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靖国神社の苗木と緑の連隊長・・・吉松喜三大佐

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靖国の苗木


昨日の名越二荒之助(なごしふたらのすけ)先生の記事の中で、吉松喜三大佐のお話が出てきました。

そこで今日は、吉松大佐のお話をしてみようかと思います。
吉松喜三大佐という方は、大正4(1915)年、佐賀県のお生まれです。

大正6(1917)年に陸軍士官学校を第29期で卒業され、開戦に先立つ昭和16(1941)年10月に大佐に任官し、昭和18(1943)年4月からは帝国陸軍機動歩兵第三聯隊長として活躍された方です。
昭和22(1947)年に復員され、昭和60(1985)年、90歳でお亡くなりになりました。

大佐の別名を「緑の連隊長」といいます。


昭和15(1940)年のことです。
吉松大佐は、中支戦線で戦闘中に腹部に重傷を負い、後方の野戦病院に送られました。

吉松大佐が、療養中のベッドの上で前線の部下達の苦労に思いを馳せていたときです。

ふと窓の外を見ると、隣接する洋館の中庭で賛美歌を歌いながら、緑の木立の中を散策する修道女達の姿が目に飛び込んできた。

よくある光景です。

その様子をみた吉松中佐の心に、ふとしたひらめきが生まれます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうだ、緑だ。
緑の木こそ人の心を安らかにする。

みんなで植樹をしよう。

植樹によって荒んだ兵隊達の心に安らぎを与えるんだ。
そうして散華した敵味方の将兵の御霊を弔おう。

樹木の少ない彼の地に、沢山の苗木を植えて繁らせて、住民を喜ばせよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

中国大陸は際限のない砂と黄土の大地です。
その大地を、戦争はさらに破壊する。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自分たちは、興亜を願う皇軍兵士だ。
日本軍の通るあとに、草木も枯れるなどと言われるようなことはあってはならないのではないか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昭和18年、大佐となって機動歩兵第三聯隊長に就任した吉松大佐は、連隊に「植林を奨励する」と命令を出します。

目標は、各大隊ごとに、50万本の植樹という途方もないものです。

軍の命令にいちいち説明はありません。

「何だい? 今度の連隊長は植木屋のせがれかい?」
兵たちは、最初の頃ぶつぶつと文句を言われたそうです。

そもそも中国大陸の風土は日本よりはるかに厳しいのです。
樹一本植えるにも、各大隊ごとに営庭などに挿し木の畑を作り、朝晩、水をやって苗木を作り、移植しなければならないし、毎日水をやって、ちゃんと育てて、根付かせなきゃならない。

たいへんな労力のいることなのです。
しかし吉松大佐の信念はゆるぎません。
不承不承、命令は実行されます。

ある朝、明るい陽ざしのなかに小さな若葉が苗木からふいているのを見たとき、思わず隊員たちから万歳を叫びます。

こうなるとみんなの気持ちに弾みがつく。

第三聯隊は、サラチ郊外の駅近くで、50万本植樹を達成します。
第一大隊は、これを記念して、ここに「興亜植樹の森記念の石碑」を建てました。

モンゴルに近い包頭(ほうとう)市では、現地の中国人のために、聯隊で興亜植樹公園を築きました。

そこには、内地の桜と、ポプラの苗木を1万本植え、小さな富士山を作り、池をめぐらし、兵隊や現地の人たちが釣りまでも楽しめるようにした。

さらに子供たちのために、小さな動物園も作りました。

第三聯隊では、植樹を意義づけるために「興亜植樹の歌」を作りました。
これは部隊歌として、みんなで軍歌と共に歌いました。
連隊の団結と興亜への願いをこの歌に託したのです。
歌は隊員から募集してつくりました。

