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榊原烋一 【サカスト】 |
北朝鮮の人工衛星だかミサイル発射なのかいずれかは不明だが(【サカスト】筆者はミサイルだと信じている。なぜなら厳重な報道管制体制下にある北朝鮮では、そもそも衛星を使っても人民にはなんの利便も生じないのだから)、このロケットの発射くらい日本のマスコミを踊らせた事件はない。
前々回のテポドン騒ぎの場合には、発射された後で事実が報道されたために、マスコミが騒いだときには既にミサイルは日本上空を飛び越えて太平洋に落下してしまった。ということは、万一危険なミサイルだったとしても、日本人の誰一人気づかぬうちに通り過ぎてしまったのだから、その瞬間には日本人で危険を感じた人間は一人もいなかったということだ。
まして日本の防衛を専門とする自衛隊もまったく無防備で過ごしてしまっていた訳だから、何のための専守防衛だったのか今考えてみるとおかしな話だったと思わざるを得ない。
ところが今回は北朝鮮も(北朝鮮という呼称は日本独特で、正確には朝鮮民主主義人民共和国という。略称P.D.R.K.となるが、呼びやすいので北朝鮮と使わせていただく。)国際世論を恐れたのか、あるいは国内的事情なのか(どうもこちらの方が強いような気もするが)打ち上げを予告、危険水域まで指定したから日本マスコミは大騒ぎ。
まるでミサイルが日本を狙って発射されるかのごとく新聞、テレビは連日報道合戦を繰り広げた。これが日本人の危機意識をいやが上にもあおり立て、世論調査の大部分は北朝鮮を脅威だとする国民の声を作り上げてしまった。こんな声の中で、誤探知報道もされるなどの失態も生まれてしまった。
人間は自分に負わされた責任が重ければ重いほど緊張感も増す、マスコミが危険だ危険だとはやし立て、それを信じる国民も防衛体制はどうなっているのだと期待するほどに、その任に当たっている当事者には緊張が増す、ということから誤探知騒ぎも起きてしまう。
事件が終わってしまえば今度はこれだけ騒いだのだからあとには引けなくなる。そこで国連決議をという論議が国を挙げての大騒動となってしまう。冷静に考えれば国連の安全保障理事国5つある中に、ロシアと中国という北朝鮮寄りの国が拒否権を持っているのだから、これは誰が考えたって決議としては通りそうもないことは一目瞭然だ。
もっとも政府もそんなことは先刻ご承知の上で決議、決議と騒いでみせ、落としどころは議長声明でもいいから、国民の納得するような非難の意味を強く含んだ文言を出してくれよ、というのが本音のところだろう。
結果はこの文が掲載される頃には出てしまっているとは思うが、【サカスト】は何が言いたいのかと言えば、もう少しマスコミに冷静さを求めたいのだ。仮にミサイルが歴然と日本を狙って発射されるというのならば、これは大騒ぎをする価値もあろうが、単に実験をするだけならもう少し客観的な報道姿勢を求めたいのだ。
仮に相手が言う通りの人工衛星の打ち上げならば、日本だって何遍も実施しているのだから、いずれどこの国だってやってみたくなるのが自然だろう。これは自分の国の科学技術の進歩を国際的に評価してもらうための手段としていずれは避けられない問題だからだ。
かつて自民党対社会党の対立の構図があったとき、アメリカの核実験に対して社会党は猛烈な反対運動を起こした。これは唯一の被爆国である日本としては一つの見識であったはずだ。ところがそのすぐ後に友好国と思い込んでいたソ連、そして中国が同様の実験を始めると、抗議の声はぴったりと止まったのだ。つまり資本主義国の核実験は悪だが社会主義国の核実験は正義だ、こんな誰にも通じっこない屁理屈が出てきてはもう論争にもならない。いつしか核廃絶の声は下火になってしまった。
今回のミサイル騒ぎに乗じて、日本も核武装せよという声も出てきた。だいたい現在地球上には6千発の核爆弾があると言われている。そんな中で1発や2発の核武装をしたからといって何の役に立つと言えるのだろう。むしろそれは国際世論を敵に回す可能性の方がより大きいだろう。そして、日本の自衛隊ないしは兵器製造業者からは秘密漏洩も起こるだろうし、更にはどこかの国にこれを売り渡そうとする人間が出てくる危険性もある。現実問題として、輸出には厳重な規制のある工作機械などが隠れて輸出されている実例もある。
北朝鮮だって虎の子の核爆弾を1発でも日本に向けて発射したとしたら、その後、自分の国がどんな目に遭うのか考えていないほど馬鹿ではあるまい。
どうも日本の報道陣が冷静になれないのは今に始まったことでもなさそうだ。手元には「日露戦争 もうひとつの『物語』」(長山靖生著、新潮新書2004年5月刊)という冊子がある。これの「あとがき」の1節を紹介してみよう。
日露戦争当時、内地の一般国民は活字メディアによって戦争を読んでいた。戦争は紙の中にあった。そしてあたかも自分が戦場にいるかのように昂揚し、提灯行列を繰り出し、露探を罵り、講和に反対して焼き討ち事件を起こしたりした。彼らは現実の戦争に反応したのだろうか。それとも情報に反応したのだろうか。
日露戦争によって「上がり」に到達した大日本帝国は、一等国というフィクションに拘り、右肩上がりの拡大路線を走り続ける。そして四十年後の太平洋戦争で、振り出しに戻ることになる。
それからさらに六十年が経った。今、われわれは百年前の人々よりも、うまく情報とつき合っているだろうか。これはメディアの送り手の課題であると同時に、受け手の問題でもある。
時々北朝鮮側のテレビが日本でも流される。その中での女性アナウンサーのしゃべり方、とりわけ将軍様に関するニュースのしゃべり方に、戦争を知らない日本人は恐らく極めて不快、かつ滑稽な感じを持つことだろう。しかし太平洋戦争中の日本のラジオ放送、あるいはニュース映画でのアナウンサーのしゃべり方は、これと酷似していたことをここで指摘しておきたい。私たち戦争世代にとっては北朝鮮のニュースのアナウンスは日本の暗黒時代を振り返らせるものでしかない。
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