2010年9月17日0時2分
円高対策に政府・日銀がようやく重い腰をあげた。しかし遅きに失し、工夫に欠ける。この間の優柔不断、無能無策ぶりは目に余るものがある。民間ではあり得ないことだ。
業績が悪化した時、迅速有効な対策の打てない経営者は退陣あるのみだ。「打つ手が限られている」などと口走ろうものなら物笑いの種になることは間違いない。国の経営も同じことだ。「効果ある対策がうてない」政府・日銀は何らかの責任を取るべきである。
思い起こせば明治以来、「お上」の名のもとに無謬(むびゅう)を絶対としてきた無責任体制は、軍部の没落を除いて、いまだに続いている。政府・日銀が自らの無能失政の責任を取ったことは、寡聞にして聞いたことがない。
彼らの長きにわたる「無為」の根拠は企業業績は悪くない、というところにあったようだ。言語道断である。円高に対処するために企業は血のにじむような努力を続けている。結果としてこの国のデフレを助長し、中小企業の経営を大きく圧迫しているのだ。
さらに悪いことには持続する円高は大企業の海外移転に拍車をかけつつある。このことは日本の将来にとって由々しき事態を招くことは間違いない。この国は今、かつての「ジリ貧からドカ貧」への道を再び歩みつつある。国民はたまったものではない。学者は学者で「企業は円高に対処できる体制をつくれ」などと、まことに気楽なことだ。
敢えて言う。目標は1ドル=100円。この目標に向け早急に施策がうてないなら何のための存在か。政府・日銀の責任が問われても仕方ないであろう。日銀や官僚の独立性が保障されているのは政策実行のためだ。自らの無策無能を覆い隠すためではない。(可軒)
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「経済気象台」は、第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆によるものです。