チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[20897] 【ネタ】アルビオン貴族もの(ゼロ魔オリ主)
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:03
 王都ロンディニウムにあるハヴィランド宮殿の豪奢ではないながらも、所々に匠の意匠が施された勉強机の前に、小さな金髪の子供は座って熱心に本を読んでいた。

 彼はこの読書をする時間が大好きで、所謂文武の武を重視する家柄にありながら、こうしてただの脳筋にならずに文すら愛せていた。 勉強机で『イーヴァルディの勇者』を読む子供の名はクライフ·デーンロウといい、大地を離れ空を翔るアルビオン王国に籍を持ったデーンロウ家という特殊な貴族の長男である。

 アルビオン王国では新興ながらも、着実に軍における名門となりつつあるデーンロウ家は、奇跡的ともいえる珍しく殆どメイジの血を持たない家系であり、ゲルマニアならまだしも他所の国々ではあり得ない剣のみで成り上がった貴族だった。


 デーンロウ家の成り立ちは運によって支えられたもので、8代前の祖先であるノルムは剣に生き酸いも甘いも知った傭兵であり、全国放浪中にアルビオン王国で夜中に大雨の山間で訓練していたところ、幹線道へ向けて土砂崩れが起きたのが見えた。 そこに偶々豪奢な馬車が巻き込まれているのが見え、珍しく仏心がわいたのか遺体の埋葬と、それ以上の金目の物への欲から土砂崩れの現場へと足早に向かって行く。

 馬車の外は大惨事だった。 あちこちには土から腕や足だけを突き出した遺体や、岩か木に潰されて血を吐く遺体に埋め尽くされていて、遠巻きには見えなかったが地獄絵図の惨状をていしていた。 だがそんななか、ミンチになって血の泡を噴き出す白馬が繋がれた馬車は全損とはならず、半分程度が衝撃と重みで砕けたようでしかない。

 余程馬車の持ち主は平民嫌いの私祖ブリミルに愛されていたのか、もしくは強欲貴族らしく金の力でたいそうなまでの固定化をかけたのか…… まあとにかく、馬車に刻まれた土砂で汚れながらも美しい紋様に見覚えを感じつつ、馬車の中の仏さんから金品――ではなく仏さんの埋葬の為に馬車の扉を開いた。

 馬車の中も外に負けない程の華美さを誇っており、安い契約料で命を張ってきた傭兵には触った事が無いほど滑らかでふわふわした手触りのイスがあった。 だが少し残念なのは、土砂崩れを横っ腹に浴びた馬車は横転まであと一息の状態になっており、感動的な座り心地を試す事ができないということと、馬車内も意匠を彩るように血塗れになっているので長居はしたくないということだった。

 馬車内には豪奢な装いをした若い男女2人が倒れていて、顔つきが似ているので兄妹かと考え、そこで思考が凍りついた。 汚れていてよく見えなかった竜の紋様、そして見目麗しいこの兄妹…… まさか、まさかとは思うがこれはアルビオン王家の皇太子と皇女?

 これは危険だ。 他の貴族なら何か盗ってバレても高跳びすれば逃げおおせるが、王家は国外だろうがヤバい。 ことここに至ってノルムは事の重大さに気付いたが、頭が少しばかり回るので打算も考えていた。 その考えは至極全うなもので、いまここで物を盗んで一時的な金貨を得るよりも、王家の者を救って長い富を得られないだろうか? という考えだった。

 そう考えれば後は早く、急いで2人を救いだそうとして――皇女の首が割れた窓ガラスで抉られている事に気付き、頭から血を流しながらもか細い息をする皇太子に手当てを施して救出し、大雨の山中を王城目指して皇太子を背負って駆け抜けた。

 道中では野獣や盗賊を斬り殺し、目覚めた皇太子には事の成り行きと皇女の不幸を伝え、急いで王城へ戻るべく皇太子を背負ってまた駆け抜けた。

 王城に着いてからというもの、宮仕えの貴族からは無礼討ち寸前まで持ち込まれたが、皇太子の話を国王が聞き皇女の不幸を嘆きながらも皇太子の救出に感謝し、シュバリエを与えて国にではなく王に仕えるように言われ、平民でしかない自分を高く評価してもらったと感動し軍人として宮仕えが始まった。

 この時点では宮仕えをする爵位もちの平民でしかないが、ここから3代が懸命に働き王家の信を更に深いものにした結果、とうとうデーンロウ家へ王家より領地が下賜されたのだった。

 最初はそもそもアルビオン王国生まれでもない外様の平民に領地などと、圧倒的に反対意見が多かったが、それに負けない程平民の軍人等の支持があり、しかも拝領した領地は貴族の領地を再編したものではなく、王家直属である王領を切り取って与えたので有力貴族ですら口を挟めず、3代目に至って爵位持ちの平民が王家武芸指南役という栄誉とともに、ついには貴族となり領地すら得たのである。

 だが、他の貴族にあってデーンロウ家にないものがある。 それは目に見えないものだが、とても重要なファクターをもつ所謂《メイジの血》である。 あくまでデーンロウ家の血筋は平民であり、魔法が使えない下賤な民なのだった。

 だからこそ、彼らは画策した。 身の程知らずに痛い目を見せてやろうと。

 短期的に見れば、彼らの陰謀は成功した。 陰謀と言っても嫌がらせ程度のもので、魔法を使えないのは純然たる事実にも関わらず、そんな子息を魔法学校に入れるようデーンロウ家へ圧力をかけた。

 当然家柄が変わっただけで魔法は使えず、そもそも貴族とはいえ平民の家柄に娘を嫁に出す貴族はおらず、あくまで平民の子でしかない息子は魔法を使えないせいで5代目まで酷い屈辱を味わった。

 だが、その陰謀も長期的に見れば大失敗に終わってしまった。 恋は突然であり、美男子で売っていた6代目はなんと魔法学校で女子生徒に恋の告白をされ、はれて両想いになって結ばれたのだ。 女子生徒の親である貴族は憤慨し、娘の翻意を促すも結婚を許さないなら絶縁も辞さないと突き付け、尚も止める両親を振り切り家を捨ててデーンロウ家へ嫁いできたのだった。

 娘の両親からデーンロウ家へ抗議文が届いているが、それに対して5代目は家を捨てた平民が我が家に嫁ぐ事へ、今更他家より文句を受ける筋合いはないと一刀両断し、ついに7代目である父上から薄いながらも《メイジの血》が入ったのである。


 普通に考えれば壮大な夢物語か、ただの与太話でしかないと思うだろう。 だが、この内容の前半は王室編纂の歴史書にも記されていて、土砂崩れの事故からデーンロウ家の成り上がりまで書かれている。 後半も当主代々の日記にも書かれていて、今となってはサクセスストーリーとして本にもなっていた。

そんな歴史故にデーンロウ家のメイジとしての自覚は乏しく、そもそも運と剣で貴族にまでなったこともあり、昆にもなるスタッフのような大きな杖は使わず、枝のような小さな杖も使わず、平民の武器と言われる剣を杖にしている。 慣れない杖を振り回して威力のない魔法を使うより、細胞レベルで手慣れた剣を振り回した方が効率がいいのだ。

 だから、クライフの父である現当主のペイジは祖父と検討した結果、剣と契約する事で不甲斐ない魔法の威力を補っていた。 これならばお家芸である剣術を全面に押し出せ、更に気持程度の魔法の両立ができるようになった。

 なので今はクライフも自由時間の間に読書に勤しんでいるが、他の時間は専ら体力を身につけ剣技を習うという、ある意味では大変メイジらしくない訓練をしている。 ペイジは父や祖父の教育もあり、魔法を使うよりも剣に慣れ親しみ息子であるクライフに剣を教えているのだ。

 クライフの祖母はそんな剣に生きる祖父に惚れ、父であるペイジと結婚した母は領地が無い落ち目の貴族故に文句をつけられず、結果としてメイジになろうが何だろうが剣を重視しているのだ。 だから、クライフは『イーヴァルディの勇者』を読んで勇者がかっこいいと思い、そんな勇者に自分も成りたいと願っていた。

 ここも教育の成果か家柄故か、一般的な貴族の子息ならメイジとしてイーヴァルディの勇者みたいな英雄に成りたいと願うが、クライフはやはり名剣を担って大成したいと願っていて、 まだまだ8歳と少しばかり若い故に悪くはないながらもそこそこの剣しか持っておらず、父や祖父が国王陛下から下賜された名剣を羨むお年頃なのである。

「ここにいたのかクライフ」

「あ、殿下!」

 本に集中していたからか、声をかけられてやっとウェールズ殿下が部屋に来ている事に気づき、かなり驚いて立ち上がって姿勢を正してしまう。

 王家武芸指南役の栄誉を賜ってからというもの、デーンロウ家の子供は歳が近ければ王家の次の代を担う皇太子と共に剣を習い、両家の信頼を揺るぎないものにすべく育ってきていて、こうしてクライフも王位継承権のあるウェールズ殿下のおぼえがよかった。

「僕としては、クライフが読書好きを知っているから気にせず読んでいて欲しいけど、ウィリアム殿が来るように呼んでいるよ」

「またお祖父様は殿下を小間使いにしたんですか……」

「ははは。 剣を教える先生にとって、王子である前に僕は未熟な生徒でしかないからね」

 そう言って爽やかに笑うウェールズ殿下を見ても、クライフには愛想笑いにも満たない引きつった笑みしか返せない。 どこの世の中に、仕える王家の子息――皇太子を伝令として小間使いする人間が居るだろうか?

 年老いてなお豪快な性格のお祖父様に嘆息し、それでもウェールズ殿下が態々自分を呼びに来てくれた事を嬉しく思い、クライフに対して年齢が上だからか、少しばかり兄の気がある殿下に深く感謝した。

「では、失礼させて頂きます」

「早く行ってくれよ? 呼び出しが遅いだなんて八つ当たりされた日には、僕の訓練が酷い事になりそうだからね」

 うーむ…… お祖父様なら「遅い」と文句を言ってやりかねない。 いやいや、思い出してみれば実際に以前食後直ぐに練兵場へ来いと言われて、配膳の都合で少し遅くなった時は足腰立たなくなるほどにしごかれた記憶がある。

 だとすれば、呼び出しに来て下さった殿下の為にも、何より理由はわからないながらも呼び出された自分の為にも、一刻一秒たりとも無駄にはできない!



[20897] 2話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:04
 時を2日ばかり遡り、ここは場所を変わってハヴィランド宮殿にも負けず劣らず豪奢な城塞を模した宮殿。 その中でも、来賓客をもてなす華美な装飾は一切なく、むしろ質実剛健を地でいく会議室で2人は顔を合わせていた。

 片方はこういった根回し等を含めた政が嫌いなのか、表情だけは真剣ながらもピリピリとストレスにイラつく男と、厭味になるほどではないがそれなりに着飾った男だった。 早く話を済ませたくてしょうがない男の名は、色々な意味でハルケギニア中に名を知らしめるデーンロウ家の当主であるペイジ·デーンロウ子爵。

 そんなペイジの対面に座っている男は、それこそアルビオン王国に知らぬ者は居ない名家中の名家であり、現国王とは血の繋がった弟であるモード大公なのだ。

「大公は本日もご機嫌うるわしゅう……」

「君は相変わらずご機嫌斜めじゃな」

 明らかにイラついたペイジの世辞に対し、それもいつもの事なのかモード大公はにこやかに返す。 そもそもウィリアムから一応ながら家督を譲られてはいるが、現当主であるペイジは脳筋ではないが政は嫌いであり、ちまちまと痛くもない腹を探りあう事なんか面倒だとすら思っている。

 だが、そんなペイジの状態についてモード大公は顔を合わせる機会が多いので知っており、普通だったならば交渉事には向かないペイジを門前払いせず、きちんと話を聞いていた。

「あー…… 今回の大公領と子爵領の境に巣くう野盗討伐の件ですが、息子の初陣という形にしますのでご静観をお願いします」

「息子のクライフ君も、もうそんな年齢だったか」

「ええ。 今年で8歳になりました」

 話題が息子の事になったからだろうか、急にペイジも饒舌に話を始めた。 これもモード大公には手慣れたものだが、もうペイジの親バカっぷりは呆れる程に見せられていて、とりあえず話題に困れば息子の話を振れば喜び話し、本来の目的である交渉も円滑に進む。

 その辺りの事が理解できる程に2人が顔を合わせているのにも理由があり、王都南部に位置するモード大公領とデーンロウ子爵領は隣接しており、しかもデーンロウ子爵領は王領の南部にあるロサイスへ通じる街道を下賜されていて、王家からすれば恩賞として破格の扱いであり、街道という生命線を押さえられた形になるモード大公側としては、それ故に綿密な会合を必要としていたのだ。

 当然そんな経済的にも戦略的にも重要な街道を含めた地域の割譲に、モード大公以前にそこを統治していた者は非公式ながら反対意見を示していたが、歴史を紐解けば件の土砂崩れ事故は南部地方で起きたものであり、それだけに声を大にして反対は唱えられなかったのだ。 以来デーンロウ子爵領は南部の首根っこを掴む事になり、それが今でも続いている。

「それで、世継ぎのない私にクライフ君の自慢に来たのか?」

「おっと、失礼をば。 本題はこちらで、調印の方をお願いします」

「ふむ…… あいわかった」

 モード大公はペイジから渡された用紙を軽く読み、問題なしと判断するとサインを記した。 サインを記した用紙に書かれた内容は簡潔なものだった。

『1.クライフ·デーンロウ率いる野盗討伐軍が、野盗を追撃して大公領内部へ侵入する事を認める。
 2.野盗の引き渡しは行わないものとする。
 3.大公領からは兵を派遣しないものとする。』

 1は、まあ問題がない。 野盗を討伐する程度の戦力で、大公領にて何かをするとは考えられない。 2も問題はなく、3は言わずもがなである。

 本来の政治であればもっとつめるところはつめ、相手側の使節団とともに長期に渡り話し合うのが通例であるが、今回は野盗の討伐というなまものが議題であり、更にはそもそもデーンロウ家の使節団が名前だけでペイジ本人と数名の護衛しかいないこともあり、こちらに損もないので深く話し合わずに決定が下だされた。
 通常であるならば、相手側が提示した条件を丸飲みするなど言語道断であるが、今代のペイジといい先代のウィリアムといい、重要な会議以外では通例を無視したものが多かった。

「さて、これで会議は終了するのだが…… 君はこれからどうするんだ?」

「私が領地を離れているのは野盗も気付いているでしょうから、ここに寄って急ぎ帰っては討伐を勘ぐられるでしょう。 護衛として私に着いてきた部下は偵察と情報収集の為に被害のあった村へ行かせ、デーンロウ家から出撃したクライフと合流して野盗を叩かせるので、出来れば少しばかり逗留させて頂ければと存じます」

「わかった。 では、部屋の用意をさせよう」

「ありがとうございます」

 モード大公に恭しく頭を下げるペイジだが、それをいつもの事だと鼻を鳴らす。 デーンロウ家と隣接するので頻繁とまではいかないものの、モード大公家へ来る事が多いペイジとしては、客人に出される食事が美味く酒も美味いモード大公家に寄った際には様々な理由をつけて逗留していた。

 今回も最もな理由はあるが、やはり泊まりたいのが本音なのかもしれない。



 廊下のそこかしこで平民貴族との小声が聞こえてくるが、それを全て無視して目的の執務室へと向かいマントをたなびかせて歩く。 先程まで居たのは宮殿の中央付近であり、そこには上級下級問わず政治に関わる貴族が居座っていて陰口も多かったが、廊下を歩き軍を司る部屋に近づけば近づく分だけ上級貴族は姿を消し、下級貴族に混ざって平民出の兵士が現れ始める。

 そうして平民が増えれば増えるだけ陰口が消えて、堂々と歩くクライフに頭を下げる者が現れる。 これこそが、現在でも続いているデーンロウ家の立場の縮図である。
 頭を下げる兵士には明るく声をかけ、目的である近衛軍の幕僚に与えられた執務室へむかい、お祖父様の居る近衛軍第2部隊本部の扉をノックし即答の合図を受けて開く。

「近衛軍第2部隊所属、クライフ·デーンロウただいま出頭しました」

「うむ。 呼び出したのはデーンロウ家の子息として故、今日は畏まる必要はない」

「了解しましたお祖父様」

 正面に置かれた執務机に座り、顔に幾つもの戦傷を負った強面の老人こそが家督を息子であるペイジに譲り、近衛軍に全力を傾注するウィリアムである。

 そもそも、近衛軍は1部隊しか本来は存在していなかった。 この第2部隊にも紆余曲折の誕生秘話があり、初代デーンロウ家当主であるノルムを軍に入れるにあたり、王家に仕えるよう言った国王は当然のようにノルムを近衛軍へ入れようとしたが、やっかみもあるが下賤な輩を近衛軍へ入れる訳にはいかないと軍部にNOを突き付けられ、ならばと国王は近衛軍を分割しの新部隊の新設を宣言しそこへノルムを隊長として据える事にした。

 が、これに軍部が反発し元居た近衛を第1部隊へ出向と題して呼び戻し、空いた穴には国軍から落ちこぼれやゴロツキを入れて部隊が自然崩壊するよう圧力をかけた。 これをはね退ける権力なぞ成り上がりのデーンロウ家に存在する筈もなく、国王も近衛軍を分割するだけでも強権を使ったばかりなので軍部に強く出れず、圧力に完全に屈する形で悲惨な始まりをみせた。

 集まったのは他人より地位が低く物覚えの悪い落ちこぼれと、協調性を全く理解できないゴロツキだけが集まる事になり、こうして近衛を冠する第2部隊は王家の護衛すら不可能な掃き溜め部隊になったのだった。

 だが、そこで諦めればデーンロウ家はただの爵位持ちで終わっただろう。 しかしながら、ノルムは第2部隊の軍規の取締りを強めると同時に、物覚えの悪い者へは10教えて足りないならば100だろうと1000だろうと教え、傭兵や野盗上がりのゴロツキには暴力をもって束ねていく。

 確かにこの訓練方針は功を奏し、原隊から見捨てらるた物覚えの悪い者は覚えられるまでみっちり教えられ、昔とは違い見捨てられないことに感謝していた。 そして、ゴロツキも口だけ喧しい他の貴族とは違い、体が資本であったノルムは実際に強くて訓練に自らも参加しているのを見て、この指揮官ならばと心酔していった。

 こうしてデーンロウ家の代が重ねられ、遂には3代目にして近衛軍第2部隊は年末に行われた御前大演習にて、とうとう近衛軍第1部隊を破り練兵の功績をもって領地を与えられたのだった。

 そんな歴史を持った近衛軍第2部隊は、平民や下級貴族からすれば花形であり、ある程度の貴族からは煙たがられる存在になっている。

「これよりクライフは屋敷に戻り、モード大公領との境に住み着いた野盗の討伐に出てもらう」

「……大公領との境ともなれば、場所が場所なので危険では?」

「政治的な折衝にはペイジが既に向かっている。 クライフは屋敷の部隊を自ら編成し、部隊を率いて野盗を殲滅せよ」

「了解しましたお祖父様」

 ニコリとも笑わず淡々と命令を言い渡すお祖父様に頭を下げ、与えられた任務を拝命して執務室から出ていく。 与えられたのは大きな任務でも、華々しい任務でもなんでもない野盗討伐である。 とはいえ、お祖父様や父上の行軍に同行したことあはるが、初めて自分が部隊を率いて出撃することに戸惑いは隠せない。

 急いでこの宮殿で自分に与えられた客室へ向かい、必要そうなものをかき集める。 そうこうしていると、部屋の扉をノックする音が聞こえたので入室を促すと、そこには荷物を準備するクライフを不思議そうに見つめるウェールズ殿下が立っていた。

「なにかあったのかい?」

「お祖父様からの命令で、これより屋敷に戻って野盗討伐をしてきます」

「それなら、気をつけて行ってくれよ? もしもクライフに何かあった日には、不機嫌極まりないウィリアム殿と顔を合わせて訓練しないとならないからね」

 そう言って苦笑するウェールズ殿下の為にも、どうやら今回の討伐で怪我をするわけにはいかないようだ。 クライフは怪我をしない決意を固め、ウェールズ殿下への挨拶もそこそこに部屋から飛び出すと厩舎から馬を連れ出し、一路デーンロウ家の屋敷に向かって馬を走らせた。



[20897] 3話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:05
 馬に鞭を入れて街道をつき走り、視界に見えてきた実家の屋敷へひた走る。

