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多文化・多民族共生なる「革命的」概念を覆せ!
[仏] 極右ルペンがサルコジ現大統領を育てたという客観的事実
日本では在日支那人(中国人)の増加が顕著だが、欧米各国においてはイスラム系移民の流入と増加、伸張が著しい。これらに共通することは「非近代的」とされる社会から先進各国への止め処ない人の流れが続いているということだろう。
移民に悩む欧米各国でとりわけフランスがサルコジ大統領の強力なリーダーシップの下、ロマ族をはじめとする移民の蛮行を徹底排除しにかかっていることは既に述べた通りだ。
:関連エントリー 少数民族なる誤認識から改めよ!
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51586925.html
これまで「自由・平等・博愛」の標語で知られたフランス共和国だが、それらは国家間の境界線と国民の権利が完全に保障された国・社会の下で成り立つ概念であり、ここへ来てフランスが移民への強硬姿勢に出たからと言って日本からは想像を絶する移民問題に苦悩する同国の事情に鑑みれば、何ら矛盾することではないと思うのだ。
日本でも自治体や教育の場で盛んに言われ始めた「多文化共生」だの「多民族共生」は自由主義や平等主義、博愛精神に通ずるものとして考えられがちだが、そもそも異なる文化や異なる民族が共生することは土台不可能なのだから、「多文化」「多民族」と「共生」なるまったく矛盾する言葉がいっぱしの社会通念として公然と辞典にまで掲載されていることに改めて驚きを禁じ得ない。
だいたいが支那人や朝鮮人に限らず、白人、黒人といった外国人を人種別・民族別に好きになろうが嫌いになろうが個人の自由であり個人の権利であると思うが、好きになった人は勝手に個人レベルで交流を深めていれば良いのであって、どうしても好きになれない人々を無視するかのように国・社会としてこのような「多文化・多民族共生」が一方的に進められ、グローバリズムが世界的に幅を利かせている現在の状況は明らかに異常だ。
つまり、多文化共生だの多民族共生などという概念は比較的近年になってから蔓延してきた思想・思潮であり、それまでの世界には見られなかった「革命的」思想・概念であると断じることが出来よう。
確かに、かつての日本も朝鮮半島や台湾を統治下に置き、今風に言うなら多文化・多民族共生の国家を形成していたと言えるのかも知れないが、それとて日本が軍事的にも強国であったから為し得たことであり、一度戦争に敗れればとてつもなく大きな禍根と傷跡を今以って引きずっていることを現下の日本が実証している。
65年前の第2次世界大戦の終結によって日本の統治も、欧米の植民地支配も終焉を迎えたが、今度は旧統治国や旧植民地国からの人の移動をせき止めるな、一旦受け入れたものは何があっても送還するな、といった概念によって共生を強制されているのだから、これは「逆帝国主義」の時代であると思う。
日本でもかつて統治していた朝鮮半島から終戦直後の混乱に紛れて多くの朝鮮人不法入国者が海を渡ってきて無法にも住み着いてしまった。
特別永住なる特権の下、ただの外国人でありながら日本人と同等の、いやそれ以上の権利を有するに至っているのだから
韓国によって不法占拠された竹島の如く日本列島そのものが朝鮮人のためのものと化してしまっている。
その次に来ようとしているのが在日外国人の中でもトップを占めるに至った支那人で、東京・池袋チャイナタウン構想に見られるように支那人におもねった社会へと変貌を遂げることを余儀なくされている。
過日は支那の「人民解放軍に例えるなら野戦司令官」と公然と支那の走狗であるかのように口走る小沢一郎なる実力者が敗れはしたものの次期首相の座を争うに至っており、善良な在日支那人を装った人民解放軍将兵が既に日本に上陸しているも同然で、遠くない将来、名実ともに支那の支配・統治下に置かれることを暗に示しているようだ。
日本やドイツといった旧敗戦国でありながらこの半世紀間で目覚ましい経済復興を快く思わない何者かが仕掛けたのであろうが、「多文化・多民族共生」なる革命的概念によって日独のみならずアメリカやイギリス、フランス、ロシアに至るまで旧戦勝国はじめ先進各国が国内に入り込んだ移民問題に悩まされている。
※これによって、まんまと勝利を収めつつあるのは第2次大戦でも結託したユダヤ勢力と共産・支那だ!
このように多文化・多民族共生という革命思想に侵された世界の現状で、真っ先に排外主義・政策に乗り出したフランスの大英断を讃えたい。
しかしながら、フランス国民の権益のため移民への強硬姿勢にはいかなる内外からの批判・妨害にも屈さないとして戦うサルコジ大統領も、移民問題に苦しんでいます−どうにもなりません−では、ご登場を−という具合にポッと出に躍り出たわけではない。
フランスでの移民問題の切迫さをひたすら追及してきた功績は泡沫候補・政党として選挙戦を戦い続けてきた極右『国民戦線』ジャン・マリー・ルペン党首の存在を抜きには語れない。
何も移民問題への反発が即サルコジ大統領の登場をもたらしたのではなく、そこにはフランス人としての生存権を賭して長きにわたって戦ってきた極右政治活動家の奔走があった。
ルペンが強硬な移民排撃の主張で政権与党を突き上げたことによって、与党もまた国民を苦しめる移民問題への早急な対応を迫られ、当時内相であったサルコジが移民への強硬発言で着実にスターダムへの道を上り詰め始めたのだ。
「ルペンがいたからサルコジが育った」。これは以前に私も地方本部役員として属していた『維新政党・新風』の本部役員がなおらい(飲み会)の席上で示した見解だが、ルペンの極右思想・排外主義なくして今日のフランスにおける強硬策の実行はない。
ルペン党首と親交のある日本のさる新右翼関係者の中にはルペン党首を「排外主義者ではない」とする見方を示す者もいるが、トンでもない誤認識である。
※参照 ウヨクVS右翼 IN靖国神社
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51570294.html
前述の新風本部役員の見解は、「新風は日本の国民戦線であるべき」という旨で述べられたものだと思うが、残念ながらその後、極右とは程遠い綺麗事保守の路線を選択した新風は自らの存在を踏み台に強硬な政権はおろか強硬な政党・政治家を誕生させるにも至っていない。
「極右」について言うなら、当ブログの名称『新・極右評論』の極右(きょくう)を「ごくう」と読んでしまう人が意外に少なくない現状に直面した。
自民党政権末期に、当時首相であった麻生太郎さんによる漢字の読み間違いを殊更持ち上げてバッシングしたマスコミのように「ごくう」と読み間違えた方々をバカにするつもりはサラサラないが、「極右」なる存在がいかに日本人の中に浸透していないかを物語る事象と言えよう。
まして最近になって政治や社会問題に関心を持ったような人なら尚更である。
極右路線そして排外主義。
在日の支那人、朝鮮人という民族問題を抱える日本にとって、これらを敢えて日本的な概念に沿って言うなら「鎖国」ということになろうか。
雪崩れ込む如く流入し、深く浸透した外国人によって国・社会の在り様を歪められた日本にとって「鎖国」こそは新たな国是とすべきだ。
単に外国人の流れを規制するのみならず、明治維新以来一貫して続けられてきた開国政策を抜本的に一大転換させなければ移民問題に苦しむ欧米各国と同じく日本も救われない。
そのため私は大政奉還以前の武家政治の復権をも提唱するものだ。
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