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もちろん極東裁判の判決にも問題はある

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)12時39分24秒
  最も問題なのは「裁く側もまた侵略者」だということだ。

しかし、極東裁判の結果を受け、それを条件として
日本はサンフランシスコ講和条約を結んだ。
いわば旧日帝の支配の不当性を受け入れ、それを葬って
その上に「新生日本国」として出発したのだ。
だから「現代日本は認めるが極東裁判は認めない」という選択肢はない。

したがって「旧日帝に問題はない」と言い張るなら、
現代の日本も否定しなければならないことになる。
お前はその「否定すべき」日本でのうのうと生きているんだろう?
 

えっと利益を軍事になって投資してないというか…

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)12時37分36秒
  国債でまかなっているんですけど。
もしもしまっぺんさん。
どこからそんな妄想があなたの頭に届いたのですか?

だから、戦後、国債の発行は禁止されているんですが?
(今もです。国債=使途を限定しないものは発行できませんね。)
 

あのまっぺんさんそれはさずがに相手にできません。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)12時35分31秒
  日本の植民地を日本の本土なみに扱うことはどれだけ大変か。

本土並みで及第点です。(行政としてはです。)

まっぺんさんたちがした方がいいのはこんな人物の紹介であって、生きてがんばったこの人物たちに
成り代わることではありません。

布施辰治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD%E8%BE%B0%E6%B2%BB
上甲米太郎
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20100419_02.html

今の資本主義の中でそういう活動をするのが本当ですね。
 

恥も外聞もないんだな

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)12時28分27秒
  私はお前のこれまでの論文の読み方が全部まちがっていた事を指摘したのだ。
お前はそれに反論するのではなく「それのどこが問題なんですか?」と言うのだな?

それはな、

「ええ、私の今までの主張は全部まちがっていました。
論文の読み方も全部勘違いしていました。それのどこが問題なんですか?」
と言っていることになる。お前がそれを全部認めたという事なら、それで結構。
お前が間違っていたという結論が出たわけだ。それでいいな?

>本土なみです。本土なみなら及第点ですよ。まっぺんさん。

本土並みのどこが及第点かね?
お前は「外国と日本」というように「国家対国家」でしかものを見ようとしない。
何度も言ってきたが、日本の支配者は日本人からも朝鮮人からも収奪し、
それによって得た利益を軍事に投入した。その額は国家予算の半分にもなる。
それによる侵略と略奪が大きな問題を起こしてきたんじゃないのかね?

「それのどこが問題か」だって?・・・問題があったから戦争になり、
その結果極東裁判によって裁かれたのだ。
いわば、あの判決は「問題があった」事を証明するものだ。
だからお前のひらきなおりは通用しないのだ。
わかったか? あ呆!
 

ええとそれのどこが問題なんですか?

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)12時04分24秒
  資本主義の結果としては当たり前です。
もしもし、まっぺんさん。
何が問題なんですか?

まさか、明治政府に雇用保険があったっていいだすんじゃないでしょうね。

現在の基準で語ろうとしてませんか?
左翼は弱者の味方だとしても、今、存在しない弱者とスクラムを組んで
要求を貫徹するわけにはいきませんよね。
むしろ、そのような歴史を経て(日本は敗戦によってだけれども、それでも
戦後のメーデーなど55年体制によって形作られたと考えたって間違いでは
ない。)今の弱者保護の制度や権利が確立したんですよね。

まっぺんさんの問題意識でよければ、エジプトのピラミッド工事は悲惨な工事にしか
なりませんよね。(昔はそんなイメージが振りまかれていましたが、いろんな資料が
出てきて、今は現在の公共事業に当たるのではないかと言われています。労働者には
一日にビール2杯が(当時は高級)配給されたとかね。)

 本土なみです。本土なみなら及第点ですよ。まっぺんさん。
 それこそ、朝鮮人だけ…保護なんて言い始めたら、税金だって湯水のように投入し
てるのに本土の日本人も黙ってられないでしょ。

