医療崩壊を煽る医療ジャーナリスト伊藤隼也の、とある真相追究

(敬天新聞2010年1月号)

医療ジャーナリストの医療業界での評判→ ?

取材受けて喋ったことが歪曲されて報道される
 医療ジャーナリストという肩書きでマスコミの医療崩壊報道の先頭に立ち、厚労省や公立・大学病院などの徹底糾弾キャンペーンを繰り広げている伊藤隼也(しゅんや)氏に取材を受けた事のある医師の言葉だ。
 はじめに「結論」ありき―取材対象から結論に向うために必要なキーワードを拾う事に終始し、そのキーワードおよび類似語が出てくると、それが違うことをさす言葉であっても、結論に呼応する表現になるよう「脚色」してしまう―これは医療業界に詳しいジャーナリストの方の冷静な視線による伊藤氏評。
 元々が水着アイドル専門カメラマンだけあって、「バラエティ脳」なのかも知れない伊藤氏の取材と報道は、医療業界においては「取材記事」じゃなく「脚本」として蔑まれ、名医といわれる諸先生方は総じて伊藤氏からの取材は拒否するそうだ。
 名だたる名医は取材拒否?なのに、なぜ、伊藤氏は「最強ドクター治せる!108人」とか「最強ドクターの奇跡 」といった書籍を執筆しているの?と医療業界人に問うと、爆笑して「あれは医者の『宣伝本』だよ。宣伝して客(患者)を増やしたい医者は機会さえあれば臆面もなく手術自慢するでしょ?」と言っていた。
 一般の人は医療業界のリアルな伊藤氏の評価を知らない。またマスコミや週刊誌は故意か過失か知らないが、今はまだ、伊藤氏の業界内の専門評を無視し尖兵かつ「専門家」として使っている。

「結論ありき報道」は、医療現場で蔑視の対象

 伊藤氏の医療批判は「善と悪」の判断がハッキリしている。そして医療という「人助け」の中で細心の注意を払いながらも謝って事故を起してしまった医師を、伊藤氏はシンプルな脳みそで「悪」と定義づけ徹底批判する。それが実に徹底しているから読者・視聴者は伊藤氏の美辞麗句に耳を傾け、無警戒に扇動されてしまう。
 しかし伊藤氏が週刊文春やら新潮やらテレビやらで騒ぐ医療崩壊の報道には、ほとんど「深層まで突っ込んだ取材」がされた気配がない。
 伊藤氏は医療現場の方々から医療ジャーナリストを名乗るワリに医療現場についての知識が貧困と軽視されているそうだ。つまり伊藤氏には、医療崩壊の深部を追及できるだけの「現場での人望や職員らとの信頼関係」がなく、事件を深く掘り下げるために医師・看護師とまともに討論できるだけの「医療知識」もないわけで、取材は困難を極めるはず。
 であるから、バラエティ番組やゴシップ記事で取り扱うレベル――事件の表面をなぞり、他局や他誌より激しく対象を批判するだけで『事件の深層に潜む本当の社会問題』には手も届かず、存在にすら気がついていないかも知れず、「自分が欲する結論」先行の、糾弾対象に対する憎悪を増幅させるだけの偏向報道ばかり――なのも当然の事かもしれない。

マスコミの用意したシナリオを「より過激」に

 事件の深層を追究せず(あまり深くも考えず)、クライアント兼「総監督」たるマスコミに依頼され、「巨悪たる大病院や厚労省に立ち向かう庶民派『医療ジャーナリスト』伊藤隼也」というシンプルなシナリオを作り、自らも役割をオーバーアクションで演じる。
 監督(たるマスコミ)の指導を一心に鵜呑みにし、「被害者代表」の演技を続けるから、観客たる視聴者や読者は雰囲気に圧倒され、用意された勧善懲悪をとりあえず感受してしまう。
「とりあえず、行政とか箱モノとか大病院とかを叩けばいいだろう……」こういう発想は、テレビのバラエティ番組の制作者や、マスコミの下請け制作会社の取材クルーが一過性の特集として考えるなら許される。
 しかし、自分から医療ジャーナリストを自称している人間が、「医療ド素人」である取材クルーと同一の目線しか持たず、しかも取材クルーの補助的なリサーチ能力しか備えぬまま、専門家のような口で業界を斬ることは、一般大衆に非常に医療業界への誤解を与え、結果、医療の現場にとっては大変迷惑な話なのである。
 医療ジャーナリストたる伊藤氏を頼るマスコミには、それでもイノセントな面がある。医療専門のメディアではない週刊誌やテレビが「医療事故」を報道する時は、自分達の報道姿勢だけであれば「事件報道」であるから、警察に逮捕された方が悪≠ニいう単純な見方しかできない。であるからこそ、自分達の過当報道を修正してくれる豊富な知識を持つ「プロ」としての「医療ジャーナリスト 伊藤隼也」を期待したのだろう。
 しかし伊藤氏自身が「元々バラエティ側の人間」であるからか、役割を勘違いして、軌道修正どころかマスコミの事件報道を、さらに過激に扇情的にする事に執心してしまい、冷静かつ詳細な法的調査などが蔑ろにされているのが現状。
 以上のように、マスコミが「医療崩壊の現実」を調査せずに、ドラマチックな事故の被害者感だけを大衆目線のつもりで煽るごとく報道し、医療に詳しくもないバラエティ出身の人間にチンドン屋の先頭の太鼓持ちをさせ「医療現場は悪の温床だ!厚労省は怠慢だ!」などとしょうもない喧伝を続けてさせてきたために、今、地方を中心に「本当の医療崩壊」に悩む病院経営陣の方々が増え、マスコミが引き起こした医療崩壊≠ェ深刻化してきている。
 医は仁術と志高く業界を目指した若者も、ちょっとしたミスで袋叩きに会い、過失による一度の失敗で二度と憂き目を見ることができそうもない医療業界に対するマスコミの監視網を見せつけられては、飛び込む勇気すら失墜する。これからの人手不足は明らかにマスコミ災害と言える。

