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[21980] 【ネタから派生】Fate/phantom moon =幻月の乙女=(原作:Fate/Extra)
Name: 道化◆5a734804 ID:de87e9fa
Date: 2010/09/18 21:25
 この作品は同作者の「えくすとら・でいず!」のネタであった作品を元にした「Fate/EXTRA」の二次創作です。
 主な作品傾向として。

・弓×主である。
・主人公が半ば転生?
・いろいろと作者の妄想が蔓延っている。
・しかし現段階の今作品では弓の出番はほぼ皆無。
・作者の型月世界の知識は不十分で、Wikiなどの情報頼みなところがあります。
・ゲーム本編は未プレイで、二次創作がベースな部分があります。故に二次創作と公式の設定をごっちゃにしてしまう可能性があります。
・それによって独自解釈が多くなると思われます。

 現在として明確に表せる作品傾向はこんなところです。
 なお、文章の内容に「えくすとら・でいず!」のネタの作品とほぼ同じ文章を流用しておる場面があります。一応、こちらは女主人公が「□□」へと至るまでの物語を気ままに不定期に気分の向くままに更新していこうと思っております。
 そんな作品でも良ければ、作品の方でお会いいたしましょう。それでは作者でした。



[21980] 序章「Epilog&Prologue」
Name: 道化◆5a734804 ID:de87e9fa
Date: 2010/09/18 11:26
 戦争があった。
 現実上においては何の意味も為さなくなってしまった戦争だ。まるで無意味な戦争だった。
 だが、その戦争に参加した者達にとっては決して無駄ではなく、得るモノもあった。
 それが例え意味を持たないものだとしても。…いや、言い換えよう。それが無意味でも意味を見いだすだろう。
 霊子電脳世界。霊子と呼ばれる無機物・有機物問わずあらゆる存在が持つ“存在の雛形”という形而上の概念を、データとしてカタチにしたエネルギー情報体。この霊子を以て形成された世界、通称「SE.RA.PH(セラフ)」。
 この世界において行われた戦争。ありとあらゆる願いを叶えるという願望機「聖杯」の所有権を争った戦争、その名、聖杯を巡って争ったことから「聖杯戦争」と呼ばれている。 聖杯戦争とは、過去に活躍した偉人、つまり英雄の霊、英霊をサーヴァントとして仕えさせ、決闘方式で生き残りをかけて殺し合う戦争だ。
 その聖杯戦争には多くの人間が参加した。しかし、最終的に生き残るのは勝者である一人とされた。予選、本戦と続く戦いの中、次々と失われていく命。
 その中で勝者となったのは、何の変哲もない少女だった。
 何の変哲もない。それは、この戦争においてあり得ざる一般人に近しい少女だった。限りなく平凡で、日常にいれば埋没してしまいそうな少女。
 そんな少女には記憶、自己という存在がなかった。記憶が戻らぬままでの命をかけたやり取り。ただ死にたくないと抗い、それ故に命を奪う事に苦悩した。
 生き延びた彼女が知ったのは自らの残酷な真実。彼女は命ですらない。聖杯戦争を運営する聖杯と呼称される「ムーンセル」によって生み出されたNPCだったのだ。
 実在している、もしくはしていた、していたかもしれない人物の情報をコピーし、再現させた存在こそが彼女の正体であった。本来は再現するだけしかない人形だが、何かしらの影響で自我を得た彼女は聖杯戦争に参加するマスターとして選ばれた。
 多くの命を奪い、自らの存在に苦悩しながらも彼女が選んだ道はこの聖杯戦争を終わらせるという選択。この世界でしか自分が生きられないのならば、この戦争を終わらせ、あり方を変えよう、と。
 戦争の最中、どうしても救いたいと足掻いた結果に助けた友達である少女が笑っていた。
 共に戦争を駆け抜けた頼れる相棒である赤き弓兵は皮肉気だが穏やかな笑みを浮かべていた。
 そんな中で勝ち抜いた聖杯戦争。最後には自らと同じ境遇でありながらも、決定的に相容れぬ男との戦いに臨み、見事、彼女は勝利した。
 それが聖杯戦争の結末。そして勝者である彼女が聖杯に願ったのは―――。





 * * *





 まどろむ夢を見ていた。
 それは走馬燈と呼ぶべき夢。
 死にたくないと抗い、「彼」出会い。
 最初の戦いで死にたくないと足掻く少年の命を奪い。
 騎士の誇りを貫きながら戦った老兵から助言を受け。
 同輩であった孤独な亡霊である少女の夢を終わらせ。
 死んでほしくないという少女を傲慢にも助けようとし。
 自らが信ずるモノを絶対とする狂信者を押しのけて。
 冷酷な、しかしその内に秘めたものを後に知った暗殺者を払いのけ。
 何度も助けられ、そのあり方に羨望を抱いた恩人の命を奪い。
 王に相応しき絶対者である少年を否定し、勝利者と至った。
 玉座で待つのは一人の男。自らと同じく紛い者にして紛争の被害者。
 悪である、と自らを称し、犠牲のない戦争を起こして世界を発展させようとした彼を。
 否定する。戦いが人を成長させる。否定はしない。されど、その痛みと悲しみだけは否定しなければならないと。
 多くの人と、多くの英霊と戦い、触れ合い、感じた事。何もない空っぽな自分に注ぎ込まれていく経験(きおく)
 それが許さない。この身は確かに戦争の発展の証明。されど、だからこそ彼女はそれを否定する、と……。





 * * *





 軋む。
 軋むのは何だ? それは心。それは体。それは世界。それは未来。それは…全てだ。
 軋む世界。軋ませるのは人。胸に強き意志を宿し未来へと進む者達。どのような姿であれ、それは未来を望む者達だ。前へ進むために。望みを叶えるべく力と力を交わし合う。
 方や、戦争を憎みながらも、戦争によって得られる成果を前にして永遠なる闘争と発展を望み、救世主を従えた男。
 その男と救世主に挑むのは――少女と男だ。
 男が一歩前に出る。赤い外套を靡かせ、逆立てた白髪を乱し、その体に幾多の傷を負おうとも揺るがない。何故ならば彼の身に敗走はないのだから。故に彼は前へと出る。生前そうしていたように、一度は見失い、憎み、呪い、だが、出会った事によって得た新たな答えを胸に。


 ――体は剣で出来ている。血潮は鉄で、心は硝子。

 ――幾たびの戦場を越えて不敗。

 ――ただの一度も敗走はなく、ただ一度の勝利もなし。

 ――担い手はここに独り。剣の丘で鉄を打つ。

 ――ならば、その生涯には意味はいらず。

 ――その体は、無限の剣で出来ていた。


 詠唱。それは彼の最大にして最後の奥義。だが、それは若干異なった詠唱となった。それは彼の心境の変化が産みだしたささやかな歪み。だが、それは彼という頑固な人物にとって、確かな変化のキッカケであり、同時に救いであった。
 焔が走る。世界が作り替えられていく。産み出されるのは赤き荒野に突き刺さる無限の剣群。聖剣、魔剣、宝剣、神剣。様々な、ありとあらゆる剣が突き刺さる。これは固有結界と呼ばれる心象を具現化し、現実を侵食するリアリティ・マーブル。
 その名、『無限の剣製(アンリミデットブレイドワークス)』。
 赤き世界を、赤き弓兵が駆ける。その身は英霊、そしてサーヴァント。弓騎士の位を頂くアーチャー。仕えるべき主に勝利をもたらす為に。彼と、そして彼女が願う終わりを。この戦いに勝利という形を得て終わるこの悪夢を。
 無限の剣が彼の意志を持ってその力を振るう。唯一、規格外としてセイヴァーのクラスを頂いたサーヴァントを削ってゆく。だが、それでも止まらない。それは敵の強さの証明でもある。


