☆お知らせ
私、有門大輔は3年前の入会以来一会員として名を連ねてきた『在特会』(在日特権を許さない市民の会)から平成22年9月21日をもちまして退会します。
これまで在特会では活動を通じて多くのことを学び、今年7月には動画生中継サタデー・ナイト・スペシャルへの出演や夏フェスティバル(埼玉支部)にて講師としての御役目を頂くなど貴重な経験を積ませて頂きましたことに篤く御礼申し上げます。
一時代を「行動する保守」(後に「行動する運動」「行動する社会運動」)として戦ってきたことは今後の私の人生、行動において大きな糧となることでしょう。
なお、在特会から退会しましても危急存亡の「在日支那人」問題と同じく在日朝鮮人らが享受する「在日特権」の廃止を目指していく志は不動であり、その方向性に何ら変わりはありません。
新たな同志と共に、より精強に戦っていく所存です。
まことに有り難う御座いました。
平成22年9月21日
BLOG『新・極右評論』主宰:侍蟻こと有門大輔
創出されるべき新たな無双伝説
〜「瀬戸弘幸」「西村修平」「桜井誠」の後に来るもの!?〜
9月某日、わが『NPO外国人犯罪追放運動』と『民族社会主義者同盟』および一般有志は某所にて会合を開き、今後の在るべき「行動」についての意見交換を行ない、その取っかかりに着手した。
本来的に、行動に至っているべき保守がただ危機を煽り、シンポジウムや書籍類の販売を盛況にして「語る」ことにのみ狂奔している現状に鑑み、有無を言わさず日本が直面している問題にまず街頭で声をあげよ−として平成19年に「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(=当時は極右評論)や『主権回復を目指す会』(西村修平代表)、在特会を中心に発足したのが「行動する保守」運動であった。
それから3年の歳月を経て、「行動する運動」「行動する社会運動」とも称した現在の行動勢力の周辺には、多くの同志が集ったものの非常に不穏な空気が漂っている。
誰と誰が何を原因としてどう反目し合っているのか、私はその全てを詳細に把握しているわけではないのでインターネット上に飛び交っている情報や人伝で見聞きして、各自で正確な状況をご確認頂く以外にないが、一つ言えることはよく我々が「世が世であればあの売国奴政治家はテロの凶弾に斃れている」とか「世が世であれば暴徒と化した民衆によってあの国賊はリンチに遭っている」と言うように、我々の間で問題の当事者となっている方々は世が世であれば(世が世でなくとも?)内部抗争や粛清によって「肉体的に抹殺されている」ということである。
加えて我々には誰が悪くて誰が正しいとか、何が道理に適っていて何が道理に適っていないといったことを精査して検証し、追及・弾劾しているような暇もない。
つまるところ関係者の間で如何とも動かし難い状況が生じた場合、それが如何に卓越したリーダーであろうと、その者らはある意味ではもう「この世には存在しない」という想定で動かなければならない。
よく言われるところに「あの人なくして…」というのがある。
あれは自民党の保守派としてその将来を嘱望された故中川昭一氏が亡くなった時、テレビでは盛んにその死を悼むニュースが流されてネット上でも保守層の阿鼻叫喚が見聞きされたものだが、故人の功績を讃えるのは良いとしても、極端な話、人一人がいなくなったところで良くも悪くも国・社会を取り巻く状況がどうにかなるというものではない。
これは以前にも当ブログに記したことだが、亡くなった当人にしたところで日本という国・社会がとてつもないチカラを生み出せると信じていたからこそ生命のある限りまで奔走を続けたのであり、残された者らが嘆くばかりでその代償を払うくらいの意志がなければ、それは却って故人への冒涜となってしまう。
過日、某所で開かれた我々の会合というのも事実上リーダーが不在となった行動勢力の状況下で誰が強制して誰が従ったということもなく、それぞれの意志によって極めて必然的に集い行なわれたものであった。
写真上下:『NPO外国人犯罪追放運動』市民運動組織本部の澤田将志・副本部長
遡ること15年前。
私が極右活動に参加し始めた頃、歴代天皇の名や教育勅語を習得し、憲法改正への道を唱えることこそ右翼としての正道であると思っていた一時期もあった。
