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[21689] 【ネタ】トリスタニア診療院繁盛記【ゼロの使い魔・転生】
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/19 20:58
これは100%厨脳が生み出したネタ話です。

・脈絡を期待しないでください。
・医学系の考証をしないでください。
・クロスオーバーが発生します。
・説教くさいところがある可能性があります。
・ご都合主義があります。
・ロリババアってこうですか!?わかりません!!

等々。

細かいことを気にしない、おおらかな方のみご笑読くださいませ。
細かいことを気にしない、おおらかな方のみご笑読くださいませ。

大事なことなので2回書きました。


9.5 その4はしばらく欠番
9.19 その4の改訂版 公開



[21689] その1
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/07 00:05
トリスタニアの朝は日の出とともに動き出す。
往来を行きかう行商や運搬の音を聞きながら、私は目を覚ました。
およそ8時くらいであろうか。
職人に比べれば遅い朝だが、主観的にはかなり早い。

のそのそと芋虫のように置きだして、玄関の外にある牛乳受けから牛乳を取り出す。
左手は腰、正面に向かって斜め45度で立ち、ビンを持つ手の小指は天を指す。
これが様式美というものだ。

身長140弱。
私に胸周りのサイズを最後に訊いた奴は、街外れの墓場に眠っている。
今年で20歳なのに、どこから見ても10かそこらの小娘のこの体。
対抗する手段としては今飲んでいる魔法の薬しか思いつかないのが目下の最大の悩みだ。



「先生!」

人の流れを見ながら私が口の周りに白い髭を作っていると、通りの向こうからでかい声ととも大男が数名駆けてきた。

「何事だい?」

男は顔見知りの鍛冶屋の頭領だったが、後ろに徒弟と思われる体格のいい大男数人が戸板のような板を持ち、その上に一人の青年が苦悶の表情を浮かべて横たわっていた。

「ジャンの奴が昨夜から腹抑えて苦しんでてよ、今朝になったらあまりにも様子がおかしいんで連れて来たんだ。頼む、何とかしてくれ!」

確かに苦しみ方が尋常ではなかった。

「そのまま処置室に運びな。靴はお脱ぎ」

私は院内に戻り、急いで壁にかかった白衣を手に取る。

「テファ!」

「は~い」

打てば響くタイミングでキッチンから朝食の準備中だったテファが出てくる。今朝も相変わらず美少女全開だが、今はそれを愛でている場合ではない。

「大鍋にお湯を沸かしな。終わったらマチルダのところに行ってディーを借りといで」

「急患ですね。すぐに」

テファが釜戸に向かう間に診察室に患者を運び込み、マスクと手袋をはめる。

「そこに寝かせたら、親方以外は外でお待ち」

聴診器付けて患者の具合を診察し、その間に親方から食べたものや嘔吐などがあったか等を確認する。
聞けば、典型的な症状だった。

「・・・食中毒だね」

「しょ、食中りかい?」

「熱がある。食中りよりもうちょっと性質が悪いね」

O157とかこの世界にあるのか知らんが。

「し、死んじまうのかい!?」

「このままなら下手すりゃ葬式コースだが、心配はいらないよ。この道でおまんまをいただいているんだ、これくらいなら何とかしてやるよ」

私は棚からいかにもポーションな形をした薬瓶を取り出す。

「苦しいかもしれないが頑張ってお飲み」

親方に手伝ってもらいながら無理やりに患者に飲ませた。毒消しの魔法がかかった秘薬だ。
何度かせき込みながらも青年はきちんと飲みこみ、数分で呼吸が落ち着き始めた。

「このまま半時もおいておくといい。力が戻ったら帰っても構わないけど、今日明日は一日静養して、ミルク粥みたいな柔らかいもの以外は食べないこと。酒は禁止だよ」

「もう大丈夫なのかい?」

大丈夫といえば大丈夫だが、私にはちょっとした予感があった。

「この患者はね。大丈夫じゃないのはこれからだろうね。ほれ、おいでなすった」

待合室の方から聞こえた悲鳴のような声に私は呟いた。

「先生、うちの人が!」

あの声は角の酒場のおかみさんだ。運ばれてきた旦那を見ると、苦しみ方が先の男と良く似ている。

「集団食中毒かい。今日は忙しそうだ」

私はため息をついた。

「お湯沸きました・・・まあ、また急患ですか?」

鍋を持って入ってくるなりテファが目を丸くした。
ミトンの手で口元押さえる。可愛いぞ、おい。

「ちょいと今日は大変かもしれないよ。ディーと一緒に、処置室の荷物を奥に片付けとくれ。廊下にも患者を並べなきゃならないかも知れないよ」




その日、運ばれてきた患者は25人。
問診をした結果、全員が市で行商人が売っていた魚の酢漬けを食べていた。
すぐに親方の丁稚を番所に使いに出し、まだ市で商売をしていた商人を抑えてもらう。
細かいところはお役人に任せてこっちはこっちでお仕事だ。

「お疲れさまでした」

夜になってようやく椅子に座れた私に、テファがお茶と菓子を持ってきてくれた

「ありがとうよ」

お手製のクッキーは実に美味い。

「お食事、もうじきできますからね」

さすががに腹がすいた。朝牛乳を飲んだきりだったのだ。

「すまないね。さすがにもういないだろう」

その時、扉が開いて助っ人のディーが入ってくる。
長身細身の美丈夫だ。右頬の絆創膏がチャームポイント。

「看板はもう降ろしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、すまないね。頼めるかい」

ディーは一礼して看板を降ろしに出て行く。気の回る男だ。

肩の力を抜いて、両手でカップを持ってしみじみと紅茶を啜る。
それを見たテファがおかしそうに笑う。見た目が美の権化のような娘なだけに、こういう無垢な笑顔はもはや凶器に近い。

「何か変かい?」

「先生、しゃべり方も立ち居振るまいもお婆さんみたいなのに、そういう仕草だけは年相応の女の子に見えます」

「う、うるさいね」

何だか結構失礼なことを言われているような気がする。確かに身長は彼女の胸のあたりくらいまでしかない。
見た目はどう贔屓目に見ても幼女以上の少女未満だ。
この手の商売では何かと不自由ではある。

そんな時にディーが看板を持って入ってきた。

薬の絵柄と、文字を使った看板だ。

文字にはこう書いてある。



『トリスタニア診療院』




[21689] その2
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/20 16:54
自分が転生したことは早々に自覚した。

これでもネットのSSなどを読んでいたので免疫はできていたが、それでも我がこととなると結構驚いたものだった。

生まれたところはアルビオン。
名前はヴィクトリア。
親父殿はかの有名なプリンス・オブ・モード。私はその嫡女に当たる。
つまり正妻の子だ。
ヴィクトリア・テューダー・オブ・モードというのがフルネーム。

正妻と言っても政略結婚だった父母は仲が悪く、父はほとんど見たことがない。
それでも何度か私の顔を見に来たことはあるが、虫を見るような目で私を見ていたのが印象深い。
その分母は母で燕狩りに血道をあげ、充実した日々を送っていたのだからお互い様だろう。
おかげでその分気楽に幼年期を過ごし、思ったより早く4歳で魔法を使えるようになった。
多くのSSで述べられているように、現代の物理を知っていると魔法への応用が有効であるらしい。
風の国ではあるが、私の属性は水だった。
初めて使う魔法はなかなか面白く、10歳になるくらいの時にはラインに手が届いた。

しかしながら、私が発育不良に悩んでいる15歳の時に事件は起こった。
おとんが愛人のエルフを匿ったアルビオンを揺るがした政治的スキャンダルという奴だ。
私自身何とかしようと思ったが子供の身で何ができるという話であり、時局に翻弄されるままに家の取りつぶしが濃厚になった。
後日、おとんはあえなく処刑。涙はかけらも出なかった。
正直、親の愛情なんてものに感傷はなかっただけに、悲しいとも何とも思わなかった。
私はといえば、雲行きが怪しくなった時点で一方的に離婚を突きつけたおかんと一緒におかんの生家である
アルビオン辺境のとある侯爵家に身を寄せた。

その侯爵がまた問題だった。

モット伯というスケベ野郎のことは皆さんも御存じと思うが、この家の侯爵、そのモット以上の変態で、
真性のペドフィリアだったのだ。

私は外見がもろに彼の好みに合ったらしく、ある夜寝室に召しだされた。
いきなり大の男に組み敷かれては幼女の筋力では如何ともしがたい。
そんな私を救ったのが彼が飾りと思っていた杖だった。
既に魔法が使えた私は組み敷かれながらもルーンを唱え、ブレイドの魔法で遠慮なく侯爵に斬りかかった。
その時の悲鳴の甘美だったこと。
男性自身を斬り飛ばされてのたうち回る侯爵を置き去りに、私はおかんのところに走った。
そのままおかんを連れて出奔するつもりだったのだが、寝室に逃げ込んできた私に向かっておかんは傲然と非難の言葉をぶつけた。

その時、私は初めておかんがおかんの兄にあたる侯爵に私を売ったのだと理解した。

そうなるともはやこの屋敷は四面楚歌。
慌てて杖を構えるおかんに、私は感情のままにウォーターハンマーをぶつけた。
殺す気だったと思う。
私の成長が止まってしまったのは、その時の精神的なショックのせいかもしれない。
同時に、この時を持って私はトライアングルになった。

壁に叩きつけられてぐったりしているおかんの生死を確認せずに枕元にあったおかんの秘蔵の宝石箱を鷲掴みにし、
次いで自室に戻って鞄に詰められるものをすべて詰めて窓から夜の闇に飛び込んだ。
自由への遁走は紆余曲折はあったが、こちらを子供と舐めた大人の裏をかくことはさして難しくなかった。
宿屋には手配が回ったようだが、誰もやんごとなき身分の小娘が襤褸を着て浮浪児になっているとは思わなかったらしい。
そんな逃亡生活の中、酒場で細かい用事をすることで日銭を稼いでいたら、酔漢からサウスゴーダにテファとその母がかくまわれており、それを狩り立てる部隊が派遣される話を聞いた。

私はティファニア親子を助けたいと思った。
ティファニアのような少女には幸せになって欲しいと原作を読みながら思っていたくらいだ。
しかし、兵隊相手にトライアングルとはいえ小娘の私が正面から殴りこんで何ができるか。
私は思い立った。


ここは使い魔だ。


何が出てくるかは判らないが、運が良ければティファニア親子を助けられる力を手にできるかもしれない。
願わくばドラゴンないしは幻獣、犬猫の類だった場合はティファニアたちの命運はここまでということだ。
意を決して私は召還を行った。

結果から言えば私は望外の使い魔を呼びだせた。

その力を借りて一気にサウスゴーダ領主の屋敷に乗り込んだが、一歩遅かったことを悟る。
その部屋で行われていたことは今思い出しても吐き気が込み上げてくる。
屍姦の真っ最中だった男たちは入ってきた私に驚き、次に笑みを浮かべた。

「これはこれは、大公の御息女ではありませんか。このようなところに何の御用ですか?」

「貴様ら、これが栄光あるアルビオン騎士の所業か。恥を知れ」

「何を言うのかと思ったら。いっそ姫も混ざりませんか。背教者の娘にして親殺しの咎人とくれば処刑は免れんでしょう。生娘のままというの不憫、私たちでおもてなし致しましょう」

「あ~、そうか、わかった。要するにあれだ」

怒りが質量を増し、増しすぎて自重で自らを押しつぶして黒い塊となって心の中に転がった。
なるほど、これが憎悪か。
自分の瞳から光が消えて行くのが判った。

「殺していいんだな、お前ら」


下郎どもを皆殺しにし、隠れていたテファを救い出したところに血相を変えたマチルダが駆け込んできた。
一瞬杖を向け合うが、すぐにお互いの正体を理解して杖を収めた。
仔細を話し、アルビオンを脱出するために手を取り合った。
テファの母は私が水魔法で清め、マチルダが着衣を整えて化粧を施してベッドに寝かせ、屋敷に火を放って荼毘に付した。


マチルダが手綱を取る馬車で、私たちはダータルネスを目指した。
道中にかかった追手は私の使い魔が退けた。
人を、何人も殺した。
殺されて当然の畜生も多かったが、中には忠義溢れる若者もいた。
どれも私の罪だ。
いいだろう、その血まみれの手で生きて行ってやる。
私たちは貨客船に荷物にまぎれて乗り込み、アルビオンを脱出した。
それなりの金を払うと船長はにやけてうなずいてくれた。
金の力は偉大だと思った。

たどり着いたトリステインで、私は小さな診療所を始めた。
道中考えていたことだ。
どこかの貴族を頼ることはできない。市井に紛れざるを得ないとなるとそこで生きて行く基盤が必要だ。
マチルダは土の系統、テファは魔法が使えない。
そこでテファには診療所の助手をお願いし、マチルダには得意の土魔法で工房を開いてもらうことにした。
スタッフとしては私の使い魔を付けた。
ブルドンネ街に店舗を買って、私の知識にあるものを商品化してもらう。
ささやかなチート。
鉛筆である。
製法は昔のテレビで見て知っていた。
ありがとう、モグタン。
製品として耐えるものができるまで1ヶ月かかった。
これを商工会の販売ルートに乗せてもらう。
直販をするほどの企業体力がないのでここは既存の販売網に乗ったほうが得策だったからだ。
屋号は昔のゲームから取って『マチルダのアトリエ』とした。

当人は赤面して嫌がったが、私とテファが賛成したので多数決が成立した。
実際、マチルダも内心はまんざらでもないようだったが。


私のほうも何とか体裁を整え、平民の病気や怪我を見る診療所として役人に届け出を出した。
町内会や商工会には概ね歓迎された。
メイジが診療所を開くこと自体が異例なことだからだ。
この時代、民間医療は無きに等しく、治すとなると法外な値段で水メイジに依頼しなければならない。
一般市民の平民には手が出ない治療も少なくなくたいていは効くか怪しい薬を薬師から買うくらい。
このニッチにもぐり込む。
私たち4人くらい食べて行く程度ならさして金はかからない。
手持ちの資産は非常時のために取っておくとして、大店の商人からはたんまりいただくが、
今日の糧にも困る貧民には無償で治療を施す体制で商売をした。
私の場合は前世の知識があるので少なくない部分で魔法一辺倒ではない治療が可能だ。
水の秘薬を高額で売りつける訳ではないお手ごろ価格の治療法が安心を呼んだのか、
程なく違和感なく街の一部に溶け込むことができた。



私としてはここが「ゼロの使い魔」の世界であるという認識はあるものの、幸い貴族としての立場は既にない。
原作キャラに交じってスリルと冒険の日々を送る可能性はないと思っていいだろう。
英雄のような武勇伝は必要ない。賢者の英知も私には無用だ。


こんな言葉がある。

『 光と闇、秩序と混沌、そして剣と魔法の入り交じる世界があった。
 伝説的な英雄と世紀末的な怪物が激しくぶつかり合う世界
  今まさに、世界の攻防は彼ら、選ばれた者たちの手に委ねられようと
  していた。

  だが、そんな英雄物語は彼らに任せておけばよいのだ。
 世界の大半の人間には、英雄も怪物も関係ない。自分たちにできるこ
 とをやり、今日を平和に生きることができれば、皆それで満足なのだ
 から』



けだし名言である。
市井の一市民としては、ただ日々の糧を得ながら生きていければそれで十分なのだから。
まあ、よほどのことがなければ原作組の珍道中に巻き込まれることもないだろうけどね。










