昨日の続きを少し書く。どうせ、現在進行形で白鵬がめったに見られない記録を打ちたてる瞬間が見られるものなら、それは勝つところをともに祝ってやりたいではないか。しかし、ここが少し厄介なことにつながってしまう。
これだけ中身の濃い連勝を実現してしまったとなると、永遠に勝ち続けるということがあり得ない以上、白鵬の前には、その姿をのみこもうと待ち受ける敗北もあるはずなのだ。
現に、双葉山の六十九連勝とは“なにか”というと、七十番目に安芸ノ海に外掛けで負けたあの敗戦の序曲であったのだ。だから、六十九連勝と必ず“勝”の字がついて語られはするが、めったに見られない伝説を伴った“一敗”の記録だといった方が正しいのかもしれない。
つまり、連勝が陽であるものなら、その裏返しには必ず陰がひそんでいる。私が少し厄介だといったのは、その点を見逃さないで欲しいと思うからだ。
陰の方は、誰が相手役目をつとめて、どんな内容の相撲になるのか、推測すべくもない。しかし、陰の役回りを引き受けることになった安芸ノ海の側にも、並々ならぬ双葉山打倒に費やした時間と努力があった。それが思いがけぬ副次効果を生んで、安芸ノ海は後に横綱になる。ハンサムで動きの良い横綱であった。
しかし、相撲に興味を持つ人々の中にも、七十連勝をはばんだ力士だということを知っていても、その力士が綱をしめることになったと即座にいえる人は多くあるまい。
私がいいたかったのは、こういった陰陽の描くドラマを見逃さないで欲しいということなのだ。昨日も書いた通り、白鵬がいま果たしているのは、“禍福はあざなえる縄のごとし”と昔からいわれる人生の種々相を集約するドラマを、多くの人々にわけ与える役割なのだ。
そういったことは話や昔語りには登場してくるが、実際に自分が味わえるものとして身辺に見られるものにはならない。しかし、現在の白鵬の相撲の一番一番は、奥深いドラマを秘めたものになりかねない。相撲ファンとしては、そこを見逃さないで欲しいと祈るのだ。
三連勝しているからいうわけではないが、嘉風と栃ノ心が良い。とくに栃ノ心の鋭さを買う。左上手を取り左半身で、相手が力を出せない戦い方が抜群、相撲のうまい日馬富士が、なす術ないところに追いこんでいた。先が楽しみだ。 (作家)
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