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最終更新:2010年9月20日(月) 9時49分

旧日本軍捕虜の米兵ら、戦後65年の訴え

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 第二次大戦中に旧日本軍の捕虜となり、日本の工場で労働を強いられたアメリカ人兵士らがいました。戦後65年、日本政府の招きで先週、来日した彼らは何を訴えたのでしょうか。

 「日本との和解と友好のために、ここに来ました」(エドワード・ジャックフェルトさん)

 エドワード・ジャックフェルトさん、88歳。第二次大戦当時、アメリカ陸軍の兵士だったジャックフェルトさんはフィリピンで旧日本軍の捕虜となり、その後、川崎市の収容所へ移送されました。

 日本での捕虜生活は、およそ3年間。この間、収容所からいくつもの工場に連れて行かれては労働を強いられたといいます。

 「私たちは武器製造の仕事を強制させられていた。つまり、アメリカ軍に対して使う日本軍のための武器を製造したのです。自分の政府に対して戦うということを考えるだけでも嫌な気分だった」(ジャックフェルトさん)

 捕虜たちは「終戦」も、日本の収容所で迎えました。爆撃機のB29がアメリカ人捕虜に向けて食料を投下、群がる日本人にジャックフェルトさんらは、その一部を分け与えたといいます。

 先週、終戦以来はじめて日本を訪れたジャックフェルトさん。65年ぶりに元アメリカ人捕虜たちが、強制労働させられていた工場に入っていきます。

 当時、日本には、およそ2万7000人のアメリカ人捕虜がいました。このうち、今も生存する元捕虜らが日本政府や企業に対して、謝罪を求めています。

 「日本国政府を代表して、外相として皆さんに心からおわび申し上げます」(岡田克也外相〔当時〕)

 先週、彼らと面会した当時の岡田外務大臣は「謝罪の言葉」を述べました。日本政府は今回、元捕虜6人をはじめて日本へ公式に招待しました。謝罪の姿勢をみせる政府に対し、企業の側からは未だ明確な謝罪の言葉はないといいます。

 「なぜ65年もたってしまったのか。なぜ30年前に何かしなかったのか。補償の問題ではない。ただ座って話してほしいのです」(ジャックフェルトさん)

 日本人に対する恨みはない。ただ、当時何が起きていたのかをわかって欲しい・・・。アメリカ人捕虜たちの思いは、戦後65年を経た今も変わりません。(19日17:38)