そう思っていた時期が私にもありました。



[21689] その3
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/05 11:01
診療院のルーチンは、午前中は外来、午後は往診となっている。
将来的には金をためて病棟を拡張し、入院設備を備えるようにしたいと思っている。
いかんせん往診というのは移動の時間が馬鹿にならならないし、診られる患者の数も限られてくる。
より重篤な患者から診るようにしてはいるが、道順の都合もあってなかなかうまくいかないこともある。

白衣を着て気だるそうに街を行く私の姿はすでにこの界隈ではおなじみのようであり、たまに商店が
通りすがりの私にいろいろくれるのでありがたい。
そんな戦利品のひとつである洋ナシを齧りながらの帰り道。
今日の往診は高齢のご隠居だった。
老衰が進んで寝たきりになっており、床ずれがひどいので治癒をかけて、こまめに姿勢を変えてあげるよう
家人に指示した。
さすがの魔法でも、天が定めた寿命には逆らえない。

そんなことを考えながら歩いているときだった。
私のすぐ隣に、4頭立ての豪勢な馬車が止まった。
何事かと見上げると、扉が開いてにやけたおっさんが私を見下ろしていた。

「ほほう、遠目で見た以上の器量だな」

「何だね、お前さんは?」

「ふふん、ずいぶんな口をきくではないか」

「用事がなかったら声をかけないどくれ。私は忙しいんだ」

「用事か。そうだな、あるといえばある」

「何のことだい?」

数秒後、私は食べかけの洋ナシを落として忽然と路上から消えた。




「ヴィクトリアが?」

診療院に昼飯をたかりに来ていたマチルダは素っ頓狂な声を出した。
知らせに来たのは八百屋のおかみである。

「そうなんだよ。いきなり貴族の馬車にひっぱりこまれてさ」

「杖くらい持ってたんだろ、あの子?」

「いくら杖があるったって、先生は子供じゃないかい」

「子供って・・・あの子あたしとそう変わらないんだけど・・・」

「とにかく、何とかならないかね。あれ、噂のモット伯だよ」

「モット・・・ってあの宮廷勅使の?」

マチルダも、街娘を浚っては無体を働くスケベ貴族の名前は聞いたことがあった。

「どうする、ったって・・・ねえ」

「その、どこか頼れるところはないのかい?」

「頼るというより、祈るばかりだよ」

「祈る?」

「そのモットっておっさん、無事だといいんだけどさ」

困った顔でマチルダは頭をかいた。




「ふふ、緊張しているのかな?」

居間に通され、私はソファに座るよう言われた。
周囲を見ると、まあ金が唸っていること。置物ひとつとってもうちの年商くらいはあるかも知れん。

「まずは湯浴みをしてきたまえ。詳しい話は夕食後にゆっくりしようじゃないか」

「話、ねえ・・・」

正直、クソ伯父の影響かこの手の野郎には鳥肌が立つような嫌悪感がある。
さっさと帰りたいところだが、まっすぐ帰るのも芸がない。
ここはひとつ趣向を凝らすとしよう。

「あ~、すまんがモットさんとやら。私にも用事があってね。できればそろそろ帰らせて欲しいんだが」

「おや、君はまだ自分のおかれた立場が判っていないようだね」

「わかっているつもりだよ。助兵衛なヒヒ爺に浚われ、夕食後に花を散らす運命にある哀れな青い果実、ってところだろう?」

「・・・ずいぶんはっきり言うね。まあ、そんなところだが」

「悪いことは言わん。私はやめときな。家名が地に落ちても知らないよ」

「はは、なかなか怖いことを言うね」

「判ったらさっさと解放しとくれ。できれば明日の診察は開業したいんでね。早くしないと大変なことになるよ?」

「大変なこと?」

「大変なことは大変なことさね・・・が、どうやら遅かったようだね」

「ん?」

モットが首をかしげるのと同時に、庭に面した壁が爆発するように砕け散った。

「何事だ!?」

「だから言ったのにねえ」

埃の中から、一人の美丈夫が現れる。両手にそれぞれ槍を持ち、猛禽のような視線を周囲に走らせる。

「御無事ですか、主!?」

「問題ないよ」

「我が主がかどわかされるのに気付かぬとは一生の不覚。お叱りは後ほど」

「気にするんじゃないよ。本気でまずかったら助けを呼んださね」

「何者だ、貴様!」

モットのおっさんが杖を構えてわめき散らす。

「己が我が主をかどわかした魔術師か、下郎」

氷のような声でプレッシャーをかけてくる闖入者を、モットは顔を真っ赤にして威嚇する。

「貴様、私を宮廷勅使、『波濤』のモットと知っての狼藉か!?」

「あ~、モットさんや」

私はできるだけ判りやすい言葉を選んで説明する。

「この場はおとなしく私たちを帰らせるのがベストだよ。最悪の事態は、そのまま魔法を使って私たちと事を構えることだが、どうするね?」

「な、生意気な。いいだろう、まずはそこの若造からだ。墓碑銘に刻んでやるゆえ名を名乗れ」

私に促され、男が名乗る。

「トリスタニア診療院 院長、ドクトレス・ヴィクトリアが臣、ディルムッド・オディナ」




正直、使い魔召還をやった時にこいつが出てきた時は我ながら慌てたものだった。
外見はもろにFate/Zeroのあれだったからだ。
無能な主に召還された悲運の英霊。
問題は、自害した前か後か。

「俺を呼び出したのは貴殿か?」

自害後のディルムッドは怨霊と化していたので、下手したら魔法を使う奴を片端から殺して回るんじゃないかと思った。
それだけにとっさに随分慇懃な態度に出ざるを得なかった。

「斯様な矮小な身の召還に応じていただき、感謝の念に堪えません。己の分には過ぎた使い魔ということは重々承知。されど、願わくば、少しの間だけ私に力を貸していただけないでしょうか」

「困っている、ということか?」

「さる親子に危機が迫っております。彼女らを救いたいと思っております」

「それは貴殿に縁ある者か?」

「本来であれば私が助ける筋合いはないかもしれません。しかし、座して静観はできません」

「ならば、何故貴殿は起たれるのか?」

私は言った。

「義のために」

その言葉を受け、ディルムッドは私の前に片膝をついて槍を掲げた。

「思いの丈、承りました。今日この時より、我が槍は御身のためにあり。ここに我が忠義を捧げ、その道を切り開く刃となることを誓いましょう」
「良いのですか」

「この身でお役にたてるのなら」

実は、サーヴァントの中で私はこのディルムッドが一番好きだった。愚直なまでの忠義に呪いのように取りつかれてはいるものの、恐らく二心なきことでは第5次のバーサーカー並みではないだろうか。
私は御姫様抱っこの恰好でサウスゴーダの屋敷に乗り込み、惨状を目にした。
殺意に身をゆだねようとした時、ディルムッドが私を制して前に出た。

「ここは、私が」

杖を手に下卑た笑いを浮かべる騎士たち10人とディルムッドが対峙した。ただの平民と思った騎士たちを哀れと思った。魔法を使う者にとって天敵となる武具がこの世にはある。
有名なところでは魔剣デルフリンガーであるが、今この瞬間この場に立つディルムッドこそは、恐らく真の意味で魔法使いの天敵であろう。
いたぶる様に飛来したファイアボールやエアハンマーが、その紅い槍に一掃されて消滅する。

破魔の紅薔薇。

これを手に、人外の運動能力を持つディルムッドの前に10人程度の騎士など路傍の石と代わりはない。
騎士たちの表情が恐怖に歪む。私は告げた。

「容赦は無用。楽には殺すな。これは天誅である」

「御意」

勝負は10秒もかからなかった。

両手を飛ばされて腹を裂かれた騎士が悲鳴を上げている。

「た、助けてくれ」

「無抵抗な女を蹂躙した報い、その身が地獄に落ちるその時まで心ゆくまで味わうがいい。因果応報の言葉の意味を噛みしめながら死んでいけ」



そんな出来事以来、私の使い魔として尽くしてくれている無二の忠臣である。
日ごろはマチルダの工房で力仕事と販売を担当しており、いわくつきの黒子は絆創膏で隠している。
無論黒子を隠してもなお魔貌のご利益はすさまじく、営業活動において大いに役立っているのが正直なところだ。
名前は発音しづらいので、うちではディーと呼んでいる。

「ふん、平民風情が吹いたものだな。我が波濤、受けてみるか?」

ルーンを唱えるや、彼お得意の大波が押し寄せてくる。
それを意にも介さず朱槍で一閃する。
おお、おのろいとるおのろいとる。
モットのおっさんは目玉がこぼれそうな表情で起こったことを理解しようとしている。
どう見ても平民の男に、得意の魔法を消されるとは思わんわな。
私は言った。

「ディー、懲らしめておやり」

「御意」





「今帰ったよ」

「おかえりなさい」

私が帰ると、テファがいつものように笑顔で出迎えてくれた。

「ちょっとヴィクトリア、モット伯のところに連れて行かれたんだって?」

「ああ、ちょっとお話し合いをしてきたよ」

泡を食って出てきたマチルダに、手にした置物を渡す。

「重っ!何だいこれは!?」

「モットの親父からの贈り物さ。馬車代だとさ」

純金のライオン像は換金すれば3年分くらいの年商に当たるだろう。

「あんた、ちゃんと穏便に済ませてきたんだろうね?」

マチルダが心配そうに言ってくる。

「言っただろう。しっかり話し合いをしてきたさ。まあ、話せば判る男だったよ」

「・・・ディー、本当に大丈夫なのかい?」

「・・・私の口からは何とも申し上げられません」

心なしか青ざめたディーの説明で、何とかマチルダは納得した。

「さて、すっかり遅くなっちまったね。晩御飯にしようじゃないか」





そんな平穏な一日であった。




[21689] その4
Name: FTR◆9882bbac ID:fb21d9e9
Date: 2010/09/19 19:45
一人の老人が夕暮れのトリスタニアの中央広場を歩いていた。
良い身なりをした老人であった。
本来であれば共の者を連れていそうな身なりであり、王都トリスタニアとはいえやや浮いた格好とも言えた。
仕立てが良いマントに、オーダーメイドと思しき帽子を被り、手には上品な拵えの杖を持っていた。

老人は貴族であった。

この辺りは不慣れらしく、手元のメモを確認しつつ視線をさまよわせながら噴水の脇を通って歩みを進め、やがて目当ての建物を見つけた。
そこは、タニアリージュ・ロワイヤル座なる劇場であった。
老人は建物をしばし眺め、やがて溜息を一つついて切符売り場に向かった。

劇場の中は薄暗かったが、座席や人の姿は判別できなくもない程度の照明が灯されていた。
夜の部の上演はやや寂しい客入りであるものの、舞台の上では話題の舞台が絶賛上演中であった。
ステージ上を出し物に視線を向けることなく指定された座席を見ると、前寄りに偏った観客をよそに客席の中ほどに小さな背恰好の少女が見えた。
老人はその隣の座席に腰を下ろした。

「遅かったじゃないか」

前を向いたまま、少女が小声で語りかけて来た。
手には菓子の袋を抱え、時たまポリポリと口に運んでいる。

「・・・いささか場所が好ましくありませんな。芝居小屋での会合など、およそ真っ当な話し合いには見えませんぞ」

老人は露骨に不機嫌な口調で言うが、少女は笑って取り合わない。

「ひそひそ話をするには打ってつけな場所なんだよ。そうでもなければこんな下手な芝居は観に来ないさね」

『トリスタニアの休日』という演目であるが、俳優たちの演技はとても売り物になる水準になかった。

「身も蓋もないことを言われますな、殿下」

「もう殿下は廃業したよ、爺」

思い出した昔を懐かしむように、少女は笑った。
老人の名はパリーと言う。
アルビオン王室の重鎮であるが、ちょうどトリステインに王の名代として折衝に来ていたはずの人物であった。
そして、件の少女ヴィクトリアの知己でもあった。


「まったく嘆かわしい。世が世なら王宮にその人ありと言われたであろう姫君がこのような街の芝居小屋で芝居を見ながら駄菓子を食べているとは・・・」

何だか放っておくとその場でおいおい泣き出しそうだったのでヴィクトリアは話題を変えることにした。

「それで、改まって話と言うのはなんだね?」

ヴィクトリアの言葉に、パリーの視線が別人のように鋭く変わった。
それは宮殿の広間にて、王の言葉を代弁するかのような凛とした気配であった。

「この度は、陛下からのお言葉をお伝えに参りました」

意外な名前を聞き、菓子を食べかけていたヴィクトリアの手が止まった。

「伯父上の?」

「はい。殿下の現状について、陛下は大層胸を痛めておいでです」

幼少期、家族の愛情に欠けた生活を送っていたヴィクトリアにとって、係累の大人で唯一愛情を注いでくれたのが伯父に当たるジェームズ1世、すなわち、アルビオン国王その人であった。
甘やかすとかそうではなく、まっすぐにヴィクトリアの目を見て話をしてくれる人と言うだけであったが、己を政治の道具ではなく一人の人間として接してくれたただ一人の肉親であった伯父がヴィクトリアは好きだった。
会えるのは年に数度であったが、その度に伯父上伯父上となついて回ったものであった。

遠い目で過去を見つめていたヴィクトリアに、パリーは一通の手紙に渡した。
封印には、アルビオン王家の紋章が押されている。

「・・・伯父上」

丁寧に封を解き、紙面に綴られた見覚えのある文字を追う。
そこに綴られた文字に、懐かしい声を重ねる。
一度読み、二度読んだ。
三度目にはそこに込められた相手の気持ちを拾うように、時間をかけて丁寧に読んだ。
手紙に書かれている内容を噛みしめ、感情の高ぶりを抑えながらヴィクトリアは俯いた。

そこには、父を討ったことに対する伯父としての謝罪と、国王としての説明があった。

侯爵家にてヴィクトリアがされた仕打ちと、その反撃についても理解の言葉があった。

貴族から平民に落ちての苦労や生活、そして健康に対する心配があった。

そして、ヴィクトリアが望むのならば国王の権限をもってヴィクトリアが犯したすべての罪に対して恩赦の用意があるので王宮に戻るようにとの申し出で手紙は締めくくられていた。

モード公の粛清について、アルビオン国内においてはジェームズ1世は泣いて実弟を誅したことは評価されてはいるものの、今なお所在不明扱いの姪のことについてはジェームズ1世は半ば禁忌として取り扱っていた。
それというのもかなり早期にヴィクトリアの所在について老王は把握しており、把握すると同時に

『今もって国内において行方が判らぬと言うのであれば、おおかた衆庶に身を落としたのであろう。
また、仮に国外に逃亡したのであれば身を寄せた先方の貴族から話が来るであろうが、それも未だない。
そうであれば、事後の沙汰ではあるが追放の罪科としては充分。
国外にまで手勢を出しての追討は不要である』

としてヴィクトリアに司法当局の手が伸びぬよう手配した。
加えて、親の因果が子に報いるこの時代ではあるが、一方的とはいえモード公の妻は離縁しており、その母を殺めたことについては当事者である侯爵からは事故死との報告が上がっていることもあるのでヴィクトリアには咎はない。
それらを踏まえ、ジェームズ1世は何とかしてヴィクトリアを不遇の現状から救いあげようと考えていた。

他国の、しかも暗黒街の性格が濃いチクトンネ街とはいえやがては追手がかかるものと思っていたヴィクトリアではあるが、実際にはアルビオンではそのような微妙な扱いとなっていたことまでは知らなかった。