 お祖父様の命令により、近衛軍からは兵の抽出は一切なされず、急ぐも急いだり護衛の供回りすらつけずに屋敷に向かって行く。 すると、王都を駆け抜け突き進むと街道に面した屋敷が見えてくる。

 何度か父上についてモード大公の屋敷に行ったことがあるが、そんな屋敷とは比べるにも値しないレベルではあるが、それでも平民の家屋とは桁違いの屋敷が建っている。

 クライフの乗る馬の嘶きが聞こえたのか、門の前に立っていた衛兵がこちらに気づき開門してくれたので、そのままの勢いで敷地へと飛び込んだ。

「お帰りなさいませ坊ちゃま」

 馬を厩舎に預け、屋敷の扉を開けて直ぐに老執事より声をかけられた。

「爺! 現地からの連絡は?」

「はい。 連絡によりますと、カーカス村より南におよそ3リーグほどの丘陵地帯に潜伏しているかと」

「野盗の規模は?」

「周辺にある2つの村の被害を聞きますと、最低でも10から15かと」

 当然のように野盗討伐の連絡が屋敷に入っていたのか、老執事――アイオミ――はクライフに聞かれた事に答え、現場に着かずして満足な情報が手に入った。 うーん…… 規模はそこそこだな。

「訓練場へ行く。 爺は被害地域へ提供する食料と――多めに魚油を用意し、それを荷馬車1台に纏めるよう手配してくれ。 それと、ここに戻って来たらすぐに出られるように、玄関前へ駿馬を回してくれ」

「了解ですぞ」

 せっかくの帰郷――というほどのものではないが、久しぶりに屋敷へ帰って来たというのに部屋に戻る暇さえなく、屋敷に隣接された訓練場へと足を運ぶ。 そこはだだっ広い平原を塀で囲い、柵や的等が点在するこの屋敷の庭のようなものである。

 しかし、庭のようなものだと言っても屋敷の敷地より大きなサイズがあり、平民用の宿舎まで用意してある立派な訓練場だ。 この訓練場は、傭兵でしかなかったノルムが構想をまとめ、数代の後に領地経営が回ってから用意された訓練場で、どこの領地でも、そもそも傭兵ですら困っていた部分を直すべく、ある目的の為に使われている。

『全隊、構え! 斉射3回、撃ち方始め!』

 雇った傭兵を教官として、隊列を組んだ部隊が10人弓矢を全員でよたよたと構え、斉射の声に合わせて狙い定めずあちこちに矢を放つ。 なんと、一斉射撃を3度も繰り返したというのに、10人の誰一人として的に矢を射る事ができなかった。

 隣では弓矢の構造と製作法について講義していて、更に奥では斉射で中々の命中率を叩き出した部隊が居た。

 そう、ここは弓矢専門の訓練場なのである。

 どこの領地にしても平民や傭兵を軍に徴兵し、バカでも剣は振るえアホでも槍を突き出せるが、猟師でもなければまともに弓矢を扱える者は居なかった。 傭兵にしても、剣や槍とは違い矢を消費する弓矢を扱う者は往々にして少なく、メイジとの戦いでは剣を扱う者より弓矢を扱う者が重宝された。 だからこそ、それを傭兵時代に感じていたノルムは弓矢の訓練場の構想を練り上げ、少しでも弓矢を扱える者を増やすよう家訓にまで遺したのだ。

 ちなみに、この弓矢訓練は1年おきに募集をかけ訓練を2年間かけて行われ、参加した人間には宿舎の利用や食事の提供の他に、少ないが給料を支払っており、更には成績が優秀な者には近衛軍第2部隊への推薦状を与えてまでいる。 訓練を済ませた者は有事に必ず徴兵する契約を取り付けているが、訓練でこれほど厚遇すれば経費がかかり、経費の分だけ税が上がり領民への負担は大きくなる。

 そんな領民の苦悩は元々平民だったデーンロウ家はわかっており、還元という名目で訓練に励む平民にやる気を出させる為に給料を払い、女系家族の為にメイドとして子女を雇い入れて1年から2年ほどメイドとして教育し、教育を済ませたメイドはモード大公やデーンロウ家に肯定的な貴族の元へ仕事を斡旋し、空いた椅子には新たな子女を雇い入れた。

 そして、訓練場よりも高額な給料が支払われる近衛軍に入った者や、教育を済ませ他所の貴族の元で高額な給料を貰うメイド達には先に話をすませ、後進の教育の為と謳って少しずつだがデーンロウ家に還元させていた。

 それ故に、他のただただ貴族の欲望な任せた多額の税よりも肯定的に受け入れられ、今でも問題なく領地経営がおこなえているのだ。

 話がそれたが、その訓練場はそれなりの規模があり、設計上平民の弓矢の訓練に重きを置いてあるが、当然ながらこれだけの訓練場を弓矢の訓練だけで使いきれる筈もなく、最奥では即応部隊として常時雇用している傭兵達の訓練場がある。

 そこでは今日も剣を振り回し、槍を突きだす訓練に勤しむ者達が居る。 少なからず弓矢を使う者も居るが、弓矢を扱える殆どが教官として働いている為にこの時間は若干名しかいない。

 こちらにも先に連絡が届いていたのか、クライフが最奥に向かうとすぐさま傭兵達は訓練の手を止め、近づいて行くクライフを向き直立不動の体勢をとる。

「お帰りなさいませクライフ様。 たしか1月ぶりでしたかな?」

「久しぶりだねベック…… 父上から話しは聞いてる?」

 そこに立っていた直立不動の傭兵の中でも、150サントしかないクライフには見上げるしかない大男が、右頬を削ぎ飛ばされ額には幾重もの古傷を着けながらニコヤかに一歩前へ出てきた。 彼はお祖父様が当主の代に傭兵ながら弓矢の訓練を受け、成績が非常に優秀だったので近衛入りを打診したがここに残った古参の傭兵である。

「はい。 今回はウィリアム殿の命により、野盗討伐には編成から指揮権まで、全てをクライフ様に委ねます」

「わかった。 剣士を5人、剣も扱える弓兵を5人、槍兵を10人用意してくれ」

 野盗の予想規模からすれば、最大で倍になる20人の準備をさせる。 一応現場で偵察している4人が合流するので、予想以上の規模だとしても人数を上回られることはないだろう。

「人数の振り分けはすませました。 輸送用の馬車に乗せます」

「いや、全員乗馬して現地に向かう」

「理由を伺っても?」

「歴史書で読んだけど、騎兵は最強だったから!」

 クライフの考える会心の答えにベックは唖然とするが、少しして理由はともあれ編成もクライフの自由だというのを思い出し、苦笑しながら選び抜いた野盗討伐隊の尻を叩いて厩舎に向かう。 それを確認してから、クライフも走って玄関前へ向かって行った。


 到着した頃には陽が傾き空は完全に紅くなっていて、カーカス村の建物からいくつか空へ黒い煙が立ち上っていた。 建物に被害が無い家も明るい訳ではなく、金銭や食料は元より若い娘やそれを止めようとして殺された者が居て、村全体を絶望が渦巻いている。

 だが、そこにあるのは絶望だけではなく諦感も強い。 このご時世どこにも安全な場所はなく、力無い平民は野盗や獣に対抗することもできないのだ。

 そんなカーカス村に到着したので、まず村の中心に馬車をやって食料の配給を村人にさせ、それを尻目にクライフ達は事前にカーカス村へ入って調査していた者達と合流し、詳細報告と合わせて会議を行う。

「偵察ご苦労様」

「いえ、それほどでもありません」

 燃えて家主ごと残骸になった家屋から燃えなかった椅子やテーブルを徴発し、即席の会議場を構築してから会議冒頭に偵察する為にカーカス村に入っていた4人を労う。 野盗討伐のみならず、どんな状況であれ情報は武器になるというのが生き残れる傭兵達の心得で、使い捨て扱いの傭兵は情報が足りない故に酷い目にあうこともあったらしい。

 かくいうベックの右頬もそれが原因で、盗賊狩りとして貴族に割のいい給金で10人ほど雇われたはいいが、小さな盗賊を狩る筈が拠点には倍以上の盗賊団が巣くっていて、何とか死なずに逃げられたが顔に負傷したのだし、他の傭兵に聞いても知らずに云々という嫌な思い出は多いようだった。

「新たな情報はあるか?」

「今のところメイジをみたとの情報は入っていないので、居たとしても割合的にはかなり少ないかと。 それと、これが拠点近辺の地図です」

 手渡された紙を見ると、そこにはおおよその形で描かれた地図がある。 船を出せれば上空からより正確な地図が書けるだろうが、残念ながらそんなバレバレな偵察をさせるわけにもいかず、地上から経験と勘で書かせている。

「拠点は…… 山の頂上付近か?」

「小さな山の頂上付近にある洞穴かと思われます。 これは、昨夜山を降りてきた野盗を取り押さえ、尋問して聞き出しました。 あと、拠点にいる野盗は13人のようで、今回の略奪で村の若い娘を3人ほど誘拐して行ったようです」

「……3人か」

 ここは、当然捕らえられた娘を助けに行くべきなんだろう。 だが、平民である3人の娘を助ける為に、訓練をつんでいるとはいえ同じく平民である傭兵の命を危険に晒せるだろうか? 父上やお祖父様からの教育により、幼い頃からクライフには『安全に。 そして、確実に』という思考が根底に形成されており、そこから導き出す答えは村娘の救出を主眼に置かず、野盗を皆殺しにする際に運が良ければ助かるという残酷な案である。

 もし、ここでクライフがスクウェアのメイジだったならば、自身の身を晒してでも救出に動けるだろうが現実は父上と同じく風のドット止まりでしかない。 理想と現実は違うのである。

「その洞穴の入り口は何ヵ所も開いているのか?」

「いえ。 聞きだせた限りでは洞穴は長い横穴で、奥は行き止まりだそうです」

「じゃあ、野盗には煙の海で溺れてもらおう」

「ですが、今も報告しましたが村娘が……」

「当然野盗もバカじゃないから、入り口から中へ攻めればこちらにも被害がでるだろう。 ここは煙で炙り出し、浮き足立った所を叩く! 運が良ければ娘達も助かるだろう」

『了解!』

 全員が立ち上がって姿勢を正し、即座に自分のすべき仕事へと走り出す。 仕事といっても大それた事ではなく、水筒である皮袋の水を今飲んで空にして中に魚油をパンパンに入れるだけだ。

 クライフも含め全員でそれを済ませると、ここからは野盗討伐の為に道案内をさせて拠点へ向かうのだった。



[20897] 4話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:06
 空からは太陽の明るさが全て消え失せ、月と星のみが仄かに地上を照らしている。 野盗の拠点である山の中腹から山頂の洞穴を眺める。 クライフ達は最初こそクライフの提案通り騎乗して拠点へ向かおうと思っていたが、そもそも火攻めして待ち伏せする戦術を取るにあたって、全く騎兵の速度も突破力も要らないので馬は途中で木に縛り付けて置いてきてしまった。

 建前を抜いて本音を言うならば、鬱蒼と繁る森の中を騎馬で走るのは思いの外難しいものがあり、森の途中で歩いた方が早いとの進言があったのだ。

「クライフ様、ここから先は危険です」

「よし、弓兵と剣士の2人を2組偵察に出して、その洞穴の入り口に見張りが居ないか調べてくれ。 見張りが少なく、確実に始末できるなら殺していい」

「了解です」

 命令を受けて、てきぱきと剣を構える者と弓を構える者の2組が、静かに山を登っていく。 暗いし木々もありよく見えないが、少し登った所で1組が止まり、ゆっくりと弓を引き絞っているのがぼんやりと見えてくる。

 こちらには何の音も聞こえて来ないが、見張りを始末したのだろう1組がこちらに向かって降りてきた。

「見張りは1人だったので、始末しました」

「全員落ちて薪となる木を拾いつつ、上へ行くぞ」

 この後を考えて、魔法を使わずに木を手で拾いながら山を登る。 洞穴に煙を送り込む際に、どうしても魔法が必要なので元々少ない精神力を浪費するわけにはいかないのだ。

 枯れ木を両手にサイレントもかけず山をするすると登り、洞穴前で警戒を続けていた1組に追いついて入り口を見やる。 そこには木々が少なく少し開けた所に野盗の拠点である洞穴が口を開いていて、その横には頭や胴体に数本の矢を受けて絶命している男と、手に持っていたのか小さな蝋燭の明かりだけが残っている。 そして、洞穴の奥からも薄明かりが漏れているので、件の野盗が洞穴の中に居るのは確実だろう。

「洞穴入り口より2メイル離れた所で、7人は横列で槍襖を形勢。 左右には弓兵を2人と護衛に剣士を2人置いて、残りは燻製にされなかったラッキーボーイが後ろから来ないか警戒しつつ、前線の薄くなった部分を援護だ」

 とりあえず、登って来る途中で拾って来た枯れ木を洞穴の入り口に組み上げ、そこに魚油をぶちまける。 少しばかり量を持って来すぎた魚油はそのまま洞穴の奥へぶちまけ、出ないならば中で燻製になり出ようものなら炎でバーベキューになるよう準備を進めていた。

「それにしても、これは失敗しましたね……」

「なにかあったか?」

 魚油に火を放とうとするベックが急に真顔になり、なんとも不安になる事をぼそりと言うのでクライフは動揺するが、そんなことはなかったかのようにベックはにやりと笑みを溢した。

「いえ、どうせなら野盗の燻製だけじゃなく、せめてチーズの1つでも持ってくればよかったと思ったんですよ」

 緊張から精神的に追い詰められていたクライフを和ませる為か、ベックの冗談に他の傭兵も小さく笑いだし、それに釣られてクライフも笑みを溢した。 そんなクライフの笑みにベックも小さく頷き、配置についた全員を見回して気持ちの引き締めると、火の灯った蝋燭を魚油の滴る枯れ木に放り込んだ。

 宙を舞う蝋燭が放物線を描き出し、ちろちろと揺れる下細くも小さな火が、枯れ木を覆う魚油に触れて大火になるのはあまりにも呆気ない程に一瞬だった。 燃える燃えるごうごうと燃える。 大火はおぞましい程の黒煙を生み出し、それが洞穴の奥へ奥へ向かうように、クライフはそよ風程度でしかない魔法によって押し込み導いてやる。

 すると、炎が燃え盛る音の他に洞穴の中からザワザワと、明らかに煙に戸惑っているだろう声が聞こえてきた。 その声を聞いて野盗が多数中にいる事を確認し、いつ飛び出て来てもいいように準備をしながらも黒煙を奥へと送り続ける。

 この閉塞空間にいる野盗を燻るという作戦も、大きく見れば野盗の戦力を削いだので成功だと言えたが、だからといって失点が全くない完璧な作戦というわけでもなかった。

 黒煙を送り始めてそれなりの時間が経ったが、未だに炎の少し奥でむせながらも「ぶっ殺す」等の喚く声が聞こえてくるが、なかなか誰も火だるまになってまで脱出しようとして来ない。 そんな時に、黒煙の奥からふわりと何かが飛び出すと火の海に飛び込み、陶器が割れる音と共に何かがこぼれだして炎が鎮火する。

 液体が蒸発する音がした途端に、枯れ木は黒煙を噴き出すのを止め白煙に変わる。 考えて見ればわかる事だが、川から離れた洞穴を拠点にしている以上は飲料水の備蓄が存在する筈であり、急いで飛び出してバーベキューになるよりは水瓶の用意に多少時間がかかってでも、焼けるよりは水で火を消したがるだろう。

 間抜けな思考の空白を突かれる形で火が消され、燃え盛る火炎の明るさに慣れていた目はの月夜の明るさに即座に慣れず、深く落ち窪んだ闇に視界が飲み込まれてしまう。 だが、それで動揺を押し隠せないのは初めての指揮官という大役に精神的に昂っているクライフだけであり、他の面々は同じ状況ながらも冷静に落ち着きはらって行動を開始する。

 流石に奇襲的に煙を大きく吸い込んだ野盗に出来た有効な反撃はここまでであり、洞穴を塞ぐ火を消せたはいいが呼吸は間に合わず、急いで転がり出てはゼェハァと呼吸をして居場所をこちらに知らせる。 そこへてぐすね引いて待ち構えていた槍を突き刺し、前が見えないと弓を放って剣を構えて逃げようする者を袈裟懸けに斬り裂いていく。

 時間経過とともにクライフも冷静になり、残りの野盗の方も順調に死体が増えていき、そんな昨日まで一緒に生きてきた仲間の死体を踏み分けてでも呼吸を求める者に、剣と槍を与えて呼吸を無用のものにしてやる。

「明かりを用意したぞ!」

 後ろからの大声が聞こえてきたと同時に、暗くなってから急いで作ったのか急拵えの松明に火がつけられ、目の前の惨状が照らされる。 殆どが武器すら持っていない死体の山は赤く染まり、血の河が坂を下って流れていく。 余程慌てたのかグラスを握りしめる死体や、捕らえた村娘で楽しんでいたのか下半身が裸の死体まで転がっている。 洞穴から野盗が出て来なくなったので転がっている死体の数を数えつつ、微かながら息が残っている者に止めをさして皆殺しにする。

「死体は…… 12体分あるんだから、昨日の尋問で1人減ったから尋問相手が数字を理解できていたならば、これで一応は終了か。 松明を持って生き残りが居ないか慎重に中を調べよう」

「では、クライフ様は後ろに」

 松明を持っている者と一緒に囲われるように、ゆっくり奥へと歩いて行く。 洞穴の入り口からは道が右へねじ曲がっていた為に奥まで見えなかったが、そこそこの奥行があったようで、奥に進めば進むだけ剣や鎧や金貨等の略奪した財貨に限らず、食べ物や服等の生活用品が地面に散乱していた。

 そして、行き止まりの最奥に到着すると、そこには表とは似てもにつかぬ惨状が広がっていた。 まず1人目の村娘は美しい肢体をさらけ出して全身に白濁液をかけられ、喪われた眼球の代わりに暗く窪んだ眼窩からすら白濁液が溢れていた。 2人目は全身に切傷と刺傷があり、手足の指は全て無く刺傷も痛みを優先した死ににくい場所ばかり刺されていて、隣に落ちている赤く染まったナイフは刃が欠けて錆び付いているのからして、明らかに野盗は拷問を楽しんでいたようだった。 最後の1人も似たような惨状で、滅茶苦茶に犯された後に腹部を股から縦に胸元まで切り裂かれているようだ。

「こいつは酷いな……」

 人を殺し慣れているベックの言葉に、さすがにここまで酷いものを見慣れていない者は顔を蒼くして頷き、クライフに至っては込み上げる吐き気と戦っていた。

 人間はどうしたらここまで残酷になれるんだろうか? 吐き気に苛まされつつも、自問自答を繰り返すがまったく理解出来ないししたくない。

「大丈夫ですかクライフ様?」

「ちょっと気持ち悪い…… もしよければ、この娘たちを葬ってやれないかな?」

「わかりました。 では、ここは私にまかせて、クライフ様は外で新鮮な空気を吸ってきて下さい」

 ベックに埋葬を任せると、クライフはよろよろと出口に向かって歩いていく。 すると、そこには入り口の警戒をして残っていた者達が居た。 彼等も周辺の警戒を続けつつ、帰る準備として死体から首を斬り落とし、首から伸びる髪をベルトにくくりつけて証拠を持ち帰れるようにしている。

 無念そうな野盗の瞳がクライフを貫くが、平穏な日常を急に崩され玩具として残酷な目に合わされた村娘と比べれば、それをなした野盗にはこの程度ではまだ生ぬるいだろう。

「クライフ様、中での作業は終了しました」

 後ろから肩を叩かれて振り返れば、そこには盗まれた財貨を肩に引っ提げたベックが立っていて、ほかの面々も作業が済んでいたのかクライフの顔を見ていた。 どうやら、思考が物騒な方向に向いてから悶々と考え込んでいたようだ。

「わかった。 それじゃあ、村に寄ってから帰ろう」

 戦闘の終結を全員に確認したクライフは、オーク鬼等の餌にならないよう首のない死体の処理も済んだのを見て、略奪品と首を持たせて下山を始める。 これからする作業は面倒な類いであり、奪われた物を返す作業が待っている。

 返すにあたってはこの領の規則があり、被害者に盗品を見せずに盗まれた物の説明をさせ、その説明を聞いた者が2人がかりで略奪品の山から探し出すというものである。 こうでもしなければ奪われたと言ったもの勝ちになってしまい、持ってもいないのに指輪を盗まれたと言い出す輩が出かねない。