 すごいなあ。その問題意識、時空を飛び越えてますね。無理ですよ。それ。
 本土の農家にだってそんな保障はないんです。

やっぱり、まっぺんさんの意識の方が間違ってますよ。
 

論文の主旨を読めない君のために解説してあげよう

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)11時07分17秒
  ●以下が、論文から読みとれる1910年〜1941年までのあいだに起こった変化だ。

(1)土地開発による耕地面積増大や農業技術により米穀生産高は52・3%増加した。
   そのうちの43・6%が日本人農家へ、8・7%が朝鮮人農家へ配分された。

(2)日本人が所有する田は全体の9%から54%へ6倍に増えた。
   朝鮮人が所有する田は全体の91%から46%へ半分に減った。

(3)多くの朝鮮人の地主が没落して小作になった。その結果
   朝鮮人所有田が大幅に(半減)減少し、日本人所有田が大幅に(6倍)増加した。

(4)日本人所有田の大幅増加と朝鮮人の人口増加により、朝鮮人の小作人口は大幅に増加した。
   小作と地主を合計した朝鮮人の農業人口は10,418,880人から17,077,223人に増加した。
   31年間に朝鮮人農業人口は1・6倍に増加。全部小作人だ。地主は減少している。

(5)民族別一戸当たり収入は、朝鮮人の場合5.41石から4.60石へ0.81石(15.0%)減少し、
   日本人の場合104.60石から204.51石へと99.91石(95.5%)増加した。
   収入の少ない小作人口が増大したため、朝鮮人全体の平均収入が下がったのである。

(6)なお、この数字は「農業収入」であって、「農業所得」ではない。
   従ってここから各種公課金や管理費用、その他農業に関する諸費用が差し引かれるため、
   農業所得は、5.41石(1910年)、4.60石(1941年)よりさらに削減される。

●上記の結果に踏まえ、あ呆の「迷言」を吟味しよう。
--------------------------------------------------------------
>だから、同じ年度で比べれば、自営農より小作農の方が収入が多いという
>珍妙な結果になってしまうのです。そして、だからこそ土地を売って借金を
>ちゃらにしなければならない農家が出てこなければいけなかったわけです。

  お前は「一戸当り・一人当りの収入」と「小作全体の収入」を混同している。
  小作人口が大幅に増えたのに一戸当たりの収入が15%も減っているのだ。
  これは小作の方が収入が少ない事を意味するだろう。数字に弱いなw
  当時の調査期間や銀行の統計資料よりも、何の証拠もないお前の
  脳内願望の方が説得力があると思ってるのか? 笑える。
--------------------------------------------------------------
>その上で朝鮮人の取り分は減ってます。それは、まっぺんさんがおっしゃる
>ような理由ではありません。農家の人口が減少したからです。

  開発によって「朝鮮人全体」の取り分は増え、農業人口は増えているんだが?
  まったく正反対。自分で出した資料も読んでいなかったのだなあ。www
  いかさまをやるなら、もう少し巧妙にやったらどうだね?
  あまりにもバレバレで誰からも相手にされない。
--------------------------------------------------------------
>あと大金持ちがわざわざ朝鮮に投資をしたんですか?
>そりゃ大変ですね。
>わたしだったら、八幡製鉄所の株を買うんですけどね。
>そして大金持ちがわざわざ農家になって大勢の小作人を使ったと。
>鉱山事業を興した方がよさそうな気がしますよ。

  どこに投資するべきか、お前の「意見」を聞いているのではない。
  過去に「実際に行われた投資」について吟味しているのだ。タワケ!
  現実に東洋拓殖会社が大規模な投資をし広大な土地を獲得している。
  それは日本人地主の6割にも達すると、「お前の出した資料」に書いてある。
 

日帝下朝鮮経済の発展と朝鮮人経済 許粹烈

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)11時01分35秒
      (前略)

 これで、日帝時代を通して、朝鮮で生産された米穀が、民族別にどう配分されるのかを計算できるようになった。まず複雑な計算を単純化するために、1910年の米穀生産量(13,349,805石)を100としておこう。すなわち、ここでいう数値の「1」というのは、米穀133,498石を表す。従って、1941年の生産量は、1910年生産量より52.3%多い20,332,676石で、152.3になる。
 収穫米が民族別にどのように分配されるのかを計算してみると、その結果は<表7>の通りである。

