2010年9月21日5時40分
検察側は、上村被告が村木氏から証明書の不正発行を指示されたのは6月上旬であり、上村被告が証明書を作成したのはその後という構図で関係者の供述を集めていた。証明書が6月1日未明に保存されていたという証拠は、検察側にとって都合の悪いものだった。
FD内に記録された証明書の最終更新日時が書き換えられたのは昨年7月13日。検察側の構図と合う「04年6月8日」とされ、FDは3日後の昨年7月16日、上村被告側に返却された。
しかし、FDはその後、公判で証拠としては採用されず、代わりに、証明書の最終更新日時を「6月1日」と正しく記載した特捜部の捜査報告書が証拠採用された。捜査報告書は村木氏側に証拠として開示され、村木氏側から公判に証拠請求されたためだった。主任検事は、裁判を担当する地検公判部に捜査報告書が引き継がれたことを知らず、報告書はそのまま村木氏側に開示されたとみられる。
捜査報告書の存在の重要性に気づいたのは、大阪拘置所での勾留(こうりゅう)中に開示証拠をチェックしていた村木氏本人だった。検察が描いた構図と、上村被告が文書を保存した日時がずれていると、弁護団に連絡した。弁護団は今年1月の初公判の弁護側冒頭陳述でこの証拠を生かして、「検察側の主張は破綻(はたん)している」と訴えた。
この結果、村木氏の指示について「04年6月上旬」とする検察側の主張と証明書の作成時期が合わなくなり、今月10日の村木氏の判決公判で裁判長は「検察側の主張と符合しない」と指摘した。
朝日新聞の取材に応じた検察関係者は、「主任検事が同僚に『見立てに合うようにデータを書き換えた』と打ち明けた」と証言した。書き換えの理由を「FDを弁護側が公判に証拠として提出してきたら、公判が検察側に有利に進むと考えたのかもしれない」とみている。(板橋洋佳、野上英文)