言葉が意味を超えてロックになった
女呼んでブギ/サザンオールスターズ
78年 作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
* 女 呼んで もんで 抱いて いい気持ち
夢にまで見た Rug and Roll 女なんてそんなもんさ
あんたに声かけられりゃ 女は迷う
それがうそだとて 女はチョイトだめなんて言わねえさ
あんたもてるね 気になる男よ
more more more 本当の気持ちは
女 呼んで もんで 抱いて
女の気持ちが手にとるようにわかるのね
それにしてもdarlin' 女はチョイトいやよなんて言わねえさ
あんたもてるね 気になる男よ
more more more 本当の気持ちは
女 呼んで もんで 抱いて
**Oh! Baby 気になる人よ
いつまでもそれじゃだめよ
Oh! Baby いつまでそうよ
なれ合いのつもりだろうが
Oh! Honey Honey やっぱり女が最高
あんたに声かけられりゃ 女は迷う
それがウソだとて 女はチョイトいやよなんて言わねえさ
どうしてもてるの 気になる男と
more more more 何やかんや言うたかて
女 呼んで もんで 抱いて
**(リフレイン)
*(リフレイン)
サザンオールスターズ
桑田佳祐を中心に結成。 ライブ・ハウスなどを中心に活動。
77 ロック・コンテストEast West決勝大会入賞、桑田が最優秀ベストヴォーカル賞を受賞。
78 6月、ビクターより「勝手にシンドバット」でデビュー。特異なキャラクターと桑
田のボーカル・スタイ ルが一躍評判になる。
8月、ファースト・アルバム『熱い胸騒ぎ』(「女呼んでブギ」収録)リリ-ス。
79 「愛しのエリー」が大ヒット。
シャレた詞と独特のボーカルで日本中にサザン旋風を巻き起こす。そのハチャメチャなパフォーマンスのために不本意にも当初コミックバンドと評されるが、1979年「いとしのエリー」の大ヒットをきっかけに、日本
を代表するロックグループとして名実ともに評価を受ける。以降数々の記録と記憶に残る作品を世に送り続け、時代とともに新たなアプローチで常に音楽界をリードする息の長いロックバンド。
これは正しいロックンロールだ
キワモノ桑田衝撃の登場
78年のある日、高校生だったぼくは「銀座NOW」という当時有名だったテレビ番組で、けったいな格好をした新人グループがおかしな歌を演奏していたのを観た。サザンオールスターズのデビュー曲「勝手のシンドバッド」だ。この時ぼくは「ああ、あのグループか」と納得し、このグループがレコードデビューを果たし、「銀座NOW」などというメジャーなテレビ番組に出演して歌っていることに驚いた。
学校よりもライヴ・ハウス(当時のライヴ・ハウスはいまとは違って、通好みのプロ・ミュージシャンの出演が多かった)に行く方が楽しかった高校生のぼくは、新宿の「ロフト」でレコードデビュー前の彼らのステージを何度か見ていた。いかにもキワモノ的な彼らは、かなり猥雑なリズム・アンド・ブルースふうの曲を演奏する渋いバンドだった。当時の日本のロック産業はまだ現在のように“おいしい商売”にはなっていなかったから、こういうバンドがレコードを出し、人気番組に出ていたことにはひどく驚いたのだ。そしてレコードは売れねぇだろうなぁと思ったものだ。だが、ぼくの予想に反して「勝手にシンドバッド」は大ヒットし、サザンはニュー・ミュージック系ロックバンドの代表格的存在になってしまった。
いずれにしてもデビュー当時のサザンが“キワモノ”をセールスポイントにしていたことは間違いない。そもそも「勝手にシンドバッド」という曲名が、当時ヒットしていた沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」をつなげたものであることは有名な逸話である(そしてタイトルと歌詞の内容にはまったく関連性がない)。もっとも、デビュー当時のサザンの音楽が単なるセールスポイントのためだけのキワモノかというとそうでもない。言うまでもなく、これはリーダーでありコンポーザーである桑田佳祐の個性なのである。
他に類を見ない桑田の独自性
桑田はピラニアのような個性の持ち主だ。様々なタイプのミュージシャンの作風をパロディにしていると思わせるほど露骨に取り入れて行く。とりわけ、彼の雑多な音楽性と、言葉を意味を越えた一種のリズムとして捉える歌詞の世界は独特である。彼のこの独自性は、彼らのファースト・アルバム『熱い胸さわぎ』にも遺憾なく発揮されている。そして、そのファーストアルバムに収録されていたいかにも彼らしい“アブナイ”歌が「女呼んでブギ」である。
