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[21803] みんなで、ゼーレを倒そう!
Name: ふたば草明◆c7ec2017 ID:79d97c37
Date: 2010/09/10 05:55
どことなく見覚えのある職員の先導で司令室へと続く廊下を歩く綾波レイは、自分の心が驚くほど穏やかに落ち着いているのを感じていた。

(何故…?)

そっと、自問してみる。
司令室で自分がどんな目にあうかなんて、分からない。
でも、そこで自分たちを待っている人たちの事は、本当によく知っているのだ。
にも関わらず、こんなに落ち着いていられる自分がとても不思議だった。

扉を開けた瞬間、葛城一尉に撃たれるかも知れない。私は使徒ではないから仇と見られる謂れはないのだけれど、彼女にとっては些細な事だろう。
あるいは、赤木博士に首を絞められるかも知れない。私は人ではなかったのだから妬まれるのは筋違いだけれど、理性で割り切れるものではないだろう。
そして…碇司令。私はあの人とは違うのだからそれを分かって欲しいのだけれど、彼の抱える妄執がそれを認めることをまだ許さないかも知れない。

(そこまで分かっていて、何故私は怖くないの…?)

自分には代わりがいるからだろうか、と少し自虐的な事を考えてみる。
いや、そんな事は関係がない。もし本当に殺されそうになったら、騒いで、抵抗して、逃げて、どんなにみっともなくても生き延びたいと思う。
それは即ち、今の感情に、今の記憶に執着があるという事の確かな証だ。次の綾波レイになって復活すればそれでいい、などとは到底思えない。

自分には感情の起伏が少ないからか、と寂しい考えも浮かんでくる。
だが、それもどうやら違うように思える。このやわらかな安堵感は、もっと生命としての根源的なところから来ている気がする。
例え恐怖感というものを自覚していなかったかつての自分であっても、この心持ちは変わらなかった事であろう。

では、あの終末で彼らの心を知ったからか?
それはある、と思う。
限りない弱さと果てしない悲しみを抱えた彼らに対して、怖れるのではなく優しさをもって接したいという思いを、レイは確かに感じていた。
それはもしかしたら自分の気持ちではなく、リリスの持つ母性の残滓なのかも知れないけれど。

(でも、本当にそれだけ…?)

「ここを曲がったら、すぐだよ」
職員の声に、レイの意識が現実に引き戻される。自然に、職員の後ろ、レイの前を歩いていた少年の背中に視線が注がれる形となった。
その視線を感じたのか、少年が振り向いた。

彼と…碇シンジと、目が合う。

(あ…!)

レイには、分かってしまった。
何故こんなにも心が穏やかなのか。
自分も彼も自我境界を保っているのに、まるで彼に包み込まれるような温かさを感じられるということ。
それは、碇シンジが自己を認め、他者を怖れず、生を厭わずに生きるという事を始められた証左なのだ。
姿勢が悪いわけではないのにどこか自信の無さそうな歩き方も、常に少し困ったような表情も、前と変わっていない。
けれども、レイにはその変化がはっきりと感じられた。

ほんの一瞬の視線の邂逅の後、シンジはやっぱりちょっと困ったような…それでいて優しい笑顔をレイに向け、すぐに前を向いて歩き始めた。
レイも、後を追って歩みを進める。

ここへ至るまで、まだレイはシンジと全く話をしていない。
司令室にて待機という命令を無視して、メインゲート前で彼の到着を二時間近くも待っていた。
葛城一尉がどこにも出かけていないのは人づてに聞いていたから、電車を乗り継ぎ、徒歩でやって来るだろうと当たりをつけていたのだ。
果たしてシンジが僅かな手荷物を持って現れたその時、レイは自分でも正体の分からない感情が体中を駆け巡るのを感じた。

走り寄って、彼に抱きつきたい。
今の私の最高の笑顔で、おかえりなさいって言いたい。

訝しがられるわけにはいかなかったから、もちろん人の目が有るところでそんな事はしなかったけれど。
恐らくは同じような考えだったのだろう、シンジも控えめにレイに手を振っただけだった。

だから、レイにはシンジがどんな気持ちでここへと帰ってきたのか分からず、それが最初とても不安だった。
自己を認められず、ただ流されるままに全てを繰り返そうとしている?
他者を怖れて、愛されることを拒んで全てを裁こうとしている?
それとも、生を厭うあまり、死と終末への衝動のみに突き動かされている?
自分に手を振ってくれた程度では何も分からない。どれも十分に有り得る思考なだけに、レイは本当に心配だったのだ。

だが。

シンジはほんの少しだけ心を開いて、帰ってきた。
後ろについて歩いていただけでいつの間にかレイの不安は霧散し、心は穏やかさのみで満たされていた。
別に特別な力ではない。シンジは心を開いて、群体の中の個という存在のまま進化を遂げたかも知れないけれど、それでもちっぽけなリリンに過ぎないのだ。
まだ会話もしていないけれど、レイにはそれがとても嬉しいことだと感じられた。
彼が心を開いたことが。そして何より、彼が人という殻を捨てなかったことが。

「さあ、ここだ」
職員の足が止まる。レイはもちろん、シンジにとっても初めてではない司令室の扉。
この奥には、葛城ミサトが、赤木リツコが、碇ゲンドウがいる。
でも、何も怖くは無かった。

(きっと、全ては変えられる)

自分とシンジだけではない。ネルフの皆が、第3新東京市の皆が、そして世界中の皆が心を開いてくれる日が来ると、レイには確かに信じられた。

「失礼します。ファーストチルドレンと例の少年をお連れしました」
真面目な性分なのだろう、職員が直立姿勢で告げる。
「うむ。通してくれ」

「…あ。」
思わず声が出た。
「どうしたの?」
レイの不思議な声を聞いたシンジが、その顔を覗き込む。レイはしばし逡巡したあと、どこかきまりが悪そうにぼそっと言った。

「…副司令の存在を、すっかり忘れていたわ」





綾波レイのそのあまりといえばあまりな発言を聞き、思わずシンジは頭を抱えたい思いにとらわれた。

(綾波、全く怖くないのかな)

