|
ユリイカ!
ずっとひっかかっていたことがやっと解けた。
まっぺんさんたち(新左翼世代)の変なご都合主義がどこから来ているのかだ。
それは<暴力への対応>だ。国家にしろ、権力の源は暴力である。そして、各個人がこの暴力を振るって己の意を通しあっていくというヒエラルキーの作り方は一番納得はできるも
のの不安定である。(流動的ってことね。)
いつ、どこで、時期チャンピオンを決めるゴングが鳴るかわからないし、その都度だれもが痛い思いをしなければならない。
でもって、まあ、あれですよ。何だかんだ(ヨーロッパなら自然状態からの離脱ってこと
での契約社会への移行ってことになるわけだけど、やっぱり、うさんくさいでしょ。)で個々人の暴力を封印し、群れとしての暴力を他の群れに向かって振るうようにしようってな
ことになって、初めて権力(正当な暴力の主体)が誕生するわけだ。
でこの同一群れの内部で暴力は定められた手続き(儀式)で定められた人間(階級)が行
うというシステムができあがる。これはまさにどの集団…というか集団ならすべての集団が
もっている仕組みだ。(というかこの仕組みをもつことで初めて集団になるのだから、トー
トロジーだね。)
で、新左翼世代は暴力によってしか実は何も変わらないことを知っている。
けれど、暴力によっては何も救われないことも知っている。
なのに、何かを変えたい。変えなくちゃいけない。少なくとも、変わるべきだと思ってい
る。
だから、最初の一人にはなりたくないけど、集合的暴力の行使が行われることを
夢見ている。(それは無法じゃんか。まっぺんさん。)
「あいつをつるせ」という声が叫ばれることをただ待っている。
だから、暴力への態度がご都合主義になる。あいつをつるすための暴力を正義といい。
あいつをつるさないための暴力を抑圧という。どちらも暴力には変わりない。
わかってみればなんとも身勝手で小さな心の動きではないか。
お祭りがしたくてしたくてしたくてしたくてたまらない。
かつての再来を待ち望んで…
ゴドーなんかやってこない。
あのときも再来しない。
歴史は繰り返さない。
繰り返したようにふるまいたい人間がいて、
繰り返したように物語る人間がいるだけだ。
あーあ。いと小さきものよ。
|
|