 探した結果として見つからなかった場合、それは嘘の可能性もあるが見つけ損ねた可能性や、野盗が既に換金済みの場合もあるので嘘だ何だと強くは出ることはない。

 当然そうやれば死亡等の理由で持ち主が不明の物が出てくるが、それは残念ながらデーンロウ家での接収という形になる。

 現金は更に面倒な扱いになり、水増しを考えればこれも略奪されたと申告された金額を言い値で渡すわけにもいかず、集まった現金を被害を受けた村の生き残りの頭数で割って、平等な金額を村に支給するという事になる。 割合によっては奪われた金額より損得がでるが、これが一番裁きとして単純明快なのでこうしている。



[20897] 5話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:08
 野盗の討伐を済ませ、略奪品の返還も済ませた時には沈んだ太陽も反対側から登っていて、眠気の残る頭を容赦なく燦々と照りつけていた。

「ふぅ…… これで、今すぐすべき事は終わったかな」

「ええ、後の作業は後日ですがペイジ様が片付けてくれるでしょう」

 一睡もしていないので疲れたが、それでもやるべき事をやったという達成感の方がクライフには多く、ふらつきそうになりながらも笑顔が溢れている。 そんなクライフにベックも笑みを漏らし、この人が当主になっても仕えてみたいとほのぼの考えていた時、ハヴィランド宮殿にはある一報が入り激震が走っていた。



 会議場の空気は重く、そこに出席している居並ぶ貴族は口を固く閉ざし、国王であるジェームズ1世の発言を固唾を飲んで見守っていた。

「――この報告は事実か?」

「はっ。 これは、ガリア王国より正式に発表されたものです」

「そうか…… 優秀と噂の弟であるオルレアン公が謀殺されたか」

 アルビオンにも電撃的に飛び込んできた報告は深刻なもので、前ガリア王の王位継承権のある遺児の内、優秀と言われた弟にあたるオルレアン公が1週間前に毒殺され、話題にもあがらぬ兄であるジョゼフ公が王位に着いたというものだった。 これはハルケギニアに激震をもたらしていて、それは空に浮かぶアルビオンにまで激震をもたらしていた。

 会議場の貴族は、不用意な失言を溢さぬ努力として無言を貫く。 心情的には当然ここまであからさまな謀殺をされれば、ガリア王国のジョゼフ王とは距離を置くように進言したいが、ガリアほどの大国に正面きって非難を出せるほどアルビオンは大きくない。

 もし、ガリアの現国王と親密にすべきだと口にして、結果としてロマリアやトリステインにゲルマニアといった国からガリアへ非難が出された場合、必然的にアルビオンは親ガリアとみなされ外交的に干されるだろう。 逆に非難を出すべきだと声高に叫んだとして、それがガリアとの亀裂を生んだならば政治犯どころの話ではなくなってしまう。

 だからこそ政治勘の強い者は黙り込み、勘が良くない者もそんな空気に負けて黙り込む悪循環。 そんな悪循環に、次の報告は負の劇薬を投入する。

「更には非公式な情報ですが、所謂オルレアン派であった者は政治的圧力による排斥のみならず、既に事故死や行方不明などが多発しているようです」

「ふむ…… あまりいい噂はなかったが、今更王位に欲がでたのか」

 国王の問いかけであるというのに誰もが黙して語らず、ただその声だけが虚しく会議場に響き渡る。 いつもならば、誰しもが自分の考えを頼まれもせずに述べあげ、少しでも利益を自身に誘導しようとするが今日に限っては、誰もが口を開けば貧乏籤を引くと理解して黙すか唸るかのどちらかである。

「アルビオン王国の方針を決めたい。 現国王に対して距離を取るか否か、自由な意見を述べよ」

「恐れ多くも陛下、我々一同は陛下の定めし指針に全力を尽くすべく所存でございます」

 兄にあたる国王の質問に対して、急遽屋敷より招聘されたモード大公が口を開き、当たり障りのない言葉を発する。 この発言は深く読まずとも誰にでも理解でき、外交に失敗した場合に責任の所在を国王のみにしたいが為だった。 だが、それを快く思わない者も多く、王弟という強大な御輿を担いでからというもの南部の発展は著しく、他を治める貴族としては苦々しいものがあり、ここぞとばかりに蹴落とそうとつまらない事ばかりを考える。

「モード大公、それは責任逃れに過ぎませんぞ。 兄君である陛下が悩める以上、陛下の弟君であるモード大公には精力的に意見を頂き、この国や我々を引っ張って頂きたい」

「その通りですな。 陛下の弟君にあらせられるモード大公だからこそ、これほどまでの難題を受けるに相応しい人物であると私は愚考します」

 モード大公は責任を国王だけに絞ろうとした結果、北部や西部を治める貴族により口々に急な攻撃を受けるも、一瞬だが顔をかすかに顰めるも素知らぬ顔で聞き流している。 そんな回りも転がりもしない会議場で、正直なところ本人からしても自分は政治的手腕がないと理解しているウィリアムは、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つように腕を組んで黙り込んでいたが、ジェームズ1世の口にした発案により旗色が大きく変化した。

「これは最悪の場合、国家の大事ともなりかねぬ。 全員で考えて乗りきるしかないのだ…… 1人1つ自らの意見を述べよ」

 その言葉に、全員が自然と息を飲む。 国王によるこんな『意見を述べよ』という些細な発言とはいえ、これはれきしとした王命である。 故に全員が黙りを決め込めない。 もしも黙りを決め込んだが最後、王命に背いたとして他国の御家騒動が自分の家へ転がり込んで来ることになるだろう。

 だから、会議場の席次が高いモード大公から順に小さな意見が出され、ついには会議場の末席を汚していたウィリアムの順番が回ってきていた。 最後であるからして他人の意見が聞け、その中でウィリアムは会議場の微妙な雰囲気を感じ取っていた。

 今のところ大小差があれど、意見としては2つに分けられた。 1つはモード大公や南部に与する貴族の出した『ガリアとは距離を置くべし』という意見と、北部や西部の出した『ガリアとは緊密になるべし』というモード大公に対抗した意見である。

 派閥のような形が露呈しているが、生憎とウィリアムとしては国家に与してはいるが派閥に興味はなく、どちらとの遺恨も残さぬべく口を開いた。

「私が愚考しますに、陛下からはガリア国王の戴冠について一切書状をしたためず、外交関係は維持すべきかと」

「書状を出さぬ意味は?」

「大手を振って非難をせず、無言の非難という形で本質を表しつつ、されど声高に非難をする気はないと伝えます」

 あまり難しい政治はわからないが、ウィリアムもウィリアムなりに他の貴族との折衝も考えて出した意見に、国王は顎に手を当てて考え込んでしまう。 あからさまに過ぎて国王も微妙な派閥の存在に気付いており、そこでどちらを選んでも対立の溝が深くなるだけだと考えていたが、その両方の案を少しずつ取り入れた案が最後にだされたのをきっかけに、心の内では即座に採用しつつも悩むポーズだけは見せておく。

「結論を出す――我がアルビオンからは、今回の事について正式な書状は一切出さぬ。 だが、外交関係を冷やすつもりはない事を忘れるな」

『杖にかけて!』

「それでは、本日の臨時会議を閉会する」

 折衷案の採択とともに会議の閉会が宣言され、どうにも多少の凝りは残ったようだが今回は収まったらしく、お互いに顔も合わさず次に会った時に使えるカードを集めるべく、そそくさと退室して行った。

 政治に不得手なウィリアムからしてもこの状況はよくない事だとわかり、以前から儲かる地域とそれ以外での対立は存在してきたが、まだ決定的ではないがここ数十年では稀に見るほど大きく対立していたと思える。 いや、当然ながらいつだって水面下での政戦は熾烈な激突をしていたのだろうが、陛下の御前会議で政治下手なウィリアムですら不味いと思える激突は初めてだっただろう。

 これから陛下はどうなさるのか…… 臣下の声を聞かずに孤独にも自らが裁断を下すのか、肉親についたと揶揄されてでもモード大公と歩調を合わせて進まれるのか、はたまたガリアの御家騒動を理由にアルビオンでも兄弟による骨肉を争う政争にまで持ち込まれるのか。

 こうも政局が捻れるくらいであれば、今はウィリアムとしても武の才よりも政局をみる機敏さが欲しかったが、無い物ねだりでしかないなと頭を振ると、王家に仕えると誓った言葉に殉じて陛下の万難を排すべしと深く心に刻み込んだ。

 そんな考えに耽っていたウィリアムは急に声をかけられ声の方を向くと、そこには先程そそくさと帰ってしまった北部に与していた記憶のある貴族が立っていて、瞳に隠せない程の侮蔑を押し込めつつも渋々といった風に話しかけてきた。

「デーンロウ君、我々は頑なに陛下へ責任を押し付けようとするモード大公に対し、断固として反対しなければならないだろう。 王弟ともいう権力に対抗するには頭数が必要であり、我々は猫の手でも借りたいのだ」

 名前も思い出せない自分よりも若い小太りの貴族は、その後もペラペラと口にしていたが面倒なのでウィリアムはそれを聞き流しつつ、最後の最後になってようやく口を開いた。

「それで、私に何を求めるので?」

「ここまで話して解らないとは、これだから平民貴族は…… ゴホン、モード大公による王権への増長に対し抗議を続けるにも、あちらとこちらの権力の差は埋めがたいものがある。 なので、君には近衛軍第2部隊の掌握をお願いしたい」

 途中を聞かずに最後の質問だけを聞いたウィリアムからすれば、それは足りないものを他で補うという考えに基づいて足りない権力を武力で埋めるものだと理解できた。

 一瞬で激昂し剣を抜きそうになるが、寸でのところで堪えて深呼吸をする。 そんなウィリアムの雰囲気に気圧されて怯んだ貴族だが、深呼吸とともに消えた雰囲気に内心安堵の息をこぼしつつも訝しんだ表情でウィリアムを見る。

「――それは王の盾である近衛を私兵とし、この政局を乗り越える為の尖兵にしたいという事で相違ないか?」

「い、いやいやいやいや、別にそこまで大きい話ではない! 求めているのは簡単なもので、モード大公側から近衛への接触があっても先走ったりしないでくれればいいだけだ!」

「近衛は王の矛先でもあり、王以外による専有も独断も許されるものではない」

「そう、か、いや、そうならいいんだ。 よ、よろしく頼むぞ」

 恐怖に体を強ばらせてから、短い足でのしのし走るように逃げ去る貴族の背中を睨み付けながら、心胆にたまった気焔を吐き出して剣の柄に手をかける。 もし、あの貴族の吐いた言葉に嘘がなく、このままごうつくばりの貴族の横やりによって近衛が玩具にされたならば、自分はどうするべきなんだろうか?



[20897] 6話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:14
 野盗討伐を済ませてもう1週間以上が経過したが、何故か任務を完遂して屋敷に帰ってからというもの殿下に会えていない。 それは別に喧嘩して避けられているといった話しでもなく、ただ単純に帰って以来お祖父様からハヴィランド宮殿への登城を禁止され、屋敷にクライフが籠らざるをえず会えていないのである。

「暇だなぁ……」

 窓から訓練場に視線を向ければ、そこでは今日も休まず弓矢を弄る平民達の姿と、その奥で乗馬しながら障害物を避ける訓練をしている傭兵達の姿が見えた。 彼らにしてみても野盗討伐の時の森での乗馬は褒められたものではなく、木々を避けるせいでただの縦陣での移動ですらぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 本来ならば縦陣で進むだけならば前の人間に着いていき、前が右に曲がれば右へ左に曲がれば左へと着いていくものだが、今もまだ障害物に慣れていないのか一列で走っているにも関わらず、個々が右へ左へ判断して曲がってしまい障害物を避けきった時には一列のようなものに成り下がってしまっていた。 明るくてこれだとすれば、あの日は夜間行軍だった事も加味すれば冒険過ぎたかもしれない。

 こんな状況では森での縦陣移動ならなんとかなるが、横列や並列にして突撃を敢行した日には敵とかち合う前に馬同士でぶつかって被害が出かねない。

「でも、平原での突破力は魅力的だけど、メイジが混じってた日には目も当てられない被害が出るだろうし…… あ、でも平原なんて開けた所でメイジと敵対したならば、弓兵でもなければどのみち大打撃をうけるのか」

 メイジと騎馬隊の戦闘を重い浮かべるが、全方位から囲うように突撃を繰り広げるならまだしも、横列で突っ込んだ日には悪夢しか待ってないだろう。 そもそも、馬はこんななりでありながら非常に臆病で、火や音に過剰に敏感な部分もあって大規模な戦場ほど厳しい調教をして克服させなければ、当たりもしない大砲の音ですら壊滅的な被害が出てしまう。

 そして、もう1つの欠点は騎馬隊は野戦築城のない会戦が本領で、防衛戦も出撃しては嫌がらせに敵を翻弄するのに向いているが、逆に城塞等に籠る相手を叩く時には騎馬隊は役に立たなくなる。 これは近衛軍の研究で出された結論だが、土塁のようなものを相手にすれば騎馬隊の攻撃力は半減し、土塁の周囲を塹壕が囲った時には騎馬隊は無力化されるとの結論が出されていた。

 暇だからと空を見上げるも、今のところクライフは部屋から出る事が出来なかった。 理由はクライフ本人からしても父上であるペイジからしても面倒この上ないことで、ガリアの政変の煽りを受けて活発化し始めたアルビオン国内の政局の、近衛という御旗の1つを奪い合うべくデーンロウ家は両陣営から切り崩しの的になっていたのだ。

 だから、今日も青い空の下で平和な日常に紛れ込み、つまらない話が進んでいたのだ。



 ソファーにかけて机を挟み、面倒そうにペイジは対面に座る男を見やる。 最近になって政治がどうなったのかは知らないが、我が家に招かれざる来客が多い。

「お久しぶりですサウスゴータ殿」

「2年ぶり、といったところかな?」

 デーンロウ家の家柄から考えれば、サウスゴータの太守などは来てもらうよりは会いに行かねばならない大物だが、それほどまでに近衛を重視しているのかこうやって訪ねてきたのだった。

「本日はどのようなご用件で? 手紙には来訪するとしか書かれていなかったので…… 言って下さればサウスゴータまで向かいましたものを」

「いや、書き忘れていたようで悪かったな。 今日はデーンロウ家の訓練場で弓矢を使わせていると昔から聞いていたので、それがどのようなものか視察したくてな」

 そう言って爽やかに笑うサウスゴータ殿に、ペイジは内心舌打ちをしながらメイドに出させた紅茶を飲む。 サウスゴータと言えば南部に属し、渦中のモード大公の直臣として名をはせる大貴族である。 それがこんな時期に、こちらも渦中に叩き込まれたデーンロウ家に寄ってそんな代理の貴族に来させれば済む理由の筈がない。

 だが、相手も相手だけにそれをおくびにも出さない強かさがあり、聞かれたならば答えなければならないのでペイジも弓矢の優用性を語り、それを使える者達の育成について話を続けていた。

 そして聞かれた事について粗方語りつくし、全くもって家主側としては良くはないが夕食に宴を催すと誘ったところで、サウスゴータ殿がさも今まで忘れていたかのように次の話題を落としてきた。

「そういえば、君の息子のクライフ君は今年で幾つになったんだ?」

「む、息子ですか? 今年で8歳になりました」

 不意に息子の話を振られ、思いきり食い付きそうになる所を気合いで堪えきる。 ここからは危険だ…… 気を引き締めないと、妙な事を口走って言質にとられかねない。

 そんな風にペイジが気を引き締めなおしているとはいざ知らず、まるで世間話の延長線上にあるかのように引き締まった頭を粉々に砕く爆弾が放り込まれた。

「もう1つ話があってな、私も可愛い娘を蝶よ花よと育てた結果、気付けば未だに婚約者1人居なくて困っていたんだ。 もしよければ、クライフ君を娘の婚約者にしてもらえないだろうか?」

 少しばかり困りながらサウスゴータ殿が発した言葉に、ペイジは全身に電流がはしるかのような衝撃を受けた。 自分が覚えている限りではサウスゴータ家の子息は、今のところ長女だけだった覚えがある。

 長男が居ない状況で長女を嫁に出す意味は大きく、もしも世継ぎに男児が産まれなかったならば、場合によってはサウスゴータの地はデーンロウ家の預かりとなり、クライフとの間に産まれた子供が正式にサウスゴータの太守となるだろう。

 今まで貴族がこの屋敷を訪ねて来ては、面白くもない思想を語りつくしありもしない権益をちらつかせ、それにあやかることができるとほのめかしてきたが、ここまで大きく出てきた貴族は居なかった。 それほどまでに、南部にしてみればデーンロウ家が――いや、近衛が重要らしいとみえる。

「ああ、そうそう。 お互いの事を知ってもらうのが一番だから、娘のマチルダにはクライフ君のもとへ行ってもらったよ」

 あのサウスゴータ殿の笑顔には悪意しかないんだろうか? ああ、クライフよ…… この話しは危険過ぎるのだ。 もしかすると、悪質なハニートラップの可能性が高いだろう。

 頼むぞクライフ、言質に取られるような事は言ってくれるな! ペイジはサウスゴータ殿の笑みから視線を外し、天を仰ぐしかなかった。



 お父様に言われ、同じデーンロウ家の屋敷に行くのに違う馬車に分乗し、更にはお父様の馬車より遅れてサウスゴータを出たマチルダは、お父様の狙い通りまんまとペイジの目を潜り抜けて屋敷に入り込んでいた。

 実は先に着いていたマチルダの父が、事前に娘の到着が遅れるとメイドだけに話しており、サウスゴータの紋様も相成り何の疑いも無しに屋敷に入り、お父様たちが会議をしている部屋へ連れようとするメイドに「ご子息のクライフ君に会って来なさいと、お父様に言われていますのでそちらに連れて行って下さい」と言えば、何の疑いも無しに政治から遠ざける為にクライフが籠っている部屋に通された。

 今回お父様より言い付けられた内容は、マチルダからすればとうとう来たかというものだった。 まるで確認するように何度も何度も可能性でしかないとは言っていたけれど、私のもとにも遂に婚約者ができると言っていた。

 今まで私と歳の近い貴族達の婚約話しばかりを聞いていて、いつくるのかいつくるのかと悩んで待って他の人たちよりも遅くて、もしかすると私は知らない所では嫌われているんじゃないかとも考えたけれども、実はお父様が私をお嫁に出したくないと頑なに拒んで居たと知ったときには、安堵の涙さえ出てしまっていた。

 それで、今回私に出来た婚約者の話を聞いた時、私は少しだけ失望してしまった。 相手はデーンロウ家の長男で、何度か私も当主の方とは会った事もあるし家柄に文句を言うつもりはないが、問題は年齢差である。 私の婚約者のクライフ·デーンロウは、未だに8歳であって私の半分しか生きていないのだ。

 もし私が8歳で16歳の男性に嫁がされたならば、内心では恐怖しか感じないかもしれないが今は逆のパターンである。 それに8歳と言えば口外できないけれど、最近何度かサウスゴータの屋敷にモード大公の屋敷から連れて来られた妹みたいなティファニアよりもまだ若い。

 運命なんて数奇なもので、流石にティファニアよりも若い子に嫁ぐとは思ってもいなかった。 婿になる自分より年下の男の子が居る部屋の前に着き、コンコンと軽くノックをしても返事がなく、2回目のノックをすると中から入室を許可する声が聞こえてきた。

「失礼します」

「えっと……………… どちら様ですか?」

「私はサウスゴータ太守の娘、マチルダ·オブ·サウスゴータです」

 部屋に入って来たマチルダを見て、目をまん丸に開いていたクライフに苦笑しながら自己紹介をし、そのまま部屋に足を踏み入れたマチルダは部屋の壁を構成するかのような本棚と、それを埋め尽くす蔵書に少しだけ驚いていた。

 いや、正確に言うならばマチルダが驚いたのはそれだけではなく、その本棚にかけられた梯子に――本人かは確証がないが――クライフが登って本を取り出している事に驚いていたのだった。 既にラインになっているマチルダからしてみれば、本の出し入れなんてものは杖の一振りで済んでしまうものである。

 目的の本を取り出したクライフはいきなり入って来た見ず知らずの女性に動揺しつつ、梯子からゆっくりと降りてきて小さく一礼してから自己紹介を済ませた。 曖昧に覚えている範囲で考えても、サウスゴータはデーンロウとは比べ物にならない家柄であり、クライフから見れば闖入者でしかない相手であれ礼節を欠かせなかった。



[20897] 7話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/21 20:59
 部屋に入って来た艶のある緑髪のお姉さん――マチルダに対し、クライフが「ミス·サウスゴータ」と呼んだら「私も貴方をクライフと呼ぶから、マチルダと呼んで構わないですよ」と口にしたので、今は家名もなにも関係なくマチルダお姉ちゃんと呼んでいた。

「随分と難しそうな本を読んでるのね」

「これはお祖父様の遠いお祖父様から編纂している本で、国軍や近衛軍の出陣記録です」

 何を読んでいるのか気になったマチルダは、椅子に座って本を読むクライフの後ろに立って本を覗き込むが、書いてあるのは兵隊の数やそれぞれの武装についてで、他にも細々とその日の風向きから果ては食べた戦闘糧食についてまで明記されていた。

 生憎貴族として勉強する為にハルケギニアやアルビオン、ブリミルについての歴史書を教科書として勉強をしてきたが、こういった軍事一辺倒の本は未だに読むどころかお目にかかった事すらなかった。

 こうしてクライフが本を読む姿は、そのくりくりっとした目を真剣にさせて可愛いものがあるが、やはり可愛いだけで異性としてみる事はできない。 そういう点から考えても、随分とお父様も無茶な縁談を組んだものである。

「私は読んだこと無いけど、戦争の本は面白いの?」

「戦争だけじゃないですよ。 日々の訓練に関する考察や、野盗退治から反乱鎮圧まで色々あったりします」

「へぇ、そうなんだ」

 軍事に関する教育は受けていないマチルダからしてみれば、野盗退治も反乱の鎮圧も人数の規模が違うだけで差がわからないが、どうにもわかる人間からしてみれば大きく違うらしい。

 特に共通の話題はなかったが、マチルダが思いついた事を質問すればクライフは読書を中断し、質問に対して十分な返答をおこなっていたが途中でふと、マチルダは大きな疑問を抱いた。 まだ8歳のクライフからしてみれば縁談なんて何ぞやといったものかもしれないが、それでも未だに婚約者になった事について一切触れられず、そもそも初めて会ったというのにその辺についてなんらアクションがないのは如何なものだろうか?