今の言葉を聞く限り、恐らくはそうなのだろう。明らかに表情が豊かになっているとはいえ、レイが恐怖に怯える姿はあまり想像できなかったが。
自分はとてもそんな風にはなれない、とシンジは思う。
あの絶望のほとりで人々の心に触れ、シンジは本当に色々なことを考えた。
自分の知らなかったこと。知ろうとしなかったこと。どうすれば良かったのか。どうしたいのか。
知ることは、考えることは苦痛でもあった。果てしない思考のもたらす幻影の中で、何度アスカに当り散らしたことだろう。数えたくもなかった。
だが、自分がここに、この時に帰る選択をした時のことははっきりと覚えている。そしてそれは、相当な決意を伴うものだったはずなのだ。

(きっと僕は何も変わっていない。でも…)

目を閉じて、深呼吸を一つ。
目を開く。
いつの間にか開けられていた扉から、一歩を踏み出す。
レイが続き、そして扉が閉まる気配。

(でも、逃げちゃだめだ)

そして、会談が始まる。
それが未来のためのものか、空しい罪の糾弾か、それとも殺戮の場となるのか、シンジには全く分からなかった。





「意外と早かったな」
最初にシンジに声をかけたのは、哀れにもレイに忘れ去られていたことなど露ほども知らない冬月コウゾウだった。
「君も昨晩、こちらへ来たのだろう?」
こちら、というのは第3新東京市の事ではない。そんな事はもちろんここにいる皆が分かっていた。
はい、とシンジは簡潔に答えた。以前とあまり変わらないその口振りに安心したのだろう、次に口を開いたのは赤木リツコ。
…何故か、腕を包帯で吊っている。松代なんていう時期じゃないはずだけど、とシンジは僅かに首を傾げた。

「元気そうで安心したわ…もちろん、本心よ?」
隣に立つ葛城ミサトのきわめて微妙な視線に気づいて途中で言葉を付け足したその不器用さは、何故か好ましいものに思えた。
「戻ってきたのは、他には誰なのかしら?」
リツコのその質問に、シンジはゆっくりと、ここにはいない大切な人たちの名前を口にする。
「アスカと、加持さんと…カヲル君です」
ミサトの表情が変わったのが分かった。愛する人と『使徒』である彼の名と、どちらに反応したともとれるタイミング。
だが、シンジにもレイにも、それが前者であることが感覚として分かった気がした。

「何故その面子なのか、教えてもらえるかね」
再度の冬月の質問は、シンジが全く予想していないものだった。
補完後の状況を客観的に見るならば、それは確かにシンジの人選という事になるのだろう。
だが、シンジ自身に選んだという意識など無い。あれは何というか…そう、もっと魂の呼ぶ声というか…

「帰ってきたのは、罪のある人たちよ」
突如、響く声。綾波レイだった。
「でも、それだけじゃない。碇君が本当に愛していた人たちでもあるわ」

ミサトが、静かに泣き崩れた。リツコの表情も、万感の思いに歪んでいた。
「…なるほど。道理だが、光栄なことだ」
そう言った冬月の声も、ほんの少しだけいつもと違うように感じられた。
シンジはといえば、確かにそう言われればその通りかもしれないなどと考えながらも、唯一変化を見せない父を正面から見つめていた。
シンジとて、この再会に胸に迫る思いはある。だが、まだ感傷に呑まれるわけにはいかないのだ。
十秒、二十秒。ミサトの声が完全に聞こえなくなったその時、その男は…碇ゲンドウは、初めて口を開いた。

「お前の望みは、何だ」

互いの心の全てに触れてもなお、シンジには父の今の考えが分からない。それなら言葉を尽くすしかない。それがリリンである事を選んだ自分の責任なのだから。

「望みは、二つあるんだ。一つは、あの終末を回避すること」
ミサトが、他の三人を複雑な顔で見やる。無理もない事だが。
「そしてもう一つが、使徒と共存していく事だ」
今度は、冬月とリツコがミサトの方を見た。慌てて視線を逸らすミサトの様子が可笑しかったのか、レイが僅かに微笑を漏らす。空気が和らいだ気がした。

「それはアレ?『彼』だけじゃなくって全ての使徒と、ってコト?」
よく見ると、ミサトは額に絆創膏を貼っている。もしかして、リツコとの間に何かあったのだろうか。
「…はい。『彼』も他の使徒も、それに人間同士も本当の意味で共存していけたら、素敵だって思うんです」
「一つになるのではなく本当の意味で共存する、か。それが一番難しいのかもしれないわね。でも…」
リツコはそこで言葉を区切ると、晴れやかな表情で言った。

「確かに素敵なことね」
何も付け足さなくともその言葉に偽りはないと、シンジはそう思ったのだった。

「お前はどうするのだ、碇」
冬月が尋ね、自然と全員の眼がゲンドウに注がれる。それでもなお怯んだ様子など見せずに、ゲンドウは再びシンジに問うた。
「その為に力を尽くす覚悟は、あるのか?」
余計なことは考えず、真摯に答えを返す。
…父さんに、心を伝える。
「うん。あるよ」

またも沈黙。十秒、二十秒。そして三十秒、四十秒。
静寂に耐え切れなくなったミサトが何かを言おうとしたまさにその時、ゲンドウが手を伸ばし、机の上の内線電話を取った。

「…碇…?」
冬月の声を気に留める様子も無く、受話器に向かって言葉が紡がれる。
「私だ。回線をオープンにしろ。重要な通達がある」
どうやら、保安部員を呼んで今すぐ始末しようというわけではないようだ。それにしても、通達?それは今の話と関係があるのだろうか。
周りを見ると、皆が皆、ゲンドウの様子を見つめている。あの終末を見てこの男が何を考えたのか、それが次の言葉で明かされる。そんな予感が全員にあった。





そして。





「司令の碇だ。全職員、手を止めて聞け」

不器用に。

「…本日を以て私は司令の座を退く」

とっても不器用に。

「後任はサードチルドレン、碇シンジがパイロットと兼任する事となる」

我が子の願いを後押しする、父の心が。

「まだ子供だが、皆で支えてやって欲しい」

その愛が。

「…以上だ」

吐露されたのだった。





「冬月。弐号機とセカンドは最速でこちらへ回させろ。多少荒っぽい事になっても構わん」
受話器を置いてなお言葉を続けるゲンドウの心は、穏やかだった。別に不思議な事ではない。シンジの顔を見た瞬間から分かっていた事だ。
「赤木博士、ゼーレはすぐに動く。ハッキングに備えてMAGIの防壁を強化しておけ」
誰からも返事は無いが、辞意を表明した途端に反抗というわけでもなかろう。
自分以外の全員が唖然としている雰囲気が伝わってきて、いい気味だ、などと相も変わらずひねくれたことを考える。
「葛城一尉。使徒の殲滅ではなく、使徒との意思疎通を目的として、作戦の見直しを急げ」

