花粉症とホメ話、本日は後編で〜す。
(
花粉症にはホメオパシーがいい 前編はこちら〜!)
前回は花粉症に対するホメオパシーの具体的なアプローチを
紹介してきましたが、今日は帯津先生の医療に対する考え方で
いたちむらが面白いっっ!と思ったところをお話します。
(前回コメント下さった方でお返事まだの方、
もうしばらくお待ち下さいませ〜(>人<)
いたち村のほとんどの記事は予約投稿なのでして…)
まずね。帯津先生の考え方で、なかなかいいなぁ、と思うのは、
一つのものだけを絶対視しないところなんだと思うんですね。
別の本でも書かれていましたが、今の日本の世の中は、
たとえば「納豆がいい」と言えば納豆一辺倒になる。
確かに一つのものでパシッと解決出来るって魅力的なんですね。
でも、何か一つを徹底すればすべてが良くなる、ということはない。
これは医療に関しても同じなわけです。
帯津さんはもともとガンを専門とする西洋医学のお医者さん
だったわけですが、体の一部のみを相手にし、病気のみを叩く
という考え方の西洋医学にはやはり限界がある、と感じたんですね。
それで、漢方に気功、食事療法を取り入れて人間を全体的に
診て治療するという方針をご自分の病院でとってきた。
そこへ、ある日ホメオパシーとの劇的な出会いがあった。
これまでの代替療法の主力だった漢方や気功に勝るとも劣らない力を
持つホメオパシーが、西洋医学や他の代替療法と補い合うようにして
患者さん達の様々な局面を支えてきてくれたそうです。
ところで。ガンの患者さんというのは、日々あらゆる症状に悩まされ、
次から次へとひっきりなしに不調を訴えるのだそうです。
それはガンそのものの痛みとは直接関連のないもの。
とにかく腰が痛い、腹が張って苦しくてしょうがない、
脚が重くて毎日シクシク痛むなどなど、西洋医学の病院だったら、
「手術後なんだからしかたないでしょう」
「病気なんだから、そういう症状もありますよ」
となって解決されないまま終わる症状がそれこそ山ほどあるとか。
帯津先生も、ホメオパシーを知るまでは、そんな患者さんの
苦しみを知りながら、なすすべもなくその苦しみをただただ
我慢してもらうしかないことも多かったそうなんですね。
でも、ホメオパシーが戦力となってから、そういう苦しみに
対処する手段を持てるようになったことが医師として嬉しい。
しかも、従来だったら確実にそのまま死に至るような
患者さんの急場を、レメディ一つでしのげたことも数知れず。
普通、ここまで来ると。ホメオパシーは素晴らしい、と思わずそれ一辺倒にのめりこんで
とことん追求したくなるのが人間というものですよね。
でも、帯津先生の場合はそういう考え方はしない。
あくまでホメオパシーは、漢方やその他の代替療法や西洋医学と
バランス良く動員されることによって、治癒が実現する。
西洋医学だけでは限界があるのは当然だが、
だからといってホメオパシーが万能というわけではない。
治療者として、このバランス感覚は重要だと思うのです。
さらに自然なのは、100%治す必要はない、
80%治ればいい、60%治れば発症しないという考え方。
病気になったらそれを根絶して元の自分に戻るのではなく、
8割方治したら、元の自分とは違う、新しい自分として生きる。
うつで悩んだ方なんかもそういう発見をする人多いですよね。
病気を克服することで、新しい生き方も見つける。
病気と言ったら100%根絶する、という発想にはない、
柔軟で人間らしい考え方だと私は思うのです。
で、花粉症に少し話を戻しますが。帯津さんは花粉症が出て来た背景として、
「自己」と「非自己」という概念で説明しています。
昔は「自己」の一部だった花粉が、今では体に「非自己」として
認識されるようになり、体が猛烈な勢いで排除しようとする。
人間と自然が乖離してきたことの表れだというんですね。
物質的に豊かになって、都会の生活と自然の間に仕切りが
出来てしまい、花粉が「非自己」として排除対象となったわけです。
これは花粉症に限ったことではないようです。
西洋医学では「自己」と「非自己」を峻別して、「自己」に
侵入してきた「非自己」を排除すれば病気は治ると考えてきた。
細菌やウイルスが病気を起こすというのがまさにそれですよね。
そこに欠けているのは、人間を包括的に、丸ごと見るという視点。
人間は「自己」と「非自己」が混在する中で、
有機的な「いのちの場」を形作っているという、
いわば生命の不可思議さに対する畏敬の念の欠落。
帯津先生はそんなふうに言っています。
だいぶ難しい話になってしまいましたが。やはり西洋医学の、まるで人間を壊れた機械のように見る
排除型、撲滅型の医学は、科学としてはそれでいいかもしれませんが、
医療の現場ではそれ一辺倒でやっていたら無理があるわけです。
花粉症の治療にしたって、いくら過剰反応とはいえ、免疫という
体の機能を物理的にシャットアウトする薬が主なわけですから、
そうやって「非自己」は「非自己」のまま、それを識別する
体の機能を一時的に麻痺させているだけなわけですよね。
それはまるで、いつもは頼れる警察官が、突然暴走し出して
街中の人を誰彼かまわず捕まえてしまって困るんで、
麻酔銃でその警官を一時的に眠らせて事を収めているかのよう。
ホメオパシーのように「これは非自己じゃないんだよ、
攻撃しないでいいんだよ」と体に本当の意味で分からせる
