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あ呆は「人口増加」を朝鮮人の米消費減少の「原因」とする。では実際に統計数字を比べてみよう。
以下は朝鮮総督府の調査結果を基にした資料だが、次のようになっている。
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年次 日本に輸出 朝鮮人一人当た 日本人一人当た
(1000石) りの米消費量(石) りの米消費量(石)
1912 │ 2,910 │ 0.7724 1.068
1917 │ 1,296 │ 0.7200 1.126
1920 │ 1,750 │ 0.6301 1.118
1922 │ 3,316 │ 0.6340 1.100
1924 │ 4,722 │ 0.6032 1.122
1926 │ 5,429 │ 0.5325 1.131
1928 | 7,405 | 0.5402 1.129
'31-34 8,456 0.4059 不明 (年平均)*
資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし
*印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版
次に当時の朝鮮人の人口増加についての調査資料だ。
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1717年 1500万人(朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年 1600万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年 1804万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年 1650万人(嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年 1689万人(崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1906年 980万人(警察調査まま)
1910年 1631万人(警察調査1313万人からの推計)
1915年 1703万人(警察調査1596万人からの推計)
1920年 1763万人(警察調査1692万人からの推計)
1925年 1902万人(警察調査1854万人からの推計)
1930年 2044万人(警察調査1969万人からの推計)
1935年 2221万人(警察調査2125万人からの推計)
1877年までの調査はすでに説明したように人口戸主の数であり女・子どもの数は含まれていないので、
そこから推計している。その中で明らかに1906年のデータはおかしい。これは当時、朝鮮全土で義兵がおこり、
抵抗闘争の中での調査であったため、まともな調査ができなかったと考えるのが妥当だ。
なお、「1石」とはひとりの人間が1年間に食べる米の量とされているから、
日本へ輸出した米の量を「人間の数」に置き換えることができる。
人口増加率と比較すると次のとおりになる。
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年次 日本に輸出した米の量 前回と比較した増加量 人口の増加
1912 │ 291万人分
1915 │ 5年で 72万人
1917 │ 129万6千人分 5年で-161万4千人分
1920 │ 175万人分 3年で+ 45万4千人分 5年で 60万人
1922 │ 331万6千人分 2年で+156万6千人分
1924 │ 472万2千人分 2年で+140万6千人分
1925 │ 5年で139万人
1926 │ 542万9千人分 2年で+ 70万7千人分
1928 | 740万5千人分 2年で+197万6千人分
1930 │ 5年で142万人
'31-34 │ 845万6千人分 1〜4年で+105万1千人分
以上は「米の増加量と人口の増加量を比較したものだ。
ふたつの資料の統計年がちがうので完全に同じ比較はできない。また1912年には大量に輸出しているので
5年後の輸出量は減少となっていることは考慮しなければならない。緊急対策として大量に送ったのだろう。
また、この米輸出の統計資料が、毎年輸出されている中から一部を抽出した数字なのか、それとも
2〜3年毎にしか輸出されなかったのか不明だが、もし2〜3年毎なら1912年から34年まで
(31年から34年は毎年輸出され、その平均値)を合計すると6065万2千人分の米が日本に輸出された事になる。
これは25年間で約500万人増えた人口と比較すれば、ほぼ同等の数字となる。またその間に増産運動が行われ
収穫量が約2倍となったと記録されていることからも相当の増産となったことが窺われる。
しかしそれでは朝鮮人の米の摂取量の減少を説明できない。したがってこの数字は毎年の輸出の中からの抽出と考えるのが妥当。
そこで輸出量の伸びを見れば、人口の伸びは5年ごとに60万〜142万人であるのに対して米の輸出量の伸びは
2年〜3年毎に45万〜197万人分。5年毎で比較するなら200万〜300万人分も輸出量が増え続けている。
もしも米の増産がそれを上回っているのなら、朝鮮人の米消費量が減少するのはつじつまが合わない。
したがって、朝鮮人の米の消費が減ったのは「人口増加が原因」とする「あ呆説」はデマ。飢餓輸出が原因という事になる。
なお、朝鮮農民の当時の生活についてNHKの番組を見た半月城さんが以下のように解説している。
これをみても、「農民が自主的に換金用に食べる分以上の米を売った」などというあ呆の妄想には根拠がなく、
むしろむしり取られていった朝鮮農民の姿が浮かび上がる。
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そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。番組では産米増殖計画の歴史的背景
や実施状況などをつぶさに検討し、あわせてこの政策を直接体験した農家の窮
状を具体的に紹介していました。
それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。
しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した。
これではとうてい食べていかれないので、農民は知恵を絞って米を土の
中に埋めたり隠したりするのですが、冷酷な借金取りもさるもの、鉄棒で地面
をつついてまでそれを見つけだし有無を言わせず持ち去ったとのことでした。
このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内
地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の
身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
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