 確かに8歳の男の子に乙女心の機微を読み取れというのは酷かもしれないけれど、それを求めてしまうのもまだ16歳で乙女真っ盛りなので許してもらいたい。

「えっと、クライフは私についてお父様から何か言われてないの?」

「何も言われてないよ?」

 小首を可愛く傾げるクライフに少しばかり胸がキュンとくるが、今はマチルダからすれば聞き逃せない言葉を聞いた。 私の聞き間違いでなければ、クライフは婚約者について何も知らない状況にあるらしい。

 流石にデーンロウ家と私の家を比べたならば、デーンロウ家にとってこの縁談は正に大縁談であり、それをまかり間違っても当事者に伝えていない筈はないと思う。 場合によっては家を甘く見られたととられ、最悪の場合には破談だってあるかもしれない。

 じゃあ、もしかしてもしかすると……

「――お父様に担がれたのかしら?」

「どうしたのマチルダお姉ちゃん」

 不思議そうに私を見るクライフの頭を軽く撫でてから、大きく溜め息を吐いて私はクライフの隣の椅子に座った。




 デーンロウ家の立場と政局が変わらなければ、2年後にクライフが10歳になるのでそれに合わせて挙式をしたいと圧力をうけた。 立場や政局というのは、どう読み取っても『デーンロウ家が敵に回らなければ』という意味であり、ここまで一方的にとはいえ取り決めがなされた以上は、破談となると大変な問題がデーンロウ家に覆い被さることになるだろう。 いや、そもそも現状でも大問題でしかないが。

 とにかく、あの縁談から既に1年が経過していたが、何とかアルビオン王国の政局は小康状態に押しとどまっていた。 しかしながらそれは政治的な安定を意味せず、南部や近しい領地の親モード大公派と東部や北部を基幹とする反モード大公派が不安定な政局をつくり、皮肉にもそんな不安定な2つの派閥が政局を二分してささやかな安定を意図せずして作り上げていた。

 水面下での激闘は続いているが、表だった論戦は既になりを潜めてしまっていた。 デーンロウ家には縁の無い話だが、相手に表だって噛み付くにも情報が必要であり、その情報を手にいれるには金が必要不可欠だったのだ。

 東部と北部からなる寄せ集めの貴族達と、王弟でありさらには財務監督官の地位まで持ったモード大公。 元より財力には圧倒的とまでいえる差があり、反モード大公派の切り崩しも始まり流れは終息に向かっていた。 今回の政局の勝敗をあえてつけるならば、反モード大公派の惜敗か無効試合かといった形である。

 だからこそ、誰もがこのままうやむやに決着がついてしまう事を心から望み、そして誰しもが潜在的な対立は残しながらも今までの政治に戻るだろうと考えていたが、アルビオンという空飛ぶ大陸は波間に浮かぶ木っ端のように、また他国から寄せた波に翻弄されていた。

「それでは、これより会議を始める。 議題は風物詩ともいえるものだが、来年のロマリアによる親善大使来訪についてである」

 数年に1度の間隔ではあるが、ロマリアより外交を目的としない親善大使が送られてきた。 彼らは事実アルビオンに来ても政治的な話や通商についての話しもせず、ただただ1つの事柄を聞くためだけにロマリアより派遣されてくる。 その事柄は簡潔なもので、アルビオン王国の『聖戦についての如何』を伺いに来るのである。

「陛下、やはり聖戦とは損あって実がないもの。 やはり静観するのが良いかと」

「我々もモード大公と同意見ですな」

 この内容に関しては、派閥を越えて軍備拡張を目指す武家以外から全会一致で聖戦の不参加が意見として出され、国王も当然のようにそれを受け入れてエルフとの聖戦は不参加が採択された。

 やっと必要性の高いものには派閥を越えて話し合い、ぶつかるところはぶつかり正すところは正すようになって半年が経過し、このままいけば半年後にはクライフとマチルダの挙式となるところまで来て、とうとうハヴィランド宮殿の上空に政変の嵐が吹き始めていた。



 ウェールズは、最近になって急に父である国王が不機嫌になり、まるで八つ当たりのように政務官に文句を言っている姿をよく見ていた。

 流石に最近の国王の機嫌の悪さは目に余る領域に入りつつあるが、アルビオン王国という政治体制の頂点を窮める国王に苦言を呈する者はおらず、そもそも何に怒りを覚えているのか正確に知る者すら居ないのではないだろうか?

 だからこそ、アルビオン王国の皇太子として自らが動き、その理由を知る事で父王に代わってその問題を排除するか、もしくは内容次第では自分こそが家臣に代わって苦言を呈すべきだと考えて、ここハヴィランド宮殿で独自に聞き込み調査を行なっていた。

 しかし、調査は難航に難航を重ねる結果となった。 この事については未だに父王は口を開いて居ないようで、直臣から重臣に限らずメイドや執事のような者にすら溢していないようである。

「この事なんだが、パリーはどう思う?」

「そうですな…… 陛下のお心など私には検討もつきませんが、ここまで隠されている以上は何かしらの思惑があるやもしれませんな」

 そう、確かに国王という権力がある以上は、乱暴に言ってしまえば気に入らない部分を指摘さえすれば、政治は国をあげてそれを正すべく動き出す筈である。 それなのに、今回の件は国王以外の誰一人として知らされておらず、これは何かしらの理由なくしてはあり得ないと考えられる。

「ですが殿下、これを調べるには少々お気をつけ下さいませ。 どのような理由にせよ、陛下のお隠しになった心を調べるとなれば、野心を抱く諸候に『殿下に叛意あり』として、政治的な火種にされかねません」

「わかった。 じゃあ、気を付けて調べないとね」

 パリーの心配する言葉にそうだなと頷きつつ、しかし調べるからには徹底して調査をして、苦言を出せないが故に目に見えて最近精神的な疲弊がみてとれる政務官やメイドたちの為にも、迅速に調査を開始したのだった。


 ここ1週間程だが皇太子自らが調査を始め、様々な者に声をかけては国王の怒りの矛先を聞いて回ったが、分かったことは何一つなく得られたのは皇太子自らが動く物珍しさからくる悪目立ちと、国王の息子たる皇太子にすら情報がないと周囲に言い触らしただけになった。

 いやまあ、確かに実際は何も分からなかった訳ではない。 得られたのはほんのの少しの情報と、そこから生まれた情報の何倍もの謎である。

 例えば謎の手紙。 これは父王が叔父であるモード大公へ宛てて、ここ最近で3通もしたためられたものである。 内容は不明であり、そもそもそれをモード大公の屋敷へ配達するよう言い付けられたメイドしか書状の存在を知らず、しかも厳重に秘すようにとの言付けまでされていたようだった。

 だが、調べる限りではモード大公からの返信が到着した事実は確認できず、返信を要さない書状の可能性もなきにしもあらずではあるが、流石に短期間で出された3通もの手紙が全てそうである筈は限りなく低く、調べられた少ない範囲で考察しても何通かは黙殺されていると考えられる。 如何に王弟とはいえ現国王の書状による伺いを黙殺できる謂れはなく、何かしらの理由から父王の不機嫌を買っているのかもしれない。

 そして、もう1つだけ謎がある。 何処の誰かは解らないが、確実に国王の寝室へ不届き者が入ったという可能性である。

 調査を進めた結果として、何人かのメイドや貴族が国王の寝室へ入った誰かを目撃していた。 僕も調査をしていて思い出したが、確かに父王の寝室へ向かう者を見定めた上で入室を許可している。

 だが、一重に皆が口を揃え――例外なく僕もだが――国王の寝室へ入った者について『黒髪でローブを着た女性』という記憶しかなく、何処の誰が入ったのか知る者が居ないという恐ろしい現実だけが残っていた。 顔も名前も知らない誰かであるが、自身のか細い記憶を手繰っても覚えているのは、確かに僕はその女性に対して「彼女なら寝室へ入っても問題はない」と、何を根拠にしたのか不明な事を言っただけである。



[20897] 8話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/22 20:48
 ここ最近は皇太子の奇異な動きが目についたが、昨日になってその皇太子主催の会議が開かれ、そこで賊の侵入についての報告がなされた。

 会議を仕切る殿下の話しによれば、誰も知らない何者かが堂々とハヴィランド宮殿の正面より侵入し、何らかの手段を用いて衛兵やメイドはいざ知らず、ハヴィランド宮殿へ参内する貴族の目や殿下すらだまくらかして陛下の寝室へと侵入したとの事だった。

 その間には何人もの目をくぐり抜けておきながら、証人として喚ばれた者も殿下本人も黒髪でローブ姿であった事しか憶えておらず、しかも独自の調査をしてメイドの1人が思い出すまで誰もが忘れてすらいたのだ。 今回は目的が不明だったが、もし陛下の暗殺が目的だったならば何の障害もなく成し遂げられてしまっていただろう。

 しかしながら、部屋に侵入された陛下曰く盗難品すら存在せず、賊の目的は何も分かっていないのが現状である。 一応無駄とは分かっているが、近衛軍第2部隊を使って独自に警備を強化しているが、対策ができない以上は同じ手を使われても防ぐ手立てがない。

「こういった事は、まだ自分より父であるウィリアムの方が得意なんですがね。 父は今日中にでも帰って来ますが、それからではどうでしょう」

「先生は君の屋敷で近衛選抜の視察だったからね。 それに、僕としてはペイジに頑張ってもらわないと」

 父であるウィリアムは、近衛に入れても実用に耐えうる人材が居るかどうか屋敷の訓練場で視察していて、その間は2人の仕事は入れ替わりウィリアムは屋敷で政務と訓練の指揮をとり、近衛軍第2部隊司令ウィリアムという席があいた場所に息子たるペイジが代理として座っている。

 実際にウィリアムは屋敷で視察を行なっているが、実のところそのウィリアムが近衛から退けば次の司令はペイジになるので、そのお試し期間という意味合いも大きい。

「それで、どんなご用件ですか殿下?」

「これは内密な話なんだけど…… ペイジはモード大公の屋敷へは何度も足を運んでいるよね?」

「はぁ…… まあ、それなりには行っていますが」

尋問染みた後ろ暗さは介在しないとは言え、相手の真意すらわからず後の最高権力者と2人きりの部屋で話を聞かれるというのは、ペイジからしてみれば薄気味悪いことこの上なく、自分なりに失点を思い出してみるが領内の政治にしか手をつけず、国政はウィリアムがこなしていているペイジにしてみれば心当たりは皆無である。

「いや、その――叔父上は大過ないかな?」

「ええ、相変わらずお元気でしたが…… そう言った話しは、それこそ本人になさるととても喜ぶと思いますよ?」

ことここに至って、ペイジの思考を支配していたのは何を聞かれるかという先程までの不安から、現在では殿下から出された歯切れの悪い質問に対する疑念しかなかった。 わざわざこんな事を聞くためだけに、あえて副官を部屋から遠ざける必要はあったのだろうか?

 ここ最近は特に奇行が悪目立ちしているが、殿下とは元々聡明な方である。 もしかすると政治の苦手な自分には理解する事もできないような、壮大な質問だった可能性もなきにしもあらずである。 いや、珍しく挙動不審な殿下を見ていると、そんなわけもないかと感じてしまうのは臣下の人間としては不味いだろうか?

「私も単刀直入にうかがいますが殿下、本日は何を聞きに来たのでしょうか」

「あーいや、恥ずかしながら僕が最近動き回っていたことは知っているよね? その時に偶々知ったんだけど、父上はモード大公に対して書状を何通かしたためているんだ。 未だに1通の返信もなく、最初に書状を出した時期と父上の不機嫌の始まりが一致してね。 もしかしたら、ペイジは叔父上が父上の不興をかったならば理由を知っているかと思ってね」

「モード大公…… ですか?」

 殿下にそう言われ自分なりにモード大公について考えてみる。 最近になってもモード大公の屋敷に寄っているが、本人も何かに悩むような仕草も出していなかった上に、そもそも自分より圧倒的に政務能力の高いモード大公の失敗は想像さえできない。

 そのままペイジはうーんと唸るだけで何も思い付かず、元々ウェールズも期待してはいなかったのか黙ってそれを見ていた時、ふっとペイジにとって苦々しい過去が頭をよぎった。


 あれはもう何年前だろうか? 忘れたくて忘れようとして、それでも記憶から消せないもの。 あの場にいる全ての人間に平等に不幸を撒き散らし、その一切の誰にも得を与えなかった悪夢。

 その日は野盗討伐代行の要請を受け、珍しくサウスゴータの近くまで行った時の事だった。 部隊を率いて野盗を皆殺しにし、盗品を持ってサウスゴータ太守の屋敷へ向かっていた。 あの時はこちらの手違いで書類の数字を読み違い、野盗討伐を要請された日程より1日早く仕事を済ませて屋敷へ向かってしまった。

 だからこそ起きた入れ違いは、絶対的な不幸を撒き散らす。 討伐部隊は野営の準備をさせて、ペイジだけが馬車に乗り屋敷まで来ていたが、どうにも玄関前に1台の馬車が止まっていて先客が居るように見受けられた。

 だが、その馬車はペイジにとって違和感の塊でしかなかった。 そもそも近付いて見ても四方に窓すらなく、言ってしまえば犯罪者の移送に使う馬車の方が牢越しとは言え外が見える分だけマシだし、サウスゴータ太守という名家に停めるには家紋すらない馬車は不釣り合いであるが、しかしそんななりでありながらも足回りは精巧に造られているのに違和感がある。

 まず最初の失敗はここで、誰かは知らないが先客が居るならば日を改めようと考えればよかったのだ。 だが、当時のペイジはそれに何も感じる事はなく、まあ誰かが来ているんだろう程度の考えで中に入ってしまっていた。

 そして、屋敷の中に入ってからも気付くべき点はあった。 大きな屋敷にしては明らかに仕事に従事するメイド達の数が少なく、玄関で出会った老執事がペイジを客間へ招く際には荷物持ちすら呼ばずに、重いだろう盗品を老執事自らが運ぶ徹底ぶりであった。

 そのまま誰ともすれ違わず客間へ向かい、連れられた部屋へ真っ直ぐに入っていれば問題はなかったのだ。 なのにペイジは余りにも人気のない屋敷に疑念を感じたのか、部屋に入る前にちらりと周囲を見回したのが最悪の事態を招いていた。

 ちらりと確認した長い廊下の向こうを、2人の男性と1人の女性が歩いていたのが見えた。 距離があった上に数秒しか見えなかったが、それを見たペイジにとって2人の男性には見覚えがあったが、見覚えのある内の1人であるモード大公と腕を組んだ金髪の女性には心当たりがなかった。

 あれは確かにモード大公の正妻である奥方様ではなかったので、もしかしたら何人かめの妻か妾なのかもしれない。 世継ぎこそ重視される結婚において、男児をなす為ならば何人もめとる貴族は多々いるので問題はない。

 だがしかし、見間違いならば全く問題は存在しないが、本当に存在しないんだが…… 気のせいでなければモード大公と腕を組んで歩いていた女性の耳が長かった風に見えた気がした。

 見てしまった現実を頭が理解できずに廊下で立ち止まっていると、もう1人の見覚えがあるサウスゴータ太守も廊下に立ち止まってペイジを凝視していて、それに気付いた時には目が合ってしまっていた。 見てしまったものが怖くなり、そそくさと客間に入ったペイジは正直に言ってその日にサウスゴータ太守と何を話したのかすら憶えていない。


 あの時の盗品返還について何を話したのかわからないが、ただ、見てしまったものを墓まで胸にしまっていくと何度も確認した事だけは鮮明に覚えている。

「……残念ながら、自分の知る限りにはありませんねぇ」

「そうかい? となると、本人に聞くしか無いのかな」

 確かに心当たりとしてあの日の風景を思い出しはしたが、ここではそれをウェールズに伝えずにペイジはシラを切るという選択を選びとった。 ここでそれを口にして、もしも陛下の怒りがそことは違った場合、それは藪蛇として甚大な被害をもたらしかねないのだ。

 モード大公本人にどう聞くべきかと悩む殿下を前に、臣下でしかないペイジとしてはいたたまれない気持ちに苛まされるが、これは国を割りかねない事実なので口にするのは憚られたのだった。

 それからも、陛下の不機嫌についての理由を考察し何言か会話を交えた時、今日は千客万来なのか今度はノックもなく扉が開かれた。 いきなり開いた扉にペイジとウェールズは訝しげな視線を送るが、そこに立っている人物を見て2人慌ててソファーから立ち上がる。

「陛下!」

「父上!」

 疚しい事は何一つないわけだが、やはり個人的には今しがた話題に上がっていた陛下が急に部屋に入ってきたというのは、ただでさえ機嫌がよくないのもあり軽く取り乱す程度には驚いてしまった。

「ウィリアムはどうした?」

「父上でしたら、今日まで屋敷にて近衛への引き抜きの視察へ向かっています。 ですが、今日中には帰って来ますので、陛下の元まで向かわせますが」

「いや、居ないならペイジでもよい。 ウェールズ」

「はい」

「内密な話しになるから席を外しなさい」

「……はっ」

 有無を言わさない陛下の迫力に、殿下は疑念を飲み込むと一礼して部屋から出てしまった。 今日だけで大物が2人も来室してきたが、どうしてこんな日に限って父上の代理としてこの部屋の主として居座っているんだろうか?

