、ワインと毛織物という商品があったとして、小国と大国がそれぞれどちらの商品も生産していたとする。比較優位とは、国内における他の財との生産費の比によるものであり、「他国との差」ではない。よく使われるたとえでいえば「アインシュタインが秘書よりタイピングがうまくても、彼がタイプしてはいけない」のだ。輸出競争力を決めるのは、(藤本氏の混同している)絶対優位ではなく比較優位だから、中国のように生産性の低い国が日本に輸出できるわけだ。この小国と大国を中国と日本に置き換えると、たとえばこうなる:小国:労働者一人当たりでワイン2単位、または毛織物4単位生産できるとする。
大国:労働者一人当たりでワイン10単位、または毛織物30単位生産できるとする。小国はどちらの商品生産においても大国より生産性が低いということになる。いいかえれば、大国は小国よりも毛織物およびワインの生産性が高いため絶対優位となる。では小国は大国に対してどちらも競争力がないのであろうか。答えはノーである。小国はワイン生産において比較優位なのである。なぜかというと、小国ではワイン1単位と毛織物2単位が等価、大国はワイン1単位と毛織物3単位が等価であるからだ。つまり、小国のほうがワインを割安に作れるのである。
- 中国:労働者一人当たりで大衆車3台、または高級車1台生産できるとする。
- 日本:労働者一人当たりで大衆車20台、または高級車10台生産できるとする。
しかし高級車の市場は縮小し、新興国向けの大衆車の市場が拡大している。中国ではエンジンまで外注する「組み合わせ」型の大衆車が、トヨタの半値以下で売られている。このような「市場の変相」が、トヨタの経営危機の原因である。つまり問題は比較優位が失われたことではなく、高級車の比較優位が役に立たなくなったことなのだ。
したがって藤本氏の推奨する「すり合わせを強めて品質を高めよ」という戦略は、もともと比較優位のある(しかし市場では売れない)高級車の品質向上に経営資源を集中する、典型的な持続的イノベーションの罠である。世界の市場で何が求められているかを虚心に分析し、すり合わせにこだわらないで「低価格・低品質」の大衆車をつくらないと、かつてビッグスリーがトヨタに駆逐されたように、トヨタは世界市場から駆逐されるだろう。
日本の自動車産業や経済産業省の顧問ともいうべき藤本氏が、このように現状認識を取り違えていることは、今後の自動車産業に悪影響を及ぼすおそれがあるので、あえて書いておく。
ソニー、全日空、東芝、パイオニアなどで、賃下げの動きが広がってきた。「ワークシェアリング」などという曖昧な話ではなく、賃下げこそ雇用維持の切り札である。年収1500万円の中高年正社員の賃金を2割下げれば、非正規労働者の雇用が1人守れる。
名目賃金の下方硬直性が失業をまねくことは、1930年代以来、定型化された事実であり、このタブーを打破することによって失業率の上昇を阻止できる。賃下げによって「乗数効果」で有効需要が減るというのは神話である。賃下げで雇用が増える効果は雇用者数=賃金原資÷賃金という四則演算で明らかだが、乗数効果は理論的にも実証的にも成り立たない。むしろ賃下げによって労働需要が喚起され、中国などとの国際競争にも耐えられるようになる。派遣労働の規制を強めて雇用コストが上がると、海外へのアウトソーシングによって空洞化が進む。そして国内で雇用されない若者が大連に行って、年収75万円になる。これがグローバル資本主義の現実だ。
今年は2009年問題などもあいまって、年度末に完全失業率が10%に近づくことが懸念されている。非正規労働者だけに雇用調整をしわ寄せするのはもう限界であり、不公正である。連合の賃上げ要求は、非正規労働者を犠牲にして正社員の既得権を強化しようというエゴイズムだ。今年の春闘は、経営者の側から賃下げを提案する「逆春闘」にしてはどうだろうか。
名目賃金の下方硬直性が失業をまねくことは、1930年代以来、定型化された事実であり、このタブーを打破することによって失業率の上昇を阻止できる。賃下げによって「乗数効果」で有効需要が減るというのは神話である。賃下げで雇用が増える効果は雇用者数=賃金原資÷賃金という四則演算で明らかだが、乗数効果は理論的にも実証的にも成り立たない。むしろ賃下げによって労働需要が喚起され、中国などとの国際競争にも耐えられるようになる。派遣労働の規制を強めて雇用コストが上がると、海外へのアウトソーシングによって空洞化が進む。そして国内で雇用されない若者が大連に行って、年収75万円になる。これがグローバル資本主義の現実だ。
今年は2009年問題などもあいまって、年度末に完全失業率が10%に近づくことが懸念されている。非正規労働者だけに雇用調整をしわ寄せするのはもう限界であり、不公正である。連合の賃上げ要求は、非正規労働者を犠牲にして正社員の既得権を強化しようというエゴイズムだ。今年の春闘は、経営者の側から賃下げを提案する「逆春闘」にしてはどうだろうか。
きのうの記事は経済学の常識を書いただけなのだが、意外に多くの反響があり、例によって「雇用の流動化で資本家がもうかるだけだ」という類の批判が多い。こういう感情論は、霞ヶ関では相手にされてないが、政治家やメディアにはまだ根強いので、その論理的な間違いを簡単に指摘しておく。
小倉さんが繰り返している「所得分配を平等にしたらGDPが増える」という話は、労働組合がよくいうが根拠がない。逆に限界税率を上げると投資が減ってGDPが下がるという議論もあり、実証的には決着がついていない。もともと税制のような所得分配を変える政策は、所得を高めるためのものではない。今のような不況期に必要なのは、資源配分の効率を高めてGDPを引き上げることである。
経済学部の学生なら1年生の夏学期に教わるように、所与の資源存在量のもとで効率的な資源配分は、異なる所得分配に対応して無限に存在する。そのうちどれが公平かは理論的には決まらないが、所与の所得分配のもとでどういう資源配分が効率的かは一意的に決まる。たとえば土建業で50万人が失業し、介護で50万人が足りないとき、前者から後者に労働力を移動することでGDPは明らかに増え、損する人はいない。これがパレート効率性の意味である。