言いたいことだけを言い終わると、ゲンドウは席を立った。
(俺がやるべき仕事は、もうここにはない)
セフィロトの樹を見上げつつ、出口へと足を向ける。
…この期に及んで、シンジの顔もまともにみられない自身に対する苛立ちを隠しながら。

「待ってよ、父さん」
声が、掛けられる。
「まだ、父さんの望みを聞いてないよ」
足を止め、振り向く。シンジの瞳は、ゲンドウを真っ直ぐ捉えていた。

「初号機は、ユイの…形見だ。壊すな」
あえて口に出した。形見、と。
悲しみはある。だがそれは濁ったものではなく、どこまでも澄み切ったものだった。
「それが、父さんの願いなんだね」
シンジが笑った。ユイによく似たその笑顔を見て、ゲンドウは自分があの妄執から脱したことをようやく実感したのだった。





「やれやれ、極端なところは全く昔と変わらんな」
司令の座を退くという衝撃の発言以降、完全に固まっていた冬月の一言。それをきっかけに、司令室の時間も再び動き出した。
「…え?シンちゃんが上司になるって事?…マジで?」
目を白黒させるミサト。そんな様子に少し苦笑した後、リツコはゲンドウに向かって問いかけた。
「司令…いえ、前司令。これからどうなさるおつもりですか?」
その質問に、ゲンドウはびくっと身体を震わせる。

…異様な間。
(あら?私、変なことをいったかしら?)
改めて問い直そうとしたリツコを片手で遮って、ゲンドウは口を開いた。

「…故人との繋がりと現世の絆は区別されるべきだ。
 私はこれから、ここを離れる。内閣の取り込み、ゼーレに代わる経済面での支援組織との交渉などは私にしかできんのでな。
 今でもまだ君の心が変わっておらず、私が全てを終えて戻ってくるまで待っていてくれるというのなら…」

ここまで早口でまくしたてるゲンドウをかつて見たことがあっただろうか。
ゲンドウが次に言おうとしている事を肌で理解しつつ、リツコはぼんやりとそんな事を考えていた。

「…その時は、私の妻になって欲しい」

「……」
「……」
「……」
「…なあ碇。私には、赤木博士が単にお前の今後の行動を聞いただけのように聞こえたんだが?」

「碇前司令、自爆したのね」

レイの一言で、司令室は笑いの渦に包まれた。打算も含みも無い、本当の笑顔で。
ああ、やはり帰ってこられて良かったと幸せを噛み締めつつ、リツコは後ろを向いて肩を震わせているゲンドウの元へそっと近づき囁いた。

「ええ、いつまでもお待ちしておりますわ」





逃げるようにしてゲンドウがこの部屋を立ち去った後、ミサトもリツコも冬月も、ほんの二言三言を交わすとすぐに出て行った。
もちろん、ゲンドウの司令としての最後の命令を遂行するためだ。
今回のことはすぐにゼーレにも伝わるだろう。独断での司令交代に、使徒に対する方針の大転換。ネルフの翻意はもはや隠せない。
かつての通りなら第三使徒の襲来が明日に迫っていることも含めて、全てが急ぐべき案件であると、シンジにも分かった。

「それにしても、司令なんて実感が湧かないや」
ぽつりと、そう漏らしてみる。
いきなり本部の全職員に告げてしまうゲンドウの強引さのせいもあろう。実感など湧くはずもない。
それでもシンジは、緊張に震えることも重荷に感じることも無かった。

「碇君なら、出来るわ。…月並みな言葉で申し訳ないけれど」
「ううん、嬉しいよ、綾波」
決して喋ることが得意ではないレイが、一生懸命励ましてくれている。それはシンジにとって、何よりも嬉しいことだった。
ふと、レイがまだ何か言いたげなのに気付く。

「…綾波?」





「碇君」
…本当に、今まで色々なことがあった。でも、やっぱり彼と出会えて良かったと思う。
だから言おう。今の私の、最高の笑顔で。

「おかえりなさい」





~つづく~





作者のふたば草明です。更新はゆったりかつ不規則になるかと思いますが、完結目指して頑張ります。よろしくお願い致します。

この作品のジャンルは「ライト・逆行・使徒擬人化・LRAS・アンチへイトなし」となります。
この作品はArcadiaエヴァ板での発表を前提としており、原作に登場する人物、用語、設定の説明は割愛してあります。御了承下さい。



[21803] 1.ネルフの人々
Name: ふたば草明◆c7ec2017 ID:79d97c37
Date: 2010/09/12 21:37
扉の開く気配を感じて、発令所の面々は話を止め入口の方を見た。
ファーストチルドレンの綾波レイともう一人、少し気の弱そうな少年がそこに立っていた。
顔を合わせるのは初めてだが、数日前に公開されたデータによってその素性は分かっている。

サードチルドレン、碇シンジ。碇ゲンドウの息子。そして…特務機関ネルフの新司令。
…第三新東京市への到着は明日になるだろう、と聞いていたのだが。

「作戦局第一課所属、日向二尉です」
「情報局第二課所属、青葉二尉です」
同僚の二人が立ち上がって自己紹介するのを見て、伊吹マヤも慌てて後に続く。
「ぎ、技術局第一課所属、伊吹二尉です。よろしくお願い致します」
自らの階級と名前を名乗りながら、マヤは当然と言えば当然な、しかしちょっとだけ失礼なことを考えていた。

(こんな子が司令なんて、本当に大丈夫なのかな?)
普通に考えれば大丈夫なわけがない。先ほど三人で話していたのも、まさにその事だった。

突然の司令交代がオープン回線での通達という乱暴な方法で伝えられた時、戦闘時オペレートのシミュレーション中だった発令所は一時パニックに陥った。
使徒出現が近いはずのこの時期に司令が辞任?
その上、僅か14歳の自分の息子を後任に指名?
親のコネによる就職などというレベルの話ではない。
司令は使徒への有効な対策が見出せない事で人類の未来に絶望し、せめて最後に息子の晴れ姿を見たかったのでは、などと言う者まで現れる始末。
そんな時、日向マコトがこんな事を言い出した。

