世界のゲーム業界では、日本を「ガラパゴス諸島」に比喩されることがある。おそらくは世界的な傾向や嗜好には合わない全くかけ離れた進化をした姿があちこちで覗える為だろう。
東京ゲームショウも同じだ。あえてChinaJoyやG-STARといったオンラインゲーム中心のイベントと比較する必要はなく、ドイツのGames com、アメリカのE3等と比較しても東京ゲームショウの位置付けは明確だ。東京ゲームショウでは他のゲームショウでは感じる事が出来ない極度の「コンソール意地主義」が裏にあるのだ。
イベント会場に行けば、派手なグラフィックを誇るコンソールゲームが四方を彩り、美少女マニアを引き付ける可愛らしい女性キャラクターが目をパチパチさせながら踊っている。一方では相当な破壊力がうかがえる武器を持った戦士がモンスターを狩ろうと準備をしている姿が大画面に映し出されている。
この様な姿は東京ゲームショウが初めて開かれた時から大きく変わっていない。当時東京ゲームショウと言えば全世界のゲームトレンドを伺える場所だったが、10年余りが過ぎた今は、今後の心配をしてしまう姿に映ってしまう。
出品されるゲームの相当数は一部の美少女マニア達をターゲットとし、多くの開発会社がシリーズゲームを作って大々的に広報している。ジャンルの固定化と美少女ゲームの氾濫。偶然の一致かも知れないが、一世代のコンソールゲーム機が寿命を迎えようとする時現れる典型的な現象ではなかっただろうか。
すなわち今回の東京ゲームショウを見る視線には“面白い!これこそが本当のゲームだ!”という様な歓声よりは“日本のゲーム業界はこのままで大丈夫なのだろうか”といった感じが濃厚に見えていた。
東京ゲームショウの変化は今後も容易ではないと予想される。東京ゲームショウの主催はCESAすなわちコンシューマー協会だ。コンソールの為に作られた協会が主催するゲームショウは今後もコンソールゲームを中心に構成されていくだろう。イベント会場の片隅に置かれたモバイル館やブラウザゲーム館はCESAの立場での最小限の寛容であるのかもしれない。
また、東京ゲームショウで覗くことができるのは日本人特有の確認主義だ。十分な書類で事前登録をしていても、別にプリントをもちいちいち確認を行う不便さだ。東京ゲームショウにChinaJoyくらいの多くの人数が集まる事になった時、入場するだけでも4時間はかかるだろう。
本来ゲームショウというのはブースを整えた開発会社の新作ゲームを見る席ではない。その開発会社の今後のビジョンを見る為のものだろう。そういったビジョンを今の東京ゲームショウでは残念ながら感じることが難しい。多くの人々が新作ゲームを楽しんで満足している姿を見ると本当にこれでいいのだろうかと考えさせられてしまう。
モバイルでもオンラインでも日本特有の進化でも良い。来年でも再来年でも、日本のゲーム業界が今とは違う新たな突破口を作りだす事が重要だと思える。今後の東京ゲームショウでかつて「ゲーム王国」であった日本がその時の地位を取り戻す日が来る事を切実に願う。
資料提供:GAME DONGA
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