白鵬の53連勝が、あっけなく実現してしまった。あっけないとは感情の反発を招くかも知れない。しかし、大相撲のような人間が渾身(こんしん)の力でぶつかり合う競技では、もっと山あり谷ありという苦境から抜けてきて、初めて振り返った結果が53連勝という途方もない数字だったという方が、表現としてはぴったりくるように思われる。
とにかく、驚くのは、53回の勝利を重ねていたというのに、際どい勝負がほとんどないことだろう。あそこで負けていてもおかしくない勝負は一番もないといえよう。とはいうものの、攻め方の運び方というか、手順の狂いというのか、白鵬らしくないところがなかったわけではない。だが、そうした相撲でも、不利を解消して、結局自分の攻めが効果を上げられるように、勝負の運びを持って行く。そのような巧みさに満ち満ちた53連勝であった。6日目の琴奨菊も、今は数が少なくなった白鵬戦に勝ったことのある相手だったのだが、その貴重な記録も、もはや完全に過去のものになってしまったのだろうか、なす術もない負け方に追いこまれてしまった。右を生かして出て左からはたく。相手からすると、つけ込む余地のない取り口だった。
これで、妙な言い方になるが、53連勝をなし遂げて千代の富士に並んだので、この先は淡々たる道をたどって、双葉山を追う。それが淡々たるものかどうかには問題があろうが、さて誰がこの白鵬の勢いを止めるのかとなると、当面有力な候補なしといったところだろう。
本来なら、稀勢の里の勢いに期待したいところなのだが、今場所はどうももうひとつふっきれないところがある。7日目の一番だけではなく、本来なら、実績から言っても、日本産の三役として、果たすべき役割を引き受けてほしいところだが、今場所の相撲はどうもすっきりしたものが出せないようだ。
それで苦しんでいるようだが、この力士を見ていて気になってならないのは、闘志の表出が少し過度に思えるのだ。それで自分を激励しているという面もあるのだろうが、空回りしてしまっては逆効果だ。
把瑠都が進む足を一度止められたが、二度目の前進で阿覧を降した。この大型の大関にとって大事なのは結果で、途中はどうでも良い。力と能力は十分なのだといってやりたい。いつもそう思う。 (作家)
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