所得分配は、それとは独立の問題である。小倉さんのように資本家も労働者も所得が同じになるのが公正だと思っている人もいれば、労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人もいる。何が公正な分配かというのは非常にむずかしい問題で、経済学でも政治学でも決着がついていない。現実にとられているのは、基本的には所得分配は市場にゆだね、最低所得を補償する政策である。
小倉さんを初めとする混乱した議論の特徴は、資源配分と所得分配をごちゃごちゃにしていることだ。パレート効率性は、高校の教科書にも出ているきわめて初歩的な概念なので、福祉を論じるなら、ウィキペディアでもいいから読んで、この概念を理解してから議論していただきたい。
小倉さんが繰り返している「所得分配を平等にしたらGDPが増える」という話は、労働組合がよくいうが根拠がない。逆に限界税率を上げると投資が減ってGDPが下がるという議論もあり、実証的には決着がついていない。もともと税制のような所得分配を変える政策は、所得を高めるためのものではない。今のような不況期に必要なのは、資源配分の効率を高めてGDPを引き上げることである。
経済学部の学生なら1年生の夏学期に教わるように、所与の資源存在量のもとで効率的な資源配分は、異なる所得分配に対応して無限に存在する。そのうちどれが公平かは理論的には決まらないが、所与の所得分配のもとでどういう資源配分が効率的かは一意的に決まる。たとえば土建業で50万人が失業し、介護で50万人が足りないとき、前者から後者に労働力を移動することでGDPは明らかに増え、損する人はいない。これがパレート効率性の意味である。
所得分配は、それとは独立の問題である。小倉さんのように資本家も労働者も所得が同じになるのが公正だと思っている人もいれば、労働生産性に等しい所得を得ることが公正だと思う人もいる。何が公正な分配かというのは非常にむずかしい問題で、経済学でも政治学でも決着がついていない。現実にとられているのは、基本的には所得分配は市場にゆだね、最低所得を補償する政策である。
小倉さんを初めとする混乱した議論の特徴は、資源配分と所得分配をごちゃごちゃにしていることだ。パレート効率性は、高校の教科書にも出ているきわめて初歩的な概念なので、福祉を論じるなら、ウィキペディアでもいいから読んで、この概念を理解してから議論していただきたい。

著者は世界最大の債券ファンドのCEOで、IMFの元理事。新興国の急速な台頭によって世界的インバランスが生じ、その過剰貯蓄を吸収して投資効率を上げるために発達した金融技術への過信が危機をもたらしたメカニズムを、グローバルな視野から明らかにしている。G20などでの議論の枠組を、本書がつくったといっても過言ではない。すべてのビジネスマンと政策担当者と研究者が読むべき本である。
また小倉さんからTBが来た。彼は何をいわれても「階級闘争史観」を変える気はないようなので議論は不毛だが、これが世の法律家の平均的な水準かもしれないので、簡単に答えておく。
彼は雇用流動化が「北風」政策だというが、これは理論的にも実証的にも間違いである。前にも書いたように、雇用流動化は労働需要を増やす「太陽」政策なのだ。それは経営者に解雇というオプションを与えるので、オプション価値の分だけ労働需要は増える――と書いてもわかってもらえないだろうから、簡単な例を考えよう:
ある経営者が、正社員を雇うか派遣にするか迷っているとする。正社員を雇うと絶対に解雇できないとすると、生涯賃金は大卒男子平均で2億7000万円だ。社会保険や年金・退職金を入れると、4億円近い大きな固定費になる。他方、派遣の(派遣会社に払う)賃金が正社員と同じだとしても、業績が悪くなったら契約を破棄できる変動費だ。たとえ生産性が低くても派遣を雇うことによってリスクをヘッジできるので、経営者は派遣を選ぶだろう。しかし正社員の解雇が自由になったとすると、正社員と派遣のコストは同等になり、経営者は生産性の高い正社員を選ぶだろう。
つまり解雇規制を緩和してオプションを増やすことによって、正社員の雇用は増える。他方、解雇も容易になるので、短期的にはどっちの効果が大きいかはわからないが、長期的には雇用コストが下がると労働需要は増えるので、自然失業率は間違いなく下がる。失業率が解雇規制の増加関数であることは、オバマ政権の中枢であるサマーズもいうように、実証的にも定型的事実である。
雇用を流動化するもっと重要な理由は、それによって労働生産性を高めることだ。流通業や建設業には大量の潜在失業者がいるが、医療や介護では人手が足りない。前者から後者に労働力を移転するには、解雇規制を緩和するとともに職業訓練を強化し、新たなキャリアへの挑戦を容易にする必要がある。それによって福祉サービスが成長すれば、内需拡大によってGDPが高まり、労働需要も増える。厚労省の進めている雇用固定化政策はきわめて反生産的であるばかりでなく、労働者を会社に閉じ込めて不幸にする。
小倉さんは政府のすべての政策は資本家が労働者から搾取するための陰謀だと思っているようだが、かりに資本家から搾取して労働者に再分配しても、パイ全体の大きさは変わらない(税の累進性を上げると、インセンティブの低下でGDPは下がる)。今の日本のように年率10%で収縮してゆく経済で、所得分配ばかり争うのはnegative-sum gameにしかならない。雇用流動化によってGDPを高めれば、ほとんどの人々が得するpositive-sum gameになるのである。
彼は雇用流動化が「北風」政策だというが、これは理論的にも実証的にも間違いである。前にも書いたように、雇用流動化は労働需要を増やす「太陽」政策なのだ。それは経営者に解雇というオプションを与えるので、オプション価値の分だけ労働需要は増える――と書いてもわかってもらえないだろうから、簡単な例を考えよう:
