十勝毎日新聞に掲載された帯広市の話題やお知らせなどを、
地域のみなさまや、十勝を離れて暮らす方々にふるさと情報
としてお伝えします。
第415回 [ 2010/09/17 ] 毎週金曜日更新
十勝めーる >>> 音更めーる
音 更 町
町長 寺山 憲二
面 積 466.09平方キロメートル
(総務省統計局より)
花木鳥 スズラン・シラカバ
関 連 リ ン ク
音更町役場ホームページ
音更町図書館
音更町文化センター
音更町総合体育館・音更町武道館
音更町温水プール
音更町十勝川温泉観光協会
音更町の上下水道
2010年9月13日の記事
音更の竹内養鶏場が「こめいろゆめたまご」試験販売
黄身が淡い「こめいろゆめたまご」(左)と竹内代表(金野和彦撮影)
 【音更】道産飼料米を家畜飼料に活用した道内第1号として、竹内養鶏場(町下音更北4線、竹内強代表)は、従来の卵より黄身が白く、淡いレモンイエローの「こめいろゆめたまご」を、コープさっぽろ(札幌市)で7月から試験販売している。養鶏飼料の主体をトウモロコシから道産米に切り替え、道産率が90%以上に高まった。

 道産飼料米の活用は休耕田を抱える米農家の支援と、食料自給率向上を目指すのが狙い。同コープと、JAひがしかわ(上川管内東川町)など生産者団体でつくる協議会の共同事業。5月に同JAなどで作付けが始まり、趣旨に賛同した竹内養鶏場は試験的に7キロの玄米(生食用)を導入、10月の収穫後に全面的に飼料米に切り替える。

 同養鶏場は7000~8000羽いる鶏の約1割に、7月中旬から道産米(約7割)と国産「生米ぬか」、釧路産のイワシとサンマの「魚粉」、サロマ湖産の「貝殻」の4種類を自家配合した飼料を与えている。

 国内の多くの家畜飼料はこれまで、価格面などから輸入トウモロコシに頼らざるを得なかった。同養鶏場は非遺伝子組み換えを使用するなど安全面にこだわってきたが、今後は道産飼料米への完全切り替えを目指す。

 本州の事例では、米を主食とした鶏卵は悪玉コレステロールを抑える働きが期待できるという。現在、十勝圏振興機構食品加工技術センターに成分解析を依頼している。

 黄身に黄色を添加することも考えたが、よく使われる赤色パプリカなどは輸入品となり、フードマイレージ(食料の輸送距離)の点から自然のままにした。竹内代表は「食べるとあっさり、黄身はコクがある。米農家が安心して生産できる環境を応援し、自給率向上に貢献したい」と話している。コープの共同購入で扱っているほか、帯広市内のベルデ、かしわ両店で6個178円で販売している。(酒井花)
2010年9月13日の記事
音更木野東小の母親が自校給食体感
教室で自校式の学校給食を味わう母親たち。左奥が一戸さん
 【音更】木野東小学校の家庭教育学級(中村久枝学級長)の母親20人がこのほど、同校で、児童が食べる給食を味わった。管内では唯一、全町的に取り組む自校式給食の良さを体験しようと企画した。

 町内では全19の小・中学校でそれぞれ調理場を設け、給食を提供する「自校式」を取り入れている。学校に配属されている栄養教諭が毎月献立を組み、各校の調理員が出来たてを提供している。

 今回の取り組みは、6年生が修学旅行で食材に余裕のある日を選んで実施。献立は▽十勝産小麦キタノカオリ50%とホクシン50%で作った「コッペパン」▽小麦粉、バター、牛乳から作ったホワイトルーと鶏ガラだしを使ったシチュー「パプリカチキン」▽キャベツ、キュウリなどの野菜が入った「ハムサラダ」▽よつ葉牛乳-の4品。

