きょうのコラム「時鐘」 2010年9月20日

 コンビニに入ると、おでんについ目がいく。日ごと恋しさが募る時節になった

お盆過ぎから並んでいたはずで、猛烈な残暑が続いても「意外に売れました」と店員は言う。アツアツを食べてたっぷり汗を出すという流儀だろう。随分と威勢のいい人が増えた

酷暑の後はゲリラ豪雨。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」と、引き続き元気を出さねばならない。雪にも夏の暑さにも負けぬ、と頑張るのが、詩人・宮沢賢治と同じ北国育ちの心意気である

一日に玄米四合とみそと少しの野菜を食べ、と詩は続く。これはできない相談。こんな無理難題に近い願いが結構あるのだが、「雨ニモマケズ」は大勢の人に愛唱される不思議な詩である。南に死にそうな人がいたら、行ってこわがらなくてもいい、と言おう。そんな一節もある。せめて慰めの言葉を掛け、孤独な死を迎えさせてはならない。詩人はそう歌う

これは無理難題ではあるまい。悲しいかな、そんな思い込みを裏切る不条理な出来事が、際限のないほど明るみに出てきた。美しい詩は、そうでない現実を映す鏡なのか。複雑な思いで「敬老の日」を迎える。