「一種のカムフラージュなんじゃないか?」

碇ゲンドウ自身が影で暗躍する為に、自分の息子をスケープゴートとして司令職に置いたのではないか。
そして中学生に過ぎないシンジが選ばれたのは、周囲のネルフに対する警戒心を緩和する狙いがあるのではないか、と言うのだ。
「確かにネルフ、嫌われてるもんな」
青葉シゲルの呟きに、あれだけ騒いでいた周囲の者も口を閉ざしてしまった。

ネルフが嫌われるのは、その徹底した秘密主義と保有する戦力、即ち人造人間エヴァンゲリオンが原因だ。
例えそれが人類の未来の為であっても快く思わない者たちがたくさんいるという、それこそがまさに現実。
だからこそ、マコトの推測はかなり核心に近い所を突いているのではないか、とマヤは妙に納得してしまったのだった。

「えっと、碇シンジです。今日から父さんの後を継いで、ネルフの司令になりました。皆さん、仲良くしてくれると嬉しいです」
まるで転校初日の挨拶のような第一声。確かに、この少年に警戒心を強く抱く人間は少ないだろう。
「あの、一つお願いがあります」
シンジは続ける。
「司令といっても僕はまだ中学生で、皆さんよりもずっと子供ですから、名前で呼んで、普通に話して欲しいんです」
その言葉からは、シンジの控えめで繊細な性格が窺い知れた。少なくとも父親似ではない、と多くの職員が思ったに違いない。

「じゃあシンジ君、と呼ばせてもらっていいんだね」
マコトの言葉に、シンジは嬉しそうに頷く。だが、その表情はすぐに真剣なものに変わった。マコトの険しい視線に気付いたからだ。
「シンジ君、無礼を承知で一つ聞かせて欲しい。君はさっき仲良くしたいと、そう言ったね。ここがどんな所か知っていて、言ったのかい?」

…空気が、俄かに緊迫する。
そんな事を言われるとは思ってもいなかったのだろう。シンジは驚きの表情を浮かべている。
大きく見開いた眼がちょっと可愛いかも、などと場違いなことを考えかけて、マヤはかぶりを振った。
この華奢な戦いなどまるで似合わない少年は、一体何と答えるのだろう。

少しの間の後で、シンジが口を開いた。
「使徒が来たら、僕はエヴァンゲリオンっていうのに乗って、ここの皆さんから伝えられる作戦に従って戦うんですよね」
ゲンドウやリツコから聞いたのだろう。サードチルドレンとしてやるべき事はもう分かっているようだ。
「それは、僕の命を皆さんに預けて、皆さんの命を僕が預かるって事だと思うんです。
 だから皆さんと早く仲良くなって、命を預けてもいいと思えるような関係になりたい。そう思って、言いました」

(……!)
目の前にいるのは、戦いなどまるで似合わない少年のはずだ。
そんな彼が、どうしてそんな事を言えるのだろう。そして…そして、自分にはそれだけの覚悟が、果たしてあっただろうか。

「…ふぅ。マコト、お前の負けだよ。ほら、とっとと新司令に謝れ」
シゲルに促されて、マコトが慌てて頭を下げる。
「す、済まなかった。シンジ君を困らせるつもりはなかったんだが、どうにも意地の悪い言い方をしてしまって…」
気にしてませんよ、という風に軽く笑うとシンジはこう言った。

「ただの中学生だったのに突然パイロットをやれだなんて言われた僕が、現実逃避して明るく振舞っているんじゃないかって心配してくれたんですよね?」

今度は、あまりにも的確に心中を言い当てられたマコトが大きく眼を見開く番だった。
(こっちは可愛いっていうより、ちょっと滑稽かな)
今度は完全に失礼なことを考えつつ、マヤは頭の片隅にある一つの考えを浮かべていた。

もしかしたら碇シンジはただのゲンドウのスケープゴートなどではなく、真にネルフを統べるに足る器の持ち主なのではないか?





「はーいレイ、もう服着てもいいわよ。全くの健康体だって」
ミサトの声が聞こえ、レイは上体を起こした。
自らの裸体を見下ろしながら、仕切りの向こう側にいるはずのシンジを何故か意識してしまう。
その心理がどういったものなのか、レイにはまだよく分からなかった。

「にしても不思議ねぇ。零号機の起動実験での大怪我が、あの瞬間に完治してたなんてさ」
確かにその通りだと思う。第三使徒出現の前日といえば、まだ自力で歩くのがやっとだったはずだ。
「別に大したことじゃないわ。どうせ心機一転、元気百倍で頑張ろうっていうレイの心意気に対するささやかな贈り物でしょ」
誰からの贈り物だというのだろう。まるで科学的でないことを平気で口走る科学者の声に、軽く呆れてしまう。
時を遡ったという事自体が科学で解明できないのだから、それに付随するこの治癒現象も解明できないのは当たり前かも知れないけど。
それとも、あれが幸せボケというものなのだろうか?

発令所を後にしたシンジとレイは、すぐに赤木リツコに捕まった。
「レイの診断をしたいのだけれど」
リツコにそう言われ、レイはその時初めて起動実験での負傷のことに思い至った。
昨夜意識が覚醒した後は思考が纏まらず、部屋を抜け出してうろうろとしていたが、本来この時期の自分はまだ完治には程遠かった記憶がある。
「メディカルルームまでついて来て頂戴」
レイの根幹に関わる検査でなければ、地下へ降りる必要は無い。
メディカルルームはあいにく無人であったが、基本コンピュータ任せの検診ならリツコ一人で十分に事足りた。
そこへどこで聞きつけたのか、葛城ミサトがひょっこりと顔を出し今に至る、という次第である。

服を整えて仕切りを開け、顔を出すとそこではシンジとリツコが何やら話をしていた。
「じゃあ、MAGIの方はもう大丈夫なんですね?」
「ええ、支部のMAGIが束になって侵入を試みてもビクともしないはずよ。もっとも、定期的に防壁を組み直す必要はあるけどね」
レイが出てきた事に気付き、シンジがにっこりと笑い掛ける。
「綾波、よかったね」
「ええ。ありがとう」
短く答えながらふとリツコの方を見ると、包帯を巻いていない方の手でキーボードを弄っていた。

ふと疑問に思って訊いてみる。
「…博士、お怪我ですか?」
記憶を掘り返してみるが、この頃リツコが包帯を腕に巻いていたような印象はない。
「ああそれ、僕も気になっていたんです。それにミサトさんも…」
そこまで言ってシンジが言葉を止めた。ミサトもリツコも、何とも言い難いような表情を浮かべていたからだ。
ミサトはちらちらとリツコの様子を窺っていたが、自分からは何も話そうとしないその様子を見て、大きく一つ溜息をつき、語り始めた。