 内心かなり焦っているペイジを気遣う事もせず、ジェームズ1世は平静の中に微かな侮蔑を混ぜて口を開いたが、それにペイジは気付く事は出来なかった。

「これより近衛軍第2部隊に密命を言い渡す」

「はっ!」

「船に乗りロサイスへ急行し、ロンディニウムから出撃し南下する近衛軍第1部隊と連携、北上しつつ逆賊モードに与する街をことごとく焼き払えい!」

「……………………は?」

 最初は何を言っているのかすら理解出来なかった。

 段々と言葉の意味は理解でき始めたが、それでも脳は理解を拒んでいる。 真顔で言う陛下に状態を言う雰囲気はなく、恐ろしいまでの静謐だけが部屋を支配していた。



[20897] 9話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/23 21:08
 近衛軍第2部隊司令室の空気はソファーに座り机を挟んだジェームズ1世とペイジを中心に、まるで凍りついたかのように冷たく、そして動きを忘れたかのように停滞していた。

 やっとの事で陛下に言われた内容を自分なりに咀嚼し、何とか理解にこぎ着けたペイジは仰天すべき内容に目を見開き、ただただ間抜けのように憮然とする陛下を見つめるしかできなかった。

 本来ならば無礼でしかないペイジの態度に対し、あくまでもジェームズ1世は鋼鉄の意思と微かな嘲りの意志だけを全面に押し出すと、腕を組み無言でペイジを睥睨する。 そんな戯言の一切が介在しない現場に気付いたペイジは、慎重に気になる部分を問いただす事にした。

「へ、陛下。 逆賊と仰られましたが、モード大公に叛意でもあったのでしょうか?」

「奴めは何年ものあいだ余を裏切り続けてきたのだ!」

 最近不機嫌だと聞いてはいたが、あまり登城する機会のないペイジからすればここまで感情を露にし、ただただ怒りの感情だけを見せつける陛下を見るのは初めてであり、その迫力に怒りが自分に向けられていないながらも仰け反ってしまった。 だが、これでもペイジは武門のはしくれであり、仰け反りながらも聞くべきことは口にして聞き出す努力をする。

「……裏切るとは?」

「あの者は、おぞましくも悪の尖兵たるエルフめを娶るという暴挙にでておる! このような事が今までバレていなかったからよかったものの、もしもロマリアにでも嗅ぎつかれでもした日には『聖戦を望まない理由はエルフに荷担している』とでも難癖をつけられ、それこそハルケギニア全土と開戦になる! この様な軽率な行いをする者を弟だとは思えん…… 証拠など残さず焼き払ってくれるわ!」

 激情に猛る陛下の目には国への純粋な想いのみがあり、実の弟を討ち取ると口にしているのに雰囲気からは狂気が感じられなかった。 しかしながら、こうもタイミングのいいエルフという話題にペイジの内心混乱が激しい。 まさかとは思うが、心を覗かれでもしたのではないかという不安に陥るが、流石の陛下とてそれはないだろうと否定する。

 だとしたら、モード大公の元から情報が漏れだしたのだろうか? 最近までモード大公派と反モード大公派で政争をしていたから、不運にも反モード大公派が嗅ぎつけてしまったのかもしれない。 情報とは確実にどこかから漏れるものでありながら、もしかするとここまで秘匿できていた方がおかしかったのかもしれない。

 それにしても、この状況は不味い。 誰がその情報を陛下にたれ込んだのかは知らないが、かなり確信を帯びるレベルで陛下はエルフが存在していると睨んでいる。 では、この状況で自分はどうするべきか?
 今までモード大公より享受してきた義に報いるか、デーンロウ家の成り立ちに則り忠に生きるべきか。

「――陛下、少々落ち着いて下さいませ。 私めが愚考するに、モード大公ほどのお方が薄汚れたエルフ等を身の傍に置く筈がないと思えます」

「………………」

「これはあまりにもアルビオンという国にとって見ても事が重大過ぎます。 何ぞと、この件はエルフの存在が確信に至るまで、陛下の胸のうちにお秘めくださるようお願いいたします!」

 ペイジは懇願するように額を机に擦り付け、無心になってジェームズ1世へと頭を下げる。 その背中や額には滂沱の汗が流れ、寒くはないのに全身が細かに震える始末であった。 ああ…… 私はとうとう陛下を裏切ってしまった。 冷めた思考は自身の軽挙を罵り、後の代となるクライフや先代であるウィリアムへの謝罪だけを考え続ける。

 必死に頭を下げるペイジには見えていないが、それを睨めつけるジェームズ1世の瞳には隠しきれない憎悪だけが灯っており、ペイジにしてみれば再考を促す事に怒りを感じていると的外れな考えをしていたが、ジェームズ1世は違う事に対して剣呑な雰囲気を発散していた。

 今回のエルフの存在であるが、ジェームズ1世としてはこれは可能性ではなく、既に存在を確認してすらいたのだった。 そう、あれは少し前の事だ。 いつも通りの公務を全て済ませて部屋へ戻れば、机の上に見慣れぬ10サント四方の小さな鏡と差出人不明の手紙が置かれていた。

 その日は後にウェールズによって知ったが、奇しくも物盗りか何かが部屋に入ったようだが盗まれたような物はなく、実際にはむしろ物が置かれていただけである。

 とにかく、ジェームズ1世としては手紙の存在を話しとしては聞いていないが、それでも寝室に運ばれているならば読むべきものだと思い手紙を読み始めたが…… あまりにも突拍子のない内容に、読んでいる内に不快感から眉間に皺が寄ってくる。 アルビオンに生きる者が――ハルケギニアに生きる者が、どんな思考をすればエルフなどを娶るというのだろうか?

 しかも、それが他ならぬ自分の弟であるモードだと書かれていれば、この手紙は眉唾物の価値すら無くなるだろう。 他に書かれているのはエルフの存在を知っているという、モードの腹心や直臣等のいわゆるモードにちかしい者達の名前と、手紙に添えて置かれていた鏡の使い方だけである。

 鏡の使い方は単純明快で、これは遠見の鏡となっていて魔力を込めれば定められた秘密の場所だけが覗け、これは覗かれる側からのディレクトマジックを受け付けないと書かれていた。 だからだろうか? どうせなら手紙を置いた者の思惑に乗り、その鏡を覗き込もうと考えてしまったのは。

 どうせそんな事はあり得ぬ事とたかをくくり、むしろ鏡を使い国王である余を謀ったとして手紙を置いた者を捕らえさせ、そこから黒幕であろう反モード派の誰かを引き摺りだしてしまい、今後の政局で更なる発言力の強化をしなければな。 そうして半ば今後の展開に笑みをこぼしながら鏡を覗き込み――予想だにしなかった現実に息を飲んだ。

 何処の誰の屋敷かはわからないが、その寝室のベットには眠そうに横になっても美貌に陰りのない金髪の美女と、余の弟たるモードが仲睦まじく抱き合っていた。 2人は心底幸せそうな笑みを浮かべ、その屋敷へ招待したというサウスゴータ太守への感謝を口々に喋っているが、そんな雑音はジェームズ1世の耳には微かたりとも入ってこない。

 ただただ食い入るように、それしか知らないかのように眼を大きく広げ、美女の顔に視線を向ける。 この光景は、ジェームズ1世にとってそれほどまでに衝撃だった。

 何度見ても、何度確認しても、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も見直しても、金髪の美女の耳はエルフの特徴である"尖った耳"という特徴と一致していた。

 完全に裏切られたと感じたジェームズ1世は、先程確かにサウスゴータ太守の屋敷と言っていたのを思い出し、いつの間にか床に落ちていた手紙へと手を伸ばして読み直す。 確かに知っている者の中にはサウスゴータ太守の名があり、こうして読めば本当にモードと――奴と近い者だけの名前しかない。 しかも家族全員が知っている訳でもなく、情報が漏れぬよう出来る限り知る人間が少なくなるよう努力している節さえうかがえる。

 ことここに至ってジェームズ1世は手紙が事実だと確信し、それから奴には黙殺されたが3度秘密裏に書状を出している。 1度目が奴自身によりエルフを国外追放を求め、2度目には国が放逐するからエルフを差し出せと書いた。 3度目になり余は奴自身によってエルフの処刑せよと迫ったが、遂にどの書状なも返答がなく今日に至って南部の征伐まできてしまったのだ。

 如何に弟だったとてエルフの存在は許されるものではなく、ロマリアに目をつけられるまえに全てを始末せねばならない。 だからこそ近衛軍を動かし、もしも屋敷から逃していた場合も鑑みて住民諸とも早期殲滅をしなければならないのだ。 そう思って近衛軍に話をつける為にも第2部隊の司令室に入り、今向かいで頭を下げているこの男も存在を知る者として手紙に名を連ねていたデーンロウ家唯一の男であるペイジだった。

 エルフの存在を知りながらひた隠し、更には余の前であるにも関わらず背任にもあたる言動に怒りを感じてしまう。 どこまでエルフの存在を知る者は余を裏切れば気がすむのだろうか?

「――面を上げよ」

「陛下!」

「余の言葉が聞こえぬか、面を上げよと言っておるのだ」

 怒りが頂点を通り抜けたからだろうか、穏やかな声が出てきているのが理解できた。 それを良い兆候と判断したのか、ペイジは顔を上げてジェームズ1世の顔をみたが、今までに見たことのない能面のような表情に息を飲んでしまう。

「偽臣が悔い改めぬのは道理らしい」

「陛下?」

 デーンロウ家の先代であるウィリアムと供に先々代に稽古をつけられてからというもの、出来る限り腰に下げていた剣を立ち上がって引き抜き、呆然とした偽臣に突き付ける。

「余の元にエルフを示す証拠と、その存在を知る者の名が書かれたリストが届けられている。 そのなかには、貴様の名も入っていた」

「私の名が……」

 その宣告はペイジとしてみれば悪夢でしかなく、そもそも微かにしかエルフの存在を知り得ないペイジの名が入っている時点で情報の精度は恐ろしく完璧で、どこから出てきた情報かはわからないが言い訳なぞはできそうにもなかった。

「陛下…… 1つだけお願いがございます」

「申してみよ」

「これは私だけしか知らぬこと。 父上や息子たるクライフには処罰なきよう心よりお願い申しあげます」

「デーンロウ家で手紙に書かれていたのは貴様だけだ」

「では、これにて失礼させて頂きます」

 自らも立ち上がり陛下にデーンロウ家への処罰なきよう願うと、どうにもそれは無いようで安心できた。

 少しだけこの世に未練があるとすれば、愛息子たるクライフの成長が見られない事だが…… 振り上げられた剣が自身の体を袈裟に斬り裂いた時には、瞼の裏にクライフの笑顔が映りペイジは静かに事切れた。



[20897] 10話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:62152c15
Date: 2010/08/28 22:14
 近衛へ推薦の出せる者が居るかどうか見極め終え、夜になって今日は久しぶりに孫のクライフと馬車に乗ってロンディニウムへ向かっていた。 だが、道中珍しく馬車馬の手綱が切れたと御者から連絡があり、その修復に立ち往生しながらもこうしてハヴィランド宮殿まで到着したのだった。

 並みいる貴族を無視する形で宮殿の端にある軍部へ向かい、今日も慣れない仕事に苦戦しているだろうペイジを思い苦笑する。 だが、近衛軍の司令室が近くなれば近くなるだけ周囲の空気が変わり、廊下やあちこちを近衛軍第1部隊の隊員が緊張感を孕んで動いているのが見てとれた。

「お祖父様…… 本日は何かあるのですか?」

「いや、予定にはないはずだが」

 とにかく気になって足早に歩き、既にこの宮殿における自室と言って過言ではない第2部隊司令室の扉を開き、芳しいまでに漂う嗅ぎ慣れた鉄錆びの臭いと鮮烈な赤に息を飲み、地に臥せ動かないペイジと鮮血滴る剣を構えた陛下を見比べて固まった。

「……ち、父上?」

「陛下…… これはどういう事ですかな?」

 唖然とする孫の前で自分まで取り乱すわけにはいかず、毅然とした態度で息子を討ったであろう陛下にまずは口答でたずねるが、個人的には腰に下げている剣の柄を握るだけで抜かない自分を誉めて欲しい。

「この者はモードめがエルフを妾として匿っているのを知りながら、それを余に隠していた罪がある」

「……ッ!」

 あまりにも想定外な罪状に、ウィリアムは歯噛みしてしまう。 エルフを娶り匿うのは誰でもわかる大罪であり、それを知りながらにして陛下に隠すのは紛れもない罪である。

 まさかペイジがそんな事を知っていたとは露知らず、そんなまさかという疑念がウィリアムの心を揺らすが、ジェームズ1世によって口にされた次の言葉に疑念など欠片も吹き飛ばされてしまった。

「フネに乗りロサイスへ急行し、ロンディニウムから出撃し南下する近衛軍第1部隊と連携、北上しつつ逆賊モードに与する街をことごとく焼き払えい!」

「――はっ!」

「余は戦場働きでこそ、武家たるデーンロウ家の人間は汚名を雪げるものだと確信している」

「ウィリアム·デーンロウ並びにクライフ·デーンロウ、我が命にかけても任務を達成致します!」

 訳のわからぬ感情を捩じ伏せるべく唇を噛み千切り、血の流れる口元を拭わずにクライフの頭を掴み自分と共に一礼させると、迸る気焔をたぎらせて近衛軍第2部隊の宿舎へと向かう。 宮殿の敷地の端に位置する建物は、陛下の御盾になるには即応性が必要だと昔直訴した結果として建てられたもので、そこには100人以上の戦闘員が泊まり込みをしていた。

 そこで3人の隊員に声をかけ、1人には出撃準備を告げるラッパを吹かせるように指示を出し、もう1人には空軍に輸送船をロサイスまで王命で出させるよう伝え、最後の1人には他の仲間と手分けして近衛軍の旗を多く用意するよう命じて外でまつ。 すると、ラッパの音と同時にガタガタと建物の中から音が聞こえだし、今までの訓練通り素早く全員が整列した。

 そこに伝令を頼んだもう1人が到着したのを確認し、空軍基地へ行軍し輸送船へと乗船するよう命じれば隊列に乱れなく、任務が何かという疑問すらなく空軍基地へ向かい乗船していく。 内陸部の夜間哨戒を前に既に風石を積んでいたのか、乗船が済んだ途端に発進する輸送船の上で訓示を始める為に、副官たるクリストフが大声を上げる。

「全員傾注!」

「諸君! 我々に新たな任務が与えられた! この任務は私にとっても、諸君にとっても心苦しい任務である。 陛下は仰られた…… 南部に位置する逆賊モードと、それに連なる南部の民を皆殺しにしろと!」

 任務を聞いた瞬間、流石に先程まで何の迷いもなく動いていた第2部隊も任務の異様さに驚き、急に浮き足立つようにざわめきが伝搬していく。 だがそれも、副官の怒声によって黙り込みウィリアムの言葉の続きをまだかまだかと待ちわびる。

「諸君にも考えて欲しい! 今まで実戦訓練と称して野盗の討伐も行ったが、必要以上に陛下の民を害した記憶があるだろうか! いや、私はない! 今回の任務は陛下のご意向を無視する形になるが、逆賊モードに連なる首謀者の首級のみを求めるものとしたい。 諸君、陛下への忠誠篤き諸君! 陛下の意をくみ悪戯に民草を殺したい者がいれば、どうかこの私を斬って欲しい!」

 そこまで叫び、辺りを見回す。 これはジェームズ1世に対するウィリアムなりの小さな抵抗だった。

 陛下の激情は民すら斬り捨てる算段を立てていたが、それを現場指揮官であるウィリアムは無視して民を救う。 当然元より民まで皆殺しにする必要がないので、首謀者の首級さえ集めればこちらの判断に間違いはない。

 ただ、ここまで叫んでから思い至ったが、もしもここで私が斬られたならば孫は日に2人も肉親を失う事になってしまうなと苦笑してしまった。

「異論はないか?!」

『はっ!!』

「我々は平和的に要求を行うつもりであり、敵が迎撃をとらないかぎり武力行使はないと心得よ!」

『はっ!!』

 まだ状況が把握できていないのか、訓示に対しても目を白黒させているクライフに内心暗澹たる気分になりながらも、今後を伝えるべくロサイスまでの短い航路で伝えるだけ伝えてしまおうと考え、部隊には待機を言い渡し与えられた船室へと向かう。

 この船に与えられた任務は内陸部の哨戒であり、外洋を哨戒する船のようにある程度単独での攻撃力は求められておらず、3門という有るのか無いのかわからない程度の火力と1騎の竜を備えただけの旧式船である。 そんな船には当然貴族が乗船するような予定はなく、薄汚い船室を済まなそうに船長より与えられたが、これはウィリアムとしてはこれから戦場に向かうのに華美な部屋を与えられるよりはありがたかった。

「クライフ」

「…………」

「クライフ」

「…………」

「そろそろ我を取り戻さんか!」

「はっ、はい!」

 鼻息を荒くし腑抜けた孫へ檄をとばす。 それでやっとクライフの瞳の焦点がウィリアムにあい、困った孫の頭を撫でてやる。

 だが、それも逆効果だったのか、クライフは先程よりもあからさまに固まって自分を見ている。 もしや頭を撫でられるのが嫌いだったかとか、もしや撫でられた頭が痛かったのかと不安が頭をよぎるが、そこである事実に思考が行き当たる。

 ――いったい、最後にこの頭を撫でてやったのは何年前だろうか?

 ここ数年を思い返すが、人より下手な故に同じ量をこなす為に他人より政務に倍近くの時間を割き、歴代国王より任じられてきた近衛軍第2部隊の司令官として恥じぬべく軍務に心血を注いで過ごしてきていた。

 しかしながら、ここ数年は忙しいというありきたりな理由を免罪符とし、こうして孫に向き合う事はなかったのではないだろうか?

「……くくくっ」

「お、お祖父様?」

「いや、なに…… こうしてクライフの頭を撫でるのも、存外久しぶりだと思ってな」

 急に笑いだした私に対し、クライフは見ていて滑稽に思えるほどあたふたと慌て始め、それを制するようにそのままぐりぐりとクライフの頭をもうひと撫でしてやる。

 色々伝えるべき事はあったが、ペイジが亡くなった以上は自分がクライフの父親がわりをするべきであり、亡き息子の早すぎる死を悼みウィリアムはロサイスに到着するまで静かに涙を流していた。



 ロサイスに到着して早々、全員に下船を通達しロサイスの守備隊に近衛軍の名の下に、この軍港の封鎖を要求する。 最初は守備隊としてもそんな命令に渋っていたが、懇切丁寧とまではいかないがエルフについて隠しながら、陛下の密命でモードの叛意が確認されたのでサウスゴータ太守以下を討伐する為にも、近衛軍としては敵の船による脱出も背後からの追撃も嫌だと伝えて軍港の封鎖を確約させる。

 後顧の憂いを断つと、そのまま徒歩で街道を北上していく。 ロサイスからシティオブサウスゴータまで多少の距離があるが、その程度で自らが率いる第2部隊がへばるような訓練は行なっておらず、このままの速度で行軍すれば払暁にはシティオブサウスゴータまで辿り着く計算である。

 当然ながら到着は出来る限り早い方がいい。 早ければ早い程に街中を出歩く人間が減り、下手な刺激を与えないで済むのだから。


 太陽は東に微かに登り始め、空は朝焼けにより赤く染まるころに第2部隊は目的地であるシティオブサウスゴータの城壁へ辿り着いていた。 朝焼けに染まる城壁は赤く美しいが、交渉次第では紅い炎と紅い血に染まるかと思うと陰鬱である。

 とにかく目を白黒させる門兵に開門させ、部隊を東西南北の各門外に10人ずつ配置し、ゆっくりと残りの部隊はシティオブサウスゴータへと侵入していく。 静かに街に入ってから、そこで更に部隊を分断し各々に近衛軍の旗を挙げさせると、そのままサウスゴータの議会に関わる有力貴族の屋敷を囲ませる。

 旗が足りた事に安堵しつつ、一昼夜起きているのに目が爛々と輝くクライフの手を引き、慣れない自分達の戦場を求めてサウスゴータ太守の屋敷へ足早に向かって行った。



 昨夜は珍しく仕事が嵩み、深夜まで眠る事が出来なかった私はベットで惰眠を貪っていたが、そんな幸せも長くは続かず廊下をドタドタと慌てて走る音と、その後に扉を力強く叩かれる音で嫌でも目を覚ましてしまっていた。

 全く何を慌てているのかは知らないが、遊びに来ているティファニア嬢やマチルダが起きたらどうするというのだ。

「どうした、うるさいぞ」

「し、失礼致します! た、たた大変ですぞサウスゴータ様!」

「何が大変だというのだ?」

「近衛が、近衛軍が屋敷を包囲しています!」

 余りにもいきなりな話しに、もしかするとまだ寝ぼけているのかもしれないと考えて窓の外を覗くと、そこには武装した少人数の部隊と近衛軍の旗が棚引いていた。

「近衛軍…… が? 要求は何だ?」

「その、司令官であるウィリアム様がとにかく会談をもちたいとだけ申しております」

「今すぐに準備をすると伝えよ! いいか、絶対にティファニア嬢だけは隠しきるぞ!」

 頷く執事を尻目に私も着替えを始め、急いでウィリアムと会談すべく廊下を走り出した。



[20897] 11話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/10 17:56
 あまりに予想外の展開に驚きながらも、それは近衛軍が動いたからではなく早朝に訪ねて来た事だとでも言いたそうに、私とクライフの前に机を挟んでサウスゴータ太守が席に座った。

 緊急事態だとわかるだろうに政治に慣れた涼しい表情を崩さないが、その着衣は所々が乱れていて泰然とした態度とは違う余裕のない本心を見せてくれる。

「こんな時間から近衛は軍務ご苦労さまですな。 事前に言って下されば朝食の準備をさせましたのに」

「サウスゴータ殿…… あまりここで時間をかけられない故に、単刀直入に申しあげる。 モード大公に反逆罪が適応された」

「なっ?! 陛下に忠誠を誓う主君が何をなさったというのです!」

「罪状は――エルフの保護だサウスゴータ殿」

「……っ!」

 いきなり主たるモード大公に反逆罪を被せられたという衝撃から、すかさずサウスゴータはウィリアムに噛みつくが、その罪状を聞いて顔からみるみる血の気が引いて蒼白くなっていく。

 エルフの存在は誰にも漏らしてはならぬ事であり、それがどのような形であれ陛下の耳に入ってしまったならば、このような動きも理解できるが故にサウスゴータは近衛軍がここに何をしに来たのか理解してしまったのだが、力なくか細い声で尋ねた。

「陛下は…… 陛下は何を御望みか」

「この件は既に陛下の怒り心頭に至り、愚かしくもエルフを匿った南部の諸候を民衆諸とも焼き払うようお命じになられた」

「な、なんと、陛下はそこまで……」

 それを聞いて、陛下の怒りにどれほどまでに触れたか理解したサウスゴータは、目の前が真っ暗になり机に崩れ落ちた。

 なんと恐ろしくも陛下は、ただただエルフの存在を秘匿した大罪を何も知らぬ民にまで連帯責任となさったのだ! これから近衛軍によって行われるであろう虐殺を想像し、絶望の渦に飲まれそうになり――ある違和感に気付いた。

 目の前に座るウィリアムは、いったい何のためにこうして会談したのだろうか? もしも私が直情的であったならば、こうなれば陛下に弓引くのも如何なるものぞと民を助けるべく近衛軍を戦闘し、そのまま我々は逃げおおせられるかもしれない。

 そんな可能性がある中で、わざわざ奇襲的に街に火をかけて燃やすという常道を捨てて、こうして私の前に座している理由はなんだろうか?

