きょうのコラム「時鐘」 2010年9月19日

 20歳の夏に自転車で能登半島を一周したことがある。40年以上も前だから、砂利道が多くて金沢に帰るのに4日かかった

「ツール・ド・のと」は、ほぼ同じコースを3日で走る。自転車の性能アップと道路整備のおかげだ。体力的には今でも完走できると、自転車屋で話していたら「最近、そんな中高年が多いね」と古い自慢話は一蹴され、苦笑するしかなかった

昭和初期、金沢一中生が10日間かけて能登半島を歩いて一周した旅行記がある。「伊豆の踊子」のようなもので、当時は学生の半島旅行が流行ったようだ。輪島から珠洲の外浦は道がなく、海岸を歩いたと書いている

半島の歴史はどこも似ている。船が港町をつなぎ、内陸の悪路をバスが走った。戦後、鉄道が開通し、遅れて舗装道路網が整備された。その鉄道と道路で若者たちは都会へ出て行った。過疎の歴史は、交通網の整備と重なる

今、羽咋以北の能登の人口は21万人強だが、年間700万人の観光客が来る。交流人口の増加が能登の活力となる。歴史の歯車は逆には回らない。昔の唄を歌わず、前へ前へと、ペダルをこぎ続けるしかない。