「あたし達も昨日こっちに戻ってきたんだけどね、それがよりによってリツコと飲んでる最中だったみたいでさぁ…」
飲んでる最中?言い方からすると酒の事だろう。レイは当然アルコールの類を飲んだことはなかったが、どういう物かは知っている。それはつまり…。
「程よく出来上がってた所に色んな人の感情やら記憶やらザーッて流れ込んできてさ、ひょいっと横見たらリツコがいるじゃない?
 もう頭ん中ぐちゃぐちゃで、気がついた時には手が出てたっていうか…」

「そ、それでリツコさんの腕折っちゃったんですか?」
その光景を想像したのだろう、シンジの顔が恐怖に歪む。
「ちょっと捻られただけよ、今朝マヤに処置を頼んだのが間違いだったんだわ。あの子ったらまったく大袈裟なんだから」
キーボードから手を離し、ふうっと大きく息をつくリツコ。
「全く、作戦部長とE計画責任者が揃って店からつまみ出されるなんて無様ったらないわ。あなたのせいでもうあそこには行けないじゃない」
「あたしだって血が出るまで顔引っ掻かれたでしょうが。あんたはネコかってーの」
それはちょっと想像が出来ない。隣を見るとシンジはぶるぶると震えていた。

「そう言えば、前に読んだ本の中にあった気がする…」
突然口を開いたレイの方に視線が集まる。
「…色々と対立していた二人の学生が、河原で延々と殴りあった末に何故か仲直りするという話だったわ。あれと同じことなのね」
一人納得するレイ。ミサトとリツコの表情は更に複雑になったが、仲直りという言葉を否定はしなかった。
その事に安堵したのか、シンジもようやく落ち着きを取り戻したようだった。

「ところで」
再びPCに向かいながら、リツコがやや強引とも思える口調で話題を変える。
「あなたはこんな所で遊んでいていいわけ?作戦の件はどうなったの」
ゲンドウが言っていた、使徒との意思疎通を目的とした作戦のことだろう。
シンジの願いを果たす為に避けては通れないこと。だが、それが容易ではないことはレイにも想像がついた。
「別に、遊んでるわけじゃないわよ。ただ、どうにも戦力がねぇ…」

「…その事ですが。赤木博士、明日の午前、零号機の起動実験をもう一度やらせて下さい」

レイの提案に一瞬驚いたリツコだったが、すぐに思案を巡らせ始める。
「そうね、確かに『今の』レイなら成功する可能性は高いでしょうね…今から指示を出しておけば、実験の準備も間に合うか…」
体調に問題が無いと分かった今、使徒戦をシンジだけに任せてじっとしている事などレイには出来なかった。
「スケジュール的には可能だわ。あとは司令の許可が降りれば…」
そう言ってリツコはシンジの方を見る。もし許可を出すのなら、それがシンジの司令としての初仕事となるのだ。

レイは、固唾を飲んでシンジの言葉を待っていた。
顔を上げたシンジと目が合う。
「零号機が動いたら、僕を手伝ってくれるの?」
「ええ、それは私の望みでもあるわ」
更に数秒二人は正面から見詰め合っていたが、やがてシンジは表情を緩めるとリツコの方へと向き直った。命令が、下される。
「リツコさん、起動実験の手配をお願いします」

戦力が増強されるかも知れないと聞くと、ミサトは上機嫌でメディカルルームを出て行った。
多分、零号機の起動に成功するという前提で作戦を立て直すのだろう。気が早いとは全く思わない。レイ自身、成功するという予感があったからだ。
「そうそう、鈴原君の妹さん、もうガードをつけてあるから。安心してねん♪」
去り際にミサトはウインクしながらそう口にした。シンジもそのことは気にしていたと見え、何度も何度も礼を告げていた。

「あなた達も明日に備えて休んだら?シンジ君の部屋もそろそろ誰かが用意しているはずよ」
明日の起動実験の準備を内線で部下に指示したリツコが、PCのディスプレイに目を向けたままそう切り出す。
「あ、もうこんな時間だったんですか。綾波は…あの家に帰るの?」
ええ、とレイが頷くとリツコはあの部屋の惨状を思い出したのだろう、悪いわね、と小さな声で呟いた。
「住居のことは、明日を乗り切ってから一緒に考えましょう。レイ、あなたの意見も聞かせてね」
ぽんっとエンターキーが押され、何かの結果が画面に表示された。『反対:3』の文字が見える。MAGIに接続していたという事か。

「………ああ、そう」

「リツコさん、どうしたんですか?」
急に疲れたような声を上げたリツコに対して、シンジが問い掛ける。
「母さんね、科学者としても母としても女としても、私と前司令のことに反対、ですって」

レイは赤木ナオコの事はあまり分からない。かつての記憶が統合された今でも、最初の死を経験する間際に見た嫉妬に狂った表情が印象の全てと言ってもいいだろう。
だが、ゲンドウに非があるとは言え、自分の不用意な一言であっけなく散ってしまった彼女にも様々な面があったはずなのだ。
そう考えると、あの部屋のことはもちろん、何一つとしてリツコを責めるような気にはなれなかった。

「でも、あの人が帰ってくるまでに、必ず賛成させてみせるわ」
そう言うとリツコはPCの電源を落とし、立ち上がった。この部屋を出るのだろう。レイとシンジも席を立つ。
「頑張ってくださいね、僕は祝福しますから。…でも」
でも?と振り向いたリツコに、シンジから笑顔で下される宣告。

「あんまりしょっちゅうMAGIを私用に使っていたら、減給ですよ」
呆然とする幸せボケ気味の科学者を尻目に、部屋を出て行くシンジ。やっぱり碇君は凄い、とレイは妙なところで感心してしまうのだった。





そして、ナオコの時とは違って口には出さなかったが、レイが心の中で考えていたとおり、リツコはやはり幸せ過ぎて注意力を欠いていたのだろう。
普段の彼女なら、綾波レイの診断結果の一番下に表示された一文を見逃す事は無かったはずだから。

『警告:前回診断時とは遺伝子情報に差異が見られます。本人であることを再度確認して下さい』





既に深夜と言ってもいいような時間に差し掛かってなお、エヴァのケイジでは多くの技術スタッフが走り回っていた。
急遽決まった零号機起動実験の準備に、今夜は多くの職員が不眠で従事する事となったようだ。
一人きりで感傷に浸るため初号機の元へ足を運んだ冬月コウゾウは、情緒を吹き飛ばすような喧騒を見て小さく落胆した。