「問う。何故私を否定する? 君とて争いの果ての申し子だろう? 錬鉄の英雄よ。君はあの大災害を経験し、その空虚な心に宿した理念は君を英雄に押し上げた。君がそれをどう思おうともそれは前へと進む為の力となった筈だ」


 白衣を纏った男、救世主を従えた科学者である彼、トワイス・H・ピースマンはアーチャーに語りかける。その言葉をアーチャーは文字通り、握った黒と白の双剣、干将・莫耶をトワイスのサーヴァントであるセイヴァーを切り払う事によって斬り捨てる。


「それは否定はせん。だが、だからといって貴様を肯定する事は出来んよ!! 私も…そして、彼女も、だッ!!」


 アーチャーの叫びと共に振るわれた干将・莫耶の一撃はセイヴァーを退かせた。後退するセイヴァーはその動きを止める。その間にトワイスに向けて駆け抜ける者がいた。トワイスはそれを見た。
 走るのは少女だ。学生服を身に纏い、その体に少なからず傷を負っている。血が滲み、痛みも決して軽いものではない筈。だがそれでも駆け抜ける少女がいた。戦場を、赤き荒野を、剣の墓場を駆け抜ける。


「衛宮 奏…!」
「トワイス・H・ピースマン…ッ!!」


 トワイスが、そして奏と呼ばれた少女が互いの名を呼ぶ。互いに紛い物として生まれ、だが本物と同じように意志を持ち、そして聖杯戦争と呼ばれるありとあらゆる願望が叶えられる聖杯を巡っての戦争を勝ち抜いた。
 そして奇しくも彼等がその存在を途切ったのは同じ場所。紛争に巻き込まれて死亡したトワイスと、その中で行方知らずとなった奏。互いに戦争への強い思いを持つ者。共通点を挙げればキリがない。
 だがそれでも、それだけの共有点を持ちながらも奏とトワイスは啀み合う。それは何故?


「何故だ? 衛宮 奏。君とて私と同じだろう。戦争は憎い、だがここに居る君こそがその戦争から得られる成果だ。この聖杯戦争を勝ち抜き、私の前に立つ君が何よりの証拠だ」
「――だから?」


 奏は両手に握ったその剣を持ち直す。それは黄金の剣。かつてアーチャーがその記憶に強く残した「騎士王」が手にしていた剣。かつては折れ、失われ、投影品として剣を錬成するアーチャーが残した幻の聖剣。
 無限の剣が連なるこの世界において、それを彼女が握ったのは、果たして偶然か、必然か。聖剣から溢れる力を必死に抑えながらも奏はトワイスへと駆けていく。


「だからこの悲しみも、この痛みも許せ、って? わかるよ、わかるけど…―――巫山戯ないで! 最小限な犠牲? 誰もが生き残れば争いは起きて良い? そんなの肯定できるもんか!! 確かに人は愚かかもしれない。戦わずにはいられないのかもしれない。だからトワイス、貴方のやっている事は正しいのかも知れない」
「ならば―――」
「それでも、涙を止めようとして何が悪い! 痛い事を無くそうとして何が悪い! あぁ、貴方の言う事は正しいとしても、私は私の受けた痛みは誰かが受けるべきだとは思わない!! 世界を変えるなんて、私にはどうでも良い!! 誰が泣こうが、傷付こうが…―――大事な人達が傷付く位なら!! 誰も彼も泣いてしまえば良い!!」


 それは、あまりの身勝手。そんな彼女の脳裏に蘇るものがある。
 それは憧れた恩人である少女の記憶。戦いを否定せず、その中で解り合っていく事、戦いは無意味ではないと教えてくれた人。だがその戦いの中で出てしまう犠牲者の為、きっと誰よりも誇り高く戦った優しき少女を思い出す。
 それは絶対であった少年の記憶。王として生まれ、王として育ち、何一つ欠陥など存在しない王であった。世界の平和の為に、と戦っていた彼。しかし、彼には中身というべきものがなかった。最後には悔しかったという感情を吐き、涙を流しながら逝ってしまった。
 二人だけじゃない。多くの記憶が蘇る。この一ヶ月という短い時間の間に得た経験は彼女を走らせる。抗え、と。認めてなるものか、と。


「私は、何も無かった。空っぽだった。記憶が無くて、理念も信念も何もない! だから人を気遣う事なんてきっと出来てなかった。ただ自分で精一杯だから。でも、きっとそんなものだ!! 私は、ただの人だから!! 貴方の言うような救世主になんてなれやしない!! そして争いこそが救いだって言うなら私は…誰も救われなくて良い!! 私は…私の大事な人が、愛しい人達が笑っていられれば、それで良い!!」


 救いは要らない。そこに笑顔と平穏があれば良い。だから、と。一歩、二歩、また進む。トワイスとの距離は近づいていく。それをセイヴァーが食い止めようととトワイスに意識を向けた瞬間、アーチャーがセイヴァーの懐に飛び込む。


「それは停滞を呼ぶのではないか? 目を背けては世界は変えられない」
「世界なんてどうでも良い!! ただ、私は、それだけしか見えない!! それに、それは違う!!」
「違う?」
「変われるよ。人は、誰かと触れあえば変わっていける! 切っ掛けはいつだって自分の中にあるんだ! それを気づかせる人と出会えれば戦争なんか無くたって変わっていける!! それに世界は、自分が見る全てこそ世界だ! 一歩歩くだけで世界は変わる! 振り向けば世界は変わる! そんな、簡単な事だ!! 些細でも自らの位置を変える事なんて誰だってできる!!」


 そして、届く。
 トワイスを護ろうとして迫ったセイヴァーはアーチャーの放った落雷にも等しき矢の一撃を受けて吹き飛ぶ。そのロスが、確かな道となる。
 トワイスは眼前、その顔には何も浮かんではいない。ただジッ、と奏を見つめている。奏はその視線を真っ向に受けながら握った剣を振りかぶる。


「トワイス、私は貴方を否定できない。けれど否定する! 私はそこまで人に絶望していない!!」
「―――」
「私は人の可能性を諦めない!! 諦めてやるもんか!! いつか、絶対変わる時が来る!! 誰が何というと、私は信じる!! そして足掻く!! …だから、今、ここで、貴方は倒れろッ!!」


 奏の咆吼と共に聖剣が光を放っていく。


勝利すべき(カリ)―――」


 魔術回路に魔力を込める。ありったけの魔力。この為に取っていた魔力を全て注ぎ込む。黄金の剣が煌めくを放つ。黄金の光を。そしてそれはその名の如く――――。


黄金の剣(バーン)―――ッ!!」


 ―――もたらすべき勝利を彼女にもたらした。





 * * *





 まどろみの夢に終わりが近づく。
 消えていこうとしているこの身の崩壊は止める事は出来ない。
 消滅間近の身は何を思う。
 思い浮かべるのはこの戦争中、自らが傲慢にも救いだし、友達となった少女の事。
 彼女は無事に地上に帰れただろうか? そして現実世界にいる「本物」に何を思うのだろう? 泣いていないだろうか? 笑ってくれているだろうか?
 そして…―――。


