きょうの社説 2010年9月19日

◎尖閣沖事故の余波 中国の本音を見極めねば
 尖閣諸島沖で、海上保安庁の巡視船に中国漁船が体当たりをした衝突事故の余波が収ま らない。中国側は謝罪はおろか、丹羽宇一郎駐中国大使を真夜中に外務省に呼びつけるなどの無礼を働き、逮捕された船長の「司法手続きの即時停止」という法治国家ではありえない非常識な要求を突き付けている。中国各地でデモを繰り広げ、中国のハッカー組織が日本政府機関のサイト攻撃を公言するなか、金大附属高校(金沢市)の教員用ホームページが改ざんされる出来事もあった。

 中国の一般漁民がわざわざ日本領海に侵入し、危険を犯して巡視船に体当たりするはず がない。乗組員は特別な訓練を受け、政府の命令を受けて動く「海上民兵」と呼ばれる軍人だろう。

 中国が漁船を突入させた意図は、現段階では分らない。尖閣諸島周辺に軍艦を派遣する ための地ならしなのか、東シナ海ガス田開発の交渉をご破算にして実効支配に乗りだしたいのか、冷静に本音を見極める必要がある。

 知日派のアーミテージ元米国務副長官は会見で、中国側の思惑について「中国は日本を 試している」と指摘した。沖縄の普天間基地移設問題をめぐって、日米関係がぎくしゃくするなか、中国政府は菅政権の立ち位置を見定める狙いがあるという。

 菅政権は「日本の法令で厳正に対処し、粛々と捜査する」(仙谷由人官房長官)との立 場だが、野党が要求した委員会開催には応じず、乗組員と漁船を早々に帰国させる愚を犯した。中国はガス田開発の交渉延期を一方的に通告し、中国メーカーが計画していた1万人規模で来日する団体旅行の中止を決めたが、これらはすべて計算ずくであり、今後もあらゆる手段で揺さぶりを掛けてくるだろう。

 中国は甘い顔を見せると、さらに一歩、土足で踏み込んでくる。見え透いた「官製デモ 」に動じることなく、無礼な振る舞いを強くたしなめたり、理不尽な要求には反論することも必要だ。菅政権は受け身になり過ぎず、海上保安庁の巡視船が撮影した衝突時のビデオを公開するなどして、中国の非を国際世論に訴えてほしい。

◎広がる街角ライブ 芸と生活が溶け合う魅力
 今年で2回目となる金沢ジャズストリートが開幕し、一流アーティストの演奏とともに 金沢市中心部一帯で街角ライブを繰り広げ、「空からジャズが降る城下町」を発信している。地元に住んでいると、あまり気づかないことだが、こうした一見、市民の日常とかけ離れた音楽や芸術の息吹に触れる場と、市民生活の場とが、境目もなく溶け合っていることが、ジャンルを問わず、街角を舞台にしたパフォーマンスを受け入れる金沢の包容力の深さにつながっているのだろう。

 絶えず笛や三味線の音色が響く三茶屋街でも、観光客が往来する一角と隣り合って、ご く普通の市民の日常生活が営まれている。時に楽器の音がうるさいと感じることがあるかもしれないが、さまざまな演奏を自然体で受け入れる伝統は、今も市民の中に息づいている。こうした芸と生活との「仕切り感」の希薄さが、市民の間で芸事全般が受け継がれてきた遠因とも言えるのではないか。

 今回のジャズストリートの各ライブ会場を見ても、連日深夜まで演奏が続く片町の新天 地の近隣には、長町の伝統的な家並みが広がる。横安江町の金沢東別院山門前や、竪町特設ステージ周辺にも古くから市民の生活空間がある。

 そうした環境の中で、日本の伝統と異質の音楽が流れても、意外としっくり調和するの は、芸を受け入れる素地が、藩政期から生活の場で受け継がれてきたことの証しでもある。まちなかも舞台にしてクラシック演奏を繰り広げた春のラ・フォル・ジュルネ金沢「熱狂の日」音楽祭の盛り上がりからも、それは裏付けられよう。

 こうした伝統は、人を引き寄せる新たな魅力にもつながる。金沢市中心部では、伝統的 な町家の再生などを通して、まちなか居住を促す取り組みも加速してきたが、年に幾度となく、そぞろ歩きの街角で良質の音楽と接する機会があり、芸術と生活が融合したライフスタイルを楽しめることも、大いにアピールしていいだろう。

 ジャズストリートのライブを楽しみながら、金沢のもう一つの歴史遺産を実感したい。