 同校担当の栄養教諭一戸希和子さんは「木野東小の給食数は799食。できるだけ手作りを基本とし、和洋のだし、炊き込みご飯の具材も既製品を使わない。できればもう1品ほしいところだが、手作りの手間を取っている」と説明した。

 1年生の子供がいる佐藤幸子さん(43)は「パンは小麦粉の香りと甘みを感じた。どれも手作りの温かみが伝わる」と笑顔。中村学級長(41)は「子供たちに好評な給食は、どのようにして作られているのか知りたかった。きちんと栄養を補ってもらっているので、とてもありがたい」と話していた。(酒井花)
2010年9月11日の記事
音更下音更中の生徒が十勝機動警察隊の訓練体験
 音更下音更中の生徒3人が8日、職業体験授業のため十勝機動警察隊(後藤啓二隊長の庁舎(帯広市大通北1)を訪れた。同隊が児童・生徒の見学を受け入れるのは1995年の発足以来初めて。生徒はパトカーに触れたり訓練を体験したりしながら、同隊の業務への理解を深めた。

 訪れたのは小森さん、高杉さん、中山さんの3人。警察の組織や階級、同隊の位置付け、任務などについて説明を受けた後、防弾ベストなどの装備品を見学。道場で逮捕術訓練を見たり、護身術を体験したりした。取調室や無線施設などを見て回り、最後にパトカーや白バイを間近で見た。

 3人は「1日にどれくらい訓練するのか」「やりがいを感じることは」「勤務時間は」などと積極的に質問。小森さんは「警察の仕事の大切さと大変さを学ぶことができて良かった」と話していた。

 同隊は事案対応や取り締まりの専門部隊という性格上、一般市民と接する機会が少ない。隊に対する理解を深めてもらおうと、初めて見学を受け入れた。隊員は「多くの生徒に警察のことを理解してもらい、警察官を志す機会になれば」と話していた。(丹羽恭太)
2010年9月11日の記事
下士幌小で教職員向けに不審者対応の防犯教室
さすまたを使い、不審者への対応を訓練する教職員
 【音更】下士幌小学校(岩館佳弘校長、児童82人)でこのほど、教職員を対象にした「防犯教室」が開かれた。北海道綜合警備保障(札幌)のボランティア事業を活用し、不審者から身を守るための護身術などを学んだ。

 職員実技研修として初めて実施。火災、地震など災害への備えの一環として、不審者対応について専門家の指導を受けることにした。

 同社帯広支社の防犯コンサルタントら4人が訪れ、アドバイスしたほか、実技を指導した。参加者は格闘技有段者の社員を相手に、さすまたの使い方を練習。2人一組になり、腕や体をつかまえられた際の封じ方を体験した。

 那須野優美教諭は「実際にやってみないと、いざというときに対応できない」と話していた。(酒井花)
2010年9月10日の記事
秋篠宮さまが十勝牧場を視察
十勝牧場関係者から説明を受けられる秋篠宮さま(中央。9日、塩原真撮影)
 【音更】秋篠宮文仁さまが9日午後、家畜改良センター十勝牧場を訪れ、農用馬や日本在来馬などを視察された。殿下が同牧場を訪問されたのは初めて。

 かねてより研究されている家畜文化に関する理解を深めるため。1996年には理学博士の学位を取得されている。全国で唯一、農用馬を改良している牧場で、ドサンコなど日本在来馬の種の保存も行っていることから同牧場に足を運ばれた。

 種雄馬厩(きゅう)舎前でばん馬の基礎種になるブルトン種やペルシュロン種、乗用馬として用いられているハーフリンガー種、アラブ種をご覧になった。

 同牧場の岡明男業務第二課長らの説明を受けると、馬の鼻先をなでたり、写真撮影したり、メモを取られるなど興味津々のご様子。同牧場によると、品種による体高の差などに関心を持っておられたという。

 続いて、ばんえい競馬で使われているものと同じ型のソリにご試乗。殿下が乗ったソリを馬が引くと楽しそうになさっていたという。最後にドサンコなど4種類の日本在来馬も視察された。