「…アーチャー」
「…なんだ?」
「…私、消えちゃうね」


 地に足が付かない無重力。その中で漂うように私はいて、その傍らには彼がいる。
 ずっとこの戦争中、命を守ってくれて、成長を促してくれて、傍にいてくれた。
 彼の境遇を知って、彼と傍に居て、彼と歩み…私は、きっと私でいられた。
 この感情は何だろう? 焦がれる。離れたくない。傍に居たい。もっと、もっと、と。


「…アーチャー」
「…なんだ?」
「…私、消えちゃったらどうなるのかな?」
「……」
「もう、何も思い出せなくなるのかな? 何も感じられなくなるのかな? もうこうして考える事も出来ないのかな?」
「…恐らく、な」
「…そっか」


 彼の返答は、些か苦しげなものだった。あぁ、ごめんなさい。貴方を悲しませるつもりじゃなかったの。


「…じゃあ、苦しくなくていいや」
「…そうか」
「…ねぇ、アーチャー。ごめん。我が儘、言っていい?」
「…なんだ? マスター」
「名前で呼んで欲しいの」
「…奏」
「うん。それと、アーチャーの名前、呼びたいの」


 アーチャーの顔が少し驚きの色に染まるのを私は見た。彼の逡巡は一瞬。あぁ、私には時間がないから。あぁ、なんて狡い。彼は言うしかなくなってしまうというのに。


「…エミヤシロウ、だ」
「…驚いた。私と同じ名字?」
「…あぁ、そうだな」
「…ふふ、嬉しいなぁ」
「…嬉しい?」


 うん。だって、さ。同じ名字なら…想像しちゃうからさ。


「…エミヤ、シロウ」
「……」
「…シロウ、私ね…、シロウの事……――」


 ―――大好きだよ。
 届いたかな? 私の最後の言葉。もう、意識が曖昧で、朦朧としてきて…。


「―――――」


 何かの、声、が、聞こえ、た、よう、な……――――。





 * * *





 ――これにて、終幕。聖杯戦争に幕は下ろされた。


 世界は歪みを嫌う。
 世界は矛盾を厭う。
 世界は許さない。世界は正しくあるべきだと。故に綻びを見逃すことはない。
 故に世界は正す。世界は正しき形にあるべき。歪みは要らず。

 だが。

 世界が歪みを許さない。それならば…。
 果てして、彼女の存在はどうなるのか?
 彼女は勝者だ。聖杯が定めた戦争の勝利者だ。
 だがしかして。
 彼女は存在を許されない。その存在そのものこそ不正だから。
 だがしかして。
 彼女はやはり勝者なのだ。勝者は既に選ばれた。彼女こそ、正に。
 だからこそ。
 彼女は認められるべき存在だ。その存在を。
 故に。
 生きなさい。虚像から生まれ、零より歩き出し、勝利へと至った弱き子よ。
 私は認めよう。君という存在を。君は我が申し子。我の目となり、我の手となり、我ではない我として。
 我は観測者。しかして観測者は観測するだけに過ぎず、自我など要らず。
 されど、観測者であるが故に我は理解が出来ない。客観的にしか見れない私に。
 君の価値を、証明して欲しい。君が、なぜ生まれたのかを。
 君は無意味に流されるだけの存在ではない。だからこそ、君は生き残った。故に価値がある。
 それは私が記録してきた、数多の英霊達と同じなのではないか、と。
 ならば君こそが…この世界を革新させる者なのか?
 私は見届けよう。だからこそ、君は行きたまえ。さぁ、見せてくれ…。





 * * *





 光を感じた。それが意識の覚醒を促す。まどろみから抜け出すように、浮上にも似た意識の目覚め。
 重たい瞼を開く。差し込む光の眩しさに目を一瞬閉ざす。それを光を慣らすかのように何度も瞬きを続けた。
 おかしい、と思った。私は消えたはずなのに。もう何も感じることもなく、何も思う事もなく、何も願うこともなく。もう、消えたはずだったのに。
 思考は留まらないまま、瞬きを繰り返す。その中で光を遮るようにして何か影が立っているのが見えた。何? と、瞬きを繰り返し、その影は次第に鮮明に浮かび上がってきて。


「…ラ…ニ…?」


 不意に、影であった少女が震えた。それは自分の唯一とも言うべき友達の姿で。


「…かな…で…? 奏? 奏?」
「…ラニ…どうし、て…?」
「―――ッ、奏ェッ!!」


 首に手を回される。抱きつかれた、と自覚するのにはどこか頭の動きが鈍い。肩口に顔を埋めるようにしてラニが抱きついている。そしてラニが泣いている。大声を張り上げながら強く私を抱きしめている。
 何が起きているのかよくわからない。消えたはずなのに、またラニとこうして触れあっているというこの事実が何を意味するのか。考えなければならない。ならないのだが…。
 今は、この熱を、この感触を、生きているという実感と、また会えたという感動に浸ろう。頬には一筋の涙の跡がついた。



[21980] 第1章「I walk in the world」 01
Name: 道化◆5a734804 ID:de87e9fa
Date: 2010/09/19 19:14
 夜の闇。暗がりに沈む世界を灯すのは人々が生活している証である人工の灯火。整備された道路には車が数多く往来を繰り返し、その光は瞬きを繰り返す。それを窓から見下ろすのは奏だ。
 身にまとっている服はパーカーにミニスカートと言った一般的な格好だ。学生服しか碌に着たことが無い為か、不意に自らの格好に視線を下ろしてはスカートの端をつまみ上げたりしている。


「…さて、そろそろお互い落ち着きましたか」


 こほん、と小さな咳払いと共に部屋に声が満たされる。奏が居る部屋に泊まっているもう一人の人間。その名はラニ=Ⅷ。聖杯戦争の最中、聖杯を巡るライバルであったのと同時に、奏が命を救い、友という協力者として聖杯戦争を共に駆け抜けた人。
 もう二度と会う事のない、と思っていた彼女との再会は奏にとっても、そしてラニにとっても予想外の事であった。そして彼女達は現在、ラニが借りていたホテルの部屋に戻って落ち着きを取り戻すまで時間を置いていた、という訳だ。


「…えと、まずは、また会えて、良かった。ラニ」
「…はい。貴方と会えるだなんて…奇跡、と言っても良いんでしょうか」


 奏が声をかけようとして迷いながらも言うと、ラニは目を伏せ、小さく頷きながら告げる。しかしそこには言葉とは裏腹な彼女の思案の顔が見られた。それに奏は戸惑いを消していき、ラニと真剣に向き合うように表情を正した。
 ラニはそんな奏の様子に気づいたのか、伏せていた瞳を開き、奏へとまっすぐに視線を向ける。そこには疑問の色が隠される事もなく現れていた。


「教えてください。奏。どうして貴方は生きているんですか?」
「……わからない。気づいたら私はあそこに居た。それでラニと再会したんだ。本当だったら私は聖杯に願いを叶えてもらった後、不正なデータとして消されるはず、だったんだけど…」
「…奏は聖杯に「自分が生き残りたい」と願ったのではないのですか?」
「…私が願ったのは…」