「殿下・・・」

心ここにあらずなヴィクトリアに対し、パリーは静かに声をかけた。

「いかがでございましょうか。陛下のためにも、ここは帰郷いただけないでしょうか」

ヴィクトリアはやや間をおいて答えた。
そこには町医者のヴィクトリアではなく、大公息女としてのヴィクトリアがいた。

「すまない。このような咎人に過分なお取りはからい、名ばかりとは言え、大公息女として感謝の念にたえぬ」

「陛下もお歳です。これが御自身ができる最後の務めとまで言い切っておられました。何卒ご理解いただきたい」

「申し出はありがたい。だが、この御厚情はお受けすることはできない」

「何ゆえでございましょう」

その問いに対し、ヴィクトリアは神に対する誓いのような思いで答えを口にした。

「私にも、失いたくないものができてしまってな」

ヴィクトリアの言いたいことを、パリーはすぐに察した。

「・・・太守の息女と・・・モード公の御落胤でございますか?」

さすがにハーフエルフという言葉を口にしづらかったのか、パリーは言葉を選んだ。

「本来なら気にかける義理も何もないが、もう既にあの者たちとはそれだけのものが通い合ってしまっている。
アルビオンがあの者の存在を受け入れてくれるくらい軟化したわけではあるまい?
二人に対して国外追放で仕置きの折り合いが付いているのであれば私も考えようがあるものではあるが」

その言葉には流石にバリーも黙り込んだ。ブリミル教が隆盛の今日、ハルケギニアにハーフエルフの安住の地はない。
エルフとその縁の存在は、どこまでいっても日陰者であり、宗教上の敵であった。
仮にここでヴィクトリアが二人と離れた場合、可能性の話としてアルビオン政府が二人に牙を剝くとも限らない。
ヴィクトリアの庇護下にあるからこそ、マチルダとティファニアは安全でいられるとも言えた。

「心が揺れる前に答えをお返ししよう。私はあの者たちと共にあるを何よりの喜びとするのだ。
追手を差し向けない御厚情だけでも涙が出るほどありがたいことである。
私たちにとって、このまま静かに人々の中に埋もれて消えて行くことが何よりの望みだ。
王家の血筋と言うことで王家に迷惑をかけるつもりは毛頭ない。
どうか、私のことはお気になさらぬよう陛下にはお伝えしてくれ。
不出来な姪ですみませぬ、幾久しく御健勝であらせられること、遠い地より祈念しておりますと、な」

視線を交わし、パリーはヴィクトリアの力強い瞳に決意の強さを読み取った。
彼もまた、ヴィクトリアを大切に思う者の一人ではあったが、ヴィクトリア自身の心を捨て置いて事を強いるつもりはなかった。

「・・・判りました。私と致しましても、今一度殿下のお守ができぬのは寂しいことではございますが」

柔らかいパリーの物言いに、ヴィクトリアは笑った。

「昔のことはお忘れな」

「さて、どういたしましょうか。こればかりは年寄りの特権ですからな」

そこまで言って、バリーの視線が今一度鋭くなった。

「陛下の方は私の方から話をお通しいたします。これとは別に、御注意いただきたい動きがありますのでお耳に入れておきましょう」

ただならぬ気配にヴィクトリアは眉を顰めた。

「良くない話か」

パリーは頷いた。

「殿下にとって、もう一人の伯父君です」

できれば聞きたくない人物の話題に、ヴィクトリアの表情が硬くなった。

「ハイランド侯が?」

「はい、今では誰もが『無根侯』と呼ぶハイランド侯リチャード閣下の動きがきな臭い。身に覚えはおありでしょう」

「うんざりするほどね」

お互いに、最後は殺す殺さないの関係まで行き着く因縁がある相手であった。

「物騒な輩を雇っているとも聞き及んでおります。くれぐれも御油断なきよう」

「貴重な情報、心より礼を言う。では、私からもひとつ知らせておこう」

「何でございましょう?」

「オリバー・クロムウェルという人物から目を離すな。裏で交差した二本の杖が蠢いているらしい」

さすがにパリーも絶句した。

「・・・真でございますか?」

パリーに向けるヴィクトリアの視線も、また鋭い。

「用心だけはしておくように。こればかりは私では力になれない」

「早速調べてみます」

パリーは立ち上がった。

「では、私はこれにて」

挨拶するパリーに、ヴィクトリアは心からの言葉を告げた。

「いろいろ世話になったね、爺。くれぐれも息災で」

そんなヴィクトリアの心を知ったうえで、老人は笑って見せた。

「永の別れではありますまい。では、またいずれお会いいたしましょう」


パリーの背中を見送り、ヴィクトリアが視線を舞台に戻すと、主人公が静かにヒロインの元を去るところであった。
現実の壁に抗うことなく別れを選んだ二人を見つめながら、ヴィクトリアは静かに菓子を口に運んだ。



甘いはずの菓子は、何故か少し塩味がした。



[21689] その5
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/05 23:07
「いや、いや、いやよ~~~!」

朝一番の空気を震わせ、野太い声が診察室に響く。

「パパ!我がまま言ってるんじゃないわよ!診てもらわなかったら家の敷居またがせないんだからね!!」

娘のジェシカに叱られて、ごついオカマの店長さんはハンカチを噛みながら渋々と腰を下ろした。

「あ~、気持ちは判るけどね、スカロンさんや」

私は問診票を見直してスカロン氏に視線を戻す。

「これは悪くなりこそすれ、自然治癒はしない病気だよ。切るなりなんなり処置する他ないんだよ」

「だ、だからって・・・そんなの私耐えられないわよ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

こういう時は女の方が強い。

「とにかく先生、スパッとやっちゃってください」

スパっという単語に過剰に反応するスカロン氏。

「い、いや、スッパリやるかどうかは患部を見てからだよ」

やたら気風がいいジェシカには私も思わずたじろいだ。
スカロン氏に向き直ると、彼もまた露骨に怯えた仕草をする。

「さて、じゃあ諦めて診察台にお乗り」

「う、うう・・・」

スカロン氏は売られていく子牛のように診察台に向かう。

「女の情けだ、娘さんは待合室にいな。後は任せておくんだね」




待合室に出たジェシカに、テファが他の患者の検温のついでに心配そうに寄ってくる。

「どうでした?」

「もう、覚悟決めてきたはずなのに土壇場で怖気づいちゃって」

「はあ・・・まあ、お気持ちはわかりますが・・・」

そんな会話をしていると、診察室からまたも大声が聞こえる。




『やっぱりダメよ、無理よ、お願い、許して!』

『うるさい人だね、いいからそこで胡坐をかきな』

『胡坐?』

『はい、じゃそのまま後ろにごろん』

『い、いや~~~!女房にも見せたことなかったのに~~!』




「まったく、半年も黙ってるんだから。今朝トイレを見てぞっとしたわ」

「ほっといても治りませんからねえ」

「困ったものよ。どうも椅子に座るときに変だと思ったのよ」

「仕方がないですよ、痔じゃ」





午前中の診察が終わり、ようやく一息となった。
初っ端に濃い患者だっただけに気苦労が多いスタートだった。
正直、アレを見ようがナニを見ようが、医者と言う視点で見ると毛ほども変な気持にならないのは結構不思議だ。
いつの間にか私もプロになったものだと思う。
自分の前世のことはあまりよく覚えちゃいないが、ひょっとしたら医療関係の仕事をしていたのかもしれない。

実際、この商売を始めて思ったことは、水の魔法は非常に便利だと言うことだ。
ウォータージェットや凍結療法、最近では血流の流れを感じることで患部の様子を把握することもできるようになった。
人間と言うのが水でできていると言うのが非常によく解るという点で、水メイジが治療士になるというのが納得できる。


昼食を食べた後、私はしばらく仮眠をとることにした。
幸いにも今日は往診はない。
夕方まで眠り、夕食のタイミングで起きる。
マチルダとディーがやってくると同時に夕食になった。
テファの料理の腕が、最近ますますあがっているような気がする。

夕食が終わり、今日の後片付けは私とディーの担当だった。

洗い物をしていると、ディーが静かにささやいた。

「主、今日は会合でしたね」

ディーの言葉に私は頷いた。

「いつもどおりさ。明日は休診日だし、ゆっくり話をしてくるさ。お前さんもいつもどおりの巡回を頼むよ」

「御意にございます」





夜、歩く。
寝静まったトリスタニアの街並みは、どこか墓所を思わせる。
夜の私の正装は白衣ではなく、黒いフードつきのマント。
官憲が見たら職質されそうな風体なのは確かだ。

向かった先は街の商工会議所だが、正面玄関ではなく、裏口の小さな木戸から中に入る。
地下に続く長い階段を下りると、昔酒蔵だったのではないかと思われる部屋を改造した会議室があった。

「私が最後かい。遅くなってすまないね」

テーブルについていた3人の男に私は挨拶をした。

「よい、我らが早かったのだよ、『診療院』の」

痩せぎすの老人が口を開いた。

「そう言ってもらえると助かるよ、『薬屋』の」

私は席に座った。
黒服の男が影のように現れて、私の前に他の3名と同様に茶を置いた。
正面に老人、右には固太りの中年の親父、左には見知った筋肉が座っていた。

「では、はじめようか。まずは君からだ、『武器屋』の」

老人が口を開き、私の右側の中年のおじさんが口を開く。

「取り立てて大きな動きはねえな。アルビオンがきな臭いってことで武器は値上がり傾向だが、傭兵の移動は平年並みだ。
今すぐがらっぱちなのが押し寄せてきてどうこうということはないな」

「問題なし、ということかな」

「まあ、落ち着いていると言えるだろうな」

「それは結構。次は君だ、『診療院』の」

ご指名を受けて私は説明をする。

「今週は取り立てて事件はないね。先週はこそ泥が2匹も釣れたが、今週は静かなもんだ。どこぞに屯して悪巧み、ってのも私の耳

には聞こえちゃこないね」

「平穏で結構」

「その代わり、本職のほうじゃ気になる患者がいたよ。恐らく阿片だね、ありゃ。あんたの管轄だよ、『薬屋』の」

「それについてはうちでも今調査中だよ、『診療院』の」

こんな感じで進む夜の会議。早い話がここに集まった4人は街の顔役で、大抵の情報はこの4人の誰かの耳に入るようになっている。

人呼んで『夜の町内会』。

交換された情報は、自然な形でそれぞれが所属するコミュニティに還元されていく。
会の起源はトリステインの建国直後まで遡ることができるそうで、稀に国政にも影響を与えかねない情報が交換されるため、
こうして密会の形をとっているらしい。

私がここに招かれたのは開業して半年後のことだった。
肺の具合がどうとか言って診療院を訪れたのが正面に座る老人。通称『薬屋』。
その彼からスカウトを受けた。
この会の世話人で、名をピエモンと言うが、この会合では通称で呼び合うなら慣わしだ。

武器の価格や傭兵の動きから世情を見る『武器屋』
麻薬や魔法薬など、街の根っこを腐らせそうな危険物についてその流通を取り仕切る『薬屋』
怪我人や病人の動向を中心に街の状態を把握し、かつ強力な手駒で犯罪者や犯罪組織に睨みを利かせる『診療院』
そして、総合的に街の情報をかき集めるのが・・・。

「では、最後に君だ、『魅惑屋』の」

指名された男は体をくねくねさえながら説明に入る。偽名使う意味もないな、こいつには。

「うちも取り立てて大きな騒ぎの話は入っていないわね。私もちょ~っと体の調子が悪くて積極的に動けていないけど」

私はすまして茶を啜った。守秘義務については遵守する主義だからだ。

「では、概ね平和ということでよろしいかな」

全員が頷いたところで散会となった。




その後、武器屋と連れ立って魅惑の妖精亭になだれ込み、朝まで痛飲したのだが、朝帰りするなりマチルダにつかまり、
こってりお説教をもらったのはまた別のお話。



[21689] その6
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/07 00:04
「あちち」

夏の午後の往診はきつい。
天空で元気に核融合しているお天道様は今日も絶好調で、遠慮とか容赦がまったくないエネルギーをこれでもかと叩きつけてくる。
体が小さい私は簡単に芯まで火が通ってしまう。
やはり早めに金を貯めて入院病棟を作ろうと決意を新たにする。
トレードマークの白衣を着こんでいるのも悪いのであろうが、これはちょっとこだわりたい部分なので脱ぐ訳にはいかない。
その代り、頭の上には大きな麦藁帽子を装備。
我ながら何ともアンバランスな気がしないでもない。

そんな午後、診療院に戻ると入口のところに小さい女の子が立っているのが見えた。
身長は私よりちょっと高いくらい。
髪の色は青。
魔法学院の制服にマント。
手にした大きな杖が目を引いた。

女の子は私に気付いて眼鏡の奥から視線を私に向けてきた。

「急患かね?」

私が問うと、少女は首を振り、値踏みするように私を見て蚊の鳴くような細い声で言った。

「あなたが『慈愛』のヴィクトリア?」

・・・・。
・・・。
・・。
・。

何だか人生初めてだよ、自分が石になったのが判ったの。
ナンデスカ、ソレ?
全身に鳥肌が立ってジンマシンが出そうだった。
そんな恥ずかしい二つ名名乗った覚えないぞ。
誰だ、そんなこと言いだした奴ぁ。
こみ上げる苦いものを何とか飲み込んで応じる。

「・・・そんな大仰な二つ名は知らんが、ここの院長のヴィクトリアなら私だよ」

私の自己紹介を理解するまで時間がかかったのか、少女はややあってから口を開いた。

「相談があって来た」

思いつめたような口調。この少女が言いたいことはそれだけで判る。

ある意味、転生者の視点は神のそれだ。
その力は使い方によって悪魔のそれにもなるものだとこの時思った。
私の中に苦悩が芽生えた。
それを押し殺して声をかけた。

「・・・時間外だが、せっかく学院から来てくれたんだ。話くらいは聞いてあげようかね」

「感謝する」



診察室に通し、魔法で室内の温度を下げる。
アイスティーを出して腰を下ろした。

「とりあえず、扱いは医療相談ということにしとくよ」

診察室でまっさらなカルテを取り出して言う。

「まずは名前を聞こうか」

「タバサ」

簡潔な答えに私は筆を止めた。

「本名かい?」

判ってはいるけど一応確認する。
どの程度の信頼を私に寄せてくれるかがこれで判る。
私の問いに、タバサはしばし悩んで今一度口を開いた。

「・・・シャルロット・オルレアン」

やばいね、これはこっちも本気で対応しなきゃいけないようだ。

「シャルロットだね」

カルテにはタバサと書き込みながら私は続ける。

「それで、質問は何だね?」

「毒について訊きたい」

「毒物?」

「あなたは治療師とは違った手法の治療を行うと聞いた。判る範囲で良いから教えて欲しい」

なるほど、毛色が変わった医者の噂を訪ねて来たということらしい。

「どういう毒を飲んだね?」

「私じゃない」

「ほう?」

「私の母が飲まされた」

そのまっすぐな視線。
どこまでも一途だ。
この娘、無表情で無感情なように見えるが、ある意味一番情熱を持った子じゃないかと思う。

「・・・詳しく聞かせとくれ」

タバサはぽつりぽつりと症状を話し始める。
自分を覚えていないこと。
人形を自分だと思って抱きしめていること。
近寄るとパニックを起こして自分を拒否すること。

ナウシカ原作版のクシャナ殿下も同じ気持ちだったことだろう。
あっちは治しようがなかったけど、でもこの子の母ならば・・・。

「なるほどね」

私はペンを置いた。
話を聞きながら、私もまた、自分の母のことを思った。
私には二人の母がいる。
前世で私を産んでくれた母。
そして、この世界で私を生んだ女。
前世の記憶がなければ正直母の愛情なんてものは鼻で笑っているところだったが、瞼の母はそれをきちんと阻んでくれた。
例えそれがなくても、この子の前でだけはそんなことはしてはいけない。
藁にもすがる思いで尋ねてきた子にその仕打ちでは、あまりにも悲しい話だ。