(やはり愚かだな、俺は)
ゲンドウが新しい道を歩み始めたというのに、自分はまだこうして未練がましい事を考えていると気付かされる。

「あれ?冬月さん?」
声のした方を振り向くと、そこにはシンジが立っていた。差し当っての個室が用意されたはずだが、まだ起きていたということか。
冬月が何も言わないのを見てシンジにも思うところがあったのか、その横に並んで初号機を見上げる。
第2実験場は零号機の受け入れ用意が完了しました、と女性職員の声が響く。
何も話さずに並んで立っている新司令と副司令を、職員たちは時々不審そうな目で見ながら横を通り過ぎて行った。

「アスカ君と加持君だがね、夕方にはドイツを発ったそうだ」
あえて考えていたこととは全く話題を口に出す。シンジに会ったら真っ先に教えようと思っていたのは事実だが。
「超大型輸送機とは言え空路だからな。明日の夜遅くにはこちらに着くだろう」
明日の夜遅く。その頃には、使徒と人類の…リリンの在り方について、何らかの結論が出ているのだろうか。

「明日、来ると思うかね?」
顧みれば、全てがかつてと同じタイムテーブルで進むと思い込むのは危険だという事に思い至る。だが、
「はい。その次からはどうなるか分からないですけど」
シンジはあっさりと肯定した。
理由を問う必要はないだろう。どのみち、綾波レイとも渚カヲルとも親しいこの少年以上に使徒の事を分かる人間など、存在しないのだ。

「暴走は、させません」
初号機を見上げたままシンジが呟く。その声はとても小さかったが、決意に満ちたものだった。
「母さんには、ずっと天国にいて欲しいですから」

シンジが去った後、冬月は静かにその言葉を反芻していた。

…天国、か。もしかしたら一番早くユイ君に会えるのは俺かもな。碇、羨ましいだろう?
或いは、俺も若い嫁さんでも探してもう一花咲かせるのも悪くはないかも知れない。

とりとめも無い事を考えながらシンジとは逆の方に歩いていく冬月。
大勢の手によって零号機の搬送が始まろうとする中、初号機はただ静かに、佇んでいた。





ところで。
赤木リツコが見落としたその変化にレイが気付いたのは、帰宅してすぐの事だった。
女性の平均的なそれと比べてかなり不快感が軽かったのは、幸いと言えよう。

「…お赤飯を、買いに行かないといけないわ」
喜ぶよりも驚くよりもまず先に、レイは現実逃避をした。

常夏とは言えそれなりに冷える四月の夜の冷気の中、コンビニエンスストアを七軒もはしごしてようやく赤飯三人前を買った頃には、既に夜も明けかかって…。





明くる日、眠気と寒気と満腹感とその他色々な障害の中で、レイは何とか零号機の起動に成功したのだった。





~つづく~





読んで下さっている方、感想を下さった方、有り難うございます。
個別の返信は今の所しておりませんが、どんな御意見も真摯に受け止めるつもりですので、これからも宜しくお願い致します。



[21803] 2.スカイダイバー
Name: ふたば草明◆c7ec2017 ID:79d97c37
Date: 2010/09/15 23:27
「それで、いったん誘拐した後、すぐに副司令を解放したのね」
「ああ」
横から手を伸ばして、アスカの持っている袋からスナック菓子を一つ失敬する。軽く、睨まれた。
「もしかしたら誘拐自体にはあくまでもネルフに対する牽制の意味しか無くって、本当は加持さんの反応を見るのが目的だったんじゃないの?」
「ま、そうだろうな。そして俺はまんまとそれに嵌まった、と」
加持リョウジの答えにはぁ、と溜息をつくと、アスカは再びノートにペンを走らせていく。
独語で記されたそのノートは、既に残り頁が僅かとなっていた。

惣流・アスカ・ラングレーとエヴァンゲリオン弐号機を載せた超大型輸送機がネルフのドイツ支部を発ったのは、つい数時間前の事。
本部からの強権的な徴発命令に憤慨する上層部を、ある意味で欺くような形での出立。
その手助けをしたのは、輸送機のクルーも含めて全てゲンドウの息の掛かった親本部派のメンバーだった。
恐らく、ドイツ支部は本部と対立する事となる。だが、アスカも加持も袂を分かつ事を残念に思うような相手はいない。
かつてのアスカが自分のシンクロ率に固執し、あまり人付き合いもせずストイックに訓練に励んでいたのが良かったというのは、皮肉な事だ。
アスカの両親については、人質に取られる事を避ける為に、スイスへ逃がす手筈を整えた。
我ながら素早い良い仕事をしたな、と加持は思う。

発進後しばらくアスカは機内を物珍しげに見て回っていたが、やがて食堂に腰を落ち着けると、自分の知る情報をノートに整理し始めた。
使徒の事。ネルフの事。レイの事。シンジの事。そして、エヴァの事。
それらが一段落すると、今度は様子を見にふらりと立ち寄った加持を捕まえ、加持の視点で見た事を時系列順に質問攻めに。
考えてみれば、補完の中でアスカも多くの情報を感覚的にとは言え得ているはずであり、
加えてアスカ程の才女ならわざわざ書き出さなくとも良さそうなものだが、こういう努力を惜しまない事こそがアスカの長所だった。

ペンを置くと、大きく背伸びを一つ。
「だいたい分かったわ。ありがとね、加持さん」
最期の瞬間について聞かないのは彼女なりの配慮なのだろう。そこにアスカの成長を垣間見た気がして、少し嬉しかった。

「それにしても、あのシンジがネルフの司令とはねえ…」
空中を見上げながら、感慨深げな様子のアスカ。冬月副司令からの極秘通信の内容に驚いたのは加持とて同じだった。
ドイツからの出立準備に追われてその時はすぐに思考を切り換えたが、よくよく考えると本当にゲンドウも思い切った事をしたものである。
「シンジ君の下で戦うのはイヤかい?」
「そんな事は無いわ。アイツのことは信頼してるもの。まあ、あんまり上司風吹かせるようなら蹴っ飛ばしてやるけど」
そう言って座ったままキックの真似事をするアスカ。そんな様子を見ながら、いつもの軽口でからかいの言葉を投げかける。
「信頼、ね。ひょっとして、シンジ君のこと、好きなのか?」