 ラニの問いかけに奏は一度瞳を伏せた。トワイスとセイヴァーとの戦いの後、ラニと最後の別れを済まし、聖杯へと接続した。その中で聖杯に託した願い。それは…。


「…聖杯戦争に関わった人達がどうか幸せであるように、って願った」


 そうだ。自分は確かにそう願った。あの戦いにおいて失われた命は自分が知る限りでも最低128名。そして予選にも参加していた人数を含めるともっと多くの命が失われたという想像は難しくはない。
 そしてそこで失われた命もまた理不尽なものだった。遊び感覚、興味本位で参加した者の命すらも奪ってしまった。あぁ、それは果たして有って良いことなのか? 認めて良いものなのか?
 以前の自分ならそれは許せない、と言ったかもしれない。聖杯戦争そのものが間違っている、と。だが、その考え方を変えたのは間違いなく自らが羨望を抱いた少女――遠坂 凜の影響に違いない。
 彼女は言った。戦いを通して相手を知っていく。それは決して間違った事じゃない。競い合い、その中でお互いを高めあっていく。これも間違ってはいない。間違っているとするならば、そこで終わってしまうという事だ。
 その最もな例がレオだった。悔しい、という感情を奏との戦いに敗北した彼はそう言った。しかしそれを生かす機会が無いことを心の底から絶望していた。彼は生きていればもっと先へ進めたはずだ。彼と刃を合わせた奏にはよくわかる。
 そしてトワイスが言った通り、この戦争が自分を育んだ。それも否定出来ない。命がけで、剥き出しの争いだったからこそ、願いは強く、思いは堅く、空っぽであった奏に多くのモノを与えた。
 聖杯戦争を否定しきれない。それはトワイスと同じ。だが、奏はそれでも、いやだからこそ幸いがあれと願った。これで終わり、なんてのは悲しすぎる。だからどうか幸いがあって欲しい、と。
 それがどんな形になるのかはわからない。果たして、結局彼らは救われたのだろうか、と疑問に思うも、今はそれは後だ。


「…まぁ、そんな感じで私は別に私の生存を願った訳じゃ…」
「そうですか。…でもそれなら、確かに貴方がここに居るのは理に叶っている」
「え?」
「…私の幸いは、貴方とこの世界を生きる事なのだから」


 微笑み。ラニは心の底から笑っていた。その瞳からは先ほど、流し尽くしたと思わんばかり溢れた涙がまた伝っていた。だがそれは一滴。だがその一滴にどれだけの思いが込められているのかと思えば、されど一滴であろう。
 ラニは涙を拭い、奏と向き合う。微笑みを崩さぬまま、ラニは奏との距離を近づける。もう少し近づけば触れあってしまいそうなほどの距離。奏はラニの視線に飲まれ、退く事が出来ずにその距離でラニと見つめ合ってしまう。


「…良かった。貴方がいない間の時間、私にとっては世界が灰色に、無感動になったも同じでした。だからこそあの日々が輝かしかった。こんなにも現実は満ちあふれているというのに、虚構でしかなかったあの世界が輝かしく思えるなんて…心とは不思議なものです」
「…ラニ」
「ありがとう…ありがとう、奏。ここに生きていてくれて。私はそれだけで良い。今は、それだけで…」


 後は声にならなかったのだろう。ラニは奏の胸に顔を埋めるようにして抱きついた。奏はそんなラニを抱き留める。ラニの体は小さく震えていた。押し殺すように息を吐き出している。それはまるで嗚咽を堪えているようで。
 そんな背中を奏は優しく叩く。一定のリズムでラニの背中を何度もさするように叩いていく。最初の頃は強ばっていたラニの体だが、次第にその力を抜いて奏に身を預けるようになった。
 ラニが何も言わなければ、奏もまた何かを言うことはなかった。静かな時間だけが流れていく。そんな中、奏は空を再び見上げた。窓の外には月が浮かんでいた。満月だ。青白い光を放ちながら浮かぶ月を奏は何気なしに見上げ続けた。
 幸いあれ、と自分は望んだ。聖杯はそれをどんな形で叶えたのだろうか? 失わせてしまった命。失ってしまった命。私の願いはそれを全て無にしてしまう事だったのか? と。
 思考はただ巡る。だが、わずかに身じろぎしたラニの気配を感じて奏は思う。それがきっと誰かにとって無駄で、意味の無い事だとしても、この友人が喜んでくれた。なら、それで良いじゃないか、と。
 月を見つめる。奏はその月に向けて小さく、「ありがとう」、と呟いた。月はただ静かに月光を放つだけであった。





 * * *





 ここは天国なのか。
 奏は思わずそう思わざるを得なかった。あの後、ラニとそのまま寝てしまい、朝を迎えた。シャワーを浴びて軽く身だしなみを整えた二人が向かったのは朝食だった。
 バイキング形式の食堂にはちらほらと人が座っているのが見える。が、奏にとってはそれはとても些細な事であった。目の前には多種多様の料理がずらり、と並んでいる。これを好きに食べて良い、と言われれば思わず唾を飲んでしまった。


「ねぇ、ラニ、聞くけど…これ、全部食べてしまっても構わないんでしょう?」
「…はぁ、まぁ、お好きにどうぞ」


 そんな珍しい料理が有るわけではないんですけどね、というラニの呟きは聞こえない振り。あぁ、確かに知識としては知っている。しかし現物として見るのは実際初めて。焼きそばパン、カレーパン、麻婆豆腐と数少ない食事で舌を慰めていた記憶がさらに食欲を加速させる。
 糧を、食糧を! この舌にその味を得と堪能させ満たせ! さぁ、バイキングよ、食材の貯蔵は十分か?
 そして暫くして、満足げにお腹を撫でている奏と、その前に積み重ねられた皿の数々と呆れた表情でこじんまりとした食事を終えたラニ、という図が出来上がっていた。そして彼女たちには注目が集まる事は当然。
 バイキングはいくら食べても良い、とは言ってもさすがに食い過ぎではないのか? しかも朝食。周囲にざわめきが満ち、それによってラニの肩身もまた狭いものになっていた。


「うぅん、食事はやっぱり良いねぇ。弁当もおいしかったけど、食事ってやっぱり大事だよね」
「…はは、そ、そうですね」


 何ともいえない表情で奏に肯定の言葉を告げるラニ。実際、すぐにでもここを立ち去りたい訳だが、逆に野次馬の所為でこれまた下手に動く事も出来ない。困ったように眉を寄せていると、どよめきが大きくなったように聞こえた。
 それは奏達の方角とはまた違う方からのどよめきだった。何事か、とラニが野次馬達が作った人垣へと視線を向ける。そうすると人垣がまるでモーゼが海を割るように割れていき、そこから一人の少年が歩んできた。
 その姿にラニは目を驚愕に見開かせた。そして言葉を失うラニに食後の余韻に浸っていた奏はようやく気づいたのか、ラニへと声をかけた。


「ラニ? どうかしたの?」


 が、返答が無い。いったいどうしたのか? と奏が首を傾げる。そこに小さな含み笑いのような声が聞こえた。奏が吊られるようにして顔を笑い声の方へと向ける。


「お久しぶり、という言葉が相応しいですかね? 衛宮 奏さん」


 え? と。奏は動きを止める。そこに居たのは一人の少年。あぁ、その身に纏う雰囲気、見紛う事はない。彼は…――!!