「知っていたら教えて欲しい。どんな手がかりでもいい」

私は悩んだ。
与えられる情報は幾らでもある。

それがエルフの毒であること。
解毒薬が存在すること。
それを作れるエルフがいること。
それらはすべてガリア王ジョゼフの掌の上にある事。
そして、ヴェルサルテイルの礼拝堂のこと。

だが。
言ってしまえばこの子は絶対躊躇わないだろう。
そのために容易く自分の命すら投げ出すに違いない。
彼女のイーヴァルディの勇者はまだいない。
勇者がいない御姫様が戦いを始めても、悪の竜は歯牙にもかけるまい。
時期尚早というものだ。
しかし、それはこの子をまだまだ続く地獄に見捨てることに他ならない。
恐怖を味わい、苦労を強いられ、艱難辛苦の道を当分歩むことになる。

せめぎ合いが心を蝕む。



しばらく考え、私は言葉を選んだ。

「そこまで長期間精神を冒す毒となると、普通の毒じゃないね」

「え?」

「・・・一般的に手に入る毒じゃない。かなり特殊な手段で調合された薬だろうね」

「対策を教えて欲しい。お金ならいくらでも払う」

「金の問題じゃない。推測でしか言えない事なんだ。いたずらにお前さんの心を乱すだけさね」

「それでもいい。何も判らないよりは、いい」

能面と言う芸術品がある。
見方によって喜怒哀楽すべての表情をその面貌から見てとれると言うが、今のタバサの無表情はまさに能面だった。
泣き出しそうな子供の顔に見えるのは私の気のせいではあるまい。

「少し猶予をおくれ。どれくらいかかるか判らないが、私なりに調べる時間をもらいたいんだよ」

私の言葉に、秒針が1周するほどの時間が流れた後、少女は言った。

「・・・判った」

私はため息をついた。

ある意味、日本人的なずるさだ。
先送りを許容する、卑怯な文化。
ほんの僅かに希望を与え、そして時が過ぎるのを待つ。
これ以外、彼女の心に対して私ができることはない。

「また来る」

タバサは立ち上がり、静かに帰って行った。





夜、窓辺に座ってワインを開けた。
グラスに注いだだけで、夜空を見上げて私は過ごした。

「先生」

風呂上がりの髪を乾かしながらテファが訊いてくる。

「ん~?」

「何だか元気ないですね」

「うん」

空に光る二つの月を見ながら、私はさっきからろくに手をつけていないワイングラスに手を伸ばした。
今日のワインはやけに舌に苦かった。



その夜、私は微かにしか覚えていない、前世の母の夢を見た。



[21689] その7
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/08 09:49
光あるところ影がある。

王都トリスタニアもまた華やかな王都であるからには人々集まり、その輝きの下に影を作り出す。
私が呼び出しを受けて向かった先は、街の外れのあるエリアだった。

時刻は間もなく日付が変わろうかと言うあたりであるが、そのエリアに近づくにつれ、徐々に人通りが増え、明りも勢いを増していく。
白衣の小娘がうろついているとやたらと目立つかと思えば、ここではどんな格好をしていても馴染んでしまうから不思議だ。
チクトンネ街のさらに奥。官憲も迂闊に手が出せない、不文律と言う法で縛られたエリア。

通称『夜の城通り』。

新宿の歌舞伎町やリュティスの暗黒街に比べればささやかなものだが、それでもトリスタニア最大の暗部。
その道では有名な花街は、今日もきらびやかな光を放っていた。



「ごめんよ」

ひときわ大きい娼館『香魔館』の玄関口で声を上げると、出迎えの男が寄って来て私を胡乱な眼で見る。
髪はオールバックで目つきは鋭い。絵に描いたようなヤクザ者だ。
程なく正体を思い出して態度が急変する。

「これはこれは先生、ようこそのお運びで」

「話は通っているのかい?」

「もちろんでございます。どうぞこちらへ」

やたら丁寧に案内され、私は館の中に入った。

媚薬の匂いたなびく館内。多くの男女がよろしくやっている空間と言うのは、何となく空気からして違う。
幼児体験のせいか、そういうものにはおよそ興味がないと言うか、むしろ嫌悪感が先に立つ私としては何回来ても居心地が悪い建物だ。
この手の仕事は人類最古の商売だと言うが、2番が王様、3番が泥棒とくると、医者と言うのも結構古いんじゃないかと思いながら私は歩みを進める。

黄金の女体像だの噴水だの植え込みだのと、やたら金がかかった広い庭を通り、離れに辿りつくと、予想外に落ち着いた室内に一人の老人が床に伏せっていた。

短髪白髪の、目つきが鋭い男だった。
まるでその男の生きざまのような太い声で私に言った。

「やあ、先生。よく来てくれたな」

「まだくたばっていなかったようだね、ハインツの」

だいぶ生気は抜けているものの、まだまだ頑丈そうな老人だった。
名をゲルハルト・ハインツ。
トリスタニアに巣くう、ゲルマニア系マフィア『ハインツファミリー』の大親分。
町内会の伝手で知り合った大立者だ。

「何、俺も歳だ。だいぶガタが来たところにこのありさまだ。流石に俺もここまでかと思ったぜ」

布団をめくると、炭化寸前の酷い火傷が体の半分を覆っていた。
ガーゼには体液が滲んで布団まで汚している。
重度の熱傷。恐らくファイアボールの直撃を受けたのだろう。

「運がいいこった。一個しかない命だが、大事に使えば一生持つよ。気をつけるんだね」

私は治療用の道具を出しながら今度は鋭い視線をハインツに向ける。

「ハインツの。最後の確認だ。その怪我、組織同士の喧嘩出入りのものじゃないね?」

「ああ、俺の手下だったはねっ返りの仕業さ。裏で糸引いてる奴はいるかも知れねえが、俺が生きてるとなっちゃ、自分がそいつらにやらせましたと言う馬鹿はいねえよ」

「トリステイン系の連中の恨みでも買ったかい?」

「トリステインとゲルマニアが嫌い合ってるのは、王族も俺たち筋者も変わらねえよ」

私は頷いて治療を始めた。

裏の世界と接点を持った時、私は『完全中立』を標榜した。
その負傷が組織間の抗争の結果であった場合、不干渉を貫くために一切の面倒は見ないと言うことは関係者には一貫して伝えてある。
そうじゃなければ幾つ命があっても足りやしない。人の恨みはどこで買うか判らないのが世の中だ。
若手が元気がよすぎると途方もない馬鹿なことをやらかしたりするものだが、今回もそのケースらしい。
ファミリーの新進気鋭の若手の火の魔法使いが、何を考えたのか親父に向かって杖を向け、幹部数人もろともハインツを焼いた。
この辺の話は、町内会で『武器屋』から聞いて裏を取ってある。
私が呼ばれたのも、その時に子飼いの水の魔法使いが死んだためだとのこと。
やってることは国もマフィアも変わりはない。最後にものを言うのは金か暴力だと言うことだ。

ちなみに、マフィアと町内会の間には、ある種の不可侵条約が成立している。
みかじめ料だのショバ割りだのと不当に商人を苛めて回るのがマフィアのようではあるが、ここはトリスタニア、下手なマフィアよりおっかない商人が少なくない。
それでも何回か小競り合いを起こしているが、ある意味最大派閥のマフィアとも言える町内会を敵に回して無事に済むはずもなく、構成員が軒並み毒を食らって全滅する組織もかつてはあったらしい。
ちなみにピエモンはそのころからの武闘派だと聞いた。
そんなピエモンが私を町内会に加えた理由だが、独自の情報網を持つ彼のことだ、恐らく私の出自を知っているからだろう。それが彼のどういう得になるかは私には判らんが。


麻酔をかけて炭化した部位をそぎ落とし、組織に水の秘薬を用いて再生を促す。
治癒の魔法を並行することで真皮から筋組織までこんがりやられた傷を修復していく。

2時間ほどで治療は終わり、ハインツはようやく落ち着いてため息を吐いた。

「終わったよ。3日くらいは大人しくしてるんだね。薬は後で取りに来させとくれ」

「助かったぜ。金はすぐに届けさせる」

「出張手当はちょっと弾んでもらうよ。見送りは要らないからあんたは寝てな」

「すまねえな」



私が帰ろうとしたその時だった。
離れの入り口で案内役をしてくれた男が突然燃え上がった。

何事かと見れば、黄金の女体像の陰から目つきが悪い男が杖を手に姿を見せた。
蛇のような粘っこい目をした男だった。

親分のボディガードが飛び出してくるが、それらが背後から矢を食らって倒れる。
離れの周囲にも数人の敵がいるらしい。

もったい付けたような口ぶりで男が言った。

「余計なことをしてくれたな、先生」

私は驚いた顔も見せずに背後にいる親分に言った。

「ハインツの、追いかけてたはずのはねっ返りにあっさりこんなとこまで迫られるたあ、あんたも焼きが回ったかね。文字通り」

「違えねえ」

ハインツは無理やり起き上がり、杖を手に取った。

そんな私たちをつまらなそうに眺めながら男は言った。

「先生よ、あのままそのジジイががおッ死んでくれれば、俺が頭を張れたんだ。その報い、受けてもらうぜ」

「あいにく、こっちも治してナンボの商売さ。お前さんみたいな仁義外れを治す方法は一つしか知らないけどね」

「水の魔法使いが火の俺に勝てるかよ。御托はあの世で並べなよ、先生」

男が放ったファイアボールを、私は水の壁を繰り出して防ぐ。
すさまじい音と水蒸気が立ち込めた。

「月並みだな。そんなちんけなシールドじゃ俺の火の前じゃもたねえよ」

馬鹿はたいてい饒舌だから助かる。

私は己の中のイメージを練り上げる。



 心を空に
 水のように形を捨てろ
 茶碗に入らば茶碗の形に
 茶瓶に入らば茶瓶の形に
 時に水は流れ
 時に水は破壊する
 水になれ 友よ     



男が続いてファイアボールを練ろうとした時、私の詠唱が一瞬早く完成した。

私の杖の先から一直線に走る細いレーザーのような銀光が男を杖ごと横に薙いだ。
男の目がくるりと裏返り、横一文字に両断された男のパーツがぼとぼとと庭に崩れ落ちた。
背後の女体像がゆっくり傾いで、その上に音を立てて倒れ伏した。

水の鞭の魔法を元に、医療用にウォータージェットメスを研究していて身に着いた魔法だ。
太さ0.1ミリの水流を数万気圧の高圧で打ち出すとこういうことができる。
現実世界でも金属の加工に使われている理屈だ。
土に続く質量系の魔法である水魔法を舐めちゃいけない。
医療用に考えていた魔法を攻撃用に転用しようとしたのは、ある偉大な悪の帝王のアイディアが元だ。
その方の御尊名はディオ様と言う。





「主、御無事で?」

「終わったのかい?」

「既に」

音もなく現れるは我が忠臣。
私が一人片付ける間に野郎の手下数名を片づけてくれていた。
マフィアの本拠地じゃ先に手を出す訳にはいかなかったから、相手に先に手を出させての事後処理だ。
ディルムッドは嫌がったが、これも通すべき筋と言うものだ。

騒ぎを聞きつけて人が集まって来た。後始末は任せてもいいだろう。
警備担当の奴の責任はどうなるのかね。
小指の問題ならまだいいけど、ここはハルケギニアだからなあ。
コンクリの靴とかあるのかしら。

「ハインツの、とりあえず、今回のは貸しにしとくよ?」

「高えもんにつきそうだな、おい」

「だったらこれに懲りて、身の周りはしっかり守るか、年波に従って引退するんだね」

「考えとくよ」







「ああ、徹夜明けの午後の太陽って黄色いわあ」

「夜遊びばっかりしてるからです」

結局一睡もできず、珍しく怒っているテファに鞄を持ってもらいながら、午後の往診に向かう。


そんな一日。



[21689] その8
Name: FTR◆9882bbac ID:80e86311
Date: 2010/09/19 22:29
私には二人の姉がいます。

一人は背が高くて、理知的な顔立ちで、一見冷たそうな感じがするけど実はとっても優しいマチルダ姉さん。
もう一人は、歳と見た目が釣り合っていないけど、私たちの中で誰より頼りになる・・・ヴィクトリア姉さん。




『♪むかしから~体のサイズちいさくて~~前へならえで腰に手をあてた~~~♪』


一日の終わり、お風呂からヴィクトリア姉さんの歌声が響いてきます。
普通はお風呂と言うのは蒸気を使った蒸し風呂なんだけど、この家はヴィクトリア姉さんの『譲れない一線』ということで大きな浴槽のある湯殿が設けてあります。
何だか貴族みたいだな、と思います。
毎日夕食後に魔法でお湯を沸かして入るんだけど、ヴィクトリア姉さんはどんなに疲れていても必ずお湯を張るだけの精神力を絞り出します。
それだけでどれほどお風呂が好きか判ってしまいます。
聞けば、お風呂に入って大声で歌を歌えば、一日の疲れも吹っ飛んじゃうんだとか。
でも・・・。


『♪むかしから~胸のサイズもちいさくて~~スポーツブラから先に進まない~~~~
 AAAカップよ~~~何か・・・文句・・・・う、うぅ・・・グス・・・・』


何の歌なのか知らないけど、最後に泣き出すような歌は歌わないほうがいいと思うのです。
最初には、ヴィクトリア姉さんも私やマチルダ姉さんと一緒にお風呂に入ったんだけど、その時に何だかすごく怖い目をして私たちを見て以来、あんまり一緒に入ってくれなくなりました。
『女の魅力がインフレした奴らめ』とか言っていました。
私なんかより体の小さいヴィクトリア姉さんの方がかわいいと思うんだけど、姉さんは『持てる者の理論』とか言って取り合ってくれません。


そんなちょっと良く解らないところもあるヴィクトリア姉さんだけど、実はスクエアクラスの立派な魔法使い。
先日夜中にいきなり私のところにやって来て、

「テファ、やったよ、スクウェアだよ!」

と大声で騒ぎました。
その日に姉さんがトライアングルからスクウェアにクラスが上がったみたいです。
毎日魔法を使ってお仕事しているし、たまにすごく難しい治療なんかもうんうん唸りながらやってるから、腕が上がるのも当然だと思います。
そのおかげでもっとたくさんの人に疲れることなく治療ができるのが嬉しいみたい。
でも、姉さんの目的はそれだけではありませんでした。
私は今も着けたままのイヤリングを撫でながら思い出します。

ある夜、姉さんは居間で本を読みかけのまま眠ってしまっていました。
起こそうと思った時、開いたページが目に留まりました。

『フェイス・チェンジのルーンについて』

フェイス・チェンジは風と水の複合魔法だそうで、非常に高度な魔法なのだそうです。
水のスクウェアの姉さんでも、風の魔法はまだまだレベルが低いらしく、フェイス・チェンジは使えないのだそうです。
何故姉さんがこの魔法を使おうとしているかといえば、それは恐らく私のためなのでしょう。

