社会民主党 福島瑞穂党首 申入書 NO1
社会民主党 2003年(平成15年)12月11日
党首 福島 瑞穂 殿
申入書
〒540−0008
大阪市中央区大手前1−4−2
都創大手前 505
女性共同法律事務所
電話 06−6947−1201
FAX 06−6947−1203
A代理人 弁護士 雪 田 樹 理
〒160−0003
東京都新宿区本塩町4−4 祥平館ビル
東京中央法律事務所
電話 03−3353−1911
FAX 03−3353−3420
A代理人 弁護士 菅沼友子
記
第1 申し入れの趣旨
当職らは、A代理人(被害者プライバシー確保を十分なものにするため、
本申し入れ書では匿名標記とする。匿名としても貴党においては十分認識
可能である。)として、貴党に対し、以下の点に関し、公党としての公約及び
立党との根本精神に基づいた責任を果たすべく、適切かつ誠意ある対処を
迅速に行うよう、強く申入れる。
1 阿部知子衆議議員議員の第一公設秘書である岡本隆吉秘書が、2001年
(平成13年)9月24日から翌 2002年(平成14)年4月に至るまでの間、
Aの国立機関でのセクシュアル・ハラスメント(以下、「前件セクシュアル・ハ ラスメント」」という。)の被害救済活動に議員秘書としての立場や経験を
活かして中心的な役割を果たしており、同人の協力が得られなければ
それらの活動がすべて頓挫してしまうとの強い恐怖をAに抱かせ、Aが拒否
できない立場にあることを利用して、複数回にわたって性暴力を行い、
Aの心身に回復不能なほどの被害を与えたこと(以下、「本件セクシュアル ハラスメント」という。)に関し、公正な調査を行った上、公党としての見解を
示すこと、及びAに対して正式に調査すること。
2 加害者ら関係者に厳正な処分を行うこと。
第2 本件申入れに至る経過
1 Aは、1998年(平成10年)4月、助手として勤務・研究に従事していた
国立の研究機関において、上司である研究室長から、セクシュアル・ハラスメ ントの被害を受けた。研究室長は、いったんは加害を明確に認め、公式な
謝罪等を含む示談が成立した。ところが示談成立後、研究室長は態度を
一転させて加害事実の存在を否定するに至り、他の職員も室長に迎合
する等してそれに同調等したため、Aは、同研究機関での勤務。・研究を
断念することを余儀なくされた。また、Aが虚偽の主張を行ったかのような
風説が当該研究機関外にも広められrたため、Aが他の研究機関に
勤務・研究する場を見つける道は事実上、閉ざされてしまい、それまで
努力して積み上げられてきたキャリアを断念せざるを得ない状況に
追い込まれた。
Aは何とかこの状況を打開したい考え、当該研究機関の管轄長である
厚生労働省のセクシュアル・ハラスメント相談窓口に対し、室長の
上記行為に関する調査と、自らの職場復帰を含めた適切な救済を
求めたが、被害者からの事情聴取は行われrず、加害者の一方的な
言い分だけで、1999年(平成11)年9月、「訓告」という曖昧な形で、
終了されてしまった。
2 それでもAは自己の回復を図ろうと、基礎からやり直すことを覚悟で、
専門分野を変更し、キャリアの再構築を模索して必死に努力する一方、
先の示談後の時代の中で失った研究者・専門家としてのキャリア
と人間としての尊厳を何とか回復したいと願い、その方策を探し続けた。
Aの訴えは、セクシュアル・ハラスメントを訴えたことによ対する報復や
救済手続きの中で、更なる加害などいわゆる「二次被害」を深刻な
問題であると考えていた有識者(戒能民江 お茶の水大学教授や金子雅臣 氏など)や、被害者支援関係者らの共感を得るところとなり、2001年
(平成13)年4月、同人らの支援を受けて、二次被害に対する損害賠償
請求を求める民事訴訟を提起した。(本年3月27日、加害者が再び加害