「レオッ!?」

 ハーヴェイ財団の次期当主と名高いレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイがそこに悠然と立っているのであった。





 * * *





 奏の初感想曰く「走りにくそうな車」と感想を受けたリムジンの中に奏、ラニ、レオの三人は居た。奏とラニは隣り合うように座り、その向かいにはレオが座っている、という態勢だ。
 奏はリムジンの中で出されたお菓子を夢中で食べている。満面の笑顔でお菓子を頬張る姿はまさに子供のようだ。それにラニは思わず頬が緩みそうになるも、必死に表情を引き締めてレオを見ている。
 そんなラニとは対照的にレオはそんな奏の姿を緩んだ表情で見つめていた。まるで愛おしい者を見る目つきだ。それがラニの警戒を助長させる事となっているのだが、果たしてそれは無意識か、意図的か。


「にしても、レオ。生きてたんだね」
「いいえ。恐らくは死んでいたでしょう。でも僕を蘇らせたのは貴方ではないのですか?」


 お菓子を頬張る手を止めて奏はレオへと問いかけた。奏の問いかけにレオは穏やかな笑みを浮かべたまま首を振って否定する。代わりに今度はレオからの問いかけが奏へと向く。奏はレオの問いかけに、んー、と小さく唸った後。


「わかんない。私は聖杯戦争に関わった人達が幸せになりますように、って願っただけだから」
「…なるほど。それなら納得です。やはり僕の命を救ったのは貴方だ。奏」


 うん、と頷くようにレオは笑みを浮かべて奏に告げる。奏自身はきょとん、としている。そんな奏にレオはまっすぐに奏へと視線を向ける。自然と居住まいを正してしまう空気だ。実際、奏の背筋がぴん、と伸びている。隣のラニも同じだ。


「僕は貴方に敗北した。僕には足りなかったモノがあった。絶対者として生まれたが故に欠けていた中身、というべき者。上から見下ろすだけでは得られなかった苦渋の感情。絶望の深さ、それを貴方が、そしてガウェインが教えてくれた」


 足を組み、その上に握り合わせた拳を乗せてレオは静かに、感慨深げにそう言った。そこには溢れんばかりの感謝と敬愛の気持ちが込められていた。自らに自らの足りないモノを教えてくれた奏と、それを教えられるだろう相手の下まで自らを敗北させなかったガウェインと。
 二人がいたからこそ成り立ったあの戦い。そして戦いを終えた後の苦く、暗く、重苦しい敗北の味。そして後悔と自らの道を閉ざされた絶望感。せっかく得たモノを生かすこともなく朽ちていく事への抵抗。


「消えた、と思ったら僕は気づいたらいつの間にか現実へと復帰していました。何が起きたのかわからなかった。そしたら兄さんもまた同じように目覚めていたんです」
「ユリウスが?」
「はい。…兄さんもまた貴方に救われた一人なんでしょうね。今なら僕は兄さんの苦しみがわかる。…いいえ、僕にわかる、だなんて傲慢な事は言えない。兄さんの苦しみは今の僕では理解出来ない。ただそれがとても苦しかったという事しか、僕にはわからない」


 ユリウス、レオの異母兄にして聖杯戦争のマスターだった。レオに聖杯を渡す為に暗躍を繰り返した。その内に秘めた思いに触れた事を思い出し、奏は思わずそっか、とわずかに頬に笑みを作った。


「兄さんは何も言いませんでした。ただ、変わらない。兄さんはこれからも僕の為に尽くす。それは変えない、と思います。だから…僕が変わらなければならない。僕は人の心を知らないままではいけない。…そして、血を分けた相手なら尚更です。…そうしなければ貴方にもガウェインにも申し訳ない」
「…私? 私は別に…ガウェインは、まぁ、アーサー王の伝説を知ってたらちょっと思うところもあるけど…」
「ですが、貴方は両親と言うべき人。家族というべき人はこの世にはいない」
「―――」


 あぁ、そうだったけ、レオの言葉に奏は特に何も思う事無くそう思った。それが奏にとっての当たり前だ。自分に親、肉親などいない。記憶も無い以上、それは仕様がない。居ない事が自分にとっては当たり前なのだ、と。


「…でも普通はそんなの当然じゃありません。血が繋がっているから、というのは理由の一つに過ぎませんが…僕は、今まで僕に尽くしてくれた兄さんに何かを返したい。そう、思えるようになりました」


 レオは気まずげに奏から視線をそらした。彼女への気遣いなのだろう。以前のレオからは考えられなかった仕草だ。そしてレオの言葉にラニが何かを思うように目を伏せたが、それに奏は気づかなかった。


「僕は変わりたい。そして本当の王になりたい。民衆の為の、最高の王様に。それが最高の騎士に仕えられた僕の願いです」


 だから僕はここにいる、とレオは強い意志の光を瞳に込めて頷いた。それに奏は嬉しそうに微笑む。無駄じゃなかった、自分と彼の戦いは。そして彼ならばきっとその夢を叶えられるだろう。彼の言ったとおり、最高の騎士が彼を王と認めたのだから。


「…いつの間にか話が逸れていましたね。ともかく、僕たちを救ってくれたのは貴方だ。奏。だからこそ、僕は君に恩返しがしたい」
「恩返し、って…私は別に良いよ。レオやユリウスがこれから幸せになってくれるなら。それで」
「それでは僕が納得出来ません」


 奏が謙虚に手を振るが、それにレオは眉を寄せてわずかに奏へと詰め寄る。その剣幕に奏は思わずたじろぐ。


「うっ…じゃ、じゃあ、何か願いが出来たら…お願いするよ」
「はい。わかりました。その時はハーウェイ財団あげてご協力しましょう」


 レオの一言にはは、と奏は笑って返していたが、隣のラニは気が気じゃない。霊子世界の住人である彼女はレオの一言がどれだけの意味を孕んでいるのかまったく理解していない。言うならば彼女の一言で世界が動くと言っても過言ではないのだ。
 とんでもない事だ。しかも更にその本人はその意味を理解していない。思わずラニは頭が痛くなってきた。どうしようもない現実にラニは思わず現実放棄したくなるほどだ。


「…ぁー、ところで、レオはどうして私があそこにいるってわかったの?」
「兄さんが貴方のデータを覚えていたので、足を運んでみたんですよ。そしたら貴方はもうとっくに目覚めていて、この冬木市にいると…」
「冬木市!?」


 レオの言葉の中の一つの単語に奏は食いつく。レオの肩を掴んで詰め寄る。突然の奏の行動に驚き、そしてその距離は吐息が触れあうほどの距離。レオの顔が驚きと共に朱に染まっていく。同時にラニの剣幕が鋭いものになっていくのに奏は気づかない。


「ここって冬木市なの!?」
「え、えぇ、そ、そうですよ?」
「じゃあ、レオ! さっそくお願いがあるの!!」





 * * *





 それは古びた屋敷だった。
 ぼろぼろとなり、ツタが蔓延り、雑草によって庭は荒れ放題。そこにあったのは一件の武家屋敷。久しく人が足を踏み入れていなかったこの地に人が足を踏み入れた。
 奏だ。奏は迷わず屋敷の傍へと歩み寄り、その屋敷を見上げた。そっと胸を押さえる。そこに感じるのはわずかな痛み。思わず口を開けてその屋敷を奏はジッ、と見つめる。


「…衛宮…ここは、貴方の家、ですか?」


 衛宮、とかけられた表札。古びて読みにくいが確かにそこには衛宮と記されていた。ラニは思う。ここは奏の住んでいた家なのだろうか、と。レオも同じ気持ちなのか、ただ心配げに奏を見つめている。
 奏は二人の様子も気にせず、ただ屋敷を見つめている。そして何を思ったのか、足を進めていく。無言で歩き出した奏を、また無言で追うラニとレオ。
 雑草を踏み分けて奏は歩く。何故だろうか、覚えているようで覚えていない。知っているようで知らない。知っているはずなのに知っているはずがない。矛盾した感覚が奏の胸の中で燻る。
 縁側へとたどり着く。古びた戸に手をかけると、抵抗こそあれど開きはするようだ。奏はゆっくりとその戸を引いた。がたがた、と鈍い音を立てて開かれた今の風景に胸の中で燻る感覚は強まっていく。
 それと同時に、左手がうずくような感覚を得た。それは聖杯戦争を終えて失ったはずの「彼」との契約の証があった場所で。
 再び奏は歩き出す。今度は足を向けたのは土蔵だ。その扉を無理矢理に奏は開く。そして――。



