このひと月というもの民主党代表選に日本中が巻き込まれた感があるが、沖縄ではそれよりも切実な選挙が一二日に行なわれた。普天間移設問題の行方に強い影響を及ぼす名護市議選挙である。
この選挙は熾烈を極めた。名護市の内外を問わず、多くの人々が固唾を呑んで見守った投票結果が、一三日に明らかになった。
絶滅に瀕した北限のジュゴンの生息域であり生物多様性の宝庫と言われるこの海域を埋め立てて米軍基地(普天間基地代替施設)を建設する国の計画に対し、今年一月、明確な反対を打ち出して当選した稲嶺進市長を支える候補者と、基地を容認する候補者のどちらが過半数を制するか。この市議選挙には、名護市だけでなく沖縄の未来がかかっていた。
そして名護市民は(一九九七年の名護市民投票、今年の市長選に続いて)三たび「基地ノー」の判断を下したのだ。定数二七人中与党一六人という圧倒的勝利は、稲嶺市政の今後を盤石のものにしたと言えるだろう。
選挙結果を見てみよう。当日の投票率は七二%。投票者総数三万二三八四人(有効投票数三万二〇九一)、うち期日前投票者数が一万六〇一人で、この数字は前回市議選より約二〇〇〇人増だった。
「争点」になった基地
当初、立候補を表明した三七人の内訳は与党系一八人、野党系一六人、公明党二人、「その他(現職の大宜味村議を辞め、民主党推薦で名護市議選に立候補)」一人だったが、告示直前になって野党系の一人が辞退し、「その他」が一人加わって(選挙での得票数は二二票)合計は変わらない。
与党系は一八人中一六人が当選し、野党系当選者一一人には公明党二人が含まれている。「その他」の二人はいずれも落選。与党系にも民主党推薦候補が一人いたが落選した。県民の意思に反して基地の県内移設を押しつけようとする民主党は、現在の沖縄ではすこぶる評判が悪い。
改選前の議席は与党一二人、野党一二人、中立三人と言われていた。八月四日、稲嶺進後援会主催で行なわれた、市長を支持する一八人の立候補予定者激励会で挨拶した稲嶺市長は「多数与党で市長選を勝ち取ったはずなのに、蓋を開けてみたら少数与党になっていた」と危機感を露わにし、市長選における公約の実現のためにも一八人全員の当選を強く訴えた。
市長選で稲嶺氏を支持した議員は一四人だったが、そのうちの二人と、島袋吉和・前市長を支持した一三人のうちの一人が市長選の後、一緒になって新会派を作った。「中立」という建前とは裏腹に、その背後で糸を引いているのは、市民投票の結果を裏切って基地を受け入れ、辞任して以降も名護市の「影の市長」として市政を裏から操ってきた比嘉鉄也・元市長だと言われる。
比嘉氏は、名護市の保守の「基礎票一万六〇〇〇」を千票ずつ分け、一六人を確実に当選させると豪語していると伝えられていた。直前辞退した議員は、市議会の過半数である一五人を、より確実に当選させるために下ろされたのだろうと噂された。
しかしながら選挙結果は、これまで名護市を牛耳ってきた比嘉鉄也=ゼネコン支配が、もはや効力を失いつつあることをはっきりと示した。官房機密費を使った政府の梃子入れも、名護市民の良識には歯が立たなかったようだ。
「乱立」と言われた与党系は二人の落選に留まり、逆に「全員当選予定」だった野党系はめぼしい候補者が次々に落選した。彼らは意図的に基地問題の争点ぼかしを図ったが、賢い有権者はちゃんと見抜いていた。
選挙前は基地は争点にならないと言われていたが、結果的に基地が争点となったと言える。雇用や子育てなど、基地以外の政策課題も多数あったはずだが、表にはでてこない水面下の部分で、“基地ノー” という名護市の民意は確実に高まっていた。
告示前に出回っていたという怪文書を見た人の話によると、三七人の立候補予定者の得票数が一覧表で示され、島袋前市長の副市長であった徳本哲保候補(新人)がトップ当選と予測されていたというが、実際には三一位で落選。基地推進派のメンツをかけた目論見はあえなく潰えた。元自民党衆議院議員・嘉数知賢氏の長男である嘉数巌氏も「親の七光り」が届かなかったのか三三位で落選し、稲嶺支持から「中立」派に移った比嘉拓也氏(現職)も落選した。