ある経営者が、正社員を雇うか派遣にするか迷っているとする。正社員を雇うと絶対に解雇できないとすると、生涯賃金は大卒男子平均で2億7000万円だ。社会保険や年金・退職金を入れると、4億円近い大きな固定費になる。他方、派遣の(派遣会社に払う)賃金が正社員と同じだとしても、業績が悪くなったら契約を破棄できる変動費だ。たとえ生産性が低くても派遣を雇うことによってリスクをヘッジできるので、経営者は派遣を選ぶだろう。しかし正社員の解雇が自由になったとすると、正社員と派遣のコストは同等になり、経営者は生産性の高い正社員を選ぶだろう。
つまり解雇規制を緩和してオプションを増やすことによって、正社員の雇用は増える。他方、解雇も容易になるので、短期的にはどっちの効果が大きいかはわからないが、長期的には雇用コストが下がると労働需要は増えるので、自然失業率は間違いなく下がる。失業率が解雇規制の増加関数であることは、オバマ政権の中枢であるサマーズもいうように、実証的にも定型的事実である。
雇用を流動化するもっと重要な理由は、それによって労働生産性を高めることだ。流通業や建設業には大量の潜在失業者がいるが、医療や介護では人手が足りない。前者から後者に労働力を移転するには、解雇規制を緩和するとともに職業訓練を強化し、新たなキャリアへの挑戦を容易にする必要がある。それによって福祉サービスが成長すれば、内需拡大によってGDPが高まり、労働需要も増える。厚労省の進めている雇用固定化政策はきわめて反生産的であるばかりでなく、労働者を会社に閉じ込めて不幸にする。
小倉さんは政府のすべての政策は資本家が労働者から搾取するための陰謀だと思っているようだが、かりに資本家から搾取して労働者に再分配しても、パイ全体の大きさは変わらない(税の累進性を上げると、インセンティブの低下でGDPは下がる)。今の日本のように年率10%で収縮してゆく経済で、所得分配ばかり争うのはnegative-sum gameにしかならない。雇用流動化によってGDPを高めれば、ほとんどの人々が得するpositive-sum gameになるのである。
16日に発表される昨年10~12月期の実質GDP成長率の速報値は「前年比マイナス二桁」になるそうだ。予定稿を書くメディアから取材を受け、電話でかなり適当な数字を答えてしまったので、少し補足しておく。
マイナス10~12%というのは「戦後最悪」だが、絶対的水準としてはさほど驚くべきことでもない。昨年末からの統計では、輸出額が前年比1/3減といった数字が出ている。日本の輸出はGDPの15%だから、これだけでGDPはマイナス5%だ。輸出産業が国内で調達している関連産業を加え、消費マインドの冷え込みを考えると、最終的に10%ぐらいマイナスになることは十分ありうる。ただ、これだけ急激にマイナスになるのは、おそらくオーバーシューティング(潜在GDPからの下振れ)を含んでおり、マクロ政策で(可能なら)補正する必要があろう。問題は、それが可能かどうかということだ。
普通の財政・金融政策が手詰まりになった中で、最近にわかに話題になっているのが政府紙幣だ。「アゴラ」に少し書いたように、これは「マリファナ」とか「円天」とかバカにするような政策ではなく、議論には値する。ただハイパーインフレになる心配より、何も起こらない可能性のほうが高い。ゼロ金利では資金需要が絶対的に飽和しているからだ。したがって政府紙幣は、金融政策ではなく財政政策である。しかしスティグリッツが「国債は債務を借り替える必要があるが、政府紙幣を発行した場合にはその必要はない」とのべたのは誤りで、白川総裁が反論したように、市中から環流してくる紙幣を日銀が買い取るところまで考えれば、無利子の国債を日銀が引き受けるのと同じだ。
したがって問題は、国債の日銀引き受けをすべきかどうかということになる。野口悠紀雄氏もいうように、これは財政法で禁じられているが、国会決議があれば可能なので、政府紙幣より現実的だ。つまり政府が日銀から借金してバラマキ財政をやるのだ。しかし日銀は通貨発行益を政府に納付しているので、政府に対して債権をもつと、両者は相殺されて同じことになる。それもしてはならないと法律で決めて、完全なフリーランチにすることは可能だが、これは日本政府が意図的に無責任になる政策だ。白川総裁は次のようにのべる:
要するに、経済学の鉄則どおり、世の中にフリーランチはないのだ。それがあると一時的に錯覚させることは可能だが、嘘はいずればれる。これまで「ケインズ政策」と称して、いろいろな嘘が実施されてきたが、それが長期的には帳消しになるという事実を国民が学習した結果、マクロ政策がきかなくなったのである。
オーバーシューティングを補正するために政策手段を動員する必要はあり、緊急の対応策としては金融政策しかない。特に長期金利が上がり始めている状況では、日銀がリスク資産の買い取りなどの非伝統的政策に踏み込んで、流動性を最大限に供給する必要があろう。しかし残念ながら、それ以上の政策はむずかしい。現在の不況の最大の原因は、世界的インバランスがバランスに戻ることによる外的ショックだから、日本だけの力でインバランスに戻すことはできない。政府紙幣を議論するぐらいなら、アメリカで多くの経済学者が提言している投資減税を検討してはどうだろうか。
マイナス10~12%というのは「戦後最悪」だが、絶対的水準としてはさほど驚くべきことでもない。昨年末からの統計では、輸出額が前年比1/3減といった数字が出ている。日本の輸出はGDPの15%だから、これだけでGDPはマイナス5%だ。輸出産業が国内で調達している関連産業を加え、消費マインドの冷え込みを考えると、最終的に10%ぐらいマイナスになることは十分ありうる。ただ、これだけ急激にマイナスになるのは、おそらくオーバーシューティング(潜在GDPからの下振れ)を含んでおり、マクロ政策で(可能なら)補正する必要があろう。問題は、それが可能かどうかということだ。
普通の財政・金融政策が手詰まりになった中で、最近にわかに話題になっているのが政府紙幣だ。「アゴラ」に少し書いたように、これは「マリファナ」とか「円天」とかバカにするような政策ではなく、議論には値する。ただハイパーインフレになる心配より、何も起こらない可能性のほうが高い。ゼロ金利では資金需要が絶対的に飽和しているからだ。したがって政府紙幣は、金融政策ではなく財政政策である。しかしスティグリッツが「国債は債務を借り替える必要があるが、政府紙幣を発行した場合にはその必要はない」とのべたのは誤りで、白川総裁が反論したように、市中から環流してくる紙幣を日銀が買い取るところまで考えれば、無利子の国債を日銀が引き受けるのと同じだ。