♪雪に嵐に打ち勝ちて
 四方にひろがる深緑
 西風いかにすさぶとも
 われに平和の木陰あり

木々の緑は、ともすれば乾いた黄土のなかに埋もれてしまう将兵たちの心や、地域の住民たちの心に、新鮮でやわらかい心を呼び覚まします。

敵軍との小ぜりあいは毎日続いた。
けれど、砂漠の乾燥した風景が緑豊かな大地に変わって行くのです。

部隊は連日戦闘を続けます。
連戦連勝です。
そして部隊が通りすぎた後には、必ず木が植えられる。

木々が花を咲かせ、木陰をつくる。

部隊は戦闘を休むことはあっても、植樹を休んだことは、一日もありませんでした。


昭和19年春、師団は河南作戦に転進しました。
将兵は大声で部隊歌を歌いながら行軍します。

洛陽攻略戦は壮絶をきわめました。
多くの戦友の命が失われます。

その中で、第四中隊長であった西宮中尉は、
「ああ、安北の灯がみえる」と呟いて息絶えられました。

安北は、包頭地区警備の最前線にある街です。
部隊がもっとも長く駐屯した砂漠の町です。
隊員たちが住民らと協力あって、緑の街づくりに励んだところです。

安北は、ほどなくして緑の町となり、夕暮れ時には、ここが戦場かと思われるほど緑豊かで、明るく静かな灯りに飾られる街になっていたのです。

西宮中尉のこの最後の言葉は、全軍に広がりました。

「そうだ。俺たちはあの安北の静謐を全土に広げるんだ」
「平和な町を建設するために俺たちは戦っているんだ」

西宮中尉の言葉は、全軍の将兵を元気づけます。

洛陽の攻略戦は終わりました。
戦闘集団は、その日から植樹の平和集団に変わります。

鉄砲をシャベルや鍬に持ち替えて「興亜植樹の歌」を合唱しながら、せっせと水をまき、種をまいた。

そのことは、何よりも将兵たちの心の救いともなりました。
荒涼とした大地の中で、彼らは懸命に自分たちの心の泉を守った。

歩兵第三聯隊は連戦連勝します。

昭和20年8月15日がきた時、吉松連隊長はじめ、全隊員は「降伏」ということを、はじめはどうしても信じることができなかったそうです。

戦争が終わったあと、捕虜として道路修復工事についていた元吉松部隊の将兵たちのもとに、昭和21年2月、中共軍から喜ばしいニュースが届けられます。

元、敵将の劉峙(りゅうじ)上将から直接、元吉松連隊長指名で、「植樹隊」の編成を命じてきたのです。

「ざまあみろ、敵の大将も、やっぱりオレたちのこと知ってたんだ」

なにが「ざまあみろ」なのかわからないけれど、隊長を中心に敗残の将兵たちは、これを聞いて抱き合って喜んだ。
そして、なぜか彼らは、互いに照れるほど涙を流した。

戦火で荒れた大地に、小さな緑の芽が、そっと芽吹きます。
道路工夫から植木屋に変わった彼らは、敗残の日本軍を代表するつもりで植樹をつづけます。

まもなく感謝状が吉松連隊長に届けられました。
終戦で戦犯になった元将校の多い中で、敵将から「感謝状」をもらったのは、おそらく歩兵第三聯隊吉松喜三大佐ただひとりであったろうと思われます。

感謝状を届けてきた中共軍の将校は、このとき次のように言ったそうです。

「実は、勲章を贈る話も出てて、ほとんど決まりかけていたのです。
が、日中国交の回復していない時に、勲章は考えものだということになって、残念ながらとりやめになったのです。」

この話が部下に伝わったとき、部隊のみんなが言ったそうです。

いらねえよ。金ピカの勲章なんかいらねえよ。
隊長さんの勲章はこれだよ。
この可愛らしく、ちょっと芽をだした柳の緑さ。
これ以上の勲章があるもんか。

不敗の元第三聯隊の将兵たちにとって、それがなによりの心の勲章でした。

日本に帰国するとき、中共軍は、先の「感謝状」の他に、建国の父「孫文の肖像画」と全員が無事に日本に帰国できるための専用の通行手形まで出してくれました。
おかげで吉松連隊長とその部下たちは無事に日本に帰国できた。


昭和22年暮れ、吉松喜三氏は日本の土を踏みます。

ようやく日本に帰国した吉松氏を迎えたのは「公職追放」の四字でした。
氏は「死んだ部下の遺族と連絡を取り、いつか、必ず慰霊祭を行おう」とそれだけを考えて生き抜きます。