一方、与党系は現職一二人全員に加え、新人三人、元職一人が当選。そのうち基地推進から反対に転じた比嘉祐一氏、元自民党員であった神山正樹氏、岸本建男・元市長(故人)の長男である岸本洋平氏など保守系の候補者(いずれも現職)に対しては特に、比嘉鉄也氏サイドからのさまざまな攻撃やバッシングが行なわれたというが、それをはねのけて岸本洋平氏は一四七六票で見事トップ当選。比嘉祐一氏、神山正樹氏も九〇〇票以上を獲得して当選した。
変わってきた民意
地方の議員選挙はまだまだ地縁血縁に頼る古い体質が色濃く、「マニフェスト選挙」など夢のまた夢、という感じだが、それでも、名護市民の意識が確かに変わりつつある。それを感じたのは、基地建設予定地である名護市東海岸からの立候補予定者四人(前出の徳本候補を含む)中、唯一の市長派であり、この一三年間、基地反対運動をともに闘ってきた仲間である東恩納琢磨さんの選挙活動中である。東恩納さんの活動に惹かれて全県・全国から手弁当で応援に駆けつけた人たちが、路地を歩いたり街頭で支持を訴えることに対する受け止め方だ。
明らかに「よそ者」とわかる人たちへの市民のまなざしは温く、反感を買うのではないかという心配は杞憂だった。
「基地ではなく、自然を保全し、それを活かした地域づくりを」という私たちの主張が、前回選挙とは格段の差で、地域住民、名護市民にしっかり受け止められているという実感を持った。
また、期日前投票に対する市民の意識もかなり変わってきたように思われる。今年の市長選挙では期日前投票が、尋常でない企業動員や投票の強制に使われた。今回も一部には企業動員が見られたものの、その多くはむしろ、意識的な人たちが率先して投票に行ったと見られ、期日前投票が、当たり前の投票行動の一つとして定着しつつあることを示している。
市長選挙で「不正投票監視団」を務めた那覇市のAさんは今回も期日前投票所前に立ったが、しばらくして帰ってくると「名護市選挙管理委員会がとてもしっかりしている」と感心していた。介護の必要な人が来ると、付き添いの人には待ってもらい、職員が付き添って投票させていたという。「前回とは全然違う。市長が替わると、こんなにも変わるのかと思った」
深まる本土との対立
一三日午前、六年以上に及ぶ座り込みの続く辺野古テント村で、テント村を運営する名護・ヘリ基地反対協議会(反対協)に関わる三人の議員の当選を祝うささやかな会が催された。一一期目の当選を果たした共産党の具志堅徹さん、反対協の事務局長でもある二期目の仲村善幸さん(岸本洋平さんに次ぐ二位当選)、同じく二期目の東恩納琢磨さん。いずれも一〇〇〇票以上を獲得している。
辺野古のおじぃやおばぁたちも勢揃いし、テントに集まった人々とともに三人の当選を喜び合った。三人がそれぞれ抱負と決意を述べ、反対協代表委員の安次富浩さんが、「名護市議選の勝利を、一一月二八日に行なわれる沖縄県知事選の勝利に繋げよう」と呼びかけた。埋立て許可権限を持つ県知事が許可しなければ基地は造れない。
当選議員の間から、早速、市議会で基地反対決議を上げようという声が出ている。菅直人政権はあくまでも辺野古に固執する考えのようだが、名護の民意は既にしっかりと示された。私たちはさらに県知事選で沖縄の民意を示し、「基地建設」の息の根を止めるだろう。
一四日に行なわれた民主党代表選では、五月に日米両政府で合意した「日米共同声明支持」を明確にしている菅直人首相が再選された。沖縄と民主党政権との対立は確実に深まっている。
辺野古に住む男性は語った。「代表選の結果を見る限り、民主党を信用していいのか分からない。はっきりと“基地ノー” を訴える稲嶺進さんを信じるしかない」
浦島悦子・ライター
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