「……ウィリアム殿、我々にいったい何を求めると言うのですか?」

「エルフの存在を知る者全てに書状をしたため、存在を知る者の首級を階級の貴賤なく求める旨を書いて頂きたい。 陛下は何者かにより、エルフの存在を知る者のリストを得ています…… その者の首級さえ揃えば怒りは収まるかと」

「そうか――そうか。 ウィリアム殿、とても申しあげにくい事ではあるが、これは私の責任として伝えねばならない事がある。 知らないとは思うが「ペイジがエルフについて知っていた事は、既に存じています」……言ったのか?」

「いえ、陛下自らの手により昨夜討たれました」

「すまない…… 本当にすまない」

 虚ろな表情でサウスゴータ太守はウィリアムに謝ると、執事を呼び出し紙と筆を用意するよう口にすると、偶々その日にペイジがエルフを見てしまったのかという説明と謝罪が続いた。



 執事によって届けられた紙に一心不乱に文字を書き記し、自身の思いとエルフの存在を知っている者の首だけを渡すよう通達する書状を書きつくす。

 判例として未だにデーンロウ家には処罰がなく、エルフの存在を知っていたペイジだけが討たれた事実も載せ、皆殺しを避けるべく残り少ない命を燃やして準備をすませ、先程の執事にこの屋敷でエルフの存在を知る者を庭に呼ぶよう頼む。

 ぞろぞろと窓の外で庭へ集まってくる面々は、囲む近衛軍を見て既に涙を流すものまでいて葬儀のような空気が部屋にたちこめるようだった。

「エルフの存在を知っている者の名前は、このリストにある者だけです。 どうか、どうか民の命をお願いします」

「……あなた」

「巻き込んでしまって本当にすまない……」
 夫人と抱き合うサウスゴータ太守が別れを惜しみ、2人も庭へと促そうとした時、この2人にとって最も望まざる人物が――マチルダがこの部屋にやって来てしまった。

「お父様? お母様?」

「マ、マチルダ!?」

「どうか、どうか娘にも御慈悲を! 今更婚約者のよしみにすがるのも口を憚られるのですが、どうか娘だけはお目こぼし下さいませ!」




 執事のスミスに起こされて、私とテファは隠れていた。 今までにない屋敷の雰囲気に目をつむっているが、下の階から泣きわめくような声や絶望に苛まされる声が聞こえだし、怖くなってテファと一緒に外から見えないよう壁を二重になるよう錬金して隠れていた場所から外へ出ると、先ずは恐る恐る窓から外を覗いた。

 執事からは緊急事態だから隠れろとしか言われていないが、いったい何が起きているのか気になってしまう。 覗いた窓の外には庭があり、庭には10人の武装した軍人とたしか近衛軍だと思う旗が立っていた。

 壁の向こうで小さな声で泣いているテファを守る為に、私も両親の元へ向かおうと思い声がする方向へ向かえば、そこにはお互いに抱き合って涙を流す両親が居たのだった。




 ウィリアムは床に崩れての自分の裾を引き、涙を流しながら娘の助命を乞う夫人を無視してマチルダの方を向くと、彼女はどうにもまだ思考が定まっていないのか状況に置いてかれているように呆然と立っていた。

 ただ、呆然としながらも一歩一歩ゆっくりとした足取りで両親の元へ近付いていて、マチルダがクライフの前を通ろうとした時、ここに来てから無言を貫いていたクライフが動いていた。

「ヒッ!?」

「動くな」

 クライフはいつの間にか剣を抜き、そのまま無表情で刃をマチルダの首へ突き付ける。 その瞳に生気はなく、何の意志も感じられぬまま当然のように剣を突き付けていた。

「クライフ?」

「………………」

 蝋人形と言われても信じてしまうほど今のクライフには生気がなく、いきなりの動きに訝しがるウィリアムの言葉にも全く反応する事なく、突き付けた剣が首の皮を1枚斬ったのか薄く流れる血を見て足に掴みかかっていた夫人が悲鳴をあげる。

「やめてぇ!」

「やめろクライフ!」

 足元で必死に叫ぶ夫人を力任せに引き剥がし、クライフの肩を力強く掴んでこちらを振り向かせる。 そこには何も映っていない硝子玉みたいなクライフの瞳と、止めどない涙だけが流れ続けていた。

 明らかにこれはクライフの精神がどん詰まりまで行き着いた証であり、このまま手放しにでもしてマチルダを殺した日には、感情が抑えきれなくなって発狂してしまうやもしれないだろう。

「わかった…… 馬を1頭と門まで護衛を用意しよう。 マチルダはそれに乗って逃げるんだ」

「ありがとうございます。 ありがとうございます……」

 助命を受け入れた事で一層涙を流す夫人の肩を叩き、クライフの剣を鞘に戻させて抱きしめる。 数回だけ頭を撫でてやれば、クライフは胸ですやすやと気持ち良さそうに寝息をたてているので、とりあえず家主の居なくなった屋敷の一室を借りて部屋に護衛を1人立たせて寝かせておく。

 この護衛は慕われている主人以下信頼のおける執事やメイドが殺される事に怒りを感じ、その捌け口としてクライフが狙われない為のものである。

 庭に出る際にサウスゴータ太守の書状を部下に渡し、それを各地で屋敷を包囲する部隊まで運ぶように指示し、これから骨の折れる作業である庭での処刑が開始されるのだ。



 何がなんだかわからなくなったマチルダは、クライフの突き付けた剣から解き放たれると全速力で部屋へ戻り、荷物を鞄に詰め込みティファに深い帽子を被らせると急いで逃げようと玄関に向かい、庭からその声が聞こえてしまった。

「ご両名、最後の言葉はあるか?」

「マチルダ! 私はこれからもお前を愛しているぞ!」

「私もよマチルダ!」

 父と母の大声が玄関まで聞こえたかと思えば、何かを叩き斬る音と共にその声もかき消えていた。 泣いているのか背中にテファの涙を感じ、自分はお姉さんだから泣いてはならないと言い聞かせ玄関を出る。

 すると、そこには2頭の馬と軍人が1人立っていた。

「門の外まで護衛を言いつけられましたので、そこまでご同行致します」

「……勝手にしてくれ」

 愛しの我が家から離れるのは心が潰れそうなほど怖いが、それでも今は愛しい記憶よりも忌まわしい記憶の方が強く、少しでも早くここから離れたくて仕方がなかった。

 泣き続けるテファを馬に乗せて私に抱きつくよう伝え、護衛だと名乗った者を先頭にして私はそれについていくように門まで追いかける。 お父様が死んだのもお母様が死んだのも、全部全部全部全部全部全部アルビオン貴族が悪いんだ!

 絶対に絶対に絶対に、いつか貴族に復讐してやるんだから!


 生き絶えたサウスゴータ太守の書状の効果があったのか、2軒の屋敷を除いて4軒の屋敷は即座に降伏し首を差し出し、残りの2軒の屋敷は悪いが皆殺しにさせて貰っていた。

 これで首級を集めて第1段階を終了とし、ここからこそが第2部隊の練度の見せどころである。

 近衛軍の第1部隊と第2部隊の大きな差はどこだろうか? まずは世に言う名門貴族等は第1部隊に入り、実力主義のメイジや傭兵が第2部隊の基幹になっている言である。 そして、第2部隊はハヴィランド宮殿に常駐し即応態勢をとっているが、第1部隊は各々が自身の屋敷で過ごしているので招集をかけなければならない事だ。

 だからこそ、第1部隊が招集と編成を済ませて出撃する前に北上し、シティオブサウスゴータ以北で唯一エルフを知る存在――否、エルフを愛妾として囲うモード大公の首級とエルフの首さえとれれば、わざわざ町や村を焼かれずに済むのだ。

 息子をクリストフに背負わせ、少しだけ悩んでしまう。 屋敷から駿馬を徴発してモード大公の屋敷へ1人ででも向かうべきだろうか?

 私の知っている限りでは、モード大公はここまできてしまえば民衆を救うべく首を差し出すだろうが、だがしかしエルフについての性格などの情報がないので抵抗されれば私は消されるだろう。 だが部隊を連れていくにはロサイスまで戻るしかないが…… やはり不確定要素であるエルフは怖い。

 近衛軍第1部隊の練度の低さからくる遅れを願いつつ、第2部隊はロサイス目指して南下を開始した。



[20897] 12話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/13 22:15
 行きと同じ船室で、今は急いで第1部隊司令官宛の書状をしたためている。

 内容はサウスゴータの鎮圧成功と以北での罪なき民衆への戦闘行為の停止を求めるもので、責任はこのウィリアムの首でとると血判で書き記してこの船の竜騎士に持たせる。 だから今すぐにでも、目の前で行われるアレを止めるべきなのだ!

 ポンと遠くの船から音が聞こえると、地面にある家が消し飛んだ。 誰かが杖を振れば人が消し炭になり、誰かが杖を振れば人が上空に舞い上げられ地に堕ち、誰かが杖を振れば人が井戸に引き摺り込まれ、誰かが杖を振れば人が尖った地面に刺し貫かれる。

 あの地獄絵図を止めるべく竜騎士には動いて貰っているが、こんな時ほど自身がメイジとして空を飛べない事を悔やんだ事はない。 とにかく私も乗せるよう頼んだがこの船にあてがわれていた風竜はまだ子供で、2人乗りで飛ぶには自信がないと既に断られてしまっていた。

 馬にならば乗りなれているが、流石に風竜の手綱を握った事などないから代わりに行くこともできず、今できるのは内火艇を積んでいないこの船が地面に向けて強襲揚陸を始めたので、無事に船が倒壊する事なく地面へ着陸できる事を祈るのみである。




 焼け崩れた教会前の広場で、ウィリアムは第1部隊の司令官であるデイヴィッド侯爵と対峙していた。

 対峙しているとはいえ腕を組み蔑みの視線を向けてくるデイヴィッド侯爵をまずは無視し、自分の周囲をゆっくり見回す。 ここは空から確認する限りでは平原に位置し、住居も20に満たない小さな村だったが…… 今はごうごうと黒い煙を吐き出さない家はなく、背後の教会も辛うじて形は残って半壊しているに留まってはいるが、砕け散った壁の奥には上半身が折れて砕けたブリミル像が虚しく残っている。

 確かにこちらの連絡もあり第1部隊は戦闘を停止しているようだが、広場の反対側では未だに武装をしたままの第1部隊の捜索によって捕らえられた生き残りが、絶望と怨嗟のまなざしでこちらを睨んでいた。

 ちなみに地上へ強襲揚陸をしかけた船だが、船員の技倆は群を抜いていて奇跡的に船が小破する程度に収め村の西に降りたが、着陸のショックで壁にぶつかるなどして5名ほどが怪我をしていた。

「それで、あの手紙の真意を伺いたい」

「既に情報を知り得る者は皆殺しにされただろう。 第1部隊がここまで南下をしているのはモード大公を討った証拠であり、これ以上何も知らない民衆を無為に殺す必要はない」

「ですぎた事を抜かすな! たかが貴様如きいち貴族が、陛下より与えられたご意向である王命に意見するのか!」

「だからこそ…… だからこそ手紙に書いた通りお願いしたく」

 軍人としてのウィリアムからすれば、普段は軍務に励まず有事にれば威張り散らす肥えた豚に頭を下げるのはごめんだったが、ここで止めなければ第1部隊はサウスゴータまで南下を続け、息子の死で相殺したいがそれ以上の恩恵があるモード大公の民が殺されるのをとめることこそが、討たれたであろうモード大公への手向けである。

「貴様の首ひとつに価値があるて思っておるのか?」

「どのような結果であれ、職を辞す用意がある」

「……ふむ」

 今後の立ち回りでも考えているのであろう豚は、何やら妙案が思いついたのか仕切りに頷くと、勝ち誇りながらもしょうがないという口ぶりで笑いだす。

「くはははは、そうか、そうだな。 うむ、これ以上の殺戮は私も忍びないと思っていたのだよ」

「では」

「うむ、うむ。 そうと決まれば急いで陛下に報告せねばな――ああ、貴様も辞任の報告があるだろうから共に奏上しなければなるまい」

 かんにさわる声で豚は笑うと、自分の副官に命じて内火艇へ撤収作業を開始し、ついでとばかりに自分の方がハヴィランド宮殿に戻るのが早いとサウスゴータで集めた首級を奪って行った。 その姿に歯が砕けんばかりに力が入るが、ともに怒りを内心に秘めて自制する部下達の為にも怒りを嚥下する。

 ウィリアムは撤収作業の開始によって放置された生き残りの元へ向かうと、次は何だとばかりに悲鳴を上げる民衆に静かにするように言い、とにかく焼かれずに残ったサウスゴータへ避難するように伝えてから、我々第2部隊も撤収を開始した。



 ハヴィランド宮殿にある謁見の間は、自身と近衛軍第1部隊の素晴らしさを語るデイヴィッド侯爵の独壇場となっていた。

 やれデイヴィッド家は素晴らしいかと口にしたかと思えば、次には自身の育て上げた第1部隊の活躍を囀ずり、合間合間に全てはウィリアムの指示によって作戦が中断されたと罵る。

 そんなデイヴィッドを玉座から眺めつつ、無言を貫き通していたジェームズ1世は鳴きやまなあデイヴィッドに苛立ちを感じたのか、両の手を軽く叩いて言葉を止めさせた。

「デイヴィッド侯爵、報告は後でうかがおう。 今はウィリアムと話がしたい故に、侯爵は下がれ」

「へ? で、ですが陛下」

「余が下がれと言っているのだ」

「はっ」

 陛下の言葉の圧力をうけたデイヴィッドは、一度隣で傅くウィリアムを憎悪のこもった瞳で睨めつけると、渋々ながらもそそくさと謁見の間から姿を消した。

 謁見の間からデイヴィッドが退室するのを確認し、そこでジェームズ1世は周囲にいる護衛連中の退室を促して人払いを済ませると、つまらなそうに肘あてに肘をついてウィリアムを何の感情も介在しない瞳で見つめる。

「ウィリアム…… デイヴィッドの奴も言っていたが、余は確かに南部の民を皆殺せと言ったはずだが」

「ご再考をお願いしたく、こうして参上いたしました」

 いや、正確にはジェームズ1世は目の前で傅くウィリアムを見ておらず、その奥に陳列された首級にある裂傷激しいモード大公の顔を見ていた。

「民衆はエルフなど何も知りませぬ。 故に罪に問えるはずもないかと」

「たしかにそうだな…… しかし、余の命に背いたのも事実」

「この首を差し上げます」

 軽く左手の手刀でウィリアムは首を後ろから叩き首を斬り落とすジェスチャーをしてみせるが、それでも陛下は一切の興味がわかないかのように物言わぬモード大公の首級を見つめている。

「――ふむ、処罰が決まったぞ」

「なんなりと」

「ウィリアム、今までのそちの働きとこの件の功罪を相殺し、この場で中央の政界から隠居し家督を孫へ譲れ。 それによって近衛軍はデーンロウ家から召し上げる事になり、減俸はなされるが領地の改易は行わぬ」

「はっ!」

 陛下により下された沙汰に対し、ウィリアムはただただ目をつむり黙ってそれを受け入れる。 与えられた処罰は横暴だと叫びたくる程の厳罰ではなく、しかしながら手ぬるいと言えるようなものでもない。

 いや、むしろこれが理性なき権力者であった場合、王命に逆らった時点で首と胴がわかれているであろうから、生きているだけでもかなりの恩赦であるのは間違いないだろう。

 こうして処刑どころかデーンロウ家の取り潰しすらないのも、一重に先祖代々の功績による賜なのだろうが、それもここで瑕がついたか――いやはや、そもそもデーンロウ家は名より実をとる家だったと言うのに、こうして家名の瑕を思慮に入れられるようになったとは貴族に毒されてきたかな?

 そういう意味では、こうして陛下に引導を渡されずとも潮時だったのかもしれぬ。

「陛下」

「なんだ?」

「どうか、南部の民をお願いいたします」

「ああ、余の名にかけよう…… 済まないが退室して1人にしてくれぬか?」

「おおせのままに」

 陛下に退室を促されたので、頭を下げて最後の挨拶を済ませて謁見の間から退室する。 その際最後に陛下のご尊顔をと願って表情を伺ったウィリアムは、陛下のその表情に息をのんだ。

 高台にある玉座に寛ぎ、何も見通さぬ瞳でモード大公の首級を眺める男は誰だろうか? 自身の知っている陛下とは強い意志を感じさせる瞳と、老いなどどこ吹く風だとばかりに全身から溌剌とした気迫を感じさせられ、ただそこに居るだけで退きたくなる程の威圧感と近くに残りたいという安心感を与えてくれるものであった。

 ――だが、今はどうだ?

 やはり肉親の首級を眺める今は、南部の征伐を命じた際の苛烈さやこれまでのように立ち上るかのような気焔は消え失せ、心労が全身にたたっているのかこの一瞬で10も20も老けたかのように感じられる。 そこには幼い頃、共に父によって剣を教わっていた若々しき王はなく、年相応に――否、年以上に老けた老王が座していた。

 もしも許されるならば、私はこのような陛下だからこそ支えたいと願ってしまうが、息子の死を悼む為に王命を裏切った自身にはもうその資格がない。

 さあ、クライフを連れて屋敷に帰ろう。

 寝ながらにしてここに到着したクライフは殿下に見咎められ、今は殿下の部屋で眠っている事だろうから。




 真っ暗で色の存在しない空間、音も味も五感の何もかもが切り取られ機能しない異界。

 そんな何もない世界で、ただ1人たゆたう感覚という矛盾を孕みながらも、目をつむっているのか開けているのかわからないが暗い中にクライフは居た。

 だが不思議と不安はなく、むしろ安心感すら感じてしまう。

「……。 …………」

 耳に、ではなく頭に直接何かが語りかけてきて、驚き周囲を確認すればある1ヶ所にだけ靄が輝くように密集している。

「………。 ………」

 靄がそう言ってクライフを包むと、クライフは靄の暖かさにうっすらと涙を浮かばせる。 体が頭が心が全て暖かく染め上げられ、全身で幸福を甘受していたが、靄は所詮靄でしかないのか段々と掠れるように薄まっていく。

 いや、靄が薄まっているのではなく、まるで自身が遠くへ…… 二度と出会えないほど遠くへ引きずり込まれている気がする!