    <表7>

 日帝初期と末期を比較してみると、朝鮮で米穀生産量は52.3%増加した。土地生産性を考慮した面積を基準にした時、1910年に日本人が所有する田は全体の9.0%で、朝鮮人が所有するものは91.0%であった。この二つの年度の間に、朝鮮人が所有する田の割合は91.0%から46.0%へ45.0%減り、日本人が所有する田の割合は9.0%から54.0%に45.0%増えた。収穫された米穀がひとまずすべて地主に分配されると考えると(<表7>の「地主の取分は同じ期間に9.0から82.2へと73.2%増加する。
 ところで日本人所有田の9割は朝鮮人小作農が耕作するが、そこでは生産された米穀のうち、55%だけが日本人地主が受け取り、残り45%は朝鮮人小作農が受け取ることとなる。つまり、日本人所有田で生産されたものに0.9と0.45をかけた値、すなわり1910年には3.65、1944年には33.31を朝鮮人地主取分として付加し、日本人地主から引けば、民族別取分が計算できる。上の表の「民族別分配」項目を見ると、1910年と1941年の間に、米穀生産は52.3増加したが、そのうち8.7は朝鮮人に配分され、43.6は日本人に配分される。
 朝鮮人の米穀受取分は、1910年94.6(すなわり94.6×133,498=12,634,923石)から1941年103.4(すなわり103.4×133.498=13,779,161石)へ、8.7(すなわり8.7×133.498=1,164,238石)増加した。この点からみれば、農業開発の利得の一部が朝鮮人に配分されたことが確認できる。しかし、農業開発によって得られる増産量の83.3%(43.6/52.3,5,817,710石)は全体農業人口の0.3%に過ぎない、ごく少数の日本人に帰属する。そして、その過程で朝鮮人地主の取分はむしろ減ったが、日本人所有地で小作する朝鮮人小作農の取分が1910年の3.65から1941年の33.31へと大きく増加したため、朝鮮人取分が増加した。言わば、朝鮮人は生産手段である土地の所有から次第に排除されることで、生産手段の所有から発生する収入部分は縮小し、労働によって得られる収入の部分は増加したのである。
 一方1910年と1941年の間に朝鮮の農業人口も変わった。まず民族別一戸当たり収入を見ると、朝鮮人の場合5.41石から4.60石へ0.81石(15.0%)減少したが、日本人の場合104.60石から204.51石へと99.91石(95.5%)増加した。農業人口の変化まで考慮すれば、民族別農家一戸当たり収入の格差は1910年の62.5倍から1941年の209.4倍に拡大し、民族別農業人口一人当り収入の格差は1910年の86.3倍から1941年の252.5倍に拡大した。

    (中略)

 1941年の農業人口一人当り農業収入は、朝鮮人が103縁、日本人が9,909円である。日本人の農業収入は朝鮮人の96倍にもなる。一方、1940年『朝鮮国勢調査報告』の「産業(大分類)別人口」表では、農業従事者数が朝鮮人6,670,360人、日本人14,878人、合計6,685,238人(日本人以外の外国人を除く)となっている。全体農業人口において日本人農業人口が占める割合は、朝鮮総督府『統計年報』の場合は0.20%で、『朝鮮国勢調査報告』では0.22%で、ほぼ等しい。国勢調査の農業人口資料を使用し「一人当り農業収入民族別格差」を求めると、85倍とやや低くなる。

