がん治療の最前線を取り上げた小紙記事について先日、がんを患っておられる方から支局に電話があった。がんにつきまとう不安や悩みはがんに直面した人でなければ分からないだろうが、その切実さは受話器の向こうから十分伝わってきた。
9年前、父は肺がんで亡くなった。中でも、やっかいな小細胞がん。検査で分かった時には手遅れだった。記者になって残酷な殺人事件や悲惨な事故など人の生き死に、を何度も取材してきたはずなのに、医師から父の余命を知らされた時は覚悟はしていたが、つらかった。
我々は医師と病院を信頼するしかない。父は病を受け入れ、病院側も外科手術や抗がん剤投与、痛みを緩和するモルヒネなどあらゆる手を尽くしてくれた。入退院を繰り返すうちにさすがに父も悟ったのか。「悔いのない素晴らしい人生だった」と言ってくれた。安らかな最期だった。
1926(昭和元)年生まれ。単身で旧満州(現中国東北部)に渡って大陸で働いた。シベリア抑留4年に耐えた男の気骨か。がんは全身に転移していたが、父から弱音を聞くことはなかった。
父の自慢話をしたかったのではない。8月、下関面で「心、紡ぐ夏 戦後65年の記憶」を連載。父を含め第二次世界大戦で、多くの人が戦争で人生を変えられた。当時の若者が汗水流して今日の日本を築いたのは紛れもない事実。65年がたち、若者はお年寄りと呼ばれるようになった。20日は敬老の日。所在不明の高齢者、年金の不正受給、お年寄りへの虐待など後を絶たない。苦労してきたのに「老後はこんなものだったのか」と思っている人は少なくない。
病気や老後の生活など将来に不安を抱く人がどれほど多いか、支局にかかる電話で分かる。さあ民主党代表選が終わった。約束通り挙党態勢で、山積する問題にあらゆる手を尽くしてほしい。<下関・三嶋祐一郎>
〔下関版〕
毎日新聞 2010年9月20日 地方版