アプローチとは、根本的に違うように思うのです。
これは、西洋医学とホメオパシーの立場の根本的違いでもあります。
実は私の父は、一昨年退職するまである製薬会社の化学部門で
仕事をしていたのですが、そんな父にホメオパシーの話をすると、
なかなか興味深いけれども、やっぱり自分のやってきたことの
土台からすると、何千例、何万例に対して使ったその薬が
そのうちの何千例に対して統計的に有意に効果があった、という
物的証拠がなければ、やはり医学として信用できない、と言ったんです。
帯津先生もまさにその辺りに触れられています。
西洋医学ではこの父の言うエビデンス(科学的根拠)が重視され、
エビデンスなきものは医学にあらず、とされてきました。
ホメオパシーは、もちろん最近ではいろいろな科学的実証が
されてきてはいるものの、西洋医学に比べればまだまだ
エビデンスに乏しい状態だそうです。
しかし、私に言わせれば、西洋医学の薬はそれこそ
化学物質をまんま体に投与するのですから、新規の薬のどの成分が、
どれだけの濃度で用いられれば効果的で安全性も確保できるのか、
どれくらいの限度量を超えると危険なのか、といったような検証は
繰り返し念入りに、かつ厳重になされるのが当然なわけです。
これに対してホメオパシーにおける薬の検証はプルービングという
作業として創始者ハーネマンの時代から行われてきているわけですが、
おもしろいのは、薬は薄めれば薄めるほど効いてくるという点。
その意味で、西洋医学の製薬において不可欠なプロセスである
エビデンスとは、考え方が根底から違っているんですよね。
そして、西洋医学の立場は「なぜ原物質が存在しないのに薬効があるのだ、
それはプラシーボ(偽薬効果)ではないのか」とホメオパシーを批判する。
ホメオパシーの立場は、「いや、これは薬の霊魂が効いているのだ」
と答えて、両者互いに平行線のまま、分かり合えない関係が続くのです。
実際、ですね。確かにどうしてホメオパシーが効くのかということに関しては、
エネルギー医学だ、波動仮説だなんだといろいろな説はあるものの、
はっきりとした科学的実証はまだなされていないんですよね。
とはいえ、西洋医学のエビデンス重視の立場だけでは、
現代の医療の現場は立ちゆかなくなっているのが現実です。
花粉症の話ではありませんが、私も去年便秘で悩んでいた時、
内科の先生に出された酸化マグネシウムを飲むと、
その時はガツンと効くんですけど、飲まないとまた元通り。
再診の時、先生に「何か効き方が事務的なんですよね」と
思わず口にしたら、先生も大笑いしていました。
それはやっぱり、西洋医学の薬が、体の局所のその症状だけを
目指して効果を発揮するようデザインされていて、
その人がどうして便秘になったのか、本当の原因は何か、など
人間そのものをまるごとながめた上で出された対処法ではない
ために起こる、典型的な西洋医学の特徴なんだと思うんですね。
エビデンスに対して、ホメオパシーでは、ナラティブ
(患者さんが語ることを大切に受け止める立場)を大切にします。
だから、問診に1時間以上かけて、その人の全体を知ろうとする。
ただ、エビデンスとナラティブ、どちらかに偏りすぎるのは
いけないと帯津先生は考えているようです。
これからの医療では、エビデンスとナラティブの両方から
バランス良くアプローチ出来ることが、様々な現場で求められている。
と、まあそんなわけで。何か今日はすっかり堅い話ばかりで突っ走ってしまいましたが、
とにかくいたちむら的にはこれからの医療を考える上で、
この本をとても興味深く読みました。
なんといっても、医療は私達の生活に密接に関わるものですから。
最後になってしまいましたが、帯津先生と板村先生は、
ホメオパシーは経験豊かな医師がやるべきだと強調しておられます。
日本ではまだ、医師免許を持たない方がホメオパスになることが
出来ますが、やはり病気についてきちんと学んでいない人が、
ホメオパシーについて学んだだけで治療者となるのは危険だと。
さらに危険なのは、ホメオパシーに対する無知と過信。
これは私達のような一般の人間が注意すべきことですが、
「ホメオパシーは自然療法だから、体に優しくて副作用がない」
とよく聞く言葉、これは大きな誤解です。
ホメオパシーは医学ですから、不適切な薬を不適切に用いれば、
明らかに体に害を及ぼしますし、危険な副作用もあるのです。
もちろん、ホメオパシーはセルフケアで使うことも出来ますが、
日本ではまだホメオパシーの歴史が浅いので、
どういった範囲ならセルフケアが良くて、どの辺りから
専門医に相談すべきか、その辺りの感覚がまだ共有できていない。
これが日本人にまだ馴染みのある東洋医学とかだと、
軽い風邪なら葛根湯をセルフケアとして飲むけれど、
慢性の症状や深刻な事態の場合はやっぱり病院へ行く。
そういう棲み分け感覚がもっと必要ということらしいんですね。
確かに、ホメオパシーをどこまでセルフケアとして取り入れて、
どこからは専門医かという判断はなかなか難しいですよね。
とはいえ、帯津先生のこの本を読んで一番感じたのは、
何事も極端に走るのはいかん、一辺倒で世の中通るものではない、
という人生の轍のようなメッセージでした。
皆さんもぜひ、花粉症をきっかけに、医療のあり方を考えてみませんか?
いつもにましての長文をお読みいただき、ありがとうございました☆