アルビオンから逃げてきたけど、私の耳は普通の人にとっては悪魔の印だと言うことで、私は大きな帽子を目深に被って耳を隠し、人目を避けるようにしてきました。
そんな時、ヴィクトリア姉さんが買ってきてくれたのがこのイヤリングでした。
フェイスチェンジの効果のあるマジックアイテム。
姉さんは教えてくれなかったけど、姉さんの手持ちのお金が半分以上なくなっちゃうくらい高価なものだったみたい。
毎日怪しげな古物屋に出向いて何をしているのかな、と思ったけど、これを渡されたときは姉さんが私のことを一生懸命考えてくれていたのを知って何だか嬉しいやら申し訳ないやら。
でも、その時からこのイヤリングが私の寄る辺でした。
街に買い物に出るときも、これがあれば人の目を気にして歩く必要はありませんでした。
親切にしてくれる人たちを騙しているような罪悪感は、少しあります。
でも、姉さんはいつか必ず私が本当の姿を隠さずに街を歩ける日が来ると言ってくれます。
姉さんはああいう人ですけど、身内に嘘をつく人ではないので私は素直にその言葉を信じることにしています。



知らない人が見ればつっけんどんな感じがするヴィクトリア姉さんだけど、本当は誰よりも優しい人だと思います。

姉さんはあまりお金に興味がないみたいで、いつもほとんど利益を乗せないくらいのお金しかもらわないし、生活が苦しい人の場合はもらわないことだってあります。
食べ物も買えないような人には、栄養指導とか言って食べ物をあげちゃったりもしちゃう。
その分、お金持ちの人からの特別な相談の時はびっくりするくらいのお金を請求しています。
あと、私はよく知らないけど、たまに夜出かけて行って、帰ってくるとすごい大金を持っていたりもします。
いくらディーさんが強くても、危ないことしてなきゃいいなと心配になります。

昼間のヴィクトリア姉さんはすごく多忙です。
診療所はいつも患者さんでいっぱいで、中には姉さんと茶飲み話をするためだけに来ているお年寄りもいます。
ただお話をしているだけだけど、それもまた治療の内なんだって姉さんは言っていました。
『心療内科』って言ってたっけ。
午後の往診は動けないお年寄りが多いのです。
その人たちの話を聞き、やがて来る日には息を引き取るのを看取るのです。
お医者様と言うのは生死を見つめるお仕事なんだと姉さんの後姿から学びました。


いつもはお婆さんみたいにのんびりな感じのヴィクトリア姉さんだけど、たまにすごく勇敢な時があります。

ある日、

「子供が巻き込まれたぞ!」

って往診の帰りに、大通りで大きな声が聞こえた時でした。

「何でしょう?」

と私が呟いた時にはヴィクトリア姉さんは走り出していました。
大通りの真ん中に、血まみれで男の子が倒れていました。
周りの人の話だと、貴族の馬車に巻き込まれたらしいのです。
姉さんは男の子に取りつくと、状態を確認してすぐに男の子をレビテーションで持ち上げました。

「時間がない、誰か、軒先を貸しとくれ!」

姉さんが大声で叫ぶと群衆の中から見知った顔が飛び出しました。確かジェシカさん。

「うちを使ってちょうだい、夜までは大丈夫よ!」

やっぱりジェシカさんは気風がいいです。タニアっ子というのはみんなこうなのでしょうか。
男の子を魅惑の妖精亭に運び込むや、すごい速さで鞄からグローブとマスクを取り出して着けると姉さんは男の子のシャツをはいでいきます。
私も負けじと準備を急ぎます。

「腹腔内出血・・・内臓もやられてるね。秘薬じゃ間に合わない。時間と競争だわ」

内臓が潰れているのに加え、お腹の中の太い血管が何本か破れてしまって、このままだと出血多量で死んでしまうのだそうです。
治癒魔法で治すには傷が重すぎ、秘薬で治すには時間がかかり過ぎると言っていました。

「テファ、点滴の準備を。空の瓶を吊るしな」

私は言われたとおりに点滴の用意をしました。
その間に姉さんは男の子にペンくらいの大きさの杖を取り出してルーンを唱えました。
魔法で男の子に麻酔をかけて、次いでブレイドでお腹を切開。
血が噴き出してきて姉さんの顔から服を血に染めていきます。
姉さんは動じることなくルーンを唱えて、吹き出す血を空中でボールのように丸めると、そのまま空の点滴瓶に流し込みました。
自己血輸血というのだと後で教わりました。入りきらなかった血は消毒した容器に貯留しておきます。
これに荷物の中から生理食塩水を取り出して濃度を調節して加え、大腿静脈から輸血しました。ラインは4本。

「テファ、脈を取っておくれ!」

脈が弱い。頑張れ。
姉さんは腹部に取り掛かりきりで、程なく破断した太い動脈が数本ある問題の部位に辿りつきました。
すごいスピードだと思う。
姉さんが言うには、多少しくじっても魔法で元に戻せるから気が楽だっていうけど、それにしてもここまで早いのは初めて見ました。
治癒のルーンを唱えると、押しつぶされたように破れた血管がみるみるうちに修復して行きます。
続いて破裂した内蔵や馬の蹄で挫傷した部位に治療を施し、開始から1時間ほどでお腹を閉じて、最後の治癒魔法で切開した部位を塞ぎました。

姉さんは大きく息を吐いて脱力したように座り込みました。ものすごい短距離走をしたみたいな感じでした。

「テファ、脈は?」

脈を取ると、先ほどより強い脈を感じます。大丈夫、生きてる。

「何とか間に合ったかねえ」

しゃがみこんだままマスクを取って、手袋を外しました。そして、控えていたジェシカさんを見つけて声をかけました。

「すまないが、水場を貸してくれないかい。顔を洗いたいんだよ」

「もちろんよ。奥にあるから好きに使って」

「ありがとうよ。テファ、ちょっとだけ頼むよ」

姉さんが奥に行くと、ジェシカさんが話しかけてきました。

「もう大丈夫なの?」

ちょっとだけ不安げなジェシカさん。

「先生の様子からすると、もう大丈夫だと思いますよ」

「本当に?」

「この後先生から説明があると思います。親御さんの方は?」

「表で待っているわ」

「じゃあ、一緒に説明をいただきましょう」

ジェシカさんはほっとしたようにため息をつき、輝いた眼差しで話し始めました。

「それにしても、見ててびっくりしたわ。誰も動けない中で、倒れてる男の子に駆け寄って。どこの英雄さん、って感じだったわ」

「困った人を見ると、先生はいつもあんな感じです」

そう、私もまた、姉さんに助けられた一人です。

「あれは、アレよね、勇気?あとは、優しさ?」

客商売をやっているだけあって、ジェシカさんは人を見る目があるようです。
自分のことじゃないけど、私も少し誇らしい気分です。
私は頷いて答えました。

「はい。先生は勇気と慈愛の人ですから」

何となく言った一言に、ジェシカさんが反応しました。

「慈愛?」

「ええ」

「ああ、それいいわね。『慈愛』のヴィクトリア。なんかいい響きじゃない?」

「先生は嫌がりそうですけど」

そう言って私たちは笑いました。


そんなジェシカさんが「『慈愛』のヴィクトリア」の名前を方々で宣伝しているのを知ったのは、だいぶ後になってからでした。
教会が怖いので手術のことは内緒ということで関係者にはお願いしましたが、こちらの方は勝手に広まっていってしまったようでした。




『♪~~~~~♪』

気付けばヴィクトリア姉さんはいつものメドレーに入っていました。
ヤシロアキって言ってたっけ?
今日はいつになくご機嫌のようです。

「ん?お風呂は今はヴィクトリアかい?」

洗い物を終えたマチルダ姉さんがエプロンを外しながら居間に入って来ました。

「うん。すっかりご機嫌みたい。あ、お茶を入れようか?」

「いや、いいや」

その時のマチルダ姉さんの顔は悪い人の顔でした。
いわゆる、その、黒い笑顔?

「ふふふ、どれ、久々に家族のスキンシップといこうかねえ」

そのまま、タオルを手に浴室に入って行きました。
基本的に意地悪だよね、マチルダ姉さんも。





『わあ、何しに来たんだい、このおっぱいオバケ!』

『ふっふっふ、久々に、あんたの成長具合を確かめてやろうと思ってねえ』

『や、おやめ、や、やめろ~!にゃ~~~っ!!』




じゃれあう姉さんたちの声を聞きながら、私は目を閉じて祈りました。





お母さん、私は今、とても幸せです。
幸せすぎて申し訳ないくらい。
だから、私は祈ります。
今日みたいな日が、明日も明後日も、ずっと続きますように。





「楽しそうですね」

見ればエプロンを外したディーさんが笑っていました。
いつもヴィクトリア姉さんだけでなく、私たちも守ってくれている頼もしいナイトさん。

「ええ。仲がいいです。羨ましい」

「ならば、テファさんも飛び入ってしまってはどうですか?」

あまりのアイディアに、私は吹き出しそうになりました。

「そうね、その手があったわね」

「行ってらっしゃい」

笑うディーさんを残して、私もタオルを手に浴室に向かいました。







BGM:「牛乳飲め!」(作詞・作曲:デッドボールP *JASRAC管理外)
*[92]ないか様のご指導により一部修正。

【お願い】
本日デッドボールPの動画に行きましたところ、当SSからとの書き込みがありました。
私としましては非常にありがたいことではありますが、先方のご迷惑になりますので
あちらに当SSの情報を書き込むことはご遠慮くださいますようお願いいたします。
先方ないしそのファンからの何がしかのリアクションがあった場合はこちらのSSは
即座に消去する所存ですので、何卒ご賢察のほどをお願いいたします。



[21689] その9
Name: FTR◆9882bbac ID:fb21d9e9
Date: 2010/09/10 18:25
降臨祭が近い今の季節は、日が落ちるのが早い。
サン=レミ聖堂が午後5時の鐘を鳴らす中央広場を、家路を急ぐ人々に埋もれるように一人の少女が夕暮れ時の長い影を引きずって歩いている。
名工が作った人形のような、美しい面貌の少女であった。
小柄な、まだ10歳ほどの子供に見えるが、実年齢はその倍ほどもあると聞けば誰もが驚きを隠せないであろう。
腿ほどまで伸びた髪は、ボリュームがあり、伸ばしていると言うよりは無造作に伸ばし放題のようではあるが、生来の髪質なのかその輝きは健康的なものであった。
色は濃い目の茶色であり、どことなくこの国の王女アンリエッタのそれを思わせるが、この少女が実際にその王女と従姉妹であると言うことはこの街にいる者はほとんど誰も知らない。
身を包む外套は大人しいデザインでありながらも流行りのもので、トリスタニアの街を歩けば数分に一人は見かけるようなありきたりなものであったが、この少女が着ると何故かその服の格が一段上がる様な不思議な気品を少女は纏っていた。

気品はともかく肉づきはいささか寂しい痩せっぽちな体にどこか老婆のような気だるさを引きずりながら、中央広場からブルドンネ街に足を向けた。
宮殿が見えるあたりで小さな路地を曲がり、すぐのところにある小料理屋の扉を少女はくぐった。

「いらっしゃいませ・・・あら、先生!」

接客に勤しむこの店の娘が元気よく声を上げた。。
向日葵のような笑顔で、夕顔のような少女を迎える。
娘はこの少女を知っていた。もっとも、この少女がトリスタニアに流れてきてから数年、この街の平民で少女のことを知らない者の方が今では珍しいのかも知れない。

「遅くなっちまったかね」

「はい、お連れ様はもうお待ちですよ」

娘は案内に立って店の奥に少女を導き入れる。

「最近は親父さんの腰の調子はどうだね?」

「はい、おかげさまですっかり。小麦粉の袋も前みたいに軽々です」

「また無理しないようによく言っといとくれよ。予防に勝る治療はないんだ」

「あら、でもそれじゃ先生のお仕事なくなっちゃうじゃないですか」

「医者なんて商売は出番がなければそれに越したこたぁ無いんだよ。食うに困ったら皿洗いでもやるからここで雇っちゃくれないかね」

「先生なら着飾って看板娘にしちゃいますよ」

しばし考え込み、少女は困った顔で言った。

「お願いだから服は普通の服にしとくれよ」




料理屋の奥にある、個室の小部屋の前に立って娘が伺いを立てる。

「御連れ様がお見えです」

「お通ししてください」

中から聞こえたのは落ち着いた男の声であった。
声を受けてドアを開き、少女が小部屋に入ると、そこに眼鏡をかけた冴えない中年の男が席についていた。

名をジャン・コルベールと言った。
トリステイン魔法学院で教職を務めており、火の魔法の名人でもあった。

「やあ、待たせてすまないね、先生」

「はは、ここでは私が先生かね」

「白衣を着ていない私は、ただの市井の小娘さね」

「これはまた、ずいぶん博識な小娘がいたものだね」



この店の看板料理はフォンデューである。
煮立たせたブイヨンのスープに肉や野菜などの食材をくぐらせて食べるいわゆるスープフォンデューであるが、感覚的にはしゃぶ鍋のそれに近く、いろいろな旬の食材を食べられることもあって、酒の進む庶民の料理としてトリスタニアでは愛されている。

「お、そうそう」

羊の肉を頬張っていた少女は思い出したようにフォークを置き、鞄から小瓶と数十枚の羊皮紙を取り出してテーブルに置いた。

「酔っ払っちまう前に渡しておくよ。いつもの薬と翻訳だ。忘れちまったらまた先生に一日潰してもらわなくちゃいけないからね」

「いや、これはすまない。では、私も今の内に渡してしまおう」

そう言うと、コルベールもまた鞄から数冊の本を取り出す。

「これは写本だから進呈するよ」

「それはありがたいね」

両者の付き合いは、コルベールがトリスタニアにある少女が経営している診療院を訪ねたことから始まる。
まだ40歳ほどでありながら、コルベールの頭髪は後頭部まで綺麗に禿げあがってしまっている。
日頃はあまり気にした風ではないが、内心ではそれなりに気にしているというのが男心というもの。
何より、コルベールは未だに独身であった。髪はあった方が何かと有利である。
本来であれば貴族であるコルベールが平民相手の診療院を訪れることはあり得ないことではあるが、彼もまた世間体を気にする普通の人間であるため貴族が使う治療師は憚られたうえでの苦肉の策であり、また来るものは拒まぬ診療院の門戸は例え貴族であっても邪険に閉じることはなかったために成立した邂逅であった。
問診を終え、恥ずかしげに視線をさまよわせるコルベールに、院長であるところの少女は論理的な説明を講じた。

脱毛の原因としては、

・髭等の発毛や筋肉の発達を促す睾丸から出る男性を男性たらしめる微量要素が毛の根に影響すること。
・脱毛については微量要因はその量が問題なのではなく、毛の根の感受性次第であること。
・毛穴から出る皮脂が劣化し、目詰まりとなって毛の根が窒息すること。
・男性の場合、成長期の終わりと共に頭皮の成長が止まるが、頭蓋骨は40歳くらいまで成長を続けるため
 頭皮が緊張し、皮膚が無毛皮に変質してしまうこと。
・ストレスによる頭皮の緊張も同様。
・可能性としてはこれらの複合要因であること。

等。

これらを解説し、次いで対処法を示した。
すなわち、

・よく売っている毛生え効果を謳った秘薬は全く効果が望めないこと。
・頭皮は清潔に保つこと。入浴はできるだけ頻繁に。
・早寝早起きに努め、暴飲暴食を慎むこと。徹夜はしないこと。
・入浴の数時間前に精製された植物性オイルを頭皮に刷り込み、マッサージすること。

