民主党の党首選挙にまつわる違和感はちょっと前のエントリーでも書いたのだが、いろいろ考えてようやくその正体がはっきりしてきた。 第一に、衆議院議員の任期が原則4年なのに、なぜ民主党党首が2年で選挙されるのか、という点。 第二に、事実上首相を選ぶ選挙なのだから、ここで菅さんを選んだ国会議員は本来首班指名でも菅さんに入れるべきだし、小沢さんを選んだ国会議員は首班指名で小沢さんに入れるべきなのに、そうならない点。つまり、国会議員の一部はこれほど重要な事項について必ず短期間で思想を曲げているということだろう。「ぶれる」どころの騒ぎではないはずだ。 衆議院選挙で立てた代表が辞任しているのに、党が勝手に選んだ新代表がそのまま首相を継ぐというのは(民主自民問わず)やはりおかしいのだと思うが、それ以上にはじめから衆議院の任期途中で党首=首相が代わることを前提とした制度設計(党のルール)は、そもそも憲法の思想に反しているのではないかと思ってしまう。議員内閣制では、国民は首相=リーダーの選出について、国会議員を選ぶことを通じてしか意思表示できない。総選挙のときの党は首相候補として代表を立てて戦って国民の審判を仰いでいるのだ。もちろん、国民が選んでいるのは党であり、リーダー選出についても党に対して白紙委任しているという考え方もあるだろうけれど、ワタクシの感じる違和感は、自分自身そういう考えがまったく腑に落ちないことを示している。 しかも、今回図らずも党員などの国籍要件などでクローズアップされたように、党の代表の選び方は党のルールに従って行われるので、本来国会議員を選ぶ人々(有権者)以外の意思が反映される危険が高い。色々伝えられているように、代表選挙の手続きなどもずさんに見える。有権者が選んだはずの首相が、いい加減な形で別の人におきかえられる可能性がある仕組みになっている。違和感はどうしても消えないのである。 |
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>>衆議院の任期途中で党首=首相が代わることを前提とした制度設計(党のルール) |
mushoku2006 2010/09/09 07:20 |
2005年と2009年の衆議院選挙では、妙な「熱狂」の結果、自民党も民主党も二度と取れないような議席数を獲得したために、総理の辞任時にも現有議席数が惜しくて解散がなかっただけであり、通常は、与党総裁の任期が衆議院より短くても「制度的に問題がある」とまでは言えないのではないでしょうか。 |
お染 2010/09/09 14:30 |
自分が違和感を感じるのは、選挙のときにマニフェストを掲げて選挙して国民が選択をしたはずなのに、 |
CCA 2010/09/09 23:26 |
最大の違和感は「脱官僚」、「反官僚」の対概念が「霞が関」になっていることです。(カネの問題で引責した人が、2か月後に選挙大敗の責任を現総裁に求めて返り咲くなど「霞が関の論理」以外の何物でもないでしょう) |
違和感 2010/09/10 11:03 |
打ってすぐに違和感を感じたのですが、上の「霞が関」は全部「永田町」に読み替えてください。 |
違和感 2010/09/10 22:58 |
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