もともとこの歌は、彼らがレコードデビューするきっかけになったコンテスト「EastWest(イーストウェスト)」(ヤマハ音楽振興会の主催する、ロック系のコンテスト)に出場した時にエントリーした、アマチュア時代からの持ち歌だった。天下のヤマハ主催のコンテストで“♪ 女呼んでもんで抱いていい気持ち〜”とうたって入賞、桑田が“最優秀ヴォーカル賞”を受賞。ヤマハも相当話がわかるというものだ。
しかしサザンは当時のヤマハの好むイメージとはかなりかけ離れていた。彼らが出演した年の「イースト・ウェスト」のライヴ盤を発売する際、この歌の歌詞の民放各局への“危険性”を憂慮したヤマハがアルバムからこの歌を削除しようとしたらしい、という噂までまことしやかに流れたものだった。ちなみに、実際に発売されたアルバムにはちゃんと収録されていたが。
ロックを思想の次元へ昇華した
日本語のロックの歴史は意外と浅い。もともと西洋(アメリカ)の音楽であるロックのリズムには日本語は乗らないというのが70年代初期までは一般的な説だった。
60年代後半に早川義夫率いるジャックス、細野晴臣、大滝詠一、はっぴいえんどなどがロックのリズムに日本語の詞を乗せてうたい始め、その頃にはミュージシャン、音楽評論家たちによる「ロックのリズムに日本語は乗るか否か」という“日本語のロック論争”が盛んに行なわれていたという。論争に決着が着き日本語のロックが市民権を得たのは71年に発表された、はっぴいえんどの『風街ろまん』の登場によってであった。その後、キャロルの“カタカナ日本語”など、言葉をリズム化する試行錯誤が行なわれ、ロックを日本語で歌うことが一般的になっていった。
日本では<言葉>ばかりがロックの核心として議論が重ねられたが、ロックンロールの本当の核は危険の<思想>である。そして「女を呼んで、もんで、抱いて、いい気持ち」になるのは、紛れもなく正しいロックンロールの思想である。
耳障りのいいサウンドと当たり障りのない歌詞のポップス“ニューミュージック”が全盛だった78年にサザンの登場は“青春とはそんなきれいごとではない”ことを知っていたぼくたち男子高校生たちを狂気乱舞させ、「女呼んでブギ」のロックンロール思想は日本語のロックが円熟期に入ったことを告げる歌として、画期的な<事件>なのであった。
彼の歌詞の世界はとどまるところを知らない。意味より語呂を重視した彼の言葉のリズムは見事なほどにロックのリズムに同化している。また「女呼んでブギ」に限らず、その後の彼らの作品である「由子のマンスリーディ」、「エロティカ・セブン」、「マンピーのG★SPOT」など、ロック、R&B、レゲエなどのリズムにスケベな言葉をなんのてらいもなく乗せて歌ってしまう。そんな彼のロックンロール・スピリットを感じる曲は数多い。彼らの出現までは、少なくとも東京近辺にこのタイプのバンドはいなかったはずだ。ローカルシーンでは、関西系のブルースバンドに似たような言葉のアプローチをしていたバンドも存在するにはしたが、いかんせんローカルバンドであり、全国区ではなかった。そういった意味でも桑田のロックンロール思想が全国区で認められたのはその後の日本のロックの変革に明らかに一役買ったはずである。
いまもアブナイ世界に君臨する
彼が一般に広めたロックンロール思想がその後のバンドたちに与えた影響は大きいはずだ。ヒロイズムもロックンロールの思想だ。先駆者の成功はフォロワーに道を作る。
ただ、ロックンロールを思想として理解しなかった後継者の多くは彼の表面的な一部分のみを模倣し、桑田になかなか追つけなかった。本家サザンがデビュー20年にして他の追従を許さず、未だに第一線で活躍せしめている要因は、サザン(桑田)のオリジナリティがコピー不能な独自性を持っているということである。彼の歌詞はいい加減ブッ壊れたものが多いが、そんな桑田がやるせないほど美しいバラード曲にブッ壊れた言葉を乗せて歌ったとしても彼のパワーは聴き手に違和感を感じさせない。それが彼のコンポーザーとしての不思議な才能だ。現在ではデビュー当時には考えられなかった多くの若い女性ファンを獲得している。熱狂的なサザンの女性ファンは多いし、カラオケで彼らの曲を歌う男女はとても多い。
「サザンはニューミュージックじゃねぇ。奴らはロックンロールだ!」といいながら、サザンのアルバムを「ロックンロール、ブルース」と分類されたレコード棚に収めていた友人の姿が印象的にぼくの記憶に残っている。
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