きょうのコラム「時鐘」 2010年9月17日

 首相の座を巡る戦いが終わり、今度は論功行賞という戦後処理である。まかり通るのは、勝てば官軍というおきてであろう

戊辰(ぼしん)戦争の激戦地・会津若松で、観光ガイドにしかられたことがある。白虎隊などの悲劇の歴史を聞かされて「官軍の攻撃」と口にしたら、「官軍じゃない。西軍と言いなさい」。旧幕府軍は東軍と呼ぶ。会津人は硬骨漢である

ガイドから「どこから来られた」と尋ねられた。北陸の名を出すと、ねぎらわれたが、そう問われても言葉を濁す人たちが決まっているという。「黙っているから、逆に分かる」と、ガイド氏。会津の悲劇をさんざん聞かされては、「官軍」本家の薩摩や長州、土佐の人は名乗りにくかろう

戦い終えて、恨みやわだかまりがすべて消えるわけではない。水に流せる戦後処理もあれば、そうはいかぬものもある。遠い昔の戦でさえ、そうである

ガイドから維新後のことも教わった。西郷隆盛の乱のとき、旧会津藩士は兵士や警官を志願して鹿児島に出陣し、「戊辰の無念を晴らす」と奮戦したという。会津で聞いた「一兵卒」のことを、なぜか生々しく思い出す。