    <図8>

 朝鮮人農家の一戸当たり平均耕地面積は1.00-1.57町歩の間だったが、日本人のそれは17.65-70.78町歩の間で、両者の間に大きな格差がある。この格差は時期別に異なった。(中略)もちろんここで言う農業収入とは、各種公課金や管理費用、その他農業に関する諸費用が控除されていないため、農業所得ではない。また、当選人農家と日本人農家の費用構造も同一でないため、この96倍という数字がそのまま農業所得でこの程度の格差があるということを意味するものでもない。しかし、農業収入でこのように顕著な格差が発生していれば、農業所得でも極端な格差があることは明白である。
 <表10>から民族別農業収入の割合を計算すると、日本人農業人口は朝鮮全体の農業人口の15.9%を占めていた。極端な所有構造の不平等に由来する極端な所得不平等が存在していたわけである。まさにこれが植民地朝鮮農業の本質的側面であり、また日本人中心の農業開発の必然的帰結だったのである。このような極端な民族別所有と所得の不平等を論外にして、植民地農業の開発的側面のみを強調する主張は、植民地朝鮮農業の現象形態対する分析はできるかもしれないが、その本質に対する分析とはなりえない。
--------------------------------------------
ここから後は工業開発に触れており、ここでも凄まじい植民地経済の実態が暴露されているが、ここでは省略。農業開発のみに限定しておく。なお、<表7>の1910年と1941年を比較すると

朝鮮人農家の戸数は2,333,814戸から3,000,099戸に(約1・3倍)
日本人農家の戸数は2,132戸から6,775戸に増加している。(約3・2倍)
朝鮮人の農業人口は10,418,880人から17,077,223人に(約1・6倍)
日本人の農業人口は6,892人から31,921人に増加している。(約4・6倍)
 

おやおや

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)10時59分57秒
  一部について白旗をあげ始めたようだな。「条件付き降伏」か。しかし、そうはいかない。
それでは、折角まとめた文章があるから、提示しておこう。長いけど、ちゃんと読め!
 

あの間違いなのはまっぺんさんの読み取りであって

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)10時48分6秒
  資料ではありませんよ。

ただ、所得については経済学的な計算ではないので、経済学的には意味はありません。
と申しているだけです。

そんなこと論者が一番よく知ってますよ。

この論文の評価も一番最後についていたはずです。読んでみましたか?

その上で仮説的取り組みということがまったくわかってないんですね。
あの論文は事実というものを作り出すための取り組みなんです。

耄碌だけはしたくないですね。
 

ごめん。まっぺんさん、

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)10時45分28秒
  あの、私、今、引き上げ関係を一生懸命洗っていて、脇の話、本当に斜めに読んでた。

で、何の資料をいっているのか、とんと読み直したけれど、わからないや。
そもそも、所得が高くなったなんて言ってないから。

 なぜ、人口流出が起こったのか。なぜ、小作農が増えたのかは言及した。

 それにつけくわえることがあるとしたら、近代化初期において日本でも同じ
 ことは起こってる。ってことぐらいかねえ。

何を証明してほしいのか、はっきりさせてください。
私はずっといっているのは、食糧危機はなかったということです。
朝鮮人農家が豊かになったなんて言ってませんよ。
言ってないことを証明しろと言われても無理です。

 その上でその貧しさの根拠をきちんと説明してます。
 資本主義そのものを知らなかったこと。経営概念が無かったこと。

金は借りたら返すのが一応道理です。
(貸す側が強制するルールですが、借りたい側は貸してくれないと困るので合意する
 しかないですよね。)

今や土地簒奪は神話だってことに韓国の学会でも堂々と論述されているんです。
どうして、当事者である日本でこんな神話を成立させたがっているのか不思議です。

あと、資本主義って適者生存が原則ですよね。まっぺんさん。
だからこそ、あなた方は人を能力で分けるものとしてそれを批判してるんじゃないですか?
(本来は外と内を分かる右翼からも内の分裂を生むものとして資本主義は批判されなきゃ
 いけないものですよ。あー自由主義者の私は右翼でも左翼でもない。その意味では
 本当にご都合主義、でも、それが自由主義なんだからきちんと表明している。
 資本主義をある程度擁護する立場ではあります。規模の問題だとしてしまうんですね。
 でも規模がコントロールできるのかという議論になれば、降参するしかないでしょう。
 そのようなコントロールができないからこそ資本主義なんですもんねえ。)

では、資料の海に沈んでます。ああ、浮かんできますよ。
庶民なんて信用しないというお土産をいっぱいもってね。
なんだか、この頃、あの古臭いオルテガと一緒に飲みたい気持ちになることが多いですよ。
 

いいからおまえは

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)10時42分41秒
  さっさと証拠を出せ!