「ええ。そうなんだと思うわ」

落ち着いた声で帰ってきたのは、至極真面目な返答。
諜報員としての習慣からか顔には出さなかったが、加持の味わった驚愕は、シンジの司令就任を聞いたときのそれを更に上回っていた。
「今日はまた、えらい素直じゃないか。一体どういう風の吹き回しだい?」
「もちろん、シンジにはこんな事言わないわよ。もし言ったら急に調子に乗るか、もの凄くうろたえるかのどっちかだろうし」
立ち上がり、スナック菓子の最後の一つを口に放り込む。くしゃくしゃっと丸められた袋は、綺麗な放物線を描いて屑籠に吸い込まれた。

「正直に言ったのは加持さんだからよ。加持さんは、特別」
食堂の出口へと歩いて行くアスカ。
「ほう、どう特別なんだい?」
純粋な興味からその背中に問い掛ける。前はだだ漏れに思えたアスカの思考回路が、全く読めない。
「加持さんを好きだったっていうのは、やっぱり本当の事だもの」

…遥か彼方の女、か。
「ミサトのこと、幸せにしてあげてね」
アスカは振り向かず、そう言って去っていった。
「ああ、分かってる」





…違う。加持さんはまだ分かってない。
心の奥の片隅に、まだ無謀な知的好奇心が残っているんだ。

アスカは、そっと唇を噛んだ。





大きな振動が輸送機を襲ったのは、次の日の早朝だった。
転がるようにしてブリッジに飛び込んで来た加持に、機長が早口で現状を告げる。
「近辺の地上基地からのミサイル攻撃ですな。恐らくはイラン国防軍でしょう。
 小型の対空ミサイルですが、まさかドイツの上層部がここまでするとは…」
ゼーレからの指示があったに違いない。そうでなければ、こんなにも早く他国との連繋が取れる事の説明がつかない。
「被害は?」
「片側のサブエンジンがやられました。航行に影響はありませんが、回避行動は難しいでしょう」
攻撃が一発で終わるとは思えない。敵基地の射程圏内を抜けるまで、機体が持つだろうか。
高度を上げてミサイルの命中精度を少しでも下げるか?それとも、被弾覚悟で全速で抜けるべきか?加持の頭脳が目まぐるしく回転する。

その時、通信士の一人が大きな声をあげた。
「!!格納庫の弐号機が起動しましたッ!」

「話は聞かせてもらったわよ。弐号機で出るわ!ハッチ開けて!」
モニターには、プラグ内で不敵な表情を浮かべたアスカが映っていた。ミサイル被弾からの僅かな時間で、一人で起動させたらしい。
「無茶だ!この高さから落ちたらいくらエヴァでもただじゃ済まないぞ!」
「平気よ。隣の格納庫に使ってないアンカーがあるから、それで後部甲板に機体を固定するの」
機内を見回っていたのは知っていたが、そんな物にまで目を留めていたのか。加持は密かに舌を巻いた。
「だが、ここにはパレットガンもバズーカも積んでない。ナイフ一本でどうやってミサイルを墜とすんだ?」
「それも大丈夫!アタシに考えがあるから!」

「どうします?」
一度戦闘配備が出されれば、全ての指揮権は機長に委ねられる。
だが、あえて機長は加持の意見を求めた。エヴァに関しては、判断の基準となるほどの情報を持っていないのだ。

加持は改めてモニターの中のアスカの顔を見た。自棄を起こしているようには見えない。
むしろ冷静な判断力と熱い闘志がよく調和している、と感じられる。
「よし、アスカに任せよう」
迷ったのは一瞬。加持は自分の観察眼を信じることにした。
「さっすが加持さん、そう来なくっちゃ!」

機長の指示のもと、後部ハッチが開放される。
間もなく姿を現した弐号機は、ロッククライミングのように慎重に這って行き、アンカーで機体を固定した。
ゆっくりと立ち上がる弐号機。激しい風圧に耐えつつ、赤い巨体が雲を割ってそびえ立つ。
非常に緩慢だが、なかなか細部まで神経の行き届いた動き。
(60から70ってとこか…)
ここにシンクロ率の計測器は無かったが、加持はそのあたりだろうと予想をつけた。

「ミサイル、来ます!接触は一分後から、数は3!」
「よぉし、見てなさいよ!」

(ん?あれは…?)
弐号機が何かを構える。長い、ロープのようなもの。

「予備のアンビリカルケーブルか?」
クルーたちが緊張して見守る中、弐号機はプログレッシブナイフを抜くと、ケーブルの先端にしっかりと結わえつけた。

「肉眼でミサイルを確認!」
通信士の上擦った声。だが、アスカは微塵も慌てはしない。
「さあ、行くわよっ!」
一声気合を入れ、頭上でケーブルを数回振り回して勢いをつけると迫り来るミサイルへ向かって勢いよく投げ放った。

大気を切り裂き、一直線に飛んでゆく。ケーブルに括り付けられたナイフが、狙い違わずミサイルの先端に突き刺さる!

「上手い!」
思わず機長が声を上げる。
プログレッシブナイフの高周波振動の前では、最新鋭のミサイルと言えどただのバナナのようなものだった。

──爆発。
即席の武器がそれに巻き込まれないよう、弐号機が素早くケーブルを手元に手繰り寄せる。
全てのミサイルを墜とすまでその武器を失うわけにはいかない事を、アスカはしっかりと理解しているのだ。

「次!2時の方角!」
「了解!」
間髪入れずに返事が返され、再び刃が放たれる。
今度は先端に命中こそしなかったものの、ミサイルの横っ腹を切り裂くような形で接触、そして爆発。

輸送機へ届く事無く散ってゆくミサイルの破片をモニターで確認しながら、加持はアスカの腕前に素直に感心していた。
(空気圧の抵抗を感覚的に察知し、微妙な力加減を調整してるな…)
言葉にすれば容易い事だが、必要とされるセンスと技量は想像を絶する。
瞬間的な爆発力に頼り気味なシンジには、恐らく真似のできない芸当だろう。

そして、最後の一発が近づく。
「4時の方角、近いぞ!」
「それなら!」

引き寄せて狙いを定めるだけの猶予がないと判断したアスカは、脚部を固定してあるアンカーを軸にケーブルを握ったまま弐号機をその場で回転させる。
緩みかけていたケーブルは再び張力を増して行き、それに伴って回転速度が次第に上昇。
「はぁぁぁぁっ!」
回り続ける弐号機を中心にナイフの刃が放つ青色の美しい輪が形成され……そして、その輪に触れた最後のミサイルはあっけなく爆散した。

