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<究める>体内時計の全体像、「自分流」で解明…生命科学界に新風 上田泰己・理化学研究所プロジェクトリーダー

新たな成果を報じる論文の原稿が届いた。一流の研究者たちを納得させるだけの力があるか? 鋭い視線を注ぎ、時に黙考する(神戸市中央区の理化学研究所で)=原田拓未撮影

 「指導教官に与えられたテーマを面白くするのが重要なんだよ」

 1999年の初夏、東京・本郷にある東京大医学部。学部卒業を控え、大学院進学の相談に訪れた23歳の上田泰己に、ある高名な教授は冷たい視線を浴びせ、突き放すように言った。

 教授がへそを曲げるのも無理はない。上田は「製薬会社に雇ってもらって体内時計の研究をしたいのですが、先生の研究室に受け入れてもらえませんか?」と持ちかけたのだ。大学院進学を目指す身でありながら研究テーマを自分の興味で決め、さらに企業で独自に研究を進めようとする。徒弟制度が色濃い日本の大学ではふつう、あり得る話ではない。

 「やりたい研究を全うできる機能が大学にはないから、民間企業の研究室を借りるんじゃないか。それが僕のスタイルだ」。意思を曲げなかった。

 そんな上田を、“放牧主義”をうたう薬理学の飯野正光教授が受け入れた。翌年春、山之内製薬(当時)が社員として雇い入れ、飯野研には同社が派遣した研究員として所属。物理学や数学、機械工学を生物学の分野に持ち込み、生命科学界に新風を注ぎ続ける上田だが、研究者としての一歩を踏み出した時から、「自分流」を貫いた。

 高校1年の頃、突然わき起こった疑問に心が揺れた。「人って、何?」――。

 根源的な謎に、答えを得る手段がほしい。文学や哲学が助けてくれるだろうか。いや、科学を使わないと、本質を外れ、堂々巡りするだけだろう。そう考えた少年は医学の道を選ぶ。

 東京大医学部に進んだが、研究しか眼中になく、医者の選択肢はなかった。物理学の講義に潜り、夜はソニーコンピュータサイエンス研究所の北野宏明(人工知能学)の下で研究アシスタントとして働いた。

 99年、北野は新たな生物学の研究分野を開く。遺伝情報やたんぱく質の構造など生体機能を巡る膨大なデータを使い、コンピューターで機能を仮想空間に再現して観察する「システムバイオロジー」だ。学部5年の上田はその現場にいた。折から大腸菌や酵母、線虫のゲノム(全遺伝情報)解読の成果が国内外で発表され、「人のなりたちを探る材料が与えられた」と感じていた上田は、この新しい生物学に飛びついた。

「人とはどんな存在なのか」。そんな根源的な問いを胸に、東京大医学部で研究の道を歩み始めた(中央が上田さん)

 茨城県つくば市にある山之内製薬の研究所は、当時大学にはなかった一度に大量の遺伝子の働きを解析する装置を備えていた。そこで上田は体内時計の研究に没頭することになる。

 生物の体の中で時間のリズムを刻む体内時計。すでに関係する遺伝子が幾つか見つかっていた。生物の営みをつかさどる基本システム。これを標的に据えれば、少年時代から考えてきた疑問の答えに近づけるのでは、と感じた。

 まず取り組んだのは、体内時計を動かす遺伝子のふるまいの観察。これを試験管内で行う方法はないか。遺伝子を組み込んだ細胞を直接、いくつも同時に観察する手法はどうだろう。

 分子生物学の専門家に伝えたら「できないだろう」との答え。「なぜ」を重ねるといろいろと説明はするが、結局「誰もやったことがない」だけの話だった。やってみると、細胞が時を刻む信号が微妙だが、規則正しい振動に見えた。ノイズを取り除くと、くっきりと目の前に現れた。研究を始めて、1年半ほどたった頃のことだ。

 一気に仕事を進め、夜、朝、昼に8時間ずつずれて働く遺伝子のスイッチを見つけた。体内時計の全体像を見極めた成果は論文になって2005年、海外の一流学術誌を飾る。

 一連の出来事で上田は教訓を得た。「わかっていないことがあるなら、無視すべきじゃない。徹底的に追究するべきなんだ」

 178センチ、すらりとした長身に端正なマスク。サッカーが好き。ツイッターでのつぶやきも軽やかで、女性ファンも多い。そんな今風の空気を身にまとい、三つの大学で教鞭をとり、その合間に海外を飛び回る。だが、多忙の中でも貪欲に学び続ける。それが上田の原動力だ。

(敬称略、増田弘治)

 5〜6月のシリーズに続き、世界をリードする研究者を紹介します。

朝、昼、夜8時間ずれて遺伝子活動

 ほぼ24時間のリズムを刻む体内時計は多数の遺伝子が相互に働き合って作られていることを、システムバイオロジーの手法で解明した。

 全身の体内時計の司令塔とされる脳の視交()上核と、様々な臓器の中でも体内時計が見つかっている肝臓で遺伝子を分析し、2002年に脳で101個、肝臓で397個の遺伝子が24時間周期で変動していることを発見した。05年、体内時計にかかわる遺伝子のうち、特定の16個には、朝・昼・夜に活動するためのスイッチとなる構造が、それぞれあることを解明した。

 09年には、体内時計のリズムを48時間に延ばす物質を見つけ、時計の狂いによって起きる病気の治療に役立つ成果と期待されている。

 うえだ・ひろき 1975年福岡市生まれ。2000年に東京大医学部を卒業。同大学院在学中に理化学研究所からスカウトされ、03年、最年少の27歳で神戸・ポートアイランドにある「発生・再生科学総合研究センター」の研究チームリーダーに採用された。現在、システムバイオロジー研究プロジェクトリーダー。森脇大五郎あたますっきり賞(ショウジョウバエ研究会、01年)、東京テクノ・フォーラム21「ゴールド・メダル賞」(05年)、日本時間生物学会学術奨励賞(07年)、日本IBM科学賞(09年)。京都大教授、大阪大理学研究科連携大学院招聘(しょうへい)教授、徳島大、国立遺伝学研究所客員教授。35歳。
2010年9月20日  読売新聞)
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