事実を認める勝利的和解で終了)。
そして、同時に厚生労働省に対し、公正なセクシュアルハラスメント調査を
行うよう求めていくこととした。
3 社民党議員らは、初期の段階から前件セクシュアル・ハラスメント事件に
関わっていた。Aは、示談後に室長が否認に転じて間もない頃。人事院の
セクシュアル・ハラスメントに関する規則を使って事態を打開することは
出来ないか、福島瑞穂参議院議員に相談した。その時はまだ、同規則の
制定直後であり、未だ事例の集積がないということで、具体的なアドバイス
を受けることはなかった。その後、あが提訴するにいたり、2001年
(平成13)年5月に支援の集会が開かれた際、福島議員の斉藤文栄秘書
が出席し、行政交渉等で力になりたい旨を発言し、厚生労働省との連絡・
行政交渉の設定などに議員秘書としての立場で関わるようになった。
4 Aは、2001(平成13年)6月、厚生労働省に対する情報公開制度の活用
に関し、支援者から、阿部知子第一公設秘書である岡本隆吉秘書を紹介
され、支援者らと共に同人を訪ねて国会議員会館に出向き、同人と初めて
会った。
岡本は、情報公開制度や医療被害に関する市民活動n経験が豊富であり、
Aに対する具体的なアドバイスを行うと共に、Aの事件解決のため、社民党
阿部知子事務所としても、協力することを支援者の前で約束した。
このようにして、岡本は、同年8月から始まった厚生労働省との交渉に関し し、前期の斉藤秘書と共に、窓口となって参加し、交渉の段取りや事前折衝 などに尽力するようになり、厚生労働省との交渉に関して中心的な役割を
果たした。また、国会でのセクシュアル・ハラスメントの被害者救済に関する
質問趣意書を提出して答弁を引き出す事を提案したり、(実際に、2002年
(平成14)年4月8日に阿部知子議員が提出)、情報公開制度を活用して、
厚生労働省n以前の調査資料を入手する等、自らの持つ経験や知識を生か し、民事訴訟を含む運動全体にリーダーシップを発揮するようになり、
支援者らからも、絶大な信頼を得るに至った。
5 Aにとっても、岡本は前件セクシュアル・ハラスメントの救済活動全体にとって
もなくてはならない人物であった。ところが、2001年(平成13)年、9月24日
以降、岡本はその自らがAに対して有している絶大な権力を振りかざし、
Aに対して性暴力を行うようになった。前件の被害からようやく回復の途を
見出しつつあったAは、その協力者であるはずの岡本からの性暴力を受ける
という信じられない事態に直面し、非常に混乱し困惑した。最初の被害にあっ た直後である同年10月、Aは、支援者および民事訴訟の代理人であった 加城千波弁護士に。岡本からの性暴力被害を受けた旨を相談したが、
民事訴訟や行政交渉のことで世話になっている立場で公にはできない、
個人的に対処しろ、などと言われ、また、どうしてあなたばっかり被害に会う
のか、と責められた。Aは孤立無援の状態となり、すっかり自身を喪失し、
生きる力さえも尽きんばかりの状態となった。Aはそれでも、対外的に
救済を求め、。関係公共機関への相談や、上記弁護士に代わって民事の
代理をしてくれる弁護士探しを試みた。しかし、具体的な救済の途を見出す
ことは出来なった。
他方で、岡本はAに対し、機嫌を損ねるようなことになったら本当に生存基盤 を失ってしまうことになるという強い恐怖心を抱かせた。そのためAは、岡本t
二人になることを拒むことは出来なかった、岡本からの性暴力に対しては、
その度に必死に抵抗したり懇願する等して阻止しようと努力したが、
翌年1月中旬には、心身の極度の衰弱状態の中で、究極の性暴力を受けるに
至った。このような加害は同年、4月まで続いた。
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