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元米兵捕虜:公式招待で来日 外相謝罪、強制労働の企業は沈黙 和解へ政と民に温度差

 第二次世界大戦中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となり、日本などで強制労働に従事した元米兵捕虜6人とその家族が今月中旬、日本政府の初の公式招待で来日した。米国の元捕虜を招待するのは初めて。日米間では、ルース駐日米大使が今年8月の広島の平和記念式典に出席するなど、「心の和解」に向けた取り組みが始まりつつある。ただ、岡田克也外相は13日の面会で「より良い日米関係を築くためのきっかけに」と呼びかけたが、強制労働の問題では元捕虜を使役した企業の多くは沈黙を続けており、和解に向けた姿勢に温度差も残る。

 「共に苦しい体験をしたが、生き延びたからこそ会えた。平和の尊さを語り継いでいかなければならない。その思いを改めて強く感じました」

 今月14日午後、元米陸軍兵でフィリピン・ミンダナオ島で旧日本軍の捕虜となったエドワード・ジャックファートさん(88)とジョセフ・アレクサンダーさん(84)は、山梨県忍野村を訪れ、シベリア抑留を経験した元陸軍少尉、渡辺時雄さん(93)と互いの捕虜生活を語り合った。

 元米兵捕虜の初の招待は、「日本に特別な感情を持つ米国人元戦争捕虜らを招へいし、心の和解を促すこと」(外務省)が狙いだ。

 ただ、元捕虜は、強制労働での謝罪を得ることを来日の目的の一つにしてきた。ジャックファートさんは「日本人に恨みはない。ただ、ひどい扱いを受けたことを忘れることはできない」と話す。

 POW(戦争捕虜)の資料などを集めている「POW研究会」によると、旧日本軍はアジア地域などで捕虜にした連合軍兵士約3万6000人を日本に移送、約130カ所の収容所で労働力不足を補うため鉱山や造船所などで強制労働させた。約3500人が虐待や病気などで死亡した。

 大戦中に日本が被害を与えた国については、95年度から10年間、ホームステイなど交流事業を盛り込んだ「平和友好交流計画」を実施。英国やオランダなどの元捕虜が招かれたが、米国の元捕虜は対象外とされていた。

 米国では90年代後半から、元捕虜が日本企業に賠償や謝罪を求めて相次いで提訴。外務省関係者は「日本も米国による原爆投下などで多数が亡くなった。提訴が相次ぐ中で、和解をという雰囲気にならなかった」と話す。

 当時の柳井俊二駐米大使は00年6月の記者会見で「日本側にも言いたいことはある。(ただ)それは言わない方がいい。ふたを再びあければ、大変なことになる」と発言した。

 一連の訴訟は、個人の賠償請求権の放棄を定めたサンフランシスコ平和条約を理由に原告の敗訴が確定。元捕虜が謝罪や賠償を求める法的な道は閉ざされた。

 昨年5月、フィリピン・バターン半島で米捕虜ら多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者らでつくる元米兵捕虜団体(解散)の会合で、出席した藤崎一郎駐米大使が村山談話を引用する形で初めて日本政府として公式に謝罪。外務省関係者は「過去は過去として一歩踏み出すべきだと考えた」と話す。今回の元捕虜の来日でも、岡田外相が「非人道的な扱い」に改めておわびを表明、元捕虜は謝意を示した。

 一方、元捕虜を使役した企業側の多くは沈黙している。元米兵捕虜団体の元会長で、「バターン死の行進」後に九州の炭鉱で強制労働させられたレスター・テニーさん(90)は09年など数回、かつての使役企業が加盟する日本経団連に解決を求める手紙を送ったが、返事はなかったという。【隅俊之、春増翔太】

毎日新聞 2010年9月17日 東京朝刊

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