しかし、その十数年後に「行動」へと参画するに至った過程で、憲法改正または破棄を最も阻害しているのは反日左翼でもなければ在日朝鮮人でもなく、実は「憲法改正・破棄運動」を「目的」と化してしまった保守・右派勢力そのものであるという現実に直面した。
それが証拠に、憲法改正の議論は自民党の中でも行なわれていたし、各保守・右翼団体においても活発に議論が交わされていたものだが、それを実現した後に国をどうするこうする、軍をどこへ出兵させて何をするかといった具体的な国家方針なりビジョンは聞いたことがない。
明治の初期、日本がまだ近代国家としてヨチヨチ歩きの頃、征韓論に見られたように国家としての明確なビジョンは政治レベルでは盛んに議論され、後にそれが実行された。
今日に至るまでの半世紀間、日本では最大の保守勢力・政党である自民党でさえ、憲法改正を党是として目標とするがゆえ皮肉にも「戦後」と称される社会やイデオロギーを固守することに汲々とし、結局はそれが国家方針となって政権交代を実現した民主党政権にもその系譜が受け継がれている。
戦後イデオロギーからの脱却を至上の命題とする保守勢力でさえ戦後社会を構成する一部となってしまっている状況下で、私なりに憲法を改正するも破棄するもあったものではなく、国の形そのものを大転換させるなり逆行させる以外にないのではないかという結論に至った。
かつてのように国家として朝鮮半島なり支那(中国)大陸なり外へ進出するビジョンも余力もないのであれば、「選りすぐった一部の国との貿易・交流は活発化」させてもそれ以外は全て外壁を閉ざし、固い鎖で締めていた時代に戻るしかないではないか。
精神性を追求せず「現状打破」を目指せ!
先に外へ出ないなら鎖で固く閉ざして内にこもれ−と記したが、東京都内のさる専門学校では多数の支那人(中国人)学生が我が物顔で幅を利かせ大手を振って闊歩しているという。
ある生徒は夏の暑い日、「靖国神社」の文字や鳥居・境内の絵が模された扇子を使用していたところ、それに反感を持った支那人学生から扇子に唾を吐きかけられたことがあった。
日本の戦没者を祀った神社が描かれた扇子が癪に障るという一事で、何か日本人のほうが悪いことをしているようで肩をすぼめて生きなければならない…。
これが一学校内にとどまらず日本のあらゆる地域社会、いや国全体で起きている逆転現象ではないか。
周辺でもマンションに若い夫婦が引っ越してきたと思ったら支那人夫婦だったとか、幼稚園への子供の送り迎えでは支那人親子の姿が至るところで目立つ。スーパーでの家族を引き連れての買い出しでも。
支那人のケースはこれにとどまらない。
繁華街で「オ兄サン、1時間4千円ポッキリ、ドデスカ」などとキャバクラや風俗店への呼び込みを行なっている支那人女はおおむね偽装国際結婚で遠くない将来には日本国籍の取得が可能となる、れっきとした日本人の配偶者として在留しているのである。
我々が取り組んできた池袋チャイナタウン計画の粉砕行動においても「日本の恥なんだよ!」として野次を飛ばし、行動を妨害してきたのは支那残留孤児3世の少年で、頭の構造は支那人そのもので忠誠の対象は故国・支那であってもそれもれっきとした日本人なのである。
今や在日外国人の中でもトップの地位を占めるに至って久しい支那人だが、単に在日支那人が激増しているにとどまらず、それがこれまで存在しなかった「中国系日本人」とでも言うべく制度上はれっきとした日本人となって、日本人の在り様を著しく歪めつつあるのだ。
ここで、では真の日本人とは何か−、あるいは真の日本人は斯く在るべきかという議論になれば、それこそ生涯をかけたテーマとなってしまう。
前述のように右翼としての在り様や正道を追求し始めれば歴代天皇や教育勅語の習得と同じくそれこそが「目的」と化してしまうし、第一それでは行動でなくなる。
武家政治の復権は私の理想とするところだが、それは政治を執る者らが持ち合わせるべき精神性で、それを自らが率先的に習得することに励んでいればそれこそ武芸に汗を流すことが活動・行動となってしまう。
真の日本人と聞いて「戦前」「武士」を連想して酒場で議論に花を咲かせているのは大いに結構だが、そのような不毛なことを追求するよりも、傍若無人な支那人に直接攻撃的に「出て行け!」と罵倒してやるくらいの行動を開始せよ。
過日、その戦端を切り開いたものである。
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