『問おう、貴方が私のマスターか?』



 黄金の光景が脳裏に走った。
 美しい金紗の髪を結い上げ、白銀の鎧と青のドレスを纏った美しい騎士だ。それを見上げるように見ている光景。
 あぁ、と。奏は理解した。理解してしまった。時代が異なれど、世界が異なれど、存在が異なれど、私という存在は確かに「彼」と対なる存在であったのだと。
 それが切っ掛けとなるように情報が次々と降りてくる。まるで彼の記憶を読み取るように。


『爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ、任せろって、爺さんの夢は俺が現実にしてやる』

『聖杯なんていらない。俺は…置き去りにしてきた者の為にも、自分を曲げることなんて出来ない』


 夢を抱き続けた彼の生き様…。そしてその果てに待っていた絶望の末路。そして過去の自らに八つ当たり同然だとしても殺意を抱かざるを得なかった。


『…オレはね、セイバー。英雄になどならなければ良かったんだ』

『その理想は破綻している。自分より他人が大切だと言う考え、誰もが幸福であって欲しい願いなど、空想の御伽噺だ。そんな夢を抱いてしか生きられぬのであらば、抱いたまま溺死しろ』


 ――だけども、それでも彼の骨子は変わらない。歪んでいようがそれは変わらない。


『お前には負けない。誰かに負けるのはいい。けど、自分には負けられない!!』

『…間違い、なんかじゃない…! 決して間違いなんかじゃないんだから!!』


 ――そうだ。間違いじゃない。間違いであって欲しくない。いや、間違いだとしても私は正しいと叫ぼう。


『答は得た。大丈夫だよ遠坂。俺も、これから頑張っていくから』


 これは「彼」の記憶。彼が歩んでいたかもしれない記憶。どこかに確実にあったのだろう物語。彼の生き様、彼のその結末を私は知っていく。
 わかる。わかっていく。わかっていってしまう。その気持ちまでも。この消えた繋がりは決して消えない。だからこそ、知ろうとしたが故に彼女は理解してしまう。


「シロウ…」


 名を呼ぶ。


「シロウ…ッ!!」


 会いたいよ。


「シロウッ…!!」


 もう一度、君に会いたい。
 君の全てを肯定したい。
 君は間違っていないともう一度貴方に告げたい。
 だけれども、もうその言葉が届かないと言うのならば…。


「――ありがとう、シロウ。私…絶対幸せになる」


 ――この命は、他ならぬ貴方に拾ってもらった命だから。





 * * *





「…ごめんね。変なお願い聞いてもらって」
「いえ、構いません」
「…私もです」


 リムジンへと戻った三人は静かだったが、奏の切り出しによってようやく会話を取り戻す。土蔵の前で涙を流し、誰かの名を呼びながら蹲ったかと思えば、ゆっくりと立ち上がって笑みを浮かべた彼女にレオとラニは何も言えなかった。
 結局、あの家にどのような意味があったのか、二人にはわからない。そして聞いてはいけないような気がした。聞けばきっと奏は教えてくれるかもしれない。だが、今は、何となく聞く事が出来なかった。レオも、ラニも。


「あ、レオ。あと、もう一つ行きたい場所があるんだけど…」
「え? あぁ、構いませんよ。どこへ行きたいんですか?」
「うん。えっとね…」


 奏は記憶を頼りにその場所を思いだそうとする。そして思い出した「彼」の記憶。記憶とは異なる道だが、それでも世界の形状はあまり異ならないようだ。奏の記憶した通りの場所に、あの屋敷は存在していた。
 リムジンから降りた奏は真っ先にその屋敷へと駆け寄っていく。今度は西洋風のお屋敷であった。門は堅く閉ざされ、人が入るのを明らかに拒んでいる。
 その表札には、「遠坂」と表札がかけられていた……。





  



[21980] 第1章「I walk in the world」 02
Name: 道化◆5a734804 ID:de87e9fa
Date: 2010/09/19 19:13
 その屋敷は垣間見た記憶とあまり変わらない。細部はよく見れば異なるだろうが、その館事態が纏う雰囲気が変わりない。堅く古びた門によって閉ざされた遠坂の表札を掲げる屋敷。
 遠坂。その名は聖杯戦争には深く繋がりのある名だ。自分にとっても、また彼にとっても。その道は異なり、幾多の可能性に満ちてはいるが、そこには必ずと言って良いほど、遠坂の名が刻まれる。
 どれだけ時代を重ねようとも、どれだけ世界を異ならせようとも、聖杯戦争がある世界においてそれの創始者の一人である遠坂は関わらなければならない運命なのか? とも考えた。それにしてはアインツベルンがいないような、と疑問に思うが、考えても益が無いか、と苦笑。


「…遠坂? まさかこの屋敷は…」


 後ろでレオが何か呟いたような気がしたが無視。門へと手を伸ばす。だが鍵がかけられているようだ。まぁ、予測はしていたが、と奏は軽く手を擦り合わせた後、門をよじ登り始める。


「か、奏!?」
「あ、ラニとレオはちょっと待ってて」
「ちょ、奏、待ってください!」


 するすると門を上っていく奏をラニは引き留めようとする。だが奏はそんなラニの気持ちも知らずにあっさりと遠坂邸の内部へと入り込んだ。それにラニが苛立たしげに舌打ちをしながらも自分も上ろうとする。
 良いのかなぁ、とレオは少し戸惑いを覚えながらも奏の後を追う。奏はまるで勝手知ったるように遠坂邸へと向かっていく。そして奏が玄関を開け放ち、中へと入ろうとして。


「――止まりなさい」


 ごり、とこめかみに何かを押しつけられた。押し当てられたのは鋼鉄の凶器、銃だ。その重量感と冷たさに奏の背筋はぞく、とした感覚と共に跳ねた。一瞬、息が詰まる。
 恐らくは玄関のすぐ傍に隠れていたのだろう。視線だけをずらして、わずかに見えたのは金色の髪。そして気の強そうな顔。髪の色の差異によってその少女が誰かわからなかったが、奏は明らかに喜びの色を浮かべて。


「や、久しぶり。凜」
「…? …っ!? アンタ、何で!?」


 奏の言葉にようやく奏のこめかみに銃を押し当てていた少女、遠坂 凜は驚愕の表情を浮かべるのであった。





 * * *





「…ふぅん。なるほどね。この不可解な現状にようやく納得が言ったわ」


 遠坂邸の居間、そこで凜は紅茶を一口つけて自らを落ち着かせた後、そう言った。その向かいには奏を真ん中にラニとレオが座っている。レオへと向ける瞳は冷たく、奏とラニに向けている視線は呆れたようなものだ。
 凜の家へと招待された後、奏は凜に聖杯戦争で凜に勝利した後の事を話したのだ。凜の後のレオとの戦い。そしてレオとの戦いの後に待っていたトワイスとの戦い。聖杯に願った願いの事、いつの間にか自分がこうしてこの世界に生を受けた事。それに凜はようやく納得した、と言ったように頷いたのだ。


「正直驚いたわよ。聖杯戦争に負けた、と思ったら何故か現実世界に復帰してるんだもの」
「あはは…凜もやっぱりあそこで死ぬのは納得いかなかったんだ」
「…受け入れはしていたけどね。諦められるものでもないでしょ、それでも。…にしても、アンタは本当、呆れた奴ね。聖杯戦争中も思ったけど、本当に…変な奴」
「変!?」