 嫌だ嫌だと抵抗するが、そんなものは無駄だとばかりに視界を光が占拠し、気付いた時にはベットで眠っていた。

「こ、ここは?」

 それは屋敷では考えられない程フカフカした豪奢な天蓋付きのベットから身を起こし、自身がどこにいるのか確認すべく周囲を見回す。

「ん? ああ、起きたか」

「で、殿下?」

 振り向いた先にはボヤけた視界で椅子に腰かけてカップを傾けた殿下が、こちらを心配そうに眺めていた。 そんな視界に違和感を覚え、両目を擦ってみて初めて自分が泣いている事に気がついた。



[20897] 13話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/15 21:33
 何があったかわからず混乱しながらも、目尻をごしごしと拭っていると少し困った顔をしながらも、どこか真剣さを隠せない殿下がゆっくりこちらまで歩いてくると、顔を伏せてボスンとベットの端に座った。

「クライフ…… 僕は本当にすまなかったと思っている」

「……何がですか殿下?」

「アルビオン王国の皇太子として僕はちやほやされながらも、今回の真実を知ったのは運び込まれた叔父の――モード大公の首級を見てからなんだ」

 そう言って肩を落とすウェールズだが、それをいきなり聞かされるクライフには何が言いたいのかわからず首を傾げると、やっと顔を上げたウェールズが口を開いた。

「クライフはさっきまでベットで魘されながら泣いていたんだよ…… 亡くなられたペイジ殿の名前を漏らしながらね」

「父上の名前を、ですか」

 父子だけあって陛下の面影が強い殿下を見て、クライフは頭にカッと血が上るのが感じられ、沸々と父上を斬られた怒りが沸き上がってくるのがわかる。

 もしもだが、クライフがサウスゴータ太守が娘の慈悲を願っていたのを聞いていた時の精神状態であれば、誰が止めるまでもなく怒りのあまり殿下を斬るという軽挙に出ていたかもしれないが、今はそんな怒りを他人事のように見れる諦観があったので無表情でウェールズを見つめるに留まっていた。

「本当ならこんな事は謝ってはいけない事だろう…… 父王にも僕にも、全てに責任をもつ義務がある。 だけど、王位のない今だけは言わせてくれ――本当にすまなかった」

 目をつむり自分へ頭を下げる殿下をみて、怨み辛みや怒り悲しみ等の感情がぐちゃぐちゃに入り交じり、気付いた時には嗚咽混じりで泣き出している自分がいた。

 泣き出したクライフの声を聞いたウェールズは、大きな罪悪感と仄かな期待を胸に秘めながらクライフの頭を胸に抱きもう一度だけすまなかったと謝罪すると、泣き疲れ再び眠るまでの短い時間ではあるがクライフを弟のようにあやしながら考えごとをしていた。



 再び眠りについたクライフをベットに寝かせ、ウェールズは思考が叩き出した合理的な考えに罪悪感を更に根付かせていた。

 王や王族は本来ならば謝ってはならない。 絶対的な権力者であり以上は、謝るということは政治的に大きな意味をもつからである。 幼い頃より帝王学を叩き込まれてきたウェールズからすれば、そんなものは初歩にも劣る常識であった。

 だが、今はそんな常識を無視してでもクライフに謝りたかったのだ。 もしも父王の思考を理解し、先手を打っていれば誰も死なずに全員が黙秘する形で話が済んだかもしれないものを、何故書状の存在まで知りながらモード大公に問い詰める等ができなかったのか。

 思考が負のスパイラルに陥りそうになった時に、隣ですやすやと年相応の顔で眠るクライフの頭を撫でながらも、その純粋な顔をみて更なる自己嫌悪に陥る。

 ウェールズにとってみれば、この世界に友人という者がクライフくらいしか存在しなかった。 ゴマを磨り耳心地のいい言葉だけを囀ずる貴族の子弟は多々いたが、彼等は皇太子と近づきたい者達だけであり、ウェールズという個人にはなんら興味を示さない者達だった。

 皇太子として生まれた以上は政治の絡まない関係を構築するのは難しく、表では仲良く手を繋いでいても出身地の違いや派閥の違い、更には与えられた爵位や役職の差だけで互いに裏切り牽制しあう、まさに面従腹背を絵に描いたような人物が犇めくのが貴族なのである。

 ここに眠るクライフにはまだ政治的な感覚はなく、将来的に家督を継げばそういったドライな関係になるのかもしれないが、今だけは政治の関わらない純粋な関係でいたいと願っていた。

 だからこそ、自分の導き出した正反対の結論に吐き気がした。 今のアルビオン情勢は複雑怪奇であり、自分の見立てでは御輿を失ったモード大公派は瓦解し、中央政治は北部と西部の諸候が力を持つだろう。

 そんな時に、自分を絶対に裏切らない仲間がウェールズには必要だった。 当然ながらクライフ謝りたかったのも本音だが、こんな立場にありながらも親身になって謝るスタンスを見せるという打算がないわけではなかったのだ。

 貴族という存在を怨むのは構わない。 父王個人を怨むのはしょうがない。 だが、その怒りの矛先を王家に国家に自身に向けさせてはならない。

 ウェールズ個人としての友人でありたいと願いながらも、父王についての謝罪すら打算で動いてしまう自分なんかに、本当に友人ができるのだろうか? この事をクライフが知ったならば、幻滅して去ってしまわないだろうか?

 そんな思考は、ウィリアムがクライフを受け取りに来るまでウェールズの頭をぐるぐると支配していたのだった。




 あの忌々しい政変からというもの、デーンロウ家にはまさにありし日の屈辱の日々が戻ってきていた。

 代々デーンロウ家が輩出してきた近衛軍第2部隊司令官の座は王家に召しあげられ、今は第1部隊と合流し近衛軍は1つの部隊に纏まっている。 だが、近衛軍の人数は第1部隊から少し増えただけであり、合併することで大きくなったのは軍の規模ではなく、彼等の給料の規模だけのようだった。

 爵位の剥奪や領地の改易は行われていないが、最も屈辱的なのはジェームズ1世によって討たれたペイジや、その他数々の貴族の罪状が『国家反逆罪』だと銘打たれたことである。

 たしかにエルフの存在を漏らさない為に討たれた以上、ある意味では国家反逆罪ではあるだろう。 だが、そう銘打たれたが為にペイジの葬儀をすることはおろか、その遺体を墓に埋葬することすらできなくなっていた。

 家督を孫に譲りつつも内政は自分が受け持ち、今ではそれを3年続けていた。

 最初の1年目は息子の死に嘆き悲しみ、領民には悪いが仕事に手がつかなかった。 ロンディニウムに晒された息子の首級を思い出す度に、握りしめた拳からは血が流れさえした。

 次の2年目は嘆きや悲しみから目を反らす為にも、クライフを寵愛し内政に打ち込んだ。 例え金にしか興味のない愚物どもに軽んじられ蔑まれようが、一時の我慢がクライフの未来に繋がると信じて下げたくない頭も下げた。

 今年である3年目は仕事に精を出しつつも、自分の向かうべき未来を真剣に考えた。 様々な手段を考慮し外国への亡命まで視野に入れはしたが、やはりクライフの事を考えるならばこうしてこのままアルビオン王国に仕えるべきだと思い至った。

 個人的な感情論でいくのならば、当然ながらアルビオン王国など捨て去りたいのが本音であるが、現国王はあの政変以来というもの年相応以上に老けてしまい、今では病まで患っているとの噂もあり自身もそうであるが老い先長いとはいえないだろう。

 ジェームズ1世が崩御したならば、次の王位は問題なくウェールズに引き継がれるだろう。 そのウェールズに覚えがいいのが、今はウェールズに剣の訓練だと言ってハヴィランド宮殿へ呼び出されたクライフである。

 現国王は長くないが、次期国王はまだ若く長いだろう。 代替わりさえすれば、ウェールズによってクライフは重用される可能性があり、今から他国へ亡命するよりは苦難もなくなるだろう…… だとすると、やはり今は王家に忠誠を尽くすべきだと結論をだしている。

 だからこうしてアルビオンに残り、今も商人と商談などに勤しんでいるのだ。

「――では以上の金額でよいかな」

「ええ、このお値段であれば問題ありません」

 お互いに最後の確認を済ますと、部屋の空気が少しだが軽くなる。 商談さえ済ませてしまえば、どちらも不利な商売にならないよう一言一句に集中する必要もなくなるのだ。

「そういえばですが、なんともお国様とはえげつないものですねぇ」

「何の話だ?」

「最近アルビオンのあちこちで流れてる噂なんですが、モード様といいペイジ様といい謀殺されたんだって民はみんな口にしてますよ」

 最初ウィリアムには商人が何を言っているのか理解できなかった。 息子が謀殺された? あれは謀殺ではなく粛正である。

 そんなウィリアムへ同情するように商人は続きを口にし、それが更なる混乱の坩堝へとウィリアムを叩き落とした。

「いや、専らの噂でしてね。 何でもモード様やペイジ様等の南部諸候の皆様がたは、陛下に聖地奪還を目指すロサイスと共に軍を出すべきだと迫ったとか。 それが気に食わなかった陛下は国家反逆罪を捏造して、3年前に粛正を行なったらしいですね…… これには粛正の巻き添えをくった南部の民衆は激怒してますよ」

「聖地奪還…… だと?」

 全く意味がわからなかった。 そもそも、粛正の原因はその聖地に住むエルフをモード大公が娶ったからであり、そのエルフを殺す為に聖地奪還をしようと言うはずがない。

 確かに王家は3年前の粛正については国家反逆罪とだけしか発表せず、具体的な内容については一切黙秘していたのは事実である。 だから民衆の中で噂が尾ひれを付けて大きくなるのは理解できたが、ここまで真逆の意味で噂が広がってしまったのは想像だにしていなかった。

 これほどまでに王家を乏しめる噂でありながらも、王家には噂の火消しをすることはできない。 それはエルフの存在を公表することになり、内外からの激しい批判に晒されるからであろう。

 歓談も済ませてメイドを呼び出し商人を玄関まで送らせ、自身はそのまま部屋で腕を組み思考を巡らせる。

 何がと聞かれても明確に返せないうえに、何故と聞かれてもあやふやなものでしかない。 だが、確かにウィリアムの勘が違和感を叫ぶのだ。

「考えすぎならばいいが…… 判断は難しいな」

 たかがアルビオンに流れている噂でしかなく、それも信憑性も皆無――そもそも真実ではない――の噂である。 これだけで違和感を感じるのは自由だが、何を疑えばいいのかはわからない。

 噂を流したのは誰か? 何を目的にして流したのか?

 そこまで考えてから、どうにも頭が陰謀論に凝り固まってしまっていると思い頭を振ると、本日のスケジュールを思い出して気分転換をはかるも次の予定に思い至り微妙な気分になる。

 次の予定は余り会いたくない人物の1人であるデイヴィッド侯爵の来訪であり、送られてきた手紙には来る旨だけが書かれて用件は書かれていない薄気味悪いものだった。



[20897] 14話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/16 20:55
 ハヴィランド宮殿で殿下と剣を合わせて剣を競い、その後にはアルビオン王国の将来のありかたについての考えを語られてから、くたくたになりつつ屋敷へ帰って来てからというもの、こうしてお祖父様と不可解な書類を睨んでいた。

 机に置かれたやたらと質のいい用紙を睨み付け、何度も無駄だと理解しつつも瞬きをしたり文面から視線を外したりするが、固定化の魔法がかかっているかのように内容に変化はない。

 だからこそ意味が分からず対面に座るお祖父様の表情を伺うが、そこにはただ無表情でこちらを見つめるお祖父様がいた。

「それで…… その、これは何ですか?」

「入学願書だ」

 そう、それはただの入学願書だった。 王立の魔法学院だからこそ、こうして質のいい紙を使っているんだろう。

 だが、問題はそこじゃない。 問題なのは――

「――何故トリステインなんですか?」

 わざわざ祖国であるアルビオン王立の魔法学院に通わず、海外の魔法学院へ留学しないとならないのか? そこが一番の問題であって疑問だった。

 そんな当然の質問を受けたウィリアムは、さも当たり前だと言わんが表情で疑問に答えるべく口を開く。

「勧められたのだ」

「勧められ…… た?」

「歴史深く格式高いトリステイン魔法学院こそ、ウェールズ殿下の腹心であるクライフ君には相応しい。 そしてトリステインの貴族と友誼を結び、後々の治世に役立てるべきだと言うのが相手の言い分であり、更にはそれに嘘か真か他の貴族もお墨付きを出していると聞かされれば、こちらとしては真っ当に断れる理由がない」

 そう言ってウィリアムは無表情を崩して口の端を歪ませると、呆けるクライフに向けて「要は殿下の覚えがいいことに嫉妬され、海外留学なんぞにかこつけてお前はていよく他国へ飛ばされたのだ」と繋げておく。

 これはまだ13歳の子供に嫉妬する輩も輩だが、それを断れないウィリアム自身への自嘲も多分に含まれた笑みである。 相手の器もたかが知れたものだが、それをはね除けられなければこちらの力量もたかがしれている。

「まあ、ちょうどいい機会でもあるからお前はトリステインに行ってこい」

「ですが、その…… 私はまだ13ですよ?」

 当初の予定では来年ないし再来年の入学だと考えてきたクライフからすれば、これはあまりにも性急な話であり不思議だった。

 だが、それはウィリアムをしても不思議な話であり、自身が親によって魔法学院に入学させられたのは14歳になってからであり、息子のペイジは15歳になってから学院に入れている。

 しかし、不思議な話ではあるがトリステインではアルビオンよりも入学が速いのか、逆にアルビオンは他所に比べて遅いのかのどちらかだろうとウィリアム自身は自己完結しているので、そういうものなんだろうと伝えればクライフもそんなものですかと納得するほかない。

「だがまあ、この申し出も悪くない」

 そう言ってウィリアムは何かについて納得したのか、本人不在の上でしきりに頷いているがまさに寝耳に水というクライフからすれば、納得なんてものは思考の片隅にさえ浮かんではこなかった。

「どういう意味でしょうか?」

「中央政治からは遠ざけられたが、それでも現状が異常なのは見てとれる。 近く何が起こるかは皆目検討がつかないが、先の粛正に劣らぬ何かは起きるだろう…… クライフよ、お前は内側からではなく外からそれを客観的に見極めろ」

「何が、何が起きるんでしょうか?」

「今も言ったが、それまではわからん。 だからこそ、何が起きても逆に起きなくとも長期休暇を返上し1年間はアルビオンに帰る事を禁ずる」

 異論は認めぬとばかりに厳格に言いつけるウィリアムだが、口では起きるか起きないかわからないと言っているが、現実としてどの程度の規模になるかまではわからないが何かが起きるという確信があった。

 自身で思い至った結論ではないが、与えられた情報がその何かを報せるには十分すぎるものである。 そう、それは差出人不明の手紙だった。

 内容は文章は簡素なものであり、むしろ目を引いたのは手紙の下段に描かれた絵である。 絵にはデーンロウ家の家紋である丸盾と剣があり、その丸盾を3匹の竜が踏み潰し剣を噛み砕いていた。

 その3匹の竜こそアルビオン王国の国旗にも描かれていた竜で、そこに大きなばつが上に描かれ手紙上段には見たこともない三色旗とともに『聖地奪還と貴族による統治』とだけ書かれていた。

 具体的なことは何も手紙には書かれていないが、内容をどう解釈してもいい意味としては読み取れるものではない。

 ネガティブな解釈をするならば、デーンロウ家の家紋からペイジを連想し、踏みにじり砕く竜は陛下でありともに復讐しようと打診してきた内容にうかがえる。

 反対にポジティブな解釈をするならば、デーンロウ家と王家を打倒しようと書かれている風にも解釈は可能である。

 ネガティブな解釈もポジティブな解釈も同じようなものだが、当然王家に反旗を翻そうと誘われる方がよくない考えであり、ともに打倒すべきと見られている方がクライフの為にアルビオン残留を決めたウィリアムからしてみればまだましなのである。

「ところでお祖父様、トリステインに出るのはかまわないのですが出立はいつ頃に?」

「話ではフェオの月の第2週には入学式があると言っていたから今から丸々1月は残っていないが、いらん気をきかせて早く追い出したいのか入寮の準備もあるだろうと次のスヴェル――翌週の虚無の曜日に船を取ってあるらしい」

 相手はただの1日すらアルビオンにクライフが存在するのが嫌なのか、7日後のスヴェルに当たる虚無の曜日に船室を抑えたと伝えてきており、最初は暗殺の可能性を考えてはみたものの取った船はトリステイン船籍なので余程の馬鹿でないかぎり船内で暗殺は無いと考えた。

 如何にアルビオン国内に到着しようとも、トリステイン船籍の船内はトリステイン領内に等しい。 アルビオン船籍ならば隠す事は容易くとも、トリステイン船籍の船内での問題は簡単に国際問題にまで発展するだろう。

 トリステイン領内に入れば7割がた、魔法学院に入学し寮へ入れば9割がたクライフの安全は確保されるだろう。 全てはクライフがトリステイン入りさえすれば、アルビオン国内でどのような政変事変が吹き荒れようと希望を残すことが出来るのである。

「急な話の上に日程が詰まっているが、準備を始めるがいい」

「わかりました。 失礼します」

 クライフはウィリアムに頭を下げながらも、いきなりの話に文句は言わずに飲み込むと執務室を後にした。 貴族の息子としての分は弁えており、政治に巻き込まれれば何かがあると教えられて来ていたのだ。



 部屋にある物で寮生活に必要そうなものは、粗方持ち出せる準備を済ませて出立の前日を迎えた。

 荷物はそこまで多いものではなく、着替えや寝具がだいたいを占めている。 元々クライフは、ウィリアムやペイジから口が酸っぱくなるほど私物は少なくすべしと教えられていて、更に私物は持っても必要な物と不要な物を分けるようにと言われていたので私物は少ない。

 これはデーンロウ家がまだ貴族になったばかりから語り継がれているもので、昔政情不安から軍として出たご先祖様が司令官の部屋に私物として絵画や大量の私服はまだしも、前線に別荘でも建てるのかというほどに家具が届いたのに呆れ、こうしてそんな間抜けが後に出ないよう言い伝わっている。

 それにしても、留学は本当に急な話である。 こうして今は準備を終わらせているが、準備をしている最中は行った事もない海外へ1人で行かされることについてかなりの不安があった。

 既にお祖父様に言われた通り、昨日の時点で殿下には船を手配してくれた貴族の名前と出立日を伝えてあり、これは何でも暗殺に対する牽制だとお祖父様は言っていた。

「ふぅ…… トリステインか。 あまりいい噂は聞いていないけど、どんなものだろう?」

 殿下にその話をしてトリステインはどんな国か聞いたが、少し難しい顔で気難しい貴族が多いねとだけ教えてくれた。 お祖父様にもきいたが、デーンロウ家は政治の中で最も外交と関係がない家柄だから本質はわからないが、噂レベルの内容を総合するに真っ当な貴族以外には住みづらい国ではあるらしかった。

 ちなみに話の最後に付け加えるように「あるとは思うが、苛め程度で弱音をあげるなよ?」と口にしていたのが印象的だった。

 今日の昼には執事がやって来てお祖父様の執務室に呼び出され、最近になりますます軍務に苛烈さを増してきたお祖父様と相対する。

 用件は聞いていないが、明日にはここを発つので次に会えるのは魔法学院に入学して1年が経ってからになるか、もしくはよその貴族に妨害されて更に延びるかといったところである。

「クライフは、明日にはここを発つのだったな」

「はい。 朝一の船でアルビオンを発つよう手配されています」

「つまらない政治に巻き込んで済まないと思っている…… だが、最近のキナ臭い情勢から鑑みるに、ここよりトリステイン魔法学院の方が安全なのだ」

 静かにそう呟くと、お祖父様は執務机から約20サント四方の箱を取り出すと、それを無言でこちらに差し出した。

 何を渡されたのかはわからないが、口に出す前にお祖父様から「開けてみろ」と言われたので、聞かずに中身を目で確かめる為に箱を開いた。 すると、その中身は――

「――パイプですか?」

「お前もいい歳だから、煙草を娯楽にするべきだ」

 そこで思い出したが、亡き父上は嗜む程度だがお祖父様はなりの愛煙家であり、自分も小さい時にそんな父上に憧れて煙草を吸おうとしたら、お前にはまだ早いとお祖父様に盛大に怒られた記憶がある。 そんなお祖父様から煙草を勧められると、何かしらあるんじゃないかと邪推したくもなった。



[20897] 15話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/17 22:01
 机に置かれた1つのパイプを挟み、今はそれを与える必要性を話すお祖父様の言葉を訝しみながら聞いていた。