旧部下の消息の把握のためや、遺族扶助料問題や遺族の調査など、吉松隊長は日夜活動をつづけます。

昭和30年春になって、ようやく吉松隊長は公職追放を解かれます。
そしてやっと念願の慰霊祭を催した。

その日、吉松隊長は、集まった戦友らとともに、靖国神社境内の隅に記念に桜の木を2本植えました。

吉松氏が最初の鍬を入れた。

境内の固くかためられた土を掘り起こしながら、吉松隊長の心の中に、突然、中国大陸の包頭(ほうとう)の町と、宣昌の野戦病院での歌声がよみがえります。

そして自分の内部に、何かが萌え出てくるのを感じた。
それは吉松隊長が長いこと忘れていたものです。

吉松氏は、そこではっと気がついた。

「そうだ、戦没者をなぐさめるために、靖国神社の境内にある樹々の実から苗木を育て、それを遺族に送ろう」

さっそく吉松隊長は神社の庶務課長と相談して、とりあえず銀杏の実で試みることにします。

銀杏は靖国の主木です。
樹齢も二百年を越すほど長い。
参道の両脇にたくさん植わっています。

しかも、銀杏は、天空にそびえる大樹となります。

吉松元連隊長は、神社当局の好意で境内の一角の瓦礫の空地を借りると、さっそく整地にとりかかります。
そこに銀杏の実を植え、苗を育てるのです。

彼は、たったひとりで靖国神社の銀杏の実を拾い集めます。

これが実にたいへんなことだった。
いまなら参道に落ちている銀杏の実を拾うだけじゃないかと思うかもしれません。

しかし、それは昭和34年の秋のことです。
日本はまだ貧しく、神社の銀杏の実を拾って売り物にする者たちがいたのです。
日中になると、銀杏の実はひとつ残らず持っていかれてしまう。
ギンナンの実として、売って食料にしてしまうのです。

吉松連隊長は、実を拾い集めるために、毎朝中野から、午前4時7分発の一番電車で靖国まで出かけました。

そして暗い懐中電灯を頼りに、まだ明けやらぬ境内で、合計1400個の実を拾い集めた。

当時を振り返って吉松隊長は語ります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ひとりぼっちで玉砂利を踏んで拾っていると、
ふと、ひとつひとつの実が、
国のために死んだ人たちの魂が宿っているような気がしましてね。

この実を育てて大木にしたら、
その木にその人たちの魂が戻ってきて、
宿ってくれるのではないだろうかって。

そう思うと、
もしやこの銀杏の実や苗を、
ふるさとの土地で育ててもらったら、
これこそ遺骨の奉還になるのではないか。

どんなに戦が惨列をきわめても、
部下の遺骨を拾って遺族にお渡しするのは、
指揮官としての私の義務ではないか。

こんな風に考えてまいりますと、
不意に希望と光明がどこからともなく湧いてきましてね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これを語った老隊長の眼には、涙が浮かんでいたそうです。

戦時中、外地で亡くなられた兵隊さんたちの遺骨は、遺族のもとに渡されました。
しかし、その遺骨の中味は「英霊」と書いた紙一枚というのがほとんどだったのです。

吉松氏の靖国神社での銀杏の実拾いと苗木の育成は、その日からずっと日課になったそうです。
くる日もくる日も。そしてくる年もくる年も。

やがて慰霊植樹は、日本国内から、当時まだ米国領だった沖縄、ベトナムのサイゴン、懐かしの地である中国の安北、包頭付近までひろがり、苗木たちは大切に保護されて送られていきます。

昭和37年春、沖縄の忠霊塔のそばに蒔いた銀杏の実が、十個のうち七個まで芽を出し、今では15センチ以上に伸びている、という嬉しい便りが、吉松氏のもとに届けられます。

前後して、吉松氏のもとに中国の内蒙古安北県の人民委員会から公文書が届きました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あなたの植えた木が6メートルほどに伸び、並木となって青々と茂っています。
私たちの友好が幾山河を越え心と心がつながり、世界平和が実現されますように。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

吉松氏には、その並木の木々の一本一本に、思い出があるのです。

苗をみんなで育てたときのこと。
接ぎ木したときのこと。
植樹したときのこと。

仲間たちの笑顔。
掛け声。明るい笑い声。
みんなで歌った「興亜植樹の歌」の歌声。

ひとりひとりの戦友たちの顔が浮かびます。

仲間たちの思いが、いまも生きて、並木となっている。

貴様たちに会う時の、いい土産話ができたよ。

吉松隊長は、その手紙を握りしめ、ひとり男泣きに泣いた。


また、吉松氏のもとには、戦争未亡人からの礼状も届けられました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先日、靖国神社で初めてお会いしましたあなた様より、いちょうの鉢植えをいただきまして、まことにありがとうございました。