医療のプロには噴飯ものの「医療セミナー」

 伊藤氏はスポンサーになるような病院やらマスコミを探すためか、機を見るに敏なのか知らないが、医療崩壊をマスコミがクローズアップしているいま現在、頻繁に医療崩壊の危機を危ぶむセミナーで講演をしている。
 筆者の知り合いも個人でこれに参加したり所属企業の意向で参加された方がいる。いずれも医療のプロフェッショナルである。筆者の知り合いの方々は伊藤氏の講演を途中で退屈になって中座したそうだ。周囲の席にも、伊藤氏の講演内容に痺れを切らすプロが見受けられたようである。
 しかし内容が「最悪」だった訳ではない事は保証しておく。一般の医療素人の参加者にとっては「医療業界の暴露話っぽい秘密めいた興奮」を味わえるセミナーだったんじゃないか、と知人も言っていた。
 ただ、医療のプロ達にとっては、余りに伊藤氏の医療に関する知識が素人ノリ過ぎて、「役所主催の無料の市民セミナー」ならいざ知らず、医療業界の専門家も来るだろうと予想されるセミナーに、テレビで報道された事件を面白おかしくはやし立てる程度のパフォーマンスで向かうというのは余りに手抜き、ないしは浅はかなのではと不快さを覚えたそうなのだ。
 ちなみに伊藤氏のセミナーの視聴者の中心は、一般の素人で医療崩壊を嘆く人達だそうである。そういう人達であれば、伊藤氏の「国がダメだ!国公立病院はダメだ!医療の現場から世の中を変えよう!立ち上がろう!」みたいな『医療現場の真実』とは無関係の「アジテーション」的な発言の繰り返しでも、『自分の中のわだかまりを高揚させ、身体を震わせて感動して気分がリフレッシュできていいんじゃないかな?』と知人は分析していた。
 筆者としても伊藤氏の自ら名乗っている「医療ジャーナリスト」という肩書きには反論があるが、医療専門外の人達にちょっとした知識を与えたり、医療改革に興味を持ってもらう取っ掛かりには、このバラエティ感覚―大衆を感動させたり、悪役を必要以上に極悪呼ばわりする手法―もそれはそれでいいんじゃないかと思っている。

医療崩壊を煽るマスコミと、本当の医療現場との戦い

 そんな伊藤氏及びタッグを組む週刊文春に対し、「文部科学省/高等教育局医学教育課/大学病院支援室」が、いい加減で扇動的に危機感ばかりあおるデタラメ報道はやめろ≠ニ六月に抗議していた。
 しかしまあ、この文科省からの抗議を報道するマスコミは少なかった。まだまだ医療崩壊の尖兵として使える伊藤氏のほころびをこんなとこで露呈させたくないからなのか。週刊文春に限っては、この抗議に対し、またも伊藤氏を使って「具体的な事務レベル」の反論をせず、感情的に「国が報道機関に介入した」みたいな子供じみた反論をしていた。
 文科省の言うとおり、文春の伊藤氏記事は非常に一方的に、「都立墨東病院」をはじめとした医療事故が起った病院、そして妊婦受け入れがかなわなかった病院を徹底糾弾するものであった。
 筆者も医療分野の方々から、伊藤氏の医療業界での蔑視扱いの話と医療現場の真実を聞かなかったら、「本当に病院てのは殺人を平気でやるんだなぁ」と思わざるをえない、徹底した「断罪」内容だった。
 伊藤氏に限らず、ここ数年の医療崩壊を訴えるマスコミの論調は、一部の医療の専門メディアの報道を除いてほとんどが、「国や病院側が一方的な悪」として単純明快な水戸黄門的お裁きしかしてこなかった。
 その「被害」が糾弾された側の病院のみならず、国内の医療機関全体に波及している。
 過失致死の疑いを、真実である「善意無過失だった」とまで導くのは、やり手の弁護士でさえ頭を抱える難問だから、他にも事件を抱えるマスコミやバラエティ出身のジャーナリストにできる業ではない。
 反対に過失致死を「殺人だ」「重過失だ」等と大袈裟に訴えるのは、……当紙としても反省すべき点はあるが……要は、誰でもできる。
 当紙などは半ば「右翼団体が騒いでる」程度の信頼性しかない事もあり、それが医療業界に与える影響などないが、マスコミが作り出した「医療ジャーナリズムの雄」が同じ事を騒げば、その影響はマスコミによって更に増幅されることを考えても、甚大である。
 誰かが、「そこの知ったような顔して騒いでいるやつも、そう物知りな訳じゃないんだよ」という事を語らなければ、作り出された虚構によって、真実が破壊され続ける暴挙を止める事ができないだろう。

「医療ジャーナリスト転身」への切欠は…

 伊藤氏が「医療ジャーナリスト」を名乗り始めたのは、伊藤氏が言うところでは、「自分の父親が医療事故で命を奪われたから」だそうだ。
 ところで、本紙では伊藤氏が医療ジャーナリストを名乗る切欠となった、伊藤氏の御父上が本当に医療事故で亡くなったのか、それともそれまでアイドル水着のカメラマンだった伊藤氏と周辺人物が親の死からこじつけて「医療ジャーナリスト」という新分野を作ったのかの真相を調査しているところだ。
 この切欠となった「死亡事故?」に関しては、どのような些細な事でも結構なので、「思うところある」方がいれば是非とも本紙編集部までご連絡をいただきたい。

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