一度出したデータを「間違いだ」と言えるのは
それ以上に説得力のある「別のデータ」がある場合だけだ。
それを出さない限り、お前の「まことに適切」な資料は今も有効なのだ!
そんなこともわからないのかね? どうした?
どこまで見栄を張るつもりか、観察しているぞwww
 

とほほさんは私も良く知ってます。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)10時32分58秒
  ねえ。
にゃにゃにゃにゃさん。
ん。

…。まあ、いいか。
 

いえ、こちらこそ

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)10時31分4秒
  放置しててすいません。もっと早く言ってあげれば良かった。(=^^=)/  

注意をありがとうございました

 投稿者:三ノ窓  投稿日:2010年 7月31日(土)10時28分13秒
  故人に対して失礼ですから「とほほ」さんの名を使うのはやめます。
注意をありがとうございました。
 

とほほさんという方は実際におられました。

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)10時24分15秒
  その方は緻密な証拠を元に、中途半端な人をやり込めていた。
「9・11ヤラセ論」を語る「トンデモ」な人とのML上でのバトルは見事なものでした。
しかし、昨年お亡くなりになったそうです。あ呆ごときに、その名はもったいないですよ。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-October/001797.html
 

断末魔の叫び

 投稿者:三ノ窓  投稿日:2010年 7月31日(土)10時02分42秒
  屁理屈を述べ続けて、自慢げに出したはずの資料が自らのとどめをさしてしまった「あ」=「とほほ」さん。

普通は言動の積み重ねで信用を得るものだけど、話せば話すほど信用を失う人はめったにいないですよ。
 

只の「拡声器」と喝破されちゃった御仁

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 7月31日(土)10時00分56秒
  が今度は「拡声器」ならぬつぶやきだとさ。www
 拡声器だったりつぶやきだったり、忙しいことだね。ww

 で、また言うよ禁煙禁煙とね。プフッww(禁煙=放置プレイ実はつぶやき?
拡声器?遁走プレイww)

 なんだかなあ。ww
 

どうやら資料などないようだなw

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 7月31日(土)09時37分51秒
  悔し紛れの負け惜しみの駄文など、いくら書いても、なんの説得力もない。
あ呆のタワゴトがどこまで続くのか、とくと拝見しよう。www
 

これって

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)09時01分24秒
  死刑反対論者が

秋葉原事件の犯人が
死刑にされたときに
悪いことをしたから仕方ない
ということと同じである。

死刑反対というのは何かに対するポーズであり、
実際の死刑に対する評価は全く異なっている。
これをご都合主義、オポチュニズムというのでは
ないか。
 

本当に日本人は馬鹿になったのか

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 7月31日(土)08時58分16秒
  戦争が起これば何をしてもよい。
戦争は不法な状況なのだ。
そう考える日本人が存在するとしたら…
これは恐ろしい。

なんという無知で、なんという不遜だろう。
法が自己の外部だけにあり、裁かれるからしないのだ…。
違う。
罪を償わせる具体的な手段がないから、裁くのだ。
法を共有することができなかった悲劇を常に社会のものに
するために裁判は行われる。

検視官なるものはやっぱり道義ということを
まったく考えてない。
犯罪者の砦が愛国心、愛国者ということだと
いう意味がわかってない。

繰り返していう。
間違っている。
少なくとも、人を殺す自由はないという主張をしていた
まっぺんさんが人を殺したり、人を犯したりした事実を
根拠にして<日本が悪いことをしたから>などという
ことは絶対に間違っている。
それを言えば、人を殺す自由、人を犯す自由に正当性
を与えてしまう。
私はそういう自由はあるといった。
しかし、それを正当だとはいわなかった。
むしろ、そういう自由を無くせないからこそ、
それを裁くという法が打ち立てられている。と
説明したのだ。

自分の主張のためなら、道義も曲げるなら、それこそ
曲学阿世の徒である。
 

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