子供たちと話しましたところ、長く大切に育てるため「父の木」と命名いたし、この樹を父と思い、大切に大切にいたすことといたしました。

これもみな、あなた様のお導きの賜物でございます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


吉松氏は言います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
苦しいことばかりでした。
経済的にまいりかけたこともたびたびあります。

正直いって、一銭にもならないのに・・・そう思って気分的に滅入ってしまいまして・・・でも、歯を食いしばって、続けてきました。

それでよかった。

銀杏だけだったのが、今は桜やとち、楓、すっかり園芸家になってしまいました。

最近は神社のご好意で、一般の人にもお分けできるようにしていただきましたし。

今ですか?

苗木一本につき百円の志をいただいております。

亡くなった方の霊をお慰めするつもりになっていただいて、百円だしていただくわけなのです。

こうして昨年は百万円近い金額が集まりました。

その二割を靖国神社にお納めして、後は人件費、肥料、用意などに使いました。

人件費というのは、私の給料、というか生活費。

ハイ、やっと月に四万円ほどいただく身分になりました。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

つい先日のことですがね。

「靖国」、つまり国を平和に安らかにする、そうするにはどうすればいいか、そんなこと考えながら、じっと靖国という字を見ていたんです。

そしたら、思わず笑ってしまいました。

「青を立てる」これが靖国なんですね。

なんだ、自分のしてきたことでよかったのだ。

笑いながら久しぶりに涙をこぼしました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昭和44年の7月14日、志を立ててから30年目の記念日の、老隊長の言葉です。
そしてその年は、戦後に慰霊植樹を始めてから満十年を迎える年でもあります。

毎年訪れる8月15日の終戦記念日には、多くの遺族が靖国の境内を埋めます。

その人たちに、この銀杏を、桜の苗を残らず差し上げよう。

そして、カラになった苗圃に、また、今年の秋の実をまこう。
そして20年もたてば、それらは日本中を平和な緑で飾る。

「もっとも私も74歳になりましたからね。その日まではとても生きてはいられないですが」」と老隊長は笑ったそうです。

昭和60年、緑の連隊長こと吉松喜三元陸軍大佐は、90歳で永眠されます。


しかし、大佐がお亡くなりになられたいまでも、靖国神社の境内の左側には、参拝記念樹の頒布所があります。

そこで配布されている苗木は、すべて靖国神社の境内の木の実を採って苗に育てたものです。

吉松隊長の心は、いまでもずっと息づいているのです。

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コメント
おはようございます
とてもいいお話です、感動いたしました。
「悪の日本軍」を言いふらす連中にこの話を聞かせてやりたいですね。
やはり日本人としての心の優しさが軍人となっても、いえ、軍人だからこそ発揚されたと、そんな風に思いました。

靖国神社に、苗木の頒布所がありますね。
私も今度ひと株、と思いました。ご英霊の意思を後世につないで行くために。

すばらしいおはなしをありがとうございました。
2010/09/19(日) 08:07 | URL | 見張り員 #-[ 編集]
日本映画の顔
■俳優の小林桂樹さんが亡くなりましたが、
名前に「木」が四つもが入るのが面白いと思っておりました。
昭和19年に召集を受け、20年まで従軍された由、
どのような場所を転戦されたのか興味あるものです。
「龍馬がゆく」の西郷隆盛役
「連合艦隊」では山本五十六役など
ご活躍の後が偲ばれます。
御冥福をお祈りいたします。
2010/09/19(日) 09:31 | URL | 愛国志民 #-[ 編集]
日本人の美徳
なんで靖国神社に、苗木の頒布所があるんだろう?と思ってましたがとても偉大なエピソードが詰まってることを読ませていただき胸がつまりました…。
家庭菜園のスペースでも大丈夫でしょうか?今度じっくり見させていただきます。有難うございました!
2010/09/19(日) 13:42 | URL | やまとねこ #-[ 編集]
日本兵の心
日本軍は悪逆非道な兵隊だと中国や西欧の国の人が言います。これは、自分たちの侵略行為を正当化するためのプロパガンダです。が、多くの国民はそれを信じ、誇りを失っています。