等。

その上で微量要素の働きを調整する秘薬を調合し、定期的に服用することを持って治療とすると告げた。
ここまで言われてコルベールは呆けたように少女の顔を眺めた。
元より好奇心の塊のようなコルベールは事の仔細を少女と話しこみ、午前の診察時間ぎりぎりまで説明を掘り下げた。
少女の方も嫌な顔一つせずに応じ、話し足りないところはまた次回ということでひとまずお開きとなった。

その後もコルベールが診療院に通う度に会話が弾み、やがては自然科学全般の話となり、次いで双方の求めるものの交換が始まるようになった。
コルベールの方は手持ちの読めない書物を少女が読めることを知ってその翻訳を、少女は平民では王立図書館で読める書物が限られるので国内有数の蔵書を誇るトリステイン魔法学院の図書館からの魔法関係の図書の借り出しを望んだ。

その交換は月に2回の頻度で行われており、双方ともにいける口であることもあって大抵の場合はトリスタニアのどこかの料理屋で会合を持つのが常となっていた。


「それにしても」

コルベールは渡された翻訳を読みながら呟いた。そこにあるのは航空力学の基本理論の解説であるが、それを結構あっさり理解するあたりがコルベールが非凡なところであった。

「どうして君は東方の文字を知っているのかね?」

「いい女には秘密がつきものなんだよ」

見た目がアレなこの少女が言うには違和感がある言葉ではあったが、少女の瞳の光がもつ不思議な魅力を知っているコルベールには、その言葉の裏側にこの少女の持つそれなりの含蓄を読み取る事ができた。
少女にしてみても、前世の記憶のおかげで『召喚されし書物』 である工学系の参考書が読めるのだとは言いづらかった。

「それより、その後の具合はどうだね?」

少女の視線が自分の頭に向かっているのを感じて、コルベールはぴたぴたと頭皮を叩いた。

「おかげでだいぶいいようだ。産毛の勢いが強まって来ているように思うね」

「ターミナルヘアに戻すには数年のスパンで考えとくれよ。すぐに生えるということは体の負担も凄いということだから、下手したら変なでき物ができて死んじまうからね」

「怖いね」

「あんたはまだ間に合うが、完全に根っこが死んでる場合だと足の裏に毛を生やせと言うようなもんなんだよ。そこらの薬売りに騙されてぼったくられるのは勝手だが、体壊して運び込まれるところは私の診療院だから困るんだよ」

「なるほど」

「後はストレスが心配だけど、どうだい、最近夜は眠れているのかい?」

「ああ、あまり寝つきは良くないね。貴族の御子息たちを相手の仕事だ、気苦労はそれなりだよ」

「睡眠不足は・・・判っているね?」

「はは、気をつけるよ」

そんな時、窓の外にちらりと動く白い影があった。

「これはびっくりだね、雪だよ」

「どうりで今日は冷えるはずだ」



少女は窓の外に視線を向け、しばし黙って舞い始めた雪の乱舞を眺めていた。
その視線が、妙に遠くを見ているような気がして、コルベールは声をかけた。

「雪を見て、何か思い出すのかね?」

少し間を置き、少女は口を開いた。

「昔の話さね」

「君の昔話か。そう言えば、君はどこの出だったかね」

「北の方さ」

「ラ・ロシェールあたりかな?」

「さて、忘れちまったよ」

「・・・すまない、無粋だったようだ」

「いいんだよ。そう言えば、ちょうどこんな冷えた夜だったねえ」

「何がかな?」

「初めて人を殺してしまった日さね」

ポツリと、石を口から零すような言葉に、コルベールは固まった。
そんなコルベールの強張った表情を気にもとめずに少女はグラスの中のワインを見ながら続ける。

「人を殺しちまった時の記憶ってのは厄介なもんだね。拭っても拭っても油汚れみたいにこびりついて、夜毎夢に出てきて人の眠りを妨げやがる。そうなると酒の量も増えるし、体にもよくないね」

コルベールは無表情になった少女の様子に思考を巡らせた。
この少女も、外見こそ幼くとも、日々人の死に触れる仕事を生業としている。
中には、己の力が及ばぬばかりに命を落とした者がいるのかも知れぬ。
しかし、それだけで日々悪夢に魘されるであろうか。

「後悔、というわけかね?」

探るように問いかけるコルベールを余所に、少女は背もたれにもたれて大きく宙を仰いだ。

「そりゃ、できれば殺したくなんかなかったさ。例え相手が殺されて当然の畜生だと思っていてもね。その時のことは納得できていても、見た光景が本当に何時まで経っても消えてくれやしない。
まあ、消そうと思うこと自体が傲慢なのかもしれないけどね」

「・・・。」

コルベールは、目の前の少女が望まぬ凶状の過去を内に抱えていることを確信するに至った。
医療に関するものとは異なる、自分のそれに近い黒い過去を。
それが、身内に慰み者にされそうになった上での親殺しであったことまでは神ならぬコルベールは知らない。

少女は思い出したように問うた。

「先生。・・・罪ってのは消えるものだと思うかい?」

重い問いであった。
その言葉にコルベールはしばし考え、神に対する宣誓のような口調で告げる。

「・・・どうやっても罪は消えるまい。例え死んでもね。自裁は償いのようで、ただの逃げだ。ならばこそ、少しでも償えるよう、心に刻んで日々を生きるべきなのではないか。少なくとも、私には他に方法は思いつかないね」

「そうだね。罪は・・・あったことは消せないさ。ならば、罪人は赦されてはいけないものかね?」

意外な言葉に、コルベールは微かに息を飲んだ。

「赦すと言うのは難しいことだ。最後に自分を赦すのは、自分しかないのだろう。神か、始祖か、あるいは死んでしまった相手が赦してくれても、恐らく自分で自分を赦せまい」

「では、罪人はどうすればいい?」

「難しい問題だね。私が知っている言葉ではうまくは言えないが・・・そう、消えぬ罪を友とし・・・贖罪の時を積み重ね、やがてその罪を己の血肉とした時に、何とか自分を赦してやれるのではないかと私は思う」

そこまで口にした時、少女が真正面から自分を見ていることにコルベールは気が付いた。

何より雄弁な少女の黒い瞳が、コルベールに自身の言葉をそのまま語りかけているようにコルベールは感じた。
心の奥を、見透かすような闇を湛えた瞳である。

「き、君は・・・」

何を知っているんだ、と問おうとして口を閉じた。

少女の過去の話は嘘などではないのだろう。
コルベールは、少女が医師として磨いた観察眼が、コルベールの所作のどこかに自分と同じ咎人の匂いを嗅ぎつけたのだろうと推測した。
無論、少女がアングル地方であった悲劇のことを前世の知識で知っている等とは夢想だにしなかった。
あの年の、ダングルテールでの記憶は、今なお、彼の心を苛む。
自分が少女に告げた言葉が、そのまま自分に返ってきていることを悟り、コルベールは己が邪気のない罠にはまったことを知った。
コルベールの苦しみを、ほんの少しは自分も判るのだと言う彼女なりの意思表示であるに違いないと思った。


『苦しみ抜いた罪人には、どうか赦しを』


言外に少女が言っているような気がして、コルベールは今一度自分の頭を撫で、自嘲するように笑った。
自分で言いながらも、判っていることであった。
これは、言葉で片付く問題ではないのだ。
もし、この身が本当に解放される日が来るのだとしたら、あの時助けたただ一人の少女が自分に対し、裁きの刃を振り下ろす時に他ならない。


それきり、小部屋から会話がしばし消えた。
ゆったりと沈黙の時間が流れ、フォンデューの微かな泡の音が聞こえた。
やや時を置き、

「あ~、ダメだね」

と少女は今一度宙を仰いで頭をかいた。

「どうにも悪い酔い方をしているようだ。ちと趣を変えようか」

そう言って少女は先ほどの娘を呼び、ホットワインを頼む。
やや考えて、コルベールもそれをオーダーした。



「それじゃ、改めて」

スパイスの効いた熱いワインのカップを少女が掲げる。

「何に?」

受けるコルベールが少女に問い、少女は小首を傾げて言った。

「そうさね・・・いつか来る雪解けのために、ってとこでどうだい?」



カップが合わさる、小さな音が響いた。



[21689] その10
Name: FTR◆9882bbac ID:e07934d6
Date: 2010/09/12 21:00
昼下がり、馴染みの工房のドアを開けると、『アトリエ・マチルダ』の看板の脇にかかった真鍮のカウベルがカランと音を立てた。

「いらっしゃい・・・って、あんたかい」

工房の奥で作業机に向かっていたマチルダが、入って来た女性客を見て笑みを浮かべる。

「そろそろできているんじゃないかと思ってな」

女性客の方はマチルダと違って髪が短く、顔立ちがややきつい。
マチルダを猫とすると、猫どころか猫科の猛獣を思わせる雰囲気である。
名をアニエスと言った。

「いいタイミングだね。昨日出来上がったとこだよ」

マチルダは立ち上がると、作業部屋の奥にある棚から木箱を取り出し、アニエスが立つ受付机まで持ってきた。
木箱を空けると、布に包まれた大ぶりな塊が入っている。
マチルダはそれを手に取り、布を外す。
中から出てきたのは、一丁の拳銃であった。
銃把を向けられると、アニエスは慣れた手つきでそれを受け取った。

「・・・ほう」

思わず感嘆のため息が漏れた。調整が施された銃把は、まるで己の一部になったかのように掌に吸いつくように馴染んだ。
そのまま壁に向かって銃をポイントする。
重量のバランスや部品の角度は想像以上であった。
次いで各部を確認するが、パーツのガタつきは全くなく、程よく油が引かれた可動部分の動きも申し分ない。
どこを取っても非のうちどころのない出来栄えであった。

「見事だ・・・期待はしていたが、これほどとはな」

「言っちゃ悪いが、随分悪い鉄が使われてたよ」

マチルダが取りだしたのは、折れた撃鉄である。
アニエスがマチルダの工房に銃の修理と全体的な調整を依頼した発端は、訓練中に撃鉄が折れてしまったがためであった。

「硬度についちゃ充分なレベルと言えるけど、粘りがダメだね。これじゃ衝撃ですぐに折れちまうよ」

「強度については折り紙つきという触れ込みだったんだがな」

「ただ強いだけじゃダメさ。そこらへんのバランスが私ら職人の腕の見せ所でもあるけどね」

『錬金』の魔法には、いささかプライドを持つマチルダである。

「・・・まあ、これを見せられては納得だな」

生まれ変わったかのような仕上がりの拳銃を眺めながら、アニエスは笑った。

本来は武器専門の工房ではないマチルダの店ではあるが、刀剣や鎧などについても器用に何でもこなしてくれるのでアニエスはしょっちゅうこの店に出入りしていた。
マチルダとはかれこれ半年以上の付き合いになるが、魔法使いが嫌いなアニエスも、マチルダにだけはそれなりの敬意を払っている。
ともすれば取っつきづらいくらいプライドが高いマチルダだが、仕事はそれに見合って余りあるものがあるし、何より年齢が同じと言うこともあって二人は妙に馬が合った。
仕事を離れて酒を酌み交わしたことも一度や二度ではない。
どちらもS寄りの性格というのがシンパシーを呼んだのではないかと、両者を知るどこかの水の魔法使いが思っていることは誰も知らない。

「とにかく、気に入ったよ。『工匠』の名は伊達じゃないと言うことか」

「その二つ名は恥ずかしいからやめな」

「ふふ、まんざらでもないくせに。ほら、代金だ」

革袋を机に置き、マチルダが中を勘定する。

「ん? ちょっと多いよ?」

「心付けだ。いい仕事をしてもらった礼だと思ってくれ」

「ふん、じゃあ遠慮なくもらっておくよ」

「っと、すまんが今日はのんびりもしていられん。夜には夜間訓練があるんだ。これで失礼する」

「毎度。兵隊さんも大変だね」

「大変じゃない仕事などあるまい」






腰に感じる頼もしい重さに、街をゆくアニエスの顔がやや緩む。
復讐の誓いを立てて己を磨きあげ、今では『メイジ殺し』として知られるほどの剣と銃の使い手であるだけに、良い武器には普通の女性が豪華なドレスに感じるときめきのようなものを覚えるアニエスであった。
ここしばらくは訓練に明け暮れすぎたせいで体調が芳しくなく、気力で己を支えてはいるものの滅入りがちな毎日であったが、こういう楽しみがあればまだまだ頑張れるような気がした。

アニエスが異常に気付いたのは工房と練兵所の中間くらいであった。
人々が騒いでおり、見れば青空にどす黒い煙が立ち上っているのが見える。

「火事か!?」

アニエスは走り出した。

大通りから一本入った通りのやや大きめの宿屋が紅蓮の炎に包まれている。石造りの建物が主体のトリスタニアであったが、屋内には可燃物が少なくないだけにこうした火災はしばしば発生する。
野次馬をかき分けて火事場に近づくと、家人と思われる女が大声で喚いていた。

「どうした!?」

駆け寄って大声で怒鳴ると、アニエスの軍装を見た女が

「娘が中にいるんです!」

と涙を流しながら縋りついてくる。

「子供が!?」

燃える建物に目を向けると、炎は間もなく2階に回ろうと言う勢いであった。
アニエスの中の、古くとも今なお生々しいまでに鮮やかな禍々しい記憶が甦って来る。
故に、その行動は半ば反射的なものであった。

「水は!?」

周囲に目を向けるが、防火班の到着はまだであり、バケツなども見当たらなかった。
待っていられる時間はあるだろうかと瞬時に思いを巡らし、アニエスは意を決した。

「これを持っていろ!」

泣いている女に剣を預け、アニエスはそのまま建物に駆け込んだ。

アニエスはシャツの袖で口元を覆って走り回るものの、燃えた建物は予想以上に広く、取り残されたであろう少女を探すにはいささか時間を要した。
吹きあがる炎が髪を焦がし、熱気はじわじわとアニエスの肌を焼いた。
1階に姿がないことを確認し、燃える階段を駆け上って2階に向かう。
部屋は8部屋。
アニエスは遠慮なくドアを蹴り開け、3部屋目で少女を見つけた。
駆け寄って抱き上げると、煙を吸ったのか意識がなく、多少火傷はあるものの幸いなことにまだ息はあった。
抱き上げて一気に階下に降りようとした時、アニエスの目の前で階段が炎に屈して崩れ落ちた。
ならばと駆け戻って窓から屋根伝いに降りるかと思った時、ついに天井の梁が崩れはじめ、その内の一本がアニエスの頭を痛打した。
気が遠くなるほどの衝撃にアニエスは膝をついた。

火勢はいよいよ強く、煙も濃密である。
血を流したアニエスは震える膝を叱咤しながら窓を目指すが、もはや窓は煙を吐き出す煙突と化している。
体内の酸素が不足したアニエスは、朦朧とし始めた意識の中で昔日の記憶を反芻していた。
自分に毛布をかぶせて魔法使いの炎に倒れた女性。
そして己を背負って助け出した男の首筋の傷跡。
復讐のために捧げてきた半生であった。
姿も知らぬ炎の使い手を憎み、それを倒す術を磨いてきたアニエスであったが、よりにもよってその炎に屈するかもしれぬと心のどこかで思った刹那、アニエスの目に憤怒の輝きが宿った。

『死んでたまるか。こんなところで死んでたまるものか』

未だ天命を果たしていないアニエスにとっては、諦めると言う選択肢はありえないものである。
しかし、気力を幾ら振り絞ろうとも、酸素が充分に行き渡らぬ筋肉は思うように言うことをきかない。
煙にやられた目からは涙が零れ落ちる。