「め、目が回った…」
ずしん、と甲板にへたり込む弐号機。
窮地を脱したことによる安堵感に、ブリッジのクルー達から喚声が上がった。
「やれやれ…」
加持もほっと胸を撫で下ろしつつ、頭の中に周辺の地図を描く。
加持の記憶が正しいとすると、この速度であと三分も進めば隣国アフガニスタンとの国境のはずだ。
近くネルフの進出が取り沙汰されていたイランはともかく、周辺の他国がゼーレの無茶な要請をこの短時間で受けるとも思えない。
それに、隣国との関係を悪化させてまでイラン政府が攻撃続行を指示するとも考え辛かった。

(安全圏まであと三分か)
もう大丈夫だろうと考えた加持が機長に弐号機回収を提言しようとしたその時、通信士の悲痛な声が響き渡った。
「こ、これは…!大型の高速弾道ミサイルです!接触は一分後!」

「何が何でも国境を出さないつもりかッ!」
イラン側にはネルフの支部建設にまつわる利権絡みの思惑があるのだろう。だが、そんな事は今の加持達には関係ない。
墜とされるか耐え切るか。即ち、ゼーレに勝つか負けるかの二つしかないのだ。
加持は索敵レーダーの旧式さを呪った。せめてもう二分早く気付いていれば、推進剤を使い切ってでも国境の先へ逃げ込んだものを!

「大丈夫よ、今度もアタシがやるわ…。飛行速度は維持で、お願い…」
外部モニターには手繰り寄せたケーブルからナイフをほどく弐号機の姿が。
そして、プラグ内を映したモニターには未だ焦点の定まらぬ目つきでぼそぼそと呟くアスカの様子が。

「アスカ…?」
その鬼気迫る表情に不安なものを感じて、数秒言葉を返せなくなる加持。
だが、その数秒が分かれ目だった。

脚部のアンカーを外す。
大きく三歩、後退。
プログレッシブナイフを持ったまま、クラウチングスタートの構え。

「おいッ!まさか…」

「さよなら、加持君…」

加持の言葉を遮るようにしてそれだけを言うと、アスカは格納庫から繋がるアンビリカルケーブルを外し、大きく助走をつけて空中に飛び上がった!

「アスカーーーーーっ!」
何故いきなり『加持君』なのか、そんな事を気にする余裕は無かった。
あれだけの勢いを付けたエヴァの腕力でナイフを突き刺せば、いかに大型ミサイルとは言えひとたまりもないだろう。
だが、アスカは?
弐号機の詳細なスペックまでは知らない加持にも、これだけの高度から地表に放り出されることがどれだけの事か想像できた。

アスカは、自分が犠牲になることを選んだのか?
好きだと言っていたシンジ君を一目見る事すらしないうちに?

そんな時。
絶望と混乱に覆い尽くされそうになっていた加持の視線が、ふとモニターの一つを捉えた。
今まさに大型ミサイルに刃を振り下ろさんとするアスカの表情が見える。
冷静な判断力と熱い闘志が調和した、その顔。

(アスカには、何か考えがあるのか…?)

そうだ。俺が諦めてどうする!そんな事で本部の皆に…葛城に顔向けできる訳がないだろう!
自分を奮い立たせると、加持は弐号機の動きを一瞬たりとも見逃すまいと、モニターを見つめた。





プログレッシブナイフの先端が、ミサイルに突き立てられた。
その部分から細く閃光が漏れ出す。それは爆発の予兆。
弐号機はナイフの柄から手を離し、ATフィールドを展開する。

そして、大爆発。

すぐにATフィールドを解くと、弐号機は四肢を大きく開き、空中で大の字の姿勢を取った。





「そうか!機長、取り舵だ!」
突然の加持の声に驚いた機長だったが、判断は素早かった。
「取り舵、全速!」

ATフィールドを解き、姿勢を制御したことで爆風の影響を大きく受けて舞い上がる弐号機。
加持の指示によって急旋回した輸送機は、弐号機の自然落下ぎりぎりの所で甲板に弐号機を受け止める事に成功したのだった。

「ふぅ~っ、まあざっとこんなもんかしらね」
額を拭いつつ、事も無げに言うアスカ。
その様子を見て、加持もようやく危地を脱した事を実感した。
「全く無茶な事を…。俺は本当に駄目かと思ったぞ」
「心配掛けてごめんなさい、でも…」
そこでアスカは言葉を切ると、モニター越しに加持の目を正面から見つめた。

「ミサトがもしこういう危険な事したら残された加持さんはどういう気持ちになるか、分かったでしょ?」





…年の離れた妹のような。
そう思っていたが。
どれだけ成長したか楽しみだ。
そう考えていたが。

何のことは無い、既にアスカには俺の心なんてお見通しだった、ってわけか。
これじゃどっちが子供だか分かりゃしない。
小さく苦笑すると、すぐに真剣な表情でアスカを見る。そして、誓いを立てる。
「俺は二度と葛城にこんな思いはさせない。約束するよ」

「…うん!」
本当に嬉しそうに、アスカが笑った。





…良かった。良かったね、ミサト。





「ああ、そうそう」
残り僅かの内部電力を使い、弐号機の体勢を整えて自力で格納庫へ戻ろうとするアスカに向かって、声を掛ける。
少しだけ悔しかったし、意地の悪い表情を作って。

「アスカにはものまねの才能は無いみたいだし、もうやめといた方がいいんじゃないか?」
「………なっ!」

顔を真っ赤にして何かを怒鳴るアスカを無視して通信を切ると、加持は時計を見た。
第3使徒出現の一報が入るまで、あと少し。
やはり、アスカに預けてある『アレ』のところではなく、第三新東京市に現れるのか。
どういうカラクリかは知らないが、そこにゼーレの意思が介在している事に疑う余地はないだろう。
各支部の反応も気掛かりだ。内閣にパイプのある加持が前司令と合流して国内を抑えるまで、待ってくれればいいのだが。

山積する難題などまるでそ知らぬとでも言うような一面の朝日の中、輸送機はアフガニスタンの領内をゆっくりと進んでいった。





~つづく~





[5]の感想を拝見し、物語上のリアリティや原案との整合性などを考慮した結果、
あえて「国連と対立する=人類諸国とネルフ(本部)が対立する構図」というアイディアを使わせていただこうかと考えているところです。
また、その他の御指摘につきましても、鋭意検討中です。


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