これにもビックリである。これは、たぶん文面から、私が書いたものと思う。むかしの話であるが、波木井坊を攻撃する連中は、些細な攻撃のネタもすべてログを保存して攻撃材料とし、私の書き込みが利用されていたのである。
http://2chnull.info/r/koumei/1276092373/
----------------------------------------------------------------
21:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/11(金) 13:11:24 ID:???
963 名前: ◆PVFc8Y4zsY [age] 投稿日:2005/09/27(火) 21:59:40 ID:???0
ここにアホイ講の原点が・・・・
バカオカマ・溝口坊@竜損は、創価学会にゲイのグループがあることを知ってそれらがネットに参加していることを聞きつけてネットに出入りするようになったものです。そのころもまだ、『ジーグフリード』を名乗っていたのです。
創価学会のゲイと接触するためには自身もなにか日蓮宗系のほうが良いと考えたのでしよう。それで無関係な日蓮宗の故殺に潜り込んだのです。もちろん本遠寺の裏口(裏の穴)からです。(爆笑)、
当時は本遠寺に所属したことは公表しておらず、当人は、『大裏山・開穴寺』の信徒だと名乗りましたが、後に本遠寺と変えたのです。(笑)、
----------------------------------------------------------------
波木井坊が反創価系の掲示板に参加してきたのは、私の記憶では、創価学会系に謀殺されたと云われている東村山の朝木市議関連の掲示板で、「ジーグフリード」と名乗っていたのです。
たぶん、れいな氏が日本に帰ってくる前のことであろうと思う。これがやつの命取りとなったのだ。ジーグフリードから波木井坊とハンドルを変えたことで、当時、日蓮宗系の富士門流サイトでは最強・最大の激論バトル掲示板であった「富士宮・信濃町研究室」(FS研)に参加してきたのである。
波木井坊が参加してきた当初、波木井坊は大石寺に理解を示していたので比較的円満な関係であり、ちょくちょく電話をもらっていた。
ある日、正信会系のKと夜中に、身延山中をドライブしていると電話があった。・・夜中の平日にである。して、Kと電話をかわり、なんでこんな夜中に身延の山の中をドライブしているのか?との会話となり、波木井坊にネットの技術に関して呼び出された、とのことであった。(・・;
その後に、波木井坊が大石寺を揶揄したことで対立構図となり、互いに和解の途を探ったが結局は深刻な対立へと発展し、壮絶なバトルとなったのだ。
なにせ邪教叩きとなればネット法華講では急先鋒だった私は、当初は教義によって身延派叩きを始めたのだが、久遠居士が主催する「RS研」という掲示板に、波木井坊がゲイであり、愛人の若者と手錠をかけてゲイのパレードに参加し、ハッテン系のハードゲイであることが載せられた。
躊躇したのは私のほうである。漢字の使い方、クセのある文面は親しみ慣れた「久遠居士」のものであったのだ。
しかも、久遠居士というのは、創価学会の若い人物の書き込みに対しては非常に柔らかいものいいをしていたのである。私が創賊≠ニ聞くと、問答無用で叩きまくるのとはまったく正反対の態度であったことに、ある種の違和感を持っていた。
この時期、『富士宗学研究』の主催者である久遠居士は、御宗門に無断で「電網法華講連合会」を名乗っており、ネットじょうの法華講員を糾合していたのである。
もし、れいな氏の「有志の会」に問題があるとすれば「富士宗学研究」の久遠居士こそ、そのさきがけとなったもので、大いに問題とすべきことなのである。これはれいな氏もよく御存知の本行寺のS氏もよく知っているものである。確認してごらんなさい。
テメエ等のやったことと同じようなことを試みた「れいな氏」に、富士宗学研究に参加している法華講員から情報を吸い上げてさもさも自分が総括しているようなことをほざいているが、久遠居士じしんは実は現実世界では何もしておらず、ネットの情報にたよってエラそうに振る舞っているだけの臆病者≠ネのである。
前回述べたが、どのような経緯が知らないが面が割られそうになったら、死んだことにしてくれと、懇願してきたくらいである。しかも指定された書き込み日時に、本当に妙縁寺で葬儀があったのだから、用意周到な謀略者であることは事実である。
それにしても、タイムスリップしたように懐かしいものである。「FS研」という掲示板は当初はショボイ掲示板だったが、主催者は反創価で「年表・巨大宗教企業とその時代」という膨大な創価の年表を作成した人物である。
この主催者は右翼系の理論派だったが、私が波木井坊叩きでやりすぎて、退去を命じられ、私が法華講員に掲示板から私とともに退去するよう勧告して、板は創価一色となったこで閉鎖となった。
なんせ、プロレスラーの強化道場で有名な「熊の穴」や、「虎の穴」をもじって、オカマの強化道場を「尻の穴」とヨタを飛ばして爆笑のネタにしていたのである。(笑)、
あのころ、私は燃えに燃えていた。なにせ創賊相手に宗史で破折し、宗旨で破折しまくり、五十人ほどの乱入創賊と五十問答を同時に進行させてすべて破折しまくったのである。
やり方は簡単で、書き込まれたレスにひとつひとつ反論を順次書き込んでいけば良いだけで、人数などものの数ではないのである。対論で失敗する例は、同じ論難に対して説得することに囚われて&ハな応えをしようとするから迷うのであり、同じ論難に対しては同じ応えで良いのである。
ある日、15インチの四角いモニターのマットに、最後に立っていたのは私だった。
法華講員も書き込まない、創賊の反論も無くなった、ネットの騒がしい掲示板にある日、ポツンと一人で書き込んでいるとなぜか妙に寂しくなり、書き込んでくれるなら創賊でもお愛想を使ってやろうかと思ったことがあった。(笑)、
なつかしいなあ、
あの時代は、松戸末楠(山崎正友の謀略師団の走り使いだった報恩社の社主)、馬場(江東区の支部長の代理)、中村某、むくむくとか、そういえば創価のスカタンは元気でやっているのだろうか、私が掲示板を隠退する決意をしたのはこの創価の見事なウィットが原因となったのである。
岡山のウォッチャー(法華講員)はどうしたのだろうか。当時創賊を代表していた「佐武誠」は惨敗ののちに「宿坊」があらわれた。私は江東区のBがハンドル変更してきたと思ったが、別系統の情報によれば、名古屋の食堂の店主だったそうである。
きかいがあれば宿坊の食堂に行ってハヤシライスでも註文してやろうかい。(笑)、
むかしのことを思い出したら、楽しかったなあ、あの頃。毎日・毎日、創賊が、正信賊が、法華講が、身延賊が、それぞれの智慧をふるって戦っていた。それこそ、自己の知力を尽くして全身全霊で戦っていたと思う。
いまは、なぜか、全体的に世界が小さくなったような気がするのである。
このかきこみを見ている中に、波木井坊がいたら、鏡がいたら、馬場がいたら、スカタンがいたら、中村がいたら、宿坊がいたら、松戸末楠がいたら、無作小人がいたら、ウオッチャーがいたら、鳴瀬剣山がいたら、
・・・・・いつか一緒に酒でも飲みたいものである。
その時は、れいなさん、あんたも誘いますよ。(笑)、

サークルに参加をするとコメントを書くことができます。