『まずはこの子だけでも外に出せれば・・・』

と這いずりながらも窓を目指した時であった。

アニエスは背中に階下から吹いた清涼な風を感じた。
顔を上げると、圧倒的な猛威をふるっていた炎が、広がり始めた濃密な霧の中で勢いを失っていく。
火に直接水を放たなくても、熱を奪うことで鎮火が可能なのだとはアニエスは初めて知った。
振り返ると煙の隙間から、天の使いのように階下からふわりと跳んできた白衣を着た茶色い髪の少女が見えた。
2階に立つと同時に少女は今一度ペンほどの長さの青い水晶の杖を振るい、素早くルーンを唱えた。
放たれたミストが、なおも残る2階の炎に襲いかかり、その勢いを殺していく。
火が消えたところで続く風の魔法が煙を屋内から追い出しにかかった。
ミストがアニエスを濡らし、彼女の涙を洗い流した。

「何とか間に合ったかね」

少女の鈴のような声を聞いた時、緊張の糸が切れたアニエスの意識は闇に落ちた。






気付いた時、窓から差し込む光は既に夕方のものであった。
回りを見ると、見覚えのない器具が並ぶ奇妙な一室であった。

「おや、気が付いたかい」

声の出所に目を向けると、机に向かって書きものをしている白衣の少女が見えた。
歳のころは10かそこら。
大ぶりな椅子が不似合いな少女であった。

「ここはどこだ?」

アニエスは単刀直入な性格であったが、返って来た答えもまたシンプルであった。

「診療院だよ」

「診療院?」

「チクトンネ街のトリスタニア診療院さね」

しばし考え、最近巷で平民相手に貴族並みの治療を施す治療師がいるという噂を思い出した。
確か、『慈愛』のヴィクトリアという水メイジ。

「名誉の負傷とはいえ、だいぶ酷い怪我と火傷をしていたからね。とりあえず治療をさせてもらったよ。火傷はきれいなもんだが、頭の打撲が気になるからね。今夜一晩はここで安静にしとき」

「治療・・・」

そこまで言われてアニエスは思い出した。

「あの娘はどうした?」

「お前さんのおかげで大した火傷もしてなかったよ。もう意識が戻って家に帰ったさ。後で改めて挨拶に行きたいと親御さんが言ってたよ。預けてあった剣はそこにあるだろう」

見ると、枕元に愛用の剣が立てかけてあった。

「とりあえず、あの子の分と合わせて礼を言う。おかげで助かった」

「お前さんの分の礼は受け取るが、あの子の分は受け取らないでおこうかね。あれはどう考えてもお前さんの手柄だよ」

「いや、君がいなければ私もあの子も炎の中で焼かれていただろう。恩に着る」

「あの火の中に飛び込む馬鹿にしちゃ義理堅いね。そういうのは嫌いじゃないよ」

少女は笑いながら書きものから顔をあげて振り向いた。

「あんな火事だ、普通はしり込みするだろうさ。それをお前さんは躊躇うことなく火に飛び込んだっていう話じゃないか。怖かっただろうし、階段が落ちて梁が倒れてきた時は絶望の一歩手前だったことだろうよ。でも、お前さんはそこで諦めずに頑張ったんだろ? 
だから、私が間に合ったんだ。遠慮なく自分の手柄にしておきな」

「・・・理屈が好きなようだな」

「理詰めでいかないと、お前さんみたいな奴は判らないようだからね。とりあえず、今夜は経過観察だ。隊の方には使いを出して災害救助中の負傷と伝えてある。町内会からも事情説明の書面が出るから安心してお休みな」

「手回しがいいな」

「何、時間ができた分、お前さんにお説教をしようと思ってね」

「説教?」

少女はアニエスの傍らに寄って来て椅子に座った。

「お前さん、毎日どういう訓練をしているね?」

「訓練?」

「診察させてもらったが、ぼろぼろじゃないかい、お前さんの体」

少女の言葉に、アニエスは当然のことと思って反論する。

「私は軍人だ。体を鍛えるのは当然のことだ」

「その口ぶりからすると、相当本来の訓練以外のこともやっているね?」

「人と同じことをやっていては人の上には立てん」

「おやおや、これまた馬鹿な子だと思ったけど、予想以上だったかね」

頭を振る少女にアニエスは立腹した。

「物を知らぬ小娘に言われる筋合いはない」

声を荒げるアニエスに、少女は眉ひとつ動かさなかった。

「物を知ってるから言っているのさ。これでも医者だよ。いいかいお前さん、よくお聞き」

少女はアニエスの腕を指しながら言う。

「ここの筋肉一つとっても判るけど、明らかなオーバーワークになっているんだよ」

「オーバーワーク?」

「要するに訓練のしすぎだよ。筋肉だけじゃない。脂肪っけもなさすぎるね。お前さん、生理も不順じゃないかい?」

確かに、月経の周期が安定しないことはアニエスの悩みの一つでもあった。

「ではここからがお説教だよ。体が鍛えられていく過程を知っているかい?」

「鍛練を積めばその分血となり肉となるものだろう」

「間違っちゃいないが、合格点はやれないね」

少女は黒板を引っ張り出して来て筋肉の超回復について説明を始めた。
一度破壊した筋肉は、戻る際にさらに強くなって回復する。
回復した時点で今一度破壊すると次の回復ではさらに強くなる。
それを繰り返すことで筋肉は強くなっていくが、回復の最中に再び筋破壊が起こると逆に筋肉は減ってしまう。
これがオーバーワークである。
故に、鍛錬をするときは負荷と同じくらいインターバルが重要となってくる。
これまでは休むことを怠惰と捉え気力を支えに鍛錬に励んできたが、気力で体を支えることは確かに重要なことではあるものの、限界を超えた訓練はむしろ逆効果をもたらすことを説明され、アニエスは驚きを隠せなかった。

「判り易く言うとね」

少女は天井を指さした。

「あそこにリンゴがぶら下がっているとしよう。手を伸ばしても届かない高さだ。それを取ろうと思ったらどうするね?」

「跳ぶ」

「そう、跳ぶしかない。じゃあ、跳ぶ時に人はどうする?」

「大きくしゃがんで・・・」

そこまで口にして、アニエスは少女の言おうとしていることを理解した。

「気が付いたようだね」

少女は満足そうに笑った。

「そのしゃがむ動作がインターバルさ。一見後退しているように見えても、さらなる飛躍のためには助走も必要だって事さね。休息も立派な訓練なんだよ」

それだけ言うと、少女は先ほど書いていた紙をアニエスの枕元に置いた。

「お前さんの体格と筋肉量に鑑みた基礎体力向上のための鍛錬メニューだよ。参考にしておくれ。あとは・・・」

少女はアニエスの眉間に人差し指を突きつける。

「この辺の皺が減るような生き方をするともっといいね。達人ほど変な力は入れないもんなんだろう?」

そう言って笑う少女ではあったが、目が笑っていないことにアニエスは気が付いた。
吸い込まれそうな黒い瞳に、己が内に抱える黒い想念を、読み取られたような錯覚を覚えた。
まるで、圧倒的に上位の存在から問い正されているような奇妙な感覚であった。
それでもアニエスは腹に力を入れて反論した。

「鍛練については理解はするが、こちらは君の知ったことではないだろう」

「メンタルケアも医者の仕事さね。人に歴史ありってことでお前さんにもいろいろあるたあ思うけど、そんな毎日ストレスを定額貯金しているような面構えじゃ、うまくいくものもいかなくなるだろうよ。何事も、ちょっと物足りないくらいがちょうどいいってもんだよ」

「・・・お節介な医者がいたものだな」

アニエスは諦めて寝返りを打った。



その夜、マチルダが帰ってくるなりアニエスを見て大騒ぎとなり、その果てにアニエスの病室で5人で夕食を摂ることとなった。
口が悪いながらも暖かい交流に巻き込まれ、アニエスは微かに覚えている家族の食卓の片鱗をそこに感じた。



それ以来、アニエスは定期健診を欠かさぬようになり、その度に見ため少女の院長から小言を言われて渋面を作るようになるのはまた別の話である。



[21689] その11
Name: FTR◆9882bbac ID:fb21d9e9
Date: 2010/09/19 02:55
ある日の午後だった。
午前の診療を終わり、テファと一緒にのんびりお茶を啜っていた時である。
入口のカウベルが音を立てた。

「誰かいる!?」

甲高い、何だかやたらに偉そうな声である。
応対に出ようとするテファを制して私は腰を上げた。
大切なくつろぎの時間を邪魔されて少々不機嫌になったが、そこは客商売の辛いところだ。

「診療時間は終わっているが、急患かね?」

スリッパを鳴らして受付に出てみると、そこに小柄な少女が不遜な態度で立っていた。
トリステイン魔法学院の制服に、仕立ての良いマント。
そして、眉目秀麗な外見に、ピンクブロンドの小柄な娘。
全体的に尊大なオーラを放つ発育不良な外見。
残念な、非常に残念なことであるが、私はこいつのことを知っていた。




何しに来た、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。




「あんたが『慈愛』のヴィクトリア?」

私の記憶にある以上に偉そうな物言いだった。
有力な貴族の娘でありながら、世間の失笑を浴びて生きているとこういうキャラクターが出来上がるのかも知れない。
いろいろと程よくひん曲がっている感じだ。
プライドが高いいじめられっ子というのはこういうものなのだろうか。

「そんな大仰な二つ名は知らんが、ここの院長のヴィクトリアなら私だよ」

「ふ~ん・・・」

ルイズは値踏みするように私と院内を見まわした。
ここまで遠慮というものがないと、むしろ腹も立たないから不思議だ。

「埃臭いところね」

・・・こいつは喧嘩の押し売りにでもきたのであろうか?
私も喧嘩の値段には文句をつけないほうだが、あまり安物は買いたくない気分だ。

「それはどうも。御用の向きは何だね、貴族のお嬢ちゃん。どこぞのどら息子に惚れ薬を盛るつもりなら一本通りを挟んだピエモンのところにお行き」

「誰がお嬢ちゃんよ、あんたの方がガキじゃないのよ」

ルイズは私の身長と、胸の辺りを注視して言った。
どいつもこいつも人を見かけで判断しやがる。
本当にピエモンに頼んで石見銀山でももらって来ようか。
こめかみの青筋を笑顔で隠して噴出しそうなものをぐっと飲み込む。

「病人でもないのならさっさとお帰りな。私ゃ茶を飲むのに忙しいんだ」

「そういうのを暇っていうんじゃないの?」

「お前さんと話し合っているより有意義だよ。さあ、帰った帰った」

「待ちなさい、本題に入らせなさい!」

「受付時間外だよ。第一、ここは病院だ。見るからに健康そうなお前さんが来るところじゃないよ」

「あんた、ヴァリエール公爵家の者にそんな態度とってただで済むと思ってるの?」

「ヴァリエールだかエリエールだか知らんが、急患でもないならさっさとお帰りな」

なおも食って掛かってきそうだったのでサイレントの魔法をかけ、血相を変えるルイズをドアの外に押し出す。
ドアに手をかけて抵抗しようとしたが、杖の先っちょで脇の下をくすぐったらあっさり力が抜けた。
無音の中で悶える娘というのはなかなか見ていて面白い。
そのまま一気に外に追い出して、扉にロックをかけた。


『この無礼者! 覚えてなさい! こんなちっぽけな診療所、潰してやるんだから!』

サイレントの効果が切れたら、何とも小物っぽい怒鳴り声が聞こえて来た。
まあ、ドアをドカドカ蹴らないだけましではあるが。
ちなみにマチルダに固定化をかけてもらってあるから蹴ったら足が痛いだけだけど。
それはともあれ、こんな場末の診療所に何しに来たんだ、こいつ。
原作だとこの辺りに来たのって、使い魔召還の後じゃなかったっけ?
まさかお姉さんの診察の話じゃあるまいな。タバサと違って水メイジを腐るほど抱えているだろうに。

そんなことを考えていたら、外の様子が何だか剣呑な感じになってきた。
ひょいとドアの脇の小窓の隙間から様子を伺う。


「おう、貴族のお嬢ちゃんよ」

見ると、どう見ても堅気には見えない柄の悪い男が何人も集まって来ていた。
もともと風紀が良くない辺りだが、どうみてもやーさんにしか見えない連中が数名。それだけじゃなく堅気の面々も集まっており、穏やかじゃない目つきをしていた。

「下郎が気安く話かけるんじゃないわよ」

鋭いガンたれを浴びせられても、ルイズは気丈に応じている。
まあ、普通に考えれば平民の、しかも最下層の連中が公爵家三女に直接話かけるなど本来あり得ない話ではあるが。

「それはそれは失礼しちまったな。だがな、お嬢ちゃんよ、あんた、この界隈でさっき言ったみてえなことは言わねえ方が身のためだぜ?」

「はあ?」

「この街の連中で、ここの先生に手ぇ出す奴を黙って見ている奴ぁいねえよ。潰すだの何のと物騒な脅し文句垂れてると、おめえここから生きて帰れねえよ?」

「いい度胸じゃない。公爵家三女に手を出そうと言うの?」

ルイズは杖を構えて威嚇する。
世間知らずは怖いなあ。

「下がりなさい。それとも貴族に逆らうとどうなるか思い知らせてほしい?」

その言葉に怯むどころか、男たちの殺気が一段と高まった。

「やってもらおうじゃねえか」

と鼻息も荒く先頭の男がずいと一歩前に出た。


潮時だと思った。
怪我人を出されては大ごとだ。私の仕事が増えてしまう。
私は扉を開けて怒鳴った。

「こら~、私ん家の前で揉め事はおやめ!!」

私の出現で、連中の上がった血圧が一気に降下した。
何故か怖い生き物を見るような怯えた視線を私に向けてくる。

「だ、だってよ、先生・・・」

「だってじゃないよ! つまんないことでいきり立ってないで、さっさと仕事終えて家帰って嫁さん可愛がっておやり! ほら、散った散った!!」





成り行きで、私はルイズを診察室に入れることになった。
不本意極まる話だが、帰り道でまたひと悶着起こされてはかなわない。
仕方がないので問診表を片手にルイズと対峙した。

「それで、今日は何の病気だって? デリケートなところでも痒いのかい?」

「違うわよ!」

「大丈夫だ、私ゃ医者だよ。秘密は守るさ。一人で悩むこたあない」

「話を混ぜかえさないでよ!」

なるほど、学院の生徒がこいつをからかっていたのがわかる気がする。
すぐにむきになるあたりは苛められっ子属性の典型だ。
まあ、それだと話が進まないので私のほうから切り出してみることにした。

「で、お身内かい?」

「え?」

いきなりな言葉にルイズは固まった。

「見たところ、お前さんは健康体みたいだし、羽振りも悪いようにも見えない。
水メイジに診せる金に困っているようにゃ見えないとなると、お身内で水メイジでも判らない病気を抱えた人がいて、
ちょっと変わった医者である私のところに来たってとこじゃないか?」

この辺は原作知識が役に立つ。
会話のイニシアチブを取るには相手の意表をつくのが常套なんだが、

「・・・どうしてわかるのかは訊かないでおくわ」

お、流したよ。
学業は優秀と言うのは嘘じゃないな、こいつ。

「どれ、詳しい話を聞こうじゃないか」

ルイズが話し出すと、やはり案の定カトレアの事だった。
話しながらやや悔しそうな表情が見えるのは、本当は自分が魔法を使えるようになって彼女を治したいという妹なりの優しさゆえなのだろう。
その分、ルイズが語るカトレアの病状は詳細だった。
正直、原作では体が弱い薄幸の美女であるカトレアだが、詳しい病状はイマイチ判っていない。
水メイジの腕っこきが揃って挑んで歯が立たない病気。
厄介極まる話だ。