 殿下は十勝川温泉に宿泊後、10日午前の飛行機で帰京された。(関根弘貴)
2010年9月10日の記事
老朽化の木野福祉会館解体へ
老朽化で解体方針が固まった木野福祉会館。跡地には新施設が整備される
 【音更】町は、老朽化が進む「木野福祉会館」(木野東通5)と、第2木野東の家学童保育所が併設されている「木野老人憩いの家」(木野東通4)を解体する方針を固めた。同会館跡地(敷地面積8354平方メートル)に、新たに地域会館と、第2木野東の家、第1木野東の家(木野東通6)の両学童保育所を合わせた施設を建設する。2011年度から3カ年で整備に取り組む。

 木野福祉会館は1974年に建設。鉄筋コンクリート造3階、一部4階建てで、各種団体や木野4、5区の町内会などが利用している。

 町は財政健全化5カ年計画(05~09年度)の中で、同会館の老朽化が著しく、現行の耐震基準を満たしていないことから、児童会館と併せて廃止対象の施設に挙げていたが、同計画年度内には取り組めなかった。

 同会館の管理委託料、光熱水道費などの維持費は年間1452万円(08年度)と、老朽化で負担が大きくなっていた。また、老人憩いの家に入っている同学童保育所(第2)については、築後40年が経過し、保護者から「施設が古い」「園庭がない」などの苦情が出ていた。

 11年度からの事業として、同会館と老人憩いの家を解体。同会館跡地に、和室や会議室を備え、町内会や各種団体が利用できる地域会館を建設する計画。新施設には主にダンスサークルが利用していた大ホールの設置予定はないため、木野コミセン(木野西通8)にある大ホールの床をタイルに改修するなどして対応する。同じ敷地内に、第2、第1の両学童保育所を移転させる。

 この方針は9日の町議会総務文教常任委員会で町側が説明。西川友則企画部長は「近く利用団体など住民への説明に入りたい」と述べた。(酒井花)
2010年9月9日の記事
帯広西小39期生「竹の子会」が最後の同窓会
半世紀以上にわたる歴史に幕を下ろした竹の子会の会員(前列中央が大貫さん)
 【音更】帯広西小学校39期生(1940年卒)の同窓会が6日、十勝川温泉の笹井ホテルで開かれた。卒業後70年の節目で最後の同窓会とすることを決めた。10人が参加し、名残惜しく旧交を温めた。

 39期生は50人(男子25人、女子25人)。第1回同窓会は戦後間もない48年に同校で開かれた。以後、会場を変えながら毎年実施。60年代には5、6年生時の担任だった植松賢吉さん(故人)と4年生まで担任だった星川竹子さん(96)=札幌市在住=にちなんで「松竹会」と“命名”。70年代からは「竹の子会」として毎秋に集合。互いに「ちゃん付け」で呼び合うなど仲むつまじく同窓のきずなをつないできた。

 同会では大貫正雄さん(82)=帯広市=が80年代から、おおむね年2回、会報を発行。「会員の近況報告を通じて友と友のきずなをつなぐ手段になれば」とすべて手書きで作り上げている。会員の間では「毎年楽しみにしている人が多い。会をここまで続けてこられたのはまっちゃんのおかげ」という。

 しかし、冬前に大貫さんが札幌市に引っ越すことになり、会の運営が困難に。意を決して大貫さんは、今回の同窓会を最後に同会の解散と会報の発行中止を決めた。会員からは「竹の子会はみんなの顔が見られる唯一の場所」「生きがいだから続けて」などと継続の声があがったが「会のまとめ役が遠方にいたのではみなさんに迷惑を掛ける」と了解を得た。

 最後の夜は形式張ったものではなく、アットホームな雰囲気。日付が変わるまで思い出話に花を咲かせた。会員は「本当のきょうだい同士で話しているかのような楽しい同窓会だった」と声をそろえ、半世紀以上にわたる同窓会の歴史に幕を下ろした。