 凜に変、と言われて奏はショックを受けたように叫んだ。それにレオは思わず納得したように頷いてしまい、ラニも何とも言えない微妙な表情だった。ここにいる全員に変、と思われていたと知った奏は思わず項垂れる。
 さて、とそこに凜の声がする。凜はまっすぐに奏へと視線を向けている。それに気づいた奏もまた居住まいを正して凜と視線を合わせる。


「…まぁ、アンタには聞きたい事はいくつかあるけど……まぁ、今はそれよりも、貴方ね。レオ?」
「…やっぱりこのまますんなり、とは行きませんよね」
「のこのことやってくるなんて良い度胸じゃない? こいつ等がいると思って私がアンタを殺さないとでも思ってるの?」


 殺気を込めて凜はレオを睨み付けた。その凜の殺気は思わず奏の腰を引かせるほどまでに濃密。だがその殺気を受けながらもレオは平然とした顔で凜を見ている。
 方や世界を牛耳るハーウェイ財団の次期当主であるレオ、片やそのハーウェイ財団に反抗しているレジスタンスの一員である凜。互いに仲良くお茶を飲みましょう、という流れにはならない。
 凜は潜ませていた銃をいつでも抜けるように手を伸ばす。対してレオは動じた様子など見せずにただ凜を見つめている。暫し、睨み合いが続く。奏とラニは何も言わない。いや、言えない。この二人の因縁に絡む事のない自分たちが何を言っても無駄だろう。
 だが奏は思う。出来る事ならばやめて欲しい、と。争う事事態は間違いだとは思わない。だけれど、それで誰かの命が失われるのは嫌だ。ましてや、もう会えない、自分が殺してしまったと思っていた二人なだけに尚のこと。


「……ふん」


 不意に、凜が鼻を鳴らす。そして銃に添えていた手を離してため息をはき出した。その仕草にレオもくすくす、と小さく笑い声を零した。一瞬にして解かれる緊張状態、奏とラニは二人の間に何が起こったのかを理解する事が出来ない。


「やりにくいったらありゃしない」
「今は少なくとも貴方と敵対する気にはなれませんよ、遠坂 凜」
「…ふん。ハーウェイの対応次第では今度こそ、その首頂くわよ?」
「ならないように尽力はします。僕の出来うる限りでね」


 チッ、と凜は舌打ちをしてレオから視線を逸らした。逸らした先には奏がいる。自然と奏と見つめ合った形になった凜は、どこか苦笑いのような表情を浮かべて。


「…そんな顔しなくたって大丈夫よ。奏」
「…ぇ?」
「泣きそうな顔してるわよ? 大丈夫よ。今は戦う場所じゃない。こいつを殺しても…今は何も意味がないし、今のこいつなら……」


 次第に声が小さくなっていく。何を言っているのか聞き取ろうとわずかに身を乗り出した奏の頭に凜はそっと手を置いた。


「…まぁ、何はともあれ。ありがとうね。奏。私はまだこうして生きてる。貴方のおかげで。…だから、礼を言っておくわ」
「…うぅん。私こそ、凜が生きててくれて良かったよ」


 凜にくしゃくしゃと頭を撫でられながらも奏は嬉しそうに微笑んだ。その奏を凜はほほえましそうな笑顔で見ている。だがその瞳には穏やかな色とはまた違った色の光が見えていた。奏はそれに気づく事無く、ただ自分の頭を撫でてくれるその手の感触に甘えるのであった。





 * * *





 ラニはふと、体を起こした。遠坂邸の一室、そこでラニは奏と寝ていた。女同士だから、と言う理由で二人で一つのベッドを使う事になったのだが、二人とも、特に抵抗する事無くそのままベッドに横になって眠りについた。
 故にラニのすぐ隣には奏が寝ている。寝息を静かに立てている奏を起こさないようにラニはそっと部屋を後にした。部屋を後にしたラニが目指すのは居間だ。淡い月光だけが照らす部屋。そこには凜とレオが居た。


「…奏は?」
「…眠ってます。しばらくは起きないでしょう」


 凜の問いかけにラニは簡潔に答える。そう、と凜もまた平坦な声で返す。レオは無言のままだ。
 暫し、三人の間に沈黙が満ちる。どれだけその沈黙の時間が流れただろうか。こちこち、と時計が時を刻む音だけが唯一の音。
 三人が集まったのは確認しなければならない事がある為に。それは半ば答えは出ている事。それを理解しているが故の沈黙であった。これから語られるのは……。


「…都合の良い事ね」


 ふと、凜が呟きを零した。


「聖杯戦争に参加した者たちに救いあれ、か。あいつも馬鹿な願いを願った物ね。そんな願い、絶対に救われるわけないのに」


 凜の呆れた声。それはどこか気落ちした色も持ち合わせていてひたすらに重い。それをレオとラニもまた無言で噛みしめる。凜の言葉の意味を考え、理解し、思いながら。


「幸せは本人の主観によるものよ。聖杯が願いを叶えるのは勝者の願いだけ。あいつが願ったのは聖杯戦争に関わった人達の幸福。でもそれは、救いなんかじゃないわ」
「…そうですね。例えば、その幸せが矛盾していた場合…」
「誰かを殺すことに幸せの意味を見いだすもの、逆にそれを忌避するもの。両立させる事は出来ない。だが片方ではどちらも幸せにはなれない」


 ならば、全ての人に訪れる幸福とは何か? それは……――。


「恐らくは蘇ったのはのは一握りでしょうね。幸せは本人の主観にしかない。あいつの言う幸せは押しつけに過ぎない。それは私たちの幸せではない」
「…そうであっても、それは全ての人には与えられない。何故ならばそれが幸いだから」
「難しいものよ。複雑で、でも、単純な話。いくら聖杯でも、曖昧すぎて、矛盾が過ぎている願いは叶えられない。欲がなさ過ぎたの、いえ、逆に言えば有りすぎたのかしら。叶わない願いを追って…あいつは結局、背負う事も無かった罪科を背負った」


 彼女は願った、全ての人に幸いががあらん事を、と。
 だが、その願いが叶えられた形は「苦しむ事もなくこのまま眠りにつかせる事」。死という眠り、観測機である聖杯、プログラムでしかない聖杯だからこそ、感情よりも合理的を選ぶ。
 死して眠る事が、苦しむこともなく、涙を流す事もなく、安らかに終わる事の出来る唯一の救済。
 聖杯戦争に参加した者達には死するほどの絶望を得て、そして聖杯に縋った者もいたのだろう。そういう人間は蘇る事は出来ない。それは生きる事は常に絶望すると同義なのだから。
 だが、それは死という奏にとっての禁忌に触れる。死こそが救い、と。恐らくは彼女には認められない。自ら望んだ訳ではない、死という形での救済。だが実際に下したのは彼女だ。
 聖杯戦争を否定し、本来自己がない存在が故に、強き意志を持つ者たちに退いている為に他者より自己を優先する傾向。自己が確率してきた彼女だが、自己犠牲、他者優先の傾向は色を消さない。
 だからこそ…彼女はこの真実を知れば自らを許さないだろう。


「あいつの願ったのは全ての者に幸せあれ、と願った。それは、あいつ自身も含まれるのよ。そして…聖杯は勝者に与えられる者。あいつが幸せに感じる最も都合の良い形に聖杯は世界を修正を施した。…あいつが幸せに感じる為ならば、あいつの害となる参加者は皆、死という救済の形で幸いが与えられた筈よ。逆に、あいつの幸せを感じるための「都合の良い生存者」が私たちな訳ね」