したがって問題は、国債の日銀引き受けをすべきかどうかということになる。野口悠紀雄氏もいうように、これは財政法で禁じられているが、国会決議があれば可能なので、政府紙幣より現実的だ。つまり政府が日銀から借金してバラマキ財政をやるのだ。しかし日銀は通貨発行益を政府に納付しているので、政府に対して債権をもつと、両者は相殺されて同じことになる。それもしてはならないと法律で決めて、完全なフリーランチにすることは可能だが、これは日本政府が意図的に無責任になる政策だ。白川総裁は次のようにのべる:
日銀の円滑な金融調節が阻害されたり、日銀の財務の健全性が損なわれることへの懸念を通じて、通貨に対する信認が害される恐れがある。また、政府が日銀による国債の直接引き受けと同じ仕組みにより恒久的な資金調達を行うことが、国の債務返済にかかる能力や意思に対す る市場の懸念を惹起し、長期金利の上昇を招く恐れがある。ファイナンスなしで政府紙幣を大量に発行すると、「日本政府はジンバブエと同じだ」というシグナルを市場に送ってハイパーインフレが起こる可能性がある。日銀が巨額の赤字を負って倒産するかもしれないような状況では、金融調節は不可能になるからだ。最終的に政府が日銀を救済するとすれば、結局は財政でファイナンスするのだから、普通の国債発行と同じだ。
要するに、経済学の鉄則どおり、世の中にフリーランチはないのだ。それがあると一時的に錯覚させることは可能だが、嘘はいずればれる。これまで「ケインズ政策」と称して、いろいろな嘘が実施されてきたが、それが長期的には帳消しになるという事実を国民が学習した結果、マクロ政策がきかなくなったのである。
オーバーシューティングを補正するために政策手段を動員する必要はあり、緊急の対応策としては金融政策しかない。特に長期金利が上がり始めている状況では、日銀がリスク資産の買い取りなどの非伝統的政策に踏み込んで、流動性を最大限に供給する必要があろう。しかし残念ながら、それ以上の政策はむずかしい。現在の不況の最大の原因は、世界的インバランスがバランスに戻ることによる外的ショックだから、日本だけの力でインバランスに戻すことはできない。政府紙幣を議論するぐらいなら、アメリカで多くの経済学者が提言している投資減税を検討してはどうだろうか。
ジョン・テイラーの金融危機についての分析がWSJに出ている:
- 今回の金融危機について、9/11のような特別委員会をつくって調査すべきだ。その場合、もっとも追及すべきなのは政府の失敗だ。今回の危機は、政府とFRBが作り出し、長期化させ、悪化させた。
- FRBは2003年から2005年までFF金利を適正な水準より低くした。これが住宅バブルをもたらしたことは疑いない。ファニー・メイとフレディ・マックが住宅融資を拡大しすぎたこともバブルの重要な原因だ。
- 問題が起こってからの対応もまずかった。2007年夏にサブプライム危機が表面化したあと、FRBはTAF(Term Auction Facility)など流動性を供給する制度を整備したが、これは問題を見誤っていた。根本的な問題はカウンターパーティ・リスクだったので、単なる流動性の供給では問題は解決しない。銀行のバランスシートの健全化が必要だった。2008年はじめに議会を通過した1000億ドルの減税も、まったくナンセンスな政策だった。
- 一般には9月15日のリーマンブラザースの破産が危機の引き金だと思われているが、この日は金利スプレッドは広がったが、前年とそれほど変わらず、週末には戻した。スプレッドが大きく広がったのは翌週、上院のTARP(Troubled Asset Relief Program)についての審議にバーナンキとポールソンが呼ばれてからだ。彼らの混乱した証言で、市場は当局に一貫した方針がないことを知ったのだ。
- 政府の介入は、明確な方針と予測可能な枠組にもとづいて行われなければならない。ろくに説明もしないで、アドホックに大量の金をばらまくのは、事態を悪化させるだけだ。
編集部は「ケインズ派vs構造改革派」の論争を企画したようだが、意外なことに竹森俊平氏の結論は「日本はキャッチアップが終わった今も、次の時代のビジネスモデルを見いだせていない。アジアのリーダーとして新産業を育てる必要がある」という構造改革だ。危機の原因としてグローバル・インバランスをあげることを含めて、彼の意見は(対立するはずだった)池尾和人氏とほとんど変わらない。
最初に野口悠紀雄氏と小野善康氏の「誌上対論」が出ているが、これも予想とは逆に、小野氏が「乗数効果なんてナンセンス。公共事業は役に立つかどうかが重要だ」という。いちばん古典的なケインズ派が野口氏で、「国債の日銀引き受けによって30兆円のバラマキをやれ」という。これは最近、話題になっている政府紙幣と同じ発想だが、最後に「政治の貧困によって浪費が起こる」と書いてあるので、実現不可能を承知のブラック・ユーモアだろう。
このようにケインズ派(財政政策)が復活する一方で、市場を重視する主流派が構造改革を主張する構図は、アメリカと似ている。教科書的にいえば、ゼロ金利で金融政策がきかなくなった現状で、財政政策が必要だという議論は、理論的には成り立つ。しかしアメリカの金融危機の原因がグローバルなマクロ不均衡だとすると、それが是正された現状のほうが定常状態(潜在GDP)に近いので、竹森氏もいうようにアメリカ国内の需要刺激策の有効性は低い。グローバルな均衡を実現するためには、新興国の国内市場の整備が重要だ。
これは日本も同じで、輸出バブルが崩壊した現状のほうが潜在GDPに近いので、池尾氏もいうように「1割の輸出産業が9割の国内産業を食わしていく」産業構造は、もはや持続可能ではない。製造業を捨てる必要はないが、競争力のない製造業にこだわると日本経済全体が沈没する。新しい産業を育てて投資機会を増やし、内需拡大することが究極の経済対策だ――という点で、意外にも多くの論者の基本的認識は一致している(これは野口氏も同じ)。ようやく日本でも、まともな政策論争が可能になってきたようだ。
