第23回 プロレスのマスクとペイントについて (2)
前回は、プロレスのマスクとペイントについて、お話し致しました。今回も続きをお話ししたいと思います。普通の人もたまには、マスクやペイントする時間も必要です。しかし、基本的には、見ての通り人間は、特に男性はメイクをすることは、一生無いかもしれませんし、本当に弱い存在です。誰もが生まれたときは、そんな弱い存在として生まれてきます。そして、一生過ごします。平岩先生の講義でもお話しされていましたが、もともとまだ神々しかいなかった太古の時代から奉納という形で、プロレスが存在しました。そこでは、人間だけでなく、いろいろな存在たちが、一緒に戦いました。交わる度に光が生まれ、それが見ている者たちの命になりました。それを見ていた人々が、まねをして生まれたのがプロレスであり、相撲でした。今は、相撲の方が、神々に捧げる神聖なものとされていますが、実際はプロレスの方が、完全に近いので、なんだかおかしいとも言えます。神々は、みんなに命を与えるために奉納である『プロレス』をしていただけでなく、みんなに同じことをしてほしかったのです。プロレスをするものだけが、大役を任されているのではありません。人として肉体を持って生まれてきた限り、触れ合って交わっていかなくては、何も生まれません。誰もが小さいうちからプロレスをしなければなりません。そうでなければ、プロレス的生き方など出来ないのです。プロレス的生き方イコール人として思いやりのある生き方です。上手い人のプロレスを見ているとそれだけ、怪我の無いように心配りが出来、相手を上手く生かしていると感心してしまいます。小さいうちから見ていれば、大技ばかりに目はいきません。自然に怪我のしないお互いに交わる流れるようなプロレスを学びます。理屈を超えて、試合全体から発せられる『プロレスの生き方』だけが、体にしみこむのです。大人になってからでは遅くて、間に合いません。そんな人は、大技ばかりに目がいき、派手な痛いパフォーマンスの刺激を求め、エスカレートしていきます。そんな大人も子供もプロレスをするしかありません。しかし、今、現実的には危険ですので無理です。是非、プロレスラーの方の赤ちゃんから始められるプロレス教室開講が、急務です。小学校から学校の体育の授業で、『プロレス』を正式に検討すべきです。そうでなければ、絶対にいじめも学級崩壊も無くなりません。
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