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元米兵捕虜:「謝罪まで戦後終わらぬ」 訪日中の元捕虜ら、使役企業に対応訴え

 日本政府の公式招待で訪日している元米兵捕虜6人とその家族らは、第二次大戦当時に強制労働を強いた日本企業を訪ねるなど、謝罪を求める旅を16日まで続けた。一部の日本企業が話を聞き入れたことを高く評価したものの、謝罪の言葉はなかったため、元捕虜らは「申し訳ないとの言葉を聞くまで戦後は終わらない」と日本企業に謝罪への前向きな対応を求めている。

 6人は16日には世界各国の軍人が追悼されている京都市の霊山観音を訪問。17日には東京で記者会見する。

 6人は第二次大戦中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となり、日本などで強制労働に従事させられた。

 米陸軍航空隊の元兵士、エドワード・ジャックファートさん(88)は14日、強制労働に従事した川崎市の「昭和電工」川崎工場を訪問した。

 関係者によると、昭和電工では同社の総務部長が応対。かつての工場跡地なども見学した。ジャックファートさんは「補償ではなく、謝罪してほしいだけ。つらい記憶に苦しんでいる人たちを解放し和解を進めたい。上層部に伝えてほしい」と求めると、総務部長は「承知しました」と応じたという。

 一方、ジャックファートさんが強制労働させられた三井埠頭(現在の太平洋セメントの子会社)は、14日、ジャックファートさんを受け入れなかった。

 「『アイム・ソーリー』という言葉を65年待った」と話すジャックファートさんは、昭和電工の受け入れについて、「これを契機により良い日米の和解につながると願っている」と一定の評価をした。

 元捕虜らは99年以降、日本企業に賠償と謝罪を求め米国で提訴。03年、連邦最高裁は「サンフランシスコ平和条約で賠償請求権は放棄された」と訴えを認めず敗訴が確定した。

 元捕虜らは「企業には謝罪する道義的責任はある」として経団連にも対応を求めてきたが、回答はない。強制労働を行った企業の一つは毎日新聞に「賠償につながるため回答できない」と説明した。

 ジャックファートさんは1942年5月、ミンダナオ島で捕虜となり、日本に移送された。昭和電工や三井埠頭などで、爆薬の原料である硝酸アンモニウムを容器に詰める作業や岸壁での米袋の積み下ろし作業などに従事した。点呼で自分の番号をうまく言えないと殴られた。わんに半分ほどの米飯とみそ汁が与えられたが、約60キロの体重は約45キロに激減したという。【隅俊之、春増翔太】

毎日新聞 2010年9月17日 東京朝刊

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