それから、いうまでもないがリフレ派は全滅(笑)。
したがって金融規制や金融技術などのテクニカルな問題については、ほぼ網羅的に解説されているが、その背景や実体経済との関係、あるいは日本への影響などはほとんどふれられていない。特に物足りないのは、昨年の前半に出たEl-Erianでさえ指摘しているグローバルなマクロ的不均衡(需給ギャップ)にまったくふれていないことだ。かつて日本のデフレを「GDPギャップが原因だ」とし、通貨をばらまけば解決すると主張していた著者が、「構造改革派」に転向したのだろうか。
またバブルを生んだ金融緩和に甘い。FRBが2004年まで金融緩和を続けたことについては、グリーンスパン自身が「間違いだった」と認めたのに、著者は「バブル退治の金融引き締めは景気後退をもたらす」と弁護する。住宅バブルの一因が円キャリー取引だったことは認めながら、その原因になったゼロ金利・量的緩和とドル買い介入にはまったくふれていない。著者は認めたくないのかもしれないが、金融緩和には副作用があり、めちゃくちゃに緩和すればいいというものではないのだ。
90年代の北欧の成功例と日本の失敗例をFRBがちゃんと調査していれば、2007年夏にサブプライム危機が表面化してから翌年9月のリーマン問題までに、もう少し体系的な対応がとれたはずだ、という著者の指摘は、いささか結果論ではあるが、その通りだろう。しかし失敗から学ぶためには、まず失敗を率直に認めることが第一歩だ。日銀の山口副総裁は「2000年代初頭の極端な金融緩和が円キャリーをまねいた可能性は否定できない」と責任を認めたが、著者を先頭とするリフレ派が「レジーム転換しろ」などと日銀を攻撃した責任はどうなるのだろうか。
構造改革を批判する通俗的な議論に、「供給を増やす構造改革は需給ギャップを拡大する」というのがある。たとえば田中秀臣氏はこう書く:
昨年の経済財政白書は、日本経済の内需の弱さの原因をリスクテイクの不足に求めている。この最大の原因は、非効率な金融システムだ。図のように、日本の個人金融資産に占める預金の比率はほぼ半分で、主要国で群を抜いて高い。資産の半分が元本保証で運用されているため、資産構成がローリスク・ローリターンに片寄り、ハイリスクの市場が欠落しているのだ。

さらにその原因は、資本効率の低さだ。アメリカに比べると、日本の上場企業の平均ROEは約5%と、アメリカの半分以下である。つまり小倉さんの思い込みとは逆に、日本では資本家へのリターンがあまりにも低いために投資が低迷し、それが内需を慢性的に不足させているのだ。したがって「需要不足」の最大の原因は、経済財政白書も指摘するように、日本型企業システムの非効率性という構造的な問題だ。
「日本で預金の比率が高いのはリスクのきらいな国民性が原因だ」という説もあるが、同じように保守的だといわれるドイツでさえ、最近は預金の比率は35%に下がっている。ドイツ銀行は、今や世界有数の投資銀行だ。日本の金融が立ち遅れている大きな原因は、90年代に公的資金を投入してゾンビ銀行を延命したことだろう。それが資本効率の低いゾンビ企業を延命し、それが投資を低下させる・・・という悪循環に陥っているのだ。
最近の外需の落ち込みが一時的なものであれば、「需要喚起策」で時間稼ぎしていれば元に戻るかもしれないが、マクロ統計の示すのは逆だ。世界のGDPの2%に及ぶ過剰貯蓄をアメリカの過剰投資が吸収してきたが、その構造は崩壊してしまった。その影響で中国など新興国からの外需も減ったので、日本は貿易赤字に転じた。これが「正常」な水準に近いとすると、よほど抜本的な資本市場の改革をやらないかぎり、日本の「失われた20年」はさらに続くだろう。
雇用流動化論は総需要を喚起しません。総供給側の効率化をすすめるだけです。そのため総需要喚起政策を伴わない総供給の効率化=雇用流動化は、自体を悪化させるだけです(原文ママ)(笑)というしかない。雇用の流動化は、企業が労働者を採用するときのコストを下げて労働需要を高めるための改革なのだが、彼にはこの程度の初歩的な知識もないらしい。いま日本の直面している最大の構造問題も、外需の減少によって経済全体が大きなダメージを受ける脆弱な経済構造を是正するために、投資需要が慢性的に貯蓄を下回っているI-Sバランスを是正することだ。かつてはアメリカに「内需拡大」を迫られたが、今は日本経済の潜在成長率を高めるために内需拡大が必要なのである。
昨年の経済財政白書は、日本経済の内需の弱さの原因をリスクテイクの不足に求めている。この最大の原因は、非効率な金融システムだ。図のように、日本の個人金融資産に占める預金の比率はほぼ半分で、主要国で群を抜いて高い。資産の半分が元本保証で運用されているため、資産構成がローリスク・ローリターンに片寄り、ハイリスクの市場が欠落しているのだ。
「日本で預金の比率が高いのはリスクのきらいな国民性が原因だ」という説もあるが、同じように保守的だといわれるドイツでさえ、最近は預金の比率は35%に下がっている。ドイツ銀行は、今や世界有数の投資銀行だ。日本の金融が立ち遅れている大きな原因は、90年代に公的資金を投入してゾンビ銀行を延命したことだろう。それが資本効率の低いゾンビ企業を延命し、それが投資を低下させる・・・という悪循環に陥っているのだ。
最近の外需の落ち込みが一時的なものであれば、「需要喚起策」で時間稼ぎしていれば元に戻るかもしれないが、マクロ統計の示すのは逆だ。世界のGDPの2%に及ぶ過剰貯蓄をアメリカの過剰投資が吸収してきたが、その構造は崩壊してしまった。その影響で中国など新興国からの外需も減ったので、日本は貿易赤字に転じた。これが「正常」な水準に近いとすると、よほど抜本的な資本市場の改革をやらないかぎり、日本の「失われた20年」はさらに続くだろう。
今回の金融危機で印象的なのは、ウェブが経済政策論争の場になっていることだ。バーロがWSJに「公共投資の乗数効果は1より小さく、税金の無駄づかいだ」と書いたのに対して、クルーグマンがブログで「バーロは『一般理論』も読んでないのか」と批判し、それにバーロがインタビューで答えている。彼のキャラクターにあわせて適当に訳すと・・・