「そんな目で見るな。 なに、今のアルビオンは微妙な状況で、いつ何が起きても――軍が出動してもおかしくない。 いいか、クライフ。 傭兵だったならば戦場での娯楽は酒と女であり、夜はそれに溺れて生を楽しみ朝には殺しあいに参加する。
 それに対して軍を指揮する貴族は酒や女に溺れれば規律が乱れ、数日もそれを続ければ精兵も弱兵に様変わりする。 だからそんな貴族に許された娯楽は、立ちはだかる敵を殺すことか煙草くらいしかない。
 だが、娯楽で殺しを楽しむのは指揮官として失格であるのを考えれば、煙草に早めに慣れるのもいいだろう」

「そうでしょうか?」

 クライフも既に野盗やオーク鬼の駆除ふ出たことがあるが、どちらにしても精神的にいっぱいいっぱいだったので、そういった戦場で娯楽を求める余裕はなかったが、もしかしたら場馴れすれば娯楽を求めるようになるのかもしれない。

「その煙草には鎮静効果がある薬草も混じっているので、落ち着きたい時に吸うといい。 鎮静化以外にも、トリステインで薬学を学べば自分好みのものが作れるだろう」

 いつも触らせては貰えなかったからか、興味津々といった具合にパイプを弄るクライフを見て、ウィリアムとしては不甲斐ない自分を殺してしまいたい衝動にかられる。

 現在の状況はそれほどまでに逼迫しており、末は飼い殺されるか飼い潰されるかの瀬戸際にまできている。 本当になんらかの事変が起きたならば孫と生きて顔をあわせられるのも最後かもしれない。

 一昨日にそれは起きた。 南部の民衆が20人ほど集団でロンディニウムに立ち寄り、ハヴィランド宮殿の門前で『噂は真実なのか。 モード様は謀殺されたのか』と声を上げたのだ。

 当然宮殿内は焦った。 首都だけにここは人目も多く、ふざけた事を抜かす平民だからと言って説明なく無礼討ちしたならば、世間は噂が真実だと認識するだろう。 そうなれば力を削がれたとはいえ、南部の貴族は黙っていない。

 だからと言って、真実を教えるわけにはいかない。 いや、真実を知っている者もそもそも少ないのも事実だった。

 そのまま色々と対策を考え、何かしらの事を政治家が手打ちできれば何の問題もなかった。 例をあげれば宮殿に招き入れ、金で黙らせ噂を否定させればそれだけでも効果はあっただろう。

 だが、現実は厳しい。 偶々そこを通りかかった軍人が、「陛下にうかがいたてるとは不届き千万」と民衆を魔法で皆殺しにした。 王家や貴族が絶対である場所でそんな事をすれば、平民の扱いなど藁にも劣るものだろう。

 それでも、あの場で軍人が――それも陛下の盾である近衛軍が民衆を殺したのは不味かった。 近衛軍を動かせるのは陛下において他にはなく、だとすればこの殺戮は陛下のご意向だと野次馬は受け取った。

 この噂は爆発的に広まり、もしかしたら今では知らない平民はいないかもしれず、今までとは違い国民と国家の間に不穏な緊張感を孕んでいた。

 だからこそ昨日から今弓を訓練している者達には過剰なまでの訓練を、そして過去にここで訓練をした者達と近衛軍第2部隊が無くなり野に下った者達を呼び戻し、軍備の拡充を図っている。

 これを機として裏切ろうと言うわけではなく、むしろこれを機として南部が立ち上がれば真っ先にぶつかるのはデーンロウ家の領地であり、ここを抜かれれば首都まで目と鼻の先であるならば何かあれば前線になるだろうというのは見てとれた。

 だと言うのに、それが理解できない馬鹿どもに明日ハヴィランド宮殿へ出頭するよう命じられた。 理由は『国家へ反旗を翻す意ありや?』と言う内容で、一昨日の事件を聞いてから急に軍備を拡充し始めたのは反乱が目的かと弁明の手段が与えられたのである。

「お祖父様?」

「ん? ああ、すまんな」

 思考が横道に逸れてからというもの、どうにもクライフが来ていた事を忘れていたようだ。 不思議がるクライフに、自分から煙草を勧めておいてなんではありがほどほどにしろよとだけ伝え、とりあえずクライフを部屋へ返す。

 窓から訓練場を眺め、走る者や掛け声とともに弓を放つ者を見てから、順調に進む徴兵と後の訓練計画について考え始めた。




 大きな馬車と小さな馬車の合わせて2台の馬車が、港町ラ·ロシェールから南にあるトリステイン魔法学院を目指して進んでいた。

 大きな馬車には積み荷である家具しかなく、小さな馬車には持ち主であるクライフしか乗っていなかった。

 トリステインに入ってからこそ護衛は無かったが、祖国にこそ護衛が出されたのはアルビオン国内の治安の変化がみてとれるだろう。

「……遠いな」

 無意識にクライフの口からそうこぼれていたが、それはそのままの意味ではない。 確かにラ·ロシェールを出てから既に1日が経過しているが、これは距離的なものではなく精神的なものである。

 ホームシックとまではいかないが、見知らぬ国へ1人追い出されたら誰でも途方にくれるだろう。 それが例え隣国といったものでも、だ。

 だからこうして窓の外に目を向けるが、あるのは木々か山々か草原ぐらいで見るものもなく、無駄に止まらないため息がまた1つでた。

 アルビオンに残っているお祖父様からは、絶対に1年間はアルビオンに帰って来るなと仰せつかっていて、これは何よりも優先すべきだとも言い含められているので長期休暇に入ろうが帰れはしない。

 何か打ち込めるようなものがあればいいが、無ければ休暇中は地獄をみるだろう。

「はぁ」

 ため息の理由はもう1つある。 それは、右手に握りしめたパイプだった。

 アルビオンを発ってから船室で吸ってはみたものの、それはもう船員が心配して船室に飛び込むくらいには盛大にむせた。 体内を煙が満たす感覚は気持ち悪いだけで、何を思ってお祖父様等を含めた大人が吸っているのかがわからない。

 ただ、お祖父様も最初は何回かむせるだろうが、次第に慣れて美味く感じると言っていたので変な言い方だが嗜好品に慣れる訓練は続けようと思う。

 それと、船に乗る前に気になった事がある。 港町であるロサイスは相も変わらず賑わっていたが、その賑わいかたが少しだけ不自然な部分があった。

 恥ずかしながら気付いたのは自分ではなく私の護衛を率いていたベックだったが、何でも今までより人の出入りが――いや、入りが激しいらしい。 アルビオンへ上がって来る船には満杯になった資材や武装した傭兵が乗り、下りは帰りの行商人だけでほぼ空の状態で降りていく。

 それはベックにとって見たことも聞いたこともない状況で、試しに1人の傭兵に話を聞けば「この国に雇われて呼ばれたんだ」と答えていた。 国に雇われたならば口出しは難しく、急な軍拡はもしかしたらアルビオンの国内不安が顕現したものかもしれなかった。

 少し話は変わるが、殿下は大丈夫だろうか? 最近は剣の訓練も少なくなり、忙しそうに政務にかかりきりだったのが気になる。 お祖父様も何かあるかもと言っていたが、確かにああも王族である殿下が忙しそうに動かないとならないまでに事態は動いているのかもしれない。

 益体もない思考に頭を支配されつつ窓の外に目を向けていれば、陽が傾き視界が徐々に変わってきたことにクライフは気付いた。 自然が自然だけのままだった空間に、ぽつりとまさに城塞とも言える仰々しい建築物が鎮座していたのだ。

 城壁のような壁に周囲を囲われ、壁の中心には天を突く塔が建ち並んで周囲を睥睨している。 実物を見る前は歴史だけ長い魔法学院なんて如何なるものぞと考え、アルビオンにある魔法学院も負けはしないだろうとたかをくくっていたが、この建物はまさに想像の範疇を超えていた。

「大きいな」

 ここで3年間学び、箔をつけ、そして殿下の元へ凱旋する。 それが今の自分に与えられた任務であり、確実にすべき事である。

 馬車はそのまま魔法学院の門をくぐり抜け、塔の前で止められ学院から誰かしらのアクションがあるまで待つ。 さすがにどの塔が何で、どの部屋が与えられた寮なのかがわからなければ荷物を持ち込むどころか、普通に入ることすらままならない。

 だから誰かが出てくるのを待つべく、こうして玄関口で立ち往生していると自分の案内に来た、というより偶々通りかかったと思われる人物に声をかけられた。

「そんなところで何をしているのです?」

「今年よりトリステイン魔法学院に入学する事になったクライフ·デーンロウです。 失礼ですが寮へ荷物を運びたいのですが、ミスえっと……」

「申し遅れましたわ。 私は2年生の授業を受け持つ『赤土』のシュブルーズですミスタ·デーンロウ」

 そう言って女性――ミス·シュブルーズはにこやかに笑い、「それと私はミスではなくミセスですわ」と朗らかに言ってから顎に手を当てた。

「少々ここで待っていて下さい。 新入生の案内を受け持っていたオールド·オスマンの秘書のかたが、昨日ついに逃げ…… ゴホン! 諸事情でお辞めになったので、学院長室から部屋割りを持って来ないと」

「あ、いえ、待ってますから大丈夫です」

 走らない程度に急いで塔を登るミセス·シュブルーズの背中を見送りつつ、学院長であるオールド·オスマンの秘書が逃げたってどういう意味だろうかと思考を張り巡らせ玄関に突っ立つ。

 玄関に馬車を止めて人が突っ立っていればそれなりに目立つ筈だが、何人か通る生徒からしてみればこの時期では日常的な風景でしかなく、社交界で顔を合わせた事があれば声をかけようと思って顔を見るも見知らぬ顔だとして去って行く。



 そんな状況で少し待たされはしたが、こうして今は部屋に家具を入れたのでベットに横になりながら配置を考えている。

 部屋割りを聞いてから家具にレビテーションをかけて1つずつ運ぼうと考えていたが、そんな私の非効率的な運搬方法にミセス·シュブルーズは苦笑してから杖を振り、ゴーレムを作り出す事で家具の運搬を手伝ってくれたのには感謝した。

 もしもミセス·シュブルーズが手伝ってくれなければ、まだまだ何往復かしていてベットに寝てはいないだろう。

「駄目だ…… 眠い」

 まだ机も棚も何もかもが部屋に乱雑に置かれた状態だが、それを片付けるのは明日でも問題はないだろう。 ひとつ大きく欠伸をすると、クライフは眠りに誘われていった。



[20897] 16話
Name: 呪人形◆bf19c6e7 ID:cb7db364
Date: 2010/09/18 20:36
 トリステイン魔法学院に到着してからというもの、特にやるべき事はなく部屋で黙々と本を読んでは体が鈍らないよう剣を振る生活を続けてきた。

 これがトリステイン在住の貴族であれば、某かの友人が居ればお茶を楽しみ自分達が受ける授業について話に花を咲かせただろうが、生憎と外交にはとことん関わっていないデーンロウ家の人間からすれば他国に知り合い等が居るはずもなく、こうして1人で過ごしていたわけである。

 しかしながら、そんな生活も今日で終わる。

 入寮してから渡されていた学生服を着込み、こうして今はいつもとは雰囲気の違うアルヴィーズの食堂に入り椅子に座る。 朝食は既に済ませていて昼にはまだ早いが、そわそわとした緊張感ある空気が満ちる食堂では食事ではなく、今から入学式が行われるのだ。

 広いアルヴィーズの食堂にはやたらと長いテーブルが3つ並んでいるが、今はその一部である中2階に近いところに前から詰めて座っていた。

 座ってから周囲を見回すが、まだまだ食堂の入口から人が増えている段階なので入学式は始まらないだろう。 次に前後左右に座っている人の表情をうかがうが、女子も男子も緊張したように膝の上で手を握りしめて黙っていつ始まるかわからない入学式を待っていた。

 まあ、パッと見て緊張にのまれていない金髪の男子はチラチラと周囲の女子に目を向けていて、さっき入って来たであろう赤髪の女子は緊張どころかつまらなさを全面に押し出していたのが印象的だ。

 ただ、少し気になったのは自分と同じ周囲の新入生は軒並み大きく、というか自分だけ目に見えて小さい。 明らかに同じ年齢の可能性は少なく、1つないしは2つは違うだろう。

 そもそもだ、あの赤髪の女子と自分が同い年ないしは近い年齢だなんて、全くもって想像できない。

「生徒諸君!」

 そわそわした空気を吹き飛ばす声が聞こえ、思考を放棄してゆっくりと声が聞こえ続ける方へ視線をずらし、視界を無視して地面に消えた老人を見た。

 それと同時に、テーブルの前方からドンともガンともつかない音が聞こえたかと思えば、上からばたばたと慌てるように教師陣が降りてきては動かなくなった老人――学院長であるオールド·オスマンの介抱を始めたようだ。

 前に詰めて座ってはいるものの、前でも後ろでもなく丁度中間付近に座っている自分にはオールド·オスマンの惨状はわからないが、前に座っている生徒はみんな顔色が蒼くなっているのを見れば酷いのだと理解できた。

 実物は見れないが前に座る人の反応から何があったのかわかる中間くらいは変に落ち着いているからいいが、逆に丸で状況が理解できない後方からは何があったんだとざわめきが溢れ始める。

 だが、そんな空気もどこ吹く風だと学院長は立ち上がり、自身の杖を虚空に掲げると「ハルケギニアの将来は諸君の双肩にかかっている!」と目を光らせて叫び、教師の1人に肩を借りてそそくさとアルヴィーズの食堂から去ってしまった。

 嵐のように現れて嵐のように去って行くと言うのは、まさに今の学院長の為にある言葉だろう。 残された生徒は目を白黒させつつも、なんとか条件反射だけで疎らな拍手を返している。

 それにしても、学院長が落ちた影響からだろうか周囲から程よく緊張感がとかれ、トリステイン人はアルビオンでは誇りの塊だとばかり聞かされていたが、実はそれは偏見でありユニークな人達じゃないのかと思い始めた。

「あー諸君、諸君。 これからクラス分けを発表しますので、呼ばれた人は後ろにミスタ·ツァルリーノが居ますのでそこに集まり教室へ移動してください」

 中2階からこちらを見下ろす教師がそう言うと、「まずはシゲルのクラスからです」と続けて生徒の名前を大声で呼び始めた。 名前を呼ばれた生徒は椅子から立ち上がると、そのまま後ろへ下がって行くのだが、呼ばれて立ち上が人を見て周囲があれやこれやと漏らし始める。

 ひそひそ話ではあるが、やれ「あの人が○○家の」だとか「あの子は可愛い」やら「あの人はかっこいい」と皆が似たり寄ったりな会話をしているので、こうして誰も知らないので興味のない自分でも耳に入ってくる。

 しかし、そんなひそひそ話を超えた怒鳴り声が聞こえて来たので、眉を顰めながらもそちらに視線を向けてみる。

 そこには、先程の赤髪の女子が分厚い本を掲げて立っていた。 そんな彼女を睨むように桃髪の女子も立っていて、横では素知らぬ顔で青髪の女子がばたばたと無言で本に手を伸ばしていた。 全くもって理解不能な状況である。

 そんな混沌も長くは続く事はなく、手持ちぶさたにしていた教師の1人が近寄って大声で怒鳴ると、赤髪の女子はわかってますよと言わんばかりに椅子に座り、青髪の女子はやっと手が届くとばかりに本を奪い取り、桃髪――ルイズ·フランソワーズ·ル·ブラン·ド·ラ·ヴァリエールだと大声で叫んだ彼女は恥ずかしそうに教師に頭を下げながら赤髪の女子を睨んでいた。

 程なくして先程聞いた名前であるミス·ヴァリエールの名前が呼ばれて後ろに下がり、纏まった集団がアルヴィーズの食堂から居なくなった所で「残りはソーンのクラスです」とだけ言って、特に名前を呼ぶような事もなく「全員着いてきて下さい」と残して食堂から出て行ったのでそれに着いていく。

 ぞろぞろと階段を上り廊下を進み、目的の教室についたのか入っていく教師に置いていかれないように教室に入る。 入ったそこは、さすがに歴史や格式があっても想像とは変わらない机や椅子の置かれた教室だった。

「どこに座ればいいんですか?」

「席は自由です」

 みんなの疑問を1人の男子が代弁し、帰ってきた答えに頷くと勝手気ままに全員が席に座った。 教卓を向いた席の構図としては、まさに紅一点にして男子は右端に座った赤髪の女子の近くに陣取り、そんな男子を女子は面白くなさそうに離れた左端に寄って座っている。

 特に波風を立てる気はないので、自分は少し周囲に人が少ない真ん中に座っているが、あくまで非武装の緩衝地帯染みた雰囲気を纏っているのが玉に瑕だった。

「えー学院長も仰いましたが、諸君は将来的にハルケギニアを背負ってたつ責務があります。 なので、授業はきっちり受けて単位獲得を目指して下さい」

 そこからは学院内でのマナーや決めごと、授業の受け方から選び方といった諸注意事項が語られて時間割りを記した紙が配られた。

「あーわからない事があれば、先生に何でも聞いて下さい」

 そう言って1人頷いた教師は生徒1人1人の顔を見渡して、質問があるのか手を挙げた女子に気付いて顔を向けた。

「あの、先生……」

「質問ですか?」

「はい。 その、先生のお名前は?」

 そう言う女子に教師は怪訝そうに顔を見つめ、小さく手を叩くと「そういえば自己紹介をしていませんでしたね」と口にしてから自己紹介を始めた。

「えー私はヴィンチェンツォ·ガリレイで、『風』のライン『不協和音』の2つ名を持っています。 担当の授業は四科の内の音楽論なので、私の授業前には喉を潤してから来るように。 よろしいかな?」

「ありがとうございますミスタ·ガリレイ」

「あーそうだね、ついでだからみなも自己紹介をしようか? 同じクラス同士で3年間も授業を受けるのに、名前を知らないなんて将来損をする。 じゃあ、左端から順々に始めてくれ」

 女子の指摘からそうだそうだと何かに思い至ったのか、とりあえず左端に座っていた赤髪の女子を指差して全員に自己紹介をするよう伝えた。 それを受けた彼女はすくりと立ち上がると周囲の男子を見回し、軽くしなを作ると自己紹介を始めた。

「あたしはゲルマニアから来たキュルケ·フォン·ツェルプストーよ。属性は『火』で、ここには情熱を求めてやって来ましたの」

 そう言ってウインクをするキュルケに男子は息を飲み、女子はそんな男子に歯軋りするが何人かは自分の体を見ては俯いていく。

 そんな教室の反応に一通り満足したのか、小さく微笑みキュルケはガリレイの方へ向き直った。

「ミスタ·ガリレイ、あたしの微熱に一晩燃やされてみないかしら?」

 蠱惑的な笑みを浮かべて誘うような声を出せば、周囲に陣取っていた男子は生唾を飲み込みながらもガリレイが何と答えるのか気になり教卓へ向いたが、そこには困った顔をして立っているガリレイが居た。

「あーすまないミス·ツェルプストー、私には献身的な妻が居るのだよ」

「そうだったのですか」

「むー君が私の愛する音楽ほどに美しければドキリとしたかもしれないが、あれは人間には出せない淫猥さと情熱がある」

 それを聞いたキュルケの表情は固まり、音楽に対する惚け話を始めたガリレイに他の生徒の時間も止まる。

 キュルケからしてみれば、実体もない音楽に自身の美貌が負けたのであり微妙な気分だ。 男子はこの誘いを嘘か真か音楽をだしにかわしたガリレイに驚愕と尊敬を半々に、女子はむしろガリレイ家はこの先生で途絶えるんじゃないかと冷や汗を流していた。

「――であって、やはりバイオリンの音色もいいがリラこそが弦楽器の至高であり…… あー話が横道にそれたな、ミス·ツェルプストーは座って次の人が自己紹介を」

 何事もなかったかのように今までの千言万句に及ぶ音楽に対する想いを流し、キュルケに座るように促して前に座っていた男子を指して自己紹介を続けさせる。

 しかし当然ながら、時間は無限ではなくキュルケの周囲に集まる男子の半分も自己紹介が済まずに終わりの時間がやって来る。

「えー時間が来てしまったので、自己紹介の続きは後日に回します。 それにしても、先に呼ばれて居なくなったクラスと最後に集まって教室に入ったこのクラスとで、始まりは違うのに終わりは同じなのは不公平ですね」

 ため息をつきながらももう一度生徒の顔を見回すと、ガリレイは「明日は受けたい授業を考える日なのであなたたちは休みですが、上級生は授業があるので余り騒がしくしないように」と言ってから教室から出て行ってしまった。

 それを見て全員が席を立ち、自由な時間を満喫すべく教室を去って行ったのだった。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
3.2112557888