 あの戦争は確かにあったのだ。そして、その傷跡を完全に消し去る事は出来ない。それは彼女の願いが故に。優しすぎた所為で、残酷な叶え方をしてしまった。


「死者は答えを語らない。だから死こそが救済と思えばそれは間違いじゃないのよ。事実間違いじゃない」


 でも、だからこそそれは彼女を苦しめる。
 だからそれはあまりにも哀れだ。彼女の願いは人間としてみれば絶対に叶う事はない。合理的、数字上、神の視点で人は物事を見てはいないのだから。
 現実は狭い。主義主張、様々なぶつかり合いがある。その繰り返しで絶望していく人もいるだろう。そうして絶望しかけたが故に聖杯に縋った者たちもいただろう。そしてそのほとんどは恐らく、再度、奏の願いの為に殺された。
 ただ死していく筈の命は、奏によって再度殺されたのだ。ただ、奏の純粋すぎる願いの為に。


「…この事は…」
「奏には言えない…。これは最悪、彼女を壊してしまう…」
「…ったく、贅肉すぎるってのよ。あいつは」


 優しすぎる、純粋すぎる。だが、それは時に刃となって自らに返ってくる。曰く、異端として。その裏にどれだけ純粋なものがあろうとも、他者によってそれは穢され、ねじ曲げられていく。
 勝者になった少女は、最も、勝利者には向かなかったものなのかもしれない…。





 * * *





 あの後、凜は自らの自室に戻り、レオは一度自らの泊まるホテルに戻った。ラニも自身に宛がわれた奏の居る部屋へと戻った。眠っているだろう奏を起こさないように静かに扉を開ける。
 そして部屋の中にいる筈の奏を確認しようとして、抜け殻のベッドを見た。あれ? と思ったが、トイレにでも行っているのだろうか、と思い、ベッドの方へと歩み寄っていく。
 何気なしに布団に触れた。そこに熱はない。…それにラニはゾッ、とした。熱がないという事は布団は先ほどまで放置されていたという事他ならない。つまり、奏は眠ってはいない。それも、かなりの時間の前から。
 もしも、あの時、奏が目を覚まして自分たちを追いかけてきたとすれば? もしもあの会話を聞いていたとしたら? ラニの逡巡は一瞬、ラニは扉を勢いよく開け放ち、駆けだした。
 二階の廊下を走る最中、外の風景を移す窓を見た。そこに何か動く影があったような気がして、動きを止める。そこには月を見上げるようにして立つ何者かの姿…。


「っ、奏っ」


 いつの間に外に、とラニは外へと向かう。外履きを掃き、玄関の戸を勢いよく開く。暫く放置されていた為か、雑草などが生えたい放題の庭を踏みながらラニは駆けた。奏の下へ。
 そして奏が視認出来る場所まで来た。奏は月を見上げたまま動かない。その表情には何の感情も見せない。ただ月を見上げている。そうしているとしか見えない。


「か、奏?」


 ラニの呼びかけは一瞬、戸惑ったようなものになってしまう。だが、それでようやく奏はラニに気づいた、というように振り向いた。


「ん…ラニ」


 名前を呼ぶだけ。奏は首だけ振り向かせていたが、今度は体ごと回してラニへと向き合う。だがその距離は遠い。その距離が今、自分たちの心を遠ざけている距離だ、と言わんばかりの距離。
 遠い。奏が見えている筈なのに、何故か奏が遠く感じる。思わず唇が震えるのをラニは感じた。問わなければならないのに、聞いていたの、と聞かなければならないのに、足は竦み、心は怯えて問いは出てこない。
 風が優しく吹く。だが夜風の為にそれは冷たい。風が吹き抜けるのを見計らったように奏が言葉を口にした。


「…10を救おうとして、9を救い、1を切り捨てた」
「…え?」
「100を救おうとして、90を救うために、10を切り捨てた。何かを救うために、切り捨て続けて、自らの全ての人を助ける「正義の味方」になりたかった理想を裏切り、裏切られ続けて摩耗していった人がいた」
「……」
「でも、それでも最後にはやっぱりその人は誰かを助けるんだ。どれだけそれを憎んでも、疎ましく思っても…それがあの人の根本にあるものだから」


 何故、そんな話をするのか、とラニは問いたかった。奏は微笑む。淡く、優しく、そして儚く…。


「数じゃない。救いたい人を本当に救えなかった。それが彼の後悔。私は、それを知ってる」
「――奏、やはり」
「ごめん。聞いてた。…心配、かけちゃったね。後、いろいろと…迷惑かけちゃった」


 奏はくるり、と背を向けた。何歩かラニから距離を取るように歩を進めて空を見上げた。


「考えない訳じゃなかった。だけど、ようやくわかったって気がする。私のした事。その意味を」
「…っ…」


 ラニは息を飲む。それに気づいているのか、いないのか、奏は言葉を続けていく。


「良いんだよ。ラニ。私は…壊れない」
「…ぇ」
「後悔しない。どうせ叶わない願いなんて知ってる。彼が、教えてくれた」


 人は自分の味方しか救えない。それは彼の教えてくれたこと。


「だから、私は私の願いを後悔しない。それで摩り切れたとしても…絶対に後悔してやらない」


 だからこそ、貫く事をここに誓おう。


「誰が何と言おうとも、私は私の生き様を曲げない。彼に救われたこの命は、彼に育まれたこの魂は、きっと救いのない未来しか待っていないとしても…私の幸せの為に私はあがき続ける。彼に救われた者として、…彼を、愛してるから」


 そこにどんな批判が待っていようとも。
 そこにどんな絶望が待っていようとも。
 そこにどんな終演が待っていようとも。


「私は、私の為に生きるよ。彼の理想を美しいと思った。間違っていないと思った。その理想を守りたいと思った。…だから、私は彼を肯定し、守り続ける為に…今の生き様をきっと曲げる事はない」


 月光に照らされ、月を見上げながら奏は呟いた。それは宣誓だ。この世界に対する宣誓。自らの生き方を月に捧げるように。


「私は誰かを救いたい。出来る限りなら多くの人を。でも、それで最後には私も笑って追われるような…そんな生き方をしたい。そう、彼のやってきたことは間違いじゃない、って証明して…私も幸せだったよ、って笑っていられる生き方」


 もう、決めたんだ、と。ラニに振り返りながら奏は告げる。


「だから、大丈夫。私は壊れないよ。壊れる事なんてこの身には許されない事なんだから。私じゃ誰も救えないかもしれないけど、それでも足掻いて、それで私の幸せを諦めない!」


 強く言い切る。胸の前には拳が握られて胸に当てられている。彼女は微笑む。絶対だ、と念押しするように。


「だから、笑ってよ。ラニ。私は…大丈夫だよ?」


 それはどこか、困ったような微笑で。ラニは今、自分がどんな顔をしているのかわからない。ただ、ただ、何故だろう…?
 酷く泣きたい気持ちだ。どうしようもなく、泣きわめいてしまいたい。何故だろう? 何故だろう? 疑問は止まらない。
 今は、その答えを知る事なく、ただラニは泣いた。奏があわてて駆け寄って慰めてくれるも、それでも涙は止まらない。何故だろう? こんなにも近いのに。こんなにも触れているのに…。


 ――まるで、彼女が遠くに行ってしまったかのような感覚を得るのか、と。


 ラニはわからない。わかることはない。今はまだ、その時ではないから…。





 




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