こうしたアメリカの論争に比べると、定額給付金や消費税の引き上げなど、ナンセンスな政策ばかり議論される日本の政策論争は救いがたい。経済学者も、論争のあまりのレベルの低さにほとんど発言しないが、「アゴラ」はオープンな議論の場なので、専門家の投稿をお待ちしています。
A(The Atlantic) あなたは乗数効果に懐疑的なようですが・・・バーロは財政政策すべてを否定しているのではなく、法人税の減税によって投資を促進することを提案している。これは需要刺激策ではなく、人々のインセンティブを変えて潜在成長率を引き上げる構造改革だ。資源配分と所得分配の区別がつかない人々からは「資本家のもうけを増やす政策」と攻撃されるだろうが・・・
B(Barro) そうだよ。税率を変えることには意味があるが、バラマキは意味がない。これを乗数効果などということばで一括するのはナンセンスだ。
A クルーグマンのブログは読みましたか?
B 読んだよ。くだらない個人攻撃だ。彼は以前「戦争で大恐慌から脱出した」といってたくせに、最近は「戦争はあまり効果がなく、ニューディールのほうが有効だった」という。彼は政治的意図にあわせて、事実を偽造するんだよ。それに彼は、マクロ経済学で何も仕事をしてない。私はマクロの専門家だ。
A 公共投資より減税のほうが効果があるという最近の実証結果は混乱するんですけど・・・
B 何も混乱することはないさ。減税には二つの効果があるんだよ。一つはいわゆる乗数効果(所得効果)で、これは大したことない。二つめは、税率の変更によってインセンティブを変える効果だ。こっちのほうが所得効果よりはるかに大きいんだよ。
A オバマの財政政策にも減税が含まれていますが、どう評価しますか?
B あれは1930年代以来、最悪の法案だ。減税をインセンティブとしてではなく、金をばらまく昔ながらの政策として使っている。公共投資もゴミだから、オバマの政策はどっちも最悪だよ。
こうしたアメリカの論争に比べると、定額給付金や消費税の引き上げなど、ナンセンスな政策ばかり議論される日本の政策論争は救いがたい。経済学者も、論争のあまりのレベルの低さにほとんど発言しないが、「アゴラ」はオープンな議論の場なので、専門家の投稿をお待ちしています。

プロローグ(池尾和人)
第1講 アメリカ金融危機の深化と拡大――サブプライム問題から全般的な信用危機へ
その1 サブプライムローン問題
その2 全面的な信用危機への拡大
その3 リーマン・ブラザーズの破綻以降
第2講 世界的不均衡の拡大:危機の来し方①――1987年、1997年、2007年までの節目を振り返る
その1 長期不況:1970年代末~1987年
その2 アメリカ経済の再活性化:1987~1997年
その3 マクロ的不均衡の拡大:1997年~現在
第3講 金融技術革新の展開:危機の来し方②――デリバティブ、証券化、M&A
その1 伝統的銀行業の衰退と金融革新
その2 デリバティブ取引の意義
その3 投資銀行の成功と変質
第4講 金融危機の発現メカニズム――非対称情報とコーディネーションの失敗
その1 過剰投機はなぜ起きる:エージェンシー問題と「美人投票」
その2 取り付けの合理性とリスクテイク
その3 市場型システミック・リスク
第5講 金融危機と経済政策――「市場の暴走」と「政府の失敗」
その1 「政府の失敗」の結果
その2 経済思潮の変遷
その3 経済政策をめぐる争点
第6講 危機後の金融と経済の行く末――中長期的な展望と課題
その1 投資銀行は終わったのか
その2 規制監督体制見直しの課題
その3 長期不況の予感
第7講 日本の経験とその教訓――われわれは何を知っているのか
その1 「失われた10年」の原因
その2 「失われた10年」の教訓
その3 不良債権問題への政策的対応
エピローグ(池田信夫)
先日のMP3ファイルは、6日間で2万を超えるダウンロードがあったそうだ。アマゾンでも50位に入った。今後も、本だけでなく「アゴラ」などを使って今回の不況を経済学的に考える素材を提供していきたい。
AEAで、一度に4つも新しいジャーナルが創刊された。そのひとつ、American Economic Journal: Macroeconomicsの創刊号には巨匠の論文が並んでいるが、興味深いのはWoodfordの"Convergence in Macroeconomics"だ。それによれば「ケインジアン対マネタリスト」などという論争は過去のもので、現在のマクロ経済学には次のようなコンセンサスが成立している:
3の予想の役割も重要だ。「2011年に増税する」という予想を国民に広く植え付けると同時に減税しても、人々は増税に備えて貯蓄するだろう。Blanchardも指摘するように、政府や中央銀行の最大の役割は人々の不安や不確実性を減らして投資を促進することであり、財政・金融政策はその手段にすぎない。
4にいうように、景気変動の要因の大部分は外生的なショックである。これは技術進歩だけではなく、現在の日本の不況をもたらしている為替や外需の大幅な落ち込みのようにマクロ政策でコントロールできない要因を含む。こうしたリアルな変動によって景気変動の9割近くは説明でき、金融政策の影響は小さい。
5は、ここ20年の世界各国のdisinflationary policyの成功によって疑問の余地がないが、デフレ状況で名目金利がゼロになったとき金融政策が有効かどうかは論争が進行中である。中央銀行が「レジーム転換」すればインフレが起こるとかいうナンセンスな議論は、日本にしか存在しない。
- It is now widely agreed that macroeconomic analysis should employ models with coherent intertemporal general-equilibrium foundations. These make it possible to analyze both short-run fluctuations and long-run growth within a single, consistent framework.
