映画「ワルボロ」(07年)でのデビューという順調なスタートを切り、映画「ドロップ」(品川ヒロシ監督、08年)での赤城役に抜擢され、鮮烈な印象をスクリーンに残した。以降「夜光の階段」(09年、テレビ朝日)、「ギネ 産婦人科の女たち」(09年、日本テレビ)とレギュラー出演を果たすなど深夜舞台の特攻隊長らしくと勢いよく階段を駆け上がっている。

  スポーツが大好きなやんちゃ小僧だった。小学校時代からスキーとラグビーを始める。体育会系の人付き合いが自然と体になじみ、幼くして将来は会社勤めには馴染まないだろうとの展望を持つ。
  中学でもスキーとラグビーを掛け持ち、高校はラグビーに専心する。しかし、怪我が耐えないスポーツであることと、大半の時間をスポーツに費やしてきたことを省みて、他の生き方を模索しようと大学では一切のスポーツを止める。しかし、休みもなく練習に明け暮れてきた生活の反動から、余暇の過ごし方も分からず、遊びに精を出すが、1年も経つころには物足りなさを感じる。そこで、イベント制作会社でバイトを始め裏方として働く。
  大学生活と平行して卒業までバイトを続ける。卒業を控え、間を置かずに働くことに抵抗を覚え、新たな世界を経験する時間を求めて1年間米国に留学する。
  そうした生活を経て自立心が芽生え、帰国の後、将来を決めることに。創作に携わる人達と多く関わってきた経験からその道に興味を覚えるようになり、裏方から見つめてきた世界の表側に立ってみたいとの思いから役者の道を選ぶ。
  数々の事務所に応募し、24歳の時、現事務所への所属が決まる。最初の1年間は、それまでまったく演技経験がなかったことから、UPSアカデミーに通う。1年間の受講を経て、卒業公演に出演。20数人いるクラスの中から主役に選ばれ、初舞台を踏む。そこで感じた達成感、スポーツの世界にはなかった感覚に喜びを得る。
  その後、初めて受けたオーディションで映画「ワルボロ」のメーンキャストであるテッパン役を勝ち取る。初めて踏んだ役者の現場で得た充実感が俳優業への思いを確固たるものにした。
  数々のドラマへの出演も果たし、虎視眈々とチャンスを伺う。そして大きな転機となった08年の映画「ドロップ」のオーディションに臨み、圧倒的な倍率の中から大役を勝ち取る。それまでにない大役であり、責任のかかる役を演じることの充実感を覚える。
  08年の1月、新年会で顔を合わした一雫ライオン、高山猛久の2人から深夜舞台の結成を持ちかけられる。当時は名称どころかなんら企画もなかった。それまで事務所の先輩と深く関わることもなかったため、面白みを覚えて迷うことなく参加を決める。最年少ながら企画の立案に積極的に関わり、深夜舞台の若き推進力となっている。(文 マツ大松)