2010年7月26日 2時30分
大相撲名古屋場所(愛知県体育館)は千秋楽の25日、横綱・白鵬(25)が1949年夏場所の15日制定着後、初めて3場所連続全勝優勝を果たした。日本相撲協会は同日開いた理事会で村山弘義理事長代行の続投を決定した。病気療養中の武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)が村山代行の後任に出羽海事業部長(元関脇・鷲羽山)を指名したが、理事会が反対。相次ぐ不祥事に揺れた名古屋場所は「楽日」まで混乱した。
優勝力士の晴れ舞台である表彰式はわずか3分足らず。表彰台だけが土俵に置かれ、天皇賜杯もなかった。表彰状と優勝旗を受け取った時から白鵬の目は真っ赤だった。「大変な場所だったが……」。言葉が詰まる。「この国の横綱として、力士代表として天皇賜杯だけはいただきたく思っていた」。拍手に包まれると、目頭を押さえ、天井を見上げた。
NHKの生中継中止。賜杯をはじめ協賛団体の土俵上での表彰自粛。懸賞は昨年の4分の1に満たず、満員御礼は昨年から半減した。場内に、暴力団排除のアナウンスが響き、警察官が巡回した。
協会の屋台骨がぐらついたまま、外部理事の村山代行の任期が千秋楽で切れようとしていた。理事会で村山代行は退任あいさつをするはずだった。だが、ある理事が切り出した。「事業部長として無責任な態度を取っておきながら代行が務まるのか」。5月の夏場所で暴力団組長が観戦した問題で、協会の特別調査委員会の山口弘典氏が解任された件で、山口氏から事情説明を受けながら放置した出羽海事業部長の危機意識の薄さを指摘した。
「正直しんどい」。固辞する村山代行。「何とか」と役員たちが詰め寄る。「そこまで言ってもらっているんだから」と伊藤滋外部理事らも背を押した。「では武蔵川さんと相談します」と村山代行は続投を受け入れた。
激動の15日間が親方衆を変化させた。村山代行が4日に就任する前、「外部の人間に何がわかる」などと話していたある理事も「村山さんに今後も防波堤になってほしい」。
村山代行は表情を引き締めた。「相撲ファンとして何がしかの尽力ができればと理事になったのだから、逃げるわけにはいかない」
佐ノ山親方(元大関・千代大海)の賭博関与疑惑をはじめ松ケ根、境川両部屋の地方場所宿舎問題。秋場所は2カ月後、いまだ先が見えない。【藤野智成】
◆昨年の名古屋場所との比較◆
09年 10年
入場者数10万4300人 9万4900人
当日券販売 7450席 9030席
満員御礼 8回 4回
払い戻し 受け付けず 992件
懸賞本数 1033本 242本
番数 35番 29番
休場者 2人 14人
警察官数 約50人 155人
※払い戻しは場所前の435件も含む。番数、休場者数は千秋楽の十両以上。