- It is also widely agreed that it is desirable to base quantitative policy analysis on econometrically validated structural models.
- It is now widely agreed that it is important to model expectations as endogenous, and in particular, that in policy analysis it is crucial to take into account the way in which expectations ought to be different in the case that an alternative policy were to be adopted.
- It is now widely accepted that real disturbances are an important source of economic fluctuations; the hypothesis that business fluctuations can largely be attributed to exogenous random variations in monetary policy has few if any remaining adherents.
- Monetary policy is now widely agreed to be effective, especially as a means of inflation control.
3の予想の役割も重要だ。「2011年に増税する」という予想を国民に広く植え付けると同時に減税しても、人々は増税に備えて貯蓄するだろう。Blanchardも指摘するように、政府や中央銀行の最大の役割は人々の不安や不確実性を減らして投資を促進することであり、財政・金融政策はその手段にすぎない。
4にいうように、景気変動の要因の大部分は外生的なショックである。これは技術進歩だけではなく、現在の日本の不況をもたらしている為替や外需の大幅な落ち込みのようにマクロ政策でコントロールできない要因を含む。こうしたリアルな変動によって景気変動の9割近くは説明でき、金融政策の影響は小さい。
5は、ここ20年の世界各国のdisinflationary policyの成功によって疑問の余地がないが、デフレ状況で名目金利がゼロになったとき金融政策が有効かどうかは論争が進行中である。中央銀行が「レジーム転換」すればインフレが起こるとかいうナンセンスな議論は、日本にしか存在しない。
著者の提案は、年金を積み立て方式に変えて基礎年金を消費税でまかなうという常識的なものだが、この程度の改革にも厚労省の官僚は反対なのだという。この背景には、年金という厚労省の利権を税という財務省の利権に吸収されることへの抵抗がある。年金や健康保険料は税と同じなのだから、税務署が一括してとればよいのだが、厚労省は一元化に反対してきた。経済学者の論理を徹底すると、公的年金も公的健康保険もやめて、福祉=所得再分配は税で全部やればよいという結論に行き着くからだ。
原則論としては著者もいうように、年金や健康保険を公的に運営する理由はなく、自動車のように民間保険に強制加入させればよい。このところ「格差」論議がやかましいが、その割にはこういう福祉の非効率性を是正しようという意見は、野党からもほとんど出てこない。今週のACII.jpにも書いたが、社会保障も税も国民背番号で一元管理し、福祉行政は税に統合して厚労省を廃止すれば、最低所得は大きく引き上げることができよう。
最近の雇用問題や天下りをめぐる議論をみていると、「派遣切りはかわいそうだ」とか「天下りはけしからん」といった事後の正義によって政策が決まる危険を感じる。こうした問題の根本的原因は、日本企業の成功を支えた長期的関係(会員権)に依存する評判メカニズムがうまく機能しなくなったことだ、というのが拙著の主張である。これは私のオリジナルではなく、Krepsによって理論的に明らかにされ、Greifが歴史的に実証したもので、ゲーム理論業界ではおなじみの古い話だ。個別に説明するのは面倒なので、厳密な論証は拙著の第5章を読んでいただくとして、ここでは公務員制度を考える際の参考になりそうな部分(pp.90-94)を、少し長くなるが丸ごと引用しておく:
退出障壁これを書いた12年前は、こういう雇用慣行は「そう簡単には変わらない」と思っていたが、最近の状況をみていると、非正規雇用の激増や天下り禁止といった形で崩れ始めているようだ。補完的なシステムの一部だけ崩れると最悪の状態になるので、後戻りできないとすれば、企業システム全体を変えるしかない。近視眼的な正義感による雇用規制や官僚たたきは、冷静な制度設計の邪魔になる。雇用問題は、単なる雇用だけの問題ではないのだ。ここに書いたような話は、経済学ではconventional wisdomだが、まだ政策担当者にも経営者にも理解されていないようなので、次の本ではこうした話をやさしく書き直すことをテーマにするつもりだ。
いわゆる日本的雇用慣行の特徴をなすのは,終身雇用,年功賃金,企業別労働組合の3 要素であるといわれる.これらは個別に見ると必ずしも日本に固有ではなく,すべての日本企業がすべての従業員に対してひとしく採用しているものでもないが,大企業男子常用労働者については平均勤続年数は明らかに欧米よりも長く,賃金についても年齢給の要因が大きいことは多くの計量的な研究の示すところであり,企業別労組の比率が顕著に高いことも事実である.これらが日本の企業で業種を問わず一様に採用されていることは,相互の補完的な関係を示唆している.
