先日、あるジャーナリストの新著を読んでいたところ、ある意味で懐かしい人物の名前が出てきました。ニューヨーク・タイムズ元東京支局長のニコラス・クリストフ氏がそれで、その本では「日本贔屓のクリストフ支局長が日本嫌いになるまで」という章が立てられていました。ふーん、日本贔屓ねえ。それはともかく、このジャーナリストは、クリストフ氏が日本人記者の心ない仕打ちや記者クラブの閉鎖性に嫌気がさして、もともと日本に対して好意的だったにもかかわらず、最後には「反日記者」のレッテルを貼られて日本を去ったと書いていました。
でも、私はこのクリストフ氏について、この本の記述と相反するような記憶があります。ありていに言えば、彼の記事をめぐって取材を申し込んだのに断られただけでなく、本人の手配かどうかは分かりませんし迂闊なことは言えませんが、むしろ間接的に取材を妨害される結果になったという印象が残ったある出来事がありました。
それは確か、もう11年以上前の1997年1月だったと思いますが、クリストフ氏がニューヨーク・タイムズ紙に書き、ヘラルド・トリビューン紙でも掲載されて世界に流れたある記事の真偽をめぐってのことでした。彼は「Veterans in Japan Haunted by Atrocities」という記事の中で、日本の老兵士が中国戦線で人肉を食べたと書いていました。
そこで、不審に思った私が、三重県に住むこの元兵士に電話で「あなたの証言が世界を駆けめぐっているが、本当に人肉を食べ、それをクリストフ氏に話したのか?」と聞くと、この人はしばらく絶句した後、「私はそんなことは言っていないし、人肉を食べたりしていない。とにかくそんな話はしていない」と全否定したのです。これは、どういうことでしょうか…。
とりあえず、そのときのクリストフ氏の記事を私が当時、日本語に訳したものを紹介します。ろくに英語のできない私が自分の頭の整理用につくった訳文ですから、一部に不正確な部分や直訳調で意味がとりにくいところがあるでしょうが、だいたいこういう内容だということでご理解ください。また、全文はこの2倍ほどの分量になるのですが、著作権の問題に引っかかるかもしれないので、引用は一部とさせてもらいます。
《ほぼ60年が過ぎても、赤ん坊を見ると、シンザブロウ・ホリエは内心ではすくみ、中国戦線の若い兵士だった彼にとって忘れられない、銃剣で中国の幼児の胸を突き刺した場面が心によみがえってくる。
ホリエはわざと殺したのではないというが、その記憶はどこにでもついてまわり、妻にさえ話す気持ちにはなれなかった。同じようにふとしたことで、若い兵士だったとき、16歳の中国人少年の肉を食べたこともまた、語っていない。
「人を食べた事実は忘れられない」。79歳の痩せた農民の手は、戦争の記憶を掘り起こすときには震えていた。「それはたった一度だけで、たいした量ではなかったが、60年たっても、その記憶を自分でごまかせない」
日本中にいるホリエのような老人は、いまだに彼らが行ったことの記憶に取り囲まれており、第二次世界大戦についての議論は、東アジアの摩擦の大きな原因であり続けていて、寝かせ就けることも眠らせることもできない。
例えば、中国と南北朝鮮は日本に対し、侵略の明確な謝罪と戦争中に残忍な仕打ちをされた個々人への補償を求めている。つい最近も、日本と韓国の間で、日本政府が昔の皇軍の韓国での性奴隷への国家補償を拒否したことをめぐり、新たな論争が始まった。
戦争とその余波にもかかわらず、日本が何も大きく変わることがなかった今世紀中、こうした議論は多くの家族では事実上のタブーとなっている。もちろん、すべての国の兵役経験者はしばしば、自分の最悪の記憶について語りたがらないものだが、日本では、多くの若者も祖父が戦争に行ったことについてすら何も考えていない。
老人たちは今、東京の南西約320キロの三重県の突き出した丘陵地に位置し、5700人が暮らす農村である大宮の墓場に、戦争の秘密を自らと一緒に葬り去ろうとしている。(中略)
彼自身の記憶の殻をはがし始めると、緊張は高まり、彼の手は風に揺れる枯れ葉のようにふるえた。2時間後、深く息をついて、人肉を食べたことを自分から話し出した。
自分と仲間たちは1939年のある日、北東中国の地方市場で突然、手に入るようになった珍しい新鮮な肉を食べたと、ホリエは回想する。それから、憲兵隊が、だれかが市場で肉を買ったかどうかを尋ねに巡回してきた。
「腹をすかせた何人かの日本兵士が少年を殺してその肉を食べ、残りを中国人の商人に売った。われわれはその商人から買った」とホリエ。彼は、この日本兵たちは殺人と人食いで罰せられたと聞いたと付け加えた。(後略)》
…さて、この元兵士の話は、この記事だけでは、本当にこんなことがあったのかどうかも含めて、よく分からない部分がありますね。例によって慰安婦のことを性奴隷なんて書いているし、所属部隊やもっと詳しい時系列などが分かれば、専門家に聞けばある程度、どういう状況下にいたかが分かるはずだと考えました。そして何より、この元兵士がクリストフ氏には本当のことを打ち明けた一方で、私には嘘を言って誤魔化したのか、あるいは誤解か何かで、本人が語った以上のことをクリストフ氏に書かれてしまったということもありえると思いました。
そこで当時、私はいずれにしてもこの元兵士とクリストフ氏の双方からきちんと話を聞きたいと思い、取材を申し込んだのですが、クリストフ氏に断られた(はっきり覚えていませんが、取材拒否の理由はたいしたものではありませんでした)のは先に述べました。そして、いったんは電話に出てきた元兵士が、今度は突然、取材は受けられないと言い出し、電話口には奥さんしか出てこなくなったのです。
いろいろと事情を聞くと、クリストフ氏がこの地で取材をするときには、地元の昔からの有力者の全面的な協力を受け、すっかり意気投合していたそうなのですが、この有力者が元兵士に「産経の取材には答えるな」と言ってきたということでした。私は、元兵士に手紙を書いてクリストフ氏の記事に疑問を持っていることなど取材の趣旨を伝え、当時の上司と二人で、三重県の元兵士の自宅にまで行き、「日本の名誉もかかっていることだから、きちんと本当のことを話してほしい」と取材に答えてくれるようお願いしたのですが、玄関に出てきた奥さんはやはり「手紙は地元有力者にも見せたが、やはり産経の取材は受けるなと言われたので、勘弁してください」と改めて懇願され、引き上げざるをえませんでした。狭い地域共同体の中で、有力者には逆らえないとのことでした。
私はその後も、手紙を出すなどして考え直してほしいと要請しましたが、返事は来ませんでした。この件は私の心の中で、未消化で納得がいかないままずっと引っかかっていたのですが、それが今回、久しぶりにクリストフ氏の名前を見たことで記憶の奥から引っ張り出され、昔の資料をがさごそやって、当時の拙い翻訳文を引っ張りだしてきたという次第です。どうもすっきりしないエントリでごめんなさい。私自身がいまだにもやもやしているもので、書いた内容も不得要領となってしまいました。
by jpn31
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