病気には細菌やウイルスによるものや生活習慣によるもの、毒物やストレスによるものといろいろある。
しかしながら、これらはいずれも水の秘薬で治すことはできる。
この世界で自分で手掛けてみても、水の秘薬の効果はすごいものがある。
まさにチート。
何しろ、治癒魔法と合わせれば即死級のダメージでもなければ治癒が可能なくらいだ。
この世界の貴族に子供が少ないのも、この辺が影響しているのかもしれない。
貴族に限って話だが、子供の死亡率が極端に低いのだ。
水の魔法で子供を守ることを6000年も繰り返して、そのために貴族の生殖能力が落ちているというのもありえない話ではなかろう。
あるいは魔法が使える代償として生殖能力が低いのか。
普通なら、貴族といえばグラモン家くらいの数の男子は余裕でいるだろうに、トリステイン、アルビオン、ガリアの御三家の王族は不自然なくらいに子供が少ない。
子供がいてもそれは女子だったりもする。
始祖の血ともなれば、子供が一人しかいないなど地球では考えられない話だ。
考えてみれば、屈指の名門貴族であるヴァリエール公爵にしても跡継ぎが生まれるまで頑張った気配がない。
裏を考えると背筋が冷える話だ。

それはともかく、カトレアの病気は水のメイジにも判らず、魔法でも秘薬でもダメとなると原因はもっと根源的なものと思われる。
可能性として考えられるのが遺伝性の先天性疾患だ。
先天性疾患は水の秘薬では治癒しづらい。
水の秘薬は体を正常な状態に戻すものであり、欠損した遺伝子による先天性疾患は疾患の状態こそがある意味正常だからだ。
とはいえ、一口に先天性疾患と言っても可能性が多すぎてこればかりは診てみないと何とも言えない。
現状では、


どこかを治せばどこかが悪くなる。
体の芯からダメになっている。
魔法を使うと負担がある。
調子が悪いと咳が出る。
治療はできないものの、魔法や秘薬で緩和はできる。


そんな情報しかない。
そう言えば、当直の部屋に全巻揃った『ゼロの使い魔』を読んだ奴が引き継ぎノートにカトレアの病気の所見を書くのが流行ったっけな。
ガンだの白血病といった定番から、糖尿病や心臓病、果ては性病とか書いた奴もいた・・・・・・当直って何だっけ?


話を聞き終わり、私はカルテを閉じた。

「それで、どうなの? 何か判ったの?」

彼女の問いに対する回答は至ってシンプルだ。

「いくつか心当たりはあるけど、実際に診てみないと何とも言いようがないね」

「じゃあすぐにでも診に行きなさい」

即座の切り返しだった。
この辺の思い切りの良さはこいつの美徳ではあるが・・・。
思い込んだら一直線というのは嫌いではないけど、ちょっと直情的過ぎるね、この子。

「それはできないよ、お嬢ちゃん」

「何でよ」

「いきなり平民の医者が乗り込んで『医者です、お嬢さんを診察に来ました』って言って万事スムーズに済むと思うのかい?」

「私が一緒に行くわよ」

「あんたが行っても一緒だよ」

私は椅子にもたれかかって言った。

「言っちゃ何だが、今も姉君には多くの水メイジが治療に当たっているのだろう?」

「当然よ」

「考えてもみるがいいさ。公爵家ともなればいずれも高名な治療師なのだろう。
それを脇から平民の水メイジがでしゃばってきて『治してあげます』なんてことになったらその者たちの面子はどうなるね?」

ルイズは黙り込んだ。
貴族と平民というカーストが絶対のこの国で、そんなことをした日にゃそれこそ私のほうが身の破滅だ。
ルイズだって公爵や母君からお説教を食らうことだろう。

「それに、それだけの水メイジが取り組んで難しい治療を、場末の診療院の水メイジの手に負えるかというの正直なところさね」

「でも、診てみなければ判らないって言ったじゃない」

「それはそうだけどね」

「じゃあ私と一緒にヴァリエール領まで来なさいよ。私の部屋でこっそり診れば誰にも判らないから」

「悪いがお断りだね。幾らなんでもそんなに何日もここを空けられないよ」

「何でよ」

「お前さんの姉君には他の水メイジがいるが、この街の住人には私の代わりはいないからだよ」

「平民のことなんか放っておきなさいよ」

ああ、この娘はやはり貴族なんだな、と思った。
これが才人と触れ合うことで本当に人の痛みがわかる娘に成長していくのだろうか。
少し不安だ。

「お嬢ちゃん、この診療院の扉を叩く者には貴族も平民もないんだよ」

私は諭すように言った。
医は仁術。アスクレピオスの杖の下では人に貴賤はない。
しかし、ルイズの中ではどうにもお気に召さなかったらしい。
眉を吊り上げて私を威嚇する。

「どうあっても治療はできないというの?」

「現時点では私に打てる手はないよ。姉君がここに来てくれれば話は別だがね」





何気なく言った一言ではあるが、この発言を、私は後々後悔することになる。








[21689] その12
Name: FTR◆9882bbac ID:fb21d9e9
Date: 2010/09/20 23:14
「むお?」

朝目覚めると、たいてい私は変な声を上げる羽目になる。
寝相が悪いところに延ばし放題の髪が絡みついて、ベッドの上で一人緊縛ごっこになっているからだ。
しかも髪の量が多いのでちょっとした変死体のようになっている。
いっそバッサリ切ってしまいたいのだが、何故かテファがそれを嫌がり、結果として毎朝ひどい目に遭うことになっている。
乱れないように毎晩寝る前に丁寧に編み込んでいるのに、朝になると金田一さんの見つける死体みたいになっているのは何故なのかは自分でもわからない。
バサバサと手ぐしを入れ髪のラインを整えるが、後ろから見ると何だか茶色い髪と相まってゴキブリのようなシルエットになるからちょいと鬱になる。

寝巻のまま玄関ドアを開け、牛乳受けから牛乳を取り出し、道行く人を眺めながら朝の一杯をいただく。
この至福、知らない人には判るまい。

「ちょっと、ヴィクトリア!」

ぐい~っと煽ったその時、その憩いのひと時を邪魔する声が飛んでくる。
見ればビジネススーツに身を包んだマチルダがメガネの奥から鋭い視線を向けてきている。

「おはようマチルダ。今日は早い時間から商談かい?」

「ああ、おはよう・・・じゃない! あんた、何回言ったらそれやめるんだい!?」

「それ?」

「若い娘がキャミソール一丁で玄関先で仁王立ちで牛乳一気飲みなんて、御町内のいい笑い物だよ!」

随分心外なことを言う女だな、こいつ。

「一日のスイッチを入れる儀式なんだ。ほっといとくれ」

「い~や、家人として断固直してもらうよ!」

「うるさい子だね。小姑みたいな」

「誰が小姑だい。さあ、さっさと着替えてきな。まったくもう。今度やったら許さないよ」

「わかったわかった」


キッチンに入ると、エプロンをつけたディーがテファの手伝いをしながら朝食の配膳をしていた。

「おはようございます、主」

「ああ、おはようさん」

こちらもマチルダ同様にスーツに身を固め、その上からエプロンをつけている。
ちなみにイメージは『Fate/hollow ataraxia』のクー・フーリンが紅茶専門店で働いていた時に着ていた制服をモチーフにしている。
デザインはもちろん私だ。
ついでに言えば、マチルダのスーツも私のデザインで、こちらのモデルはバゼットだったりする。
トリスタニアでは浮くと思ったが、何故か妙に溶け込んでいるから結構不思議ではある。

基本的に我が家では朝食と夕食は皆で摂る。
昼食だけはマチルダの工房があるのがブルドンネ街なので、なかなか一緒に摂ることは難しい。
そのためにテファが二人のために弁当を作っており、それを工房で二人で摘む。

「最近はどうだい、仕事のほうは?」

パンをちぎりながらマチルダに訊くと、瓦版を見ながらマチルダは言った。

「ん~、おかげさんで順調すぎて困るよ。お昼食べる時間もないくらいだわ」

その腕前もさることながら、影で行われているトリスタニアの美女コンテストで第3位に食い込むいろいろとダイナマイトなマチルダである。
誘蛾灯に吸い寄せられる蛾のように世の中のおぢさんたちがせっせと工房に仕事を回しているに違いない。
ちなみに美男コンテストは2位に大差をつけて我が使い魔が連勝記録を更新中だ。
そんな二人が経営する工房が暇なわけがないものの、見ればちょっとお疲れ気味のマチルダ。
張り合いがあるのはいいけど、目は輝いていてもお肌は正直だ。
化粧ののりが良くないのは見ていてもわかる。
考えてみれば、私もマチルダもテファもディーも、トリスタニアに流れてきてから休暇なんか取ったことなかったな。

「冬が来る前に、一度どっかに羽を伸ばしに行かんかね?」

「羽?」

瓦版から顔を上げてマチルダが奇妙な顔をする。

「どこかの田舎でのんびりと命の洗濯をするんだよ。旅籠にでも泊まって美味いワイン飲んで、美味しいもの食べて」

マチルダはやや視線を漂わせ、その光景が想像できたらしくニカッと笑った。

「いいねえ、どこにしようか」

「何、何の話?」

脇からティファニアが割り込んでくる。考えてみれば、この子は生まれたときから籠の鳥で、レジャーなんてものは経験したことなかったはずだ。
テファの初めてのレクリエーション。
うん、我ながらいいアイディアじゃないか。

「みんなでお休みを取って、ちょっとどこかに旅行しようという話さね」

「旅行!?」

「のんびりしたところで美味しいもの食べて、ゆっくり体と心を休めるのさ」

テファはしばし考え込み、そしてスイッチを入れたように笑った。

「素敵だわ。すごく楽しみ!」

「どこか行きたいところがあったら考えといておくれ。ディー」

私が呼ぶと、食卓の端に座ったディルムッドが即座に応じる。

「は、留守はお任せください」

「馬鹿言ってんじゃないよ。お前さんも行くんだよ」

「い、いや、しかし」

「女だけの道中なんて物騒じゃないか。忠勇な騎士が一緒に来ないでどうするんだい」

考えてみれば、マチルダがいれば盗賊だの追剥だのがいても怖くてなんともない。
むしろマチルダの性格からすれば狩る者が狩られる者になるだけだが、ディルムッドも私たちの家族だ。おいてきぼりという選択肢はありえない。
とはいえ、忠義に篤いこのフィアナの騎士は、事あるごとに私を上に置こうとする。
今現在食卓で一緒に食事をしているが、それだって紆余曲折が凄かった。
頑として食卓を共にしようとしないので、
「食卓を共にできぬというのであれば雇いを解く。どこへなりとも消えるが良い」
と前田慶次ばりの最後の切り札を使う羽目になった。
彼の信条的に受け入れがたいところを突くあたりは、私もケイネス・アーチボルトを悪し様には言えない外道だと思う。

ちなみに、ディルムッドの召還については純粋に虚無魔法であるサモン・サーヴァントの術式によるものであって、聖杯システムのそれとは違うらしい。
実際、私の体には令呪は刻まれていない。
何故に聖杯の力も使わないで英霊を呼び出すことができたのかは判らない。
触媒だってあの時はなかったし、何より、使い魔召還でまさかこんな霊格が高い存在を呼び出せるとは思ってもいなかった。
おかんの宝石箱の中に場違いな工芸品のように何か彼に縁がある品でも入っていたのかも知れんが、素人の私にはよく判らない。
もしかしたらの話だが、不完全ながらも前世の知識を持った私がここにいることから推測するに、聖杯システムとサモン・サーヴァントのシステムの他に、どこかの誰かが作った転生システムのようなものがあってそれらが混線したのかも知れない。
万が一それがマキリ・ゾリンゲンとやらのデザインしたシステムだとしたら、ブリミルと妖怪ジジイの同一人物説をまじめに考えたくなる話だ。

閑話休題。

正直ありえないこと、判らないことだらけだが、ここにこの高潔な騎士がいてくれて、私にはもったいないほどの忠義を捧げてくれていることは事実だ。
彼が望む誉と勲ある戦いを提供してあげられないは私の不徳の致すところではあるが、できればそんな戦いはないに越したことはないとも思う。
これでも君子の端くれのつもりなのだ。

そんな穏やかな会話が紡がれた朝だけに、穏やかな一日が穏やかに流れるものと私は思っていた。
その時までは。




季節の変わり目は結構体調を崩す人が多い。
贔屓目に見てもハルキゲニアは平民の医療が発達しておらず、多くの場合は民間医療を中心とした自己免疫で治すのが主流のようだ。
お金をかけて病魔と対峙するという感覚が希薄であり、いよいよひどくなって初めて水メイジに高いお金を払って頼み込んで治すというのが定番である。
地獄の沙汰も金次第というが、お世辞にも裕福とは言えない平民の生活において、医療に回すお金は潤沢ではないらしい。
私の仕事が成り立つのもそういう土壌あっての話ではあるが、やはり根付いた感覚はなかなか払拭することがきず、今なお来院する人は二進も三進も行かなくなった重篤な患者であることが多い。
それだけに、来院した患者には懇切丁寧に原因と病気との因果関係を説明し、予防に努めるよう指示している。
また、『昼』の町内会では毎度公衆衛生について一席ぶち、その甲斐あってか徐々に街がきれいになってきているので感染症のようなものは今後段階的に減ってくるものと思われる。

ここしばらくは夏の疲れから風邪をこじらせて肺炎まで起こしている患者が多かったが、幸いにも今日は至って平和であり、暇をもてあましたお年寄りがのんびりと待合室で歓談しているような午前中であった。
私もただ問診をして触診し、対処法を伝えるだけで終わってしまう診察を幾人か繰り返すだけで時が進む穏やかなひと時だった。

異変が起きたのは、診察時間が終わろうとしている昼前のことだった。
聴診器で呼吸器の音を聞いていると、何だか待合室の方が妙に静まりかえっている。
先ほどまでは町内お達者クラブな方々がさえずっていた筈なのだが、今はしわぶきひとつ聞こえない。
まるで森の小動物が猛獣に怯えて逃げ出した後のような気配すら漂っているのに気がついた。
はて、今日はこの患者さんで最後なのか?
そんな様子を気にしながらも目の前のお婆さんの診察を終え、カルテに所見を書き込んで受付に声をかける。

「次~」

「は、はい」

何故かテファがどもった。
明るく朗らかなテファにしては珍しい。

この時になって、ようやく私の心の中に嫌な予感というのが芽生えた。
野生のジャングルでは私は生き残れないに違いない。

ドアが開いて、次の患者が入ってきたとき、私はすべてに合点がいった。


第一印象は桃色だった。
仕立てのいい、腰がくびれたドレスを着こなし、羽飾りがついた大きな帽子を被っている。
その大きな帽子の下から、思わず引き込まれそうな愛嬌ある美貌がのぞいていた。



ありえん。



真っ白になった思考の中で、私は太ゴシック体でそう思った。
今日の朝から続く穏やかさが嵐の前の静けさだったとしても、この嵐はあんまりである。
むしろ、頭を下げて耐えていれば去ってくれる嵐のほうがまだ可愛げがある。



「はじめまして、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌと申します」



花のような微笑を浮かべた災厄の化身が、にこやかに自己紹介した。


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