労働者のモラル・ハザードに対して通常の市場メカニズムにおいて可能なペナルティとしては,賃金に競争的な水準以上の効率賃金(efficiency wage)を支払い,労働者の事後的な成果が目標を下回った場合には雇用契約を打ち切るという戦略が考えられるが,この処罰は相対的な賃金格差によるものだから,全企業が効率賃金を支払うことは定義によって不可能である.Shapiro-Stiglitzは,このような効率賃金によって賃金水準が競争的な水準より高くなると非自発的失業が起き,これが結果的に労働者に対する「脅し」となってモラル・ハザードを防ぐとしたが,日本では失業率は終戦直後の一時期を除いて世界でもっとも低いにもかかわらず,労働の規律は失業率の高い国よりはるかに高い.
完全雇用に近い状態でモラル・ハザードが抑止される一因は,日本的な長期的な雇用慣行が外部オプションを禁止的に低くしている点にある.採用を原則として新卒に限り,中途採用に際しては待遇がいちじるしく悪化する退出障壁は,中途退社する労働者を労働市場から事実上しめ出すことによって労働者を企業に封じ込める役割を果たしている.また日本のホワイトカラーの賃金プロファイルは,年金・退職金などを含めればキャリアの後期に大きくかたよっており,若年労働者の賃金は限界生産力よりも低く中高年になってから逆転するため,労働者は企業に「貯金」していることになり,その大部分は中途退社によって失われる.
こうした「やりなおしのきかない」採用システムと年功序列にもとづく賃金体系は,欧米型の専門職能を基準に考えると不合理に見えるが,企業特殊的な文脈的技能に対するインセンティヴとしてはうまく機能している.一生をかけて多面的な技能を蓄積してゆくシステムのもとでは特定の専門的技能にすぐれていることは大した意味を持たず,中途採用で専門家を採用すると,新技術の導入などによってその職種が不要になった場合に処遇がむずかしく,配置転換をめぐって労使問題をひき起こす要因となるからである.この意味で,白紙の状態の新卒を採用して企業特殊的な技能を一から教えてゆく技能形成システムは,長期的・年功的な雇用慣行と不可分の強い補完性を持っている.ここでは労働者は「丁稚奉公」によって組織に対する初期投資(贈与)を強いられ,他の企業では役に立たない「会社人間」となるため,彼の企業特殊的な人的資本への投資は埋没費用となり,退出障壁はきわめて高くなるのである.
日本企業が資産や情報の共有による水平的な組織,あるいは株主の支配力の弱さなどの点で労働者管理企業の性格を持つことはよく指摘される.しかし,そうした組合組織による生産では,長期的な経営に責任を持つ経営者がいないため,組合員全員が過大なシェアを要求して資本蓄積が過少になり,また組織内の交渉問題を調停する決定権者がいないため内紛が起きて,非効率な結果をまねくことが多い.日本型組織が労働者管理企業とちがうのは,メンバーを退出障壁で長期的に拘束することによって経営にコミットメントを持たせて近視眼的な行動を抑制し,全員を会社に同化させて交渉問題の発生を未然に防いでいる点にある.
コミットメントとしての終身雇用
退出障壁によって労働者を企業に閉じこめるメカニズムは,個別の労働者をモニターする代わりに「一流企業」で得られるレントを「裏切り者」から奪うことによって契約の拘束性を確保する多角的評判メカニズム(Greif)の一種であり,このような慣行が支配的になると,そのこと自体が転職のコストを高め,雇用期間を「ラベル」とする差別的協調戦略が可能になる.この場合,ラベルと真の能力の間に実際に因果関係がある必要はなく,転職者には何らかの「問題」があるという通念――転職のコストは能力の増加関数である(有能な労働者ほど転職によって失うものが多い)という事前確率――が成立していれば,労働者は一つの企業にながくとどまることによって自分の能力をシグナルする誘因を持ち,それによってこの通念は「自己実現的な予言」として成立する.
しかし,このような労働者に一方的に不利な雇用環境においては,労働者の過少投資が生じるおそれがある.もしも企業が自由に労働者を解雇するならば,企業特殊的な技能に投資することは,みずから労働市場における価値(一般的な専門職能)を下げて外部オプションを閉ざす愚かな行動だから,彼女は個人的なキャリアとならないような業務を避けるであろう.終身雇用は,企業側が解雇という交渉の切り札を放棄することによってみずから外部オプションを下げ,経営者と労働者を双方独占的な立場に置くことで企業特殊的な人的資本に投資させる戦略と考えることができる.逆に労働者側のコミットメントによって長期的な投資のリターンが保証されれば,企業は彼女の人的資本に投資し,企業特殊的な熟練の形成が促進される.企業特殊的人的資本への投資は共同投資の性格を持つから,日本的雇用慣行は労使の協調を生み出して共同投資の回収を保証する評判の運び手となっているのである.
いわゆる株式の持ち合いは,このような日本的雇用慣行の評判の運び手としての機能が企業買収によって断ち切られるホールドアップ問題を防ぐための経営者どうしの協調行動であったともいえよう.日本的雇用慣行は,集団的報復を転職者への「烙印」によって行う一種の社会的引き金戦略だから,その拘束性はどれだけ多くの企業が一致してこのような慣行をとるかという合意の強さ(事前確率)に依存するという意味で戦略的補完性を持つ.引き金戦略に参加しない企業が多くなると中途採用の差別による制裁はサブゲーム完全性を持たず,「空脅し」になってしまうからである.この合意の拘束性は企業組織の多様化によって低下していると考えられるが,補完性のもとでは新しい変異体の人口が一定の「臨界点」に達するまでは現在の局所解に閉じこめられるから,雇用慣行はそう簡単には変わらないであろう.