日本兵は本当に鬼だったのでしょうか。鬼になれないのが日本の国民性です。以下の文章は「国民の遺書」の中にあるものです。

陸軍中尉 加藤出雲(29歳) 中国にて戦死
一方は畑で他方は傾斜していて泥が深い。道は悪い。その畑を通っていたのだが、きれいな花が一輪泥の上に美しい顔を見せていた。尖兵の将校がその花をよけて横の泥深い処を迂回して歩いていた。

花の上を踏んで歩く方が泥も少なく近道でもあるのだが、花を踏みくだくに忍びなかったのだ。次を歩いている男もそれにならって花をよけて通った。次々に兵隊は泥の道を遠回りして歩いた。

部隊が通りすぎた後にはきれいな花が泥の上に浮かんでほのぼのとした美しさを見せていた。行軍に疲れた時、実際ぬかるみ道は倍疲れる。

そんな時にさえも、たった一輪の花を踏まずに通っていった兵隊の心情が嬉しのだ。

陸軍兵長 大賀茂寅一(27歳)
ビルマ・キャクピューにて戦死
その後は久しくご無沙汰致しました。皆さまお元気ですか。降而(くだって)小兵相変わらず元気旺盛にて御奉公致しおります故、乍他事(たじながら)御休心下さい。

お祭りも済み、愈々お忙しい事と存じます。銃後の方々のご苦労を偲ぶ時、只々感謝、そして自己の任務に一層の決意を持つ次第です。八郎も元気で奮闘して居る事と存じます。

さて土地の風俗習慣等も大分分かって来て、此の頃では折を見て土民より、ビルマ語の勉強をしたり、日本語を教えたりして居る。子供等内地の子供と大して変わらない、日本の「白地に赤く」「兵隊さん有難う」等大変上手に歌って居る。

澤山の人種がいるが、ビルマ人は内地人と大差なく可愛い感じがする。いづれ我々と足並みをそろえて東洋永遠の平和の為に協力することでせう。

日本兵は「鬼」ではなかったのです。現地人に慕われていたのです。
2010/09/19(日) 14:19 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
No title
ねずきちさん。
いつも、ありがとうございます。
こんな立派な日本人がいらっしゃったのですね。
勉強不足を恥じます。

改めて思うのは、日本人自身が先祖の偉業を知らなすぎます。
「日本軍は悪」「戦場では人は悪魔のようになる」という刷り込みで、現代の我々は思考停止状態にあります。
今の日本人は「日本軍は悪かった・・・鬼畜だ・・・悪魔だ・・・」この決めつけ、思い込みで、思い上がった心で、日本の未来のために戦った先人たちを責め、侮辱する恥知らずです。
私自身も、かつては思考停止していた恥知らずの馬鹿でした。

身近にいる優しい、穏やかな日本人が戦場に出ると悪魔になるんですか?
そんなことはありません。
よくわからないことに託けて、思考停止してはいけないと思います。
日本人は、いつの時代も悩み苦しんだあげく苦渋の選択をしていた。
現代に生きる我々だって、中国の侵略の危機にさらされたとしたら、悩み苦しんだ挙句、日本を、家族を、恋人を、子供を、そしてその子供が生きる日本の未来のために、苦渋の選択をするはずです。
2010/09/19(日) 14:25 | URL | 名無しさん #-[ 編集]
【緊急】日本人のお金が中国に60兆円もばらまかれる。
尖閣だけではない。
こちらも要チェックです。

http://ameblo.jp/konichiwa/entry-10652592348.html
2010/09/19(日) 15:45 | URL | 名無し #-[ 編集]
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戦没者の遺書
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B−29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運
ケネディと駆逐艦「天霧」
最後の特攻
終戦記念日における政府談話、日心会草案
広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言

≪事件≫
通州事件
尼港事件
斉南事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊
日本人はとても素敵だった
カナダからの手紙

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
相手が弱いとみるやつけこむ民族
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法
支那の粉ミルク
恐怖の外国人永住者

≪韓国≫
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
関東大震災の記憶
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
韓国建国の英雄
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ
韓国保守派の嘆きと憤慨

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡

≪メディアの偏向≫
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由
反日キャスターを許すな!
反日主義者たちの陰謀

≪時事≫
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!
奴らを許すな
「日本派」の政治家
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!
尼崎児童暴行事件
売国土下座外交のウラ
都民の100人に1人が中国人
あなたの隣に中国人が。それでもいいですか?
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ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

までメールでご連絡ください。

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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コメントをくださる皆様へ
発言には互いに尊敬と互譲の心をもって。汚い言葉遣いや他の人を揶揄するようなコメントは、管理人の権限で削除の対象とします。
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設立 2009.9.6
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ところが、せっかくお申込みをいただき、当会からお返事をさしあげても、携帯の迷惑メールフィルタによって当会からのメールが届かない、というケースが頻発しています。
お手数ですが、日心会入会申込の際、次の2つのドメインの受信が可能になるように、あらかじめご自身で携帯への設定をお願いします。
@nippon-kokoro.com
@freeml.com
関西会議 平成22年9月 IN大阪梅田
平成22年9月19日(日)
18時から21時頃
和風創作居酒屋 完全個室 逢坂 梅田店
http://r.gnavi.co.jp/k597900/
予算 4,500円(飲み放題 + コース料理)
06-6364-1771
〒530-0018 大阪市北区小松原町1-3 小松原フラワービル
泉の広場M9出口 徒歩3分
日心会で予約しています。

初参加の方、大歓迎。
とても初対面とは思えないほど盛り上がります。
ご心配には及びません。
関西地区の皆様、全国の皆様、奮ってご参加ください。
高森明勅氏による「日本の神話」勉強会
来たる2010年9月19日 日曜日 18:30 〜 20:30 池袋にある東京芸術劇場で、我が国日本神話の第一の権威である高森明勅の、日本神話勉強会が、日心会、花時計の共同で開催されます。
(ちなみに、「愛国女性のつどい花時計」というのは、若い女性たちだけの保守系会派です)

高森教授のお話は、難しい人名がたくさん登場する日本神話を、現代にむすびつけて、わかりやすく講演いただける、非常に内容の濃いものです。

これを聞くと、日本が抱きしめたいくらいに好きになります!!

みなさんのご参加をお待ちします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
開催要項

日時
2010年9月19日 日曜日
18:30 〜 20:30
場所
東京芸術劇場5F
中会議室
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1丁目8−1
電話
03-5391-2111
テーマ
「現代に生きる日本神話」
神話と歴史がつながっているのは世界でも日本だけなのです!!

講師 高森明勅氏
参加費 1000円
当日受付です。
お気軽にご来場ください。

主催
  日本の心をつたえる会
http://www.nippon-kokoro.com/
愛国女性のつどい花時計
http://www.hanadokei2010.com/index.php

連絡先
info@nippon-kokoro.com

■高森明勅氏プロフィール
日本文化総合研究所代表
防衛庁・統合幕僚学校で「国家観・歴史観」の講座を担当
國學院大學神道文化学部・麗澤大学外国語学部講師
元拓殖大学日本文化研究所客員教授
神道宗教学会理事
新しい歴史教科書をつくる会・理事
靖国神社・崇敬奉賛会の青年部「あさなぎ」顧問
専門は歴史学、神道学・神道史学
日心会中部ブロック設立記念講演会
【日時】2010年10月10日
14:00 〜 16:00
【場所】
名古屋市熱田生涯学習センター
名古屋市熱田区西町2番13号
【講師】森垣 雅夫
【題目】伊勢、熱田神宮の歴史を学ぶ〜入門編
【参加費】500円
櫻井よしこ氏in北海道講演会
【講師】櫻井よしこ氏他
【演題】日本よ、勁(つよ)き国となれ
【日時】平成22年11月6日(土)
15:00開演(14:00開場)
終了予定時間18:00
【会場】
ホテルポールスター札幌2F
〒060-0004
札幌市中央区北4条西6丁目
TEL 011-241-9111
URL http://www.polestar-sapporo.com/
◆札幌駅南口より徒歩5分
◆地下鉄大通駅より徒歩10分
【参加費】
前売 4000円
当日 4500円
【お申し込み・お問い合わせ】
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北海道札幌市中央区北3条西3丁目1−47
ヒューリックNORTH33ビル 1F
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